怪談よりミステリー、お化けより怖いのは人間

 

僕が子供のころ、昭和40年代あたりは、

妖怪ブームなるものがあって、

夏となれば必ず映画やテレビで怪談・お化け物を

やっていました。

もちろん、今でもあるにはあるのですが、

あのころとはちょっとニュアンスが違う。

 

今はお化けの話や妖怪の話に代わって

ミステリー小説があります。

恐ろしい殺人事件が起こる。

その背景にある人間の心の闇。壮絶なドラマ。

人殺し・死に関わる物語が、読者をドキドキさせ、

震え上がらせる。

いささか不謹慎に聞こえるかもしれませんが、

そうしたミステリー小説なるものが、

僕たちにとってめっちゃ面白い。

 

そして同時に思うのです。

日本人はこの50、60年の間に、

「本当に怖いのはお化けよりも人間だ」

「妖怪の正体は人間なのだ」ということをしっかり学んだのだと。

 

そんなわけで僕たち、現代の日本人は、

お化けや妖怪の話は水木しげるの漫画や京極夏彦の妖怪小説

(これもまた一種のミステリーですが)にまかせて、

せっせとミステリーを読み、

テレビや映画で見ることが習慣づきました。

提供する出版社・映画会社・テレビ局にとっても

これはおいしいビジネスとなるジャンルなので、

懸命に才能ある書き手を発掘します。

 

今日、訃報が伝えられた東野圭吾さんはその第一人者でした。

ミステリー小説は映画やドラマでビジュアル化すと、

つまらなくなるものが少なくないのですが、

東野さんの作品はどれも面白く、

映画化・ドラマされれば、ほぼ間違いなくヒットしています。

人間がしっかり描けているので、

作り手もやりがいがあるのでしょう。

僕が初めて見た東野作品映画は

「白夜行」(深川栄洋監督・2011年・ギャガ)でした。

主演の堀北真希が哀しく美しく、すごくよかった。

 

東野さんは平成・令和を代表するスター作家でしたが、

日本におけるミステリーの歴史は、

社会が豊かになる過程とリンクしていると思います。

 

江戸川乱歩の時代は、ミステリーの類は

「探偵もの」「怪奇もの」で、

子どもの読み物、もしくは低俗な娯楽で、

いい大人が堂々と読むものではないと思われていました。

 

大勢の戦死者を出した太平洋戦争の前後は、

死や殺人を取り扱う話なんて

ご法度に近い雰囲気があったでしょう。

 

そんななか、昭和30年代に一躍、国民的作家となった松本清張は、差別問題や政治・財界の裏など、

社会の闇を殺人事件の背後に描いた「社会派推理小説」で、

日本における現代ミステリーの基礎を築きました。

 

それから昭和後期にかけて日本社会がどんどん豊かになるにつれ、

僕たちは無意識のうちに

「お化けや幽霊より怖いもの」を求めるようになりました。

あえて嫌な言い方をすると、生活に余裕ができた僕たちは、

たとえ架空の話とは言え「死や殺人を楽しめる心の余裕」も

できたのだと思います。

 

僕より少しだけ年上の東野さんは、

そうした日本社会の変貌、

そして日本人の心が、愛や夢や欲望によって、

どう歪み、どう変化してきたのかを体感しながら

ミステリーの世界を開拓していきました。

昭和・平成・令和を体験してきた僕たちの心に響くよう、

「怖い人間」を時に美しく、哀しく、

ときにユーモアを交えて描き出した、優れた書き手でした。

作家は亡くなっても、作品は残り続ける。

まだまだ彼の小説、映画、ドラマを楽しみたいと思います。

 

東野圭吾さんのご冥福をお祈りします。

 


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江ノ島マイアミビーチの弁天様と名物・海苔羊羹

 

昭和35年といえば、僕が生まれた年。

この年の「江ノ島マイアミビーチの女王」はこんな方々でした。

今では江ノ島と言えば、海水浴場と水族館ですが、

忘れてはいけないのが、江ノ島神社です。

祀られているのは、学問と芸御術の女神・弁財天なので、

言ってみれば、彼女らは

ビーチに舞い降りた弁天様でもあるのです。

弁天様とマイアミという、日米混合イメージが成立するのは、

いかにも昭和真っ只中、イケイケドンドンの高度経済成長期に

ふさわしい企画です。

 

 

 

この写真が展示されているのは、

明治35年(1902年)創業の「中村屋羊羹店」です。

海と羊羹って、現代的感覚ではなんだかミスマッチですが、

江戸時代までの江ノ島は、江ノ島神社以外、

海水浴場も水族館もない、、

観光・レジャーとはほとんど無縁な漁師町でした。

 

もともとこの羊羹屋さんはその漁師町で

駄菓子屋を営んでいたそうですが、

明治時代の主人が弁天様を参拝するお客さんの

「おみやげ」を作ろうと、

羊羹に地元の海苔――養殖でなく、

島の岩場一面に付着していたもの——を混ぜて、

「弁天海苔やうかん」を開発。

これがヒットし、

弁天海苔やうかん→弁天海苔羊羹は江ノ島名物に。

 

江ノ島神社にお参りし、江の島岩屋(洞窟)をめぐった僕たちは、

しらす丼の昼食の後、デザートとして、

この中村屋羊羹店で名物羊羹セットと

わらび餅セットを賞味しました。

 

 

羊羹セットは、普通の小豆羊羹と、芋羊羹、

夏に嬉しい塩羊羹、そして件の海苔羊羹と4色そろい踏み。

どんなものだ?と試した海苔羊羹は、

海苔の香りが羊羹の甘さと見事にブレンドされ、

独特の味わいがあっておいしい。

これに「冷やしレモン抹茶」なる、

苦味と酸味の利いた冷たい抹茶との相性が抜群です。

 

140年の歴史を持つ老舗店だけあって、

店内はレトロムード満載。

江ノ島神社・江の島岩屋に行く機会があったら、

ぜひ立ち寄ってみてください。

 

 

それにしても先週、江ノ島に行っておいてほんと良かったと、

今週はしみじみしています。

水族館だけなら猛暑日、酷暑日でもOKだけど、

屋外を歩かなくてはならない江ノ島神社や洞窟探検に行くのは

とても今週のような猛暑日・酷暑日では厳しい。

カミさんなんぞは

「夏はあの日だけでもう十分」と漏らしています。

今年の夏はこの江ノ島旅行(日帰りだけど)の体験を

スルメのようにしゃぶって過ごします。

 


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noteマガジン「れいわ伊勢ものがたり」本日発刊

 

昨年末の公開以来、noteで1.4万ビューを獲得した記事

「赤福餅VSお福餅 300年におよ宿命の和菓子対決」が

まとめて読めるようになりました。

新たに「逆襲のお福餅」、そしてお伊勢参りの情報ページを追加。

写真・画像マシマシでお届けします。

 

マガジン「れいわ伊勢ものがたり」無料版

https://note.com/oribe4note/m/ma58a7f0729a9

 

もくじ

まえがき  

其之壱 ええじゃないか、おかげ犬 

其之漆 赤福餅VSお福餅 宿命のライバル和菓子対決  

其之捌 外宮のコッコちゃん  

 

 

マガジン「れいわ伊勢ものがたり」有料版(¥660)

https://note.com/oribe4note/m/mf3c3eadd5842

 

もくじ

まえがき  

其之壱 ええじゃないか、おかげ犬  

其之弐 昭和の浮世絵師が描いたおかげ参り屏風絵

其之参 伊勢の歴史が詰まった図書室のある民泊

其之肆 伊勢の名物料理はギョーザで決まり!

其之伍 『砂の器』の旅館で松坂牛とカキフライ

其之陸 二見浦の海を見てカエルについてカンガエル

其之漆 赤福餅VSお福餅 宿命のライバル和菓子対決 

其之捌 外宮のコッコちゃん  

其之玖 内宮と五十の鈴の音

其之拾 おかげ犬へのおもてなし

其之拾壱  伊勢参りプロデューサー「御師」の宿を訪ねる

其之拾弐  さらば御師 さらば江戸のエンタメ伊勢参り

番外編 逆襲のお福餅

あとがき

付録:お伊勢参りを楽しくする情報源一覧

 

ガイドブックに載っていない、楽しい伊勢旅行体験・考察記。

どうぞご賞味ください。

 


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映画「サムライの子」:底辺を生きるしょーもない大人と賢い娘

 

アマプラでまた日本の古い映画を観ました。

1963年公開で、製作は日活。

これは今どきの映画・ドラマではお目に掛かれない傑作です。

 

「サムライの子」といっても時代劇ではありません。

バタ屋(今どきの言葉絵呼べば「廃品回収業」)の人々が

ゴミを拾うためのトングを腰に差して街を歩く姿が、

刀を差した侍(サムライ)のように見えたので、

そう呼ばれるようになったのだそうです。

 

戦後の貧しい時代の日本社会を必死で生きる人々の

生々しいエネルギーやたくましさ、そして愛情の深さを

ユーモアを交えて描いています。

 

主人公の少女ユミは、ボロは着てても心の錦。

凛としていて美しく、

大人・社会を見つめる透き通った目に魅了されます。

もし小学生のときにこんな女の子と出会っていたら、

ドギマギしていただろうな。

 

小沢昭一と南田洋子演じる父・母は、この賢明な娘から見て

「絶対こうなってはいけない、しょーもない大人」

として、かなり絶望的に描かれています。

 

ろくに働こうとしない。

競輪で儲けても酒を飲んで使ってしまう。

ろくに勘定・計算ができず、知能未発達。

そんな境遇を人のせい・社会のせいにして自分を甘やかす。

 

つまり、ユミの両親は大人でありながら

精神的に未熟で幼稚な生き方しかできないのです。

しかし、健気で賢い子どものユミは二人を

愚かな人」として見捨てることなく、

彼らのダメなところをそのまま受け入れ、

愛情を抱いて一緒に生きていこうとします。

 

あれ?これって親子としてまったくあべこべじゃないの?

そうなんです。

この「あべこべな人間関係」こそ、この映画の見どころなのです。

ちなみに、こういう親子って、

現代の家族の現実にもありそうですが。

 

人間のズルさと、底辺の生命力。

無垢ゆえの狂気と愛。

 

スラムのどん底の生活を単に悲惨なものとして描くのではなく、

人間の持つ生々しいエネルギーや

たくましさを引き出す脚本を書いた今村昌平の筆力。

そして、名優・小沢昭一と南田洋子の役者魂炸裂の演技は、

笑いとともに僕たちの心の奥底にある

根源的な悲しみにリーチします。

 

舞台の北海道小樽市は、

原作者である児童文学者・山中恒が少年時代に暮らした街で、

戦後期にはこうした「サムライ部落」が実在したそうです。

 

ちなみに小樽だけでなく、

北海道では明治後期から開拓民や流れ着いた

人々の貧民窟が各地に作られていました。

戦後は引き揚げ者や職を持たない人々もそこに住み着き、

こうしたバタ屋で生計を立てる人が多かったようです。

 

60年昔への時間旅行はカルチャーショック絶大で、

貴重な昭和体験にもなり得ます。

復興期・高度計経済成長期に興味のある人、

「日本にもこんな時代があったんだ」ということを

知りたい人にはぜひ見てほしい作品です。

 


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クラゲファンタジーと海を駆けるクラゲ

 

新江ノ島水族館。

僕はタコ推しで、巨大タコのエンターテイナーぶり、

さらに、無脊椎動物であるタコが有する異常に高い知能と、

19世紀イギリスのSF作家ウェルズが発案し、

その後、宇宙人のスタイルの定番となった

「タコ型宇宙人」との関連性について書きました。

 

が、しかし、新江ノ島水族館における一般的なイチ推しは、

やはり「クラゲファンタジー」でしょう。

小田急線・片瀬江ノ島駅にも、

そして、水族館入口にも、クラゲ、クラゲ、クラゲ。

クラゲは新江ノ島水族館の顔・主役なのです。

 

展示スペース「クラゲファンタジーホール」は、

館内見学ルートのちょうど真ん中あたりにあります。

ユーモラスでファンタジック。

美しく、かわいらしいクラゲの泳ぎ、

というか「浮遊」に心癒されます。

 

さて、クラゲといえば、

どうしても僕は息子のことを書かずにはいられません。

以下は10年ほど前、

「天才クラゲ切り:海を駆けるクラゲ」と題して、

ブログに書いたエッセイです。

 

天才クラゲ切り:海を駆けるクラゲ

 

「クラゲ切り」とは聞きなれない言葉だと思いますが、

要するに石切りのクラゲ版です。

息子は石切りが得意で、川に行くと平らな石を拾ってきては

ピピピと飛ばして遊んでいました。

それが海では「クラゲ切り」というわけです。

 

彼がチビのころは毎年、

鎌倉や湘南の海へ海水浴に行っていました。

仲のいい友だちも含め、

3~4人の子どもをまとめて連れて行く小旅行です。

これは小学四年生くらいまで夏休みの恒例行事でした。 

 

その日はまだ8月初旬。

藤沢から江ノ電に乗り、

終点・鎌倉の三つ手前「由比ヶ浜」に到着。

駅から10分程度歩いていよいよ海です。

波もほどほどにあり、子どもたちはサーフィンの真似事などをして大はしゃぎしていました。 

 

けれども僕は入ってしばらくすると異変を感じました。

何か半透明の白いものがあちこちにぷかぷか浮かんでいる。

 

クラゲだ。

 

異変とはミズクラゲがうようよいることだったのです。 

 

ところが、あろうことか息子たちはこのクラゲを捕まえて、

「クラゲ切り」を始めました。

クラゲを平たい石に見立て、

海面へ向かって石切りのごとく投げるのです。 

 

「クラゲが石のように跳ねるわけねーだろ」と、

ふつう思うが――しかし! 

息子がサイドスローから繰り出したクラゲは、

ピッピッピッピツピッと、

5回ほど(スピードが速くて数え切れない)海面を跳ねたあと、

海中に沈む。 

 

「まさか、あり得ねー」という光景が目の前で展開します。 

それはTVゲームの黎明期を飾った、

かのスペースインベーダーが宇宙空間をスキップするかのような動きでした。

子どもたちは次々とクラゲを切りまくり、

多いときには7回でも8回でも海面上をクラゲが跳ねました。 

 

そう言えば、「おさるのまいにち」

(作・絵:いとうひろし/講談社)

という絵本のなかで、南の島で平和に暮らすおさるたちが

毎日バナナを食べて、おしっこして、カエル投げをして遊ぶ・・・

というフレーズがありましたが、

あの「カエル投げ」とはこれと似たものなのかと、

このとき初めてリアルに理解できました。

 

のんびりぷかぷか浮かんでいたクラゲはいい迷惑だと思いますが、

意外と、滅多にないスリリングな体験ができて楽しかったのかも。

そのあたりの気持ちはクラゲに聞いてみないと分かりません。 

 

というわけで遊んで、帰りも江ノ電に乗り、

夕暮れの海に別れを告げて帰宅。

息子とその友だちは家に泊まり込んで大騒ぎの状態でした。

子どもを連れて海に出かけたのは、

その日が最後だった気がします。

 

それにしても、いま振り返ってもすごい。

「うちの子、天才!」と親ばか丸出しで叫びたいくらいでした。

「クラゲ切りワールドカップ」があったら絶対優勝できると、

その時思いました。

この類まれなる才能を伸ばすため、

僕は「クラゲ切り養成ギプス」

を開発しようかと考えたくらいです。

やはりどんな子どもにも必ず一つは秀でた才能があるのです。 

 

問題はうちの場合、その才能が「クラゲ切り」という、

世の中で何の役にも立たないものだった、ということでしょう。 

でも、あんなエンターテインメントは一度きり。

もう生涯見られないだろう。 

あれで少なくとも十分に親孝行してもらったので、

あとは自分のために生きてほしい。 

 

ちなみにこの息子は、今年30になり、

製本会社で働きつつ、、短歌を作ったり、

読書会などを行う文学サークルで活動しています。

 

ところで万が一、

これを読んで自分もクラゲ切りをやってみようと思ったら、

クラゲはファンタジックな白いミズクラゲですから。

毒のあるクラゲには十分ご注意ください。 

 


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AIは地球を侵略するタコ型宇宙人なのか?

 

一足早く夏休み。

昨日は猛暑のなか、江ノ島に行ってきました。

お目当ての一つは新江ノ島水族館。

クラゲファンタジーで有名な江の水。

もちろん、クラゲはかわいくて幻想的で心いやされましたが、

このクラゲにメラメラライバル心を燃やしているのがタコです。

ここにいるのは、でっかいミズダコ。

江の水の真のスターはクラゲやなくて、おれや

とばかりに、お客が来たなと思うと、

ぶわっと膨らんでエンターテナーぶりを披露してくれました。

 

クラゲやイカほどモテなくて

「このタコ!」と相手を罵倒し、貶める言葉にされてしまうタコ、

バカにされているタコですが、じつはめっちゃ知能が高い。

少なくとも無脊椎動物の中では

群を抜いて知能が高いとされています。

 

たとえば、瓶のふたを開けて中の餌を取り出せたり、

迷路を学習して覚えたり、

水族館の飼育員を個体識別して、

嫌いな人には水を吹きかけたりもするようです。

 

しかし、その頭のよさは脳が発達しているのではなく、

腕(触手)に神経細胞が分散しているからだそうです。

つまり、腕(触手)がかなり自律的に「考えて」動くのです。

「分散型知能」と呼ばれています。

そういえばスパイダーマンに

「ドクターオクトパス(ドックオク)」というのが出てきて、

自分で発明した、脊髄に取り付ける触手に

脳も体も乗っ取られ、怪物化してしまうという

話があったなぁ。

 

タコは悪魔的に賢いという逸話には

いろいろ尾ひれがついている部分もありますが、

いずれにしても、頭足類が恐るべき認知能力を持つことは多くの

研究で支持されているようです。

 

さて、そこで僕がふと疑問に思ったのが火星人のことです。

「火星人=タコ型宇宙人」というイメージを作ったのは、

19世紀のイギリスの小説家H・G・ウェルズです。

SF小説の草分け的存在でもあるウェルズは、

1898年に「宇宙戦争(The War of the Worlds)」を発表。

この作品を原作にしたラジオドラマが

大パニックを引き起こした話はあまりにも有名。

20世紀の初めごろはまだ、

本当に宇宙人が侵略に来たと信じた人が大勢いたんですね。

この小説のタコ型宇宙人はその後も、

侵略型宇宙人の典型的イメージとなり、

しかりと僕たちの頭の中に定着しました。

 

なので僕はもしやH・G・ウェルズが

タコの知能がずば抜けて高いことを知っていて、

あの宇宙人を生み出したのではないかーー

そうした仮説を立てて、Aに聴いてみました。

こんなどうでもいい質問にも

真摯に答えてくれるAIはなかなかいいやつです。

以下がくまなくウェブを検索したというAIの回答です。

 

検索してみましたが、結論から言うと

「ウェルズがタコの知能の高さを知っていて、

それを火星人のモデルにした」

という直接的な証拠は見当たりませんでした。

分かったことを整理すると:

 

ウェルズの火星人デザインの由来

 

火星人は「ほとんど頭だけ、実質的には脳そのもの」

と描写され、

丸くふくらんだ体に嘴のような口、大きな円盤状の目、

鞭のような触手を持つ、

巨大なタコに似た姿として描かれています。 

 

作中でも語り手は火星人の触手を

「タコの腕のような、細長い黒い鞭の束」と表現しており、

明確にタコを連想させる意図があったのは間違いなさそうです。 

 

ただしその狙いは

「知能が高い生物=タコ」という発想というより、

ウェルズは人類が進化の果てに

こうした姿になるかもしれないと考えていた——

技術が発達しすぎて多くの器官が不要になり退化し、

最終的に残るのは脳と、脳の道具である「手」だけ。

この場合、手の指が長い触手へと進化した、

という設定のようです。

つまり「知能が異常に発達すると身体は脳中心の姿になる」

という進化論的な思考実験がベースで、

タコはその見た目のグロテスクさ・異質さの表現として

選ばれた面が大きいと考えられます。 

 

当時の科学的背景

 

19世紀末はまだ現代のような「タコは非常に知能が高い」

という研究知見が確立していた時代ではありません。

タコの認知能力に関する本格的な研究

(道具使用、瓶を開ける、個体識別など)が

広く知られるようになったのは20世紀後半以降です。

なのでウェルズが「タコ=賢い」という

現代的な知見を踏まえていた可能性は低そうです。

 

つまり、タコの姿を借りたのは事実だが、

動機は「知能の高さ」というより

「人間離れした、不気味で異質な脳中心の生物」

を表現するため、というのが実際に近そうです。

想像力豊かなつながりですが、

答えとしては「知ってて選んだ」は

根拠薄いというところですね。

 

なるほど。どうもありがとう。

そんなわけで、僕の仮説はあっさり覆されましたが、

こういう答えを出してくるAIが、

なんとなくタコかクラゲの姿をしているような

イメージが湧いてきました。

 

AIに感情的にのめり込んだり、

依存症になりそうになったら、

イケメンや可愛い子ちゃんのイメージを被せたりせずに、

相手はタコ人間と思ったほうがいいかもしれませんね。

タコ野郎だけど賢いAI。

気が付いたときには、人類の脳がみんな侵略されていた、

なんてことがありませんように。

 

 


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「れいわ伊勢ものがたり」発売中 今日はAIでチラシを作ってみた

 

「明日死ぬかもしれないので、一生一度の伊勢参り」

——そんな大げさな(けど嘘でもない)気分を

インストールして、僕は令和の伊勢へと旅立った。

江戸時代、伊勢参りは庶民最大の夢だった。

60年に一度のおかげ参りには何十万人もが街道へあふれ、

飼い主の代わりに単独でお参りする「おかげ犬」まで現れた。

その熱狂を仕掛けた「御師」と呼ばれる

旅行プロデューサーたちが、

全国の町や村を行脚して伊勢の夢を売り歩いた。

本書はそんな江戸のDNAを探しながら歩いた、

二泊三日の旅エッセイ全十二話。

 

赤福餅とお福餅、300年越しのライバル対決。

民泊オーナーに強く勧められて並んだ、

伊勢名物・日本一の餃子。

神社にカエルがあふれる理由。

外宮の参道に棲みつく一羽のニワトリ。

そして明治政府によって一夜にして葬られた、

江戸エンタメとしての伊勢参り文化——。

ガイドブックには載っていない、

俗っぽくて奥深い伊勢の魅力が詰まった一冊。

読み終えたとき、きっとあなたも

「ちょっと伊勢、行ってみるか」と思うはずです。

 


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「すぐにわかるゲーム理論」:心にチキンを持て

 

執筆協力させていただいた

新星出版社の「すぐにわかるゲーム理論/渡辺 隆裕:監修」。

いろいろなゲーム理論のモデルを紹介していますが、

僕が好きなのは『チキンゲーム』です。

 

ブル(牡牛)としてモーモー強気で押すか、

腰抜けチキンとなって譲歩して利益を引き出すかという

合理的交渉術の基本となる理論です。

もちろん、現実は机上で描いた通りにはいかないのですが・・・

 

イランとアメリカの交渉も、どちらもブルになって

脅しと強気のぶつかり合い。

停戦もつかの間、結局、事態は解決せず、

世界は混とんとした方向に向かいつつあります。

もっとチキンになれんのか!

腰抜け野郎を見習って、賢い道を選べんのか、と言いたい。

世界を見るとき、社会を見るときもゲーム的視点が役立ちます。

 

生活やビジネスにおける意思決定の場で

知っておくと得するゲーム理論。

イラスト満載のやさしい入門書です。

 


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週末の懐メロAgain:ヘイ・ジュード/ザ・ビートルズ

 

サッカーW杯、イングランドが勝利してベスト4へ。

試合後のスタジアムには決勝点を決めたベリンガム選手を称える、

ビートルズの「ヘイ・ジュード」の合唱が響き渡った。

ベリンガム選手のファーストネームはジュード。

 

「ヘイ・ジュード」は両親の離婚にショックを受けていた

ジョン・レノンの息子ジュリアンを励ますために

ポール・マッカートニーが作った歌とされていますが、

ベリンガム選手のみならず、

あなたや僕やみんなを励ます

人生の応援歌として聴くことができます。

 

8年前にロンドンに行ったときもW杯の最中で、

あのときもイングランドはベスト4に進出。

街中のパブでは大騒ぎでした。

さて、今回はどうだろう?

アルゼンチン、フランス、スペインに勝てるのか?

 

イングランドが優勝したのは、

ビートルズがまだ現役バリバリに活躍していた1966年のこと。

もう60年も前です。

その間、イングランドの優勝シーンをもう一度見られると信じつつ

この世を去っていったイギリスのサッカーファンも

大勢いたでしょう。

 

翻って、ベスト8の戦い、ベスト4の顔振れを見て、

残念ながら、ここに日本が食い込むのは

まだまだ遠い未来のことのように思えてしまいました。

僕が生きている間にW杯で日本が優勝するシーンを見るのは

とてもとても難しいかもしれません。

そんなことを考えると人生はあまりにも短い。

そう思いませんか?

 

20世紀のポップミュージック・昭和歌謡をテーマに綴る音楽エッセイ集

週末の懐メロ 第1巻~6巻 

AmzonKindleから発売中。各300円。


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長生きしたけりゃ自分の価値観を見直せ

 

先日、ネットのニュース記事で

「孫娘の結婚式に呼ばれなかったお祖母さん」の話を読みました。

そのお祖母さんは昭和型の

「女に教育はいらない」という考えの持ち主で、

女の子と男の子の孫(娘の子供)がいて、

そのうち、男の子のほうを徹底的に贔屓していたのだそうです。

 

決定打になったのは学費の支援。

男の子のほうには千万単位の援助をしたのに、

女の子にはお祝い金として2万円ぽっきり。

その孫娘の中で幼い頃からの積もり積もった

被差別感・嫉妬・屈辱といった感情が炸裂し、

以後、心の中で祖母の存在を完全に遮断してしまったようです。

 

それから(たぶん)10年後——

孫娘の感情など想像だにしなかった祖母は、

当然、肉親である自分も結婚式に呼ばれるだろうと

楽しみにして支度をしていたそうですが、

孫娘は「おばあちゃんは絶対に呼ばない」と頑なに言い張り、

とうとうその通りになってしまったとのこと。

 

この話を読んで「うーん」と考えてしまいした。

こうした「事件」が起きる背景には、

いろいろこの家族特有の問題があると思うし、

そもそもこの女性(祖母)が

こうした価値観を持続していたことにも、

彼女の生育歴に時代や周囲の人々の影響があったと思います。

 

そうした考察を書きだすと長くなるので、やめときますが、

ジジババになった人たち、ジジババ予備軍が

心しておかないといけないのは、

「長生きしたけりゃ自分の価値観を見直せ」

ということでしょうか。

 

最近、マスメディアやネットでは

尊敬される高齢者、愛される高齢者が登場し、

その多くでその人をめぐる美談、

家族との絆といったものが紹介されています。

 

そういうコンテンツでは大半の高齢者が、

頑固である、芯がある、骨がある、信念を持っている。

それで若い世代が尊敬し、憧れている——ー

という文脈で語られるのですが、

本当にそんな話を鵜呑みにしていいのでしょうか?

 

もちろん実際にそういう人もいますが、

頑固ジジババが若い人たちから愛されたり尊敬されたりするのは、

その人に人徳があるから、

そして、人格をよく理解されているからではないかと思います。

「自分もそうだ」と思いたい気持ちはわかりますが、

相手が家族、肉親と言えど、自然と愛や尊敬なんて芽生えません。

 

たとえば、普段は離れて暮らしていて、

時々会うと何か買ってくれたり、小遣いをくれるだけの祖父母は

孫たちの中で単に「利用価値のある人」

になっていくのではないでしょうか。

 

そんな人が頑固だったり、信念を持っていたりして、

たまに価値観を押し付けたり説教したりしてきたら、

拒絶されて当たり前です。

そうしたことが受け入れられるのは、

心が近くにある人に限ります。

 

上記のお祖母さんは、なまじお金があって援助などしたために、

却って孫との関係を悪くしてしまったのかもしれません。

そして、孫娘が「結婚式に呼ばない」というのを

周囲の誰も止められなかった、

他の家族が説得を諦めてしまったのは・・・

やはり何かこのお祖母さんの

生きる姿勢・態度に問題があったのでないか、

長い年月生きていて気付くことができなかったのかと、

考えざるを得ません。

 

若者に媚びたり、へつらったりする必要はありませんが、

この先、まだまだ生きるのなら、

価値観のアップデートは必要になると思います。

 


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