アーティストたちの前に扉が開いていた

 

 60~70年代のロックのライブをYouTubeなどで楽しんでいる人はいっぱいいると思うが、やはり昔のものは画質・音質が悪い。それに比べて最近のものはとてもクリアだ。 

 

 もちろん、古いものは古いことで価値があるし、好きなミュージシャンの若かりし頃の雄姿を見られるのは嬉しいが、新しいの(90年代から00年代)はさらに味わい深い。

 もちろん演奏内容がいいのが前提だが、老いぼれてきたかつてのスターが若い連中と一緒にがんばっているのはカッコイイのだ。

 

 一時期は「昔のヒット曲はもうやらない。今のオレを見てくれ」なんて言っていた連中も、本当に楽しそうにかのヒット曲をやっている。何十年も人々の記憶に止まり、いまなおそれを聞きたいという人が大勢いるのは、とても幸福なことだ。

 

 2000年になる頃だったかと思うが、キング・クリムゾンのロバート・フリップが当時を回想したインタビューでこんなことを語っていたことがある。

 

 「60年代~70年代半ば頃までは、多くの若い音楽家・アーティストやたちの前にたくさんの扉が開いていた。少しでもその扉を開ける力や才能、勇気を持った者は、難なくドアの向こうに行くことが出来たのだ。けれども、そういう時代は過ぎ去り、扉は容易に開けられなくなってしまった。今では固く閉じられている……」

  

 あの時代……音楽産業がしっかりと確立されるまでの過渡期は、確かにロック音楽やポップアートのルネサンスだったのかも知れないと思う。これもYouTubeでの話だが、これらのロック音楽に合わせて自分のイメージ絵画・イラスト・写真などを構成し、クリエイティヴな表現を試みている人たちがいる。

 

 もちろん玉石混交だが、なかなか心に響くものもある。そういえば、かつてレコードジャケットは貴重なアートの実験場だった。もちろん、同じ形ではありえないものの、これからいつかまた扉が開く時代は来るのだろうか?

 

 

2011・9・27 TUE


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ロックも、アニメも、ドラマも・・・夢が叶った!

★Yesterday Oncemore

 

 「何を今さら」と言われるかも知れないが、インターネットは万能だ。万能というくらいだから萬曼荼羅の機能を持ち得ているわけで、一つ一つ褒め称えていたらキリがない。

 

 であるからに、今日ここで言う万能ぶりは“過去をいつでもどでも即座に再現してしまう”というすごさに限定させてもらう。つまり、インターネットは僕たちがもう一度見たかった「アレ」をいとも簡単に再現してくれてしまうのだ。  

 

 具体的に言うと(これも「何を今さら」と言われそうだが)、YouTubeなどでは60~70年代のロックのライブがガンガン出ている。

 「おお、これはかつてNHKヤングミュージックショーで見た○○のLIVE!」とか、

 「ああ、これはもしやその昔、NHK-FMの渋谷陽一さんの番組で聞いた音源ではないか……」

 というのがゾロゾロ出てくる。

 

★Dream come True

 

当時はインターネットはおろか、ホームビデオさえなかった時代。中高生だった僕たちはなけなしの小遣いをはたいて買ったレコードを丁寧に聞いたり、テレビやラジオの音楽番組から懸命に録音したひどい音質のカセットテープをありがたく、繰り返し繰り返し聞いていた。 

 

 月日が経ち、レコードやカセットテープはCDやDVDになり、それらはネット配信に。

 うちの小僧くんはウォークマンならぬi-podで聞き歩いているし、僕もパソコンにインストールしたi-tunesで聞いている。 

 

 YouTubeをはじめとするここ数年のネット動画は本当に驚異的で

  「え!あの時代(繰り返し言うがホームビデオもなかった1960~70年代)にこんな映像撮っていたんだ!」

 「どこにこんな音源が眠っていたんだ!」

 と驚くようなものがゾロゾロ出てくる。

 

 また、こういった音楽モノだけでなく、昔のアニメだとかドラマもまたしかり。僕たちの世代にとっては子供時代・青春時代に大好きだった世界とまた出会えて(それも殆ど無料で!簡単に!)、まさしく夢が叶った……という感じだ。 

 

★IN MY LIFE

 

 「でも」と思う。「だからなんだ?」と思う。夢が叶ったと言っても、自分で努力して何かを成し遂げたわけではないので達成感みたいなものもない。

 感激は一瞬のうちに過ぎ去って、それらは日常の一つに組み込まれてしまう。

 大好きであることに変わりはないのだが……いわば、ずっと恋愛していてやっと結婚できたら、えんえんと続く、余りエキサイティングとはいえない日常が待っていた……という感じだろうか。

 

 それも悪くない。

 

 365日ExaitingでSomething Newを求めていた時代とは違うのだ。

 僕はインターネットを通じて、自分を育ててくれた過去のお宝と一生付き合っていく。

 

  そう決めると何か新鮮な気持ちになった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011・9・25 SUN


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つかこうへいとの劇的再会

 

 昨年死去した劇作家つかこうへいの一周忌追悼公演「新・幕末純情伝」。

 すごくよかった。ボロボロ泣けた。

 つかこうへいの魂が舞い降りてくるような舞台だった。

 

 僕は若かり頃(1980年代)、演劇をやっていたが、あの時代の演劇人はみんなつかこうへいの影響を受けていた。

 その記憶は今は血となり肉となり、現代の舞台劇のそこかしこに息づいている。

 今の日本の現代演劇はみな、多かれ少なかれ、つか演劇のバリエーションと言っても過言ではない。   

 

 僕がはじめてつかの芝居に出会ったのは、忘れもしない1980年4月、紀伊国屋劇場で観た「熱海殺人事件」だった。

 名古屋で高校演劇をやっていた頃は、話には聞いていたものの、観ることが出来なかっなかったが、上京して最初に観たのがこの舞台だった。

 平田満、加藤健一、そして今は亡き三浦洋一も出演しており、その演技に圧倒された。

 

 今回の「新・幕末純情伝」は、あの30年前の感動、そして、その1年後くらいに観た「蒲田行進曲」の初演を髣髴とさせた。

 役者達は皆、けっしてうまくはないけど、つかのセリフがしっかり肉体化されており、若き頃のつかこうへい事務所のスターたちを思い出させてくれた。  

 

   話は、新撰組の沖田総司が実は女であり、坂本龍馬と恋仲になるという、それだけ聞けば荒唐無稽なものだが、僕達が知らされている幕末・維新の歴史は、実は明治政府のでっち上げで、こっちの方が真実に近いんじゃないかと思わせるほどの説得力がある。

 それはつかこうへいが人間の本質を見極めており、それに基づいたドラマ・セリフを創っていたからだ。

 そして、役者がそれを「上っ面だけでなく、身体の血や肉になるほど沁みこませていたからだ。

 それが観客の身体に響いた。僕のようにつか体験を持つ人間には特に大きく。こんなに見ごたえのある舞台は本当に久しぶりだった。

 改めて、役者の身体以外何もないシンプルな舞台から、日本の現代演劇を根底から変えた劇作家・演出家の偉大さに敬意を払いたい。 

 

 

2911・9・15 THU


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てんぐだいこでキミもペテン師

 

  良心的な大人の人には大変残念な話だが、大半の子どもは悪いことが大好きだ。

 

 「子どもは」を言い換えれば「人間は」。

 人間は悪に惹かれる。ペテン師の諸行を見て面白いと感じてしまう。

 以前、「ジョン・レノンはペテン師だから魅力的だ」という話を書いたが、レノンがあれだけ世界中の人を魅了するのは、音楽的才能もさることながら、悪いこと大好き、ペテンが大好きな“子供のままだった”からだと勝手に思っている(彼を“愛の伝導師”みたいに思っている人には失礼かも知れないが…・・・)。 

 

 けれども、同じペテン師でも、僕たちは偽善的な新興宗教や振り込め詐欺みたいなものは憎む。要はユーモアがあるか、夢があるかといった問題になると思うのだが、愛されるペテン師と憎まれるペテン師の境界線をいろいろ考察すると面白い。 

 

 で、やっと今回の朗読の話。2学期も僕はランドセルをしょって朝の読書タイムに朗読をしに小学校へ出張。 今回の「てんぐだいこ」は、まさしくペテン師の話だ。 

  

 主人公のげんごろうさんは、根は“いい人”らしいが、ふしぎなたいこを拾ったがゆえにペテン師に転じる。

 僕もこんなたいこを手に入れたら、きっと同じことをやるに違いない。

 そう思って読んだら、どうやら2年生の子どもたちも同じように感じたようだ。

 もちろん、そんなことは言わないけど、読み手のランドセルおじさんにはちゃんと彼らの心の声が伝わってくる。 

 

 「こういう面白いことやって、しかもお金もガッポリ儲けられるなんて、 

げんごろうさんがうらやましい」 

  

 可愛い子どもたちでも、うまい話には弱いのである。 

 

 けれども「鋼の錬金術師」ではないが、人間は何かを手に入れるためには必ずそれ相応の対価を支払わなくてはならない。

 ネタバレになるのでここでオチは書かないが、げんごろうさんも例外ではなかった。おいしい思いをした後は、大変なことが次から次へと彼の身に降りかかり、最後には○○○になってしまうのだ。 

 

 それにしても、この話をはじめ、日本のむかしばなしには、まさしく読者をペテンにかけるような荒唐無稽・支離滅裂な物語が多い。

 脈絡も整合性もへったくれもないという感じだ。

 

 「桃太郎」のような明確で分かりやすい、いわばヒーローものは例外中の例外。(桃太郎のお話も明治期に「富国強兵政策」を子供心に植えつけるため、あのように明快なものに整理されたという説がある) 

 

そういう意味では日本人は世界でも特にペテン師を愛する国民性を持っているのかも知れない。 

 でも子どもたちよ、しっかり勉強して自分の頭で考えて、世の中を旅して経験積んで、へんなヤツにだまされないように。

 ・・・て、マッチポンプ的にこんなこと言っている僕がペテン師か?

 

 

 

2011・9・9 FRI


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日本人の半分以上は日本映画の黄金期を知らない

 

 仕事の資料として「日本映画史」(佐藤忠男・著/岩波書店)を読んだ。全3巻(増補版を含めると全4巻)、それぞれ約500ページ。相当なボリュームだが、そんな長さを感じさせない素晴らしい本だ。 

 

 特に感動的だったのは、明治・大正・昭和初期の日本の映画界がすごく開放的な「開かれた世界」であった点だ。

 今では当たり前のことだが(いや、そうでもないかも知れないが)、低学歴のはみ出し者と高学歴のエリートとが同じ現場で協同作業を出来た。そんな自由な職場は当時は他になかったという。

 

 映画作りという仕事が魅力のオーラを放ち、雑多な人々を撮影現場に集めた。

 雑多な人々の雑多な知識と感性が入り乱れた。

 歌舞伎・大衆演劇・講談などの伝統文化、純文学や新劇などの近代西洋文化、そしてもちろん、欧米先進諸国の映画の影響……

 それらがすべて渾然一体となって入り混じって練り上げられた日本映画は、世界の中でもユニークな、独自の文化として発達したのである。 

 

 そして、黄金時代がやってくる。昭和20年代半ば~昭和40年ごろ(1950年頃~60年代半ば)。振り返ればわずか15年ほど。

 それは戦後の復興期から高度経済成長へ向かう時代とぴったり重なる。

 

日本社会がまさしく昇竜の勢いで空高く上っていった時代だった。まさしく映画は豊かさを獲得しようと日夜頑張る日本人を叱咤激励し、泣かせ笑わせ、夢と希望を育んだのだ。そして、それはもう僕が生まれたて間もない時代のこと。いま、日本人の半分以上は、その日本映画黄金時代を肌で体験していない。 

 

 

2011・9・1 THU


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