台本ライター・福嶋誠一郎です。映像・イベント等の台本を書きます。

NEWS:2019 NEW PROJECT スタート

「自分史」執筆のお手伝いします。

 

「自分史」「社史」を書きませんか?

自分史を書くことで「大人の夢」が生まれます。

人生を再生するきっかけ・会社の再出発のきっかけを作ることができます。

私がお話を聞いて、あなたの「わたしストーリー」「会社ストーリー」を代筆します。

 

    こんな方に――

●転職・結婚・出産などに当って新しい自分を誕生させたい。

●人生100年時代、退職して新しい人生を始めたい。

●新事業・新製品・新サービス開始にあたって会社のストーリーを発信したい。

●統合・合併などで新しく社員になった人たちに会社のことを伝えたい。

 

ご相談いただければ執筆のお手伝いをします。(¥200,000~)

編集者・デザイナー。出版社などとチームを組んで本にすることも可能です。(¥500,000~)

★「お問い合わせ」からメールでお気軽にお問い合わせください。

 


TV・ラジオ・インターネット番組  各種イベント・展示会 

CM・プロモーション映像  法人・個人のセレモニー 

 

企画取材執筆現場立ち会い やっています。

 

「世界は舞台、人生は演劇(ドラマ)

シェイクスピアが残したこの言葉が、たくさんの人に意識される時代になりました。

今、人生にもビジネスにも、ストーリーが、ドラマが求められています。

販売したい商品、利用してほしいサービス、提供している事業体の存在。

そこに込めた熱意や深い思いを語らなくては、人は振り向いてくれません。

そしてまた、自分はこう生きてきた、生きている、生きていきたい・・・ということを語らなくては、自分の人生の意味や価値は発見できません。

 

 わたしの仕事は、あなたが自分や自分の仕事についての物語を見つけるためのお手伝いをし、文章として書き記すことです。

 わたしはこれまで台本ライターとして200以上の案件、5000以上のコンテンツの制作に携わってきました。

 これからもたくさんの方との協働作業で、心と経済を豊かにする仕事、「面白い!」と思ってもらえる仕事、「出会えてよかった」と、お互いに笑顔になれる仕事をしていきたいと思っています。

  


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ブログ「台本屋のネタ帳」

認知症の義母と川沿いの緑の小道を散歩する

 

昨日は義母と、実家のある清瀬市の清瀬柳瀬川の川沿いを散歩した。

この道は桜並木が美しいことで有名だが、川は高度成長時代から昭和40年代にかけては生活排水などでひどいドブ川になっていたらしい。

 

それが地域の人々や行政の努力で半世紀かけて、鮎も泳ぐ美しい川によみがえたという。

うちの息子がチビの頃、この妻の実家に来ると、いつもこの川で水遊びをしていた。

昨日も暑かったので、当時の息子くらいの男の子がバシャバシャと大喜びで水遊びをしていた。

 

義母は嬉しがって「わぁ、気持ちよさそうだねぇ」んどと声を上げる。

 

これから一緒に暮らすので、今後の生活に向けて、いっしょに時間を過ごす練習をしたほうがいいだろう、ということで、ちょっとトレーニングの日を設けてみたのだ。

 

3時間ほどの間、休職して義母としばらく一緒に暮らしている義妹が抜けて2人きりになった。

義母は亡くなった義父、つまり自分の旦那以外の男性と二人きりになったことは、84年の人生の中でおそらくほとんどないらしい。

 

ずっと家の中にいるとに、すぐに煮詰まってくるので

「散歩しましょうか」というと嬉しがって、

お出かけ服とまでは言わないけど、

ちょっとした外出着に着替えてきた。

 

認知症なのだが、からだは丈夫で、5階建ての団地の階段(古い住宅なのでエレベーターが付いてない)も平気で上り下りする。

歩く足取りも、84歳とは思えないほどしっかりしている。

 

河原に下りたり上がったりして、50~60mほど歩いたところで、

「あそこで働いていたのよ」と言って、道路の向こう側にある建物を指した。

 

今は何かの倉庫として使われているが、昔はこの地域のスーパーで、もう40年くらい前に5~6年間、その店でパートで働いていたのだそうだ。

カミさんの話によると、そこのパートの仕事が、とても楽しかったらしい。

ただ、関白亭主の義父は、妻がそこで楽しそうに働いているのをあまり快く思っていなかったようだ。

 

認知症になった今、亡くなった夫のことは、夫ではなく、自分の父や兄だと言う。

娘のことはカミさんも義妹も、「ヘルパーのおねえさん」といった理解らしい。

僕のことは当然、娘の夫でもなく、義理の息子でもなく、

どっかから時々現れる「明るい男」ということになっている。

 

半世紀以上、寝食をともに共にしてきた家族のことは忘れても、

40年以上前、ほんの一時期、働いていたパート仕事のことは憶えている。

義母の人生のハイライトだったのかな?と思う。

 

家族は大切だが、同時に主婦・母親にとって、

家族は一種の重い「義務」でもある。

 

もしかしたら義母は、その重たい義務から、

すっかり自由になったんだろう、と思う。

自由になった義母の心が、できるだけ羽ばたけるような暮らし方をする必要があるのかもしれない。

美しい川と緑の小道を歩きがら、そんなことを考えた。

 


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