アカデミーゴジラへの称賛と違和感

 

平成後半、何度もオワコンだと言われ、

アメリカに売り飛ばされていたゴジラがまさかの再生。

そして驚愕のアカデミー賞受賞。

その「ゴジラ-1.0」と、

作品賞をはじめ、各賞を総ナメにした

「オッペンハイマー」が同じ年に受賞したことには

何か因縁を感じるが、

あまりそんなことを考えている人はいないのかな?

 

以前も書いたが、昭和20年代を舞台にした

「ゴジラ-1.0」が

原爆投下や敗戦の傷跡をあまり感じさせなかったことに

けっこう違和感を覚えた。

もしやアメリカ市場に忖度してる?とも考えた。

今回の受賞で、ゴジラが水爆実験から生まれた怪物だという

オリジナル設定は忘却されてしまうのではないか?

そんな懸念もある。

 

もう一つ、今回称賛され、

たぶん受賞の一要因になったのは、

アメリカ・ハリウッドでは考えられない

低予算・少人数による制作体制。

どちらもケタ違いに安くて少ない。

 

これはもう日本映画のお家芸みたいなもので、

映画が量産されていた1950年代・60年代、

黒澤明や小津安二郎が活躍していた時代は、

コスパ、タイパに徹底的にこだわり、

1週間で1本とか、1か月で3本とかをあげるのは

ザラだったという。

巨大な予算と膨大な人数で映画作りを行い、

働く人たちの権利意識が強く、組合も強力で、

頻繁にデモやストライキなどをやる

ハリウッドでは到底考えられない作り方・働き方なのだ。

これもまた、資本・経営者に対する

日本の労働者の立場の弱さを表している。

と言ったら言い過ぎ?

もちろん、条件が悪い中で工夫して知恵を絞ることに

イノベーションが生まれるので、

いいことでもあるんだけど。

 

ただ、この働き方改革の時代に、

スタッフの健康やプライベートは大丈夫かとか、

それなりの額のギャラが

ちゃんと払われているだろうかとか、

会社の言いなりになっていないかとか、

ついついよけいなことを考えてしまう。

 

映画をはじめ、クリエイティブの現場は

労働基準法なんてあってなきもの、

みんな好きで、愛を込めて仕事やっているんだから、

夜中までかかろうが、休みがゼロだろうが文句なんかない。

といった世界だったはず。

気持ちがノッて、クリエイティブ魂が全開になって、

現場のテンションがグワーって盛り上がってきたところで、

「はい、6時になったんで今日はここでおしまい」

なんて言われたらドッチラケ。

昔の監督だったら「ふざけんな!」と怒鳴りまくるだろう。

と、僕は認識しているが、最近はそうした環境も

変わってきているのだろうか?

 

なんだかせっかくの受賞に

ケチをつけるようなことを書いたけど、

やっぱりこれは画期的な出来事。

ハリウッドの映画製作にも何か影響を与えるのだろうか?

ちょっと楽しみではある。

 


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イマイチ昭和世界の「ゴジラ-1.0」

 

「シン・ゴジラを超えた」と評価の高い

「ゴジラ-1.0」を見た。

時代設定が太平洋戦争末期から戦後間もない、

80年近く前の日本。

ここまで時間を戻してしまうということは、

ゴジラ映画のリセットを意図しているのか?

前作 庵野監督の「シン・ゴジラ」もそうだったが、

それとは真逆のベクトルのリセットだ。

以下、ネタバレありで。

 

戦争直後の東京の再現ということで

昭和レトロ世界構築の実績を持つ

「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎監督が出陣。

街の風景・環境の作り込みなどはよくできているが、

ストーリーが「ALWAYS」と違って、

シリアスでスケールが大きいせいもあり、

この時代の雰囲気づくりにはイマイチ感が漂う。

 

僕が時おり、

古い日本映画を見ているせいもあるのだろうけど、

そもそも俳優さんの顔つき・体つきが、

あの時代を生きていた人と現代を生きる人とでは、

同じ日本人でもずいぶん違うと感じる。

これはもうどうしようもない。

食い物もライフスタイルも80年前とはまったく違うのだから。

そこに難癖をつけるつもりはない。

 

しかし、補完する工夫はもっと必要ではないかと思う。

東京のど真ん中にゴジラが上陸して、

死傷者3万人という大惨事が起こったのに、

日本政府も、当時統治していたGHQも

まったく対策に関与しないのは、

どう考えても解せない。

元軍人たちの民間組織に丸投げするっていう設定は

無理があり過ぎだ。

 

「シン・ゴジラ」では政府の対ゴジラを描いたので、

今回はそれを避けたというのはわかるし、

台詞の中でもなぜ日本政府も米軍も出てこないかの説明は

一応ある。

けれども少しは政府高官なり、GHQの将校なりとの

やりとりのシーンが出てこないと

リアリティ不足は否めない。

 

もう一つ、ストーリーで不服だったのが、

主人公・敷島(神木隆之介)の描き方。

彼はもともと特攻隊員だが、冒頭シーン、

その任務から逃げて修理班のいる島に不時着し、

そこでまだ水爆実験の影響を受ける前のゴジラに遭遇する。

飛行機の機銃でゴジラを撃とうとするができず、

結果、修理班の人たちを見殺しにしてしまう。

 

なぜ敷島は特攻隊の任務から逃げたのか?

なぜ危機的状況でも機銃を撃てなかったのか?

何か重要なトラウマがあるのだろうと思ってみていたが、

どれだけ話が進んでもその説明は一切ない。

なので戦後、典子(浜辺美波)と出逢って

いっしょに暮らし始めてからも

イマイチ彼に感情移入できず、ドラマに深みが出ないのだ。

 

典子は戦災のせいで

自分の子ではない子供を育てることになったという設定。

それ自体は戦後の混乱を表現する要素で良いと思うが、

それだけで深掘りしていないので、

イマイチ設定が生きていない。

現代の日本人への

大事なメッセージを含んでいる気もするだけに

非常にもったいないなと感じる。

 

映像技術だけでなく、人間ドラマの部分も

高く評価されていると聞いていたので

期待していただけに、

こうした人物造形の粗さ・ドラマ作りの甘さが

よけい気になってしまった。

もっと丁寧に描いていたら

すごくクオリティアップしたのになー

と思うと、残念でならない。

 

ただ、僕にとっては欠陥に思えるそうした部分が

この映画をシンプルでわかりやすいものにしているので

アメリカでも受けているのかな、とも思う。

確かにこの脚本は、主人公が

「自分にとっての戦争」を終わらせるという

ゴールに向かって

様々な困難を克服していくという、

ハリウッドの黄金律に忠実なヒーロー物語になっている。

 

それに水爆実験の影響でゴジラが強大化したとか、

放射能を武器とした怪獣である点も

申し訳程度に説明しているだけで、ひどく印象が薄い。

もしやこういうところもアメリカに贖罪意識を抱かせず、

売り込むための忖度?

 

熱線発射の際に背中のヒレが青光りして

順番に立っていくところは、

「シン・エヴァンゲリオン」の

エヴァ2号機ビーストモードだし、

ラストの海中の覚醒シーンは、

1990年の「ゴジラVSキングギドラ」のまんま焼き直し。

そうしたイメージが連なってきて、

どうも原点回帰とか昭和レトロ世界観が伝わってこない。

 

と、ずいぶん難癖をつけてしまったが、

新世代向け、世界向けにリセットしたと考えると、

そのへんのことも

みんな成功要因になっているようにも思える。

 

思えば東宝は10年おきくらいに

ゴジラ映画の製作を諦めたり、

再開させたりを繰り返しているが、

やっぱりやれば客が入り、

一定の興行収入が見込めることを考えると

ゴジラ様を完全に引退させるわけにはいかないらしい。

 

これまでも何度かゴジラ映画限界説がささやかれたが、

そのたびに復活し、

「もう限界だと感じた時点がスタートだ!」を

実践してきた。

次はどんな切り口でゴジラを再生させるのか、

楽しみではある。

 


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母校 池袋の舞台芸術学院を訪ねる

 

昨日ふたたび池袋へ行く。

10日あまり前とは別の仕事の取材だが、

たまたま同じ池袋。

先月は雨天であまり街の写真が撮れなかったので、

少し早めに行ってスマホでウロウロ撮影作業。

 

劇場の話に合わせる写真がいるので、

西口にあるわが母校 舞台芸術学院にも足を運んでみた。

卒業したのはもう43年も前のことだ。

 

当然、校舎は改築されているが、

場所も道路を通し、区画整理した関係で

僕たちの通っていた頃より20mほど移動している。

 

創立されたのは1948(昭和23)年。

終戦からまだ3年目のことで、

このあたり一帯は焼け野原だったらしい。

 

ホームページを見て見たら、

こんな創立の物語があった。

https://www.bugei.ac.jp/about/school/

 

演劇を志したひとりの青年、野尻徹。

彼は幸運にも復員し、池袋で演劇活動の拠点、

「スタジオ・デ・ザール」を開設しました。

しかしその志半ば、彼は27歳でこの世を去ります。

彼の演劇への「思い」はここで潰えたようにみえました。

しかし、彼のあまりにも早い死を悲しんだ父、

与顕は息子の遺志継承を願います。

 

「地に落ちた一粒の麦、徹死して幾百幾千の

舞台人となって実るであろう事を」

 

1948年9月13日、与顕は焼け跡の残る

東京・池袋に演劇を渇望した息子、

徹の遺志を継ぐべく、私財を投じ、

若者が演劇に打ち込むための場

「舞台芸術学院」を創立しました。

 

(※以上、ホームページより抜粋)

 

初代学長である秋田雨雀、副学長である土方与志は、

日本の近代演劇史・文化史に名を遺す人なので

いちおう知っていたのだが、

真の創設者である野尻さん親子のことは

恥ずかしながらまったく知らなかった。

 

これは75年前、西口公園に闇市が群れをなし、

池袋全体がダークでカオスな街だった時代の話である。

(池袋のヤバさ加減は、小説・ドラマになった

「池袋ウェストゲートパーク」あたりまで引き継がれてた)

 

75年の歴史のなかで有名・無名かかわらず、

多くの演劇人、そして、そこに連なるハンパ者たちを

輩出している舞台芸術学院。

 

60年代の舞芸の学生が、南池袋の仙行寺と関わったことから

小劇場「シアターグリーン」が生まれ、

その活動が波及し、西口公園の

「東京芸術劇場」につながり、

その他、東口の「サンシャイン劇場」「あうるすぽっと」、

野外劇場「グローバルリングシアター」、

最近ではシネマコンプレックス、商業施設と一体化した

文化施設「HAREZA(ハレザ)」の一角を占める

「東京建物ブリリアホール」という劇場もできた。

 

百貨店・家電量販店・アニメショップなどの

印象が強い池袋だが、

いまや新宿・渋谷をしのぐ劇場が花咲く街である。

その最初の一粒がわが母校だったことに

改めて驚きと感動を覚えた。

 

在籍時を含めて45年間、創立の話を知らなかったのは、

ハンパ者卒業生の一人として、ほんとに恥ずかしい限り。

長い時間を要しないと、僕のようなボンクラには

世界が見えない、意味が分からない。

 

しかし、とりあえずこの母校と池袋の劇場の件については

死ぬ前に気付いてよかった。

自分の新しい歴史がまた新しく始まった気がする。

 


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映画「ロスト・キング」ーーリチャードⅢ世遺骨発掘の物語

 

何かを達成するのはクレイジーなエネルギーである。

フリッパ(離婚したシングルマザーの中年女性)は、

たまたま子どもの付きそいで

シェイクスピア作の「リチャードⅢ世」の舞台を見る。

それが彼女の人生を変えた。

 

リチャードⅢ世の霊が彼女にとりついた。

あの世からやってきたリチャードとの対話から

彼の遺骨が墓にも納められず埋もれ、

名誉を棄損されていることを知る。

そして8割方インスピレーションによって、

その遺骨の眠る場所を探り当てる。

 

こう書くと、荒唐無稽なオカルト映画、

あるいはインディー・ジョーンズのような

考古学者の冒険譚なのかと思うかもしれないが、

これは事実をもとに作られた映画である。

 

英国レスターにおいて

リチャードⅢ世の遺骨発掘が行われたのは、

わずか5年前。2,018年のこと。

 

国営放送BBCは、そのドキュメンタリーを作ったが、

それを劇映画化したもの。

脚色・演出はされているが、

ストーリー自体は事実そのもである。

 

主人公のフリッパは、

もともと考古学に縁もゆかりもないもない。

「リチャードⅢ世」は、知る人ぞ知る、

シェイクスピア劇の中でも屈指の人気を誇る作品だ。

 

リチャードがこの世を去って1世紀後、

シェイクスピアがその伝説をもとに造形したのが

せむしで醜く、心も歪み荒んだ極悪の王。

その残虐非道さ故、

英国歴代の正当な王とは認められていなかった。

 

しかし、リチャードの人柄と行為は、

彼のあとに政権を握った王朝が、

自らの正義を民衆に示すために捏造したものだった。

ちょうど明治政府が徳川幕府の政治を貶めたように。

江戸幕府の開幕時、

徳川家が豊臣家の影を消し去ったように。

 

フリッパはリチャード(の幻影)との対話と、

あくなき調査によってそのことを確信し、

遺棄された彼の遺骨のありかも突き止め、

孝行学者と大学を動かして発掘調査を行う。

 

あくまでドキュメンタリー風の作品なので、

ドキドキハラハラみたいなエンタメ感は乏しいが、

面白く、妙に感動的な映画だ。

 

フリッパの行動の動機は、

世紀の発見をして歴史を覆してやろうといった

崇高な目的や野心のためでもなく、

もちろん一発当ててやろうという金儲けや

損得勘定のためでもない。

 

本当に霊に取りつかれてしまったか、

リチャードに恋をしてしまったか、

要ははた目から見たらめっちゃクレイジーな熱意なのだ。

それでも元夫や子供たちは彼女を応援し支える。

 

あくまでドキュメンタリー風の作品なので、

ドキドキハラハラみたいなエンタメ感は乏しいが、

そうした家族愛もあり、面白く、妙に感動的な映画だ。

 

そしてもう一つ。

彼女が自分の発想で、単独で始めたことを、

世紀の大発見という成果が得られると、

ちゃっかりその手柄を横取りし、

自分たちの栄誉にしてしまおうとする

大学や学者の在り方も、

リチャードを貶めた次期王朝権力と重なって面白い。

 

歴史は常にその時々の勝者・成功者・権力者が

つくってきたものである。

僕たちが英雄と信じている人が、

とんでもない悪人や詐欺師だったり、

悪漢や愚者だと思っていた人が、

実は英雄だったりすることもある。

インターネットが発達した世の中では

そうした驚くべきどんでん返しも起こり得る。

世界はまだまだ神秘にあふれ、

変化していく可能性を孕んでいる。

 

歴史が深く、多彩な物語が眠る英国だから作り得た

と思われるこの映画は、

そんなことまで考えさせてくれる。

 


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池袋のお寺と東京最古の小劇場

 

南池袋の仙行寺というお寺を取材する。

大樹を模したモダン建築の本堂ビル。

中には高さ6メートルの「池袋大仏」が鎮座。

 

隣は懐かしや、20代の頃、何度か通ったシアターグリーン。

渡辺えり子の劇団300、

三宅裕司のSET(スーパーエキセントリックシター)

などを輩出した小劇場だが、

ここは仙行寺が開設したもの。

お寺の劇場だったということを今回初めて知った。

 

先代住職がこの地に来たのは

終戦からまだ10年かそこらの時代。

池袋は闇市の街で、めっちゃ危険で汚く貧しく、

ヤクザ・愚連隊が夜な夜な跳梁跋扈する地域だった。

(僕が演劇学校に通っていた70年代末でも

その名残は色濃く感じられた)

 

当時、本堂もない貧乏寺だった仙行寺の先代住職は、

まず地域の環境をなんとかしないと

布教どころではないと考え、

隣の敷地に建てたアパートの集会室を

芝居の稽古場に、さらに設備を入れて

小劇場「池袋アートシアター」をオープン。

それがのちに「シアターグリーン」となり、

演劇をやる若者が集う場になった。

荒廃した池袋に文化のタネをまいたのである。

 

その後、池袋には西口の東京芸術劇場をはじめ、

様々な拠点ができ、

舞台芸術の花開く街に成長した。

 

20年近く前に改装して、複数の劇場を持つ

シアターコンプレックスになったシアターグリーンは、

日本で最も歴史ある小劇場として

リスペクトされている。

 

現・住職は改装後、支配人に就任。

演劇プロデューサーでもあり、

時代劇を描く脚本家でもある。

本人の話によれば、プロデューサーも脚本家も

お寺の活動の一環として自然にやっているという。

「じゃ、こんど若い坊さんだちを集めて、

ボーズ劇団をつくったらどうですか?」

と提案したら笑ってた。

 

仙行寺がやってきた地域活動・文化活動は

行政も高く評価しており、

仙行寺と劇場の並ぶ通りは

「シアターグリーン通り」と名付けられた。

 

僕が通っていた頃と比べても、

ごちゃごちゃしていたこのあたりの地域は

とてもきれいに整備され、

夜はエロくてヤバイ公園だった南池袋公園も

きれいな芝生の公園に生まれ変わっている。

 

 

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週末の懐メロ148:ウェルカム上海/吉田日出子

 

1979年、オンシアター自由劇場が上演した音楽劇

「上海バンスキング」のテーマ曲。

昭和10年代(1930年代後半から40年代前半)の

上海租界を舞台に、

享楽的に生きるジャズマンをめぐる物語で、

劇中演奏されるのはジャズのオールドナンバーだが、

オープニングとクロージングを飾るこの曲はオリジナル。

 

主人公のまどか役で歌手の吉田日出子は

小劇場界では名の知れた魅力的な女優だったが、

この芝居まで歌手としての経験はほとんどなかった。

 

また、ジャズマンたちも串田和美(シロー)や

笹野高史(バクマツ)をはじめ、楽器は素人同然。

 

にもかかわらず、演奏はノリにノってて素晴らしかった。

それはもちろん、この物語がとてつもなく面白く、

感動的だったからである。

 

僕は「上海バンスキング」の初演を見た。

当時、オンシアター自由劇場の拠点劇場は、

外苑東通りと六本木通り(首都高3号)とが交わる

六本木交差点からすぐ近くの雑居ビルの地下にあった。

 

キャパ100人の小さな劇場(というよりも芝居小屋)には

観客が溢れかえり、

広さ8畳程度の狭い舞台には、

主演級の他、楽器を携えた楽団員役を含め

20人を超えるキャストが出入りして熱演した。

あんな狭いところでいったいどうやっていたのか、

思い出すと不思議で仕方がない。

 

舞台となるのは、まどかとシロー夫妻の家の広間だが、

舞台セットなどは椅子とテーブルがあるだけ。

そこが突如ジャズクラブに変貌したりするシーン構成、

いろいろな登場人物が錯綜するストーリー展開、

そして時代が日中戦争、さらに太平洋戦争へ続いていく

ドラマの流れは、リアリズムをベースに、

時にファンタジーが入り混じり、

さらに歴史の残酷さを描き出す叙事詩にもなるという、

舞台劇の醍醐味に満ちていた。

 

ジャズと笑い・ユーモアに彩られながらも、

「上海バンスキング」はけっしてハッピーな物語ではない。

後半は戦争の暗雲が登場人物たちの人生を狂わせていき、

終盤、自由を、仲間を、そして音楽を失ったシローは、

アヘンに溺れ、やがて廃人になってしまう。

変わり果てた夫を抱きしめて、まどかは最後に

「この街には人を不幸にする夢が多過ぎた」と呟く。

 

ひどく苦い結末を迎える悲劇なのだが、

追憶の中、二人の心によみがえる「ウェルカム上海」は、

思わず踊りだしたくなるほど陽気で軽やか。

その楽しいスウィングは、

同時に哀しく美しい抒情に包まれる。

 

劇作家・斎藤憐はこの作品で

演劇界の芥川賞とされる岸田國士戯曲賞を受賞。

オンシアター自由劇場は

1979年の紀伊国屋演劇賞団体賞を受賞。

 

再演するごとに人気は高まり、

キャパ100人の劇場は連日満員で客が入りきらなくなり、

やがて大きな劇場で何度も再演されることになる。

 

それまで演劇など見たことのなかった人たちでさえも

虜にし、1984年には、深作欣二監督、

松坂慶子・風間杜夫の主演で映画化。

20世紀の終わりまで上演され続ける

日本の演劇史に残る名作になった。

 

オールドファンとしては、

吉田日出子をはじめとするオリジナルキャストの

歌・演奏・演技はあまりにも印象的で忘れ難いが、

新しい若いキャストで今の時代に再演しても

ヒットするだろうと思う。

 

不幸のリスクを背負っても夢を求めるのか、

夢など見ずに幸福(というより不幸ではない状態)を

求めるのか、

いつの時代も、いくつになっても、

人生の悩みと迷いは変わらないのだ。

もう一度、舞台で「ウェルカム上海」を聴いてみたい。

 

夏休み無料キャンペーン第5弾

「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力」

8月20日(日)16時59分まで

 ポップミュージックが世界を覆った時代、ホームビデオもインターネットもなくたって、僕らはひたすら妄想力を駆使して音楽と向き合っていた。

 心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する音楽エッセイ集。


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映画「ザリガニの鳴くところ」  陸と海との境界の物語

 

事件の真相は、初恋の中に沈んでいる――。

 

宣伝コピーがカッコいい「ザリガニの鳴くところ」は、

全世界で累計1500万部を売り上げた

ディーリア・オーエンズの同名小説の映画化。 

 

1969年、ノースカロライナ州の湿地帯で、

将来有望な金持ちの青年が変死体で見つかる。

殺人事件の容疑者として逮捕されたのは、

「湿地の少女」と呼ばれる孤児の女の子。

 

彼女を裁く陪審員裁判で事件の真相が明かされていく。

しかし、本当の真実が明かされるのは

それから半世紀のちの現代(映画のエピローグ)。

人生の結論はすぐには現れず、

目に見えないところに深く沈み、

思いがけない時に浮かび上がってくる。

 

原作小説は一昨年、読んでいた。

作者のオーエンズは動物学者で、

その知見をふんだんに活かし、

湿地の生態系について詳しく描写しており、

それと人間ドラマとがブレンドされて、

詩的でスケールの大きな物語になっている。

 

湿地という土地自体がミステリアスで、

様々な暗喩に満ちており、

人間の心のなかの世界を表現しているかのようだ。

 

ただ、ミステリー映画という頭で見ると、

正直、論理的に甘い部分が気になるかもしれない。

冒頭の宣伝コピーも

実際の内容とはちょっとズレてる感じが否めない。

 

映画化に際してストーリーは単純化され、

殺人事件の真相解明に焦点が絞られているが、

アメリカ社会に深く根を張った

児童虐待・家庭崩壊の問題も

もっと突っ込んで描いてよかった気がする。

 

アマプラで見た(今でも見られる)が、

陸と海との境界となっている雄大な湿地帯の風景と、

そこで暮らす人々のライフスタイルは、

映画館のスクリーンサイズで見たかった、という印象。

 

その映像をバックにしたプロローグとエピローグの

ナレーションもしびれるほど詩的でイマジネーティブ。

「ザリガニの鳴くところ」というタイトルの意味も分かる。

 

そして、ラブシーンがいい。

ドラマの文脈、映像の美しさ。

若い俳優さんがあまり美男美女過ぎないのもいい。

こんなきれいなラブシーンは久しぶりに見た気がして、

年甲斐もなく、ムズムズソワソワしてしまった。

 

夏休み無料キャンペーン 第4弾

ちち、ちぢむ 

8月18日(金)15時59分まで

 

 ろくでなしだけど大好きなお父さんが

「ちっちゃいおじさん」に!

 人新世(アンドロポセン)の時代を生きるアベコベ親子の奇々怪々でユーモラスな冒険と再起の物語


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週末の懐メロ147:愛のコリーダ/クインシー・ジョーンズ

 

今日もディスコ!ダンスダンスダンス!

マイケル・ジャクソンのプロデューサーとしても

おなじみのクインシー・ジョーンズ、

1981年リリースの大フィーバー曲。

 

ちなみに歌っているのはデューン(チャールズ・メイ)と

パティ・オースティンという人で、

クインシー・ジョーンズはドピンクのシャツを着て

ウロウロしている黒人のおっさんです。

 

この曲、つい昨日までジョーンズのオリジナルだと思っていたが、

実はチャズ・ジャンケルという歌手が

前年に出した曲のカバーだった。

しかも、もと歌もそんなに変わらないディスコビート。

 

それでもこの頃、すでに巨匠だった

クインシー・ジョーンズが取り上げ、

世界中のディスコで響きわたり、

若者たちが踊りまくったことで、

すっかりこのバージョンが定着してしまった。

 

戦前生まれ(1933)のクインシー・ジョーンズは、

ジャズミュージシャン、アレンジャーとして、

60年代前半から音楽業界で大活躍。

マイルス・デイヴィスやフランク・シナトラらの

プロデュースを手がけたり、

映画やテレビドラマのサントラも多数つくっている。

 

そして80年代以降はソウル系ポップ・ロックの

大ボスとしてマイケル・ジャクソンはじめ、

世界のスターミュージシャンらに多大な影響を及ぼした。

 

「愛のコリーダ」というタイトルは、

邦題ではなく、オリジナルのまんま。

1976年に大島渚監督が発表した映画から

いただいたものだ。

 

大島渚の最も有名な代表作は

1983年の「戦場のメリークリスマス」だが、

戦メリ以前の大島監督の代名詞と言えば、

初の海外進出作で、カンヌ国際映画祭で賞を取った

「愛のコリーダ」だった。

 

同作は戦前の日本社会を騒然とさせたエロ猟奇殺人事件

「阿部定」を題材とした問題作だが、

歌の方はべつに映画の内容とは関係ない。

(猟奇殺人の歌で踊ってたら、やっぱヤバい)

 

強いて言えば「究極の愛」について歌っているから

同じ題名にしたのか。

「愛」は日本語、

「コリーダ」はスペイン語で「闘牛」の意味だから、

アメリカ人にとってはエキゾチックなムードが

出せるのだろう。

愛し合い、いっしょに踊る男女を

闘牛と闘牛士に見立てたのかもしれない。

 

かつてのディスコミュージックの帝王は、

90歳になる今も健在で、

元気に音楽活動を続けているようだ。

グレート。

 

 

親子で読もう!夏休み無料キャンペーン

オナラよ永遠に

8月12日(土)15時59分まで

 

 

一発の小さなオナラから巻き起こる

愛と笑いと冒険のSFファンタジー。


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幸福を追求して人間を改造する「シン・仮面ライダー」

 

アマプラで「シン・仮面ライダー」を見た。

すごいなと思ったのは、敵であるショッカーの設定。

悪の組織であるはずのショッカーは、

なんとこの作品では「人間の幸福を追求する組織」である。

 

フルネームだと「Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling」。

「計画的知識を埋め込んで改造した持続可能な幸福の組織」

とでも訳せばいいのか。

 

それぞれの頭文字をつなげて「SHOCKER」。

もちろん、これは庵野監督の創作である。

怪人(改造人間)のモチーフが昆虫であるところを

考え合わせると、地球環境との調和も追求しているようだ。

 

当然、この幸福の追求は、

一般社会で生活する人間にとっては

歪んだおぞましいものだが、

主人公の仮面ライダー・本郷猛も、

ラスボスであるショッカーの首領も、

不条理な無差別殺人事件によって父や母を奪われた遺族である。

 

彼らの立場になって考えていくと、

つまり見方を変えると、ショッカーが目指すものこそ

正義と捉えてみてもおかしくない。

 

もちろん、本当のご遺族の方が

こうした考えを持つようになるということではないが、

原典の「仮面ライダー」が持つテーマ性を深堀りして、

現代に新たな世界観を築き上げた

庵野秀明監督の想像力・創造力はやはり尊敬に値する。

 

ゴジラやウルトラマンと違って、

仮面ライダーは等身大のヒーローであり、

この話は、僕たちの人生とごく身近な、

家族・友人・その周りの社会をめぐる物語とも言える。

1号・本郷猛と2号・一文字隼人との

人間関係・信頼関係の成り立ちも良い。

 

登場人物の中ではヒロインのルリ子がとてもよかった。

演じているのは、今やっている朝ドラのヒロイン役

(牧野博士の妻)の浜辺美波。

狂言回しのような役柄で、

彼女のセリフと行動によって

この話の世界観・構造が語られていくのだが、

彼女と彼女に対する本郷の愛あっての

「シン・仮面ライダー」という感じがする。

 

僕はテレビの「仮面ライダー」が始まった頃、

すでに小学校の高学年だったので、

やや冷めた目で見ていて、

初期シリーズ(1号・本郷猛のシリーズ)を

半分ほど見ただけだ。

ウルトラシリーズと違ってほとんど思い入れがないので、

今回も期待せず、事前情報もほとんど仕入れていなかった。

結局、劇場に行かず、アマプラで見てしまったのだが、

すばらしかった。

「幸福のために人間を改造する」というテーマのもとで

これだけの物語を作り得るのはすごいことだ。

 

「仮面ライダー」なんて知らない・興味ないという人も

ぜひ観て見るといいのでは、と思う。

 


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過去と未来のマンガ文法・映画文法

 

子どもの頃、マンガが好きで、

小学生まで暇があればマンガを描いていた。

しかしどうしてだか、

登場人物の顔がことごとく左向きになってしまっていた。

左向きの顔はすらすら描けるのだが、

右向きの顔がうまく描けないのである。

 

あとから知ったことだが、マンガにおいて

左向きは未来を見る顔、

先に進もうとする気持ちが現れた顔。

 

右向きは過去に向かう顔、

止まったり振り返ったりするサインだという。

 

「さあ行こうぜ」と言う時は左向き。

「ちょっと待てよ」と言う時は右向きというわけ。

 

これは日本のマンガが右から左へとページを

めくっていくことと関連している。

マンガ家自身にそういう生理感が身についており、

この右向き・左向きの心のベクトルが

一種の「マンガ文法」になっている。

 

これは映画も同じで、画面で左を向いたら未来を見ている、

右を向いたら過去を見ている表現だという。

 

欧米には日本のようなマンガ文化はないが、

映画の場合は、演劇の生理に基づいていると思われる。

登場人物が上手(観客から向かって右)から

下手(同・左)へ動く時は未来へ向かう、

逆の場合は過去に向かうというのが基本形。

これは人間の脳のメカニズムと関連しているのだと思う。

 

自分の話に戻すと、

子どもの頃は過去時間の分量が少なかったから

右向きの顔が描けなかったのだろうか?

 

けれども今でもちょっと落書きで人間を書くと、

手が覚えているのか、正面でないときは、

無意識に左向きの顔を描いている。

いずれにしてもこのマンガ文法・映画文法を意識して

マンガや映画を観ると面白い。

 


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サスペンスフルな認知症映画「ファーザー」

 

一昨年公開されたアンソニー・ホプキンス主演の

映画「ファーザー」は、認知症患者の視点で描かれている。

観客を混乱に陥れるような

ミステリアスでサスペンスフルな展開。

しかしその実、認知症患者と介護の現実を突きつける

ドキュメンタリータッチの映画でもある。

 

もともとは舞台劇で、舞台はロンドン。

派手なシーン展開は一切なく、

ドラマはほとんど家の中で進む。

それでも1時間半、画面から目が離せない。

目の前で何が起っていくのか、

ひとつひとつを固唾を飲んで見守らざるを得なくなる。

 

無駄なものを一切そぎ落としたシャープな演出と構成。

そして何よりもアンソニー・ホプキンスの圧倒的な演技力。

嘘っぽさがみじんもないリアルの極致。

こんなふうに認知症患者を演じられる役者が他にいるのか。

 

そして、その行く先は、やはり辛くて悲しい。

広告では「感動」と謳っているが、

いや、多くの人はそれよりも

言いようのない不安と怖さに晒されるのではないか。

そういう映画だと思う。

 

けれども認知症が蔓延していくこれからの社会、

現実と向き合いたくない人、逃げ出したい人も、

せめてこの映画で認知症のことを知ってほしい。

 

2021年アカデミー賞・主演男優賞と脚本賞。

現在、アマゾンプライム見放題で視聴可能。

 

 

認知症について学ぶ。

認知症から学ぶ。

認知症介護の日々を綴った

おりべまことの面白エッセイ集。

専門医の解説も併載。

「認知症のおかあさんといっしょ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF ¥500

 


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週末の懐メロ111:レット・イット・ゴー/ピアノ・ガイズ

 

言わずと知れたディズニーのアニメ映画

「アナと雪の女王」の主題歌。

 

「レリゴー」が

懐メロと言えるかどうかは微妙なところだが、

2013年のリリースから早や10年近く。

その人気度・浸透度、そして50年後も聴き継がれ、

歌い継がれるであろう、楽曲のクオリティの高さは、

もはや立派に名曲として殿堂入りしていると思う。

映画のサントラとしても最高峰の一曲ではないか。

 

美しさと疾走感を併せ持つメロディラインは、

吹雪の中で覚醒したエルサが雪の女王に変貌し、

瞬く間に氷の宮殿を築き上げるシーンと相まって

何度聴いても胸が熱くなる。

 

作詞・作曲は、ブロードウェイの舞台や、

映画・テレビの音楽を数多く手がけている

クリスティン・アンダーソン=ロペスと

ロバート・ロペスの夫妻。

 

制作の裏話では、出来上がってきたこの曲を聴いて

衝撃を受けたスタッフが、

ストーリーも、エルサとアナのキャラクターも

それまで作ってきたものを一掃して書き替えたという。

(エルサは当初、芯から冷酷で戦闘的な

氷の女王という悪役だったらしい)

まさに新たな作品世界の礎となるだけの

エネルギーを持った楽曲だ。

 

オリジナルの歌唱は、声優としてエルサを演じた

アメリカ人女優で歌手のイディナ・メンゼルだが、

公開されるやいなや、

世界中で数えきれないほどのアーティストが魅了され、

この名曲をカバーしている。

 

なかでも僕が好きで、冬になるといつも聴いているのが、

何もない雪原で、エルサとアナとは似ても似つかぬ

二人のおっさんが、真っ白なピアノとチェロで奏でる

インストゥルメンタル。

 

間奏とエンディングにビバルディの「四季・冬」を

絡めた超絶パフォーマンスは驚愕に値し、

テンションが上がりまくる。

 

「ピアノ・ガイズ」は、出演のピアニスト、チェリスト、

映像クリエイター、音楽プロデューサーからなるチームで、

映画音楽、クラシックを融合リアレンジし、

映像をネット上に公開。

美しい大自然の中でユーモアを交えて繰り広げられる

演奏・映像が話題を呼んでいる。

 

冷たい風が吹きすさぶ中、情熱をこめて、

この上なく楽しそうに演奏する姿は、

映画の世界をそのまま拡張したかのような

「レット・イット・ゴー」のアナザーワールドを

見事に表現している。

 

そして、凍えるような季節がやってきても、
僕たちも熱く楽しく、愛を持って
毎日を生きたいと思わせてくれる。

 

 


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シン・ウルトラマンとイデ隊員とウルトラマンの本質

 

「僕が作った武器なんて何の役にも立たないんだ。

怪獣はみんなウルトラマンが倒してくれるんだから」

 

無力感に苛まれたイデ隊員は、戦うことを放棄して

空に向かって声を振り絞ってウルトラマンを呼んだ。

 

「ウルトラマーン、早く来てくれ。

ウルトラマーン!」

 

ウルトラマンであるハヤタ隊員はその姿を見て、

変身するのを躊躇ってしまう。

 

初代ウルトラマンの第37話「小さな英雄」は、

子ども心に全エピソード中、最も感動的な話だった。

じつはこの回の主役は怪獣ピグモンなのだが、

僕の中では完全にイデ隊員が主役だった。

 

イデ隊員は第23話「故郷は地球」でも主役だった。

辺境の惑星で怪獣になってしまった宇宙飛行士ジャミラは

人間に復讐するために地球に帰って来た。

科学特捜隊は、彼の正体を隠したまま、

抹殺しろと命令を受ける。

破壊を繰り返すジャミラにイデ隊員は悲痛な叫びをあげる。

「ジャミラ、おまえは人間の心さえ失くしてしまったのか!」

 

昨年亡くなった二瓶正也さん演じるイデ隊員は、

科学特捜隊の兵器やマシンを開発する天才科学者でもある。

しかし、○○博士といった威厳ある趣はみじんもなく、

ヒラ隊員に甘んじており、

普段はひょうひょうとした3枚目キャラだ。

 

けれども彼のシリアスでヒューマンな面を印象づけた

この2つのエピソードが

「ウルトラマン」のトーンを決めた。

イデ隊員が表現する人間性こそが

「ウルトラマン」の本質なのである。

当時、僕は6歳だったが、

子どもの胸に入り込んだものは、

とてもとても信じるに値する。

 

「シン・ウルトラマン」は劇場で一度見たが、

配信が始まったので昨日、家でもう一度見た。

ここには、かつてのウルトラマンという物語の

エッセンスが凝縮されている。

 

細部にわたる庵野監督の仕掛けはさすがだと思う。

旧作へのオマージュもふんだんに盛り込まれている。

さらに現代社会への風刺も。

 

世界は核兵器による脅し合いで成立している。

核に代わるパワー、核を凌駕するパワーを

どの国も求めていることが、

登場人物のセリフから伝わってくる。

 

ウルトラマンの軍事利用。

ベータシステムの政治利用。

メフィラスとの交渉シーンでは、

そのあたりが実にうまく表現されている。

メフィラスを演じる山本耕史は最高だ。

 

そうした現代ならではの要素

(実は55年前と大して変わっていないけど)を

盛り込みつつ、ちゃんと本質を抑えている。

 

「シン・ウルトラマン」を観ていて

僕にイデ隊員を想起させたのは、

有岡大貴が演じる禍特対(禍威獣特設対策室専従班)の

滝明久である。

滝は粒子物理学者で、かなりの天才らしいが、

メンバー中最年少の若僧。

 

劇中、けっこう生意気な口を叩くが、

最後のゼットン登場によって、

「小さな英雄」のイデと同じく、

深い無力感と絶望感に苛まれる。

 

「ウルトラマンも勝てない相手だ。

もう人間はおしまいなんだ」

彼には少しエヴァのシンジくんも入っているようだ。

 

けれども滝もまた、あの時のイデ隊員と同じく、

奮起し、自分のできることをする

(それがすごいんだけど)。

 

人間がアホで能なしで臆病で、

しょーもないゼツボー的生き物であることは

わかっているけど、そんな現実に

めげてないで一生懸命やるしかないのである。

一生懸命やってれば、いつかどこかで

ウルトラマンも助けてくれるかもしれない。

一口で言えば、

それがウルトラマンという物語のメッセージだ。

 

ウルトラシリーズで最も評価されているのは

「ウルトラセブン」だと思う。

確かにセブンは引き締まったシリアスな展開で、

おとなっぽくてドラマとしての質も高い。

 

それに対して「ウルトラマン」は

メルヘンあり、コメディあり、ホラーあり、

ファンタジーありの子どもっぽいバラエティだ。

(前作の「ウルトラQ」の世界を引き継いでいる)

 

おそらく初めて観た時の年齢が関係していると思うが、

僕は子どもこ心に訴える、

柔らかで広がりのあるコンテンツとして、

戦闘的なウルトラセブン

(およびその後のシリーズの各作)よりも

ウルトラマンのやさしいヒューマンな物語が

好きなのである。

 

ただ、おとなになった今、原本のウルトラマンは、

さすがに稚拙さ・子どもっぽさが目立って

まともには見られない。

 

今回の「シン・ウルトラマン」は、

2時間の重厚でリズム感あふれるドラマに仕立て上げて

その真髄を見せてくれた。

ラストもキレがあり、シャレが効いている。

 

願わくば「故郷は地球」のエピソードを活かしてもう1作。

最終兵器のゼットンを出しちゃったから無理かと思うけど。

 


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小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」

 

脚本もセリフも素晴らしい。

それを3日かけて観た。

1日1幕ずつの3幕劇。

村上春樹の小説を濱口竜介監督が映画化した。

昨年のカンヌ国際映画祭脚本賞、

今年のアカデミー賞国際長編映画賞など、

世界的に評価された作品。

 

第1幕、序盤のハイライトは濡れ場。

こちらの世界とあちらの世界へ、

ファンタジー要素のない、リアルベースの物語なら、

日常のマテリアルな世界から、

内面のマインドな世界へぬけるために、

セックスをトンネルとかブリッジに使うのは、

村上春樹の常套手段だが、

それを映像化すると、こんなにエロくなるのかと

ちょっと驚いた。女優さんが上手だ。

 

第2幕は演劇の世界。

主人公が演出家なので、演劇のシーンが多いのだが、

その空気感もビンビン伝わって来た。

すごく久しぶりにチェーホフの戯曲に触れた。

若い頃はチェーホフなんて退屈で嫌いだったのだが、

いま観ると面白そうだ。

 

韓国の俳優さんたちがいい味を出している。

舞台が広島というのもいい。

そういえば、瀬戸内にはもう何十年も行ってない。

 

第3幕はロードムービー。

広島から北海道へ、タイトル通りドライブ・マイ・カー。

クライマックス。

主人公とドライバーの女の子のセリフが胸を打つ。

 

でも、すごく感動!という映画ではない。

てか、やたら淡々とした地味な映画だ。

しかもその割に長い。

なんと3時間近くもある。

それもあって1日では見られず、3日かけて観たのだ。

でも、そのおかげですごく心に染みる映画として見られた。

 

べつにこれは皮肉ではない。

本を読むように、ページを見返しながら、

ちょっと戻し戻し見ながら、

1シーン、1シーンを噛み締めながら楽しむ。

 

正直、映画館で見たら途中で寝てしまって、

「なんだか地味で、よくわからなくて退屈だった」

あるいは

「序盤の濡れ場だけがやたら印象に残った」

という感想しか抱かなかっただろう。

 

今はネット配信で、何日でもかけて、

いくらでも止めながら観られる。

今までの映画の見方からすれば、

そんなの邪道なのかもしれないけど、

そのほうがいい作品もあると思う。

 

今だとAmazonPrimeの見放題で見られます。

良い映画なんでおすすめです。

もちろんイッキに見てもいいし、

1週間かけてちびちび見るのも良し。

 


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「あとしまつ」の時代を生きる

 

「大怪獣のあとしまつ」という映画が先週から公開されている。

最初に概要を見たとき、

すげえ題材に目を付けたな、と思った。

 

ヒーローが大怪獣を倒すが、

死体は消えてなくなるわけではない。

人間があとしまつをつけなくてはならない。

その顛末・奮闘劇を面白おかしく描く。

 

これはおいしい。

今まで誰もこんな話は作っていない。

それをこの令和4年にやる、というところにビビッときた。

 

「大怪獣」とは一種のメタファー(暗喩)である。

自分でもいろいろ書いているが、今やネット上には

昭和の振り返り情報――

政治や企業の栄枯盛衰から怪事件、怪人物、怪商品、

映画、音楽、マンガ、テレビ、アニメ、特撮、

芸能人あyスポーツ選手のスキャンダルなど

ーーがあふれかえっている。

 

大怪獣とは、後世に様々な影響を残した

戦後昭和という強烈な変動期のことであり、

終わって30年以上たった今、

僕たちは懐かしい、あの頃に帰りたいと

ブツブツつぶやきながら、

そのあとしまつに勤しんでいる、というわけだ。

なんだか残された家族が遺品整理をしているようである。

 

また、大怪獣とは災厄・災禍のメタファーでもある。

初代ゴジラが核兵器の化身だったように、

庵野監督のシン・ゴジラが東日本大震災の

イメージをまっとていたように、

人間が太刀打ちできない圧倒的なパワーの象徴として現れる。

 

なんとかそれを乗り切って生き延びても

そのあとしまつがまた大変だ。

東日本大震災ももう11年が経とうとしているのに、

原発の問題を始め、多くの傷跡が治療もされずに

置きざりにされたままだ。

 

そして今ならコロナ禍である。

オミクロンがピークアウトすれば、

コロナ禍は終わるかもしれないが、

喜んでばかりはいられない。

 

今度はコロナ禍で混乱し、取っ散らかってしまった社会の

後始末をどうつけるか、が大問題になるだろう。

これがけっこう心配だ。

いろんなところに想像もできないような歪が起き、

物理的な面・精神的な面、双方で

僕たちは何年も後始末に明け暮れるのではないか、

という気がする。

 

てなことをいろいろ考えて、「大怪獣のあとしまつ」、

そんなメタファーがふんだんに盛り込まれた、

それでいながら笑えるという、

すごい映画なのではないかと期待していたが、

ネットでチラ見してしまった評判は、あまり芳しくない。

 

あれこれ妄想を膨らませて夢を描いているだけのほうが

いい気がしてきた。

 


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こぐま座 再生目指してトラックコンサート

 

先日トラックが盗難事故に遭った

こぐま座のコンサートがYouTubeにUPされている。

 

彼らのレパートリー

「三匹のこぶた」「ももたろう」「ピノッキオ」などの

主題歌メドレー、

および、この劇団のスーパーアイドル、

ファンキーなラッパーゴリラ・ゴンタの

パフォーマンスが見られる。

 

 1月18日、盗難されたトラックが帰ってきたけど、

自走が困難になってしまったため、

廃車することになったそうだ。

それで、日本全国を幾度となく旅して回った

トラックの最後の思い出として

荷台ステージでのコンサートとなったようだ。

 

皆さん、新しいトラックで活動再開したら、

子どもや孫を連れて観に行ってみてください。

こぐま座の人形劇は、日本の偉大な文化の一つです。

もちろん、おとながひとりでブラっと行って

童心を取り戻してもええんでないかい?

 


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フランケンシュタインの母

 

メアリー・シェリーは「フランケンシュタイン」の

作者である。

そのメアリー・シェリーを描いた映画が

2017年に公開されていたのを知って、

例によってAmazonPrimeで観た。

 

「メアリーの総て」という邦題は

わかりやすいけど、イケてない。

もうちょっと気の利いたタイトルは

付けられなかったのかと思う。

 

今や知らない人はいない人造人間フランケンシュタイン。

正確にはフランケンシュタイン博士が

死体をつなぎ合わせて作った怪物。

 

その原作小説を書いたのは女性で、

「シェリー夫人」という人だーーということは

子どもの頃、読んだ雑誌で知っていた。

 

そのシェリー夫人という名前から、

僕は長年、妙齢の有閑マダムだと思っていた。

 

その雑誌にもイラストで40歳か50歳くらいの

金持ちそうなおばさんが描かれており、

「すごく怖い夢を見たの。この夢をもとに小説を書くわ」

といったセリフが付いていた。

 

さらに

「こうしてフランケンシュタインは誕生したのですーー」

といった解説がついていた。

おそらくその雑誌のライターも

シェリー夫人については何も知らなかったのだろう。

 

実際のシェリー夫人=メアリー・シェリーは、

もとは19世紀ロンドンの本屋の娘で、

両親がちょっと名を知られた思想家だったようだ。

そのためか、彼女にも文学的才能があり、

若い頃から怪奇小説を書きたがっていた

というベースがある。

 

そして彼女はフランケンシュタインの物語を書いたのは、

まだ18歳の時。

出産も経験していたものの、まだ少女と言っても

おかしくない齢だった。

執筆時、のちに夫となる詩人パーシー・シェリーとは

まだ正式に婚姻関係を結んでいなかった。

 

「フランケンシュタイン」をSFの元祖、

ロボット小説の元祖と見る向きもあるが、

メアリー・シェリーは科学に興味を持っていたものの、

科学的知識、理系のセンスはほとんどない。

 

フランケンシュタインの物語は、

あくまで当時、19世紀・大英帝国時代の

イギリス・ヨーロッパにおける思想・哲学・文学の

水脈から生まれてきたものだ。

 

そこには現代よりもずっと厳しい道徳性や保守思想、

それに反発する自由への希求、美への憧れ、

理想主義などが渦巻いている。

 

映画ではなぜ若い彼女があの物語を生んだのか、

ただのひらめきだけでなく、その背景にどんな事実があり、

どんな心の動きがあったのかを丁寧に描いていて、

僕にはとても興味深かった。

 

ただし、「フランケンシュタイン」からイメージする

ホラー要素を期待して観るととがっかりする。

画面に怪物は一切出てこない。

 

しかし、怪物なるものの正体は、

ストーリーの中でとても分かりやすく描かれている。

ジャンル分けをするなら、

ヒューマンとか恋愛映画に入るのかな?

 

フランケンシュタインの物語は、

おそらくこの先も半永久的な生命力を保つと思うが、

実は僕も原作は読んだことがないので、

こんどしっかり読んでみようと思う。

 


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週末の懐メロ56:ホワット・ア・フィーリン/アイリーン・キャラ

 

1983年。

アイリーン・キャラは、自分も出演してしていた

映画「フェーム」(1980年)と

この「フラッシュダンス」で。

続けざまに主題歌をヒットさせ、大スターになった。

 

この曲が流れてくるとともに、自転車に乗った主人公が

朝焼けの街を疾駆する「フラッシュダンス」の冒頭3分は、

これまでに観た映画の中で、最も希望に溢れた

オープニングシーンだ。

 

みどころは、もちろんダンスシーンなのだが、

僕はそれ以上に、ジェニファー・ビールス演じる

主人公アレックスの、昼間はガテンな溶接工、

夜はセクシーバーで金を稼ぐ、という

大都会で夢を追いながら生きる

タフなサバイバーぶりが好きだった。

 

夢見る少女ダンサーの物語に

こんな設定を加えて映画にすることができたのは、

やはり女性が自由にふるまえるようになり、

ライフスタイルが変わった80年代だったからではないかと思う。

 

今では女性も当たり前にガテンな仕事をするようになったが、

この頃の日本じゃ工場や倉庫や建築現場で

若い女の子が働くなんて、とても考えられなかった。

アメリカだって女性溶接工なんて、

まだそんなにいなかったと思う。

 

それでいてアレックスは可愛い女の子で、

自分の夢にまっすぐで、

ちょっとエッチなところもあって、

成功に向かってがんばって、

予定調和的なシンデレラストーリーを

実現させちゃう。

 

なんだかおいしところてんこ盛りで、

斬新でありながら、意外と古典的なヒロインの、

今考えるとよくできた話だった。

 

時代は変わっても、齢を取っても

やっぱり自然と希望が胸に溢れ出してくるような

音楽と映画に親しんでいたい。

 


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凶悪・孤狼・凪待ち:白石和彌監督の映画が面白い

 

白石和彌監督の映画を立て続けに3本観た。

「凶悪」「孤狼の血」「凪待ち」

どれもめちゃ面白い。

面白いが、人間やってるのが怖くなるような映画だ。

 

いちばん凄いのは「凶悪」で、

実際にあった連続殺人事件を題材に作られた。

本当にこんなひどい奴らがいたのかと思わせる、

本当にひどい内容・ひどい事件である。

 

「孤狼の血」も凄まじい暴力描写があるヤクザ映画だが、

役所広司・松坂桃季といったスターが主演しているのと、

昭和ヤクザの世界を舞台にしている分、

現代の日常からやや離れたものとして見えるので、

少し安心して観ていられる。

 

「凶悪」の怖さはやっぱりリアルなドキュメンタリーっぽいところか。

狂気のような人殺しをした連中が

時間と場所によって、ごく自然にスイッチを切り替えて

普通の人間に戻ってしまう。

 

まったく平和な日常生活そのままに

飯を食ったり、子どもに対しては

やさしい父親になってしまう。

 

頭からケツまで冷血非道な人間かと思いきや、

妙にあったかかったり、

可愛いところ・愛すべきところがあったりもする。

 

仕事術や勉強術を伝授するような本の中で

よく「なんでも習慣化すれば身に着く」

といったことを説いているが、

あれとまったく同じで、

人間、慣れれば人殺しも死体遺棄も普通に出来てしまう。

それで心が揺らぐこともない。

 

そんなのは特殊な人間だろ、と思うかもしれないが、

僕らだってきっとそうなれる。

それもわりと簡単に。

 

人殺しとかするやつは、

頭からケツまで冷血非道な人間かと思いきや、

妙にあったかかったり、

可愛いところ・愛すべきところがあったりもするのだ。

 

だから誰の心の中にも、こいつらと同じ「凶悪」がある、

じつはいい人も悪い人も、ほとんど違いなどなくて、

光の部分と闇の部分が交互に現れるだけ。

 

たまたま人生のどこかのタイミングで、

闇の部分がぱーっと広がると、

アッと言う間に人間丸ごとそれに支配されてしまう。

 

「凶悪」でおそるべき殺人首謀者だった

リリー・フランキーが、

「凪待ち」では、おそるべき“いい人”になるが、

彼がそれを証明しているかのようだ。

 

しかし、リリー・フランキー、

改めてすごい俳優だなと思う。

見た目軽くて、全然すごそうでないところがすごい。

 

さらに言うと、これらの作品の登場人物の特徴は、

およそ論理とはかけ離れた、不可解な行動をとる。

 

不条理とかシュールといった文学的な表現も

なんだか似合わない、もっと地を這うような感覚のもの。

ひどく奇妙でありながら、やたらとリアリティがあるのだ。

「人間はどうしてこういう行動を取るのか」

も白石映画の面白さの一つになっている。

 

撮影現場でのひらめきや俳優のアドリブなどが

たくさん含まれていると思うが、

それ以前の脚本の段階で、

こうした人物造型とストーリーを構築できるのが

素晴らしいと思う。

 

それにしても、映画の中でのたうち回る

犯罪者・ヤクザ・労働者・ギャンブル中毒者・

カネの亡者・借金地獄の人たちを見ていると、

明日、自分もこういう世界に

巻き込まれているんじゃないかと感じて

心底身震いがしてくる。

 


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どうして人は地球滅亡・人類滅亡の物語を創り続けるのか?

 

コロナで人類が滅亡すると思っている人は

ほとんどいないが、この先のことはわからない。

変異を繰り返して、

おそるべき大量殺戮ウイルスにならないとも限らない。

 

でも、そうしたら世界中の人々は

現在のように分断された状況ではなく、

心を一つにして「人類の敵」に立ち向かっていくだろう。

 

そんなことを考え出したのは、

そう言えばここ最近、

地球滅亡・人類滅亡系の映画を観ていないなぁと

ふと思ったからである。

 

最後に観たのは「アルマゲドン」だったか。

ということは、

21世紀になってからほとんど観ていないのか?

 

小説やマンガはどうか?

「寄生獣」などは人類滅亡系のカテゴリーに

 入らなくはない。

 

「エヴァンゲリオン」は?

20世紀の旧作(旧劇場版)はそのニュアンスが強かった。

しかし、新劇場版になると、心の問題にすり替わった。

 

「地球滅亡・人類滅亡は、あなた自身の心の問題です」

というわけだ。

 

キリスト教瀬世界では「ノアの箱舟」など、

地球滅亡・人類滅亡は

大昔から語り継がれてきた一大テーマである。

そこから救世主・英雄の物語が展開した。

 

20世紀後半以降、それが現代科学の発展、

核兵器の開発などと結びついて、

SF分野で地球滅亡・人類滅亡の物語が

量産されるようになった。

 

また、僕らの世代の日本人は

「ノストラダムスの大予言」に当たってしまったので、

「地球滅亡・人類滅亡」に脳のコア部分が侵食されている。

 

僕はこの20年余り、さすがに食傷して、

あんまりその手の物語を楽しめなくなっていたが、

相変わらず滅亡映画は創られ続け、

どれもそこそこヒットしているようである。

 

観客がいなければ映画なんて作らないので、

やはり安定した需要があると考えられる。

 

そして、なんでそんなに需要があるのか?と考えると、

答は割と簡単で、先進国社会はおしなべて、

この先、人口が減っていくからである。

 

先進諸国の人口はピークアウトしている。

ピークアウトしているからこそ先進国であり、

豊かな経済・豊かな生活を実現していると言ってもいい。

 

ということは極論すると、

いずれは日本なら日本人がいなくなり、

人類が地球からいなくなるということだ。

 

もちろんそれは遠い遠い未来の話で、

僕たちや、僕たちの子どもや孫の時代に

起こることではない。

けれどもどれほど先かはわからないけど、

確実にそれはやってくる。

 

現代の人間と同じ新人類が地球に出てきたのが、

およそ20万年前だというから、

それくらいのスパンで人類は消滅するとも考えられる。

あるいは、もう人類とは呼べない、

ちがう生き物になっているのかもしれない。

 

ぼくたちの脳はもうそのことをどこかで感知している。

じつは得体の知れない不安のもとはそれである。

 

僕も含めてみんな、漠然とした将来への不安を抱え、

なんとか拭い去ろうと躍起になっているが、

はっきりいって無理である。

 

いずれ人類は滅亡する。

ぼくたちはその途上にいる。

 

人が地球滅亡・人類滅亡の物語を創り続けるのは、

一時的にでもその不安を払しょくし、

心の安定を取り戻すため。

いわば、一種の宗教的行為なのである。

 

そこには女神が、英雄が、救世主がいる。

そしてあなたの隣に愛する人が、大切な人がいる。

地球滅亡・人類滅亡の物語はそう教え、人々を導く。

安心できるためには、

やっぱり「愛」と「信じること」が必要なのだ。

 

と、ここでアルマゲドン愛のテーマ、

エアロスミスの「I Don't Want To Miss A Thing」が

ドラマチックに流れる。

ああ、また映画が観たくなった。

 

というわけで、もしコロナがおそるべき変異を遂げたら、

マスクしろ・しなくていい、

ワクチン打つべし・いや、あれは毒だ、支配層の陰謀だと

しょーもない喧嘩をすることなく、

人類は愛の心で一丸となてるのではないか?

 

もちろん、そんなことは望んでないけど、

たとえコロナが今のレベルでも、

かかったら重症化して死んでしまう可能性は誰にでもある。

 

べつに地球が滅亡しなくても、人類が滅亡しなくても、

あなたが死んだら、

あなたの地球も世界もそれで終わってしまう。

だから気を付けてね。

そして、死なないでね。

あなたの地球、あなたの世界を守るために。

 

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週末の懐メロ45:Summer/久石 譲

 

テレビのコマーシャルやBGMでよく耳にするこの曲は、

1999年に公開された北野武監督の映画「菊次郎の夏」のテーマ曲。

 

「遠く離れて暮らすお母さんに会いに行きたい」

「よし、おじさんが連れてってやる」

 

ちょっとどんくさい感じの少年マサオを、

たけし演じる寅さんみたいなヤクザ男・菊次郎が

小さな旅に連れ出す。

 

ただそれだけの話なのだが、

ふさけてて笑えて、

かわいくて切なくて、

少年の心と中年男の心が重なり合う。

僕の心の地図の中で最高峰に位置する映画である。

 

歌詞のないインストゥルメンタル曲だが、

メロディラインの中に映画で描かれる

夏、旅、海、花火、お祭り、無垢で不器用な少年、

アホでこころやさしい大人、笑い、涙。

そして昭和から平成初期にかけての近過去の日本。

そのすべてのエッセンスが盛り込まれている。

まさしく懐メロの中の懐メロだ。

 

YouTubeにはこの映画と音楽に関する

北野監督のインタビューが投稿されている。

 

Q「『菊次郎の夏』では、作曲家の久石譲との協力が

いつにもなく強調されており、

そこから尊敬と称賛の意を受け取ることができます。

あなたがた二人がどのように作品を作っていくのか、

より詳しく教えていただけますか?」

 

監督「いつもは編集したものを見せて、

さあ、これにつけろとぜんぶ任せてたんだけど、

今回だけは、こういったメロディラインでって、

音楽の内容にまでかなり言ったので、

こんなような音楽が出来てくるだろうなって

思って撮っていったので当たったんだろうね」

 

この曲はたけし監督の想いを

見事に反映した曲でもあるのだと思う。

 

けれども、近所のどこの馬の骨とも知らぬおっさんが

熱中症も気にすることなく、

ヤバイ場所、うさんくさい場所も含めて

子どもをあちこち連れ回すことはもうできないし、

心を重ね合わせることもできない。

 

菊次郎や僕たちが体験した「昭和の夏」

「日本ならではの夏」は、

時代が変わり、社会が変わり、環境が変わった今、

洗練され、加工され、

アク抜き処理をされたパッケージ商品のようになっていく。

 

この先もナチュラルな形で残していくのは、

もう難しいのかもしれない。

 

その代わりと言っていいのかどうかわからないが、

ジブリ映画などの音楽も手掛ける久石譲は、

いまや現代の日本人の心の原風景を作っているかのようだ。

 

「日本ならではの夏」を伝えていくためにも

懐メロ映画や懐メロ音楽を愛し続けたい。

 

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他者に不寛容だから幸福度低い?ニッポン

1月21日のルイ16世とマリー・アントワネット

アムステルダムのナシゴレンとコロッケとアンネ・フランク

孤独担当相の誕生

ヒトラーの人間力

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週末の懐メロ43:ラヴ・ラヴ・ラヴ/ザ・タイガース

 

映画情報に触れて、ふと沢田研二のことを思い出し、

聴いていたら何曲目かに出てきた「ラヴ・ラヴ・ラヴ」。

 

リリースは1969年末。

他のグループのメンバーも夜中にスタジオに集まってきて、

レコーディングに参加した、という逸話もあるくらい、

かなり気合を入れて作られたらしい。

が、その割にはあまりヒットしなかった。

 

熱狂的だったブームは瞬く間に過ぎ去り、

ザ・タイガースをはじめとする

日本のGS(グループサウンズ)の時代は

もう終わろうとしていた。

 

僕もまだ子どもだったので、

リアルタイムでこの曲を聴いたことは、

ほとんどなかった。

 

テレビで観た憶えもないし、

いつ、どこで、どう耳にしたのかわからない。

けれども、このメロディはずっと脳のどこかに

こびりついていた。

 

そして、おそらく50年ぶりに聴いて衝撃を受けた。

 

明らかにビートルズの

「愛こそはずべて(All you need is LOVE)」に

インスパイアされた曲だ。

 

だけどこれ、ビートルズよりうんといいやんか。

めっちゃ素晴らしい曲やんか。

 

 

沢田研二は先日公開された

山田洋次監督の「キネマの神様」で、

昨年コロナで亡くなった志村けんの代役を務めている。

 

エロチックでデカダンで

ファンタジック。

日本人離れしたな魅惑のパフォーマンスで

1970年代の日本のポップス界をリードした沢田研二。

 

あの頃の若い女と男を魅了しまくった

スーパースター“ジュリー”が、

「寅さん」に代表される山田人情映画で、

人生を破綻させた老人役を演じるなんて

誰も夢にも思わなかっただろう。

 

けれども年齢を重ね、

いろいろな経験を重ねた彼にとっては

そんなに特別なことではなかったのかもしれない。

 

 

僕らが抱くかつてのジュリーの幻想から離れて数十年、

沢田研二はずっとコンサートを開き、

歌い続け、音楽とともに生きてきた。

 

この曲も自分のソロコンサートで、

そしてタイガースの復活コンサートで、

ずっと大事に歌い継いできた。

 

映像は復活タイガースの2013年のコンサート。

GSの中でもトップだった人気バンドは、

ただのアイドルではなかった。

ヴォーカルも演奏力も一流だった。

 

5人ともすっかりじいさんになってしまったが、

サポートを受けずとも素晴らしい演奏を繰りひろげていく。

 

ドラマ・映画の名わき役として知られる

岸部一徳(旧名・修造、愛称サリー)の唸るベース。

 

ハートビートを打ち続け、

クライマックスに炸裂する瞳みのる(愛称ピー)のドラム。

このカッコよさはどうだ。

 

そして沢田研二のヴォーカルも

若い頃からけっして衰えていない。

むしろ齢を取って深みを増しているように感じる。

 

本当に時はあまりにも早く過ぎてゆく。

喜びも悲しみもすべてつかの間だ。

 

「ラヴ・ラヴ・ラヴ」の歌詞は、

いま歌ってこそ、いま聴いてこそ、

深く心に染みる。

 

ラヴ・ラヴ・ラヴ 愛こそすべて

 

映画観に行くよ。

まだまだ終わらない。

がんばれジュリー!

 

 

 

 

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「美しい人」は今でも幸せに暮らしているのだろうか?

 

俳優・田村正和さんの訃報が報じられた。

特に熱心なファンではないが、

1990年代に作られた

彼が主演した二つのドラマは好きだった。

 

一つはフジテレビの「古畑任三郎」。

たぶん今でもファンの多い、

「刑事コロンボ」をオマージュとした推理ドラマ。

60分1話完結、

古畑が対決する犯人役を

当時の人気俳優らが演じて話題を呼んだ。

 

脚本家・三谷幸喜の名を

世間に知らしめた作品でもある。

 

田村正和はそれまでの2枚目俳優とは

ひと味違う、コミカルさを併せ持った

絶妙の味付けで、主役の古畑を演じて

ファンを増やした。

 

「美しい人」は1999年の最後に放送された

TBSの恋愛ドラマ。

 

田村正和演じる凄腕の整形外科医が、

DV夫から逃げてきて「顔を変えてほしい」

と言う女(常盤貴子)の頼みを聞く。

 

そして、彼女の顔を自分の

愛する亡き妻の顔にしてしまう。

 

しかし、彼女のDV夫は刑事(大沢たかお)で、

その正体を見破り、執拗に追跡を続け、対決を迫る。

 

最終回はこのすごい設定を上回る

衝撃的なラストで、

今も胸に食い込んで離れない。

 

脚本が野島伸司。

当時、彼の作品はエッジが立ちまくり、

それでいて高視聴率を稼ぎ出すという

離れ技をやってのけていた。

 

昨日。昼飯時に「徹子の部屋」を見ていたら

追悼特集で田村さんのインタビューを流していた。

1993年と2011年の2回出演したという。

 

その間18年。

確かに二人とも齢を取っているのはわかるが、

それだけ時間が経っていることが

なんだかとても不思議に感じられた。

 

昭和後半から平成前半にかけて活躍した人たちが

次々とこの世を去る一方、

テレビでもネットでもどんどんアーカイブ映像が増える。

 

そうすると、そのうち誰がまだ生きていて、

誰がもう亡くなってしまったのか、

だんだんわからなくなってきそうだ。

 

人々の脳の中で時が止まる。

メディアに出ていた人たちは、

アーカイブの中で永遠に生き続ける。

 

そして現実と虚構の境界線も薄れてくる。

 

ふと、「美しい人」で

田村正和が演じた彼と、

常盤貴子が演じた彼女は、

今どうしているのだろうかと考えた。

年老いても元気に仲良く一緒に、

しあわせに暮らしているのだろうか、と・・・。

 

田村正和さんのご冥福をお祈りします。

 

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週末の懐メロ28:残酷な天使のテーゼ/高橋洋子

 

「エヴァンゲリオン」がここまで人の心に食い込んだのは、

作品の内容はもちろんだが、テーマ曲の存在も大きい。

「残酷な天使のテーゼ」の歌詞は、

とてつもなく美しくドラマチックだ。

 

作詞の及川眠子がこの曲を書く際に与えられたオーダーは

「哲学的であること」「難解であること」。

それに対し、萩尾望都の漫画「残酷な神が支配する」を

元ネタにして2時間で書き上げたという。

 

そうして生まれたこの曲はエヴァ人気とあいまって

前世紀から常に人気カラオケ曲のトップ10に入る名曲となった。

アニメを観たことない人でも、

この歌は知っているという人は多いのではないか。

 

カヴァーもやたらと多い。

外国語バージョンも英語はもとより、10か国はくだらない。

 

それでもやはり高橋洋子のオリジナル版がいい。

このビデオは歌に合わせて、

テレビ版と旧劇場版、

つまり20世紀の旧シリーズのストーリーを

曲の尺4分に編集している。

 

新シリーズの完結編である「シン・エヴァ」を観た後だと、

絵もちょっと懐メロっぽい。

でも、そこがまたいい。

 

そして曲名どおり、

旧シリーズは本当に残酷だったなぁと感じる。

そう感じるのは、苛烈で凄惨なシーンが多いせいもあるが、

一番の要因は、女性の登場人物の運命があまりに過酷だからだ。

 

かつて映画の世界では、

劇中であっても女と子どもは殺してはならないという

不文律があった。

半世紀以上前の話で「女は守られるべき存在」という

一種の差別の表れでもあるのだけど。

 

しかし、自分が男のせいか、たとえ虚構の中とはいえ、

女が死んだり殺されたりするところを見るのは、

心が切り裂かれるような痛みを感じる。

 

旧シリーズでは、レイもアスカもミサトもリツコも、

主要な女キャラがみんな死んでしまった。

それもかなり無残で惨い死に方だった。

 

物語自体も最終的に狂気の世界に突っ込んでいき、

通常のロボットアニメ、

ヒロイックファンタジーとはかけ離れた、

前衛的なアート作品のようなエンディングになった。

 

そして、エヴァ人気が一種の社会現象としても扱われた。

1990年代の世紀末観、オカルトじみた事件の数々、

従来の社会常識の液状化、

人間の心の暗黒面の発見といったことも

影響してたのだろう、

 

それに比べて、新シリーズが

とても優しく温もりのある終焉に感じられたのは、

彼女らの命が無残に潰えることなく、救われたからだと思う。

ただ一人の死も崇高な「英雄死」だった。

 

庵野監督が新シリーズを旧シリーズほど

残酷な物語にしなかったのは、

齢を取って丸くなったせいもあるが、

女を殺し過ぎたことに対する

罪ほろぼしの意識があったからだろうと推測する。

男の心には必ずそういう贖罪の季節が訪れる。

 

この曲とこのアニメは、ある世代、

具体的には1995年から97年の

テレビアニメ放映~旧劇場版上映の時期に

ティーンエージャーだった人たち(現在の40代)にとって、

一つの原風景になった。

 

巨大なトラウマであり、一生消えない感動と傷跡。

幸か不幸か、僕は大人になってから出逢ったので、

適度な距離を置いて見ることができたけど、

耽溺した人を少し羨ましく思う時もある。

 

エヴァの素晴らしいところは、

自分の想像力でストーリーを補完し、

ひとりひとりの心の中に

「マイ・エヴァンゲリオン」をつくれるところにある。

 

エヴァンゲリオン補完計画発動。

四半世紀にわたった新旧シリーズが完結し、

「残酷な天使のテーゼ」が懐メロになった今、

世界中で無数の新たなマイ・エヴァが起動する。

 

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週末の懐メロ27:レディラック/ロッド・スチュワート

 

幸運の女神」と題された1995年リリースの歌。

明るさと切なさの入り混じった印象的なメロディーを

リズミカルに、独特のハスキーヴォイスで歌っていく

ロッド・スチュワートの佳作だ。

 

この曲はフジテレビで放送されていた

「沙粧妙子 最後の事件」の

エンディングテーマだった。

 

主演の浅野温子、佐野史郎、升毅をはじめ、

当時のスター級俳優やアイドルたちが顔をそろえた

とんでもなくヘヴィで陰惨でオカルト風味満載の

心理サスペンスドラマ。

 

ベストセラーになり、プロファイリングという言葉を広めた

ノンフィクション「FBI心理捜査官」や

サイコスリラーの原点となった

映画「羊たちの沈黙」の影響は明らかで、

毎回おそるべき異常でミステリアスな殺人事件が起きていた。

 

夜9時というゴールデンタイムに公共の電波で

よくあんなとんでもない話をやっていたものだ。

 

思うにあの1990年代、

多くの人が、人の心の奥に計り知れない闇があることを発見し、

そこに鬼とか悪魔が生息することを認識し、

それを覗き見ることに興奮と快感を覚えてしまったのだろう。

僕はその一人である。

 

あの頃、異常だの狂気だのと騒がれたような事件や事象は、

いまや日常茶飯事的に起こっている。

人間と社会の、一つの進化だったのかも知れないと思う。

 

いずれにしても「沙粧妙子 最後の事件」は

めちゃくちゃ面白かった。

毎回、次はどうなるんだろうと盛り上がったところで

この歌が入ってきてエンディングとなる。

 

ドラマの濃厚な後味をクリーンにしてくれる

スチュワートの、軽くカマしているような、心地よい歌声。

何度聴いてもナイスだ。

 

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ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力

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 ビートルズをきっかけにロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った時代.僕たちのイマジネーションは 音楽からどれだけの影響を受け、どんな変態を遂げたのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する、音楽エッセイ集。ブログより33編を厳選・リライト。

 

もくじ

●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について ほか

 

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カネゴンは鳥を見た

 

現在、毎週月湯深夜にNHK-BSプレミアムで

「ウルトラQ」を放送している。

「ウルトラQ」は1966(昭和40)年にTBS系で放送された

円谷プロ制作の特撮ドラマで、

ウルトラシリーズの元祖となる作品だ。

 

日曜夜7時からの番組で、当時のファミリーが視聴対象。

怪獣が出てくるのでもちろん子供も大喜びだが、

中身は完全におとな向けのSF、ミステリー、ファンタジー。

僕は当時6歳で、

ものすごく怖くてとても一人では見られなかった。

 

同じように昭和の子供たちは、

毎週「ウルトラQ」によって

恐怖のどん底に落とされていただろう。

 

いま振り返ると、そこには子どもが

家族といっしょに怖いものを楽しめる

安心感・幸福感があった。

そういう意味でファミリー向けだったのだ。

 

ほとんどが大人っぽい内容だが、

3本だけ子どもが主人公のファンタジー物語があった。

それが「育てよカメ」「鳥を見た」「カネゴンの繭」である。

この3本のオープニング(エンディング)は、

あのこわーいテーマ曲でなく、

わんぱくマーチみたいな曲が使われていた。

 

「育てよカメ」は少年が飼っていた亀が突然巨大化して、

そいつに雲の上にある竜宮城みたいなところに

連れて行ってもらうというおとぎ話。

確かゆめ落ちだったのではないかと思う。

 

雲上の竜宮城にはブランコしかなくて、

乙姫様らしき女の子がやたらおきゃんで、小悪魔っぽかった。

 

「鳥を見た」も、少年が飼っていた小鳥が巨大化する物語。

こちらはコミカルではなく、芸術的な短編映画のようで、

「鳥を見た」というセリフがキーワードとして使われていた。

 

古代の怪鳥に変貌した友だちの鳥が

夕空の彼方へ去って行くのを見送る少年。

その後姿をバックにエンドロールが流れる。

話の内容は憶えてないが、

そんな詩情あふれる美しいラストシーンを見たのは

生まれて初めてだった。

 

「カネゴンの繭」はおなじみ人気怪獣カネゴンが

出てくる回である。

カネゴンはおカネ大好きなカネオ君という少年がある日、

不思議な繭に取り込まれ、

出てきたらカネゴンになっていたという話で、

言ってみればカフカの「変身」のパクリである。

 

そのカネゴンを人間に戻すために

友だちがあの手この手で知恵を絞ってがんばる。

表現はシュールでコミカルで現代批評だが、

基本構造は友情物語なのだ。

 

 

わが散歩道・善福寺川周辺にはカメも鳥もカネゴンもいる。

カメは基本的にこの先にある和田堀公園の池にお住まいだが、

ときどき川を上って出張してくる。

 

鳥はいっぱいいる。

春から夏にかけてはカワウやアオサギまでやってくる。

こいつらはなかなかの迫力で、

面構えはまさしく怪鳥だ。

 

そして今やこのあたりの名物となったオオタカも子育て中だ。

本当に時々だが、木の陰に白い体がちらっと見える。

 

そしてカネゴンがぞろぞろ歩いている。

僕を含めて「オオタカを見た」「カワウを見た」

「アオサギを見た」と騒いでいる。

 

人間の皮を被っているけど実はカネゴン。

カネゴンはいつもおカネを食べてないと生きていけない。

胸につけてるカウンターがゼロになったら死ぬ。

僕らも預金残高がゼロになったら・・・

いや、死なないで笑って生きよう。

カネはないけど心配するな、と。

 

庵野監督、ウルトラマンと仮面ライダーが終わったら、

今度は「シン・ウルトラQ]をお願いします。

 

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帰ってきたE.T.

 

先日、「中学生におすすめの映画」を30本ほど挙げてみた。

その中の1本に「E.T.」を入れたが、

一昨年、37年ぶりに続編が出ていたのを知ってびっくり。

 

ただし、これはインターネット会社の

コマーシャルとして作られらたショートムービー。

 

タイトルは「A Holiday Reunion」。

4分ちょっとで観られるので、

興味のある人は見てみてね。

 

なんと、あの時の主人公・エリオット少年を演じた俳優、

ヘンリー・トーマスが出演している。

もちろん彼は無事に大人になっていて、この時点で48歳。

作品の中ではパパとなっている。

 

「E.T.」の公開は1982年。

世界中で大ヒットした

スティーブン・スピルバーグ監督の作品である。

 

思えば80年代はハリウッド映画の黄金期で、

「スターウォーズ」「エイリアン」「ターミネーター」などの

SFアクションをはじめ、現代に繋がるエンタメ大作が

続々と作られ、ガンガンヒットを飛ばしていた。

 

その後、シリーズ化された作品も多く、

「E.T.」も人気に乗じて続編が作られても

おかしくないはずだった。

 

実際、そういう企画は上がっていたと思う。

けれどもスピルバーグ監督がやろうとしなかったのだろう。

僕もこれは彼の最高傑作だと思っている。

 

だからこそ、このショートムービーを観て思ってしまった。

スピルバーグ監督、失礼だけど、

きっとあなたの時間は残り少ない。

あなた自身の手でやったらどうですか、100分の続編を。

 

こんな世界が分断される時代だからこそ、

1982年とはまったく違った、

けれども人々が納得し共感できる「続E.T.」を。

あなたの手で作る価値があるのではないか?

そう僕は待望している。

 


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中学生におすすめの映画

 

フェイスブックで「中学生におすすめの映画を教えて下さい」

とあったので、いろいろ好きなのを書き出してみたら、

残念ながら半分くらいはR15だった。

 

でも、リュック・ベッソン監督の映画「ニキータ」「レオン」はR15だろうと思ってたらセーフ。

逆に同じベッソン監督でも「グランブルー」はNG。

バイオレンスよりエロスに厳しい。

 

グランブルーはきれいな濡れ場だったという印象があるけど、

とにかくやってるところや丸ハダカが出てきちゃダメってことだ。

サイコホラーの元祖みたいな「羊たちの沈黙」なんて

子供が見たら人間が怖くなりそうな映画だけどOKなんだね。

 

というわけで、中学生だからと言って教育上好ましい映画、

感動しますよ映画ばかり見せてちゃいけない。

怖い世界、醜い世界、残酷な世界、変な世界にも

なるべく若いうちから触れておいたほうがいいということで

オススメを出してみました。

 

●トミー:70年代ロックオペラ。幼少期のトラウマを克服していく青年の物語。当時のロックスターが集結する絢爛豪華な世界。

 

●ジーザス・クライスト・スーパースター:70年代ミュージカルの金字塔。舞台っぽい、メイキングオブ丸出しのつくりも面白い。

 

●レ・ミゼラブル:原作も名作。ミュージカルとしても、音楽としても名作。舞台を完全映画化。

 

●オペラ座の怪人:同上。舞台を見られない少年少女たちにぜひ映画で体験してほしい世界。

 

●ブレードランナー:これからの社会でAI、ロボットと共生する人間が見ておくべきSFを超えたリアル。

 

●マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ:詩情あふれる少年の成長物語。スウェーデン映画。

 

●ビッグ:大人になりたい子どもが一夜にして夢をかなえて活躍するファンタジックコメディ。若きトム・ハンクスの名演。

 

●はじまりへの旅:現代文明の中で生きる人たちの内なる希望を発見させる寓意と哲学性あるコ三カルなロードムービー。

 

●帰って来たヒトラー:独裁者であり大悪党とされているヒトラーだが、彼を産んだのは何だったのか?という話。現代批評を交えた物語でありながら、かなりのエンタメ。

 

●わたしを離さないで:原作もドラマも映画も傑作。これまた未来の社会を生きる人間が見ておくべきSFを超えたリアル。

 

●田園に死す:70年代アングラ演劇の帝王にして詩人・思想家の寺山修司の前衛幻想劇。中学生になったら、これくらい異様な世界に迷い込む体験をしておいた方がいい。

 

●その日の前に:人生を考える終活映画。宮沢賢治の詩を基調とした大林亘彦監督ならではのファンタジーワールド。

 

●鉄道員(ぽっぽや):詩情あふれる鉄道員のヒューマンドラマ。消えゆく日本の心を一度は堪能してほしい。高倉健さんも志村けんさんも今はもういない。

 

●花とアリス:かわいい女の子の恋愛話。確か原作は少女漫画。アニメ化もされた。

 

●万引き家族:是枝監督のおもしろ悲しい傑作。犯罪と裁判の舞台裏を描く「三度目の殺人」もおすすめ。

 

●実録連合赤軍・あさま山荘への道程:中学生のいじめと変わらなかった、堕した学生運動の理想と末路。日本の黒い歴史の一つとして見てほしい。フィクションなのにドキュメンタリーのよう。

 

●この世界の片隅で:今や戦争のことは映画で知るしかないかも知れない。これはアニメだし、入門編として最適&素晴らしい高質のドラマ。

 

●シザーハンズ:ジョニー・ディップの出世作。モンスターのメルヘンストーリーと映像美。

 

●あの頃ペニーレインと:70年代ロックをテーマに、グルーピーの女の子に恋してしまう少年の青春物語。

 

●街の灯:一度は見ておくべきチャップリンの名作クラシック。

 

●おくりびと:中学生も死を見つめる時間を持つと良い。その入門編としても面白い。

 

●深呼吸の必要:沖縄を舞台にした青春もので、とても癒され、さわやかになる。

 

●トゥルーマンショー:バーチャルワールドを生きる現代人必見の“恐怖”コメディ。ジム・キャリーの代表作。

 

●レインマン:自閉症の兄を助ける弟の物語。ヒューマンドラマ。ダスティン・ホフマンとトム・クルーズの共演。

 

●太陽がいっぱい:アラン・ドロン主演。いまだ最高のサスペンスドラマに思える。フランス映画の金字塔。

 

●ET:宇宙人の子どもを助ける少年たちの話。思い出しただけで胸躍り、脳が宇宙に舞い上がるスピルバーグの最高作。

 

●ALWAYS三丁目の夕日:高度成長期は現代と地続きであり、歴史の1頁でもある。おとなのノスタルジーだけにしないで中学生にも見てほしい。

 

●ラジオの時間:稀代の喜劇作家・三谷幸喜のエッセンスが詰まっている。「12人のやさしい日本人」もおすすめ。

 

●ニキータ:泣き虫の殺し屋の大活劇。女の子が無中になる。

 

●レオン:やさしい殺し屋の悲劇。男の子が夢中になる。ジャン・レノが最高。

 

●羊たちの沈黙:「人間とはなんと恐ろしい生き物だ」と思わせる史上最恐のサスペンスにして、サイコホラーの原点。現代の異常心理を描くサイコドラマはここから始まった。

 

スターウォーズ、ターミネーター、エイリアン、ハリーポッター、ロード・オブ・ザ・リングなどのシリーズものは敢えて外して単独で観られるものだけにした。

 

こうやって書き出してみると、中学生におすすめすると同時に、自分がもう一度観たい映画ばかりだ。

死ぬまでに観られるか?

 


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週末の懐メロ24:悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー

 

僕の脳内ジュークボックスの中で

すっかり廃盤になっていたショッキング・ブルー。

今年になってからたまたまYouTubeさんにご紹介いただいて

半世紀ぶりに聴いてみたら、まさしくショッキング。

すっかりイカれてしまった。

なんじゃ、この新鮮さ、このカッコよさは!

 

なにせまだ小学生だったので、

ラジオでなのか、テレビでなのか、

街中のどこかのお店でなのか、

どこで耳にしたのか、さっぱり憶えていない。

 

1969年「ヴィーナス」、1970年「悲しき鉄道員」と

大ヒットを連発したので、

けっこうよく聴いていたはずではある。

 

けれども中学生になってロック好きになってからは

「昔流行ったポップスグループ」として、

すでに過去の存在になっていた。

 

なんかその頃も耳にしたことがあったかも知れないけど、

古臭くて全然興味がわかなかった。

しかし、50年の歳月がそんなイメージをひっくり返した。

 

オランダのバンドで、

ヴォーカルのマリスカ・ヴェレスは

ジプシーの血をひく60年代型エキゾチック美人。

ーーということも初めて知った。

こんなちゃんとしたプロモビデオが残っているのも驚きだ。

 

世界的な大ヒットになったのは「ヴィーナス」の方だが、

僕はちょっとメランコリックなメロディーラインと

「No No No」という印象的なフレーズがリフレインされる

この曲の方がお気に入りだ。

 

「悲しき鉄道員」という邦題も

文学感、レトロ感が漂ってかえって新鮮で魅力的。

 

運転士なのか、機関士なのか、車掌なのか、駅員なのか、

はたまた開発者なのかーー

世界各地で特急列車が次々と開通し、

鉄道という産業・交通機関が花形だった時代には

「鉄道員」が一つの職業世界を表していた。

 

そういえば浅田次郎の小説を、

高倉健さん主演で映画化した「鉄道員(ぽっぽや)」

という20世紀の鎮魂歌のような名作もあった。

 

この歌のように、女よりも新列車の開発に夢中だった

レイルロードマンも大勢いたに違いない。

いまや絶滅寸前の「男のロマン」という言葉が通用した

最後の時代の名曲ともいえそうだ。

 

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ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力

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ビートルズをきっかけにロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った時代.僕たちのイマジネーションは 音楽からどれだけの影響を受け、どんな変態を遂げたのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する、音楽エッセイ集。ブログより33編を厳選・リライト。

もくじ

●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について ほか

 

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シン・エヴァ カーテンコールと青い海

 

卒業式とは言え、僕は落第生である。

1回だけだとよくわからん。

で、さらに昨日、庵野監督のドキュメンタリー

(NHK「プロフェッショナル」)を観たので、

もう一度、映画を観に行った。

 

劇場に入って「おおっ!」

先週とポスターが替わっている。

 

先週(ちょうど1週間前の3/16)、砂浜にいたのは

パイロット5人だけだったが、

今日はゲンドウやミサトをはじめ、

他に9人の主要キャラが加わり大集合。

そうか、このポスターは芝居のカーテンコールだったのだ。

 

さらに真っ白だった海が、美しいブルーの、

リアルな海に変わっている。

架空世界から現実世界への回帰を

表しているのかもしれない。

ファンはたまらず泣くだろう。

 

おそらく最初から取り換えるプランだったと思うが、

こういうところも客のハートを撃ち抜く。

これだけでも2回来て得したような気分になる。

いい意味で商売上手。

 

2回目は流れがわかっているので、ある程度、

冷静に見られて、さらに面白かった。

 

もしや3枚目があるのだろうか?

YouTubeではネタバレ大会で、い

ろんな人が自説を並べまくってて賑やかだ。

勉強させてもらって、

もう1回、ロードショーが終わるころ、

観に来るかもしれない。

 

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どうして僕はロボットじゃないんだろう? ¥274

 社会のニーズに応え、生活に入り込み、世界を変革していくAI・ロボット。はたしてやつらは人間の敵か味方か? 上司か部下か? ライバルか友だちか? ただの機械に過ぎないのか、それとも人類の子どもなのか?

 

2016年夏から2020年夏まで、AI・ロボット・インターネット・DXにまつわる考察の面白まじめエッセイ集。ブログから33編を厳選・リライト。

 

●もくじ

・介護士・看護師は人間か、ロボットか?

・インターネットがつくるフォークロア

・こちとら機械だのロボットだのじゃねえ。人間でぃ!

・聖書から始まった「人間VS機械」

・子どもはどうしてロボットが好きなのか?

・きみはロボットじゃないよ

 ・ロボットみたいな人間、人間みたいなロボット ほか

 

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生まれて生きて繁殖して死んでいく僕ら

 

春の喜びは生きる喜びと結びついている。

花を見ながら、人間も地球の一部であることを

自覚させられるからかも知れない。

 

近年、テクノロジーの進化とともに、

農業に関心が寄せられていること、

若い人の就農が増えていることも、

これと関係しているのではないかという気がする。

 

昨年来のコロナ禍でめっきり減ってしまっているが、

農業関係の取材の仕事が

そろそろ復活するかも知れない。

 

今週はシン・エヴァにすっかり頭をやられてしまった。

ちょっとだけネタバレになるが、

あの世界観の中で、農業が出てくるのには

かなりびっくりした。

いきなり「この世界の片隅に」へ

ワープしたような感じだった。

でもそれは僕らの心象風景。

廃墟となった街も、希望の村も。

 

そしてネコも出てくる。

エヴァでネコに逢うとは思わなかった。

いい味出してるネコたちに思わず涙。

生まれて生きて繁殖して死んでいく僕ら。

そのすべてが喜びであり悲しみ。

 

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ピノキオボーイのダンス

             ¥456

21世紀からそう遠くない未来社会。

人間は労働力のみならず、エンターテインメントや精神面のケアなど、暮らしのあらゆる分野でロボットの力に頼って人生を送っている。12歳の少年の姿をしたレンタルロボットはダンサーとなって喝采を浴びるが、やがて戦場に送り出される。人間とロボットとの間で明滅する光と闇を描くSF長編ファンタジー小説。

 

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