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あなたの発信を電子書籍にしよう
ビジネスのために、創作活動のために、社会活動のために、
自分の思いや意見を伝えるために、人生の記録のために、
家族・友人との思い出を残すために、
いろいろな媒体を使って日夜発信をしている方。
あなたの発信を電子書籍 Amazon Kindleにまとめませんか?
ホームページ/ブログ/各種SNS/YouTube/note/
プレスリリース/ホワイトペーパーなど
発信媒体も、発信内容も多種多様な現代、バラバラのコンテンツを1冊の本にまとめて発信できるのが、電子書籍ならではの強みです。
●作り手側は・・・
原稿さえあれば手軽に素早く、無料で発行でき、売れれば印税(設定価格の70%)も得られます。
●読み手側は・・・
スマホやタブレット、PCなどのデジタル端末で、いつでも、どこでも、誰でも、気軽に読めます。
Kindleオリジナル本30冊以上製作・発行のわたしが、このサービスで原稿製作、発行の手続き(概要説明文など)のお手伝いを賜ります。
★サービス内容
基本ボリューム:2万~4万字(原稿用紙50枚~100枚)
3つのプランをご用意しています。
①まとメイキングプラン:基本料15万円
あなたがこれまでネットや印刷物で発信してきたコンテンツをそのまま選別・リライト・編集して原稿をまとめます。
②聴クリエーションプラン:基本料35万円
新たに取材・インタビューによって原稿を作成します。
(取材・インタビューは対面でもオンラインでもOK。
取材時間はトータル6時間が目安です)
③ミックスサラダプラン:基本料25万円
①②をブレンドして原稿を作成します。
たとえば前半が発信のまとめ、後半が取材・インタビュー。
あるいは各発信に対して、わたしがあなたに質問し回答を掲載など。
様々なバリエーションがあります。
料金は表紙製作費・発行手数料などを含みます。
ご相談によってさまざまなプランに対応します。
●メリット
・一度、発行しても随時更新可能。
・改訂版の発行も可能。
・原稿を製作・保持することによって、1冊売れるごとに印税(価格の70%)を得られます。
・ご希望があれば、紙の書籍・冊子(印刷物)にもでき、書店流通も可能です。(費用は別途かかります)
「お問い合わせからお気軽にご相談ください。
台本ライター ブックライター
福嶋 誠一郎
電子書籍作家
おりべ まこと
あなたの本・ストーリーを作ります。リモート取材ももちろんOK!
従来の書籍だけでなく、電子書籍も一般化し、誰でも少ない負担で自分の本を出版できるようになりました。人生にもビジネスにもストーリーやドラマが求められる時代。どんな商品もサービスも、提供する事業者の熱意や思いを伝えなくては振り向かれません。
そして自分の生き方を明らかに語らなくては、人生の意味も価値も発見できません。
わたしの仕事は文章を書くことで、あなたが自分や自分の仕事についてのストーリーを見つけるお手伝いをし、人生の充実・ビジネスの成功に貢献することでです。
これまで台本ライター/ブックライターとして500以上の案件に取り組んできた経験と永遠のルーキー精神で、心と経済を豊かにする仕事、面白い!と思える仕事、出会ってよかったと互いに笑顔になれる仕事をしていきます。
リラックスできる取材を通して自分発見体験をあなたに。
本に、冊子に、ウェブに、映像に、イベントに原稿は何にでも役立てられます。
お気軽にお問い合わせください。オンラインの打ち合わせ・取材も応じます。
「死ぬ前に一目祭りが見たい」
そう訴える老いた罪人に対し、
首切り役人が懐から狐のお面を取り出して渡す。
罪人がその面をつけると、耳には祭囃子が聞こえてくる。
彼が恍惚となり、幸福感に包まれた刹那、役人は刀を振り下ろし、
面をつけた罪人の首が宙を舞う。
「子連れ狼」と同じ小池一夫原作、小島剛夕作画コンビの劇画
「首斬り朝」は、刀剣の「試し斬り」の役目を担った
山田朝右衛門を描いた物語。
、
山田朝右衛門は打ち首の刑になった罪人の首を斬る、
いわば死刑執行人の役を兼務していたために、
江戸の町人たちから「人斬り朝右衛門」と恐れられていた。
江戸時代に実在した人物だ。
ちなみに「山田朝右衛門」というのは屋号みたいなもので、
代々同じ名を引き継ぎ、明治初期までお役目を務めていたという。
武士だが幕臣とは異なり、浪士の身分だった。
先述したストーリーは、
この「首斬り朝」の一編「祭り首」という話。
この劇画は基本的に一話読みきりで、
どちらかというと首を打たれる罪人が主役となり、
「なぜ罪を犯すことになったのか」を描く話が多い。
しかし「祭り首」は朝右衛門自身の
人生・感情にスポットが当たっている。
人々から恐れられていた「人斬り朝右衛門」は、
祭りの日は外出できなかった。
武士にとって、祭りは単なる遊びだが、
江戸の庶民にとっては、
現代のそれとは比較にならないほどの大イベント、
年に一度訪れる、命がけの祝祭である。
そんな特別めでたい日に、
不吉な死神と顔を合わせたくないというのだ。
祭というハレの日があるから、ケ(日常)が成り立つ。
解放の日にガス抜きをさせないと、庶民の間に不満が鬱積し、
世の中がうまく回らなくなる。
お上もそうした庶民の心情を無視しては
政ができないというわけである。
だから外出禁止は、なかばお上からの命令で、
それは気の毒なことに当人だけでなく家族も同様なのだ。
そのため、将来、「人斬り朝右衛門」になることを
運命づけられた少年朝右衛門は相当辛い思いをした。
10歳くらいの頃、我慢できずに
こっそり家を抜け出した少年朝衛門は、
人に見つからないよう、裏道でこっそり祭囃子を聞いていた。
すると、その裏道の入口前を、
同じ年頃の子供の集団が遊びながら走り抜け、
そのうちの一人が狐のお面を落としていった。
それを見つけた少年朝右衛門は、
こっそり拾って自分の顔にお面をつけてみる。
すると祭囃子がすぐ近くで聞こえた。
それは彼の人生で最初で最後の祭り体験になった。
漫画の中では描かれていないが、少年はその後、
急いで家に帰り、親に見つからないよう、お面を隠した。
もしかしたらその後、ずっと祭が来るたびに
家の中で一人でこっそりお面を被り、
幻聴のようなお囃子を聞いていたのかもしれない。
或いはお面を隠し持っていたおかげで、何とか大人になり、
父の後を継げたのかもしれない。
数十年後、刑執行の前日、彼は罪人が
「死ぬ前に一目祭りが見たい」と嘆願していることを知り、
箪笥の奥深くから隠し持っていた、あの狐のお面を取り出し、
しばし子供時代の回想に耽った後、
大事そうに懐に入れて家を出て、刑場へ――。
「首斬り朝」は「子連れ狼」と同じく、
父が全巻揃えて持っていた。
僕はそれを留守中に隠れて読んでいた。
「子連れ狼」より後なので、中学生だったと思う。
子連れ以上にエログロシーンが多い大人の漫画だったが、
人情噺に近い、この「祭り首」がいちばん印象に残っている。
そして、大人になって久しい今もなお、その印象は鮮明で、
罪人と朝右衛門の人生が交錯するラストシーンは、
思い出すたび、胸にじんと響く。
現代ではお祭りは、一部の人を除き、安全第一で、
神社の参道に並ぶ屋台で飲み食いするだけの
季節イベントになってしまっているが、
もともとは日本人の死生観と深くつながったものだった。
夜の神社を歩くと、ふと周囲の雑踏が消えて
生と死の境の空間に足を踏み入れたような
錯覚に落ちることがある。
死の間際に、心のどこかで祭囃子を聴くことができたら、
この世に未練を残さず別れられるのだろうか?
いい人生だったと思えるのだろうか?
祭りの季節になると、そんなことを考えるようになった。
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