大島レトロ商店街の「なかたん」と「ちびまる子ちゃん」

 

「新プロジェクトを発動するから来て!」

と呼ばれて、江東区の大島へ。

昨年から月1ペースで通っているデイサービス&整体院だ。

亀戸と大島の間ぐらいのロケーションなので、

都営新宿線 大島駅からは10分くらい歩く。

 

通るのは中の橋商店街という

昭和レトロな雰囲気が漂う1km近い下町商店街。

この周辺には大きなスーパーがなく、

個人商店が立ち並ぶ聖域みたいになっている。

 

今年になって初めて行ったが、

新たに「なかたん」という

お買い物の女の子キャラクターが登場。

けっこうかわいくて好きだ。

 

地元の人御用達で、

観光客が集まるようなところではないが、

下町情緒があてほのぼのするので、

近くに来るようなことがあったら覗いてみて下さい。

 

「なかたん」を見ていたら、

なぜか「ちびまる子ちゃん」を思い出した。

中の橋商店街は、まる子のマンガに出てくる

清水の商店街にちょっと似ているのだ。

きっとこのあたりで生まれ育った子どもの目には、

とてつもなく長大な商店街に、

そしてふるさとのような風景に見えるだろう。

 

先週、まる子役のTARAKOさんが亡くなってしまったが、

みんな大好き昭和40年代の夢をなくすわけにはいかず、

アニメはまだまだ存続する模様だ。

けれども後を継ぐまる子役の声優さんは

大変な覚悟が必要。

誰がなってもネットで悪口を書くのはやめようね。

 

 

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「今はまだ地球がふるさと」

 

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3月24日(日)15:59


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アカデミーゴジラへの称賛と違和感

 

平成後半、何度もオワコンだと言われ、

アメリカに売り飛ばされていたゴジラがまさかの再生。

そして驚愕のアカデミー賞受賞。

その「ゴジラ-1.0」と、

作品賞をはじめ、各賞を総ナメにした

「オッペンハイマー」が同じ年に受賞したことには

何か因縁を感じるが、

あまりそんなことを考えている人はいないのかな?

 

以前も書いたが、昭和20年代を舞台にした

「ゴジラ-1.0」が

原爆投下や敗戦の傷跡をあまり感じさせなかったことに

けっこう違和感を覚えた。

もしやアメリカ市場に忖度してる?とも考えた。

今回の受賞で、ゴジラが水爆実験から生まれた怪物だという

オリジナル設定は忘却されてしまうのではないか?

そんな懸念もある。

 

もう一つ、今回称賛され、

たぶん受賞の一要因になったのは、

アメリカ・ハリウッドでは考えられない

低予算・少人数による制作体制。

どちらもケタ違いに安くて少ない。

 

これはもう日本映画のお家芸みたいなもので、

映画が量産されていた1950年代・60年代、

黒澤明や小津安二郎が活躍していた時代は、

コスパ、タイパに徹底的にこだわり、

1週間で1本とか、1か月で3本とかをあげるのは

ザラだったという。

巨大な予算と膨大な人数で映画作りを行い、

働く人たちの権利意識が強く、組合も強力で、

頻繁にデモやストライキなどをやる

ハリウッドでは到底考えられない作り方・働き方なのだ。

これもまた、資本・経営者に対する

日本の労働者の立場の弱さを表している。

と言ったら言い過ぎ?

もちろん、条件が悪い中で工夫して知恵を絞ることに

イノベーションが生まれるので、

いいことでもあるんだけど。

 

ただ、この働き方改革の時代に、

スタッフの健康やプライベートは大丈夫かとか、

それなりの額のギャラが

ちゃんと払われているだろうかとか、

会社の言いなりになっていないかとか、

ついついよけいなことを考えてしまう。

 

映画をはじめ、クリエイティブの現場は

労働基準法なんてあってなきもの、

みんな好きで、愛を込めて仕事やっているんだから、

夜中までかかろうが、休みがゼロだろうが文句なんかない。

といった世界だったはず。

気持ちがノッて、クリエイティブ魂が全開になって、

現場のテンションがグワーって盛り上がってきたところで、

「はい、6時になったんで今日はここでおしまい」

なんて言われたらドッチラケ。

昔の監督だったら「ふざけんな!」と怒鳴りまくるだろう。

と、僕は認識しているが、最近はそうした環境も

変わってきているのだろうか?

 

なんだかせっかくの受賞に

ケチをつけるようなことを書いたけど、

やっぱりこれは画期的な出来事。

ハリウッドの映画製作にも何か影響を与えるのだろうか?

ちょっと楽しみではある。

 


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赤いパンツの底力 ~巣鴨とげぬき地蔵デイトリップ~

 

今日はとげぬき地蔵でおなじみの巣鴨へ。

べつに仕事で出かけたわけではないが、

月刊終活なんて仕事をやっているので、

巣鴨の実態くらい見ておこうかと思い、

カミさんといっしょにぶらっと出かけたのだ。

 

通称・とげぬき地蔵尊は、この商店街の真ん中あたりにある

曹洞宗のお寺「高岩寺」のこと。

このとげぬき地蔵尊商店街では

毎月4のつく日にたくさん露店が出てジジババで大賑わい。

僕らが若い頃、「おばあちゃんの原宿」として

マスコミが取り上げてよく話題になった。

 

その頃以来のキャッチフレーズはもちろん健在だが、

ただ違うのは、自分自身がここを歩いていても

全く違和感を感じないこと。

むかし感じた一種のカルチャーショックのようなものなど

微塵もなく、街全体に昭和の香りが充満していて、

そこらへんでたこ焼きは食えるわ、大判焼きは食えるわ、

玉こんやくは食えるわ、塩大福は食えるわで、

居心地いいったらありゃしない。

 

お店の看板も「ズボン屋」とか「バッグハウス」とか

「もんぺ・はんてんの店」とか、レトロ感ハンパなし。

なかでも巣鴨の代名詞とも言える赤いパンツが、

強烈な存在感をアピール。

 

でも、「年寄に赤」にはちゃんと科学的根拠があって、

赤い色を身に着けると血流がよくなり、

気分も上がって元気になれるのだ。

 

年齢・性別に関係なく、冷え性の人は

健康維持・向上のために、

ショボくれてる人・メンタルやられちゃってる人は

元気回復・テンションアップのために、

赤パンは超おすすめ。

 

しかも最近は、こじゃれた年寄り用なのか、

それとも上記の理由で若い人たちも買い求めに来るのか、

レースのついたお洒落でセクシーな赤パンも売られていて、

ドッキリ!

見ると某有名下着メーカーの製品である。

 

それ以外にもいろんなレッドなお召し物が

ずらりと並び圧巻。

見ているだけで元気が出てくる。

気楽で面白いので、

老いも若きもぜひ巣鴨をぶらついてみよう。

 

 

おりべまことはジジババが登場・活躍する小説も

書いて電子書籍Amazon Kindleで出版しています。

「おれを、あたしをモデルにして何か書け」

という方はぜひご連絡ください。

 


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なぜ昭和の“すごい”人たちは本を出せなかったのか?

 

昭和は今と比べて野蛮な時代だったと思うが、

面白い人生を送ってきた人たちがたくさんいた、と思う。

今より貧しく、生活が不便で洗練されておらず、

管理も緩かった分、

生きるエネルギーに溢れていた。

逆に言えばエネルギーがないと生きられなかった。

 

なので若僧の頃はエネルギッシュな人たち、

劇的な人生を送って来た人たち、

すごい人だなと感心するような人たちに何人も出会った。

それもみんなけっこう若い、30代・40代の人たちが多かった。

彼らのドラマチックな話を聞いていると、

自分はなんて臆病で凡庸な人間だろうと

劣等感を抱いたくらいだ。

 

そうした人たちの冒険譚・英雄譚・武勇伝などは

自伝にしたら面白いし、

それらの体験をもとに小説も書けるのではないかと思った。

 

事実、自分はこんなに面白いことをしてきたから

そのうち本にして出すよとか、

ネタにして小説を書くよとか、映画や芝居にしてやるよと

僕に話していた人は一人や二人ではなかった。

 

けれども憶えている限り、実現した人は一人もいない。

ノンフィクションであれ、フィクションであれ、

そうした(世間的には無名だが)すごい人たちの話が

物語になり本になることはなかった。

 

なぜか?

そういう人たちは字を書かなかったからである。

当たり前のことだが、

机に向かって字を綴るという地道な「作業」をしない限り、

永遠に本も物語も生まれないのだ。

そうしたものを作るためには本人とは別に

字を書く「作業員」が必要になる。

 

自分のなかにもう一人、

そういう作業員を持っている人はいいが、

大方の人は「文才があればやるけど」

「時間があればできるけど」と言って逃げていく。

 

いつかあの人のあの話を本で読んだり、

映画やテレビで見られるだろうと思っていた人たちは、

(現時点では)誰もそうならなかった。

齢のことを考えると、

結局そのまま人生が終わってしまった人も

少なくないのではないだろうか。

なんだかもったいない気がする。

 

昭和と違って今ではSNSやブログもあるし、

動画配信もあって、いろいろ発信の手段はある。

けれどもやっぱりそれらと

本を刊行することは別の作業が必要なのだと思う。

 

「文才があれば」「時間があれば」というのは言い訳だが、

現実的には確かにそれも分かる。

毎日、いろいろ忙しいことばっかだからね。

でも時は止まってはくれない。

そう考えると人生は短い。

「いつかやろう」が永遠に来ない可能性は高い。

 

もし、そうした本を書くための「作業員」が必要なら

ご相談に乗ります。

 


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年賀状の話2024

 

新年あけましておめでとうございます。

昨年は喪中だったので年賀状のやりとりを控えたけど、

今年は復活。

 

最近は年賀状じまいとか年賀状卒業という人も増え、

絶滅が危惧される伝統芸能・技術みたいになってきた年賀状、

僕がいだただくのもずいぶん少なくなったが、

その分、ていねいに接することができるようになった。

やっぱりいただくとうれしいもんです。

 

今日もらったなかでいちばんうれしかったのは、

11月の同窓会のとき、

病気で来られなかった元・同級生のもの。

電話で話してかなり心配だったが、

無事回復して12月から働き始めたとのこと。

元旦にこういう知らせを聞くとこちらも元気になる。

 

さすがに新規で年賀状のやりとりを始める気には

ならないけど、

旧知の間柄の人たちとは続けていきたいと思う。

いわば昭和の遺産だね。

 

 

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イマイチ昭和世界の「ゴジラ-1.0」

 

「シン・ゴジラを超えた」と評価の高い

「ゴジラ-1.0」を見た。

時代設定が太平洋戦争末期から戦後間もない、

80年近く前の日本。

ここまで時間を戻してしまうということは、

ゴジラ映画のリセットを意図しているのか?

前作 庵野監督の「シン・ゴジラ」もそうだったが、

それとは真逆のベクトルのリセットだ。

以下、ネタバレありで。

 

戦争直後の東京の再現ということで

昭和レトロ世界構築の実績を持つ

「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎監督が出陣。

街の風景・環境の作り込みなどはよくできているが、

ストーリーが「ALWAYS」と違って、

シリアスでスケールが大きいせいもあり、

この時代の雰囲気づくりにはイマイチ感が漂う。

 

僕が時おり、

古い日本映画を見ているせいもあるのだろうけど、

そもそも俳優さんの顔つき・体つきが、

あの時代を生きていた人と現代を生きる人とでは、

同じ日本人でもずいぶん違うと感じる。

これはもうどうしようもない。

食い物もライフスタイルも80年前とはまったく違うのだから。

そこに難癖をつけるつもりはない。

 

しかし、補完する工夫はもっと必要ではないかと思う。

東京のど真ん中にゴジラが上陸して、

死傷者3万人という大惨事が起こったのに、

日本政府も、当時統治していたGHQも

まったく対策に関与しないのは、

どう考えても解せない。

元軍人たちの民間組織に丸投げするっていう設定は

無理があり過ぎだ。

 

「シン・ゴジラ」では政府の対ゴジラを描いたので、

今回はそれを避けたというのはわかるし、

台詞の中でもなぜ日本政府も米軍も出てこないかの説明は

一応ある。

けれども少しは政府高官なり、GHQの将校なりとの

やりとりのシーンが出てこないと

リアリティ不足は否めない。

 

もう一つ、ストーリーで不服だったのが、

主人公・敷島(神木隆之介)の描き方。

彼はもともと特攻隊員だが、冒頭シーン、

その任務から逃げて修理班のいる島に不時着し、

そこでまだ水爆実験の影響を受ける前のゴジラに遭遇する。

飛行機の機銃でゴジラを撃とうとするができず、

結果、修理班の人たちを見殺しにしてしまう。

 

なぜ敷島は特攻隊の任務から逃げたのか?

なぜ危機的状況でも機銃を撃てなかったのか?

何か重要なトラウマがあるのだろうと思ってみていたが、

どれだけ話が進んでもその説明は一切ない。

なので戦後、典子(浜辺美波)と出逢って

いっしょに暮らし始めてからも

イマイチ彼に感情移入できず、ドラマに深みが出ないのだ。

 

典子は戦災のせいで

自分の子ではない子供を育てることになったという設定。

それ自体は戦後の混乱を表現する要素で良いと思うが、

それだけで深掘りしていないので、

イマイチ設定が生きていない。

現代の日本人への

大事なメッセージを含んでいる気もするだけに

非常にもったいないなと感じる。

 

映像技術だけでなく、人間ドラマの部分も

高く評価されていると聞いていたので

期待していただけに、

こうした人物造形の粗さ・ドラマ作りの甘さが

よけい気になってしまった。

もっと丁寧に描いていたら

すごくクオリティアップしたのになー

と思うと、残念でならない。

 

ただ、僕にとっては欠陥に思えるそうした部分が

この映画をシンプルでわかりやすいものにしているので

アメリカでも受けているのかな、とも思う。

確かにこの脚本は、主人公が

「自分にとっての戦争」を終わらせるという

ゴールに向かって

様々な困難を克服していくという、

ハリウッドの黄金律に忠実なヒーロー物語になっている。

 

それに水爆実験の影響でゴジラが強大化したとか、

放射能を武器とした怪獣である点も

申し訳程度に説明しているだけで、ひどく印象が薄い。

もしやこういうところもアメリカに贖罪意識を抱かせず、

売り込むための忖度?

 

熱線発射の際に背中のヒレが青光りして

順番に立っていくところは、

「シン・エヴァンゲリオン」の

エヴァ2号機ビーストモードだし、

ラストの海中の覚醒シーンは、

1990年の「ゴジラVSキングギドラ」のまんま焼き直し。

そうしたイメージが連なってきて、

どうも原点回帰とか昭和レトロ世界観が伝わってこない。

 

と、ずいぶん難癖をつけてしまったが、

新世代向け、世界向けにリセットしたと考えると、

そのへんのことも

みんな成功要因になっているようにも思える。

 

思えば東宝は10年おきくらいに

ゴジラ映画の製作を諦めたり、

再開させたりを繰り返しているが、

やっぱりやれば客が入り、

一定の興行収入が見込めることを考えると

ゴジラ様を完全に引退させるわけにはいかないらしい。

 

これまでも何度かゴジラ映画限界説がささやかれたが、

そのたびに復活し、

「もう限界だと感じた時点がスタートだ!」を

実践してきた。

次はどんな切り口でゴジラを再生させるのか、

楽しみではある。

 


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昭和卒業の準備

 

谷村新司さんが亡くなった。

正直、アリスの歌も、谷村さんの歌も

あまり好きじゃなかったので特に思い入れはないが、

テレビの追悼ニュースなど見ていると、

やはりなんともいえないものを感じる。

 

今年はYMOの高橋さん・坂本さんが

相次いで亡くなった。

それとともに長年、芸能界で大きな影響力を持っていた

ジャニーズ事務所が終焉した。

 

こうした芸能・アート関係の

新陳代謝を目の当たりにして、

昭和が一気に遠くなったという感じがする。

 

最近はテレビでもネットでも

やたら昭和コンテンツが増殖して、

ブームになっているとか言ってるけど、

なんだか嘘くさくて胡散臭い。気持ち悪い。

はっきり言ってもう「昭和」は賞味期限切れだ。

 

来年早々、「昭和99年の思い出ピクニック」

という本を出そうと思っているが、

これを出し、再来年、昭和100年になったら

昭和を卒業しようと思う。

 

と言っても実際はできるわけないことはわかっている。

でも、これからはあくまで昭和の文化を

未来への「資産」として見做す視点を持てないと、

ただの懐かしがり屋さん、

ただ終わりを待つだけの老人になっていくだろう。

 

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叔母の温子(ながこ)はロサンゼルスの下町のアパートで孤独のうちに死んだ。

リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、可愛がってくれた叔母と昭和の家族についての話を葬儀屋に語る。短編。2万3千字。


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距離のある家族のこと

 

叔父・叔母(伯父・伯母)や従妹といった

少し距離のある家族とは、

子供の頃(小学校低学年まで)は密な関係だった。

 

しかし、時代が進んで貧乏な昭和から

豊かな昭和に変わると、

みんなバラバラになってしまった。

次に会う時は葬式だったり、

最近は葬式にも呼ばれない、行かない。

そもそも葬式をしないことも珍しくなくなった。

そうした家族は確実に自分の人生の一部分を

つくっているというのに。

 

しょっちゅうではないが時々

そうした離れた家族のことを思い出すと胸が痛む。

人生破綻した人、自殺した人もいる。

子どもの頃の記憶しかないので、

あの人たちがそこまで

追い詰められなけばならなかったことが

どうしてもリアルに感じられない。

そして、もう知りようがない。

 

そんななかで賢くも度胸もないのにも関わらず、

還暦過ぎまでのほほんと生きてきた自分は

本当に運がいいのだなと思う。

 

叔父・叔母(伯父・伯母)や従妹といった家族とは、

ていねいに関係を保てば、

互いによい友人・よい人生の伴走者になれる。

僕はそれをしてこなかったが、

未だ遅くない人は修復してみるといいかもしれない。

 

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GHQ オバQ ウルトラQ

 

今年もハロウィンが近づき、

街中どこもかしこもオバケだらけになってきた。

オバケを怖がる子どもは多いが、

オバケの絵はみんな描きたがる。

誰でも描けちゃうのがオバケの魅力。

息子がチビの頃、小学校のハロウィン大会で

鬼太郎の目玉おやじの人形を肩にのっけて、

自分おオデコにも目玉を描いて登校したのを思い出した。

 

僕が子どもの頃は、オバケと言えば

藤子不二雄の「オバQ」だった。

雑誌にオバQの似顔絵を投稿して当選し、

マルチ定規(?)みたいな文具を景品として

もらって、めっちゃうれしかった。

 

ドラえもんみたいに助けてくれるわけでもなく、

何か役に立つわけでもなく、

ただ大飯食らって、お騒がせするだけのオバQは

今でも大好きである。

 

GHQ、オバQ、ウルトラQ。

「Q」は昭和世代のQワード。ではなく、キーワード。

 

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叔母Q 

 

おりべまこと電子書籍新刊「叔母Q」 本日発売

 

叔母の温子(ながこ)は

ロサンゼルスの下町のアパートで孤独のうちに死んだ。

リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で

彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、

可愛がってくれた叔母と昭和の家族についての話を

葬儀屋に語る。

 

「わたしも叔母のことが好きでした」

そう口にするとあの口もとのホクロを思い出した。

家族だった彼女は恋人でもあった。

生まれて初めて意識した大人の女だった。

子供だった「わたし」と、

戦後の時代を生きた叔母との記憶の断片を

つなぎ合わせた物語。短編小説。2万3千字。¥500

 

もくじ

1 パンパン 1960年

2 リトルトーキョー 2023年

3 結婚式 1988年

4 昭和家族 1960年代

5 チューベー 1968年

6 ナンシー 2023年

7 母と叔母 1968年

8 GHQ 1945年

9 ロサンゼルス 2023年

10 姪と叔母 2023年

 


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豊臣秀吉とジャニーズ 英雄の凋落と昭和システムの崩壊

 

大河ドラマ「どうする家康」では

ムロツヨシ演じる豊臣秀吉の最期が近づいている。

 

次回予告を見る限り、

秀吉は側室である茶々(淀の方)に復讐され、

(心理的に)殺されるという展開らしい。

北川景子が市と茶々(淀の方)の母娘二役なので、

予想はしていたが、やはりショッキングだ。

 

太閤・秀吉の死因は病死だが、

天下人としてはあまりに寂しいものだったことは

長年の謎とされている。

 

それをここまであからさまに

愛人の憎しみによってとどめを刺される

というストーリーは前代未聞であり、

衝撃を受ける人は多いのではないだろうか。

 

茶々は家康が思いを寄せた市の娘であり、

乱世のなかで非業の死を遂げた

信長と市というカリスマ兄妹が

転生した存在とも言える。

 

父(浅井長政)と母(市)を殺し、

自分を凌辱した男に対する凄まじい復讐。

彼女が一種のモンスターとなって

最後に家康の前に立ちはだかるというのは

ドラマとしてすごいダイナミズム。

市と淀を見事に演じ分ける北川景子の演技は

(あざとさも含めて)ヤバすぎる。

 

秀吉は昭和の成長時代、

庶民にとって英雄以外の何者でもなかった。

戦国武将の中でも人気抜群であり、

百姓の子せがれから天下人に成りあがった

サクセスストーリーは、誰もが見習うべきものであり、

みんなが尊敬すべき人物だった。

 

それが平成時代を通して、

徐々にそのヒーローの皮がはがされていき、

負の部分も含めて人間くさい側面に

光が当てられるようになっていった。

 

そして令和の今、このドラマでは

かつての英雄像の「凋落」ともいえる扱い。

その伏線は昨日の放送回における

高畑淳子演じる大政所(秀吉の母・仲)の

臨終のセリフに現われている。

 

「あの息子は自分が本当は何を欲しかったのか、

自分でわからなくなってしまった」

 

このドラマは家康が主役なので、

秀吉がなぜあれほど民衆に慕われ、

人を惹きつけたのかといった

ポジティブな面はほとんど描かれない。

 

逆にその俗物的な部分や、

自分の欲望を満たすためには手段を選ばない

あくどさばかりが強調されていることに

秀吉ファンは怒りさえ覚えるだろう。

 

僕はべつに秀吉ファンではないが、

地元の名古屋で育ったので、

やはり秀吉は尊敬すべき英雄であり、

いわば正義の基準だった。

 

ちなみに名古屋駅には太閤口という玄関があり、

太閤通りという道路が走っている。

名古屋の人たちは、まさかわれらが太閤様が

テレビドラマでこんなふうに描かれる時代が来るとは

夢にも思っていなかっただろう。

 

ドラマは時代の変化・価値観の変化を

如実に表すメタファーである。

こうした秀吉像の変化は、

リアル世界では芸能界の英雄として亡くなった

ジャニー喜多川氏と重なる。

 

製作者側はもちろん、そんなことは意図していない。

これは僕の個人的な見解だが、

まんざら見当違いでもないと思う。

 

今年のはじめ頃、ジャニー氏がここまで国内で糾弾され、

彼の犯罪を隠蔽し、王国を守ってきた

ジャニーズ事務所がこんな惨状になろうとは、

少なくとも一般人は誰も予想していなかった。

 

長らく日本を支え、生き延びてきた昭和システムが

音を立てて崩壊したのだ。

この事実は芸能やマスコミの世界のみならず、

いろいろな所に波及していくだろう。

 

日本の社会を覆っていた昭和の幻影が拭い去られた———

まだ1年を振り返るのには早すぎるが、

この先、令和5年、2023年は

そういう年として記憶されるかもしれない。

 


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昭和98年8月と17歳の父

 

子供の頃、戦後復興世代の両親に

よく話を聞かされたせいか、

僕にとって8月は戦争・戦後のイメージに包まれている。

 

終戦はこの世に生まれる15年も前

(でもたった15年前!)のことで、

まったく未経験だが、

わりと鮮明に過去のビジョン(とでもいうべきもの)が

脳裏に刻まれている。

 

復興期が自分の青春期ともろに重なっていた父親は、

事業で成功して家を建てた後は、

あちこち旅行に行ったり、

美術品や骨董品を集めていたが、

仕事を辞めるとそれにも飽きて、

晩年はしきりに昭和20年代から30年代前半のことを

回想していたフシがある。

 

そういえば8月は父の誕生日もある。

焼け野原の中で軍需工場での仕事も失い、

17歳の誕生日を迎えた少年は

何を考えていたのだろう?

今ならそこをピンポイントで聴いてみたいところだが、

もう遅すぎる。

 

めっちゃ大変だったが、めっちゃ面白かった時代。

戦争・戦後を語る際、

悲劇・惨劇・怒りばかりが強調されて伝えられるのは

しかたないことだ。

「面白かった」なんて言おうものなら、

つるし上げを食らいそうだが、

大半の日本人は、実はそう思っていたのではないだろうか。

 

それくらいの元気がなければ、

ここまで経済成長はできなかっただろうし、

これほど百花繚乱の昭和文化は生まれなかっただろう。

平成・令和と時代が進むにつれて

そうした印象を強くする人は

むしろ増えているのではないだろうか。

たんなる懐メロでなく、ノスタルジーでもなく、

昭和は未来まで、ルネッサンスのような

面白い時代として記憶されるに違いない。

そんな思いもあって

気まぐれで昭和シリーズのエッセイを書いている。

第2弾は「昭和99年」、

3弾は「昭和100年」の出版を予定しているが、

考えてみたらもうすぐそこだ。

 


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昭和98年の昭和の日に思う いつまでもあると思うな昭和の常識

 

3年間のコロナ禍によって、

これまでの時代の残滓がクリーンアップされ、

社会の在り方も、人の生き方・死に方も

この2023年は大きく様変わりしてきた感が倍増している。

昭和のカルチャーやライフスタイルが

だんだん発酵して堆肥化し始めている感じがするのだ。

そりゃまぁ終わって35年も経つんだから当然。

 

21世紀中盤戦へ向けて、

新しい畑を耕すお百姓さんは、

やっぱりAI・ロボットなのだろう。

 

僕たちもとりあえず、端っこをお借りして、

自家消費用の家庭菜園でもいいので

何か新しい作物を育てよう。

いつまでも昭和の常識にとらわれていると確実にボケる。

昭和100年に向けてぼちぼち土いじり。

あなたの畑の地中にはどんな虫や細菌が生きているのか?

 

春のルネッサンスキャンペーン第2弾!

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★酒タバコやめて100まで生きたバカ

・わたしの中の人間のクズ

・客観性という名の神様と自分の物語

・人生最後の全力疾走?

・「赤い服の少女」に学ぶ人生タマタマ

・人を食った話             ほか全35篇収録

  

★いつもちょっとクレイジーでいるためのスキル

・とんかつ屋はいかにして声優に転身したか

・eパン刑事、その愛と死とスマホ

・生殖機能終了後の人生とは?

・中年期以降の同窓会幹事の心のゆらぎ

・お母さんは夕暮れの交差点で踊った    ほか全38篇収録

  

★銀河連邦と交信中なう

・「人間を大事にしています」ってどういうこと?

・慢性硬膜下血腫で頭の手術の顛末記

・電車内スマホゲームはなぜカッコ悪いか

・みずから幸福になることを放棄している日本人

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成功人生に行き詰った時の便秘薬にご常備ください。

 


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週末の懐メロ128:赤いハイヒール/太田裕美

 

松本隆+筒美京平の70年代の斬新な歌謡マジック。

太田裕美の代表曲と言えば「木綿のハンカチーフ」だが、

明るい爽やかさの裏に悲しみが潜むあちらの歌に比べ、

この「赤いハイヒール」は、

アンニュイでミステリアスな曲調。

ちょっと禍々しいブラックメルヘンの味付けもある。

僕はこっちの方が好きで、このレコードも持っていた。

1976年。高校2年の時である。

 

「木綿」と同様、男女のダイアローグで進むが、

冒頭、「ねえ、友だちなら聞いてくださる?」と

リスナーに語り掛けて歌の世界に誘い込むという、

のっけから松本隆のマジックが炸裂する。

今ならそう珍しくないかもしれないが、

当時、こんな曲はなかった。

 

白のイメージカラー、

都会に出た男の子×田舎にいる女の子。

赤のイメージカラー、

都会に出た女の子×田舎にいる男の子。

という設定の対比に留まらない。

 

「木綿」では人物やドラマの描写が

割とあいまいで抽象的だったのに対して、

こちらは、東京駅に着いた・

おさげでそばかすのある女の子・

ハイヒール買った・お国訛りを笑われた(らしい)・

タイプライター打つ仕事をやってるなど、

主人公の状況がかなり具体的に描かれている。

 

このあたり、ただのアンサーソング・二番煎じとは

絶対に言わせない。

「木綿」よりもいい曲にする・面白くするという、

松本+筒美の情熱とプライドを感じる。

そして何よりもその根底に太田裕美への愛情を感じる。

 

「松本隆のことばの力」(藤田久美子インタビュー・編/インターナショナル新書)によると、

当時、すでに大御所作曲家だった筒美京平は、

既にスターになった歌手にほとんど関心を示さず、

自分の曲で新人を育て上げたいという

強い思いを持っていたという。

 

太田裕美はその筒美が目を付けた宝石だった。

そこで売り出し中の作詞家だった松本隆に声をかけて、

太田裕美のためにコンビを組んだ。

 

その第1弾「木綿のハンカチーフ」が大ヒットしたのだが、

一発屋で終わらせない、

彼女を後世まで残る歌手にするのだ、

と気合を込めて作ったのが、この「赤いハイヒール」

だったのではないかと思う。

 

とにかく詞も曲も編曲も凝りまくっているが、

それをここまで可憐に、軽やかに、

それでいながら心に沁みるように歌えるのは、

昔も今もやっぱり太田裕美しかいない。

——聴く者にそう思わせるだけのものがある。

 

ちなみに「おとぎ話の人魚姫は死ぬまで踊る赤い靴」

という一節は、松本隆の創作である。

 

「赤い靴」は美しい少女が、美しさゆえに傲慢になり、

病気の親を見捨てて、強欲に快楽を求めたがために

呪いの赤い靴を履いて死ぬまで踊ることになる。

そして、その呪いを解くために

首切り役人に頼んで両足を切断するという、

子供に読んであげたらトラウマになること必至の

衝撃的な展開の物語だ。

同じアンデルセンの童話だが「人魚姫」とは

別々の話である。

 

それも含めて松本隆の数多い作品の中でも

「赤いハイヒール」は屈指のドラマ性と

独特のイメージを持った世界観を作っている。

 

もちろん、この令和の感覚からすれば、

ツッコミどころ満載の歌詞なのだが、

これぞ懐メロ、これぞレトロ昭和ワールド。

 

まだ1970年代(昭和50年代)は、

今では考えられないくらい

東京と地方とでは情報格差があった。

地方出身者にとって、

東京はほとんど異国と言ってもよいくらいだったのだ。

それもとっておきの、ピカピカの。

 

僕は名古屋の出身で、名古屋は当時、

日本で4番目に人口の多い都会なのだが、

それでも東京に行って暮らす、というと

ただそれだけで周囲から羨望の目で見られた。

ウソのようだが、ホントの話だ。

 

今でもこの季節になると、

東京に出てきて演劇学校に入った頃のことを思い出す。

そして、演劇や音楽にうつつを抜かした

東京暮らしを良い思い出にして、

田舎に帰って行った多くの仲間のことも。

 

元気にまだ生きているだろうか?と無責任に考えるが、

そんな自分は、結局、呪いの赤い靴を履いたまま、

どこにも帰らず、だらだら東京暮らしを続けている。

たぶん、死ぬまで呪いが解けることはない。

 


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村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について

 

3年前に出された村上春樹のエッセイを読んでいかなった。

図書館で文庫本があった(文庫化されたのは昨年)ので、

借りて読んでみたらとてもよかった。

最近ちょっとご無沙汰していたが、

やはりこの人の文章は心の深いところに響いてくるのだ。

 

副題に「父親について語るとき」とあるが、

その通り、大正生まれで戦争の体験を持つ

父について書いたものである。

割とゆとりある行間で100頁ちょっとの短い本なので、

2,3時間あれば読み切れてしまうが、

内容はとても充実していて深い。

また、よく調べたなと感心する。

 

村上春樹は1979年にデビュー。

現代的・都会的な雰囲気のストーリーと

アメリカ文学仕込みの乾いた文体で人気作家になったが、

初期の作品「風の歌「ピンボール」「羊」などでは

そこかしこに戦争の影がにじんでいる。

1980年代の前半あたりまでは

豊かになったとはいえ、まだ終戦・戦後の残滓が

日本社会に残っていたのだ。

 

そして、1990年の「ねじまき鳥クロニクル」では

まともに戦争のシーンが出てくる。

この物語の第1巻には捕虜になった兵士の皮をはぐという

恐るべき残酷描写がある。

いったいなんでこんな描写が出来たのか、

つくづく感心する。

僕はそこがあまりにこわくて未だに再読できない。

 

村上春樹のような団塊の世代の人には多いと思うが、

成人後は父親とはほとんど断絶状態だったらしい。

大正・昭和ひとケタ生まれの親と、

戦後生まれの子供の親子関係は、

今の親子関係とはずいぶん違ったものだと思う。

 

そもそも親は、特に父親は、

自分のことを語ろうとしなかった。

なぜかはちょっと長くなるので、

また近いうちに別の文で書こうと思う。

 

いずれにしても戦争はこの世代の、

特に男たちの心に深い闇をもたらしている。

そんな思いを抱いてこのエッセイを読んだが、

村上作品に頻繁に登場する「闇」は、

どこかでこのお父さんの心にできた闇と

繋がっているのではないかという気がしてくる。

 

亡くなって10年以上経った頃に

父のことを書こうと思い立ったという。

有名作家だからこうして本にして

多くの人に読まれるわけだが、そうでなくても、

男はいつか自分の父について語りたくなったり、

書きたくなったりするのではないだろうか。

 

親密でも疎遠でも、愛していても憎んでいても、

尊敬していても馬鹿にしていても、

自分のなかに父親像を再構築し、再確認することは

生きる中で意外と大切なことではないかと思う。

男は自分史の前にまず、

自分の父親史を書くべきなのかもしれない。

もちろん娘がそうしてもいいのだけど、

同じ男同士だから感じられる何かがそこにあると思う。

 


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美輪明宏とヨイトマケと太宰治

 

一昨日、「週末の懐メロ」で

美輪明宏の「ヨイトマケの唄」を紹介した。

白状すると、その際にいろいろ調べて

やっと「ヨイトマケ」って何のことだか知った。

じつは僕は一昨日までヨイトマケとは、

何かの種まきのことだと思っていて、

農作業の一種だと思っていたのである。

 

この齢になるまで知らなかったなんて、

お恥ずかしい限りだが、

どんなに遅くても知ってよかった。

まさしく懐メロさまさま・美輪様さまさまである。

 

じつはこのヨイトマケという言葉は、

美輪明宏の歌以外にも有名な文学作品に使われている。

それが太宰治の「斜陽」である。

 

筋肉労働、というのかしら。このような力仕事は、私にとっていまがはじめてではない。私は戦争の時に徴用されて、ヨイトマケまでさせられた。いま畑にはいて出ている地下足袋も、その時、軍のほうから配給になったものである。地下足袋というものを、その時、それこそ生れてはじめてはいてみたのであるが、びっくりするほど、はき心地がよく、それをはいてお庭を歩いてみたら、鳥やけものが、はだしで地べたを歩いている気軽さが、自分にもよくわかったような気がして、とても、胸がうずくほど、うれしかった。戦争中の、たのしい記憶は、たったそれ一つきり。思えば、戦争なんて、つまらないものだった。

 

上流階級のお嬢様だった主人公が、

戦後、没落して肉体労働をしているとき、

ふとヨイトマケのことを思い出し、

ヨイトマケのおかげで体も丈夫になったし、

生活に困ったらヨイトマケをして生きていこう、

と呟くのである。

 

20歳ごろ、三島由紀夫と太宰治を乱読しており、

「斜陽」も読んだ記憶があるが、

そんなことすっかり忘れていた。

 

この出だしの部分の文章は、

たまたまネット上でお目にかかったのだが、

美輪さんの歌を聴いた後、今こうして読んでみると、

この主人公に温かさ・健気さ・可愛さみたいなものを感じる。

 

ヨイトマケとは「よいっと巻け」という

掛け声から来た呼び名。

まだ建設機械が普及していなかった時代、

建築現場で地固めを行う時に、

縄で滑車に吊るした重い槌を、

数人がかりで引っ張り上げて落とす作業、

あるいはその作業を行う日雇い労働者のことを指している。

作業の時の掛け声が「よいっと巻け」で

「ヨイトマケ」というわけ。

昭和の半ばごろまで使われていたようだが、

僕も実際にこんな作業しているところは見たことがない。

 

厳しい肉体労働だったと思うが、皆でやれば大丈夫、

みたいな労働者同士の連帯感的な気持ちもあっただろう。

この主人公の場合は、生きる自信の根っこというか、

精神的な「地固め」にもなっていたようだ。

 

もしかしたら、年がら年中、

アラウンドうつ病だった太宰治自身も

こうしたヨイトマケなどの肉体労働に

憧れを抱いていた部分もあったのではないか、と思う。

 

昔はよかったとは言わないし、

貧しくても幸せだったとも言わない。

辛くて危険な肉体労働を礼賛するつもりはまったくない。

 

ただ、最近のように、精神がおかしくなるほど、

みんなが情報過多で混乱したり、

ネット世界、バーチャル世界に

はまり込んだりするのを見ていると、

いつも何かしら身体を動かして働いていたほうが

いいのではないかと思う時があるのだ。

 

もちろん、スポーツやトレーニングもいいが、

自分の身体を動かすことで

人の役に立つ、社会の役に立つ、

そして金を稼いで生きるのだという

リアルな実感を得ることが、

いくつになっても、どんな時代になっても、

必要なのではないだろうか?

 

豊かな社会になって以降、

肉体労働とか労働者という言葉は、

ネガティブなオーラをまとうことが多くなった。

しかし今後、AIの発達で

確実にホワイトカラーの仕事は減っていき、

肉体労働が人間に残る。

ロボットが活躍できるのはまだもう少し先だろう。

 

「ヨイトマケの唄」や「斜陽」の世界と同様、

肉体労働・労働者というものは、

人間らしさと同義で語られるようになるかもしれない。

 

 

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週末の懐メロ123:ヨイトマケの唄/美輪明宏

 

日本の至宝、昭和の至宝 美輪明宏が

自ら作詞・作曲し、あらゆる世代の日本人に贈る聖歌。

それが「ヨイトマケの唄」である。

 

最初にレコードが出たのは1965年。

マンガなどで「母ちゃんのためならエンヤコーラ」という

セリフが良く出ていたのを覚えている。

そして桑田佳祐をはじめ、たくさんの歌手がこの歌を愛し、

カヴァーしているのも聴いていた。

 

けれども美輪明宏自らが歌うのをまともに聴いたのは、

若い世代と同じく、2012年の紅白歌合戦が初めてだった。

紅白なんていつも酒を飲んでへべれけになって見ているのだが、

真っ黒な衣装に身を包んだ美輪が登場し、

この歌を歌い出した時、思わず背筋がピンと伸びた。

6分間、テレビから目と耳を離すことができなかった。

 

故郷の長崎で原爆に遭遇して以来、

波乱万丈の人生を送り、数々の修羅場をかいくぐりながらも

70になっても80になっても

元祖・ビジュアル系歌手の誇りを失うことなく輝き続ける

美輪明宏の、人間への愛情のすべてが

この1曲に集約されているような気がする。

 

この歌が生まれた経緯は自身で、

また、黒柳徹子との対話で語っている音声が

YouTubeに上がっている。

 

1960年代前半、三島由紀夫が「天上界の美」と称した

絶世の美青年だった美輪明宏(当時は本名・丸山明宏)は、

きらびやかな衣装と化粧でシャンソンを歌っていた。

 

ところが、興行主の手違いで

福岡・筑豊の劇場でコンサートを行うことに。

客は普段シャンソンを聴きに来る人たちとは

全く違う炭鉱労働者たち。

 

そんな人たちが自分の歌を聴こうと

客席を埋め尽くしたことに美輪は感動したが、

内心、自分のレパートリーには、

この人たちのために歌える歌がないとすまなく思ったという。

そして、外国には労働者の唄があるのに、

日本にはなぜないのか?という疑問も抱いた。

 

「ヨイトマケ」とは「ヨイっと巻け」。

まだ現在あるような建設機械が普及していなかった時代、

地固めをするとき、重たい岩を縄で滑車に吊るした槌を、

数人掛かりで引張り上げて落とすという作業をしていた。

滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声が

語源となっている。

この仕事は主に日雇い労働者が動員されていたらしい。

 

「ヨイトマケの唄」は、そうした戦後復興期の物語であり、

まさしく現代の日本の豊かな社会の

「地固め」をしていた時代の唄だ。

炭鉱をはじめ、新幹線を走らせるために

山にトンネルを掘り、川に橋をかけ、

街に高速道路や高層ビルを建てるために

たくさんの名もなき労働者が働いていた。

そうしたあちこちの工事現場では不幸な事故で

命を落とした人も少なくない。

 

普段は意識などしないけど、

インフラの整った僕たちの社会生活は

そうした犠牲の上で成り立っている。

 

この歌を彼が初めてテレビで歌った時、

「これはおれたちの歌だ」と、彼の元に7万通の

感謝の手紙が送られてきたという。

 

しかし、その一方で、

高度経済成長の波に乗り始めていた日本人は、

少しでも早く貧しい時代の記憶を忘れようとしていた。

貧しい者、卑しき者、美しくない者は

目にしたくない、耳にしたくないと思っていた。

この歌の歌詞の「土方」でさえも差別用語であるとして、

以後、長い間、この歌は歌われなかった。

 

77歳で紅白に初出場した時、若い世代は、

あの「美輪ちゃま」が

どんなゴージャスな衣装で登場するのか

大いに期待していたらしいが、

この黒ずくめのスタイルを見て驚愕、

そしてこの歌をフルコーラスで聴いて慄然とした。

 

カメラは一切寄ることはない。

まるで舞台劇を見ているかのような、

魂を揺さぶるパフォーマンス。

昭和の時代は、圧倒的なリアリティで

人々を感動させた歌は、半世紀後、

”を描き切った、聖なる物語に達していた。

 

最後、闇に溶けていく中で

「子どものためならエンヤコーラ」と絞り出す声には

何度聴いても涙が抑えられない。

 

美輪さんがまだ元気で表現活動をされていてよかった。

令和の時代になっても、いや、令和になったからこそ、

日本人にはまだ美輪さんの存在が必要なのだ。

 

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誕生日のドラえもんとウサギ

 

義母の誕生日。

88歳の米寿である。

「おめでとう」の祝辞にも

「え、誰のお誕生日なの?」

認知症は、主観的には齢を取ることはない。

本人の意識の上では不老不死である。

 

さて、誕生日と言えばケーキ。

この人はジャムパン、クリームパン、

あるいは100円で買える甘食とかロールケーキとか、

普通、洋菓子とは呼べないお安い菓子パン系は大好物だが、

ちょっとハイクラスのケーキなどは

いまいちお好きではない。

 

最近、その傾向がますます強くなっており、

日本人として原点回帰しているのでは?と思わせる。

 

そんなわけで先日のパステルのプリンケーキは、

三日かけて、カミさんと僕とで食ってしまったのだが、

今日は、それならということで、

好物のどら焼きを食わしちゃろうということで、

阿佐ヶ谷の「うさぎや」へ行く。

 

阿佐ヶ谷北口の狭い路地にあるうさぎやは

古い木づくりの和菓子屋で、

レトロムードたっぷり。

阿佐ヶ谷にお店を開いたのは昭和32年というから、

僕が生まれる前のこと。

日本橋と上野にも同じ店があるが、

のれん分けというわけでなく、親族が経営しているらしい。

 

売っている和菓子はどら焼きをはじめとして、

すべて職人さんの手作り。

いつも行列ができているので、午前中に行ったが、

それでも十分待ち。

店内には大勢お客がいて、

販売の女性たちもちゃきちゃきしていて、

なんだか昭和に還ったような、あったかい気分になる。

味はもちろんだが、

こうした店の雰囲気も人気の秘密なのだろう。

 

浅草・亀十のどら焼きもそうだが、

いわゆる名物となるどら焼きの共通点として、

皮にもアンコにもくどさがまったくなく、

けっこう軽く食べられてしまうこと。

インタビュー記事を読むと、

食べ終わった時に

「もう1つ食べたいと思える余韻がある甘さ」

にしているそうで、そのレシピをずっと守っているという。

 

甘さを抑えている分、

日持ちしない(消費期限三日)のだが、

これならほとんどドラえもんのように

何個でもパクパク食べられてしまう。

もっとたくさん買っておいてもよかった。

 

ウサギまんじゅうが可愛くて、

ウサギ年なので縁起がいいかなと

これも買ってみた。

目と耳は寒天とあんこを混ぜた羊羹で書いており、

手作りなので1つ1つ顔が違う。

ついでに大きな小豆がたっぷり入ったお赤飯も買った。

 

プレゼントもあげて、好物のおでん、お赤飯、

そしてどら焼きでお祝い。

プレゼントには、ネコの小さなぬいぐるみと

ティッシュ入れをあげたのだが、

本人はさっぱりわかっていない。

 

ほとんどカミさんと僕の自己満足の世界になっているが、

まぁ、それでもよし。

明日もどら焼きとウサギまんじゅう食べるよ。

 

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廃墟から再出発 アニメむすめの鬼怒川温泉

 

いまや観光地は、ゆるキャラ、アニメキャラだらけ。

鬼怒川温泉の観光案内所にも

4人の美少女さんがたちがいた。

 

このうち、グレーの制服を着ているのは

「鬼怒川みやび」ちゃんという

東武鉄道の特急スペーシアの車掌さん。

「日々、接客について勉強中💛」。

 

紺の制服は「大桑じゅり」ちゃん。

鬼怒川には東武鉄道が運営する

「SL大樹」も走っており、彼女はその新米機関士さん。

「持ち前の明るさとガッツを武器に奮闘中💛」です。

 

この二人は全国の鉄道事業者の現場で活躍する

キャラクターコンテンツ「鉄道むすめ」の一員だ。

「鉄道むすめ」は結構何年も前から

「鉄むす」の略称で親しまれているようだが、

僕はこんなコンテンツがあるなんて、

今回の旅で(実際には今日ネットで調べて)初めて知った。

 

他の2人のことはよくわからないが、

鉄むすとのコラボで、

ご当地キャラクターとして生まれたのだろうか?

僕は赤鬼ちゃんと機関士さんがお気に入りである。

 

鬼怒川温泉は10年ほど前に放送されたアニメ

「未来日記」の1エピソードで描かれていて、

「アニメ聖地巡礼地」の一つになっている。

(これも今日初めて知った)

 

このアニメも見たことないので内容はわからないが、

ネットで調べると、廃墟の描写がすごくて、

鬼怒川温泉は完全に

「凋落して廃墟と化した昭和時代の大温泉街」の

イメージになっている。

 

実際、昭和の後半、鬼怒川は箱根や熱海と肩を並べる

大温泉街、娯楽の殿堂だった。

東京から近いというロケーションも幸いして

毎日、観光バスに乗った団体客や

東武鉄道に乘った家族連れなどがわんさか押し寄せて、

週末ともなれば、ホテルや旅館が並ぶメインストリ-トは、

都心の繁華街のように人がごった返していたらしい。

 

栄枯盛衰。諸行無常。

栄光の頂点から落ちぶれてから何年経つというのか。

殿様商売を改められなかったところは

もう滅びるしかない。

 

そんなわけで廃墟ホテル、廃墟施設が

わんさか出来上がってしまったのだろう。

 

僕は廃墟は見なかったが、

日暮れとともに外は閑散となって、

かつて賑わったメインストリートは

確かにわびしげな風が吹いていた。

 

こうした観光地はもう開き直って、

前世の記憶みたいな大廃墟を売り物にするぐらいの

ことをやったほうがいい。

(てか、勝手に見物客は集まってくるみたいだけど)

 

廃墟から再出発した鬼怒川温泉。

もう昭和の賑わいを取り戻すのは無理だ。

そんな夢は追わないほうがいい。

 

それで人が来るのなら、アニメ娘に頼ってもいい。

鬼怒川みやびちゃん、大桑じゅりちゃん、

いいではないか。

萌える、癒される、かわいい温泉ビレッジを

再構築してほしい。

 


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追悼・アントニオ猪木さん:あなたほど無様さがサマになる男はいなかった

 

「ふつう見せないでしょう。こんな無様な姿は。

でもそういう商売をしてきたから。ありのままですよ」

 

昨日亡くなった猪木さんの病床の最期の映像を見て、

なんてカッコいいんだと涙しかなかった。

 

特に熱烈な猪木のシンパではないし、

プロレスファン、格闘技ファンでもない。

しかし、ご多分に漏れず、

子どもの頃・若い頃は夢中になってプロレスを観た。

そして、アントニオ猪木のカッコよさは

体の芯に染みついていた。

 

僕の中でのアントニオ猪木はそんなに強くはなかった。

最期に語ったように、むしろ無様にやられたり、

負けたりするシーンのほうが印象に残っている。

 

それはジャイアント馬場との対比で明らかだ。

馬場がやられるところ、

負けたところはほとんど記憶にない。

しかし、猪木はいつも敵の外人レスラーにやられて、

額から血を流していた。

馬場とタッグを組むと、危機一髪のところでタッチし、

馬場が大暴れして一人で敵のチームをコテンパンにした。

馬場は圧倒的に強く、威勢はいいけど猪木は弱かった。

 

アニメ「タイガーマスク」でも、

なんだか馬場が悠々とした親分で、

猪木は子分の鉄砲玉みたいな感じで描かれていた。

 

ところがある年のワールドリーグ戦。

最終戦で猪木は血まみれになりながら、

相手のクリス・マルコフを卍固めでギブアップさせた。

世界最強の必殺技・卍固め(オクトパスホールド)

初披露の日、猪木はワールドリーグ戦に優勝。

馬場が血で真っ赤に染まった白いハチマキの猪木を讃えた。

めちゃくちゃ感動し、

しばらくテレビの前で棒立ちになっていた。

 

新日時代になってからのアントニオ猪木も、

大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントの

バックドロップで粉砕されたり、

超人ハルク・ホーガンのアックスボンバーを食らって

卒倒したりした。

長州力らの維新軍にコテンパンにやられ、

惨敗したこともある。

 

鮮烈に記憶に残る無残な負け方、無様なやられ方。

だけどめちゃくちゃカッコいい。

そして、どんなに無様な姿をさらしても、

敢然と立ちあがり、リベンジを果たした。

それがアントニオ猪木の「闘魂」だった。

 

だから猪木さんの言葉は響いた。

無様でもいいんだ。

負けてもいいんだ。

人生が続く限り、何度でも立ち上がれ。

リベンジしろ。

 

もちろん、彼のように誰でもリベンジできるわけではない。

無様さをサマにできるわけではない。

いや、むしろ、ほとんどの人ができない。

でも「それでもいいんだ」と

猪木さんなら笑って言う気がする。

「元気ですかー!」と言って、

ビンタを食らわせてくれそうな気がする。

もっと生きろ、夢を捨てるな、とも。

もう記憶のなかでしか、それはかなわない。

 

ありがとう猪木さん。

ご冥福をお祈りします。

 


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戦後77年の認知症予防策

 

両親が昭和ひとケタ生まれなので、

終戦記念日になると、

父と母がどのように終戦を迎えたのだろうかと

頭の中でトレースする。

 

二人とも16歳で名古屋で終戦を迎えた。

名古屋も空襲を受け、

父が働いていた軍需工場も爆撃された。

危ない目に遇い、亡くなった仲間もいたようだが、

父自身は幸運にもケガ一つしなかった。

それもあって母はよく父のことを

「運の良い人」と言っていた。

 

これから本格的に社会に出る前、

16歳で終戦になったことは、

軍国主義、戦前の価値観でがんじがらめにされずに済んだ、

自由に戦後を生きることができた、という点で、

ある意味、幸運だったのではないかと思う。

 

僕が子どもの頃は、二人とも自分たちの戦争体験や

食糧難体験をよく話して聞かせていた。

それは実際は悲惨なことではあったのだろうが、

豊かな暮らしを手に入れた安心からか、

なにか懐かしい、

牧歌的な昔ばなしのように僕には聞こえた。

 

けれども、まだそれはすぐ近くにあるものだった。

僕たちは軍歌を知っていたし、戦記マンガも読んでいた。

街には傷痍軍人もいて物乞いをしていた。

考えてみれば、そうした両親の話を聞いていたのは、

戦後20年から30年ちょっとの頃である。

 

人間、齢を取れば認知症にもなる。

戦後77年。国だって国民だって認知症になりがちだ。

かつて平和ボケと言われた日本は、

戦後ボケにもなってきたように見える。

戦争反対、平和祈願の理念も、

中身の伴わない空虚なお題目になっているように

感じるときがある。

 

今年、母が亡くなって、

僕の中でも戦後のリアリティが1枚ぺろっとは剥がれ落ち、

軽度認知症になった感じがする。

認知症の進行を食い止め、

戦後文化の記憶を保つには、

人間の本質、生きる本質を見ようと努め、

想像力を駆使するよう努める必要があると思う。

 

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平和祈願・核廃絶祈願のエネルギーと新たな戦争の脅威

 

ヒロシマ・ナガサキ。 

今年もいくつか原爆関連のニュースを見た。

たいへん失礼な言い方になるかもしれないが、

ここ数年、特にコロナ禍が始まった一昨年以降、

かなりトーンダウンしてきたような印象がある。

 

昭和の頃の原爆記念日はとても熱いものがあった。

テレビで平和式のニュースの一端を見て、

みんなで平和を祈り、核廃絶を唱えていれば、

それがやがて世界中に広がるだろう。

いつか僕らがおとなになり、

50歳・60歳を超える頃は

核兵器が一掃され、

世界平和が実現するのではないか。

たしかにそう思えた。

 

けれども現実はそんなに甘くなかった。

考えてみれば、当たり前のことだけど。

 

平成になり、令和になり、

昭和の頃に感じた

平和祈願・核廃絶祈願のエネルギーは、

徐々に減衰した。

 

みんな、ただ祈願しても無力だ、

ということがわかってしまった。

言葉に出しては言わないけど、心の中で諦める。

おとなになったのだ。

これもまた、考えてみれば、

当たり前のことだけど。

 

体験を持つ人も高齢化している。

気力・体力も衰える。

亡くなる人も増えている。

そして改めて思うのが、

(これもまた怒られるかもしれないけど)

被爆者であることを

自分のアイデンティティの一部にして

生きていかなくてはならないのは、

ひどく辛いことなのではないかと思う。

 

被爆者の人たちは、いやがおうでも

「世界平和」や「核廃絶」というスローガンを

背負って歩かなければならない。

それもやっぱり辛いことだと思う。

何と言っても体験してしまったいるのだから、

被害者なのだから、

僕たちのように飽きたら投げ出す、

というわけにはいかないのだ。

 

加えて今年はロシアのウクライナ侵攻を

見てしまった。

平和祈願・核廃絶祈願がぶっとぶほどの

インパクトだ。

それに乗じて中国も不穏な動きを見せている。

やっぱりロシアや中国が

「話せばわかる」国だとは信じがたい。

 

いくら日本が世界平和・核廃絶を叫んでも、

あいつらが「行動」してしまったら、

もうそんなことは言っていられなくなる。

 

それでも日本は反戦・反核を

唱え続けるべきだと思う。

でもその一方で万一の時のために

備えておく必要もある。

 

日本も核を保有して抑止力にするべき――

そう考える人が出て来るのもしかたがないだろう。

日本が核兵器を保有することは

99パーセントないとは思うが、

ロシアなり中国なりから侵略の脅威に

晒されたら・・・と考えると、

今までのように落ち着いてはいられない。

 

政治家の皆さんは

アホなことをやっているように見えるが、

それでも国防はちゃんと考えていて、

トップシークレットの奥の手は

持っているのではないだろうか。

国民も何もせず黙っていても

今の平和、今の幸福が、

未来永劫続くんだとは思わず、

もしまた戦争になりそうになったら、

巻き込まれそうになったら・・・ということは

想定しておくべきではないかと思う。

 

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レビューお待ちしています。

あなたの感想をお聞かせください。

 


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暑くても世の中は回る

 

「適切に冷房を使い、命を守りましょう」

というアナウンスが今日も聞こえてきた。

本当に暑いので、

そのアナウンスが間違っているとは言わない。

けれども、6月に亡くなった母には

「そんなに暑い、暑いと言ってはいかん」と、

子どもの頃、よく怒られた。

 

理由は父が真夏のクソ暑いときでも外で働いていたからだ。

仕事だから休むわけにはいかない。

「お父さんがこの暑い中、家族のために働いているのに、

おまえはなんだ」というわけである。

 

そう言われるとグウの音も出なくて、

黙ってひたすら扇風機の風に当たっていた。

そして、扇風機に向かって

「ワレワレハウチュウジンダ」と言って遊んでた。

 

父は瓦のふせ替えの仕事をしていたので屋根に上る。

屋根の上は遮るもののない光の世界——

360度の直射日光ワールド。

 

太陽がまともにジリジリ照り付け、

とてつもない暑さであることを

学生時代に手伝って実感した。

 

特に反抗的だったわけでもないが、

以来、(口に出しては言わなかったが)

父を尊敬するようになった。

自分をたしなめた母のことも。

「尊敬」とか「感謝」はオーバーだけど、

両親のそういうところはとてもいいなと

今でも思っている。

 

昭和の、まだ一般家庭にエアコンなど普及していない、

日本がうすら貧乏だった時代の、

今ならうっとうしい根性論・精神論である。

 

じつは僕も人からそういう根性論・精神論を

説かれるのは大嫌いなのだが、

その一方で両親からの教え

(という大げさなものではないけど)が身に沁みている。

 

だから炎天下、外で働いている人たちを見ると、

いつも頭が下がる思いがする。

涼しい部屋でパソコンやっている自分に

かすかな罪悪感さえ覚えたりする。

 

そして、当たり前のことだけど、

猛暑だろうが酷暑だろうが、

こうして汗水たらして働いている人たちがいるからこそ

日本の社会は、経済は回っている。

誰が何と言おうと、それだけは忘れてはいけない。

 

熱中症で倒れたりしませんように、

今日も無事仕事を終えて、

冷たいビールでプハーッとできますように。

と心の中で手を合わせる。

 

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みんなのハンバーグ

 

昨日は「おふくろの味はハンバーグ」と書いたが、

これについては日本全国に同士が大勢いると思う。

少なくとも昭和40年代以降の子どもの多くにとって、

ハンバーグは最高峰のごちそうだったはずである。

そして、その子どもたちが大人になった今、

ハンバーグはカレー、ラーメンと並ぶ国民食となり、

世界に冠たる「日本食」となった。

 

みんな大好きハンバーグ。

庶民の味方ハンバーグ。

労働者階級のぜいたくおかずハンバーグ。

 

いやいや、なに寝ぼけてるの?

ハンバーガーといえばアメリカに決まってるでしょ。

という声が上がるかもしれない。

たしかにハンバーガーはアメリカの国民食だが、

ハンバーガーとハンバーグは、

まったく違うカテゴリーの食べ物だ。

 

レッツ・イマジン。

マックやキングのバーガーのパテを

パンの間から取りだしただけで、

ごはんのおかずになるだろうか?

 

日本食のハンバーグは白いご飯と味噌汁に合う。

そのように最初から作られ、そのように発展してきた。

ソースも中濃、ウスター、ケチャップ、

デミグラスといった洋食系から

大根おろし、醤油、ポン酢、

照り焼きソースといった和風系、

さらに様々なオリジナルソースの開発も盛んで

自由度が高い。

 

今や家庭やファミレスのみならず、

街には多様な専門店が百花繚乱。

おふくろのハンバーグ、おやじのハンバーグ、

おれのハンバーグ、ギャルズバーグ、キッズバーグ、

シティバーグ、カントリーバーグ、

むかしバーグ、未来バーグなど、

カレー、ラーメンと同様、

驚くべき柔軟性と文化性をもって進化してきた。

 

しかし、やはり定義はある。

ごはんのおかずにならないハンバーグ、

いわゆる「ハンバーグ定食」にならないハンバーグは、

ハンバーグとは言わない。

 

いやいや、うちのは定食用よりうんと高級ですから、

そんな労働者なんかじゃなくて

富裕層・上層階級の方々にご提供したい――

というものもあるだろう。

否定はしないが、それは「ハンバーグステーク」という、

また違うカテゴリーであり、

僕たちが求める、温かくておいしくて愛の肉汁あふれる

「みんなのハンバーグ」とは別物なのだ。

 

日本でハンバーグが一般家庭に広がったのは、

やはり昭和の高度経済成長時代。

1962年(昭和37年)に現在も人気のロングセラー商品、

マルシンフーズの「マルシンハンバーグ」が発売開始。

テレビCMも頻繁に流れ、

ハンバーグの認知度が格段にアップ!

 

そういえば僕の母も、手作りの前に、

このお手軽マルシンハンバーグを

幼稚園の弁当のおかずに入れてくれました。

のりたまなどのふりかけをかけたごはん。

その横にちょこんとマルシンハンバーグという、

今の基準で見たら、超手抜き弁当。

でも、めっちゃうまかった。

 

1969年(昭和44年)のテレビアニメ

「ハクション大魔王」では、

主人公のハクション大魔王の好物はハンバーグ。

しかしこれ、台本ではコロッケとなっていたため、

大魔王の声優だった大平透氏が、

「今時コロッケはないだろう。

今の子どもはハンバーグだ。」

とその場でハンバーグに変更したそうな。

 

この秘話は一般社団法人「日本ハンバーグ協会」の

ホームページからの引用。

https://j-hamburg.org/

ハンバーグ愛にあふれる同協会では、

歴史をはじめ、豊富なハンバーグ情報が満載。

あんまりまじめでなく、適度にふざけてコミカルなところも

ハンバーグらしくて良い。

勉強・研究してみたい人はぜひ覗いてみてください。

いっしょにハンバーグの世界を広げていきましょう。

 

 

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己書の「パラダイス昭和」と昭和の夏

 

名古屋の栄にあるテレビ塔周辺の地下は、

「セントラルパーク」という地下街になっている。

そのプロムナードを使って

「パラダイス昭和」というギャラリーが

7月3日まで開催されている。

主催は「日本己書道場」というところ。

 

「己書(おのれしょ)」というのは筆文字と絵を使って

自由に表現する書ということらしい。

その師範クラスの人たちが「昭和」をテーマにした

いろいろな作品を展示していている。

 

時間があまりなかったので、

通り掛けにチラッと見ただけだけだが、

これがなかなか面白かった。

無料で楽しめるので、もし機会があったらおすすめです。

 

「己書(おのれしょ)」のことは知らなかったが、

全国に道場があって幸座(講座)も開いている。

 

https://www.onoresho.jp/

 

それにしても、今や昭和は時代自体が

エンタメコンテンツになっている。

僕が子どもの頃は、エアコンがある家なんて

ほとんどなかったが、

扇風機や団扇があればそこそこ涼しく感じ、

それなりに夏を楽しく過ごせた。

 

やはり今よりも気温が低かったのか?

それともどこもボロい家なので

風通しが良かったからなのか?

 

いずれにしても気候も暮らし方も

すっかり変わっちゃったんだね。

現代はクーラーの効いた部屋で

「昔はよかった」「あの頃に戻りたい」と

昭和を懐かしむのが、至福の時間???

 

 

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川崎ビジネス

 

司法書士の方の本の代筆をすることになり、

取材で川崎へ行く。

 

川崎と言えば、川崎球場。

大洋ホエールズの本拠地である。

「巨人の星」の左門豊作もいた。

と言っても、なんやそれ?と首をかしげる人も多いだろう。

 

昔あったプロ野球チームだ。

缶詰めでおなじみのマルハ(現・マルハニチロ)が

親会社で、ユニフォームの肩のところには

マルの中に「は」の字の入ったロゴが燦然と輝いていた。

 

川崎球場には、スタンドで麻雀やってる観客がいるとか、

流しそうめんをやっている人がいたという

レジェンドがある。

球場で流しそうめんやりながら野球見物というのは、

何やら昭和の高度成長時代を象徴するような絵柄である。

 

川崎にはそういう猥雑というか、

大衆的な活気が似合う街だった。

工業地帯、労働者、酔っぱらい、ギャンブル、風俗、

生活破綻者・・・

 

そういえば川崎という街の名前を初めて知ったのは、

中学生くらいの頃、当時の人気アイドルが、

デビュー前、川崎の風俗店で働いていたという

スクープがすっぱ抜かれ、

大スキャンダルになったことからだ。

どういう顛末になったかは忘れてしまったが。

 

そんなわけで、川崎には

いまだにそういう昭和のイメージがまとわりついている。

東京と横浜の狭間の街、というのも損なポジションだ。

 

そして、かの大洋ホエールズも昭和が終わらないうちに

本拠地を横浜に移し、

横浜ベイスターズ➡横浜DeNAベイスターズ

になってしまった。

 

ついでにサッカーのヴェルディ川崎も、

いつの間にか東京ヴェルディになっていた。

 

アクセスの良さにも関わらず、

東京・横浜においしいとこどりされている川崎だが、

わがクライアントの司法書士氏は

「だから私はここで事務所を開いて成功できたんです」

という。

 

東京や横浜はおいしい場所なので競争が激しすぎる。

よほど優秀でなければ成功するのは難しい。

はざまにある川崎は、いわばビジネスの穴場。

何と言っても東京や横浜に比べて家賃が安い!

 

というわけで氏は20年以上にわたってこの地に根を張り、

ビジネスを展開してきた。

おかげで僕にも仕事が回って来た。

今までほとんど縁のなかった街だが、

これから大事に思おう。

 

昭和ダーティのイメージをまとった川崎だが

今はきれいに洗練され、治安もよく、

大都市にあっては全国屈指の犯罪率の低さを誇るという。

ヴェルディは東京に行っちゃったけど、

フロンターレ川崎がいる。

 

でも、それじゃなんだかつまんないけどなぁと、

昭和人としては思ったりもするが。

 


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「昭和96年の思い出ピクニック」のレビュー

 

毎日のように身近な芸能人や文化人の訃報を聞く。

今日はダチョウ倶楽部の上島竜兵さん。

ひとりひとりこの世を去っていくたびに、

昭和という時代がどんどん遠ざかっていくようだ。

 

政治家や企業家などの偉い人たちより、

芸能人や文化人の死にそうした感情を抱くのは、

やはり彼ら・彼女らが僕たちの暮らしの一部であり、

人生の夢や楽しさを与えてくれたからだ。

 

ブログでときどき昭和についてのエッセイを書いているが、

それを電子書籍としてまとめた第1集

「昭和96年の思い出ピクニック」(昨年発売)

http://www.amazon.co.jp/dp/B08WR79ZCR

の紹介文にはこんなことを書いた。

 

アイドル、マンガ、オカルト、オリンピック、

新聞配達、家族、そして戦争――

昭和には愛すべきもの、憎むべきもののすべてがあった。

2021年=令和3年=昭和96年になった今でも、

僕たちは昭和の物語から離れられない。

 

海を埋めたて、山を切り開き、

明日へ向かって進んだ果てに

見つけたものは何だったのか?

みんなが愛して憎んで生きた時代を

1960(昭和35)年生まれの著者が探検する

面白まじめエッセイ集。

 

この本にはこんなありがたいレビューをいただいている。

 

この本に出会えたのは電子書籍という世界だから。

これが仮に紙媒体で出版されていたら、

私は、おそらくそのコーナーにすら

近づくことはなかったと思う。

別に嫌だからとかではなく、

純粋に出会えるきっかけがないから。

内容はこの時代を生きた人の生の声。

熱さ寒さだけでなく匂いまで伝わってきそうな生きた声。

素敵だ。

電子書籍=副業か恋愛のような

偏った冊数の分布がある中で、

こんな電子書籍でしか表現できない本があるというのも、

kindleの魅力なんだなーと再認識した1冊である。

 

身に余る光栄。

これからも僕の書ける限りの昭和のお話を

後世に伝えていきたいと思っています。

 


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死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

 

去年の東京オリンピックの映像で「イマジン」が流れた時、

「またイマジンかよ。マンネリ~、芸なし~」と思った。

確認してないが、ブログにもそう書いたような気がする。

だけどあの感情は撤回する。

 

いま、インターネット上に

40年以上前にこの世を去った

ジョン・レノンが降臨している。

そんな錯覚にとらわれる。

僕たちの世代は無力さを自覚しつつ、

やっぱり「イマジン」を聴いて平和を祈るしかない。

 

今日、テレビでキーウ郊外のブチャの街の惨状を見て

震えあがった。

番組ではほんの数年前の同じ街の

平和で穏やかな風景も映し出した。

その日常の営みが完膚なきまでに叩き潰された。

 

こんなことを書くと、被災者の方にたいへん申し訳ないが、

阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも、

同様に街が破壊された惨状を映像で見た。

けれどもやはり違うのだ。

自然災害と人間の手による殺戮の現場とは。

 

あの街には案の定、

人間の醜さ・おぞましさの痕跡が記されていた。

自分がリアルにあの場所にいたら発狂しそうだ。

 

僕は戦争体験をしていないし、死ぬまでしたくないが、

親は昭和ひとケタ生まれなので子どもの頃してしまった。

僕は自分が子どもの頃、よくその話を聞かされた。

 

べつに強要はされなかったけど、

なんだかちゃんと聞くのが子どもの義務のように感じた。

これも一つの親孝行だとも思っていた。

 

亡父は軍需工場で働いていたが、

集合時間に遅刻したおかげで爆撃に遇わずに済んだという。

もし、もっとまじめにやってたら死んでたかも、

と笑っていた。

 

そんな父の話を思い出し5つほど書いて、

マンガやテレビやアイドルの話と一緒に、

「昭和96年の思い出ピクニック」というエッセイ集に収めた。

 

平和な時代にこんな話・・・と思っていたが、

とりあえず残しておいてよかったと思う。

もう僕に戦争の話を語る肉親はいない。

 

若い人も、本でも映画でも何でもいから、

やっぱり日本人が当事者になった

最後の戦争のことは知っていおいたほうがいいと思う。

自分が体験しないためにも、疑似体験が必要なのだ。

 

本当にあれが最後であることを祈る。

そして、いつも同じこと言ってるけど、

この戦争もどうにかして終わることを祈るばかりだ。

 

昭和96年の思い出ピクニック

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●死者との対話:父の昭和物語

●大空襲をすり抜けた父は

「生きてるだけでOK」

●父の話:ラッパ要員を兼ねて軍需工場に就職

●名古屋大空襲:

金のしゃちほこも燃えてまったがや

●父のメガネを借りて終戦を見る ほか

 


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昭和最強のおやつベビーラーメン

 

ブログ内で昨年来、大人気の

「トノサマラーメン」の記事には

やたらとコメントが入る。

昨日来ていたのは、こんなの。

推察するに、僕よりちょっと年上の人か。

 

“私の子供時代はインスタントラーメンといえば、

トノサマラーメンだったから良く食べていた、

そして生まれ育った地元には「松田食品」という

小さなインスタントラーメンの会社があって

大きな袋にインスタントラーメンの破片?

を詰めて売っていた。

後のベビースターラーメンである。

おやつとして毎日のように食べていたな。”

 

「松田食品」とは、

あの「ベビースターラーメン」を作っている

「おやつカンパニー」。

調べてみると、本社は三重県津市にある。

 

商品として発売されたのは1959(昭和34)年。

僕が生まれる前のことだ。

その頃の商品名は「ベビーラーメン」で、

中国人の女の子みたいな初代キャラが、

どんぶり持って「へい、おまち~」

といった感じのパッケージだった。

 

もちろん僕も子どもの頃、食べていた。

とういうか、大好物でかなりのヘビーユーザーだった。

チキンラーメンみたいに麵自体に味が付いてて、

めっちゃおいしかった。

小さな袋とは言え、子どものおやつとしては

十分ボリューミーで、おなかもふくれる。

しかも10円玉1個で買えるという

最高のコストパフォーマンス!

 

友だちと、あるいはひとりで、

あのクズみたいなラーメンを

指でつまんで、あるいは手のひらに広げて、

ポリポリかじるのは至福のひと時。

まさに昭和最強のおやつだった。

 

インスタントラーメンの破片から生まれたということは

テレビ番組だか何かで聞いたことがある。

そうか、地元では最初、

大きな袋に詰めて売っていたんだね。

 

「もったない精神」から誕生した

副産物がヒット商品になり、会社の顔になり、

ついに社名もそっちに合わせて変えてしまった。

アイディアは宝なり。

あなたや僕も仕事をやってて、

「こんなもの、いらねー」と

ポイ捨てしているモノや情報の中に

磨けば光るダイヤモンドの原石が紛れているかもしれない。

 

そういえば1か月ほど前だが、

義母とスーパーに行ったら

なぜか「ベビースターラーメン」が

ズラッと陳列してあった。

パッケージは2017年に3代目キャラクターに代わっていて、

「ホシオくん」というらしい。

 

義母がこのホシオくんを見て、

目をハートにして「かわいい、ほしい」と言うので

一袋買って帰ったが、

家に着くと「なにそれ?」と言って見向きもしない。

 

店内のレイアウトで素敵なものに見えたのだろう、。

認知症だし、よくあることなので

半分以上こうなることは織り込み済み。

 

というわけで自分で食べた。

さすがに子どもの頃のような感動はもう得られないが、

ストレスが上がってきたときに、

ポリポリかじるのにはいい。

柿の種みたいにピーナッツと混ぜて、

ビールのつまみにするという人もいるようだ。

気が向いたらまた食べよう。

 


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「あとしまつ」の時代を生きる

 

「大怪獣のあとしまつ」という映画が先週から公開されている。

最初に概要を見たとき、

すげえ題材に目を付けたな、と思った。

 

ヒーローが大怪獣を倒すが、

死体は消えてなくなるわけではない。

人間があとしまつをつけなくてはならない。

その顛末・奮闘劇を面白おかしく描く。

 

これはおいしい。

今まで誰もこんな話は作っていない。

それをこの令和4年にやる、というところにビビッときた。

 

「大怪獣」とは一種のメタファー(暗喩)である。

自分でもいろいろ書いているが、今やネット上には

昭和の振り返り情報――

政治や企業の栄枯盛衰から怪事件、怪人物、怪商品、

映画、音楽、マンガ、テレビ、アニメ、特撮、

芸能人あyスポーツ選手のスキャンダルなど

ーーがあふれかえっている。

 

大怪獣とは、後世に様々な影響を残した

戦後昭和という強烈な変動期のことであり、

終わって30年以上たった今、

僕たちは懐かしい、あの頃に帰りたいと

ブツブツつぶやきながら、

そのあとしまつに勤しんでいる、というわけだ。

なんだか残された家族が遺品整理をしているようである。

 

また、大怪獣とは災厄・災禍のメタファーでもある。

初代ゴジラが核兵器の化身だったように、

庵野監督のシン・ゴジラが東日本大震災の

イメージをまっとていたように、

人間が太刀打ちできない圧倒的なパワーの象徴として現れる。

 

なんとかそれを乗り切って生き延びても

そのあとしまつがまた大変だ。

東日本大震災ももう11年が経とうとしているのに、

原発の問題を始め、多くの傷跡が治療もされずに

置きざりにされたままだ。

 

そして今ならコロナ禍である。

オミクロンがピークアウトすれば、

コロナ禍は終わるかもしれないが、

喜んでばかりはいられない。

 

今度はコロナ禍で混乱し、取っ散らかってしまった社会の

後始末をどうつけるか、が大問題になるだろう。

これがけっこう心配だ。

いろんなところに想像もできないような歪が起き、

物理的な面・精神的な面、双方で

僕たちは何年も後始末に明け暮れるのではないか、

という気がする。

 

てなことをいろいろ考えて、「大怪獣のあとしまつ」、

そんなメタファーがふんだんに盛り込まれた、

それでいながら笑えるという、

すごい映画なのではないかと期待していたが、

ネットでチラ見してしまった評判は、あまり芳しくない。

 

あれこれ妄想を膨らませて夢を描いているだけのほうが

いい気がしてきた。

 


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トノサマラーメンとお寺の讃岐うどんのおいしい記憶

 

今年書いたブログ記事で最も反響が大きかったのは、

2月に書いた「トノサマラーメンと

名古屋インスタントラーメン戦国史」だった。

 

なぜ急にトノサマラーメンと松永くん

(トノサマラーメンを作っていた松永食品の社長の息子で、

僕の小学1・2年生の時のクラスメイト)を思い出したのか、

自分でもよくわからないが、書いたことはすべて事実である。

 

それにしてもこんなに大勢の人が

50年以上も前に潰れてしまった松永食品の

トノサマラーメンのことを憶えているなんて、

ちょっと感動してしまった。

 

おそらく反響をくださった方は、

若くても僕と同世代、おそらく大半はもっと先輩かと思うが、

それでもトノサマラーメンを食べたのは

小学生か、せいぜい中学生の頃だろう。

 

やっぱり子どもの頃、

何を食べたかの記憶は重要である。

それは確実にあなたという人間を形成する

血となり肉となり骨となっている。

 

先日もお寺の宿泊事業をサポートしている会社への取材で、

担当の女性に

「どうしてこの仕事に参加しようと思ったのですか?

何かお寺に関する思い出があるのですか?」

と聞いてみた。

 

すると彼女は、四国の出身で、

子どもの頃にお祭りで、みんなでお寺に集まって

うどんを食べたという幸福そうな思い出を語ってくれた。

 

僕には大人になった彼女とダブって、

ふうふう言いながら一生懸命

うどんをすすっている小さな女の子が見えた。

こういう瞬間が大好きである。

 

そんな何気ない記憶が、それから数十年たった

今の彼女の仕事につながっているなんて面白い。

今の彼女の一部はお寺のうどんでできているのだ。

 

毎日テレビやネットにあふれる

グルメ情報にはさして興味はないが、

誰が子どもの頃に何を食べたかの話は

グルメ情報の100倍面白い。

 

そんなわけでトノサマラーメンの思い出を

聴かせてくださった方も

ぜひそれを大切にして生きていってください。

 

続報を望む声も多いが、

なにしろ松永食品は50年以上も前に潰れてしまって、

あとかたもない。

 

いま情報を探るとしたら、

「しるこサンド」の松永製菓

(松永食品の同族会社で、こちらはちゃんと生き残っている)

に取材するついでに聴くしかないが、

今のところ、そうしたチャンスが巡ってくる気配は

にゃ~でかんわ。

松永製菓さん、宣伝するでよ、

社史の本とか、ウェブサイトとか、

何か仕事をご用命してちょ。

 


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東京メトロ永田町駅のトイレの美しさとカミさまのいる幸福

 

「今日こんなもの食べたよ」

とネットで発信する人はいっぱいいるのに、

「今日(おしりから)こんなもの出したよ」

と発信する人はあまりいない。

当たり前か。

でも「今日こんなトイレに入ったよ」ならいいだろう。

 

取材で永田町に行ったのだが、

東京メトロ永田町駅のトイレが

すごくきれいなのに感動した。

単純に新しいからだと思うが、

駅でこんなきれいなトイレに入ったのは初めてだ。

思わず清掃員の女性の方に「感動したっ!」

と言ってしまった。

 

最近、コロナで都内でもあまり出ていなかったのだが、

もしや東京メトロは全駅でトイレを

新設しているのだろうか?

それともこれは国政のお膝元の

永田町ならではの特別待遇なのだろうか?

 

いずれにしてもトイレがきれいなのはいいことだ。

おかげで仕事に対するテンションも上がった。

 

かつて昭和時代は鉄道駅のトイレと言えば、

くさい・汚い・危険の3Kトイレの代表格だった。

 

マンガ「おそ松くん」で

俳句を作る競争のエピソードがあって、

おそ松くんが「おトイレや 紙がないので 手でふいた」

という句を読んでいたが、笑いごとではない。

 

平成しか知らない若者には信じがたい話かもしれないが、

昭和の駅のトイレには紙がないのが普通だったのである。

 

出先でもよおして駅のトイレに飛び込んだら、

オーナイゴッド! ああ、カミさま~というわけ。

(表に自販機があって売ってたりもしていたが、

小銭がなければやっぱりアウトである)

 

これはとてつもない恐怖で、

いまだにトラウマとして抱えている人もいる。

 

平成になり、あの「カミさまのいない恐怖」

というストレスから解放され、

安心して駅のトイレに入れるだけでもありがたかった。

 

それはが令和になって、

東京メトロ永田町駅のように

美しいトイレに巡り会えるとは・・・。

カミ様に感謝しよう。

今日はウンの良い日だった。

 


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「生きていくなら仕事しなきゃあな」という本

 

高齢社会において「ノスタルジー」は巨大市場である。

だからこういう本は一定の需要があるに違いない。

昨年末にグラフィック社から発行された

「失われゆく仕事の図鑑」が面白い。

 

著者は永井良和、高野光平ほか、全部で8人。

年齢は平均すると僕とほぼ同じか、ちょっと若いくらい。

 

丁寧によく調べてある上に、

写真もたくさん載っている。

文章はそれぞれの実体験も書き込まれていて、

単なる解説でなく、エッセイ風に読めて面白い。

 

僕にとって、この本に載っている仕事の世界は、

かつてのアングラ演劇や

ATGみたいなマイナーな日本映画の世界とつながっている。

 

汲み取り屋、バスガール、流し、押し売り、活動弁士、

傷痍軍人、花売り娘、見世物小屋、三助、ダフ屋、

売血、キャバレーのホステス・・

 

僕が社会に出た頃――昭和の最後の10年間には、

もうこうした仕事はどんどんなくなりつつあって、

多くは、演劇や映画で教えてもらった。

舞台やスクリーンの中には、

こうした得体の知れない人間がうようよいた。

 

 

僕が10代から20代の頃、今から40~50年くらい前まで

人も機械も、きれいで清潔で正義といえない、

時にインチキで、まがまがしいことをやりながら

一生懸命生きていた。

 

そうしたことがひしひしと伝わってきて、

人間が愛おしくなる。

 

そして人間にとって仕事は何なのだろう?

これから先、人間にとって仕事は

どんな意味を持つようになるんだろう?

と改めて考える。

 

生きがい? きれいごとだ。

カネだけ? かもしれないけど、だとしたらさびしい。

 

僕もノスタルジー市場の一員になってしまっているが、

できたら若い衆にも読んでほしい。面白いよ。

 


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スーパースター西城秀樹メモリアル

 

2018年の今日、青山葬儀所で

昭和のスーパースターの葬儀が行われた。

僕はたまたま仕事で取材したので、

その時の思いを綴った3つのエッセイを電子書籍

「昭和96年の思い出ピクニック」に収録しています。

(ブログの記事をリライト・再構成)

 

・西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会

・西城秀樹さんのお葬式:女の涙は子どもと夢の人のために

・西城秀樹さん ラストステージの記憶

 

素晴らしいお葬式・・・と言うと、

語弊があるけど、最近の傾向を見ていると、

この先、大スターや著名人が亡くなっても

あんなに心に残るセレモニーは、

もう行われないかも知れない。

 

そういう意味ではとても貴重な体験をしたと思う。

 


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昭和28年を精神分析する妖怪小説

 

久しぶりに京極夏彦の妖怪小説を読んでいる。

古本屋であり、神道の祭司でもある京極堂と

薔薇十字探偵社の面々が活躍する、

このサイコミステリーは、

昭和28~29(1953~54)年あたりの時代を舞台に展開する。

 

その前年の昭和27(1952)年の

サンフランシスコ講和条約によって、

戦後7年間、日本を占領していたGHQは去り

(米軍基地は全国各地に残されたが)、

日本は国家としての主権を取り戻した。

 

しかし、まだその直後は、国全体が

独立した喜びよりも、頼ってた保護者をなくした

子どものような不安な心理状態のほうが勝っていた。

 

その不安心理が、妖怪という幻視となり、

恐ろしい殺人事件につながる。

京極堂妖怪小説シリーズは、

かの時代の精神分析を試みた作品だともいえる。

 

それは京極氏がデビューした、

平成が始まって間もない1990年代の平成初期、

そしてコロナ禍に見舞われた令和初期の現代と

共通する何かを持っているようだ。

 

作品の中には、昭和28年にはタブーだったと思われる

家族同士の相克・殺し合いの問題や、

ジェンダー問題などに切り込んだものもある。

 

今回のは京極堂の妹・敦子(雑誌記者)を主役に据え、

のっけから女学生らの河童をめぐる

可愛くてリズミカルなやりとりから始まる。

 

殺人事件の謎・人の心の暗闇を解き明かす

ミステリーであることに変わりはないが、

以前のヘヴィでダークななイメージと異なる

マイルド&ライトな感覚。

 

辞書みたいなぶ厚さだった旧シリーズと比べて

ボリュームも軽いので気楽に読める。

 

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昭和のバナナ預金

 

バナナを預金する。

そんな発想は現代人にはない。

昭和を語る僕にもない。

しかし、認知症患者の義母にはある。

 

昨日、近所の八百屋に一緒にいったら、

店頭にどっさりバナナが一山280円で売っていた。

Lサイズのでかいのが10本くらい。

よくスーパーで売っている「甘熟」系の

おいしそうなやつだ。

値段的にも量を考えたら大安売りである。

 

義母はそれを見て目をキラキラさせ、

「バナナたべたーい💛」と口走る。

記憶が刺激されるのだ。

彼女の目には安っぽい、

緑色のプラスチックのざるに盛られたバナナの山が

キラキラ輝く黄色いお宝の山に見える。

 

なぜかと言えば―ー

 

かつて、昭和40年代頃まで

バナナは高級フルーツで、

庶民にとっては高根の花だった。

現代の感覚で言えば、マスクメロンであり、

高級イチゴやシャインマスカットなどに匹敵するのだろう。

入院患者へのお見舞いのフルーツバスケットには

威風堂々、ど真ん中にありがたくドカッと鎮座していた、

らしい。

 

昭和40年代の子どもである僕にも今一つ、

「バナナ=高級品」という実感がないのだが、

まぁ今ほど頻繁に食べられなかったのは事実だ。

 

で、バナナLOVEの義母が

お喜びで食べるのかと思いきや、

いざ食卓に出すと手をつけない。

必ず「今は食べない」という。

 

ではいつ食べるのかというと、

永遠に食べない。

だって食べたらなくなってしまう。

そんなもったいないことはできない。

なので、紙にくるんで懐に入れ、

大事にタンスの奥にしまっておく。

言ってみれば「タンス預金」である。

 

しかし、そんな行動をとられてはたまらない。

2~3日後にはバナナはタンスの奥で

ドロドロに溶けている。

今の季節なら、あっという間に虫がわんさか湧いて

部屋がとんでもないことになってしまう。

 

お持ち帰りしようとするのを慌てて阻止し、

「これはちゃんとお義母さんのためにとっておきます」

と言って取り上げる。

ちょっと胸が痛むが、しばらく他のことをやっていると、

もうバナナのことなど忘れている。

視覚情報がなくなると、自然に記憶から抜け落ちるのだ。

執着心はないので助かる。

 

あとからカミさんに

バナナは薄くスライスしてヨーグルトなどに入れて

「加工」して出さないとだめだと言われた。

子ども時代から若い頃まで

滅多に食べられなかったバナナ。

甘くて栄養もあって、お腹も膨れるバナナを

昔の分までいっぱい食べてほしいと思うのだが、

どうもそんな僕の願いは、

義母の昭和精神にはそぐわないらしい。

 

一生消えないトラウマのような、

燦然と輝く高級フルーツ像を刻みつけたバナナ。

義母にはいつも昭和の心を学ばせてもらっている。

感謝を込めて、お残しした分は、僕がいただきます。

 

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おりべまこと脳内マップから繰り出す昭和ワールド1stアルバム。

昭和を知りたい、昭和を発見したい、昭和を振り返りたい、昭和ノスタルジーに浸りたい、この際、昭和と心中したい――

そんな人たちに贈るエッセイ集。

 


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大人になったちびまる子ちゃんと 還暦を超えて高齢化したサザエさんの「昭和の日」

 

今日は昭和の日である。

昭和生まれ祖たちの僕などは、いまだに

4月29日=天皇誕生日と、つい口走ってしまうのだが、

もちろん天皇誕生日は平成になってから12月23日に、

そして現在の2月23日に移行した。

 

昭和の日は2007(平成18)年から始まった。

じゃあその前の平成の17年間は何の日だったのか? 

と言えば、現在5月4日の「みどりの日」だった。

勝手に5日後にコンバートされてしまった

「みどりの日」っていったい・・・

という感じだが、要は大型連休を構成する一要素だから

名称は何でもいい、

というのが、国民の偽りない心情だろう。

 

祝日法によると、昭和の日は

「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、

国の将来に思いをいたす」と定められている。

 

一応ちゃんと意味はある。

 

二度の世界大戦。

連合軍(実質的には)アメリカにより占領時代もあった。

奇跡のような戦後復興と高度経済成長。

東京オリンピックも大阪万博もあった。

 

家電が普及し、生活が便利で快適なった。

テレビも普及し、みんなが娯楽と情報を得られるようになった。

マンガもアイドルも音楽も芸能ゴシップも、

楽しいことがいっぱい増えた。

 

その気になれば、確かに昭和は今を知り、

未来を考える素材・資産の宝庫だ。

 

いわば僕ら日本人のビッグデータの塊であり、

毎日ディープラーニングして、

いかに有効活用できるか、考える時代になっている。

それが未来をつくる仕事であり、

「国の将来に思いをいたす」ことでもある。

 

「いつまで続くのか?」という議論もあるようだが、

今の天皇陛下は昭和の真っただ中のお生まれということもあり、

おそらく令和の間は「昭和の日」はなくならない気がする。

 

それにしても、それまでの「みどりの日」を5月4日に移し、

4月29日は「昭和の日」にするという案が、

なんで生まれたのか?

 

施行が2007年からだから、

決まったのは2006年である。

2006年に、この改変にまつわることが何かあったのだろうか?

 

調べてみて思い当たったことがあった。

2006年はマンガ「ちびまる子ちゃん」の生誕20年、

「サザエさん」の生誕60年にあたる年だった。

 

成人を迎えたちびまる子ちゃん、

還暦を迎えたサザエさんが「昭和の日」を産んだ。

 

そんなわけない?

でも、あながちそうともいえない。

 

令和の日本は、大人になったちびまる子ちゃんたちと

還暦を超えて高齢化したサザエさんたちが

人口の大半を占め、動かしている。

ちびまる子ちゃんやサザエさんがまだまだ元気なうちは

「昭和の日」は終わらないだろう。

 

いずれにしても年に1日くらいは、

ノスタルジーに浸りたい人もいっぱいいると思うので、

年に1度のこの日くらいは思う存分、昭和を懐かしんで

「昔はよかった」だの、

「昔はああだった。こうだった」と

ゴタクを並べてもいいかもしれない。

 

ただし、そのノリで若い衆に説教なんぞすると

間違いなく馬鹿にされ、嫌われますよ。

 

エッセイ集「昭和96年の思い出ピクニック」/おりべまこと 

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アイドル、マンガ、オカルト、オリンピック、新聞配達、家族、そして戦争――昭和には愛すべきもの、憎むべきもののすべてがあった。

2021年=令和3年=昭和96年になった今でも、僕たちは昭和の物語から離れられない。海を埋めたて、山を切り開き、明日へ向かって進んだ果てに見つけたものは何だったのか?

みんなが愛して憎んで生きた時代を1960(昭和35)年生まれの著者が探検する面白まじめエッセイ集。ブログ「DAIHON屋のネタ帳」から30篇を厳選・リライト。

 

もくじ

・西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会

・ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?

・昭和オカルト大百科

・新聞少年絶滅?物語

・死者との対話:父の昭和物語

・社会全体の児童虐待と「晴れた空」

・東京ブラックホールⅡ:「老いた東京」は美しいか?

・さらばショーケン:カッコ悪いカッコよさを体現した1970年代のヒーロー

・さらば平成――みんなが昭和に帰りたがった30年

・永遠の昭和 明日のための1960年代・70年代   ほか

 

●アクセス

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人生百年時代の浦島伝説

 

のろまなカメがマッハのスピードで空を飛ぶ、

という大きなギャップは、かつての少年たちの夢を育んだ。

 

ゴジラと人気を二分した大映映画の怪獣ガメラは、

ひっこめた手足の穴からジェット噴射を出して

クルクル回転しながら空を飛ぶという離れ技、

さらにそのまま敵の怪獣に体当たりするという

神風特攻隊みたいな荒技で子どもたちを驚愕させた。

 

一方、昨日ご紹介したウルトラQ「育てよカメ」の

大亀ガメロンはそんな技など使わず、

ウルトラマンみたいに、というかオバQみたいに

背中に少年をひょいっと乗せて空を飛ぶ。

 

この「育てよカメ」は早い話、浦島太郎のパクリなのだが、

なぜか竜宮城は雲の上にあり、そこには乙姫らしき女の子が

ごく普通のワンピースを着てブランコに乗っている。

 

いったいどういう発想であんなシーンが出てきたのだろう?

お前が夢みる竜宮城なんて、じつはこんなもんだよ

――というアイロニーなのか?

 

人生百年という超高齢社会において、

浦島太郎の物語は、日本人、いや、世界中の人たちにとって

さまざまな示唆に富み、考察をするに値する重要な物語だ。

 

物語のラストは浦島太郎が玉手箱をあけたら

もくもくと煙が出てじいさんになって終わるが、

それをどうとらえるのかで、意味は変わってくる。

 

そもそもこの物語が今の形になったのはまだ明治時代のことだ。

これは僕の憶測だが、何と言っても富国強兵の時代。

いじめられているカメを助けるという人徳ある若者が、

一度、遊び惚けて飲んだくれて、

女に腑抜けにされてしまったら、

一生を棒に振ることになる。

そんな“ありがたーい人生訓”を盛り込んで、

日本男児たる者、そんな堕落の道に落ちぬよう自己を戒めよ――

という訓示に繋げようとしたのかも知れない。

 

しかし自己を戒めてどんないいことがあるのか?

それで幸福になるのか?

 

今の時代感覚から見ると、

カメを救うというちょっとした福祉をして感謝され、

飲んで食って楽しんで美人に愛されて一生過ごすなんて

こんなハッピーでサクセスフルな人生はない。

 

最後にじいさんになるのは人間、当たりまえの定めなのだから、

まさしく浦島太郎は人生の成功者と言えるではないか。

 

それにしても竜宮城にずっといればいいものを、

なんでまた浦島は故郷に帰りたいなんて思いに駆られたのか?

家族のことや村のことなど

放っておいて楽しみ続けることはできなかったのか?

 

玉手箱で太郎をじいさんにしてしまうのは、

裏切られた乙姫の復讐だったのか?

何もかも変わってしまった世界に絶望した

太郎に対する救済だったのか?

 

ところで浦島太郎がその後、どうなったのかは描かれていない。

明治から昭和にかけてはそれでおしまいだったかもしれないが、

人生百年時代のこれからは、じいさんになっても

ポジティブに生きていく浦島太郎の後日談が加わってもいい。

 

「昔はよかった」とか

「昔はこんなじゃなかった」なんてぼやくことなく、

浦島は荒野を目指して旅に出る。

 

まったく変わってしまった世界を

この目で見てやろうと世界の果てまで放浪する。

 

もしかしたらどこかの街で

人々に竜宮城の話をして喜ばれるかもしれない。

仙人や高僧だと持ち上げられて敬われるかもしれない。

また恋をして、

若い娘に惚れられてねんごろになることだってあり得る。

 

令和の世はそんなふうに浦島太郎の話を

つくり替えたってOKなのではがないだろうか。

 

それでは明日はこの続編で、

カメはなぜ浦島に助けられたのかと、

乙姫様が仕組んだ、女の陰謀のお話を一席。

 

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カネゴンは鳥を見た

 

現在、毎週月湯深夜にNHK-BSプレミアムで

「ウルトラQ」を放送している。

「ウルトラQ」は1966(昭和40)年にTBS系で放送された

円谷プロ制作の特撮ドラマで、

ウルトラシリーズの元祖となる作品だ。

 

日曜夜7時からの番組で、当時のファミリーが視聴対象。

怪獣が出てくるのでもちろん子供も大喜びだが、

中身は完全におとな向けのSF、ミステリー、ファンタジー。

僕は当時6歳で、

ものすごく怖くてとても一人では見られなかった。

 

同じように昭和の子供たちは、

毎週「ウルトラQ」によって

恐怖のどん底に落とされていただろう。

 

いま振り返ると、そこには子どもが

家族といっしょに怖いものを楽しめる

安心感・幸福感があった。

そういう意味でファミリー向けだったのだ。

 

ほとんどが大人っぽい内容だが、

3本だけ子どもが主人公のファンタジー物語があった。

それが「育てよカメ」「鳥を見た」「カネゴンの繭」である。

この3本のオープニング(エンディング)は、

あのこわーいテーマ曲でなく、

わんぱくマーチみたいな曲が使われていた。

 

「育てよカメ」は少年が飼っていた亀が突然巨大化して、

そいつに雲の上にある竜宮城みたいなところに

連れて行ってもらうというおとぎ話。

確かゆめ落ちだったのではないかと思う。

 

雲上の竜宮城にはブランコしかなくて、

乙姫様らしき女の子がやたらおきゃんで、小悪魔っぽかった。

 

「鳥を見た」も、少年が飼っていた小鳥が巨大化する物語。

こちらはコミカルではなく、芸術的な短編映画のようで、

「鳥を見た」というセリフがキーワードとして使われていた。

 

古代の怪鳥に変貌した友だちの鳥が

夕空の彼方へ去って行くのを見送る少年。

その後姿をバックにエンドロールが流れる。

話の内容は憶えてないが、

そんな詩情あふれる美しいラストシーンを見たのは

生まれて初めてだった。

 

「カネゴンの繭」はおなじみ人気怪獣カネゴンが

出てくる回である。

カネゴンはおカネ大好きなカネオ君という少年がある日、

不思議な繭に取り込まれ、

出てきたらカネゴンになっていたという話で、

言ってみればカフカの「変身」のパクリである。

 

そのカネゴンを人間に戻すために

友だちがあの手この手で知恵を絞ってがんばる。

表現はシュールでコミカルで現代批評だが、

基本構造は友情物語なのだ。

 

 

わが散歩道・善福寺川周辺にはカメも鳥もカネゴンもいる。

カメは基本的にこの先にある和田堀公園の池にお住まいだが、

ときどき川を上って出張してくる。

 

鳥はいっぱいいる。

春から夏にかけてはカワウやアオサギまでやってくる。

こいつらはなかなかの迫力で、

面構えはまさしく怪鳥だ。

 

そして今やこのあたりの名物となったオオタカも子育て中だ。

本当に時々だが、木の陰に白い体がちらっと見える。

 

そしてカネゴンがぞろぞろ歩いている。

僕を含めて「オオタカを見た」「カワウを見た」

「アオサギを見た」と騒いでいる。

 

人間の皮を被っているけど実はカネゴン。

カネゴンはいつもおカネを食べてないと生きていけない。

胸につけてるカウンターがゼロになったら死ぬ。

僕らも預金残高がゼロになったら・・・

いや、死なないで笑って生きよう。

カネはないけど心配するな、と。

 

庵野監督、ウルトラマンと仮面ライダーが終わったら、

今度は「シン・ウルトラQ]をお願いします。

 

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シェー!と麻丘めぐみと昭和歌舞伎

 

もしかしたら「昭和96年の思い出ピクニック」の表紙を見て、

今、60代半の人たちは、

子ども時代の自分を発見するかもしれない。

僕はそうだ。

 

「わたしの彼は左きき」の麻丘めぐみさんは、

僕より5歳くらい上だが、

子どもの頃、いちばん好きだったアイドルである。

 

デビュー当時から好きで、何枚かシングル盤を買った後、

正月のお年玉をはたいて

「さわやか」というタイトルのLPも買って聴いていた。

冒頭の「こんにちは、麻丘めぐみです」という

ごあいさつに始まり、曲の合間にいくつか

ナレーションが入っていたような覚えがある。

 

彼女のファンになった一因が

当時のアイドル雑誌「明星」か「平凡」に掲載されていた

彼女が小学生の時の写真である。

 

イヤミの真似をして「シェー!」をやっていて

それがめちゃくちゃかわいかったのだ。

 

コラムニストの泉麻人も

「シェー!の時代」という本を出していて

「おそ松くん」が読まれていた昭和30年代後半から

40年代のことを論考している。

 

最近はYモバイルのコマーシャルで片岡愛之助イヤミが

「シェー!」をやっていて、これも大好きだ。

 

「シェー!」は昭和のドタバタ感・カオス感を象徴する、

強烈なアイコンなのである。

 

かつて体験し、卒業したすごいカオスを、

あれは何だったのだろう? 

と、親も子も孫も、みんな総出で

整理整頓して秩序立てて理解しようとする――

そんな時代になっている。

それをしなくてはもう先へ進めない。

 

それにしても、イヤミは「シェー!」のポーズとともに、

デッパがトレードマークだったのに、

愛之助イヤミはなぜデッパじゃないのか?

 

メイクするにしても画像処理するにしても、

それくらいはできるはずなのに・・・。

 

いくら昔のキャラクターとはいえ、

現代に再現するにおいて、

身体の特徴をあげつらうのは差別につながる、

ということなのだろうか?

 

愛之助さんには一度、

「おそ松くん」や「バカボン」を題材にして、

SHOWA歌舞伎をやってほしい。

 

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もくじ

・西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会

・ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?

・昭和オカルト大百科

・新聞少年絶滅?物語

・死者との対話:父の昭和物語

・社会全体の児童虐待と「晴れた空」

・東京ブラックホールⅡ:「老いた東京」は美しいか?

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昭和96年の思い出ピクニック  無料キャンペーン

 

僕は戦争を知らない子ども、どころか、

高度経済成長期も知らない子どもだ。

にも関わらず、子どもの頃は軍歌の「同期の桜」を歌っていた。

 

いま思えば、ひどく悲しい歌だが、

その頃は「宇宙戦艦ヤマト」と同じノリで、

誰に強制されることなく、胸高鳴らせて歌っていたのだ。

 

それは捨てるべき価値観だけど、

どうしてそういう価値観が生まれ、

戦争を知らない子どもも持っていたのかは

知っておいたほうがいい。

 

未来を生きるために過去を知る。

令和を生きるため昭和を知る。

 

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もくじ

・西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会

・ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?

・昭和オカルト大百科

・新聞少年絶滅?物語

・死者との対話:父の昭和物語

・社会全体の児童虐待と「晴れた空」

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週末の懐メロ20:なごり雪/イルカ

 

3月は「なごり雪」の季節。

新しい季語まで生んだこの歌は、

僕が10代の頃からもう時代遅れな世界だった。

 

ロマンチックに感じて当時のガールフレンドと

真似事をしたことはある。

 

だけど、新幹線や特急列車が続々と

日本中を走る時代になり、

こんな別れのシーンは、1980年ごろには

古びた映画みたいなストーリーになっていた。

 

かぐや姫の伊勢正三が作り、

アルバムにひっそりと収められていた曲を

イルカがカバーして1975年に大ヒットさせ、

ほとんど彼女の代名詞になった。

 

子どもなのか、大人なのか、

女なのか、男なのか、

いまいち判然としない彼女が歌うことで

「なごり雪」は一つのファンタジーに昇華した。

 

いまや懐メロ中の懐メロ。カラオケの鉄板。

いろんな歌手がカバーしているので、

若い世代にもよく知られた人気曲になっている。

70代以下の日本人なら、

知らない人はいないと思われるくらいだ。

 

昨年の大みそかにテレビ東京の歌番組

(冒頭の徳光和夫さんのアナウンスから涙が出る)

で放送された、たぶん最新のイルカの映像。

 

いつまでたっても変わらないその風貌に

ずっと不思議な思いを抱いてきたが、

久しぶりに見て、ちょっとショックを受けた。

 

彼女も齢を取った。

時がゆけば幼い君も

大人になると気づかないままだったんだ、僕は。

 

独特の伸びやかな声は失われつつあり、

もう高い音を出すのが苦しそうだ。

けれども、それが新しい味付けになっているようにも聴こえる。

 

長年彼女が歌い続け、たくさんの人が愛して育ててきた名曲は、

この先、「ふるさと」や「赤とんぼ」のような

日本人の心の故郷の歌になっていくのだと思う。

 

おりべまことの エッセイ集

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●昭和69年の思い出ピクニック    ¥318

アイドル、家族、戦争・・・あの時代を面白まじめに考察する昭和エッセイ集。

 

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僕らの時代の妄想力         ¥311

ビートルズをはじめとする1960~70年代の音楽が好きな人たちに贈る音楽エッセイ種。

 

●子ども時間の深呼吸        ¥324

誰の心の中にもいる「子ども」に焦点を当てた子どもエッセイ種。

 

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昭和プロレタリアートの「出会いそして旅立ち」

 

「行くぜ、小田急で」

「え、オバQ?」

「ちゃうねん。小田急線で小田原まで」

「まあ、わたし、ロマンスカーで箱根まで行きたいわ」

 

20世紀レトロ感の漂うプロレタリアート風の男と女を描いた

巨大壁画レリーフ。

洋画家の宮永岳彦さん(1919~1987)の原画を

基に構成されたという。

この画家は小田急の特急ロマンスカー・SE(3000形)のカラーデザイン、

バーミリオンオレンジに白とグレーの塗装を考案した人でもある。

ロマンスカーの登場は1957年=昭和32年4月のこと。

 

それから62年後の一昨年3月末、小田急線の複々線化完成を記念して

下北沢の小田急線・井の頭線連絡通路に作られた。

 

久しぶりのリアル取材で小田原へ行ったのだが、

乗り換えで下北沢を利用したので

2年たって初めて気が付いたというわけ。

タイトルは「出会いそして旅立ち」。

 

作業着っぽい服を着た男と、スカーフを被った女の姿は、

何となく1957年=昭和32年当時の映画に出てくる、

ヒーロー・ヒロインを連想させるから?

戦後の復興の時代は

こういう若者たちが労働現場で日本を支えていたのだ。

ちょっとソ連とか、社会主義国っぽい?

 

「ロマンスカーは小田原には停まらないぜ」

「それに特急料金も払えないんでしょ」

「じゃあ小田原に行ったら名物・焼き蒲鉾を買ってやる」

「いや、わたし、箱根の温泉まんじゅうが食べたいの」

 

小田原にも箱根の温泉まんじゅうは売ってます。

はい、おみやげ。

 

昭和96年の思い出ピクニック」/おりべまこと

ASIN: B08WR79ZCR ¥318

アイドル、マンガ、オカルト、オリンピック、新聞配達、家族、そして戦争――

昭和には愛すべきもの、憎むべきもののすべてがあった。

2021年=令和3年=昭和96年になった今でも、僕たちは昭和の物語から離れられない。

海を埋めたて、山を切り開き、明日へ向かって進んだ果てに見つけたものは何だったのか?

みんなが愛して憎んで生きた時代を1960(昭和35)年生まれの著者が探検する面白まじめエッセイ集。ブログ「DAIHON屋のネタ帳」から30篇を厳選・リライト。

 

もくじ

・西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会

・ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?

・昭和オカルト大百科

・新聞少年絶滅?物語

・死者との対話:父の昭和物語

・社会全体の児童虐待と「晴れた空」

・東京ブラックホールⅡ:「老いた東京」は美しいか?

・さらばショーケン:カッコ悪いカッコよさを体現した1970年代のヒーロー

・さらば平成――みんなが昭和に帰りたがった30年

・永遠の昭和 明日のための1960年代・70年代   ほか

 

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育てよ令和 新しい時代の精神

 

今回、昭和をテーマにしたエッセイ集

「昭和96年の思い出ピクニック」を出したが、

編集・リライトしていて、

昭和が確実に遠ざかりつつあることを感じた。

 

「新しい元号になって3年くらいでその時代のトーンが決まる」

自分でそう書いていたが、

令和3年の今年、早めに昭和エッセイの本を出したのは

そうした思いと関連している。

 

平成時代はまだまだ昭和の影を愛しみ、

引きずりながら日本人は生活していた。

けれども、もうそこから抜け出そうという気配が

社会にひたひたと満ちてきたような気がする。

 

老齢の政治家や社会の上層部の人たちの頭の中は、

昭和前期の「(明治から続く)富国強兵国家思想」

「帝国主義・植民地政策思考」に偏っている。

 

世の中全体からみると、明らかにそれらの考え方が

陳腐化し、力を失っているのがわかる。

「鬼滅の刃」の鬼のように、

日の光に晒されてボロボロになって

消滅していくかのようだ。

 

少しずつではあるが前進している。

ジェンダー問題をはじめ、障がい者や外国人など、

マイノリティの人権に対する意識が遅れている日本だが、

令和のどこか、

たぶんひとケタのうちに必ず劇的に変わると思う。

そして人々のマインドと社会の常識が変わる。

テクノロジーやビジネスの変化よりそちらの方が重要だ。

 

昭和カルチャーは面白く愛おしいが、

それは時々、体を温める焚火とか暖炉とか囲炉のようなものだ。

それらのことをまとめて、また3年ほどしたら

「昭和99年の思い出ピクニック」を出そうかと思っている。

それまでに令和の時代の精神が

大きく成長しているといいなと願う。

 

「昭和96年の思い出ピクニック」/おりべまこと

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もくじ

・西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会

・ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?

・昭和オカルト大百科

・新聞少年絶滅?物語

・死者との対話:父の昭和物語

・社会全体の児童虐待と「晴れた空」

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誰でも電子書籍で自分の本が出せる

 

こういっちゃ何だけど、

電子書籍では誰でも本が出せる。

極端かも知れないけど、

スマホで撮った写真を適当に数十枚集めて載せて、

「〇〇特選写真集」として出したっていいわけだ。

 

AmazonKindleから内容の質を問われることはない。

問われるのは著作権。

要するに文章にしても写真にしても絵にしても、

どっかからパクってきたものじゃないかどうか。

これはちゃんと審査される。

 

僕のエッセイ集はブログに書いたものを

リライト・編集して出している。

 

ネット上でいったん公開したものなので、

昨年はアップしてから必ず一日、審査期間があり、

僕が本の著者と同一人物かどうか証明せよという

メールが来ていた。

 

それでブログのURLと掲載原稿の初出一覧を提出して

本人ですよと証明していたのだが、

今年になってから黙ってパスできるようになった。

 

昨年10冊出したので信用ができたということだろうか。

今回はアップしてから3時間程度で発行になった。

 

売れるか売れないかはともかく、

どんどん自分のコンテンツが増えていくのは

気分がいいものです。

文章でも写真でもイラストでもいいので、

あなたもぜひ自分の本づくりにチャレンジしてみてください。

意外と簡単にできますよ。

 

エッセイ集

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もくじ

・西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会

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AmazonKindle 新刊発売!  エッセイ集「昭和96年の思い出ピクニック」/おりべまこと

 

アイドル、マンガ、オカルト、オリンピック、新聞配達、

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もくじ

・西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会

・ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?

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池袋でふくろう時代を振り返る

 

昔から「いけふくろう」というのが池袋にいる。

それが近年、キャラクター展開されて、

大々的に「ふくろうの街」としてPRしている模様。

交番も地域を巡るコミュニティバスもふくろうだらけだ。

ホーホー。

 

月曜日の話だが、ちょっと用があって約1年ぶりに池袋へ行った。

18歳で上京したころ、

通っていた演劇学校が西池袋にあったので、

ここは東京におけるわが故郷のような街である。

そして、この街でかつて僕はフクロウだった。

ホーホー。

 

今でこそ早起きで、夜は11時を回ると

眠気に耐えられない体質になってしまったが、

かつては夜行性のフクロウ族で、

夜の池袋を飛び回っていたのだ。

ホーホー。

 

しかしこの日行ったのは、もちろん昼間。

しかも緊急事態宣言発令中。

サンシャインに続く東口はそこそこ人出があったが、

西口は閑散としていた。

 

その閑散とした中で

駅前の「コロナ感染に注意しましょう」という

親切なアナウンスと、

駅前繁華街の「客引きに注意しましょう」という

丁寧なアナウンスが混じり合って、

なんともいえない空気を醸し出していた。

 

そんな空気の中でブラブラしていたら、

この駅前繁華街

(昔はロマンス通りという名だったが、今は?)で

生まれて初めて水商売のバイトをやったことを思い出した。

 

地下1階のパブで、午後6時から11時半まで

黒服と蝶タイのウェイターをやっていた。

 

カネマツさんというあんまり水っぽくないマネージャーと、

ナガミさんという思い切り水っぽいサブマネ、

そしてキツネとタヌキのコンビみたいな女の子らと

一緒に働いていた。

 

ボトルキープ期限切れのウィスキーを1本に集めて

新品として出したり、

ミネラルウォーターの瓶に水道水を入れて200円で売っていた。

レーズンバターなるつまみをこの店で初めて見た。

渇きものでどれも1,000円くらいとってたような気がする。

けっこうインチキビジネス。

 

生演奏をするバンドが入っていて、

サンタナの「哀愁のヨーロッパ」

「ブラックマジックウーマン」や

プロコルハルムの「蒼い影」が十八番だった。

 

「蒼い影」になると、真ん中のホールでカップルが

チークダンスをしていた。

ヤクザのおっさんもよくきて凄みをきかせていた。

僕が休みの日だったけど、一度、暴れたことがあったらしい。

 

その時代の池袋には

まだ戦後のヤミ市の残滓みたいなものがあったのかもしれない。

汚くて野蛮な部分もあったけど、奇妙なぬくもりもあった。

昭和の体温とでもいうのだろうか。

ホーホー。

 

そういえば3年前に演劇学校の同窓会をやって、

やっぱり故郷・池袋はいいなぁと思ったが、

さすがに昔のように夜通し飲むという気分にはならなかった。

 

もう夜の街を飛び回ることもないのだろうけど、

池袋のフクロウには何だか親近感を感じる。

 

ちなみに、ただの駄洒落で「いけふくろう」

なのだろうと思ってたけど、

この近辺の雑司ヶ谷の森には

野生のフクロウだかミミズクだかがいるらしい。

しかも今でも。

本当だったら探索して鳴き声だけでも聞きたいものだ。

ホーホー。

 

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「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力」

 

ビートルズをきっかけにロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った時代.僕たちのイマジネーションは 音楽からどれだけの影響を受け、どんな変態を遂げたのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する、おりべまことの音楽エッセイ集。ブログ「DAIHON屋のネタ帳」より33編を厳選・リライト。

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もくじ

●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ヘイ・ジュード:ジョンとポールの別れの歌  ほか

 


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昭和人のマネして逃げたらアカン

 

若手の人気俳優が「ひき逃げ」で逮捕された。

誰もが思っただろう。

「逃げさえしなければ」

 

たった数分、事故現場を離れたことで

彼の人生は大きく狂ってしまった。

まだ若いし、きちんと詫びて許されて、

そのあと必死に頑張れば

、俳優の世界に帰って来られる可能性はある。

が、挽回するのは簡単ではなく、長い時間がかかる。

 

僕が不思議に思ったのは、

まだ23歳の彼が、事故ったときに

「逃げたら絶対にやばいことになる」

と思わなかったのだろうかということ。

 

将来を期待されていた人気俳優だから、

事故を起こしたせいで、

ここまでで手にしたものを失うのが怖い、

という気持ちはわかる。

 

けど、逃げればもっと大きなものを失うということを、

基本的価値観として、若い奴らは刷り込まれている、

と思っていた。

 

「しまった。やってしもうた。

でも、ここで逃げればバレないかも」と

脊髄反応するのは、僕らぐらいの昭和人だと思っていた。

 

昭和人は、正直、飲酒運転さえ大したことではないと、

いまだに思っているドライバーが多い。

かつて、コミュニティによっては、

飲んだら運転できないなんていう男は

弱虫の腰抜け呼ばわりされたものだ。

 

それに社会的地位や権力を持った者は、

ひき逃げや飲酒運転事故をやっても

裏から手をのばして罪を免れることができた、

という現実もあった。

それが昭和である。

 

交通事故の悲劇を繰り返さないために、

ひき逃げや飲酒運転、

ごく最近ではあおり運転の厳罰化が進んだわけで、

確実に社会は改善されているわけだが、

昭和の価値観に慣れた人たちの中には

「管理社会の強化」と解釈し、息苦しく感じて

「昔はよかった、おおらかだった」とつぶやく人もいるだろう。

 

そういう価値観はもう過去のものになった。

これは交通安全だけの話ではない。

 

僕たちは新しい価値観に慣れなくてはならない。

そして、変わらなくてはならない。

変えられない人は社会から退場するしかない。

 

それにしても若手俳優、なぜ逃げた?

自分の大事な将来を、

なんともったいないことをした。

 

 

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西城秀樹さん ラストステージの記憶

 

ユーライア・ヒープの「July Morning」、
キング・クリムゾンの「Epitaph」。
この2回、自分の好きなロックのことについて

書こうと思ったのに、なぜか西城秀樹さんの話になっていた。

 

たまたまネット上で音源を見つけたからだが、
彼がこれらの歌を歌っていたのをまったく知らなかったので、
本当に驚いてしまった。

 

そして、それが人気歌手が流行りに乗って
片手間で歌ってみました、という類のものではなく、
本気で取り組んでいたを感じて心動かされた。

 

本人はもちろんだが、
これはスタッフやバックミュージシャンも含めて、である。
西城秀樹という天才を中心に、

日本の大衆音楽を大きく育てていこう、
レベルを高くしていこうという熱いうねりが
当時はあったのだと感じる。

 

★情熱の嵐

僕は小学生から中学生の初め頃まで、
昭和の歌謡曲の世界にハマっていた。


ちなみに熱狂的な秀樹ファンである、
ちびまる子ちゃんのお姉ちゃんと同じくらいの世代である。

 

西城さんについては「情熱の嵐」「激しい恋」

「薔薇の鎖」などの振り付けが好きで、

よくマネして遊んでいた。

 

「情熱の嵐」では上着を脱いで

頭の上で振り回すアクションがあったが、
あれをマネして学校の休憩時間中、
振り回していた体操着が花瓶に当たって壊れ、
先生に怒られた記憶がある。

 

ただし、それっきり。
その後、特にファンだったわけでもないし、
レコードなどもを買わず、ライブに行ったこともない。

 

★2018年5月 青山葬儀所

けれども今回発見した「July Morning」や「Epitaph」の音源が
大阪球場や後楽園球場のライブだったことを知り、
2年前の5月、

青山葬儀所での西城さんのお葬式に行ったことを思い出した。

 

これもその時まで知らなかったが、
西城さんは1974年夏、日本人としては初めて
球場でライブをやったミュージシャンだったという。
それを記念して祭壇は大阪球場を模したものだった。
そこには「一生青春」の文字も刻まれていた。

 

日本の音楽シーンが活性化した

1970代後半から80年代、90年代にかけて
球場でライブをやることは、

そのミュージシャンがビッグになった証であり、
一つのステータスでもあったが、

その流れを作ったのも西城さんだった。

 

西城さんはさらに大きなミュージシャンとして

成長しようとしていた矢先、
病に倒れ、人生の後半は病気との闘い、リハビリの日々になった。

 

そして2018年4月の終わり、運命の日は来てしまった。

自宅で倒れ、意識不明のまま、翌5月半ばに帰らぬ人となった。

 

西城さんがアイドル、スターとして活躍した時間は、
トータルで見るとけっして長くない。
けれども凡人の何倍も濃密な時間を生きたのだと思う。
まさに太く短い人生だった。

 

葬儀が行われたのは亡くたって9日後。
僕はレギュラーワークの一つとして
葬儀・供養関連の専門誌のライターをやっているので、
その現場を取材する幸運に恵まれた。

 

 

★華やかであたたかいお葬式
式場には入らなかったが、
テレビ中継のスタッフや芸能記者たちに混ざって、
青山葬儀所内の別室にあるモニター画面で
告別式の一部始終を目にし、
野口五郎さんや郷ひろみさんらの弔辞を聴いていた。

 

告別式が終わり、真っ青なベールがかけられた棺が
真っ青な空のもとに運び出される。


黒いリムジンに乗せられた後、
MCの徳光和夫さんが集まった人たちに
「ヒデキ、ありがとうと言って送ってください」と呼びかける。

 

ファンかスタッフかわからないが最初に一人の男性が声を上げた。
「ヒデキ、ありがとう」
すると堰を切ったようにみんなが「ありがとう」と
ヒデキコールを繰り返し、火葬場へ向かうリムジンを見送った。

 

テレビやネットで観た人も多かったと思うが、
あれは本当に一世を風靡したスターらしい華やかで、
そしてあたたかいお葬式だった。

 

最後を締めた徳光さんの人柄や、
野口さん・郷さんの、あの時代の叙事詩を語るかのような
弔辞も影響しているが、
何よりもファンの、ここに来なくてはいられなかったという
思いの渦みたいなものが青山葬儀所を包み込んでいた。
(確か地方から旦那さんと泊りがけで来たという人もいた)

 

いま思えば、亡くなって10日足らずで
あれだけの規模・内容の式が出来たこと自体が奇跡のようだ。

 

企画・運営した人たちにも、
大スターの最後を飾る花道を作らなくては、
という使命感にも似た思いがあったのだろう。

 

今はがたとえ有名人が亡くなっても、
まず近親者だけで密葬をし、
あとからファンなどのためにお別れ会を開く――
といったパターンが多く、

それさえもないことも珍しくなくなった。

 

西城さんのご家族も、
気を遣わないで済む密葬(家族葬)で済ませ、
後日にお別れ会――という選択肢だって当然考えただろう。

 

しかし喪主である奥さんは、彼を支え応援してくれたファンと
悲しみを分かち合うのが義務と思ったのかも知れない。

 

また、病気を負った姿しか見ていない息子さんたちに、
父がいかに偉大なスターであり、ミュージシャンであったかを
胸に焼き付けてほしいという思いもあったのかも知れない。

 

★死してなお輝き続ける
青山葬儀所から出ていく西城さんの棺をその場で見送り、
ありがとう、さようならとコールを送った1万人の人たち。
その胸にも深い満足感と、
それまでの活躍の記憶がより深く刻み込まれただろう。


やはりテレビやネットで得られる、
効率の良い「情報」だけでは補えないものが
リアルな場にはあるのだ。

 

もしかしたら、いかなる昭和のスターでも、この先、
あんな華やかで、あたたかいお葬式はできないのでは・・・
とさえ思う。

 

ロックの話とすっかり離れてしまったが、
西城秀樹の歌は素晴らしい。
「July Morning」も「Epitaph」も、

その他、いろいろなジャンルの音楽を
自分のものして歌える才能は稀有なものではないか。

 

あの時代の音楽と、
それを糧にして育った日本人を語るに欠かせない存在して、
死してなお、西城秀樹は輝き続けるのかも知れない。

 

 

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7月の朝とユーライア・ヒープと西城秀樹

 

7月になると「7月の朝」を聴く。
ユーライア・ヒープの「July Morning」は
70年代ロック不動の名曲だ。

 

中学生1年生のある時期、僕にとって
ユーライア・ヒープは世界最高のロックバンドだった。

単純に他のバンドをあまり知らなかったからだが、
「ユーライア・ヒープを聴いたら、
ビートルズなんかたかったるくて聴いてられねぇよ」
とうそぶいていた。

 

どうしてそこまでユーライア・ヒープに
肩入れしたのかと言うと、
「7月の朝」がとんでもなく好きだったからだ。

 

1971年リリース、ヒープのサードアルバムにして
ロック史に燦然と輝く名盤「対自核(Look at Yourself)」の、
アナログレコードならA面3曲目。

 

隣に住んでた2年年上の先輩がロック好きで、
それまでディープ・パープルの「ハイウェイスター」などは
聴いていた(聴かされていた)が、
ハードロックってうるせえなぁという印象だった。

 

けれども「7月の朝」は全然違っていた。
何といっても哀調を帯びたメロディが美しい。
そして、それまで聴いたことがなかったドラマチックな曲構成。

前半のバラードから後半、
ギターとオルガンがうねりまくるクライマックスに
繋がっていくのだが、
その盛り上がり方がまた美しく、すべてが完璧だった。

音楽を聴いて鳥肌が立ったのは、たぶんこの時が初めてだった。

 

ユーライア・ヒープは、
もちろんメンバーチェンジをしているものの、
今まだ活動しているようだ。
そのブランドとしての生命力には拍手を送りたいが、
やはり頂点はこのサード・アルバムで、
過去の遺産で食っている感は否めない。

 

ネットの記事によっては
「レッド・ツェッペリンやディープ・パープルと並ぶ
イギリスのハードロックバンド・・・」なんて
紹介の仕方をしているところもあるが、
正直、かなり格下だと思う。
悪いけど、ツェッペリンと並べないでほしい。

 

それでも、僕が若かりし時期、
「世界最高のロックバンド」と信じたように
当時(1970年代)のヒープの、特に日本における名声は
相当なもので、
来日公演も果たし、熱狂的なファンも大勢いた。

その音楽性が歌謡ポップスとの親和性に富んでいて、

日本の音楽関係者もかなり影響を受けたようだ。

 

そのヒープの大名曲「7月の朝 July Morning」を、
かの昭和歌謡のアイドル・西城秀樹が
カバーしていたということを、
彼の死後(2018年5月)、知った。

 

昔はアイドルが「こういう歌も歌えるんだぜ」と
カッコつけてロックを歌っていると思って、
まともに聴こうとしなかったが、
改めて聴くとその歌唱力に圧倒される。

 

デビッド・バイロン(全盛期のヒープのヴォーカリスト)に劣らぬ
詩情と感情あふれる表現力。
日本語の訳詞も良い。
完全に自分のものにしている。これはすごい。

天国の秀樹さん、ごめんなさい。

 

西城秀樹は他にも、
リズム&ブルースからプログレまで歌いこなす
素晴らしい歌唱力を持っていた。
ヒデキ、カンゲキ!

 

その西城秀樹の歌手としての凄み、カッコよさ、
そして当時の熱狂的な人気ぶりを物語る
1980年・後楽園球場での「7月の朝」。

 

 

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昭和レトロの商店街と 平成以降の日本の大学の存在意義について

 

取材で横浜の東白楽にあるお寺を訪問。
このあたりは箱根駅伝で有名な神奈川大学があるエリアで、
普段はお隣の白楽駅と併せて
大勢の学生でにぎわうようです。

 

その神奈川大学、けっこう大きな敷地の大学なのですが、
住宅街の中にあって、見つけるのにけっこう苦労しました。

 

その学生さんご用達のお店が並ぶのが、
白楽駅から続く六角橋商店街。

ここではこれからの季節、
「ドッキリヤミ市」とか「商店街プロレス」などのイベントが

行われるらしい。
面白そう。

 

たしか同じ横浜の野毛の商店街でも、
大道芸祭が行われていると思いましたが、
横浜では商店街を盛り上げる企画が盛んなのでしょうか。

 

それにしても首都圏界隈では
なぜか大学近くの商店街は昭和レトロなところが多い。
大学生が賑わいを作るから、
昭和のままでもやっていけるのか?

 

それもあると思うけど、昭和と大学の親和性が高いのかも。

 

そもそも日本における大学が
昭和の時代までのものだったんじゃないの?
っていう気がします。

 

ぶっちゃけ、もうあんまり大学の存在意義ってない。

平成以降の大学って、就職あっせん所でしかないんじゃないか?

 

卒業して10年も20年もローンを
払い続けなくてはならないほどの
高い学費を払っていく価値がどれだけあるのか?

 

若者をスポイルするだけの施設になってないのか?

 

それよりも早く社会に出て、お金もらって勉強して
その傍ら、インターネット大学で勉強したほうが
よっぽど効率的だと思うのですが。

 

たぶん、これからそういう時代になると思います。
昭和レトロの商店街には元気に生き続けてほしいけど。

 

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永遠の昭和 明日のための60's~70's

 

★14歳の脳の地図

子どもの脳からおとなの脳への移行が完了する。
それが14歳。
だから人は人生を14歳の感性で生き続ける、という話があります。

 

僕は1960(昭和35)年の生まれなので、
10代がそのまま1970年代です。
14歳だったのは、1974(昭和49)年で、
この頃はロックばかり聴き、音楽雑誌を読み耽っていました。

 

だから脳がそのころ見聞きしたもので構築されている。
今日もレッド・ツェッペリンのライブを

聴きながら仕事しています。
最近はYouTubeでいろいろな音源が出ていて楽しめます。

 

1960~70年代のカルチャーをリアル体験していることは、
下の世代から見ると、すいぶんうらやましいことらしく。
平成生まれ・サブカル好きの息子などは
時々「親父はいいなぁ」と呟きつつ、
かの時代の小説や映画やマンガに現をぬかしたりしています。

 

★不滅の昭和イメージ

べつにノスタルジーな話をしよう、
個人的な思い出を語ろうというのではありません。

 

元号が平成から令和に代わって間もなく1年。
その前の昭和の時代、昭和の感性は
人々の心から遠ざかっていくのだろうと思っていましたが、
どうもそんな気配が感じられません。


それどころか、これからますます昭和の価値、
60's~70'sの価値が見直されるのではないかという気がします。

 

ブームが去り、それは文化になる。

 

他国についてはよくわかりませんが、
少なくとも日本において、
いわゆる昭和レトロに対する追憶と憧憬は、
一つの歴史を作ってしまいました。

 

大きなエポックは2008年に公開された
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」――
この映画自体が、西岸良平のノスタルジーを追う漫画が原作――

でした。

 

しかし僕の印象ではその前の、
20世紀末ごろからすでにブームは始まっていました。

 

おそらく1995(平成7)年の
阪神淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件、
そしてその後立て続けに起こった
神戸児童連続殺傷事件など一連の少年犯罪。
こうした社会を震撼させた事件の数々が、
人々の脳の奥に染み付き。
大きく影響しているのだと思います。

 

あのころから日本の社会全体が
不気味な色をした海を漂流しだした気がします。

 

★いいところをかき集めて

そこで多くの人たちの心のよりどころになったのが、
「イメージの中の昭和」でした。

 

「イメージの中の昭和」は、実際の昭和とは異なり、
戦前の20年間や最後の10年間ぐらいは範疇に入りません。

 

戦後の復興期からバブルが始まるまでの30年間――
だんだん豊かになってきたけど、まだそこかしこに
貧しさが残っていた時代を指します。

 

今から比べると、物質的・経済的な面でも、
社会制度的な面でも各段に貧しかった。

 

貧乏人はまだ多く、情報は少なく、人権意識は乏しく、
男尊女卑は激しく、障がい者はあからさまに差別され、
日常的に暴力や危険がはびこり、
古いしきたりで個人個人は可能性を縛られていた。

 

健康に関する面もひどく、新型コロナウィルスよりも
よほど恐ろしいコレラや赤痢などの感染症が数々あり、
公衆衛生もなっていなかった。

 

僕も子どものころに使っていた自宅のトイレ、学校のトイレ
(トイレと言うより便所と呼んだほうがふさわしい)、
駅や公園の便所などは、二度と使いたいと思いません。

 

社会は確実に良くなった。
少なくとも昭和に比べれば、安心で、安全で、便利で、快適に、
楽しく暮らせる社会になった・・・はずだった。

 

それなのに、どうして人々は昭和を愛おしむのか?
それもリアルタイムで体験している僕たちだけでなく、
映画やマンガや小説や音楽でしか知らない
平成の子どもたちまで。

 

もちろん、それはいいところのイメージのかけらを
かき集めているだけなんだけど。

 

★劇的な世界の変貌と僕たちの不安

新型コロナウィルスの蔓延によって、
世界は大きく変貌しようとしています。

 

少し以前からAI化・ロボット化社会への移行が
話題になっていましたが、
僕を含め、多くの人は
10年、20年かけて徐々に進むのだろうと
何となくイメージしていました。

そうでなければついていけない人々が大勢出るからです。

 

ところが、今回の新型コロナウィルスの世界的大流行。
これが大きなきっかけになって、
AI化・ロボット化は劇的に進捗する予感がします。

そうでなければ今後の経済活動がおぼつかないからです。

 

オフィスの仕事は在宅勤務、いわゆるテレワークが主体になる。
リアル店舗はAIの導入によって、

無人化・キャッシュレス化が進む。
飲食店の現場のサービスはロボットが主役になるかもしれない。

飲食や日用品以外――
ネットでは注文できない品物のリアル店舗は激減するでしょう。

 

ヨーロッパの社会から

キスやハグの習慣が消え去るとは思えないけど、
リアル空間におけるスキンシップ、

Face to Faceのコミュニケーションは、
かなりの割合でバーチャル空間におけるそれに

差し換えられるでしょう。
5年後、今ある街の風景は大きく変わっている可能性があります。

 

社会はますます安心で安全で便利で快適になるに違いありません。
けれどもそれと引き換えのように、
“かけがえのない何か大事なもの” が圧倒的に不足してゆく。

その不足のために、僕たちの中には日々、

小さな小さな、それこそウィルスのような微細な不安や恐怖、
ストレスが入り込んでくる。

 

拭っても拭っても、塵のような不安と恐怖とストレスが
毎日どんどん降り積もってくる。

それによって心を病む人、生きる自信を失う人も
ますます増えるかもしれません。

 

★昭和文化によるライフスタイルの補完

圧倒的に不足してゆく何か大事なもの、
僕たちのたましいを蝕むものの正体はいったい何なのか?

今のところ、僕にはよくわかりません。

 

ひとつ分かるのは、
イメージの中の昭和が、
そして、60's~70'sに生まれたカルチャーの数々が
圧倒的に不足してゆく何かを補ってくれるのではないか、
不安や恐怖やストレスを和らげたり、
治癒したりしてくれるのではないかということです。

 

AI化・ロボット化社会へ移行していく今後は、
昭和のあの時代に生まれ、育ったものが
人間の未来全体にどんな意味があるのか?
分析し、再発見し、解釈し、リメイクし、
新しいライフスタイルの中でどう生かしていくのか
考える時代になるなのでしょう。

 

昭和も、60's~70'sも一つの歴史になり、文化になった。
未来のために、あの時代、あの場所を心の地図として、
何度も見直すことになるのかも知れません。

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生涯現役 還暦新聞少年

 

新聞少年が活躍していたのはいつ頃までだったのだろう?

 

そんな疑問に駆られたのは、今日、近所の100円ショップの
セルフサッカーコーナーで、こんな注意書きを見たからです。

 

「新聞紙は陶器を買ったお客様が使うものです。
それ以外の方がお持ち帰りするのはご遠慮ください」

 

つまり、買ったお茶碗などを包む緩衝材代わりに
置いてあるに、タダだからと何枚も持って行っちゃう人が
大勢いるらしいのです。

 

気持ちはわかります。
新聞紙ってあるとけっこう便利。
割れた陶器やガラスなどを包むのにも使えるし、
食器の油汚れなども拭き取れる。
子どもの学校でも図画工作などの時間で
かなり用途があります。

 

しかし。


こんな100円ショップの古新聞を持ち帰っちゃうってことは、
今、家の中に日常的に新聞がある家庭、
すなわち、新聞を購読している家庭が
めっちゃ少なくなっていることの表れなのではないか。

 

そもそも新聞の目的は

ガラクタの包み紙でも、汚れ落としでも、

子どもの図画工作用でもない。
情報を得る、ニュースを読む、
社会で何が起きているのかを知るためのものでした。

 

テレビやラジオと共存していた時代は、
速報性では劣るが、より深くその情報を吟味・考察するためには
新聞は不可欠なツールであると、
僕たちは教えられてきました。

 

その常識がインターネットの普及によって崩されてしまった。

かくいう僕も、前の家に引っ越したタイミングで
購読をやめてしまったので、

もう14年前に新聞を読む習慣を失ったことになります。

 

新聞を毎日読んでいるということは、
一種の知的ステータスの部分もありましたが、
もはやそれもなくなった今
(というか、もう20年近く前からなくなりつつあった)
月に4000円だか5000円だかの購読料を払って読もうという人は
激減してしまったのです。

 

ということは新聞配達員も消えゆく職業。
調べてはいませんが、かつては街の中いたるところにあった
配達所はどんどんなくなっているのではないでしょうか?

 

昭和の時代、て新聞配達は少年や若者の仕事。
その職場である配達所は、そんな少年・若者のために、
まかないが出たり、住み込みで働かせてくれるところが
たくさんありました。

たぶん、団塊の世代の人などは
小中学生の頃にアルバイトでやっていたという人も

多いのではないかと思います。

 

僕が小学生の頃(昭和40年代)は、

そうした新聞少年が活躍していていた末期の時代かもしれません。

 

確かクラスで2~3人はやっていたし、
僕も夏休みなどにその友達を手伝って、
販売所で牛乳やジュースやお菓子をもらった記憶があります。

 

また、あまり経歴を問われないので、
わけありの経歴を持つ社会のはぐれ者たちが
集まってくる職場として、

小説や映画の舞台の一つにもよく使われました。

 

いまや絶滅の危機にさらされる販売所で仕事をするのは、
最近、年寄りばかりという話です。

還暦をとっくに過ぎた、かつての新聞少年たちが、

サケのように生まれ故郷に回帰しているんでしょうか。

 

どう考えても労働条件はあんまりよくないし、賃金も安いはず。
それでも元新聞少年たちにとっては、
若かりし頃が思い出せて、ありがたい職場なのかも。

 

こうやって現在の通販→宅配と同様、
わざわざ店まで買いに行くのでなく、
家まで配達してくれる底辺の労働者がいたから、
日本の新聞ビジネス、新聞文化は栄えてきたのでしょうね。


それにしても“生涯現役”というとカッコいいけど、
要は“死ぬまで働かなアカン”という時代がもう来ています。


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モスラが繭を作り、ギャオスが巣を張った東京タワーは、地方出身者にとって 愛すべき&憎むべき東京のシンボルなのだろうか?

 

●東京タワーの誕生日

12月23日は今年から天皇誕生日ではなくなったが、

依然として「東京タワーの日」であり続けている。

 

昨日、年に一度の東京タワー詣でに行った。

この足もとのお寺に、

10年前に亡くなった友達のお墓があるので、

毎年、12月の命日あたりに墓参りに来るのだ。

 

その友だちは50で死んだが、

東京タワーはもう還暦を過ぎた。

昭和33年(1958年)12月23日竣工。

61歳におなりだ。

 

後輩の東京スカイツリーに高さも人気も

追い越された感が強いが、

まだまだ引退というわけにはいかない。

 

●金の卵と東京タワー

前回の東京オリンピックの頃、

地方から集団就職で上京してきた「金の卵」たちにとって、

東京タワーは、いまだにかけがえのない

東京のシンボルであり続けているはずだ。

 

僕はさすがにその時代のことは知らないが、

バーチャルの世界で、東京タワーが多くの人にとって

いかに巨大な存在かを思い知らされた。

 

●神のモスラ、悪魔のギャオス

昭和の時代、映画の中でこの塔はモスラに繭を作られた。

平成の時代になると、今度はギャオスに巣を張られた。

 

いずれのシーンも、そのあまりの美しさが、

特撮映画ファン、怪獣映画ファンの間で、

令和になった今も語り草になっている。

 

他にも映画だかテレビの中で、

いろいろな怪獣の攻撃目標になっていた。

 

それら、人間社会にとっての破壊と

神とも悪魔ともつかない

モンスターにとっての誕生のシーンは、

この都市に限りない愛着と、果てしない憎悪という

二律背反の思いを抱く、

地方出身者たちの心の中を映し出しているように思う。

だから東京タワーは、

彼らが、僕らが生き続ける限り、

シンボルであり続けるのだ。

 

●東京タワーが抱かせてくれる幻想

少なくとも新参者で、まだ7歳のの東京スカイツリーに

そんな幻想を被せる人はあまりいないだろう。

積み上げられた時間の差、刻み込まれた歴史の差は

いかんとも埋めようがない。

 

僕も地方出身者なのでそう感じるのだろうか?

東京タワーに特に愛着があるわけではないけれど、

年に一度、ここを訪れるたびに、

そんな妄想に取りつかれてしまう。

 


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酒・タバコ、やめて100まで生きたバカ:2019シガーバー&愛煙家通信編

 

★JOKERはチェーンスモーカー

先日、「JOKER」について書いたが、

あの映画の舞台・ゴッサムシティは

明らかに1970年代のニューヨークをモデルにしている。

 

世界一繁栄を誇る、と同時に、

世界一荒廃したこの都市の

底辺生活者の代表でもある、

主人公アーサー、のちのJOKERは、

ひっきりなしにタバコを吸い続ける

チェーンスモーカーだ。

 

アメリカで猛烈な禁煙運動が起こるのは、

その後、80年代に入り、

レーガノミクスという経済政策

(アベノミクスのお手本)が始まってから。

 

1970年代までの喫煙習慣は、

世界中の近代国家で、

明らかに一つの屹立した文化を形作っていた。

昭和までの日本も、もちろんその例外ではない。

 

僕より上の年代の人たちの中には、

ごくまともでも、

アーサーみたいなチェーンスモーカーが

今でも大勢いるのではないかと思われる。

 

★2020世界の模範都市・東京のシガーバー

20世紀、近代国家が成長する過程で

創り上げられた、一つの喫煙文化は、

今、絶滅の危機に瀕している。

 

2020に向けて世界の模範都市になるために、

東京都はますます喫煙に厳しくなった。

弱小の飲食店にも圧力がかけられ、

2020年4月1日から従業員を雇っている店は原則禁煙となる。

都内の少なくとも約84%の店が禁煙になる見込みだと言う。

 

僕の友人がやっている神楽坂の店は、

1950~70年代の雰囲気を売りにしていて、

常連客の大半はスモーカー。

そしてご年輩の人も多い。

 

現在、昼間カフェ、夜はバーだが、

来年4月からは「シガーバー」として営業するようだ。

そうでなければ営業できなくなるのである。

 

完全分煙のために店を改装する費用が出せないのが理由だが、

もはや店内にはタバコの匂いが深く染み付いてしまっているので、

建て替えでもしなければ、煙草嫌いは寄ってこないだろうと言う。

 

「シガーバーも受動喫煙防止法の対象で禁煙になりますか?」

なんて笑い話みたいな質問がウェブ上に載ってたりして、

これはこれで混乱が起こりそうな気がする。

 

★愛煙家通信

 

“あるホテルのシガーバーで、おばさんに「タバコやめてくれませんか」と言われて大喧嘩になったことがある”

 

そう語るのは作家の北方謙三氏だ。

 

これは「愛煙家通信」というウェブサイトに載せられた

北方氏の投稿文の一部。、

 

この文章がめっぽう面白く、こんな一節もある。

 

“男というのはね、女が価値を認めないようなものを

大事にするものなんですよ。

煙になって消えて行くようなものの価値なんて、女にはわかりませんよ。

男なんて人生そのものが煙みたいなものだから、自分と重ね合わせて、

そういう消えて行くものの価値を大切にする。

ほとんどの女は絶対、煙になって消えようなんて思ってないですからね”

 

さすがハードボイルド作家。

人生における喫煙の意味、そして女には理解困難な、

喫煙に対する男の心情を見事に言い表した

含蓄のある言葉である。

 

こじつけ?

そう、タフガイらしい、そのこじつけ力が素晴らしい。

 

この「愛煙家通信」の投稿コーナーは、

「禁煙ファシズムにもの申す」と題され、

さまざまな著名人の意見やエッセイが載っている。

 

ちなみに杉浦日向子氏や上坂冬子氏など、

女性作家や学者なども寄稿している。

 

「たばこはわたしの6本目の指」なんて、

そそられるタイトルで書いているのは女優の淡路恵子氏。

こんな色っぽいことを囁かれたら、

夜のブラックホールに吸い込まれそうだ。

 

好き嫌い、良い悪いはともかく、

なぜ、20世紀の近代国家の成長段階で、

あれほど喫煙が持てはやされ、

一つの文化を7築いたのか、

歴史を知る意味でも

「愛煙家通信」は一読の価値があると思う。

 

★かつては愛煙家、じつは今も

僕はかれこれ20年近く前に25年間の喫煙習慣を捨てた人間だ。

心情的には喫煙者・禁煙者、双方の間を、

コウモリみたいに、どっちつかずで行ったり来たりしている。

 

だから性懲りもなく、毎年思いついたように

この「酒、タバコ、やめて100まで生きたバカ」という

シリーズを書き続けている。

 

それはやっぱり体はタバコを受け付けなくなったが、

心のどこかで、過去の自分を含め、

タバコを吸っていた人たちを愛していたいからだと思う。

早い話、ノスタルジーや思い出の世界。

変わりゆく世界への抵抗、なのかもしれない。

 

時々、あのまま吸い続けていたら、

今ごろどうなっていたか?と考える時もある。

 

もしかしたら今と変わらず元気でいるかもしれなし、

重大な健康障害に陥っていたかも知れない。

中年以降の人生は今とは違ったものになっていたかもしれない。

 

そんなこと、誰にもわからない。

自分にもわからない。

ただ、やめてしまったからこそ、

一つの世界、一つの文化として

却って興味をそそられる部分がある。

 

酒もタバコも人間の愚かしい習慣だと思う。

でも、その愚かしいストーリーがある世界から

たぶん一生離れられない。

  


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オス犬は令和の時代も片足を上げてオシッコをするのか?

 

今日、久しぶりに片足を上げて

電柱におしっこしている犬を見た。

何か心を打たれるものがあった。

なぜ心打たれたのか?

 

おお、ここにまだオスがいる。

ああ、ここにまだ昭和が残っている。

そう思ったからだ。

 

片足を上げておしっこするのは、

オス犬の所業である。

彼らはオシッコの匂いによって

「われ、ここにあり」と、

自分の存在の証を立てる。

 

それを近所の仲間らに知らしめるわけだ。

「ああ、今日ここを山田さんちの

ごっつい秋田犬のケンさんが訪れたのだ。

ケンさんは強くてかっこいいからな」と、

近所の仲間らは認識し、

ケンさんのところからなるべく離れたところで

「ここなら怒られないかな」と、

シャーっとするわけだ。

 

・・・というのはもはや昭和時代の話なのではないか?

いま、果たしてオス犬たちの間で

街中でこうした仁義を切る習慣は残っているのだろうか?

 

以前は飼犬の多くは番犬、もしくは猟犬の役割を担っていた。

なので野性の本能が残っており、

ゆえにおしっこマーキングの習慣も

当たり前のように続けられていたわけだ。

 

しかし時代は流れ、少なくとも街中にいる犬は、

ほとんどが愛玩犬になり、家の中で人間と一緒に

暮らすようになった。

 

よその犬と争うこともなく、

飼い主さんの言うことを聞いていれば

平和に穏やかに腹を減らせることもないオス犬が

片足を上げておしっこするのだろうか?

 

街中でそんなことをしたら、、

下品な犬、しつけがなってない犬と見られて、、

飼い主が恥ずかしい思いをするので、

子犬の頃からきちんとしつけられ、

おしっこも管理されるのではないだろうか?

 

そう言えば昔ロンドンで暮らしていた頃、

公園などを犬が散歩しているのをよく見たが、

片足上げておしっこしている犬は見たことなかった。

 

そもそも今の生活環境で、

わざわざマーキングして自分の存在を他の奴らに

誇示しなくてはいけない必然性などないように思える。

 

また、老犬になり、自分の体力の衰えを感じても

オスは頑張って片足おしっこするのだろうか?

 

さらにまた、イヌの仲間であるキツネやタヌキ、

先祖と言われるオオカミなども、

オスは片足上げておしっこして存在を誇示するのだろうか?

 

いろいろ疑問が広がるオス犬のおしっこ。

現在の新常識はどうなっているのk?

イヌの飼い主さんがいたら教えて下さい。

 


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オバQヒーリング

 

★オバケのQ太郎大全集

「ドラえもん」じゃなくて「オバQ」のファンである。

近所の高井戸図書館にはYA(ヤングアダルト)向けに

往年の名作漫画の全集が置いてあり、

ちょこちょこ「藤子・F・不二雄大全集」を借りて読んでいる。

 

この「オバケのQ太郎大全集」は確か12巻まであって、

少年サンデーに連載されていたものをはじめ、

小学館の学習雑誌などに載ってたもの網羅されている。

 

そんなに昔のマンガを読みたいとは思わないが、

「オバQ」と赤塚不二夫の「おそ松くん」は別格で、

いま読んでも面白いと思う。

 

★元気回復・食欲回復の特効薬

この間、胃腸の具合の悪くなった時、

なんとか仕事を済ませると、

布団にもぐりこんでオバQを読んでいた。

 

何といっても、おおらかで可愛くて、

ドラえもんにはない楽しさがある。

 

とくにQちゃんがちゃぶ台(この時代は普通)で

きちんと正座して、おいしそうに

ごはんをパクパク食べてる絵が最高である。

 

ラーメンという食べ物を初めて知ったのも、

ラーメン大好きキャラの小池さんに

出会ってからだ。

 

オバQを読んでたら、

ストレスがすーっと消えていって

元気を取り戻し、食欲が回復してくる。

 

そういえば、子どもの頃も病気をすると、

布団の中で「おそ松くん」と「オバQ」を読んでいた。

弱った時の回復マニュアルは変わらない。

 

★トキワ荘コンプレックス

この全集には、僕が読んでない話

(1960年代半ばごろのサンデー掲載分)も結構多い。

というか、よく考えたら

テレビアニメは毎週見てたけど、

雑誌の原作の方はあんまり読んでいなかった。

 

古い絵柄を見ていると、相棒の藤子不二雄Aさん、

加えて、トキワ荘の仲間だった石ノ森章太郎さんや

赤塚不二夫さんのテイストも混じってて、

懐かしくて賑やかで、妙に新鮮だ。

 

★「女学生の友」の「オバケのP子日記」

それから番外編として「オバケのP子日記」も

載っている。

こちらはQ太郎の妹のP子ちゃんが主人公だ。

 

小学館が出していた「女学生の友」という雑誌に

連載されていて、これは中高生の女の子が読者だった。

P子ちゃんが界外留学(オバケ界➔人間界)で

ホームステイするのが、その中高生と思しき

ユカリちゃんという女の子の家。

 

ユカリちゃんはおっちょこちょいでトボケてて、

夢見る少女という、なかなか可愛くて魅力的な

キャラクターだ。

 

幼稚園・小学生相手のオバQと比べて

話題がちょっと大人っぽく(?)、

恋愛やらダイエットやら留学のことなどで

悩んでいるユカリちゃんを見て、

P子ちゃんが助けよう、お手伝いしようと

奮闘する筋立てだ。

 

これは初めて読んだのでひどく新鮮だった。

そして、女性の関心は今も昔も変わらないのと、

読んでいた女学生の多く(1966年頃の掲載)は

そろそろばあちゃんになるんだなと思うと、

妙に感慨深いものがあった。

 


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千葉大停電と原発モンスターの歴史から、 電力自前調達・地域調達の必要性を考える

 

★成熟して腐り始めた電力産業

頭の中で、今月の関西電力⇔高浜町の元助役と、

先月の千葉の大停電と、8年前の3・11、

福島第一原発の事故が、グルグルとリンクしている。

 

僕たちの生活を豊かに、便利にしてくれる

電気というエネルギーの歴史は、

まだ150年に満たない。

社会のインフラとして欠かせない存在になったのは、

せいぜい戦後から。

この70年ちょっとのことだろう。

 

何でもそうだが、その技術・産業が誕生し、

成長する過程では、人は感動を持って見つめ、

恩恵を感じ、その成長・成熟を祝う。

 

しかしいったん産業として成熟し、

あって当たり前のものとなり、

大規模ビジネス化してくると、

その裏でいろんな負のドラマが生まれる。

 

★元助役の調脅し文句と、電力会社の罪悪感

関西電力と元助役の、歪んだ、醜悪な関係は

その象徴的なものだ。

 

金品を贈り続け、拒めば

「お前の家にダンプを突っ込ませる」

「娘がどうなってもいいんだな」なんて、

 

今時、ヤクザでも口にしない、

ほとんど昭和の劇画みたいな脅し文句が出たという。

 

そんなセリフを吐き、金をつかませたのは、

「俺たちはいつまでも一蓮托生、運命共同体。

裏切るなよ」

とでも表現したかったからなのか。

 

その劇画調のセリフは役員らの胸にいたく響いた。

負い目というか、罪悪感があるからだ。

「モンスターを住まわせてもらっている」

という潜在的な罪悪感。

 

両者の関係を結ぶのは、モンスター――原発だ。

元助役は原発誘致の中心人物だった。

大クライアントと業者の関係。

 

そして町の人たちにとっては、

原発マネーで町をお金持ちにしてくれた功労者。

いわば地元の英雄的存在だ。

 

★昭和の貧しさを救った原発誘致と、平成の原発事故の衝撃

そんな立場にあった人が晩節を迎えた時期、

8年前の東日本大震災における

福島第一原発の事故、

そしてその後、ゴーストタウン化してしまった

双葉町の惨状を見て、

いったい何を思っていたのだろうか?

 

半世紀間の裕福な暮らしと引き換えに、

故郷を失ってしまった人たちの気持ちを

どう捉えたのだろうか?

 

昭和の経済成長時代、原発は必要悪と言われた。

双葉町や高浜町のような地域は、

日本中、原発の数だけある。

 

そしておそらく、そのすべてが

原発建設前は、人口密度の低い辺境で、

とても貧しい地域だった。

 

危険であることはわかっていた。

けれども見返りは大きい。

 

貧しさから脱したい、豊かになりたい。

「安全だよ」という電力会社の言葉、

国の言葉を信じよう。

もう信じるしかない。

 

貧しさから脱するために原発を招き入れた。

原発マネーで街づくりが行われ、

人々は裕福になり、めでたし、めでたしとなった。

 

昭和の時代はそれでよかった。

誰もそれを非難はできない。

けれどもスト―リーは続く。

 

3・11で時代が一気に変ってしまった。

多くの日本人の心はもう原発から離れている。

もはや原発の役割は終わっている。

 

★新しい電力とのつきあい方

それとともに大手電力会社の役割も

これからゆっくりと終わっていくのではないかと思う。

 

あの千葉の大停電の状態を見ると、

電気の供給を大手電力会社のみに頼るのは

あまりにリスクが高い。

 

ソーラーなど自然発電の技術が上がっており、

ベンチャーの小さな電力会社も起業している。

 

だから災害のような非常時には、

各家庭・個人レベルでも、当面必要な電気を、

自前で調達できるようなシステムを

作らないと駄目なのではないだろうか。

 

たとえば自宅、集合住宅にはすべて

ソーラーパネルの設置と簡単な発電装置を

義務付けるとか、

 

あるいは地域の公共施設などに発電装置を設けて、

生活に必要な分の電気くらいは、いつでもそこで充電できるとか。

 

そういうことでもしないと、

盛んに喧伝されているスマート社会など、

絵に描いたモチである。

 

何でもかんでも電気で動く社会だからこそ、

150年の「歴史を踏まえて、

電気というエネルギー、

そのお世話になる生活のことを

丁寧に考えていかなくては、と思う。

 

関西電力の問題がそんなことを考えさせてくれた。

 


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純情ストーカー男と純心DV願望女の昭和歌謡

 

昭和歌謡にはストーカーするする男と、

DVしてして女が登場する。

 

前者の代表は坂本九の「明日があるさ」、

後者の代表は奥村チヨの「恋の奴隷」か。

 

高井戸図書館にはCDも置いてあるので、

歌好きな義母のために2枚ほど借りてきた。

 

耳が悪いので、そのまま聴こうとすると、

近所迷惑な大音量にしなくてはいけないので、

ヘッドホンで聴いてもらう。

 

全30曲、義母はノリノリで声を出して歌いまくる。

同じ家にいる僕としては、ちとうるさいなと思うが、

これくらいなら近所迷惑にならないからいいかとガマン。

 

認知症なのだが、若い頃に聴いた歌は

脳のどこかにこびりついていて、

心地よい世界にトリップできるようだ。

 

それにしても、義母が歌うと歌詞が気になる。

「明日があるさ」も「恋の奴隷」も大ヒット曲だが、

現代なら発禁になりそうな内容だ。

 

しかし、明るいメロディーと

歌い手の九ちゃんのキャラクターも相まって、

「明日があるさ」の主人公のストーカーまがいの行為は、

愛すべき純情男の、片思いの表現とされていた。

 

そして、子犬のように膝に絡みついたり、

「悪い時はどうぞぶって」と言う「恋の奴隷」の女は、

男にとってはたまらなく可愛い純心女だった。

 

もちろん当時は、ストーカーや

ドメスティックバイオレンスなんて言葉自体、

存在してなかったし、

流行歌や作詞家が悪いわけでもない。

 

けど、子どもの虐待が頻発し、

その原因の一つに、男の女に対するDV、

支配構造があると聞くと、

やっぱり気分が落ち着かなくなる。

 

僕も子どもや若い時分には、人生の先輩たちに

「女ってのはちょっとくらい殴って、言うこと聞かせなきゃだめだ」

なんてことをよく言われた。

 

半ば冗談であったり、子ども・若造の前で

男気を見せようという意識がはたらいて、

そんなセリフになったんだろう。

ただ、やっぱり昭和はまだ男が威張れた時代、

言い換えれば甘やかさていれた時代だったんだなと思う。

 

人間は感情で動く生き物だ。

理屈は感情で行動した後の言い訳・後付けに過ぎない。

歌は感情に深く訴えかけるからこそ、

認知症になった義母も憶えている。

 

男尊女卑(とあえて言う)の時代の空気を取り込んだ

昭和歌謡に親しんできた世代の人たちが、

セクハラやパワハラという概念に理解を示し、

現代の考え方に順応していくのは、

それだけですごいことなんじゃないかな。

 

けど、その遺伝子を引き継いでしまった若い人たちが、

まだまだ大勢いるようだ。

 

余談だが、「恋の奴隷」を歌った奥村チヨさんは

昨年、71歳で引退したそうだ。

「恋の奴隷」(改めて見るとすごいタイトル!)が

リリースされたのは1969(昭和43)年。

彼女は22歳だったが、あの歌詞には抵抗があった、

とコメントしていた。

 

けど、「わたしを奴隷にして」と歌うことで、

当時の男の心を虜にしたんだよね~。

 


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令和元年阿佐ヶ谷七夕祭り

 

義母を連れて阿佐ヶ谷の七夕祭りへ。

朝早めに行ったので、まだそんなに混雑してなくて、

ゆっくりとお散歩できた。

 

面白かったのが、昭和29年からの過去65年の写真展。

昭和30年(第2回)は時計屋やワイシャツ・ネクタイなどが

飾りになっていて、

なんとなく「高度経済成長」「モーレツ社員」といった

キーワードが思い浮かぶ。

 

お気に入りだったのは昭和55年の

不二家のペコちゃん・ポコちゃんの織姫・彦星。

 

この頃からキャラクターのハリボテが増えたのか、

平成以降はすっかりアニメキャラ中心になっている。

 

たったこれだけの写真でも時代の流れがわかるものだ。

 

義母は露店で売っているものを目にして、

「あれ食べたい」「あれ買いたい」と

子どもみたいに言うので、

ターキーレッグやわらび餅など、

いろいろお土産を買って帰った。

 

家に帰って、昼食用に食卓に広げる。

「これお母さんが欲しいと言ったから買ったんだよ」

と言うと、

「そんなこと言ったっけ?」

というオトボケぶり。

ってか、もうすっかり忘れてる。

 

で、撮った写真を見せると、

「わーすごい」「わーきれい」などと喜んでいる。

 

「今度は高円寺の阿波踊りに行きましょう」

というと、

「わー、連れてってくれるの。うれしい!」

 

いちおう、喜んでくれたり、楽しみにしてくれたりするので

いいんあだろうなぁ。

それもまた、ちょっと後には忘れてるんだろうけど。

 


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田町駅のペディストリアンデッキの鳩

 

「鳩がクソを垂れて飛び立つ」

 

これは平成の終わりとともに逝った名優、

ショーケンこと萩原健一の代表作

「傷だらけの天使」の第1話の冒頭にあるト書きだ。

あの名作はこの1行から始まった。

 

この脚本を書いた故・市川森一氏は

「傷だらけの天使とは何だったのか?」と回想した際、

自分で書いたこのト書きに,

その答えを発見した、と語っていた。

 

「鳩=平和のシンボル。

 傷だらけの天使とは、1970年代の平和と繁栄の“クソ”だったのだ」

 

今日、仕事(三田の方で取材があった)で

久しぶりに田町駅で降りたら、

三田方面に向かうペディストリアンデッキの手すりの上に、

あまり美しくない鳩がズラリと居並んでいた。

 

女の人などは、汚いものを見るようにイヤ~な顔をして通り過ぎていく。

 

鳩が平和のシンボルだと言われても、

今や「?」の人が多いのではないか。

僕たちは平和にも繁栄にも慣れ切ってしまっている。

 

でも、巨大なビルが立ち並び、

あまり人が始終行き交う大都会の真ん中で、

僕たちのようにあまり美しくもなく、強くもなく、特別でもなく、

もちろん偉大でもない、平々凡々とした鳩たちが、

わやわや集まって仲良く生きている光景を見たら、

やっぱり平和とはいいものだよなと思った。

PEACE。

 


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葬儀・供養に関する「昭和システム」の呪縛

 

つましい生活をしていた高齢者が亡くなってみたら、何千万円ものタンス預金を残していて、びっくり! ――という話をよく聞く。

なんで?

そんなにお金があるんなら、貧乏に甘んじず、もっと裕福に暮らせたろうに・・・と思っていたが、今回、義父の死に触れて「そりゃ当然だな」と納得してしまった。

 

お葬式をするのも、お寺さんにお経を唱えてもらって戒名をいただくのも、納骨してお墓を建てるのも、従来の、いわゆる「昭和システム」にのっとってやっていたら、いくらお金があっても足りない。

あっという間に数百万、ちょっと見栄を張ったら1千万くらいすぐに使ってしまう、と思う。

 

これに前後の医療費やケアのお金を入れれば、そりゃたしかに何千万円も持ってなきゃ、安心して老後を暮らせないし、安らかに眠ることもできない。

 

けっして日本の仏教文化、葬儀供養の文化を軽んじるわけではないが、「昭和システム」の葬儀供養を遂行するのは、今や、よほどのお金持ちでなければ無理である。

 

「無理をしてでもやるべきだ」という宗教心の厚い人、伝統的な習慣を重んじる人の意見もあると思う。

否定するつもりはない。

 

ただ、伝統的な習慣と言っても、みんながこれだけお金の掛かる供養葬儀をやるようになったのは、高度経済成長時代からだ。

 

現代のように、広く自由に情報が飛び交う時代ではなかったので、業者などに「そういうものだ」と言われれば、「そういうものか」と選択肢もなく、無理をしてでもそうせざるを得なかった面もあるだろう。

 

要は一般庶民にも裕福な人が大勢増えて、昔の武士階級・貴族階級・地域の名士など、社会的地位の高い人たちの真似をしたくなっただけではないのだろうか。

 

現代はお葬式にしても、お墓にしても、供養の仕方にしても、多様な選択肢がたくさんある。

無理なく、納得でき、大事な人を心から偲べるやり方は、いくらでも自分たちで創ることができる。

 

盛大なお葬式をして、りっぱなお墓を立てて、遺された家族がみんなハッピーになれるなら、それでいい。

 

けれどもそうでなく、精神的にも経済的にも負担が増えるばかりで、心から偲ぶこともままならないリスクを背負いそうなら、昭和の習慣の呪縛から自由になったほうがいい。

 


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さらば平成――みんなが昭和に帰りたがった30年

 

平成もいよいよ残り1週間ということで、家族で「平成の最高傑作映画」は何か、議論した。

ギロンと言うと大げさだけど、ま、めしの時に話してたわけです。

「平成の」と冠詞が付いているので、邦画限定。

 

僕としては岩井俊二監督や是枝裕和監督の作品を選びたいところだが、クオリティの高さにも関わらず、このお二人の映画はあまり一般受けしているとは言い難い。

 

そこで選んだのは「ALWAYS 三丁目の夕日」である。

選んだと言っても僕とカミさんと息子の3人の意見が一致しただけです。

あとはアニメ部門として、ジブリの「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」。

 

興行収入の面から見ても「ALWAYS 三丁目の夕日」は、トップクラスだと思う。

そして、そこから平成とはどういう時代だったのか、時代精神が見えてくる。

 

「昭和に帰りたい」

 

これこそが平成の本質だったのではないか。

あくまで僕の印象だが、平成前期、日本人の心は荒れに荒れた。

 

バブル経済から始まり、あっという間にそれが崩壊。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と胴上げされて宙に舞ったと持ったら、ドカンと落されて愕然としているところに、

阪神淡路大震災。

続いて、自分たちの妄想を現実にしてしまおうとする、

オウム真理教の地下鉄サリン事件が起きた。

 

さらに続いて神戸の連続児童殺人事件など、子どもの妄想狂の不可解な犯罪、

精神がイカれてしまったような連中の、

あたかもホラー映画のような殺人事件が頻発し、

それまでとはまったく違った社会が始まってしまった。

 

そして、経済の落ち込みがそれに拍車をかけた。

 

大勢の人がその地殻変動に恐れ戦き、

ああ、昭和はあんなに幸せだったのに・・・と過去を美化した。

 

昭和だって不可解な事件は山ほどあったはずだが、

情報化が進んでなかったせいで

表に出てこなかっただけだと思う。

あるいは隠ぺいされていたか。

 

いま振りければ、社会全体が格段に貧乏(ビンボーだけど幸せだよねなんて言ってる余裕のある人は、本当の貧乏人ではない)だったし、差別もセクハラもパワハラも横行していたし、人権だってないがしろにされていた。

 

昔が良かったはずはない。

 

けれども、いやなこと・ダメだったことに目を瞑り、

いいこと・楽しかったことだけをかき集めて貼り合わせ、

心の中に「懐かしい、ハッピーだった昭和」を築いた。

 

そうしなければ、みんなの精神のバランスが崩れてしまっていたかもしれない。

 

「みんなが昭和に帰りたがった時代」というのがあまりに後ろ向きというなら、

「みんが昭和とは何だったんだろう?と検証した時代」と言い換えてもいいかもしれない。

 

文化的にも新しいものは生まれず、昭和生まれの文化の焼き直しが目立った。

 

平成生まれの、うちの息子のような若い連中も

昭和文化の方が圧倒的に面白いと言う。

 

最近はネットのアーカイブの発達・充実で、

いつの時代のものも見放題・研究し放題。

彼は僕より昭和カルチャーについて詳しいくらいだ。

 

だけど、そんな30年に及ぶ流れも令和になったら終わる。

たかが元号が変わるだけだけど、この国において言霊は強力だ。

 

もう十分に検証も終わって、来年のオリンピック・パラリンピックを境に、昭和は彼方に遠去かっていくだろう。

 

さらば平成、さらば愛しき昭和よ。

いったいこれからどうなってしまうのか?

たぶん令和がどうなるか、最初の3年で時代のトーンが決まると思う。

 

楽しみもあるけど、僕はやっぱり恐れおののいています。

あなたはどうですか?

 

とりあえず、ゴールデンウィークは

「ALWAYS 三丁目の夕日」を見て心を休めようかな。

 

 

 

 

 


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カレンダー大変動に昭和人降参

 

 きょう、貸家の契約更新で不動産屋へ行ったら、デカデカと「2019年 平成23年」と上下に併記した紙がオフィス内の3ヵ所に貼ってあった。

 大家さんも、店子さんも、西暦と元号がごっちゃになってしまう年配の方が多いのだそうだ。

 

 ちなみにうちの母は西暦も平成もよくわからず、昭和○年と言わないと駄目だ。

 今年は昭和94年だよ。だからお母さんは90歳」と、帰省するたびに説明している。

 もはやこのあたりの人たちは、新しい元号や、西暦換算なんてもう諦めて100年を越しても昭和で押し通した方がよさそうだ。

 

 今年に限っては「退位の日」と「即位の日」の制定され、4月から5月にかけて天皇陛下の交代劇をはさんだ10連休のスーパーゴールデンウィークになるが、来年もまたすごい。

 

 10月第2月曜日だった「体育の日」――これまた昭和人には「10月10日」としっかり刻印されているが――は7月24日、すなわち東京オリンピックの開会式の日に移動するのだそうだ。しかも名称は「スポーツの日」に変わるとのこと。

 

 7月になるのはどうやら来年限定らしいが、いずれにしても「体育の日」は今年が最後。最近は学校の運動会も春に回されちゃうケースが多いし、10月のイメージが変わってしまいそうだ。

 

 ついでに「海の日」やら「山の日」もオリンピックに合わせて大きく移動し、真夏に「金メダルウィーク」ができるらしい(これは僕が勝手にそう言ってる)。

 

 それにしても昭和人たちが大混乱に陥りそうな今年と来年のカレンダー。

 いろいろ事情があって祝日だらけになるのはしかたがないけど1、あんまり連休が増えるとその前後が大変なんだよね。

 休みに合わせて仕事の締め切り前倒しとか、休み明けに見たいからここまでやっといてとか、1年の半分が年末進行になりそうだ。

 


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オリンピックをオワコンにするのはインターネット?  それとも「夢よもう一度」の利権執着昭和人?

 

 ここ数日、テレビをひねってニュースを見ると、終戦関連のニュース、猛暑・台風などの気象ニュースのほかは、民放は日本ボクシング連盟の山根明会長の独壇場と化しています。

 

 昨年末の日馬富士の暴力事件に端を発する大相撲のお家騒動や、先だっての日大アメフト部の問題など、スポーツ関連のスキャンダルはウケるのでと徹底的に深掘りしていくのが近年のマスメディアのお家芸になっているようです。

 

 本来、クリーンであるべきはず(というかクリーンであってほしい)スポーツの理想と、全然そうなっていない現実とのギャップが面白く、視聴者が舞台裏を楽しめちゃうからでしょう。

 いわば「バックステージツアー」ですね。

 

★利権の匂い

 

 さて、渦中の山根会長、床屋さんへ行くのに日の丸のついた日本代表のトレーニングウェアなんぞ着て登場したせいか、報道の裏からはオリンピックの利権の匂いがぷんぷんと漂ってきます。

 

 もちろん、これは今に始まったことでなく、例の新国立競技場やエンブレムの問題からすでに腐敗臭がダダ漏れしていました。

 オリンピックというおいしいメロンを、あっちこっち、みんなで撫でまわしているうちに、本来の食べごろのはるか前から完熟を通り越して腐ってきちゃった、という印象を受けます。

 

 こんなこと言うと、オリンピック目指して頑張っている選手の皆さんや周囲の関係者の皆さん、ファンの皆さんに申し訳なんだけど、2年後、僕たちは本当に純粋にハッピーでエキサイティングな気持ちでオリンピックを迎えられるのか心配になります。

 

 まぁ、そういう気持ちで迎えなくちゃいけないよ、という国民の義務はないので、どうでもいいといえば、どうでもいいんですけど。

 

 試しにインターネットで「オリンピック、利権」とキーワードを入れてみると、ぞろぞろいろんな記事が大量に出てきて、こんなのを読んでいるうちに、国民の何割かは心が離れて行ってしまうのでは・・・と、またまた心配になります。

 

 心からオリンピックを楽しみたいと思っている人は、ニュースはNHKだけに絞って見たほうがいいかもしれません。

 

★56年前の夢よ もう一度

 

 僕が思うにオリンピック運営の上層部にいる昭和人たちは、1964年の前回開催のイメージが頭にこびりついていて離れないのでは?

 

 時代は高度経済成長の真っただ中。

 「オリンピックを開催してもっともっと豊かになろう、世界の人たちに敗戦からみごとに立ち直って新しい国づくりに成功した日本を見てもらおう」

 と明るく言えば、「よっしゃあ!」と、国民の心は容易くまとまるし、実際にますます景気は良くなり、経済成長していけました。

 

 それにインターネットという、どこの誰ともわからぬ国民が言いたいことを言いまくって発信する鬱陶しい装置もありませんでした。

 テレビ・ラジオ・新聞で当局に都合のいい情報だけを世の中に広めることも簡単にできちゃったわけです。

 

 1964年大会が「若き高校球児」だとすれば、2020年大会は「引退目前まで追い詰められて必死に踏ん張ろうとしているロートルプロ野球選手」のようなもの。

 

 前時代的な利権執着昭和人の「夢よ もう一度」のために、なんで俺たちも付き合わなくちゃいけないのか・・・

 と考える人たちが大勢出てきてもおかしくないでしょう。

 

 最近の進行状況を見ていると、利権で儲けられる人は大儲けできそう、そうでない人はボランティアという美名のもと酷暑の中をこき使われそう、といった現代の格差社会の写し絵的世界が展開する様相です。

 もちろん、純粋にハッピーでエキサイティングな気持ちで、ボランティアとして参加できるのならいいのですが。

 

★オリンピックはこの先も必要なコンテンツなのか?

 

 そもそも近代オリンピックというコンテンツ自体が、国力の見せつけだったり、金儲けの道具だったりしたわけで、果たして今、そういった必要をどれくらいの人が認めているのか?

 1964年を体験した昭和の大衆と同じように、人生に刻印されるべき価値

あるイベントになりうるのか?

 

 また、今回の東京大会のドキュメントが大量にネット情報として発信されるので、それに触れた世界の人たちが、今後、自国でオリンピックをやりたい!と、純粋にハッピーでエキサイティングな希望を持てるのか?

 

 実際、莫大な予算がかかる関係で、IOCは東京以後の開催地候補があまりに少なくて困っているという話も聞きます。

 

 とは言っても、青春をかけるアスリートや、スポーツに元気をもらって生きている人たちにとってオリンピック・パラリンピックは、希望の星。そう簡単にオワコン(終わったコンテンツ)にするわけにはいきません。

 

 ただ、どうしたらもっと希望の持てるイベントにできるのか、どこかで再生手術をする必要があるだろうと感じます。

 オリンピックをオワコンにするのもインターネット、よみがえらせるのもインターネットなのでしょうか・・・。

 


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昭和の遺産はどこへ行き、どう使われるのか?

 

 昨年末から「遺産相続」のコラムを書いています。

 

 そこで遺産相続の問題をストーリーの中に取り込んだ文学だのエンタメコンテンツなども紹介しているのですが、いろいろ調べていると、ミステリーなんて半分くらいは遺産がらみのストーリーなんじゃないかというくらい巨大なテーマであり、何と言うか、使い勝手のいい事柄なんですね。

 

 考えてみれば、お金、親子、結婚、家族、男と女、愛、夢、希望、過去、未来・・・人間の感情を揺り動かすありとあらゆるものが「遺産」というキーワードに絡んできて、ドラマ作りとして、これほどおいしいテーマはありません。

 

 特に資本主義経済の世の中になった19世紀の英国あたりから、それまで上流階級の専売特許だった「遺産相続」というコンテンツが、一般大衆にまで下りてきて、広くいきわたった、という感じがします。

 

 チャールズ・ディケンズの「大いなる遺産」などがその代表作品かと思いますが、このあたりから、貧しい子や孤児などが厳しい境遇に負けずに頑張って生きていると、思いもかけないところから莫大な遺産が転がり込んできたり、あなたが相続人に選ばれましたと言われてハッピーエンド・・といった少年少女読み物が、ぼくの子供のころまではあったような気がします。

 

 しかし、それも最近はとんと聞かなくなりました。それよりも遺産をめぐって起こる殺人事件やら愛憎劇やらの方が、おとなのみならず少年少女にとってもリアリティがあるのでしょう。

 

 高齢者の貯金を狙って詐欺師が跳梁跋扈したり、安アパートで孤独死したお年寄りが、実は数千万円の預金通帳を持っていた、というご時世。

 戦後70年を経て、復興~高度経済成長期に作られた様々な昭和の「遺産」の行方が気になります。

 


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