伊勢の旅の最後は民泊のマダムの紹介で、ある民家を訪れた。
雨の中、民泊から歩いて5分。
幕末に建てられた、築160年以上という古民家だ。
古民家と言えば聞こえがいいが、ぼろぼろの廃屋に近い建物。
しかし、ここは伊勢神宮をブランディングし、
伊勢参りの文化をつくった「御師(おんし)の宿」。
一般的にはあまり知られていないが、
天皇家しか詣でることを許されなかった伊勢の神々と
日本の庶民を結び付けた歴史的価値の高い施設なのだ。
一生一度の伊勢参り。
江戸時代、伊勢は日本人ほぼ全員の憧れの地として仰がれた。
以来、今日に至るまで、伊勢は日本の聖地として、
最近では最強のパワースポットとして、
国内外から多くの観光客・参拝客を引き寄せている。
その立役者と言えるのが「御師」と呼ばれた人たちだ。
彼らは現代風に言えば旅行代理店であり、
観光プロデューサーである。
この御師が「営業活動」をしたことによって
日本全国津々浦々まで「伊勢講」が組織された。
伊勢講とは、町や村など、ある一定の地域・集団の中で、
一軒一軒が少しずつお金を出し合い、
その町や村の代表となる人が
伊勢神宮へ参拝の旅に出かけるという仕組みのことである。
「講」ごとに決まった御師がついており、
たとえば「杉並講」の代表が伊勢に行けば御師・松田何某が、
「中野講」の代表には御師・小野何某が出迎えてくれる。
そして、それぞれの専属の御師の宿に泊まり、
歓待(おもてなし)を受けられるのである。
いわば、旅行会社とその得意客との関係が築かれている。
というと簡単に聞こえるが、なにせ江戸時代の話である。
現代のように情報が即座にいきわたる時代ではない。
インターネットはおろか、テレビやラジオ、
新聞だってまだない。
情報メディアは皆無の世界である。
伊勢神宮は天皇家しか参れない特別な神宮で、
日本国を作った神様が祀られている――
そんな風聞は耳にしたことがあったかもしれないが、
日本人のほとんどは「お伊勢参り」
という概念すら持っていなかったはずである。
そんなイノセントな状況のなかで、
伊勢の御師たちは何代にもわたって、
全国を行脚して、素晴らしいご利益をもたらす
「お伊勢参り」なるものを口づてに広め、
旅行プランを作って販売したというのだからすごい。
僕が訪れた御師の宿「旧御師丸岡宗太夫邸」の
パンフレットによると、御師の歴史は鎌倉時代まで遡る。
平安時代の終わりごろから
律令制(天皇を中心とした中央集権的な国家統治体制)が崩れ、
各地の神宮領が武家に奪われるようになると、
神宮を経営していくことが難しくなった。
その一方で公家や大名など、
一部の有力者たちは、日本国でも別格と言える
伊勢神宮への厚い信仰を持っていた。
「神様に感謝の意を表したい」と願う有力者たちの要請に応え、自宅で伊勢神宮の神々に捧げる神楽を上げる神職が現れた。
それが「御師」のルーツなのだという。
有力者たちと繋がった御師たちは、室町時代を経て、
戦国の世になると、
神職として合戦時の戦勝祈祷を行うだけでなく、
兵糧米や軍事物資の調達者としても活動するようになる。
スピリチュアルなパワーを操りつつ、
実務面でも武将たちの戦を陰で支えていたらしい。
そうした歴史・実績をもとでにして、
江戸時代――天下泰平の世になると、
こんどはビジネスマンに転身。
経済的に豊かになった江戸・京都・大阪などの
商人、町人、農民の家々を回り、
伊勢神宮のお札を配って初穂料を集めた。
そして、その資金を使って、彼らが伊勢を詣でる際の
宿泊・飲食・名所案内・神楽の奉納といった
複数のサービスを統括して提供するようになるのである。
これはなかなかすごい。面白い。
僕が訪れた「丸岡宗太夫」は個人名でなく、
代々受け継がれてきた名跡・屋号である。
神職から発展した旅行プロデューサーの宿、およびオフィスで、
大阪や信州各地に8000軒ほどの檀家、
つまりお客様を抱えていたという。
すごい数だと思うが、8000はまだ中企業レベル。
いわゆる大企業レベルの御師になると、
檀家の数は1万、2万というところもあったようだ。
さらにその営業ネットワークは、上記の都市部だけでなく、
北は東北から南は九州まで広がっていたという。
旧御師丸岡宗太夫邸は、
そうした御師の華々しいストーリーを伝える遺跡である。
空き家問題が深刻化する昨今、一時期、解体寸前となったが、
街づくりを行うNPO法人のはたらきかけが実り、
平成27(2015)年に国の登録有形文化財となった。
それちともに「伊勢まちかど博物館」に認定されている。
伊勢神宮には連日、日本全国どころか、
最近は世界中から観光客が訪れ、
内宮も外宮も晴れがましい空気に包まれている。
そのどちらからも離れた住宅街に
ひっそりと佇む古い木造住宅には、
研究者などを除き、観光で訪れる人はほとんどいない。
しかし、この時代に唯一残された、
かつての旅行プロデューサーの根城は、
伊勢参り文化の創始者たちのシンボルであり、
現代まで続く伊勢の物語をいきいきと語り継ぐ
貴重な存在になっており、
今回、地域の事情に詳しい民泊に宿泊したおかげで
拝観する機会に恵まれたのは、とても幸運なことだと思っている。
江戸時代、首輪の代わりにおめでたい注連縄を巻き、
旅賃を入れた財布をぶら下げた犬が、伊勢神宮まで参拝した。
高齢で歩けない、病気で遠出できない、家から出られない、
そんな様々な事情でお伊勢まりがしたくても叶わない主人のために
彼ら・彼女らは代理で参拝しにいったのだという。
それも誰にも連れられることなく一匹で。
「わしの代わりにお参りしてきてくれないか」
「ワン!」
というわけで、江戸・京都・大阪をはじめ、
全国各地の忠犬たちは伊勢神宮を目指して旅をしたのである。
その話を聞いたとき、そんなアホな、と最初は思った。
芝居や落語用の作り話だと思っていたのだが、
ちゃんとした事実で記録にも残っている。
歌川広重の浮世絵「伊勢参宮宮川渡しの図」にも
さまざまな旅人たちに混じって、
お参りに来た白い犬が描かれているのだ。
しかし、だとすると犬たちはたちまち
山賊みたいな悪い奴らに捕まって、
カネを奪い取られ、最悪、殺されてしまうのではないか――
そう心配したが、これもさにあらず、伊勢をめざす犬たちは
街道を行く旅人、宿屋や飯屋の人たちに褒められ、可愛がられ、
ごはんを食べさせてもらったり、旅賃を恵んでもらったり、
手厚いおもてなしを受けることも少なくなかったという。
もしかしたら、「伊勢参りに行くと、人間にちやほやされるし、
おいしいものにもありつけるよ」という情報が
犬たちの間で伝搬していたのかもしれない。
そんなアホな、と思うかもしれないが、
犬は犬同士で脳と脳とのネットワークがあって、
「イセ」という言葉も理解できるようだ。
「一生一度のお伊勢参り」と言われたものだが、
お伊勢参りには江戸時代に生きた人々の夢や願い、
人生において経験する喜怒哀楽の心持ちの多くが
こめられているような気がする。
犬だってそうした人間の心持を察知できると思う。
当時の伊勢界隈(松坂なども含む)は、
江戸・京都・大阪に次ぐ日本第4の都市。
今でも観光名所、パワースポットであることは変らないが、
明治維新前の賑わいぶりは独特のものがあったようだ。
そして、犬畜生だからと悪さすることもなく、
バカにすることもなく、
「賢いやっちゃ」と励まし、応援する。
なんていい人たちなんだ、江戸時代の日本人は。
現代の視点から想像すると、
まるで一種のファンタジー、おとぎ話の世界の話のようだ。
今回はそんなストーリーに魅せられて、伊勢神宮を訪れたので、
とても楽しかった。
そして、江戸時代にはこの伊勢神宮を観光名所化し、
パワースポットとして喧伝した元祖広告屋であり、
お伊勢参りプロデューサーとでも呼ぶべき人たちがいた。
幸運にもこの旅の最後は、
そのプロデューサーの家を訪問することができた。
「れいわ伊勢ものがたり」は、
その家の訪問記で締めくくりたいと思っています。
では、また明日。
日本最強のパワースポット伊勢神宮には外宮と内宮があり、
本丸は内宮のほう。
外宮には豊受大御神(食物・産業の守り神)が
祀られているのに対し、
内宮には日本神話で有名な天照大御神(太陽の神、最高神)。
要は俗世界の政治・産業に対する
精神世界の宗教性とか霊性みたいなものだろうか。
こちら内宮が最も尊い(外宮よりも格上)とされ、
参拝は外宮→内宮の順が伝統的なならわしとなっている。
実際、パワースポットとしてありがたがられているのは内宮で、
こちらがメインイベントとすれば、
外宮は前座扱いされることが多いようだ。
僕らは2泊3日で行ったので、
二見浦神社→外宮→内宮とフルコースで回ったが、
時間のない人たちは観光バスなどで乗り付け、
内宮だけさっとお参りして帰っていく。
最近は伊勢神宮(内宮)と熊野古道・高野山といった世界遺産を
2,3日で回るパワスポ・スピリチュアル
てんこ盛りツアーが人気らしい。
実は子供の頃、一度だけ、
親に連れられて伊勢神宮に来たことがあるが、
なぜか境内が玉砂利だったという記憶が残っている。
足の裏があの玉砂利の感触を憶えていて、
歩きづらいなぁと思ったのだが、
今回来てみたら、境内に玉砂利なんて一個もない。
50年以上昔のことなので、変わっていて当然。
20年に一度、「式年遷宮(しきねんせんぐう)」で
社殿を建て替えるので、
その都度、境内もかなり大規模に改装されるのだろう。
内宮に詣でて最も印象深かったのは、
五十鈴川(いすずがわ)。
その名の通り、50の鈴がシャリシャリと鳴っているような
せせらぎの音が美しい川だ。
人のあらゆる暮らしは水のほとりから始まる。
内宮の御手洗場(みたらしば)にもなっており、
ここで手を洗って参拝する。
きれいな水に手を突っ込んだら、
甲羅が5センチくらいある沢ガニが、
さらさらとした水の流れに揺られて踊っていた。
この五十鈴川の風景は、観光案内のポスターにも使われていて、
巫女さんがこの川で手を洗う姿は、
これまでとは違う、神域・伊勢神宮の
新鮮なイメージを打ち出している。
参拝後のお楽しみ、
飲食店・土産物屋が並ぶ「おはらい通り」沿いには
「五十鈴川カフェ」があり、ゆっくりお茶を飲みながら
美しい川の風景が堪能できた。
腹が減っていては何事も始まらない。
どんなに拝まれようと、神様だって腹ペコではやる気が出ない。
もともと伊勢神宮は内宮(ないくう)だけだったそうだが、
祀られている皇室の祖先神・天照大御神が
「一人でお食事するのは嫌じゃ」と駄々をこねたので、
丹波国(京都府北部)から食の神である豊受大神が迎えられた。
その豊受大神を祀るために、内宮から500年遅れて
外宮(げくう)が創建された。
内宮と外宮、二つ合わせて伊勢神宮。
テレビなどでパワースポットとして紹介されるのは
ほとんど内宮らしいが、外宮のほうが駅から近くて行きやすい。
それに「食」の神様を祀っているせいか、
外宮は内宮に比べると、
境内の雰囲気がちょっと俗世界に近い空気が漂う。
人も神もめしを食わなきゃ活動できないのだ。
ここでは今もまだ、毎朝夕、神々に食事を捧げる
「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」
が続けられている。
さて、この外宮の参道には一羽のニワトリがいる。
真っ白で見ようによっては神々しく、
つぶらな瞳をしていてかわいい。
それにこのコッコちゃん、
毎日、大勢の参拝客と接しているせいか、
ぜんぜん物怖じせず、やたらと人懐っこいのだ。
かと思えば、なかなかワイルドな飛翔力もあり、
地面から高さ3メートルぐらいの木の枝に飛び乗ったりもする。
木の上をねぐらにしているのかもしれない。
万一の時の捧げものなのか、
はたまた豊受大神ゆかりの守鶏なのか?
僕たちが帰る時、後をついてきて
人間の世界との境界線である鳥居のところまで
出てきたのだが、やはり結界の外へ出ていこうとはしない。
来ないのか?
駕籠の鳥のままでいいのか?
自由になりたくはないのか?
僕は鳥居の下に立ち、心のなかでそう呼びかけたが、
コッコちゃんはコココと小さく呟き、
くるりと踵を返して、神の領域に戻って行った。
「宿命のライバル和菓子対決」と銘打ったものの、
令和7(2025)年の現時点において、
知名度・ブランド力という意味での勝敗は明らか。
今や伊勢名物として日本中に知れ渡り、
全国お土産ランキングでも第3位にあげられる赤福餅に対し、
おなじあんころ餅という味・形状、さらにパッケージまで、
あまりに似通っているため、
「何これ?赤福のパチモン?」というのが
御福餅に対する一般的認識ではないだろうか。
実際、僕自身も割と最近までそう思っていた。
御福には申し訳ないが、
300年近くにおよぶこの対決、赤福の完勝・圧勝である。
しかし、今回の旅で二見浦にある本店に行き、
「抹茶御福餅」を口にして、
その認識が変わる日が来るかもしれないと感じた。
こ、これはおいしい!
普通の御福餅も赤福餅と同レベルのおいしさだが、
これは赤福との差異をアピールするには強烈な商品!
餡の甘さと抹茶の苦味が絶妙なバランスで口の中に広がり、
お餅と溶け合う。
8個入りだが、
カミさんと二人であっという間に4個ずつ平らげて、
正直、「赤福餅よりおいしいじゃん」と思ってしまった。
この抹茶バージョンをもっとフィーチャーすれば、
宿的・赤福に太刀打ちするのも不可能ではない。
ちなみにこの2つの商品、兄弟で始めたとか、
のれん分けしたとかではなく、
それぞれ別の会社が製造・販売している別製品とのことである。
御福餅本家の本店は、創業以来、
つい最近まで二見興玉神社の参道にあったが、
参道沿いのホテル・旅館が寂れてしまったせいか、
夫婦岩のすぐ近くに移動した。
今年3月にオープンしたばかりの
美しいウッドデザインのおしゃれな店だ。
宝永4年(1707年)に店を開けた赤福餅から遅れること31年。
元文3年(1738年)に二見浦で創業。
伊勢神宮へ参拝に来た旅人に餅を
「お福分け」したことが始まりだという。
赤福餅の表面には伊勢神宮・内宮境内の
五十鈴川の清流をイメージした三筋がついている。
そして御福餅にもそっくりな三つの筋が。
こちらは二見浦の海岸に打ち寄せる波を
表現したものとされている。
いや、でも、そう説明されても、
現代的視点からは明らかにパクリに見える。
ただでさえ、同じあんころ餅というカテゴリーなのに、
わざわざ形・デザインまで似せてしまうとは・・・
現代では絶対に裁判沙汰になりそうだが、
始まりが江戸時代で、そのへんのことは
あまり問題にならなかったのだろうか?
赤福餅圧勝の理由は、第一にやはり立地だろう。
赤福本店は、伊勢に参拝した人が、
ほぼ必ず通る「おはらい町」の
入口付近という最高のロケーション。
伊勢神宮の参拝客は圧倒的に多く、その動線に本店があるため、
おのずと多くの人の目に触れ、購入の機会が増える。
御福餅本店がある二見浦は、
かつては「浜参宮」として重要な場所だったが、
現代では伊勢神宮の一般的な参拝ルートからは
外れた場所になっているため、
通りかかる人の数が赤福本店と比べて少ないのだ。
理由の第2は、赤福が販売チャネル開拓と流通戦略によって、
広域展開に成功したことだろう。
伊勢名物だが、名古屋駅に行けば、毎日必ず赤福餅が買える。
カミさんも息子も大好物なので、
実家に帰省するといつも買って帰っていた。
東京では知らないが、僕が子供だった昭和40年代(1970年前後)、
名古屋では「赤太郎」というキャラクターが登場する
テレビコマーシャルが連日流れ、
「ええじゃないか、ええじゃないか、赤福餅はええじゃないか」と歌っていた。
僕の脳にはそのアニメ動画と歌がしっかり刷り込まれている。
おそらく同時代の人たちの中には、
同じように刷り込まれた人は大勢いるだろう。
こうなると僕たちにとって、もはや赤福餅は一生もの。
そんな人間がわんさかいることを考えると、
たかがコマーシャルでも、長い目で見れば侮れない効果がある。
その他、関西圏(大阪・京都)の主要ターミナル駅、
サービスエリアなど、
三重県外に積極的に販売網を広げてきた。
赤福は伊勢名物のみならず、
「名古屋みやげ」「大阪みやげ」としても
親しまれるようになったのだ。
一方の御福餅は地元密着型。
主に伊勢・二見浦周辺での販売が中心であり、
広域的な流通戦略は積極的に展開してこなかった。
結局、あれこれ投資してきた成果で、
赤福の知名度・ブランド力が上がったと言えるが、
ブランド作りにかけた年月は3年とか30年じゃなくて、
300年ですよ。
うまいもの・時代が変わってもみんなが喜ぶものを
300年作り続けるというのはハンパなことではない。
宣伝も大事だが、やはり決め手は商品力。
良い商品を誠実に作り、一生懸命売る。
これに勝るものはない。
宣伝では後れを取ったものの、
御福餅も商品力では五分の勝負をしている。
そして、今回感動した抹茶味は、
さらに商品力をパワーアップさせるに違いない。
ただ、二見浦に来る人は、伊勢神宮に来る人に比べ、
圧倒的に少ないので、やはりライバルには勝てないだろう。
しかし、この際、勝負なんてどうでもいい。
パクリだ、パチモンだと、かなりディスってしまったが、
御福餅にはマイペースでがんばってほしい。
赤福に続いて、創業300年はもう目の前だ。
あなたも夫婦岩を拝みに行ったら、御福餅をぜひどうぞ。
ただ、新しい本店はちょっとモダンでオシャレ過ぎるかも。
禊の地・二見浦だから、ちょっとフォーマル気分で・・・
というコンセプトなのかもしれないけど、
僕は庶民派なので、赤福のお店にある、
江戸時代の茶店みたいな、あのわいわい感が好きなんだよな。
海にカエル。海に帰る?
太古の生命がみな、海から生まれ出たことを考えれば、
人もすべからく海にカエル???
そんなわけで、神聖な大注連縄で繋がった夫婦岩で知られる
二見浦の二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)を参拝。
波打ち寄せる海岸に建てられたこの神社には、
なぜかカエルがあふれており、神社でありながら、
さながらケロケロテーマパークの様相を呈している。
カエルと寺社は相性がいい。
うちの近所の杉並大宮八幡宮の境内でも
「幸福がえる」という、どでかいカエルに見立た石を祀っており、
ご利益を賜るよう、僕も行くたびになでなでしている。
日本各地の自社でカエルを祀っているところは
たくさんあるが、鳥居の役割を果たす神々しい夫婦岩、
さらにはるか彼方には富士山まで望む雄大な海を背景に
カエルが佇んでいる風景は、この二見浦ならではのものだろう。
二見興玉神社にカエルが群れを成しているのは、
ここに祀られている御祭神が
「猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)」だからだ。
猿田彦大神は、天孫降臨の際に道案内をしたことから
「道開きの神」として信仰されているが、
そのお使い(神使)がカエルだと信じられている。
ただし、これは社会的お題目、つまり表向きの理由で、
実際は日本人の大好きな語呂合わせ、言葉あそびから生じた
「カエル」のご利益を当て込んだものだろう。
無事かえる→旅の安全、交通安全、出張からの無事帰宅
貸した物がかえる→お金の返し、失ったものの発見
若がえる→健康、美容、長寿
福がかえる→開運招福、商売繁盛
みんな、自分が失ったものを思い浮かべ、
帰ってきておくれ、返ってきておくれと願をかける。
天照大御神を祀る伊勢神宮へ参るための禊の地なので、
しっかり天岩戸も設けられ、
日本国初代ストリッパー アメノウズメノミコトも踊っている。
そんな霊験あらかたなる神社におわすカエル様だ。
ご利益もたいそうなものに違いない、と考えるのは人情である。
そうやって心から拝めば、テンションが上がるとともに、
心も安定する。
コンディションを整え、前向きに仕事や学業をがんばれば、
運もよくなり、成功や幸福を手にすることも増えそうだ。
そして、ご利益を実際に受けた人々が、
感謝のしるしとして境内にカエルの置物を献納する習わしが
古くからこの神社にはあるのだという。
その歴史の蓄積によって、
境内には大小さまざまなカエルの置物が積み重ねられ、
「カエルがいっぱいいる神社」という
現在の姿が出来上がったのである。
特に手水舎(ちょうずや)には
「満願蛙(まんがんがえる)」が鎮座しており、
水をかけて願掛けをする参拝者が多い。
もちろん僕も水をかけて「ケロケロケロ」と願いを唱えた。
「海にカエル」という落差のインパクトが強すぎて、
見どころである夫婦岩も霞んでしまった。
(よく見ると、大きさが違い過ぎて、
夫婦岩というより親子岩と呼んだほうが合ってる感じ)
ただ、神話ファンタジーから現実に立ち返ると、
海は実際のカエルにとってきびしい環境、
ほぼ生存不可能な地獄といっても過言ではない。
塩水(海水)に入ると、
体内の水分濃度よりも海水の塩分濃度の方が遥かに高いため、
浸透圧の働きによって、体から水分が奪われ、
脱水状態になって、あっという間に塩干になってしまう。
悲しいかな、地球上のすべてのカエルは海には帰れないのである。
と思っていたら、なんと例外があり、
海でも生きられるカエルがいるという。
東南アジアの沿岸にあるマングローブ湿地に生息する
「カニクイガエル」である。
彼らは他のカエルにはない特殊な機構を持っていて、
塩分を体外に排出し、
海水や汽水域(川の水と海水が混じるところ)のような、
塩分濃度の高い環境にも適応できるというのだ。
そしてその名の通り、カニを食って生きている。
カニ!? いや、驚くことではない。
明治時代にウシガエル(食用ガエル)が輸入された際、
餌にするためアメリカザリガニも輸入された。
カエル一族は、エビやカニなどの甲殻類が好物なのだ。
それにしても、子供であるオタマジャクシのほうが
成長したカエルより大きいという、
南米のアベコベガエル(パラドックスフロッグ)など、
カエルワールドは奥深い。
これまでのカエルの常識がくつガエル。
二見浦の白波を目の当たりにして、
世界は広いぞ、大きいぞとカンガエル参拝でした。
JR参宮線で伊勢市から西(鳥羽)へ二駅。
二見浦は伊勢神宮参拝の前に身を清める
「禊(みそぎ)」の地である。
二見浦と言ってもピンと来ない人も、夕景の美しい、
あの「夫婦岩」のある海岸と言えばわかりやすいだろうか。
この禊の地は、昭和の名作映画
「砂の器」(1974年公開・松竹)のロケ地である。
旅の初日、昼過ぎに二見浦に着いて、
腹ペコだったので迷わず入った「扇屋」というカフェがそれだ。
駅から徒歩1,2分。つまり、ほぼ駅前。
当時はカフェでなく旅館だったが、外観はほぼそのまま。
内装ももとの構造・雰囲気を残してリノベーションしてあり、
おしゃれな昭和レトロカフェになっている。
この物語は、都内大田区・蒲田駅の操車場構内で、
殺人事件の遺体が見つかったところから始まる。
被害者は事件に遭う前にお伊勢参りに行ったのだが、
その足取りを追って、刑事(丹波哲郎)が
宿泊した旅館を捜索しに来る。
そこで登場するのが扇屋旅館
(松本清張の原作では「二見旅館」)なのだ。
とはいえ、カフェではそんなこと宣伝などしていないので、
まったく知らなかった。
僕とカミさんはおなかを満たすために、
ランチメニューにあった松坂牛のハンバーグと
鳥羽浦産のカキフライをがつがつ食い、
ついでに気になった「ウツボの唐揚げ」を食べてみた。
ウツボはいわゆる珍味なので、
ごはんのおかずにはならなかったが、
ビールなどのつまみにはよく合うと思う。
それで食事を終えて出てきたところ、
落ち着いてよくよく店の佇まいを眺めると、
雰囲気のある古めかしい旅館であることがわかった。
それで確認してみようと、わざわざ戻って尋ねてみたら、
店の人が「じつはここは・・・」と話してくれたというわけ。
「砂の器」は社会派推理小説としての原作の持ち味を活かしつつ、殺人事件の裏にある社会背景・悲劇を背負った人間の姿を
ドラマチックに描いた、今に語り継がれる昭和の名作だ。
この映画には思い出があって、
中学生の時の「映画観賞会」で初めて見た。
劇中、犯人の音楽家とその愛人の、ごく控えめな濡れ場があって、ちらっとだが愛人役の島田陽子さんのハダカが出てくる。
そこで男子がこぞって大騒ぎしたという、
じつにしょーもない思い出だ。
思春期ホルモン出まくりの中学生だからしゃーないです。
「砂の器」では他に二見浦の風景は出てこないが、
かつて伊勢参りの観光客が観光バスに乗って
大挙して押し寄せていた名残があり、
あの頃の昭和のにおいがプンプン漂う。
海岸沿いに立ち並ぶ松の木の歪んだ枝ぶり、
そして大半のホテル・旅館が閉鎖し、廃虚化しているところも
何やらいい味付けになっており、
白波の立つ海の景色と奇妙にマッチしているように思えた。
「伊勢に来たら、ごはんは餃子ですよ」
「え、ギョウザ?」
民泊の女性オーナーにそう言われたときは、
一瞬、目が点になった。
伊勢名物と言えば、赤福餅はスイーツだから別だとしても、
一般的には「伊勢うどん」、もしくは「手ごね寿司」、
高そうだけど、やっぱ「伊勢エビ料理」。
ギョウザっていったい・・・。聞いたことないんだけど。
僕らの戸惑いをものともせず、彼女は堂々と言い放つ。
「伊勢の餃子は日本一。日本人も外国人も誰もが認めています。
ここから歩いて3分。Have a Nice meal!」
というわけで紹介されたのが「ぎょうざの美鈴」。
本当に泊った宿から歩いて3分。
幹線道路沿いにある小さな店だ。
金曜の夕方6時過ぎ。
店の前には1ダースほどの行列ができている。
何時間も並んで飯を食うのは嫌いだが、
旅に来てるし、せっかくだからと思って並んだが、
20分待ちくらいで順番が回ってきた。
店内に入った瞬間、この店が人気あることが一目でわかった。
真ん中がオープンキッチン。
それをぐるりと20席ほどのカウンター席が取り囲む構造。
キッチンの中で立ち働く5,6人ほどのスタッフは、
活気あふれるおっさん、おばさんたちだ。
この店では出来立てを提供するため、
注文を受けてから餃子の皮を伸ばして餡を包む。
専門の包み手がいて、スピーディーな熟練の手さばきで
あっという間に数十個の餃子を包み上げ、焼き手に手渡す。
油を敷いた鍋にするするっと餃子の群れが滑りこむと、
ジュージューとおいしそうな音を立てる。
包み手・焼き手の職人技連係プレーにほれぼれする。
焼きあがった餃子は、皮はもちっとしながらもカリッと香ばしく、
中身の餡は野菜ベースで、とてもジューシー。
にんにくがたっぷり効いている。
一人前は8個だが、
何個でも食べられるさっぱりとした美味しさだ。
ちょっとストレンジなのがサイドメニューのラインナップ。
まず、ごっつい鶏の唐揚げ。
骨付きの大ぶりな唐揚げで、鶏肉の肉汁が口いっぱいに広がる。
唐揚げは中華つながりでわかるが、
なぜかカニクリームコロッケがある。
クリーミーで舌触りが良く、マイルドなおいしさ。
カニコロ好きのカミさんは、
餃子とカニコロをいっしょに食べられて大喜びで。
さらに不思議なことに、ごはんがなくて代わりにおにぎり。
鮭・おかか・梅の3種類がある。
飲み屋ベースだからかもしれないが、
ランチタイムの定食も餃子+おにぎり3個だ。
頼まなかったが、他に水餃子、おでんもある。
おでんは大根やがんもどきなど、七色のネタがあり、
「黒砂糖のような風味が効いている」など、
独特な味わいが支持されているようだ。
餃子を中心に、唐揚げ・カニコロ・おでん・おにぎり。
あまりお目に掛からないラインアップだが、
よくよく見れば、僕ら昭和っ子の大好物
そろい踏みという感じになっている。
それも「何でもあり」ではなく、
餃子店というコンセプトから外れない、
ぎりぎりの範囲で納まっている。
メニューのおいしさもさることながら、
とにかく店の雰囲気が最高にいい。
楽しくて懐かしくて活気があって、
アットホームで昭和レトロ感むんむん。
旅人がひとりでブラっとやってきても、
優しくて、あったかく、居心地の良い時間を過ごせるだろう。
カミさんが酒を飲まないので、
僕も旅行ではほとんど飲まないのだが、
この雰囲気にのまれて、つい一杯やってしまった。
「伊勢の餃子は日本一」の評価も、あながち大げさではない。
今の時代、日本人も外国人も、多くの旅行者は
こういう味・こういう空気・こういう日本情緒(?)を
求めているのではないかと思われる。
お値段もリーズナブルだ。
ちなみに次の日、土曜の夕方、
まだ5時をちょっと過ぎた時間にも関わらず、
前の日の倍以上の客が店の前を埋め尽くしていた。
後でネットで調べてみたら、
伊勢市宮町にあるこの「ぎょうざの美鈴」は、
2024年に「食べログ餃子百名店」に選出されるほどの
超人気店とのこと。
旅人を迎える民泊オーナーにとって、
まさに地元の誇りでもあるのだろう。
伊勢うどん、手ごね寿司、伊勢エビも
もちろんいいのだけど、お伊勢まいりに行ったら、
美鈴の餃子もどうぞお忘れなく。
若い頃からの性分なのか、
民泊が一般化してから、宿は好んで民泊にする。
仕事で使うならホテルなどの機能性を優先するが、
遊びで行くときは、まずどんな民泊があるかを
エアビーで探すようになった。
単なる安宿というだけでなく、
いろいろ個性があって面白いからだ。
ロケーションも観光地や駅前、繁華街のような
便利な場所であることは稀で、
多くは地元住民の生活圏である住宅街にある。
今回、伊勢で泊った家もその類で、
伊勢市駅から約15分、神宮外宮から10分ほどの
「宮町」というところにあった。
昭和の頃に建てられた家で、
若い世代には「懐かしい」と感じられる民家。
オーナーの女性は教師をしながら、
あちこち外国を旅行していたという人で、
旦那さんが亡くなってから、
家を改造して2階を民泊にしたのだという。
部屋は3部屋あって、僕らが泊ったのは、
2人から3人用の、6畳一間+αの中部屋だったが、
他に5~6人用の大部屋と、一人用の小部屋がある。
僕らの部屋は昭和感漂う和室だったが、
一人用の小部屋(最後の日はあいていたので覗かせてもらった)は、
大きなアンティーク風の机とベッドが置いてあり、
インテリアもちょっと欧風レトロといった風情。
作家や研究者の常宿といった感じでカッコよかった。
さらに夫婦ともども学校の先生だったこともあって、
膨大な蔵書があり、それらを全部集めて図書室にしている。
伊勢志摩の資料はもとより、昭和時代に刊行されたものを中心に
数千冊が10畳ほどの部屋に並んでいる様子は圧巻だ。
また、1階の受付ロビー風の部屋には
ハンドクラフトのミニギャラリーもあり、
オーナーの人生や人柄を映し出したようなゲストハウスだ。
彼女は割と気の合う人だったので、ちょっと話をした。
ここで民泊を始めたのは4年ほど前。
京都などと違って、伊勢では民泊はまだ希少な存在らしい。
少し離れた山のほうに別荘も持っているらしく、
そこでは貸し切りでさらに大勢のグループを泊められるそうだ。
利用するゲストは日本人と外国人が半々くらい。
いろいろな人が来るので緊張したり、疲れたりもするが、
毎日が面白いという。
僕より年上の彼女としては、家や本や資産はあっても、
連れ合いはいないし、ぼーっとして余生を過ごすだけは
ただボケていくだけだろう。
そういう意味では、仕事兼趣味として、
民泊の経営はもってこいだったのかもしれない。
ただ、ちょっと不器用そうで、
あまり経営者に向いているとは言えないキャラクターだ。
いい意味でも悪い意味でも、
ビジネスライクになれない人なので、
客によっては苦労したり、
嫌な思いをすることもあるかもしれないと心配になった。
他の民泊では、民泊用にマンションやアパートを一棟借りたり、
会社の空いている部屋を貸し出して、
スマホに送られてくる暗証番号で
カギを開閉するというシステムを採用。
オーナー、スタッフとはまったく顔を合わせないという
ところもよくあるが、それとは正反対の古臭いスタイルである。
経済的なことも気になったので、
家の改造費にはけっこう先行投資をしたのか?と
尋ねてみたら「そうです」というお返事。
金額までは聞かなかったが、細かいところも含めれば、
おそらく千万単位の費用は掛かっていると思う。
管理についてきくと、
掃除まではさすがに一人では手が回らないので、
他の人に1回につきいくらで頼んでいるため、
一泊だけだと、その手間賃と相殺してしまって
利益は出ないという。
ただ、「一泊の人はお断り」というわけにもいかないので、
連泊客を増やすために、
2泊目以降は少し割引値段にしているそうだ。
話した感じ、割とコンスタントに客が入っているようだが、
10年ほどやればイニシャルコストを回収できるのだろうか?
ただ、エアビーにかなりの割合で
マージンを持っていかれるらしいので、
経済面はきびしいようだ。
以前泊った京都の民泊オーナーは、
いろいろ対抗手段を考えていると言っていたが、
その後、京都では民泊条例が変わってしまったので、
どうしたのだろうか?
それはさておき、
このオーナーは地域の歴史や地元情報にも詳しく、
普通の観光ガイドには載っていない情報を教えてもらったり、
案内してもらったりしたので、宿泊費以上にお得感を感じた。
僕としてはとても好感度が高い宿で、
民泊自体に彼女の人生・人柄が表現されているように思え、
お伊勢参りの旅が、より心に残るものになった。
ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか。
お伊勢参りはええじゃないか。
ということで江戸時代のお伊勢参りはすごかった。
なかでも60 年に一度、出雲大社とダブルで遷宮をした、
慶安3年(1650)・宝永2年(1705)・
明和8年(1771)・文政13年(1830)は特別で、
町人文化が花開いた宝永以降の3回は、
江戸や京都・大阪の大都市をはじめ、日本全国の町や村から、
町人も百姓も武士も、
士農工商の埒外にあるアウトサイダーたちも、
みんなこぞって伊勢に繰り出した。
人が集まれば、当然、そこには商売も生まれる。
各街道をはじめとする伊勢への旅路には、
駕籠タクシー・飲食店・旅籠屋(宿泊)はもちろん、
賭場や遊郭などもバンバン作られ、露天商あり、大道芸あり、
その他、わけのわからない商売人たちが跳梁跋扈していたらしい。
なにせ60年に一度だから、ほとんどの人は人生で一度、
巡り合えるかどうかの希少なチャンスだ。
気合の入れ方はハンパない。
仕事なんてやってる場合じゃないぞ、ということで、
仕事を抜け出して旅立つことから“抜け参り”、
神々のおかげをいただくことから“おかげ参り”とも呼ばれた。
現代ならそんなことで勝手に会社やお店を休む輩がいたら、
ソッコーくびだろうが、江戸時代はみんな神仏を大事にし、
おおらかでもあったので「お伊勢参りならしゃーないか」と、
大目に見てくれたという話もある。
お伊勢参りは誰もが夢見る大イベントだったのだ。
そうした江戸時代の「おかげ参り」の様子を
ダイナミックに描き出した屏風絵がある。
しかも、それは芸術作品として、
博物館みたいなところで大事に飾られているのではなく、
いわゆるストリートアートになっている。
場所は内宮前から1キロほど続く「おはらい通り」から
「五十鈴川野遊びどころ」という広場・駐車場に抜ける
地下道「内宮おかげ参道」。
僕はお参りの後に行ったが、
こちらから来て内宮に向かう人を想定し、
いわば、内宮参りの玄関、そして、
タイムトンネルのような役割を持っているらしい。
この10メートルほどの地下道の両側の壁に
ずらりと並ぶ13枚の屏風絵が壮観なのだ。
この屏風絵は、それぞれバラバラなのではなく、
京都の三条大橋から伊勢神宮への旅が
一連のストーリーになっている。
西から東へ下ってお参りに向かう、老若男女の大群。
現代のように車も電車もないから、みんな歩きか、駕籠タクシー。
川を渡らなくてはならないときは舟である。
いったい何人が描かれているのか数えきれないが、
ひとり一人の表情まで詳細に描かれており、
その雑多で猥雑な、お祭り的賑わいは、
見ているこっちまで楽しくなってくる。
通り道なので、ほとんどの人はささっと目をやるだけ、
そそくさと歩き去っていく。
1枚1枚ちゃんと見ているのは僕たちだけだったが、
通り過ぎるだけではあまりにもったない。
伊勢の見どころの一つに上げてもいいくらいだ。
作者は「昭和の浮世絵師」と言われた門脇俊一画伯。
噓か真か、このストーリー仕立ての一大絵巻物を、
わずか3ヵ月で完成させたというから驚きだ。
この門脇画伯は、「こんぴらさん(金刀比羅宮)」にほど近い
香川県観音寺市に在住していた(2005年逝去)。
江戸から伊勢に詣でた人たちの中には、
その足を延ばして京見物、
さらに遠く四国のこんぴらさんまで旅した人もいるらしい。
現代人の感覚でいえば、世界一周旅行に近いのかもしれない。
「昭和の浮世絵師」によるこの大作の筆頭スポンサーは、
ご存知、赤福餅のメーカー 和菓子屋「赤福」である。
一連の旅のストーリーの最後の1枚、
すなわち、伊勢到着の画面は参道内でなく、
「五十鈴川野遊びどころ」にある
赤福五十鈴川店の店内に飾られている。
赤福の創業は、宝永4(1707)年となっているので、
宝永のおかげ参りのすごさを見て、店を出したのだろう。
その60年後・120年後には、すっかり伊勢の名物として
定着していたと想像できる。
そう考えると、300年以上の老舗の存在ってすごい。
当然のように、絵の中には赤福のお店があり、
そこで人々が座って、笑顔で赤福餅を食べている。
まさに至福のとき。
ついに着いたぞという喜びと達成感と安堵感、
そして、旅の疲れをいやし、
よくぞ参ったと労わり、祝ってくれるような、
甘い、とろけるような赤福餅のおいしさ、
それを包む伊勢の町の賑やかな風景が
1枚にしっかり凝縮されているのだ。
まさに一生一度のお伊勢参り。
こうした至福の時を味わうことを夢見て、
江戸時代の人々は生きていた。
現代はいつでも気軽に来られるけど、
じつは不便で苦労しなくてはならなかった、
昔の人たちのほうが幸福度は高いのかもしれないなぁと、
カミさんと赤福餅をほおばり、
お茶をすすりながら、せんないことを考えていた。
明日死ぬかもしれないので、一生一度の伊勢参り。
というわけで先週末、二泊三日で行った来ました、お伊勢さん。
まずはいきなりお土産のご紹介。
伊勢の名物と言えば、ごぞんじ、お餅をこしあんでくるんだ、
めっちゃおいしい赤福餅が超有名で、
全国お土産ランキングでも堂々第3位にランクイン。
伊勢では外宮・内宮ほか、あちこちいたるところに店舗があって、
おなじみの赤福餅はもちろん、赤福ぜんざい、
要するにお汁粉も食べられる。
それと同時に最近、売り出し中なのが「おかげ犬サブレ」。
赤福餅は日持ちがしないので、残念ながら、
ばらまき土産としてあっちゃこっちゃに配るのには不向き。
というわけで、このサブレが考案されたらしい。
(賞味期限約1カ月)
「おかげ犬」とは江戸時代、
首におめでたい注連縄と、街道の人々から
御寄進をいただくための巾着財布をつけて
お参りに行ったという「代参犬(だいさんけん)」のこと。
お伊勢参りに行きたくても、健康上の理由などで出かけられない、
お店のご主人などに代わって、
江戸から、京都・大阪から、遠くは四国や東北からも、
お参りに行った犬がワンさかいたという。
まさかそんな落語やメルヘンみたいな話は
誰かのでっちあげかねーのと思うだろうが、
本当の話でちゃんと記録も残っている。
このミラクルでハートウォーミングなドキュメンタリーは、
江戸研究者・動物研究者の本が出されたこともあって、
近年、一般人の間でもポピュラーになり、
それに目を付けた赤福が「おかげ犬」としてキャラ化し、
赤福餅とは別路線のお土産を作ったのだ。さすが商売上手。
もともと赤福餅は、「ええじゃないか、ええじゃないか」の
コマーシャルソングにもある通り、
江戸時代、何十万人と大挙して押し寄せた
伊勢参りの庶民を相手にして大当たりし、
全国に広まった名物。
そうした「庶民に愛される」というブランドコンセプトに
「おかげ犬」はぴったりだったのだ。
次は赤太郎とおかげ犬のコラボ商品も出してほしい。
これをお読みの皆さんが、日本の神様を熱心に拝んでいる、
信仰深い人だとはまったく思ってないので、
食べ物のことなど、俗っぽいお話を中心に、
年内、気まぐれにお伊勢参りのお話を書いていきます。
たぶん何の役にも立たない与太話なので、
お暇がある人だけ、テキトーに読んでってください。
なぞの演出満載の山口百恵版「伊豆の踊子」
小説(原作)と映画は別物。
それはそれでいいのだが、
そのギャップが大きければ大きいほど。
ツッコミがいがあって面白い。
「伊豆の踊子(1974年:三浦友和・山口百恵版)」は
その最たる例と言えるかもしれない。
川端康成の原作は、割と淡々とした小品だが、
映画にするなら、
全体をもっとドラマチックにしなくてはいけない。
それも当時のスーパーアイドルが初めての主役とあれば、
その見せ場もいろいろ作る必要がある。
というわけで、この作品の場合は、
そうした娯楽映画・アイドル映画のセオリーを踏まえながら、
社会問題を盛り込んでやろうという野心が込められていて、
謎めいた演出が随所に散見される。
日本人の差別問題が裏テーマ
社会問題とは差別問題だ。
1960年代のアメリカの公民権運動や女性解放運動などの余波は
ちょっと遅れて日本にも及んだ。
70年代前半は、学生運動の挫折があり、
昭和の高度経済成長という繁栄の陰にあった、
ダークなるもの・ダストなるものが見えてきた時代。
当時の先鋭的な文化人や屈折した若者たちが、
当時、まだあまり表沙汰になっていなかった、
日本社会における差別問題を掘り起こし始めていたのだ。
川端康成はそんなに意識していなかったと思うが、
大正末期に書かれた「伊豆の踊子」には、
そうした日本人の差別意識が、
いかんともしがたい悪しき現実として、
随所にちりばめられている。
映画はそれらの材料をかき集め、
大きく増幅して裏テーマみたいな形で描きだしている。
「あんな連中とは関りにならないほうがいい」という呪文
三浦演じる旧一高の学生は超エリートのボンボンで、
彼が旅路で出会う商人や旅館の人たちは皆、彼にやさしい。
旅芸人たちは、そうした商人たちの下の階層に置かれていて、
下賤な職業の人間として蔑視されている。
物語冒頭、学生と踊子たち旅芸人一座が出会った
休憩所(だんご屋)の婆さんは、
旅芸人たちと親しげに話していたが、
学生に対しては
「あんな連中とは関りにならないほうがいいですよ」と、
親切な(?)アドバイスのような呪文をささやく。
実はこれはこの映画のオリジナルのセリフで、原作では
「あの人たちは今日の宿も決まっていない
(放浪者みたいなものだ)」と言っている。
映画ではこの婆さんの差別意識を、
いっそうあからさまに表現しているのだ。
セクシー少女・百恵の魅力の開花
なおかつ、同じ旅館に泊まった客(商人)などは、
「あの子(踊子かおる)を一晩世話しろ」と
一座をまとめるおふくろに迫ったりもする。
彼女らのような芸人の女は、売春対象とみなされていたのだ。
これらは原作にはなく、この映画における演出である。
山口百恵は昭和のレジェンドアイドルだが、
彼女の人気に火が付いたきっかけは、
シングル2枚目「青い果実」3枚目「ひと夏の経験」と、
当時ローティーンながら、
セックスをイメージさせるきわどい路線の歌が
大ヒットしたからだ。
男はもちろん、当時の女もその歌にハートを貫かれた。
他の可愛い路線の甘ったるいアイドルにはまねできない、
子供が禁断の領域に踏み込むような、大胆で刺激的な表現は、
多くの人に圧倒的な刺激と感動を与えて支持され、
アイドル百恵の誕生につながった。
この伊豆の踊子もそうしたセクシー路線の成功を
踏まえたものであり、
観客の期待に応える娯楽映画であるとともに、
山口百恵の独特の、青い性的魅力を
うまく引き出したアート風味の映画とも言えるだろう。
ラスト1分 衝撃の不協和音
そして見せ場は最後の最後にやってくる。
学生は東京に帰るため、一座と別れ、波止場から船に乗る。
見送りに来たのは、
かおるの兄(中山仁)だけで彼は内心がっかりするのだが、
船が出た後、埠頭で手を振るかおるの姿を見つけ、
大喜びで叫び、手を振り返す。
離れ離れになってはじめて
「ああ、この感情は恋だったのだ」と気づく青春純情ドラマ。
その切なくて、あたたかな余韻を残しつつ、
きらきら輝く海をバックにエンドマークが出て終わり、
というのが、この手の青春映画・ロマンス映画の常道だと思うが、最後の1分で、またもや謎の演出が施される。
叫んだ学生の頭の中に、あのだんご屋の婆さんに聞かされたセリフ「あんな連中とは関りにならないほうがいいですよ」が
唐突によみがえり、まさに呪文のようにこだまするのである。
え、なんで?と思った瞬間、旅館のお座敷のシーンに転換。
かおるが酔客相手に笑顔で踊っている。
ところが彼女に酔っぱらったおやじが絡みついてくる。
しかも、そのおやじの背中にはからくり紋々の刺青が。
ひきつりながらも笑顔を保ち、
懸命にそのおやじを振りほどこうとする踊子かおる。
最後は顔をそむける彼女と、おやじの刺青がアップになり、
ストップモーションになってエンドマークが出るのである。
なんとも奇妙で、
まるで二人の恋心を容赦なく切り裂くようなラスト。
なぜラストショットが、
若い二人の清純な心を映し出す伊豆の海でなく、
汗臭く、いやらしい酔っ払いおやじの刺青なのか?
夢は終わりだ、これがわれわれの現実だよ。
とでもメッセージしたいのか?
せっかくモモエちゃんの映画を観に行った当時の観客が、
このラストシーンに遭遇してどう感じたのか、
怒り出す人はいなかったのか、知る由もないが、
50年後の今見た僕としては、美しい予定調和でなく、
違和感むんむんのこうした不協和音的エンディングが、
なんとも昭衛的で、僕はけっこう好きである。
あなたも日本人なら「伊豆の踊子」体験を
ちなみに川端康成の原作も、二人の別れでは終わっていない。
船が出る前、学生は地元の土方風の男に、
3人の幼子を連れた婆さんを
上野駅(その婆さんの田舎が水戸)まで送って行ってやってくれ、と頼まれるのである。
現代ならとんでもない無茶ぶりだが、
大正~昭和初期の時代は、エリートたるもの、
こうした貧しい人たちの力になってあげるのが当然、
みたいな空気があったようで、
彼は快く、この無茶ぶりを引き受ける。
そして踊子との別れを終えた後、
伊豆の旅で下層の人たちと心を通わせた、
東京では味わえない体験が、旅情とともによみがえってきて
彼は涙を流すという、なかなか清々しい終わり方をしている。
当時の読者はきっと、この学生は一高(東大)を出たら、
庶民の気持ち、さらにその下の被差別者の心情もわかる、
立派な官僚か何かになって、日本の未来を担うんだな――と、
そんな前向きな感想を持っただろう。
ちょっと悪口も書いたが、世界の文豪にして、
少女大好きロリコンじいさん 川端康成先生の、
古き良き日本人の旅情・人情に満ちた「伊豆の踊子」。
本当に30分から小一時間で読めちゃう小説なので、
まだ読んだことがない人はぜひ。
そしてその50年後、戦争と復興、高度経済成長を経て、
豊かになった昭和日本で、
この物語がどう解釈され、リメイクされたのか、
令和の世からタイムトラベルして、
若き山口百恵・三浦友和の映画で確かめください。
名作「伊豆の踊子」の舞台
伊豆の河津に行ったのは先週だが、
駅には伊豆の踊子像と川端康成文庫コーナーがある。
それで初めて河津が、かの日本文学の名作
「伊豆の踊子」の舞台なのだということを認識した。
主人公の学生と踊子を含む旅芸人一座が超える天城峠は、
今の伊豆市と(賀茂郡)河津町との間にある。
ゆかりの宿として知られる「湯ケ野温泉 福田屋旅館」も
河津町だ。
いずれも山のほうなので、仕事のついでにちょっと寄っていこう、みたいな場所ではないので、
そのまま帰ってきてしまったが、せっかくなので・・・と、
生まれて初めて、まともに「伊豆の踊子」を読んでみた。
おどろきの踊子
いわゆる名作は、ストーリーのあらましやダイジェスト版が
なんとなくどこかから耳に入ってきて、
知ってるつもり・読んだつもりになっている。
僕もこれまで「伊豆の踊子」にも川端康成にも関心がなく、
スルーしてきたが、65歳でやっとまともに読んだ。
そして正直、びっくりした。
え、これだけ?って感じ。
文庫本でわずか40ページ。
字数にして2万字あまりの短編で、
30分ちょっとあれば読めてしまう。
旅の話、途中で出会う踊子に恋して云々ということで
けっこうな長編の、抒情的ドラマをイメージしていたのだが、
ひどくあっさりした短い話なのでびっくり。
どうしてこんなすぐ読める物語なのに、
俺は50年あまりもの間、読まずにいたのだろうと、
自分の人生を後悔してしまった。
でもまあ、ここでちゃんと知ることができてよかった。
100年前の変態ロリコンじいさん
ついでに川端康成先生についても、いろいろ調べてみた。
なんといっても「世界のカワバタ」。
ノーベル文学賞を受賞した、
敷居の高い大作家・大文豪というイメージだったが、
その幻想もガラガラと崩れ去った。
今の世の中だったら、まず間違いなく、ロリコン少女漫画家とか、美少女アニメを作っていたオタク作家である。
「100年前の変態ロリコンじいさん」というのが、
最近の川端康成の定番像のようだ。
踊子へのエロい思慕
そういうイメージをインプットして読み始めてしまったので、
この「伊豆の踊子」の物語も、
なんとなくエロっぽく読めてしまう。
主人公の男は旧制一高(今の東大)の学生で20歳。
いわば川端の分身みたいな人物だが、
それが旅の一座の踊子(14歳)に淡い恋心を抱く。
大学生が中学生に――ということなので、
今どきの倫理観で言うと、セーフかアウトか、
ちょっと微妙なところ。(やっぱアウト?)
全体的にはあくまで「淡い恋」「ささやかな慕情」が
メインのトーンだが、川端先生、途中で欲求が抑えきれず、
いきなり踊子が素っ裸で出てくるシーンもあり、
頭がくらくらしてくる。
わずか40ページの短編のなかに、
こうしたスパイシーなアクセントが施されているところが、
日本文学の名作、それどころか世界名作としても
親しまれているゆえんなのかもしれない。
そう考えると、100年前の日本の文学界、および、
世界の文学界に君臨していた作家・識者・学者の類は、
みんな少女幻想を抱いたロリコンおやじたちばかりだった
のではないか?という疑念にとらわれる。
いい加減だから名作になった?
正直な感想を言うと、ボリュームもさることながら、
そんなに中身のある話ではない。
話の設定も人物の造形も割といい加減で、なりゆきまかせ。
物語としてはかなり薄味である。
川端自身が文庫本のあとがきで書いているが、
もともとこのあたりを旅したときの旅行記から、
旅芸人の一座との交流の部分を、
何年後かに抜き書きしたものらしい。
いわば自分が実際に体験したドキュメンタリーの
ノベライズなのである。
また、川端は、この作品では
「修善寺から下田までの沿道の風景がほとんど描けていない」とし、後でリライトしようとしたが、できなかったとも言っている。要は自作としてそんなに満足できるものではなかったのだろう。
でも、この作品の場合、その「さらっと感」
「割といい加減な、力が抜けてる感」がいいのかもしれない。
発表されたのは大正最後の年、15年、1926年。
まさしく100年前、「伊豆の踊子」は、
日本人のハートをわしづかみにした。
川端初期の代表作、日本文学の代表作とまで言われ、
6度にわたって映画化された。
映画は1974年の山口百恵版が最後かと思っていたが、
その後もテレビドラマ、アニメ、歌舞伎、ミュージカル(?)でもやっているらしい。
「女が箸を入れて汚いけど」
なんだか川端先生の悪口を並べ立てたみたいだが、
かなり深く心に刺さった部分もある。
それは主人公の男と、踊子たち旅芸人との「社会的格差」である。
100年前、旧制一高の学生と言えば、
日本の未来を背負って立つエリート中のエリート。
対して、旅芸人たちは最下層の被差別民。
さらにその中でも女は一段身分が低く、
一座のリーダー役の「おふくろ」は、
(泉の水を飲むとき)「女のあとは汚いだろうと思って」とか、
(鳥鍋をすすめて)「女が箸を入れて汚いけど」とか、
二度も卑下して、自ら「女は汚い」と言っている。
(川端が言わせている)
現代よりも江戸時代に近い「踊子」の世界
江戸時代、歌手でも役者でも、いわゆる芸能人は
どんなに人気があろうとも被差別民であり、
身分制度の埒外の存在、
つまり、まともな社会人として扱ってもらえなかった。
それは徳川幕府が、町人や農民に
「自分たちより下の、卑しい身分の人間がいる」と思わせ、
できるだけ不満を抱かせないようにするための、
狡猾な支配構造をつくったからだ。
その意識は明治になって近代化された以降も、
えんえんと人々の意識に残った。
そういう意味では100年前、
大正から昭和になったころの日本はまだ、
現代よりも、江戸時代に近かったのかも知れない。
モモエ踊子は差別問題を強調?
小説を読んだ後は、映画も見た。
1974年、昭和49年に公開された、
三浦友和・山口百恵初共演の作品だ。
これも今に至るまで気が付かなかったが、
このモモエ踊子は、恋愛劇の裏で
「伊豆の踊子」で描かれた差別問題をかなり強調している。
今、そういう意識で見ると、単なるアイドル映画・旅情映画ではなく、ちょっと深い作品に見えてくる。
その話はまた次回に。
●伝説の茶壺、ついにご対面
前編では栖足寺の由緒正しい歴史と、
河童伝説の顛末を紹介したが、
いよいよ後編では本丸である。
住職に「河童の壺を拝見したい」と申し出ると、
快く承諾してくれた。
住職が大切そうに持参したのは、
見た感じ直径30センチほどの茶色い壺である。
よく見ると表面がややぼこぼこしており、
いかにも古い時代の手作り感が漂っている。
蓋は何度か作り変えられているそうだが、
壺本体は実に700年以上前のものだという。
「実は、これはお茶の葉を入れる茶壺なんです」
住職がひっくり返すと、
底には「祖母懐」という文字が刻まれている。
●国宝級の陶工が作った、河童の置き土産
「祖母懐」と書いて「そぼかい」と読む。
これは両側が山に囲まれて南側に向かって開けている、
温暖で良質な土が採れる土地のことを指すのだそうだ。
愛知県瀬戸市にこう呼ばれる場所があり、
そこが陶器の別名「瀬戸物」の発祥地なのである。
さらに驚くべきことに、この壺には作者のサインまで入っている。
「加藤四郎左衛門景正」
これは瀬戸焼の開祖として知られる伝説的な陶工の名前である。
加藤景正は鎌倉時代前期の陶工で、
一般的には貞応2年(1223年)に道元とともに南宋に渡り、
帰国後に尾張国瀬戸で窯を開いたとされている人物だ。
現在も愛知県瀬戸市の深川神社境内には、
景正を祀った「陶彦社」が存在する。
「本物なら国宝級の品物です。
ただし、河童にもらった後は門外不出ということで、
鑑定などしてもらったことはありません」
住職は笑いながら説明してくれた。
「河童からもらいました」と言えば、
鑑定士はどんな顔をするだろう?
そうしたテレビ番組もあるが、そうしたところに出したら
どんな結果になるか、正直、見てみたいものだ。
さて、話を戻すと、この時代はまだ轆轤がなかったため、
粘土を丸くして重ねて成型していく手法で作られたという。
そのため表面に痘痕のようなぼこぼこした跡が残り、
焼き上げた後に石が出てくるような荒々しさが
四郎左衛門の作風だったそうだ。
確かに、目の前の壺も実に味わい深い、
野趣に富んだ風合いを見せている。
●いよいよ河童のせせらぎ体験
「河童はこれを置いていくときに、
『この中に河津川のせせらぎを封じ込めました。
これを聴いて私を思い出してください。
この川の音が聴こえる限りは、
私はどこかで元気に暮らしていますから、
和尚さん、安心してください』と言い残して去っていったんです」
住職の説明を聞いているうちに、だんだんと期待が高まってくる。
果たして本当に河童の封じ込めたせせらぎが聴こえるのだろうか?
「どんな壺でも、こうやって耳を近づけて聴くと、
ぼーっという音は聞こえるものなんです。
それは容器の中で風が流れる音で、
貝を耳に当てたときにも同様の音が聞こえるので、
お分かりかと思います。
しかし、この壺の場合はそれだけでなく、ぼーっという音の中、
下の方からぴしゃぴしゃっという感じの、
小さな水が流れる音がします」
住職に促され、恐る恐る壺の口に耳を近づけてみた。
最初は確かにぼーっという、よくある空洞音が聞こえる。
しかし、じっと耳を澄ませていると……あった!
確かに奥の方から、ぴちゃぴちゃという水の音らしきものが
聞こえてくるではないか。
まさに小川のせせらぎのような、
優しい水の流れる音が壺の奥底から響いてくる。
思わず身を乗り出して、もう一度しっかりと耳を当て直してみた。
やはり聞こえる。確実に水の音である。
正直、最近なかった、一種の感動に背筋がゾクゾクした。
●プロの最新機材で録れなかった音が、
子供のラジカセで録音成功
住職によると、この不思議な音を録音しようと、
NHKが高性能のマイクを持ち込んで挑戦したことがあるという。
しかし、どんなに頑張っても音を捉えることができなかった。
「ところが、近所の子どもがこの音を録りたいといって、
ラジカセみたいなもので録ったら録れたんです」
なんとも不思議な話である。
最新の録音機材では録音できないのに、
子どものラジカセでは録音できる。
まるで河童が、純真な心を持つ者だけに
水音を聴かせてくれるかのようだ。
試しに僕も自分のICレコーダーを取り出して録音を試みてみた。
すると、どうだろう。確かに音が録れているではないか。
後で家に帰って聞き返してみると、
確実にせせらぎの音が記録されている。
超うれしい!
これは一体どういう現象なのだろうか。
科学的に説明のつく現象なのか、
それとも本当に河童の仕業なのか。
真相は定かではないが、確実に言えるのは、
この壺から不思議な音が聞こえるというのは、
真実であるということだ。
●豪雨の前兆を知らせる、河童からの警告
住職の話では、この壺にはさらに不思議な力があるという。
豪雨などで河津川が氾濫しそうになった時、
壺の中でゴウゴウと唸りが聞こえ、
洪水を予告してくれるのだそうだ。
「今でも川の音が聞こえるのですが、
河津川の水位が上がりそうな時など、
壺がいつもと違う音を立てて知らせてくれることがあります」
これは確かめようがなかったが、
もし本当だとすれば、
河童は命の恩人である和尚への恩返しとして、
災害から人々を守り続けてくれているということになる。
●禅の教え「不立文字」と河童の壺が奏でるハーモニー
ここで住職は、この河童伝説に込められた深い意味について語ってくれた。
「お寺にこの昔話が伝わっているのは意味があると思うんです。河童は『これを聴いて私を思い出してください』と言っています。
ですから、この音を聴くと、今でも河童はこのあたりに暮らしているのだ、
と思いを巡らせることができます」
その上で住職は、禅宗の根本的な教えである
「不立文字」(ふりゅうもんじ)について説明してくれた。
「達磨大師の教えに『不立文字』というものがあります。
これは、人は書かれている文字を真実と思い込み、
それに惑わされてしまうという教えです。
実は文字では真実は伝わらない、ということなんですが、
例えば、こういう音を聴いたり、においを感じたり、
肌で感じたりすることで、
現実には目に見えないものに思いを馳せたり、
いろいろな想像・連想ができたりする。
そうしたものも『不立文字』の教えに入るんです」
なるほど、これは深い話である。
現代社会では膨大な量の文字情報に囲まれ、
さらにAIが生成する映像や音声なども加わって、
僕たちはそれらに振り回されがちだ。
しかし禅の教えによれば、真実は文字や人工的な情報では伝えられない。
むしろ五感を通じて感じ取るものの中にこそ、
真実が隠されているというのだ。
「人間が本来持っている『仏性』を大切にして、
自分で感じなさいという教えです。
現代社会では、テレビやインターネットを通じて
文字・映像・音声などになった膨大な情報が入ってきて、
皆さん惑わされますから。
こういうものを聴いて『あ、河童生きてるかも』と
想像力を膨らませるのも、不立文字の実践なんだよ、
という教えが、
この伝説に詰まっているんじゃないかと思うのです」
●「衆生本来仏なり」-河童が教えてくれる仏の心
住職はさらに続けた。
「人間は『衆生本来仏なり』という言葉にあるように、
もともと仏の心を持っています。
ところが、現実の社会で生きるうちに、
心にたくさんの垢がこびりついてしまう。
真実を見るのは、それを落としていくことが必要なんです」
これも禅宗の重要な教えの一つである。
すべての人間は本来、仏と同じ清らかな心を持って生まれてくる。
しかし生きていくうちに、さまざまな欲望や偏見、
先入観といった「垢」が心に付着してしまう。
その垢を落とせば、本来の仏性が現れるという考え方だ。
河童の壺から聞こえるせせらぎの音は、
その心の垢を洗い流してくれる効果があるのかもしれない。
現実の利害関係や損得勘定を離れ、純粋に音に耳を傾ける時、
僕たちは本来の清らかな心を取り戻すことができるのだろう。
「うちのお寺はこうした佇まいなので、訪れた方は皆さん、
実家とか故郷に帰ってきたようで落ち着くとおっしゃいます。
昔ながらの趣を残した、癒しの空間だと評価されるんです。
ですから、そんな中で、こうした体験をすると、
より心に響くのかなと思います」
確かに、栖足寺の境内は不思議と心が落ち着く場所である。
現代的な装飾や人工的な美しさとは対極にある、
素朴で自然な美しさがそこにはある。
そんな環境の中で河童の壺の音に耳を傾けると、
日頃の雑念が自然と消えていくような感覚を覚えるのだ。
●現代人に必要な、河童からのメッセージ
河童の壺から聞こえるせせらぎの音を体験して、
僕は深く心を動かされた。
これは単なる音響現象以上の何かがある。
人はみな心に仏性を持っており、
それによって、せせらぎの音を聴くことができる。
虚実入り混じったネット情報に翻弄される現代人にとって、
こてはとても大切な体験であるように思える。
SNSで飛び交う断片的な情報、
ニュースサイトに踊る刺激的な見出し、
AI生成による真偽不明の映像や音声、
誰かの偏った意見が拡散される炎上騒ぎ--
僕たちは日々、膨大な「情報」に囲まれて生きている。
そして知らず知らずのうちに、それらの情報に振り回され、
本来の自分を見失ってしまっているのかもしれない。
そんな時、河童の壺から聞こえるせせらぎの音は、
僕たちに大切なことを思い出させてくれる。
文字や人工的な情報で表現できない真実が、
この世界にはあるということ。
そして、その真実は五感を通じて、
心で感じ取るしかないということを。
●科学では説明できない不思議と、それを受け入れる心
この河童の壺の音について、
科学的な説明を求めたくなる気持ちもある。
壺の形状による音響効果なのか、
それとも何らかの物理的現象なのか。
しかし、そうした科学的説明を求めること自体が、
実は「情報に惑わされる」ことの一例なのかもしれない。
大切なのは理屈ではなく、
その音を聴いて何を感じるかということなのだろう。
最新の科学技術よりも、
純真な心の方が真実に近づけるということなのかもしれない。
河童が和尚に「私を思い出してください」と言い残したように、
この音を聴く時、
僕たちは「河童とは何か?」について思いを馳せることになる。
河童が実在するのかどうかは問題ではない。
大切なのは、その存在を通じて、
自然との調和や他者への慈悲といった
大切な価値を思い出すことなのだ。
●あなたの心の中の河童に出会うために
700年という長い年月を経ても、
河童の壺は今なおせせらぎの音を響かせ続けている。
伊豆に来たら、河津に来たら、
ぜひ河童寺・栖足寺を訪れてみることをお勧めしたい。
ただし、河童の壺を体験したい場合は、
この壺が寺宝中の寺宝であるため、
必ず事前に連絡を入れて準備をしてもらう必要がある。
そこで、あなたも河童の封じ込めた
せせらぎの音を聴いてみてほしい。
音が聞こえるかどうかは、あなたの心の状態次第かもしれない。
日頃の雑念を捨て、素直な気持ちで耳を傾けてみよう。
もし音が聞こえたなら、
それはあなたの心の中に仏性が息づいている証拠だ。
そして、河童という架空の存在を通じて、
自然への畏敬の念や他者への慈悲の心を
思い出すことができるだろう。
あなたの心の中の河童に出会えるかもしれない栖足寺。
そして河童が、
人生で本当に大切なものを教えてくれるかもしれない。
文字や人工的な情報に疲れた、僕たち現代人にこそ、
河童の壺が奏でるせせらぎの音は、
きっと新鮮な感動を与えてくれるはずである。
(おわり)
●ディスカバー河童寺
今週は仕事の取材で、静岡県河津町にある
「河童寺」の通称で親しまれる栖足寺(せいそくじ)を
訪ねることになった。
JR伊豆急行線の河津駅から徒歩10分弱という好立地である。
駅を出ると、あの有名な河津桜の並木がある河津川が
目の前に広がる。
あいにくの小雨模様だったが、
河津川を渡ってすぐに栖足寺の境内に足を踏み入れると、
これが意外にもラッキーだったかもしれないと思えてきた。
ピーカンの青空だと、どうにも風情がない。
むしろこの雨模様のほうが、
なんとも言えない妖しい雰囲気を醸し出していて、
まさに河童が出てきそうな気配が漂っているのである。
●椅子まで河童という油断のならない境内
境内に入ってまず驚かされるのは、
とにかくあちこちが河童だらけということだ。
持参した飲み物を飲もうと思って何気なく腰を下ろした椅子も、
よく見ると河童の形をしていた。
思わず「おっと失礼」と河童に謝ってしまうほどである。
寺院としては日本的な古さを感じさせる、
いかにも由緒正しそうなお寺だ。
と同時に、どこか懐かしい感じもする。
よくよく観察すると、シンボルっぽい河童像を中心に
境内全体がレトロアートな感じにアレンジされているのが分かる。
これは後で知ったことだが、
ミュージシャンでありアーティストでもある現住職のセンスが
なせる業なのだ。
●鎌倉時代生まれの禅寺、河童と暮らして700年
「河童の寺」という通称が板についた栖足寺は、
実に700年の歴史を持つ古刹である。
その創建は元応元年(1319年)、鎌倉時代にまで遡る。
開山したのは下総総倉の城主千葉勝正の第三子である
徳瓊覚照禅師(とくけいかくしょうぜんじ)という、
なかなかに由緒正しい禅寺なのだ。
徳瓊覚照禅師は八歳で得度し、
二十歳にして大本山建長寺で建長寺開山の
大覚禅師(蘭渓道隆)の直系弟子として九年間、修行を積んだ。
その後、中国に渡って当時の禅の名僧たちに師事し、
帰国後は各地の名刹を歴任した。
そして元応元年、北条時宗の旗士であった北条政儀の招きにより、この河津の地にやってきたのである。
興味深いのは、もともとこの地には「政則寺」という
真言宗の寺があったということだ。
それを禅寺に改めて「栖足寺」としたのである。
「栖足」という寺号は、百丈禅師の「幽栖常ニ足ルコトヲ知ル」(静かな隠遁生活に常に満足することを知る)
という句から取られたと推測されている。なんとも禅寺らしい、
深い意味を込めた名前である。
●桜に負けた河童の末路と、寺が果たした避難所の役割
現在の住職にお話を伺うと、興味深い地域の歴史が見えてくる。
「大昔から栖足寺は河童寺として通っており、
河津桜で有名になる前--
昭和の時代までは、河津町は河童で町おこしをしていたんですよ」
今でこそ河津桜で全国的に有名になった河津町だが、
桜まつりが始まったのは今から34年前の
1991年(平成3年)のこと。
桜まつりは1999年(平成11年)には訪問客が100万人を超える
大イベントに成長したが、
それ以前は河童が町の看板だったのである。
「各旅館に河童のおちょこやとっくり、手ぬぐいなどがあったり、
商工会に飾られていたりしたんです。
でも桜が有名になって見向きもされなくなったので、
そういったものを寺で預かったんです」
なんとも皮肉な話である。
河童で町おこしをしていたのに、桜の方が大ブレイクしてしまい、
河童グッズは行き場を失ってしまったのだ。
そこで栖足寺が河童文化の避難所のような役割を
果たすことになったというわけである。
●「つくったが、作られていないように」のアート美学
現住職は過去10年あまりで、境内の大改修も手がけた。
「『つくったが、作られていないように』をテーマにしました」
ちょいダークで、幽玄なムードを醸し出す草木や苔。
人が一人、ゆうに入れそうな大瓶や、
まっ茶色に錆び付いた自転車のオブジェ。ユニークなアート哲学に基づいてアレンジされた境内は、
「雨が降ると河童寺っぽくなる」という演出も施され、
心憎いばかりだ。
書家の師範のスタッフもいるということで、
寺院としての格式を保ちながらも、
現代的なアート感覚を取り入れた斬新な取り組みである。
●先代住職の逝去と、一時休業中の河童ギャラリー
以前は客間で「河童ギャラリー」を開いて、
町から預かった河童グッズを展示していたそうだが、
昨年、先代住職が逝去され、いろいろな儀式があったため、
一旦片付けられ、まだ再開されていないとのことだった。
「河童ギャラリー、ぜひ見てみたかったのですが…」と言うと、
住職は苦笑いを浮かべながら、
「また準備が整い次第、再開する予定です」と答えてくれた。
●裏門の淵で暮らしていた、いたずら好きの住人
さて、そもそもなぜ栖足寺が河童寺と呼ばれるようになったのか。
それは江戸時代から語り継がれている河童伝説があるからだ。
昔、栖足寺の裏を流れる河津川の淵に、河童が住んでいた。
お寺の裏に位置するその場所は、
川が大きく蛇行して深い淵を作る「裏門」と呼ばれていた。
この河童、水浴びをしている子どもの足を引っ張るなど、
いろいろないたずらをして村人を困らせていた。
そのうち噂が一人歩きして、「河童が子どもの尻子玉を抜く」とか
「生き肝を食らう」などと大げさに伝えられるようになり、
村人たちは河童を恐がり、ついには憎むようになってしまった。
なんとも人間らしい話である。
最初は単なるいたずら者だった河童が、噂によってどんどん恐ろしい存在に仕立て上げられていく。現代でもよくある話だ。
●馬のしっぽにしがみついて御用となった河童
そして運命の日がやってきた。
ある夏の夕方、村人たちは寺の普請(建物の修理や建設)の手伝いをした後、裏の川で馬や道具を洗っていた。
そのとき一頭の馬が急にいななき、後ろ足を高く蹴り上げた。
そばにいた村人が驚いて見ると、馬のしっぽに何か黒いものがしがみついている。
よく見ると、それは噂に聞いていた河童だった。
「河童だ、河童がいるぞ!」
誰かが叫ぶと、近くにいた村人たちが一斉に集まってきた。
河童も捕まってしまったら大変と大慌てで逃げ出し、
裏門を抜けて寺の井戸に飛び込んだ。
ここでの河童の行動が実に人間臭い。
馬のしっぽにしがみつくという、
なんともマヌケな状況で発見され、
慌てふためいて逃げ出す様子が目に浮かぶようだ。
●井戸に逃げても逃げ切れず、袋叩きの刑
しかし村人たちは容赦しなかった。
井戸に逃げ込んだ河童に向かって、てんでに石を投げつけた。
河童はバラバラと落ちてくる石に我慢ができず、
井戸の中から這い出してきてしまった。これが失敗だった。
村人たちは河童を取り囲み、
「こやつはひどいやつだ。殺してしまえ」と叫びながら、
棒切れで叩き始めた。
ちょっとやりすぎな気もするが、
当時の人々にとって河童は子どもを攫う
恐ろしい妖怪だったのだから、無理もない話かもしれない。
●「殺生は禁物じゃ」-禅僧の慈悲が救った一命
ちょうどそこへ、栖足寺の和尚さんが帰ってきた。
村人たちが騒いでいるのを見て、何事かと近づいてみると、
河童が息も絶え絶えに倒れている。
それでもなお、村人たちは河童を叩き続けている。
和尚さんは大きな声で「皆の衆、やめられい」と叫んだ。
「今日は寺の普請の日じゃ。殺生は禁物じゃ。
寺の縁起にかかわる。この河童はわしが預かろう」
さすがは禅僧である。
暴力で問題を解決しようとする村人たちを諫め、
慈悲の心で河童を救おうとした。
村人たちも、寺の縁起にかかわるのでは仕方がないと、
和尚さんの言葉に従って河童を預けた。
●月夜に現れた河童からの、思いがけない恩返し
和尚さんは村人たちがいなくなると、
「これ河童、助けてやるからどこか遠くへ行きなさい」
と言って、河童を逃がしてやった。
この和尚さんの優しさが、後に奇跡を生むことになる。
その晩のこと、和尚さんは何者かが庫裏の戸を叩く音で
目を覚まし、縁側の雨戸を開けてみた。
すると、月明かりの中に昼間の河童が立っていたのである。
●河津川のせせらぎを封じ込めた、魔法の壺
河童は言った。
「昼間は助けていただき、ありがとうございました。おかげさまで命拾いをしました。このつぼはお礼のしるしです」
そう言って、丸い大きなつぼを縁側に置いた。
「このつぼに河津川のせせらぎを封じ込めました。
口に耳を当てると、水の流れる音がします。
水の音が聞こえたら、
わたしがどこかで生きていると思ってください。
和尚さまもどうぞお元気で」
そう言い残して、河童は立ち去ったのだ。
●令和の今も、壺に耳を当てれば
和尚さんは夢心地で聞いていたが、
我に返ると確かに縁側に大きなつぼが置いてあるので、
河童が本当に来たのだと確信した。
それからというもの、河津川に河童が姿を現すことはなくなり、
村人たちもいつしか河童のことは忘れていった。
けれども和尚さんは時折つぼの口に耳を当て、
底の方から聞こえる、かすかな水音を聞いて、
河童の無事を思った。
また、河津川に出水があった際、
このつぼがゴウゴウとうなりを上げて知らせ、
人々が助かったこともあり、
それから寺の宝として大切に奉られてきたという。
今でもつぼに耳を当てると、川のせせらぎが聞こえ、
河童が元気で生きていることを伺える。
そして人々は水の流れが心を洗うと言い、
ありがたく拝聴していくのである。
●果たして河童の声は聞こえるのか~後編への誘い~
さて、この河童の壺、実は現在も栖足寺に残されており、
実際に耳を当てて音を聞くことができるのだという。
果たして本当に河童の封じ込めた河津川のせせらぎが
聞こえるのだろうか。
後編では、この神秘的な河童の壺による
不思議体験をレポートする。
僕は雨に濡れた境内で河童たちに見守られながら、
数百年の時を超えた河童との不思議な邂逅を
体験することになるのだが、
その詳細は次回のお楽しみということにしておこう。
後編ではいよいよ河津桜で有名になる前の河津町の隠れた魅力、
そして現代まで語り継がれる河童伝説の真相に迫る。
(後編に続く)
「わたしゃ殺生しないと生きられない。
だから、ご供養のために灯篭を寄進したいのです」
そう言って人間に化け、
長野の山中から善光寺参りをしに来たのはムジナ。
ところが泊まった宿坊「白蓮坊(びゃくれんぼう)」で
お風呂に入ってうっかり正体を現したところを、
宿坊の坊さに見られ、あわてて飛び出して山へ逃げ帰ってしまった。
そんなムジナを不憫に思った住職は、
ムジナの代わりに境内に灯篭を建ててあげた。
そんな昔ばなしが残る白蓮坊には、
今、入口にかわいい「むじな地蔵」が立っていて、
人目を集める「招き地蔵」「招きムジナ」になっている。
時に妖怪扱いされるムジナには、
タヌキ説とアナグマ説がある。
どちらも雑食性なので、
他の生き物を殺生するのは同じだが、
人に化けるというパフォーマンスから考えると、
ここではタヌキ説が有力だろう。
像もやはりアナグマではなく、タヌキに見える。
いずれにせよ、
こうしたユーモラスな昔ばなしが残るほど、
善光寺は動物に対しておおらかな場所である。
さすがに本堂のなかや建物の中には入れてもらえないが、
境内にはタヌキの親戚であるイヌが大勢散歩している。
仲見世通りのお店には「招き犬(豆柴)」もいた。
ネコも何匹か住み着いていて、
夜になると出て来るらしい。
そういえば「牛に引かれて善光寺参り」という
有名なことわざも残っている。
仏さまの聖域は、どんな人間も、どんな動物も、
ウェルカム状態なのだ。
訪れたのがちょうど七五三の季節だったので、
かわいい着物を着た子どももあふれていて、
昼間は宗教施設というよりも、
子どもや犬が遊ぶポップアートゾーンみたいな
イメージのところだった。
おおらかな気持ちになることが
ごりやくにつながるのだろう、きっと。
べつにガチで信心しなくても、
近所の神社やお寺の前を通った時、
神さまなり、仏さまなりに
日常的に手を合わせていると、
いいこと、いろいろあるかもよ。
長野は唐辛子の名産地。
ということで、善光寺の門前には
江戸時代から続く唐辛子製造販売の老舗
「八幡屋磯五郎(はちまんや いそごろう)」がある。
250年の歴史を経て、近年、
ポップでお洒落な唐辛子屋に生まれかわった同店には、
これまたしゃれたカフェが併設されている。
その店「横町カフェ」で特徴的なのは、
やはり辛い物のメニューが豊富なこと。
「七味唐辛子=和のスパイスと捉えた新しさ」と、
「七味唐辛子の伝統と信州の風土」を
感じてもらう店舗づくりを心掛けているという。
というわけで頼んだのは、
あい掛けカレー。
この店には、黒・緑・赤の3種のカレーがあるが、
それぞれ、大辛・辛口・中辛という感じ。
さすがに黒=大辛は厳しいだろうと思い、
緑と赤の2種類を掛けたカレーに。
これだけでも十分からい。
以前は辛いものが大好物だったが、
最近は、カミさんと義母に食味を合わせて、
マイルドなもの・どっちかというと甘口のものばかり
食べているので、すっかり辛味に弱くなった。
こってり系・油物などにも
急速に苦手石井が芽生えている。
さてこちら、横道カフェのカレーは辛いが、
写真の通り、野菜がたっぷり乗っかっていて、
イマ風ヘルシーメニューである。
感動するほどではなうが、普通においしい。
テーブルには隣りの唐辛子屋で売っている
バラエティ豊かな唐辛子がずらり。
パッケージもポップなデザインで、
「唐辛子=和スパイス」であることを強調している。
カフェなので、辛い物ばかりでなく、
ちゃんとコーヒー・紅茶やスイーツも用意されている。
面白いお店なので、
ぜび、長野・善光寺に行ったら寄ってみてください。
長野旅行では善光寺の宿坊に泊まった。
夕食は精進料理。
特に美味しかったのが「鰻のかば焼きもどき」。
豆腐と長芋を材料にしているそうで、
さすがに鰻とは思わないが、
食感と味はそれっぽくてGood。
これなら何枚でも食べられる。
ほかに手前のお椀に入った
グレーの「そばプリン」が秀逸。
プリンという名だが、スイーツでなく、立派におかず。
茶わん蒸し的なイメージだ。
こちらの宿坊「尊勝院(そんしょういん)」は、
善光寺で39ある宿坊の一つ。
昭和の時代まではどこも大賑わいだったようだが、
最近ではあまり泊まる人がなく、
3割程度しか稼働していないらしい。
交通が発達した今日、
東京からだと善光寺参りなど、
ほとんど日帰りでOKだ。
ただ「お朝事(早朝参拝、お数珠頂戴)」
「十夜会(この時期だけやっている夜の法事)」
などは泊まらないと参加できない。
お宮だったら伊勢参り。
お寺だったら善光寺参り。
江戸時代の人たちは「一生一度」と謳ったが、
齢を取ると宗教がいいものに思えてくる。
(おかしな新興宗教には用心するけど)
さらにあんまり肉や魚を
がつがつ食いたいという欲求が薄れて
精進料理なども好きになる。
善光寺があるから、というわけではないだろうが、
長野の菜食はなかなかのクオリティである。
今日はとげぬき地蔵でおなじみの巣鴨へ。
べつに仕事で出かけたわけではないが、
月刊終活なんて仕事をやっているので、
巣鴨の実態くらい見ておこうかと思い、
カミさんといっしょにぶらっと出かけたのだ。
通称・とげぬき地蔵尊は、この商店街の真ん中あたりにある
曹洞宗のお寺「高岩寺」のこと。
このとげぬき地蔵尊商店街では
毎月4のつく日にたくさん露店が出てジジババで大賑わい。
僕らが若い頃、「おばあちゃんの原宿」として
マスコミが取り上げてよく話題になった。
その頃以来のキャッチフレーズはもちろん健在だが、
ただ違うのは、自分自身がここを歩いていても
全く違和感を感じないこと。
むかし感じた一種のカルチャーショックのようなものなど
微塵もなく、街全体に昭和の香りが充満していて、
そこらへんでたこ焼きは食えるわ、大判焼きは食えるわ、
玉こんにゃくは食えるわ、塩大福は食えるわで、
居心地いいったらありゃしない。
お店の看板も「ズボン屋」とか「バッグハウス」とか
「もんぺ・はんてんの店」とか、レトロ感ハンパなし。
なかでも巣鴨の代名詞とも言える赤いパンツが、
強烈な存在感をアピール。
でも、「年寄に赤」にはちゃんと科学的根拠があって、
赤い色を身に着けると血流がよくなり、
気分も上がって元気になれるのだ。
年齢・性別に関係なく、冷え性の人は
健康維持・向上のために、
ショボくれてる人・メンタルやられちゃってる人は
元気回復・テンションアップのために、
赤パンは超おすすめ。
しかも最近は、こじゃれた年寄り用なのか、
それとも上記の理由で若い人たちも買い求めに来るのか、
レースのついたお洒落でセクシーな赤パンも売られていて、
ドッキリ!
見ると某有名下着メーカーの製品である。
それ以外にもいろんなレッドなお召し物が
ずらりと並び圧巻。
見ているだけで元気が出てくる。
気楽で面白いので、
老いも若きもぜひ巣鴨をぶらついてみよう。
おりべまことはジジババが登場・活躍する小説も
書いて電子書籍Amazon Kindleで出版しています。
「おれを、あたしをモデルにして何か書け」
という方はぜひご連絡ください。
昨日は埼玉の桶川を旅して、お昼にうどんを2杯食べた。
埼玉県は香川県に次いでうどんの生産量全国第2位。
そばを合せてめんの生産量としては堂々1位となる。
ついでにうどんの原料となる小麦の生産高も第9位で、
関東では群馬に次ぐ「麦どころ」だ。
土地や気象条件が麦づくりに適しているらしい。
ただ、讃岐うどんと違って、
「埼玉うどん」というのは存在しない。
定型がなく、これぞ!という特徴に欠けている。
要はブランディングできていないのだ。
香川=讃岐とちがって、
江戸時代から今日まで、首都圏の台所として
いろんな農産物の需要があったので、
がんばってうどんを売り込む必要性がなかったからか。
その中でも江戸時代の中山道の宿場町
「桶川宿」があったことで
桶川のうどんはその名を広く知られるようになり、
ある程度、ブランド化しているといえるだろう。
これも決まったスタイルがなく、
スタイルは店によってまちまち。
共通する特徴としては、
讃岐うどんに勝るとも劣らないコシの強さだ。
まさにコシコシで、シコシコ感ハンパなく、
噛むのにあごが疲れるくらいだ。
今回は2軒ともかけうどんを食べたが、
1軒目は鶏もも肉と昆布をコテコテに煮込んだ
関東系の濃い出し汁。
2軒目は讃岐に近い薄めのあっさりした
関西系の出汁で、これも店によっていろいろらしい。
また、冷たいうどんを熱いつけ汁につけて食べるのが
桶川流らしく、
2軒目の店ではそのバリエーションが豊富だった。
テーブルに岩塩と黒コショウのミルが置いてあり、
肉系のつけ汁にはこれらを入れて食べるらしい。
うどん屋に塩・胡椒が常備してあるなんて
初めてお目にかかった。
いずれの店も中山道沿いにあるが、
片や地元の人のごひいき、
片や外からも食べに来るお客が多いようで、
店の前には行列ができていた。
なぜ2杯食べたのか、長くなるので事情の説明は省くが、
結果的に2軒入れてとてもよかった。
桶川には他にもうどんの名店が20店くらいあるというので、
機会があれば食べ比べをしてみても面白い。
さて、今日はあなたは何を食べますか?
おりべまこと電子書籍
おふくろの味はハンバーグ
2月12日(月)16時59分まで
無料キャンペーン実施中!
読めば食欲がわき、
元気が出る面白エッセイ集。
この機会にぜひご賞味ください。
ワインというよりも「葡萄酒」という日本語の呼び名が
しっくりくる丸藤(まるふじ)葡萄酒工業株式会社。
昨日はそのワイナリーの見学ツアーに参加した。
ツアーと言っても、オフシーズンなので参加者は
僕と20代後半と思しきカップルの3人だけ。
静かな分、じっくりゆっくり貯蔵庫なども見学でき、
ガイドの女性の説明もていねいで、とても面白かった。
通常30分弱だが、僕がその場でいろいろ質問するので、
小一時間掛けて応じてくれた。
同行のカップルさんには少々予定を狂わせてしまったかも。
小規模なワイナリーだが、同社は明治36年創業で、
ここ山梨県・勝沼ぶどう郷の中でも指折りの老舗。
ショップなどは数年前に建て替えられたものだが、
創業当時の面影を再現したレトロモダンなつくりで、
いろいろなワインを見ながら、優雅な気分に浸れる。
もともとこの勝沼のあたりはブドウやモモの名産地で、
「勝沼や馬子も葡萄を食いながら」という
松尾芭蕉の俳句も残されているほど、
江戸時代から日本有数の果物の生産地だった。
政府の役人や地域の名士たちが
そこに目を付け、豊富で良質な甲州ブドウを使って
フランスなどヨーロッパに負けない
ワインを作ろうということになり。
地域を挙げてのワインづくりが始まった。
そんなガイドさんの話を聞いていると、
130年前の明治日本の
国を挙げた産業勃興の気概が伝わってくる。
国造りの大転換期だった明治は、
国家的スケールで新しい産業を起こすことに
エネルギーを注いでいたのだ。
甲州街道の宿場町があった歴史ある勝沼市は
塩山市などと合併して現在、甲州市に。
甲州市は山梨県でも一番の
ブドウ生産地・ワイン生産地で、
市内には45のワイナリーがあるそうだ。
その多くで見学・試飲もでき、
シーズンには大勢の人が参加する。
丸藤は見学料200円だが、その料金で試飲もできる。
3種のワインを少しずつ飲んでみて、どれもおいしかった。
このあたりは無数のブドウ畑だらけ・丘だらけなので、
効率よく回るには車がいい。
車なら首都圏からささっと行けるのも魅力だが、
ワインの試飲をするなら、運転する人は飲めない。
アルコールに弱い僕などは試飲だけで
30分くらいいい気分にあんってフラフラしていた。
良いワインは酔い心地もいい。
てなわけで電車でもすぐ
(JR中央線の「勝沼ぶどう郷」)なので、
宿場町の面影を残す旧甲州街道や
ワイナリーエリアを1日かけてぶらぶら歩いて、
帰りはタクシーで、というのが一番。
シーズンになれば、
ブドウ狩りやワイナリー見学の
バスやバスツアーもいっぱい出ているようだ。
今年、2022年は寅年。
来年、2023年はうさぎ年。
というわけで、トラの親戚で、
ウサギのようにかわいいネコはいかが?
というこじつけで、ネコ寺めぐりはいかが?
「地球の歩き方」が、御朱印シリーズとして
『関東版ねこの御朱印&お守りめぐり
週末開運にゃんさんぽ』を発売している。
関東1都6県の「ねこにゆかりのある神社とお寺」を
集めたガイドブックで、
有名な「猫寺」下野厄除大師や長福寺をはじめ、
「招き猫発祥」の豪徳寺や今戸神社など、72寺社を紹介。
御利益がすごいとうネコの御朱印や
かわいいネコのお守りなどの授与品を多数掲載し、
話題の寺社やねこの聖地をめぐる週末プランは、
東京、栃木、群馬の3コースを案内している。
参拝マナーや仏像の鑑賞ポイントなどの
基本情報や解説も充実。
と、お寺紹介の一環として、
「月刊終活12月号」でご紹介させていただいた
「地球の歩き方」。
おなじみ、海外旅行のガイドブックとして、
国内最大の売り上げを誇っていた。
僕もその昔、世界をほっつき歩いていた時に
ずいぶんお世話になったものが、
こんな大変貌を遂げていて、びっくり。
そうなのだ。
旅行業界とともに、コロナ禍で大打撃を受け、
存亡の危機に立たされていたのだ。
しかし、その大ピンチをチャンスに変えた。
2020年東京五輪に合わせて国内ガイドにシフトした後は、
都心や近場を「旅する」ガイドブックに変身。
その一方で、40年以上の取材の成果を
グルメや動物など、多彩なテーマで再編集した
「図鑑」シリーズを発刊し、大ヒット。
さらにオカルト・ミステリー雑誌「ムー」とのコラボで、
『地球の歩き方ムー』も刊行。
ネス湖、ストーンヘンジ、モアイ像、雪男出現地など、
“世界の不思議”を「旅行ガイド」の視点で特集して
ヒットを放っているという。
あっぱれ!
やっと旅行需要が戻って来たので、
これからはまた、
もとの形に戻るのかどうかはわからないが、
ユニーク企画は引き続き、どんどんやってほしい。
それにしても需要が戻ってきたとはいえ、
円安のせいもあって海外はべらぼうに高い。
年末年始は海外へ昨年の7倍の客が出かける予定だ、
と、今日のニュースで言っていたが、
結構なお金持ちしかいけないのでがないか。
このガイドブック片手に
年末年始はかわいく神社めぐりやお寺めぐりで
ネコちゃんと遊んでみてはどうかニャー。
いまや観光地は、ゆるキャラ、アニメキャラだらけ。
鬼怒川温泉の観光案内所にも
4人の美少女さんがたちがいた。
このうち、グレーの制服を着ているのは
「鬼怒川みやび」ちゃんという
東武鉄道の特急スペーシアの車掌さん。
「日々、接客について勉強中💛」。
紺の制服は「大桑じゅり」ちゃん。
鬼怒川には東武鉄道が運営する
「SL大樹」も走っており、彼女はその新米機関士さん。
「持ち前の明るさとガッツを武器に奮闘中💛」です。
この二人は全国の鉄道事業者の現場で活躍する
キャラクターコンテンツ「鉄道むすめ」の一員だ。
「鉄道むすめ」は結構何年も前から
「鉄むす」の略称で親しまれているようだが、
僕はこんなコンテンツがあるなんて、
今回の旅で(実際には今日ネットで調べて)初めて知った。
他の2人のことはよくわからないが、
鉄むすとのコラボで、
ご当地キャラクターとして生まれたのだろうか?
僕は赤鬼ちゃんと機関士さんがお気に入りである。
鬼怒川温泉は10年ほど前に放送されたアニメ
「未来日記」の1エピソードで描かれていて、
「アニメ聖地巡礼地」の一つになっている。
(これも今日初めて知った)
このアニメも見たことないので内容はわからないが、
ネットで調べると、廃墟の描写がすごくて、
鬼怒川温泉は完全に
「凋落して廃墟と化した昭和時代の大温泉街」の
イメージになっている。
実際、昭和の後半、鬼怒川は箱根や熱海と肩を並べる
大温泉街、娯楽の殿堂だった。
東京から近いというロケーションも幸いして
毎日、観光バスに乗った団体客や
東武鉄道に乘った家族連れなどがわんさか押し寄せて、
週末ともなれば、ホテルや旅館が並ぶメインストリ-トは、
都心の繁華街のように人がごった返していたらしい。
栄枯盛衰。諸行無常。
栄光の頂点から落ちぶれてから何年経つというのか。
殿様商売を改められなかったところは
もう滅びるしかない。
そんなわけで廃墟ホテル、廃墟施設が
わんさか出来上がってしまったのだろう。
僕は廃墟は見なかったが、
日暮れとともに外は閑散となって、
かつて賑わったメインストリートは
確かにわびしげな風が吹いていた。
こうした観光地はもう開き直って、
前世の記憶みたいな大廃墟を売り物にするぐらいの
ことをやったほうがいい。
(てか、勝手に見物客は集まってくるみたいだけど)
廃墟から再出発した鬼怒川温泉。
もう昭和の賑わいを取り戻すのは無理だ。
そんな夢は追わないほうがいい。
それで人が来るのなら、アニメ娘に頼ってもいい。
鬼怒川みやびちゃん、大桑じゅりちゃん、
いいではないか。
萌える、癒される、かわいい温泉ビレッジを
再構築してほしい。
仕事で埼玉県熊谷市へ。
熊谷は「日本一アツい街」として
全国にその名を轟かせたが、
今日は東京より寒かった!
熊谷に来るのは、まだチビだった息子を連れて
秩父鉄道のSL「バイオエクスプレス」に
乗りに来て以来だから、20数年ぶりだ。
(その頃はまだ日本一アツくはなかったと思う)
SLが走るのは土日祝だけなので今日は静か。
ただ、ちょっと先の深谷市の駅前に
巨大アウトレットモールができたそうで、
そこの人出がすごいとか。
2019年のラグビーワールドカップ以来、
熊谷はラグビーの街として売り出しているようで、
お土産もラグビーがらみ。
帰りはお隣の籠原駅を利用したのだが、
こちらは同じ熊谷市でも深谷市に近いようで、
駅構内のコンビニには昨年の大河ドラマの主人公で、
いよいよ間もなく1万円札として登場する
渋沢栄一のお土産がずらり。
これから季節、お鍋には深谷ネギがおいしい。
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1~2年ほど前からビジネスパーソンが
「FIRE」という言葉をよく口にするようになった。
「うぉぉぉぉ」と炎のように燃えて
仕事をすることなのかと思ったら、
ぜんぜん違っていて、
FIREとは「Financially Independence, Retire Early」の略。
若いうちに経済的に自立し、仕事を辞めることだという。
ネットや雑誌では、投資でもうけて
30代くらいでリタイアし、
「南の島でのんびり暮らしてます」
といった人が紹介されているそうな。
それなら僕はもう20代でそんな経験は済ませた。
1987年、ヨーロッパをバックパックで旅行していて、
エーゲ海に浮かぶギリシャのロードス島という島で
10日くらいのんびり過ごしていた。
気を入れていた仕事が
クライアントの事情でキャンセルになり、
いきなり蒸し暑くなったせいもあって
疲れがどっと出たので、
ここ2日ほど、
ネットもほとんど見ずにゴロゴロしていたら、
ふと、そのことを思い出したのだ。
いかにもエーゲ海風の白い家(民宿)に泊って、
そこにオランダ人の女の子やカナダ人の男も
出入りしていた。
持ち主のギリシャ人のご夫婦といっしょに食事をして
日本のことやイギリスのこと
(その頃はロンドンで暮らしていた)を聞いてきた。
「日本人は何を食べるんだ?」
「魚介類をよく食べるので、
この島と似てるかも知れません」
「イギリスのめしとギリシャのめしはどっちがうまい?」
「うーん。イギリスのほうがうまいものもあるし、
ギリシャのほうがうまいものもありますね」
とかなんとか。
そんなわけで美しい海を見ながら、
さらにネコと戯れながら
(ギリシャの島にはどこもやたらネコが多い)、
旅の疲れを癒したのだが、
あの10日ほどが自分の人生の中でどんな意義があったのか、
今もってわからない。
まあ単なる「休み」だったのだろう。
でも、今思うとちょと長すぎた。
なんで10日もいたのだろう?
海は確かに美しかったが、それも3日も見てれば飽きる。
特にこれといった思い出もなく、
ただただ、何もすることがなくて
退屈だったという印象が強い。
最近言っている「FIREして南の島でのんびり」というのは、
もちろん僕のビンボー旅行の体験などとは
ニュアンスが違っていて、
億り人(資産1億円)の特権みたいなものだ。
でも、僕が言いたいのは
「南の島でのんびり」したいだけなら、
今の日本人なら、その気になればいつでもできるってこと。
知らないから憧れる人も多いのだろうけど、
そんなのちょっと本気で働いてお金を貯めれば、
あるいは、投資をする元手があるのなら
それを使ってすぐできる。
先に体験しておいて「ああ、こういうものなのか」と
わかったうえで、それでも
「永遠ののんびり」を手に入れたいというなら
がんばってFIREをめざしたら?と思う。
それにまたいつ何時、コロナが復活したり、
他の伝染病が起こらないとも限らない。
本気で南の島に憧れているのなら
FIREしてどーのこーのなんて言ってないで、
行けるときに行って、若いときに体験しておいた方が
おトクなのではないかと思う。
「おいしいものは楽しみに取っておいて、
後からゆっくりいただこう」なんて思っていると、
いただく機会を失っちゃうかもしれないよ。
人生は短いですよ。
おりべまことエッセイ集:世界
1日3分の地球人
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おそらく誰もが若い時代、
「視野を広げる」ということを意識したり、
年長の大人から言われたりすると思う。
たしかに振り返ってみると、自分の場合も
10代から20代にかけて様々な文化に出会い、
実際に海外をほっつき歩いたりもして、
劇的に視野は広がった。
しかし、ある程度のところまで行くとその広がりは止まる。
つぶさに見れば、以前ほど劇的にではないにせよ、
いろんな経験――たとえば結婚とか子育てとか――
をするとともに広がり続けてはいるのだが、
それまでに構築したものが大きすぎて自覚が薄い。
残念ながら、脳も体も
かつてのようなエキサイティングな変化に
ついていけなくなってるのだ。
こういう時は旅に出るといいということは
わかっているのだが、
家族もいるし、昔のように一人で自由な旅は出来ない。
それに予定調和の旅、
休息のための旅にはもうあまり興味がない。
ゆったり温泉・グルメ満喫旅行も、
天国みたいな南の島のバカンスも、
三日もやれば飽きてしまう。
そんな退屈なものはいらない。
欲しいのはもう一度、
自分の根っこを揺るがすような旅体験である。
たぶん可能なのは、忙しい日常の中でもできる、
脳内に臨場感を作る、
自分自身のためのバーチャルトリップを編み出すことである。
死ぬまで視野が広がり続ける旅ができるよう、
いろいろトライを続けて行きたい思う。
1995年5月、新婚旅行でモスクワに行った。
メインはロンドンをはじめイギリスだったのだが、
最初の2泊3日だけモスクワに寄ったのである。
結婚前、カミさんが某大手商社のロシア部門で
貿易事務の仕事をしていたので、
支局の人たちへのご挨拶を兼ねての訪問だった。
ソ連からロシアに移行したばかりの時代。
泊まったホテルは以前、国営だったが、
その時にはロシアマフィアの手にわたっていた。
マフィア経営のホテルである。
建物がデカいわりに、部屋は当時の日本の地方都市にある
ビジネスホテルのようなそっけない場所だった。
ロシア語ペラペラの支局の人たちは
たいへん歓迎してくれて、
修道院を改装したレストランでごちそうしてくれた。
ボルシチにようなものやサラダを食べた記憶があるが、
悪いけど、あまりおいしいとは思わなかった。
新入りの雑用係のミハイルという青年が運転手になって、
赤の広場やモスクワ大学など、
車であちこち観光名所を回ってくれた。
シェルターを兼ねる地下鉄の構内には
シャンデリアがいくつも下がり、
さながら地下宮殿のようになっていたのが印象的だった。
ロシア、モスクワと言えば、
寒いというイメージを持っていたが、
僕たいが行った日は、とても5月とは思えない
真夏の暑さだった。
ホテルにクーラーなんてもちろんない。
それで冷たいものが飲みたくて
街中探しまわったが、自販機なんてあるはずもなく、
お店にも冷蔵庫なんてないので、
ぬるいジュースでがまんするしかなかった。
当時、マクドナルドの第1号店が開店したばかりで、
後にも先にも、あそこで食べたチーズバーガー以上に
マックがおいしいと思ったことはない。
正直、レストランの食事の数倍うまかった。
ミハイル君にもお礼にごちそうした。
値段は日本より高く、
飲み物やポテトなどつけて1000円そこそこ。
それに対して当時のロシアの物価水準は、
戦後間もない日本くらいだったらしく、
ミハイル君の給料は、たぶん2、3万程度。
感覚としては、
僕たちが1万円の食事をとるようなもの。
なのでロシアの人たちにとって、
マックは超高級レストランだったのである。
そんなわけで、恐縮しながらも超よろこんで
ハンバーガーをほおばっていた
ミハイル君の幸福そうな顔が忘れられない。
今となっては面白い体験で、
もちろん、空港で兵士に銃口を向けられた
ソ連時代の1985年よりも数倍ましな国になっていたが、
それでも滞在するのは2泊3日で十分だなと思った。
その後に行ったロンドンが実際以上にラブリーで
素敵な街に思えたものだ。
それから1カ月近く、ロンドンとイギリスの旅を楽しんだ。
あの時はソ連からロシアになってまだ間もなく、
物資が乏しく、経済も混乱して、人々は貧しかった。
今、ロシアの生活はどうなっているのだろう?
ウクライナは爆撃を受けて悲惨だが、
ロシアも機材封鎖は喰らうわ、
店も企業も次々と閉じるわ・撤退するわで
めちゃくちゃなことになっているのではないか。
加えて、世界中の人たちからの非難はものすごい。
日本や西側諸国みたいには情報は入らないだろうけど、
いずれそういう声が耳に届いた時、
非難や憎悪をまともに受け止められるのか?
ミハイル君など、1995年の思い出があるので、
あまりロシアの人に対して悪い感情は湧かない。
もちろん、こうした為政者を選び、
20年以上も国の運営を任せっきりにした
国民としての責任はあるのだろうけど。
これからいったい両国はどうなるのか、
僕が考えても仕方ないが、どうにも心配でならない。
テレビのコマーシャルやBGMでよく耳にするこの曲は、
1999年に公開された北野武監督の映画「菊次郎の夏」のテーマ曲。
「遠く離れて暮らすお母さんに会いに行きたい」
「よし、おじさんが連れてってやる」
ちょっとどんくさい感じの少年マサオを、
たけし演じる寅さんみたいなヤクザ男・菊次郎が
小さな旅に連れ出す。
ただそれだけの話なのだが、
ふさけてて笑えて、
かわいくて切なくて、
少年の心と中年男の心が重なり合う。
僕の心の地図の中で最高峰に位置する映画である。
歌詞のないインストゥルメンタル曲だが、
メロディラインの中に映画で描かれる
夏、旅、海、花火、お祭り、無垢で不器用な少年、
アホでこころやさしい大人、笑い、涙。
そして昭和から平成初期にかけての近過去の日本。
そのすべてのエッセンスが盛り込まれている。
まさしく懐メロの中の懐メロだ。
YouTubeにはこの映画と音楽に関する
北野監督のインタビューが投稿されている。
Q「『菊次郎の夏』では、作曲家の久石譲との協力が
いつにもなく強調されており、
そこから尊敬と称賛の意を受け取ることができます。
あなたがた二人がどのように作品を作っていくのか、
より詳しく教えていただけますか?」
監督「いつもは編集したものを見せて、
さあ、これにつけろとぜんぶ任せてたんだけど、
今回だけは、こういったメロディラインでって、
音楽の内容にまでかなり言ったので、
こんなような音楽が出来てくるだろうなって
思って撮っていったので当たったんだろうね」
この曲はたけし監督の想いを
見事に反映した曲でもあるのだと思う。
けれども、近所のどこの馬の骨とも知らぬおっさんが
熱中症も気にすることなく、
ヤバイ場所、うさんくさい場所も含めて
子どもをあちこち連れ回すことはもうできないし、
心を重ね合わせることもできない。
菊次郎や僕たちが体験した「昭和の夏」
「日本ならではの夏」は、
時代が変わり、社会が変わり、環境が変わった今、
洗練され、加工され、
アク抜き処理をされたパッケージ商品のようになっていく。
この先もナチュラルな形で残していくのは、
もう難しいのかもしれない。
その代わりと言っていいのかどうかわからないが、
ジブリ映画などの音楽も手掛ける久石譲は、
いまや現代の日本人の心の原風景を作っているかのようだ。
「日本ならではの夏」を伝えていくためにも
懐メロ映画や懐メロ音楽を愛し続けたい。
電子書籍新刊「1日3分の地球人」
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忙しくて目の前のことしか見えない。考えられない。
でも1日3分でいいから、空に浮かんで地球を見つめてみる。
脳だけ旅人にして世界を歩いてみる。
せっかくこの星に生まれたのなら、
自分が芥子粒のように思える広い空間と長い時間こ手足を伸ばして寝そべりたい。
そんな思いを抱いて綴った地球・世界についてのエッセイ集。
ブログ「DAIHON屋ネタ帳」より30編を厳選・リライト。
●もくじ
他者に不寛容だから幸福度低い?ニッポン
1月21日のルイ16世とマリー・アントワネット
アムステルダムのナシゴレンとコロッケとアンネ・フランク
孤独担当相の誕生
ヒトラーの人間力
「GACHI」という言葉を外国人に説明すると
未来のことは子どもに学ぶ
人新世(アントロポセン)を生きる ほか
「変革の勇気 観光・サービス業が生まれ変わる方法」の
著者である佐々木司さんは、
小田原で観光農園「ベリーの森」を成功させ、
岩手で瀕死のリゾート施設を再生させ、
現在、日光・鬼怒川エリアで栃木県地域経済牽引事業として
「商業施設×観光農園×こどもパーク」という
新しいリゾート施設を建設している。
先日出たばかりのこの本は、
佐々木さんへのインタビューをもとにして
僕が執筆したものだ。
彼がベンチャー企業「くらしデザインラボ」を設立したのは
まだ5年前の2016年。
観光業、農業、レジャー業、いずれに関しても
まったくの初心者だったにも関わらず、
わずかな時間で次々と事業を成功させた。
岩手ではすっかり有名人となり、
ローカルメディアが連日取材にやってきたり、
ラジオのDJまでやって人気者になっている。
また、昨年は「じゃらん」で表彰もされた。
コロナ禍で観光業は大ダメージを受けたが、
それ以前にこの業界の問題は深刻化していたという。
やはりここでも昭和の時代の記憶が、
ビジネスの変化を妨げていた。
結局、それが今回の局面で自分たちの首を絞めることになった。
特に資本力のない中小の旅館やホテルの多くは
息も絶え絶えの状態に陥っている。
期待の高かったインバウンド需要も潰れ、
GoToトラベルが復活したとしても、所詮は一過性のもの。
中小は、付加価値を作らなくては
今後、生き残るのは困難だ――ということで、
佐々木さんはさまざまな提案をしている。
その提案を簡単にまとめていえば、
地元で商売する人たちと手を結び、
子どもや年寄りの面倒も見ながら、
その地域と旅行者・訪問者との間を取り持つ、
よろず相談所みたいな存在になろう、ということだ。
宿泊にくっつく付加価値。プラスアルファ。
お客にとってはその「おまけ」「ふろく」こそが
その宿を選ぶ基準になるという。
地域の人、その地域に興味を持って訪れる旅行者。
双方を幸福にできる業者こそが生き残れる。
言ってみれば当たり前のことだが、
誰にとって何が幸福なのか、
きちんと考えて対処できることが
よろず相談所には求められる。
佐々木さんはコンサルテイングもやっており、
多くの経営者の声に耳を傾けているが、
手っ取り早く儲けるには?
という経営者は相手にしないという。
観光業の将来を真面目に考えている人とともに
生きたいと言っている。
それは日本の将来を考えることにも繋がる。
この本はそのための入門書となっている。
僕がブックライターを務めた観光業の本が発刊となりました。
政府刊行物としても販売中。
観光業に携わる方は、ぜひご一読ください。
★新型コロナ禍に疲弊した観光・サービス業へ
「小さな旅館・ホテルでもこれまでのやり方にとらわれず、
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良いビジネスができるということです。」(本書より)
観光・レジャー事業を営み、人気施設へと育て上げた著者が、
その思考とノウハウを語る。
今、日本の旅館・ホテル・観光施設は変革無しに生き残れない!
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全国の旅館・ホテルなどの事例や、著者自身の実体験を基に、
収益を上げるための付加価値の作り方を紹介します。
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地域密着型として、地元に愛される旅館・ホテルや
観光施設の未来について。一歩先の観光・サービス業を
つくり上げるヒントが満載。
定価: 1,650円(1,500円+税)
著者名:佐々木司 出版社:金融ブックス
エミリー・ブロンテの「嵐が丘」の舞台は、
イングランド北部のヨークシャー州にある
ハワース (Haworth) という小さな村である。
僕は1980年代から90年代にかけてここに3~4度くらい訪れた。
今はどうだか知らないが(最後に行ったのはもう25年前だ)、
ロンドンから半日バスに乗り、途中でSLに乗り換え、
やっとのことでたどり着く。
そのアクセスの過程も含め、
ストラトアフォード・エイボン(シェイクスピアの生地)や
湖水地方(ピーターラビットゆかりの土地)と並んで、
イギリスの地方で最も印象深い場所だ。
一応、有名観光地ではあるが、
僕がよく訪れていた時代は、いつ行っても観光客はまばらで、
B&B(民宿)もパブものどかな雰囲気で楽しかった。
エミリーは3姉妹の真ん中で、
姉のシャ―ロットは「ジェーン・エア」
(これも来年再読予定)、
妹の「アグネス・グレイ」(これは読んだことない)の作者。
ブロンテ姉妹の資料館もあり、お土産も売っている。
毎回、嵐が丘(アーンショウ家の屋敷)のモデルとなった
トップウィンゼンという廃屋を目標に、
ほぼ1日かけて丘歩きをするのだが、
ヒースの花咲くムーアの大地を踏みしめ、
次々と雲が流れていく空を見上げると、
何か大きなものに抱かれているような気分になる。
そしてしばしば、文字通り、嵐に見舞われた。
丘を吹き抜ける風は強烈で、
傘などあっという間に吹っ飛ばされて、
全く役に立たない。
レインコートとウォーキングシューズは必需品だ。
トップウィンゼンでは休んでいると
羊たちがメエメエ寄ってきて、
最初は人なつっこくて可愛いなと思うのだが、
いつの間にか、結構ごっつい羊の大群に囲まれてしまって、
ちょっと怖い目にも遭う。
いずれにしても他の土地では到底味わえない、
嵐が丘の特別な旅がそこにはあった。
最近は湖水地方などは、ピーターラビットを目当てにした
海外からの観光客があふれて大変だ、
という話を聞いたことがあるが、
嵐が丘の物語の舞台はどうなっているのだろうか?
ハワースに行って昔ながらのイングリッシュブレックファーストや
シェファーズパイなどのパブランチを食べたいなと時々思う。
最近のロンドンではめっきりお目にかからなくなった、
おしゃれじゃない、、どんくさくて、あんまり“おいしくない”
悪評たらたらのイギリス料理が似合う、
グルメなどとは無縁の土地なのだ。
そういえば「嵐が丘」の物語の中では、
アーンショウ家でも、リントン家でも、
豪華な肉料理やスイーツなどは全然食卓に上らなくて、
穀類のおかゆとか、正体不明の煮込み料理みたいなのを
食べていた。
野うさぎの話がところどころ出てくるので、
うさぎのシチューなんかは食べていたのだと思う。
それと乳製品。
グルメなど笑い飛ばすような、
味のある旅ができるかもしれない。
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年に何回か、温泉地にでも行って、
1週間くらい宿にこもって執筆に集中したいなと思う時がある。
これからはフリーランスはもとより、
サラリーマンでもそういう働き方は
どんどん実現するのではないだろうか。
一時期、「ノマド」という言葉が流行ったときは、
起業で成功したような、ある特別な人たちだけが実現できる、
憧れのワーク(&ライフ)スタイルという感じだった。
ところが今年、テレワークが一気にメジャーになり、
「ワーケーション」という言葉が浮上してきて、
そういう働き方も今後増えて、
普通になるのではないかという気がする。
いいじゃないですか。
テレワークでOKの仕事なら、
どこかの見知らぬ土地の旅人となって、
温泉につかったり、街をブラブラして息抜きしながら、
仕事に集中する時は集中する。
仕事と遊びのメリハリは自分でつける。
今月から観光業の本の製作に取り掛かっている。
地方のさびれた温泉施設を買い取って、
見事に再生させた実績を持つ実業家の方が、
コロナで大打撃を受けた観光業を活性化させるための
コンサル本を出版したいというので、
話を聞きながら執筆作業をしている。
「ワーケーション」の可能性は、そのコンテンツの一つだ。
観光業の借入金は、全産業の平均の倍額だという。
設備投資にお金が掛かるので仕方がないが、
温泉宿が個々の部屋に浴室を設けるなど、
コロナ対策として設備を改装できるところは限られている。
資金の乏しい旅館やホテルが
コロナダメージを克服するためには、
温泉や料理にプラスアルファの付加価値が重要だ。
ワーケーション需要への対応、
というか需要をつくり出すこともその付加価値の一つである。
ぼくの場合、実際は今、「温泉つかってワーケーション」は、
面倒のかかる家族がいるので夢に過ぎない。
が、働く人たちのためにも、観光業の人たちのためにも、
ワーケーションはどんどん広がるといいと思う。
それにしても「ワーク+バケーション=ワーケーション」って
ベタベタのひどい和製英語。
とディスりながらも「ノマド」よりわかりやすいし、
親しみが持てるし、可能性が感じられるから不思議。
和製英語のマジック、侮りがたし。
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●短編小説
「ざしきわらしに勇気の歌を」
ロボット介護士に支えられて余生を送っている寅平じいさんが、ある日、林の中を散歩していると不思議な子どもに出逢う。
その子を追って木の穴に潜り込むと、奥には妖怪の国が広がっていた。
子どもの正体はざしきわらし。
ざしきわらしは最強の妖怪“むりかべ”の脅威から人間を守るために闘うので、応援してほしいと寅平に頼む。寅平はこれぞ自分のミッションと思い、闘うざしきわらしのために勇気の出る歌を歌う。
おとなも楽しい少年少女小説最新作。
9月30日(水)Amazon Kindkeにて発売予定。
まるで星が巡るかのように、
人生のあちこちで出会う宮澤賢治さん。
中学生の時に「お別れ会」かなんかの催しで
「宮澤賢治伝」という劇(というかドリフみたいなふざけたコント)をやったのが、最初のご縁だったと思う。
演劇やっている人、歌手や俳優さん、
アートをかじっている人たち。
こういう人たちは宮澤賢治を好きな人が多く、
彼の詩や童話を演じたり、朗読したり、
モチーフにした絵などを描きたがっていて、
仕事や趣味で宮澤作品とはよく親しんだ。
童話と言っても宮澤賢治の場合、
子どもよりも大人のファンの方が多いと思う。
「ノックノック、トントン」の「雪わたり」や
「クラムポンはわらったよ」の「やまなし」は、
言葉のリズムが面白く、
チビだったうちの息子も読んでやると喜んでいたが、
ほかの詩や童話にはあまり食いつかなかった。
僕自身もじつはとくに熱心なファンというわけでなく、
あんまりちゃんと作品を読んでいるわけではない。
なのだが今回、仕事でその宮澤賢治さんと
またもやお付き合いすることになった。
そして今度はちゃんと勉強する必要がある。
で、初めてになるのだが「農民芸術概論綱要」という
文章に触れてみた。その序の部分。
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の
一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を
自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
ちょっと宗教者とか求道者といった方向の文章だが、
いまの自分、そしてこれからの人間の生き方を考える上で
大事なことを書いていると思う。
1世紀前に生きた詩人・作家の思想が真価を発揮するのは、
じつはこれから先の時代なのかも知れない。
若い時分にはわからなかった宮沢賢治のスピリチュアルワールド。
もちろん、今でも手が届くかどうか怪しいけど。
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新刊「ピノキオボーイのダンス」7月31日(金)発売
12歳の少年の姿をしたロボットは、街中で年老いたダンサーと出会う。ダンサーはなぜかロボットを「かけがえのない友だち」と呼んだ。
娯楽も芸術も、人間の癒しや愛情もロボットテクノロジーにゆだねられた、機械仕掛けの世界で繰り広げられる、大人も愉しい、少年少女小説。長編SFファンタジー。
神戸の義妹からお中元が届いた。
京都の和菓子店の「夏柑糖(なつかんとう)」というお菓子。
原料は山口・萩の夏みかん。
夏みかんは実は“商品名”で、
本当の果実名は「夏橙(なつだいだい)」という。
夏橙は、江戸時代中期、黒潮に乗って南方から、
山口県長門市仙崎大日比(青海島)に漂着した
文旦系の柑橘の種を
地元に住む西本於長が播き育てたのが起源とされる。
――というのがウィキペディアの解説。
このお菓子の製造販売元である京都・老松の説明書きでは――
同じ海岸で、村の娘・お蝶が、流れ着いた珍しい果実を拾って、
その種を宅地に撒きつけたのが起源――となっている。
読み仮名がないけど西本於長とはきっと「にしもと・おちょう」。つまり同一人物だ。
でも「村の娘・お蝶ちゃん」というほうが、
夏みかん伝説としてキュートでファンタジックではないだろうか。
青い海と白い砂浜。
異国から流れ着いた黄色い大きな夏橙を赤い着物に
きゃしゃな体を包んだ12歳の娘が、
両手で大事そうに拾い上げるシーン(勝手に創作)が、
このお菓子のストーリーとしてふさわしい感じがする。
ちなみに大日比では、この夏橙、
「宇樹橘」「バケモノ」等と呼ばれ、
食用ではなく子どもが手毬の代わりにして遊んでいたらしい。
マリ? ボール?
それが食用の果実として有名になったのは、
明治以降、萩で栽培されるようになってから。
明治維新を推進した長州藩士らの故郷・萩は
夏みかんの名産地。
そのはじまりは、明治になって失業した武士らが
食っていくために屋敷の庭に
夏橙を植えて栽培するようになってから。
それが上方にも出荷されるようになり、全国的に有名になった。
その際、仲買をした大阪商人、なにわのあきんどが
「夏橙(なつだいだい)じゃアカンて。
上方もんは、みかんが好きやさかい、
名前を『夏みかん』にしたらどうや。
夏にもみかんが食えるゆうたら奴さんら、
大喜びで飛びつくこと疑いなしや。
ごっつもうかるでぇ」
というビジネス戦略で、ご存じの“商品名”で流通することになった。
時代は下って昭和40年代の名古屋。
僕は子どもの頃、夏休みになると、
酸っぱい夏みかんに砂糖をどっさりつけて食べていた。
スイカには塩、夏みかんには砂糖が夏の定番だった。
ところが昭和40年代も半ばを過ぎると、
甘夏なる甘い夏みかんが開発され、
外国からはグレープフルーツなどの「柑橘外来種」が入ってきて、
酸っぱい夏みかん(夏橙)は
市場から駆逐されてしまったのである。
しかし、そんな時代になってもは萩の夏みかんは
「お菓子の原料になる」という活路を見出し、サバイバルした。
ご当地では光圀という老舗和菓子店が
「夏みかん丸漬け」をはじめ、
ジャム、マーマレードなど、
もともとの酸っぱさとほのかな苦みを持った
夏みかんの個性を活かした加工品を開発。
この京都・老松も原料は萩の夏みかん以外、使わないという。
絞った果汁と寒天を混ぜ合わせたものを
くりぬいた夏みかんに流しこんだという、
いわば夏みかんゼリーだが、
甘すぎない、さっぱりとした後味が何ともさわやか。
また、味に負けず劣らず食感が素晴らしい。
いただいたのはゴロン、ゴロン、ゴロンと3個。
義母とカミさんと僕の3人で、
1個がデザート3人前としてちょうどいい。
ちょっと多いくらいだ。
コロナのおかげで神戸も京都も山口も
遠い地になってしまっているが、
西に手を合わせて、おおきに。ありがと。
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2年前の今頃、ロンドンにいた。
17年ぶりのロンドン。
昔暮らしていた1980年代のロンドンとは
ずいぶん様変わりしていて、
正直、ちょっと心は離れた。
それでもあの時、行ってよかったなあと思う。
カミさんが割と強硬に主張したからだが、
義母を引き取った昨年や、コロナが蔓延した今年だったら
完全にアウトだった。
人生、本当に何が起こるかわからない。
「急いては事を仕損じる」とか「満を持して」とか言われるが、
基本的には「思い立ったが吉日」のほうが人生には多いと思う。
自分の中に湧き出る気持ちを大事にした方がいい。
「宇宙の法則」みたいな、
なんちゃってスピリチュアルではないが、
自分の気持ちが流れを、リズムを、勢いを生み出し、
何かを引き寄せるのだ。
旅行も、子育ても、結婚も、仕事のいくつかも、
もっとさかのぼれば、80年代のロンドン暮らしも、
劇団活動も、東京に出てきたのも、
ほとんどその時の勢い・幸運みたいなものだった。
望んで声を上げてアプローチしたら、願いはかなった。
もちろん、すべてうまくいったなんて言わない。
てか、うまくいかないことの方が多い。
手痛い失敗もあったけど、
あれはしかたなかったなと今では思える。
自分のやりたい、行きたい、逢いたいといった気持ちは
大事にすべきだ。
それで失敗しても、本当の意味での失敗ではない。
変な理屈をつけて押さえつけると、だいたいろくなことはない。
近年携わったプロジェクトのいくつかは
リーダーが慎重になるあまり、
他のメンバーの中にあった流れ・リズム・勢いが萎え、
うまくいかなかった。
リーダーはいくらカリスマ性があっても、
素晴らしいアイデア・プランを持っていても、
人に協力してもらう以上、
自分の流れだけじゃなく、
協力者らの内面の流れも読めなくては駄目だ。
いろいろ勉強したり、
あれこれ議論して練り上げるのもいいけど、
「満足できる自分」なんて永遠になれない。
「準備万端のスタート」なんて一生やってこない。
そして「満を持して」いると、
潮が満ちる前に人生が終わってしまう。
海がはるか遠くに見える干潟にいても、ここぞと思ったら
波打ち際まで思いきり走っていこう。
お待ちかね、おりべまこと電子書籍第6弾
神ってるナマケモノ 発売!
仕事が忙しくて発売が遅れましたが、なんとか6月に発売。
今回は動物エッセイ集。
動物好きなあなた、ぜひ読んでみてください。
可愛いくて、楽しくて、笑える彼ら。
奇妙で、不気味で、不思議な彼女ら。
美しくて、おぞましくて、くさくて、汚くて、とてつもなく怖くて危険なやつらも。
僕たちはこの星の上で137万種類を超える
動物たちといっしょに暮らしている。
イマジネーションを掻き立て、
人間の世界観の大きな領域をつくってきた
仲間たちについてのエピソードや、
あれこれ考えたことを編み上げた面白エッセイ集。
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」から36編を厳選・リライト。
内容
・ネコのふりかけ
・おしりを拭いてもらうイヌの幸せと人面犬の増殖について
・なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?
・ウーパールーパーな女子・男子
・アザラシの入江でヤギの乳を搾ってチーズを作る娘
・ロンドンのリスとイヌとネコ
・ピーターラビットの農的世界への回帰現象
・京龍伝説
・神ってるナマケモノ ほか
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河童が出てくる話を書いているので、
今年になってから、ヒマがあると、
というかヒマを作って東京の川を自転車で走っています。
神田川が流れ出す井の頭公園。
京王井の頭線の井の頭公園駅を降りてすぐの
ガード下からゆうやけ橋へ続く、
長さにして50メートルくらいのせせらぎは、
河童出没のスポットの一つにしたい場所です。
ここの風景は僕が東京に来て40年あまり、
ほとんど変わっていません。
いわば僕にとって、東京の故郷みたいなところです。
特に春はいい。
毎年というわけではないけど、
春になるとよくここに来ます。
あったかくなったので子どもが川に入って遊んでいます。
ここに来ると呼吸がラクになり、心も軽くなります。
ここ30年ほど杉並区で暮らしてきて、
近所を流れる神田川と善福寺川には
親しみを持ってきました。
が、あまり深くゆっくり川と向き合ったことは
ありませんでした。
けれども河童のことを考え始めてから、
なかなかこの川というのは面白いものだなと
興味を抱き始めました。
時代が進むにつれ、水害防止の護岸工事が進み、
もはや河童の居所はなくなってしまったかに見えますが、
目を凝らせば、深いところではまだ古代の水の影を
感じることができるかもしれません。
というわけで今年はゆっくり時間をかけて、
あちこちの川と、川の流れる街を
自転車で走破していこうと思ってます。
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新型コロナウィルスの流行(なのかな?)。
および、その防止策(になってるのかな?)
としての政府主導の国民生活の制限。
なんだか世間が異様なムードになってきたように感じます。
中野区を流れる妙正寺川のほとりにある「哲学の庭」では、
このウィルス騒動の末に訪れる
新たな人間世界の在り方について、
聖者・賢人が会議を開いています。
中心にあるのは真理の球体。
それを囲んでアブラハム、エクナトン、キリスト、釈迦、
老子が語り合う。
この哲学者たちの彫像群の作者は、ハンガリーから日本に帰化した彫刻家・和久奈南都留
(Wagner Nandor――ワグナー・ナンドール)さん。
この庭には他にもマハトマ・ガンジー、達磨大師、聖徳太子など、計11体の彫像ーー11人の思想・宗教の祖となった哲学者らが集っています。
すぐそばに川が流れていることもあって、神社やお寺とはまた一味違う、一種の異界とのエッジのような空間です。
日の光がさんさんと注いでいる時間はそうでもないけど、
荒天の日とか、夕暮れ時に来たら、もっと異様で、
世界の果てに来たような妄想にとらわれて、
ぞくぞくするかも知れません。
かのオタクの聖地・中野ブロードウェイから
徒歩でも来られる住宅街のさなかに
こんな異質な空間を出現させるとは、
中野区ってけっこうヘン。
そういえばこの区には
球体関節人形の「中野大好きナカノさん」という
不思議な地元マスコットもいます。
都心近くにもかかわらず
いや、だからというべきか、
かなり異様で魔的で未来的な地域・自治体です。
2020年は中野区の時代になる―ー
と僕はこの日、確信しました。
近所の高井戸図書館のお正月企画「図書館福袋」。
スタッフが様々なテーマで本を選び、
中身が分からない「福袋」として貸出します。
毎年やっているようだが、初めて知りました。
なかなかユニークな企画だと思います。
どんな本に当たるかは運しだい。
かなりの確率で、
ふつうなら自分では選ばない本を手にすることになります。
といっても袋にはキーワードが貼ってあって
それは自分で選ぶので、
すごく当たり外れのリスクがあるということもない。
ま、リスクと言っても、図書館で借りるだけなので、
懐が痛むわけではありませんが。
毎年やっているようだが、初めて知りました。
ユニークな企画で、こういうの大好きです。
「作家の旅」というタグの袋を取って
家であけて見たら、出てきたのがこの3冊。
白洲信哉(かの白洲次郎・正子氏のお孫さんらしい)の
「旅する舌ごころ」と
角田信代(児童文学作家)の
「世界中で迷子になって」というエッセイは
なかなか面白そうです。ふくふく。
●いつのまにかAIの時代になってしまった
AIの進化はかなり凄まじいようだ。
おそらくこの5年くらいで、
いわゆる中間管理職は皆、淘汰されてしまう。
機械に管理されていると思うと、嫌がる人も多そうだから、
何となくナントカ部長、カントカ課長は
名目上は残るかも知れないけど、
世の中をリードしていくような会社の現場を管理するのは
実質的にはAIに替わるだろう。
AI部長、AI課長、AI支局長、AIデスク。
ごく単純化して言うと、
ホワイトカラーはAI、ブルーカラーは人間。
●ちょっと遅れてロボットも
現場・職人の仕事は、まだ人間の範疇。
ロボットには身体性・身体能力が必要だ。
手や顔の筋肉の動きは複雑で繊細。
そうしたものをロボットが獲得するには、
まだしばらく時間が掛かりそうだ。
だから、いきなりSF小説やアニメの世界には飛ばないけど、
生産工場や農作業など、
複雑性さが求められない、
決まった動きだけの仕事なら、
どんどんロボットが開発され、
人間に代って働くだろう。
ちょっと前に書いたけど、
トイレ掃除がちゃんとできるロボットが開発されたら、
いよいよロボットの世界がやってくる。
●会社にも役所にも、もう人間は要らない
就活生は正社員や公務員にこだわって一生懸命だが、
会社という所には
もうほとんど人間が要らなくなるのではないか?
役所も銀行も、べつに職員がいなくてもいいのではないか?
葬いう世界はもう目の前だ。
いずれ生産現場はAIとロボットにお任せ状態になる。
それこそ人間は、みんな派遣・パート・アルバイトでOKだ。
仕事しなくていい。
労働しなくていい。
経済活動しなくていい。
●人間のいくところ
そうすると人間は何処へ行くのか?
家に帰るんだ、きっと。
人類は長くて苦しかった労働の旅を終えて、
帰るべき場所に帰っていく。
そこで本当の人生を送る。
本当の自分の仕事をする。
問題はそれが見つかるかどうかだ。
その前に、見つける気があるかどうかだ。
人間のやることは何か、
自分がやることは何か、
考える気があるかどうかだ。
昨日訪れた、山梨県都留市の耕雲院は、
富士急行・大月と河口湖の間のちょうど真ん中にある
「東桂(ひがしかつら)」という駅にある。
寺の界隈は「夏狩(なつかり)」という地名で、
副住職の話によると、かつて源頼朝が
夏になるとこの辺りに狩りに来ていたので、
そうした地名が付いた――
という言い伝えがあるらしい。
この界隈一帯にはゴォゴォと水の流れる音がひびいている。
さらに、副住職が子供だった30年余り前
――昭和の終わり頃までは、
この辺りは織物産業が盛んだったそうで、
家のあちこちから織機のガタンガタンという音が聞こえ、
水の音と相まって「うるさい~」と思ってたと言う。
しかし東京の大学に行っていた彼が戻ってきた頃には
織機の音は途絶え、水の音だけが残っていた。
ゴォゴォゴォゴォ・・・
人の暮らしや仕事は変わっても、
自然はそれっぽっちの短い時間では変わらない。
ここは霊山・富士山からの湧水が流れる地域なのだ。
その中心になっているのが、
「太郎・次郎滝」という美しい二本の滝のある場所。、
ここは「平成の名水百選」に選ばれており、
隠れたパワースポットにもなっているらしい。
本当に気持ちの良い所で、
少年だった副住職も、
織機のノイズが溢れる町の中から逃げてきて、
夏はここでよく川遊びに興じたと言う。
「夏狩」が源頼朝ゆかりの名なので、
太郎・次郎というのは源氏の武士か、
何かこの辺りの村人を救った英雄の名かと思ったら、
なんとこの二人は兄弟の盗賊。
盗みに入ったところを村人に見つかり追い詰められて、
この滝から飛び降りて死んでしまったという。
兄の太郎が飛び降りたところが太郎滝。
弟の次郎が飛び降りたところが次郎滝。
しかしそんな賊でありながら、
死して滝として名を遺してもらい、
今や「平成の名水百選」になっているのだから、
果報者の兄弟と言わざるを得ない。
それにしても、周囲の紅葉も相まって
本当に美しく、聖性さえ感じさせる場所だ。
特に空気の澄んだ朝早い時間とか、
ここで耕雲院のお坊さんと瞑想などやったら
心が洗われ、脳もリフレッシュされるだろうと思った。
また、この近くにはワサビ園もあり、
良質な水を活かして、
大正時代から100年以上にわたり、ワサビを栽培している。
仕事の取材に来て、思いがけず
こうした美しい風景に出会えるのは幸運で嬉しい。
むかし、人は魚だった。
故郷の海に還ろう。
なんてセリフやコピーをよく書いてきたが、
自分自身はたいして海が好きなわけじゃない。
ギリシャの島に10日ほど滞在して
「太陽がいっぱい」気分を味わったこともあるし、
グァムや沖縄でスキンダイビングをしたこともある。
海は輝いていて美しかった。
息子が生まれてからは毎年、彼の友だちなども
まとめて引き連れて、湘南や横須賀まで行っていた。
子どもらが喜び、はしゃぐのを見るのは楽しかった。
それも彼が小学5年生の時まで。
以来、楽しさよりも
面倒臭さや、砂でジャリジャリしたり、
潮でべたべたするイメージが先に来て、
少なくとも海で遊びたいという気にならない。
カミさんも若い時分はバリ島に行ったり、
グァムやハワイに連れてけとか言ってたけど、
最近はまったく聞かなくなった。
僕らは海を卒業してしまったのかも知れない、と思う。
そしてもしかしたら、
人というのはある程度年を取ると、
海よりも山に向かうのではないかという気がする。
イメージ的にも、漁師さんや船乗りなど、
職業としている人はべつとして、
海は子どもや若者に似つかわしく、
それに対して、山は年長者に似つかわしいイメージがある。
人間は他の生きものと同じく、海より生まれ、
はるかな陸地を旅して、
やがて天上にある神の世界を目指して山に登る。
人はむかし魚だった。
海から陸に上がり、蛇のごとく地を這い、
鳥になって高き山へ向って飛ぶ。
なんとなく進化論。
ストリートミュージックが商品になった街・ロンドン。
1週間前にロンドンのセントパンクラス駅の駅ピアノの話を書いたが、
街頭の音楽は、今やすっかりこの街の観光資源の一つである。
歴史的な古い建造物の立ち並ぶ街の中で、ギターをはじめ、
アコーディオン、バイオリン、管楽器、キーボードなど、
思い思いの楽器を手に、名も知らぬ貸家演奏者が
得意のパフォーマンスを披露する。
その光景は確かに楽しく、絵になる。
さしずめ、どこかの物語世界の中に入ったような気にさせてくれる。
演奏する曲もロックからジャズ、クラシックまでさまざま。
けっしてみんながみんな、上手いわけではないが、
やる側も聴く側も、あまりそんなことは気にしていない。
残念ながら、日本の都市で同じことを、いくら上手いミュージシャンがやっても、
こんな魅力的なテイストにはならないだろう。
30数年前、ロンドンで暮らし始めたばかりの頃、
地下鉄の構内や町中で彼ら演奏しているのを聴いて、
「おお、俺はロンドンにいるんだ」と、胸を熱くしていたが、
当時、彼らは街の邪魔者で、何割かはホームレスだった。
1980年代半ばの英国は経済的落ち込みから復興する途上で、
鉄の女マギー・サッチャーがそれまでの福祉政策を全面的に見直して
大ナタを振るっている最中だった。
その頃まだニートという言葉は生まれていなかったが、
多くの若者は職もなく、路上に放り出され、途方に暮れ、
歌でも歌わずにはいらなかった。
警官や地下鉄の職員は、大目に見ていたものの、
やはり目立つことをすると追いはらっていた。
けれども追いはらっても追いはらっても、
虫のようにわいてきて、今度は隣の駅で、
一本向こうの通りで歌ったり、演奏したりしている。
それが30年たって、社会は彼ら(の「子どもたち)を
認めるだけでなく、
観光客用の売り物にしてしまった。
歴史を売り物にするこの国では、
わずか30年前の歴史もまた、
立派なメニューとして陳列され、
求めるお客様をおもてなしする。
生活事情は30数年前と大して違わないと思う。
物価の高いロンドンで、歌って暮らすのは楽じゃない。
EU離脱問題だって気が気じゃないだろう。
それでも歌うのをやめない。
誰かがいなくなっても、またべつの誰かが、
どっからかやってきて、
楽しそうに歌ったり踊ったりしている。
人生にはやっぱり音楽が必要だ。
ロンドンにはそう思わせてくれるろくでなしが大勢いる。
ピアノを演奏するのが好きな人、自信のある人は、
ロンドンに行って一曲弾いてみるといいと思う。
きっと貴重な体験・思い出ができる。
人生が変わることだってあり得るかもしれない。
ロンドンの都心にあるセントパンクラス駅構内に一台のピアノが置いてある。
通りすがりの人が、誰でも自由に弾けるようになっている。
今日、お昼を食べながら、そのテレビ番組
「駅ピアノ」(NHK-BS1)を見ていた。
いろんな国籍の人が足を止めて弾く。
旅行で来た人もいれば、在住の人もいる。
ロンドンは多国籍都市なので、イギリス人、ロンドン在住者でも人種はさまざま。
性別はもちろん、年齢もバラバラ、職業もいろいろ。
そして演奏する曲も、クラシック、ジャズ、ロック、ソウル、
ポップスなど、バラエティに富んでいる。
ポーランドから来た旅行者で、クイーンの大ファンだという男性は、「ボヘミアン・ラプソディ」を弾いた。
ミュージシャンを目指し、弾き語りを披露する若い男性。
地方から遊びに来た仲良しの女子高生のカップル。
同じく地方から来たが仕事が見つからず、
現在はホ―ムレスだと言う男性のピアノは
ちょっと物憂げだが、美しかった。
ここでピアノを弾くことが、
彼の心の支えになっているようだ。
ルーマニア人の奥さんとラブラブな
ナイジェリア人の男性が、ゴスペル風の讃美歌を轢く。
そういえばアフリカの国は半分くらいの人が
キリスト教らしい。
8歳のかわいい男の子が、即興でブギウギ(めちゃくちゃ上手い!)を弾いていると、
プロのミュージシャンの男性がジョイントして、
アドリブ合戦が繰り広げられる。
1ヵ月前、脳梗塞で倒れた男性は、無事、一曲弾き終えて
安堵した表情をしていた。
ドイツ人の音楽教師は替え歌で、EU離脱で混迷する
イギリスに向けて
「イギリスよ、離れるな。帰ってきてくれ」と歌った。
ブルーのおしゃれなネクタイを締めた90歳の男性は、
「音楽は生きがいだった。ピアノと出会い、
弾けることができて、私の人生は幸運だった」と
しみじみ語った。
どうもこのピアノは、2012年のオリンピックの時に、」
エルトン・ジョンが寄付したものらしい。
去年、ロンドンを旅したときは、
セントパンクラスにも行ったのに、
不覚にも見過ごしてしまった。
ちと残念、
テレビ番組なので、うまい人しか登場しないが、
たぶん誰でも触れると思う。
たくさんのオーディエンスが行き交っているので、
自信のある人はトライして楽しませてほしい。
この番組はロンドンに限らず、
各国の駅や空港に置いてあるピアノと、
それを演奏する人たちを映し出すドキュメンタリー。
登場する人たちのプロフィールを紹介するテロップが出て、
演奏後にそれぞれの人のコメントが入る。
途中で、その国や都市のインフォメーションが何度か入る。
たったそれだけだが、音楽が楽しめるとともに、
ピアノを愛する、それぞれの人の人生の背景を
垣間見ることができて、本当に面白い。
番組の最後には、黒人のミュージシャンが、
障がいのある女の子とのセッションを見せる。
さらに、周囲のオーディエンスに呼びかけて、
サッカーのイングランド応援歌を演奏して盛り上げた。
やっぱりそうだ。
音楽には人をつなぐ力がある。
そしてやっぱり、
世界はいろいろな人がいるから、生きてて面白い、
いろいろな人がいるから、世界は成り立っている。
いろいろな人が弾くから、心に響くロンドンのピアノ。
今度行ったときは、わが十八番「かえるの合唱」を弾こう。
真冬の寒さだった昨日は埼玉の川越へDayTrip。
お寺の取材でアポを取っていて、延期するわけにもいかず、
震えながらの小旅行になった。
お寺のあたりは、隣の西川越という無人駅の近くの長閑な地域。
桜も菜の花もまだ綺麗に咲いている、
とてもいいところだったのに、ちょっと残念。
しかし、お天気のことなので、文句を言っても始まりません。
取材を終えて川越に戻り、街中をぶらり。
というか、それもまた取材の一部なので、1時間余り歩き回った。
「小江戸」という愛称の古い街並みが人気。
京都・金沢・鎌倉などのプチ版という感じだろうか。
スターバックスも純和風のしつらえで出店しています。
その小江戸界隈(川越駅からはちょっと距離がある)は、
平日で、みぞれが降る悪天候・寒さにも関わらず、
けっこうな人出でにぎわっていた。晴れて陽気が良かったら、
どんだけ~の世界。
ご多分に漏れず、シニア層と外国人(おもにアジア系)の姿が目立った。
川越に来たのは、たぶん20年ぶりくらい。
池袋から40分もあれば来れるところだけど、
やっぱり仕事でもないと、なかなか足を運ばない。
そう考えると、仕事という名目でいろいろな街に行けるのは、
幸運な境遇なのかも知れない。
と、いきなり街の中で聞かれたら、あなたは何と答えますか?
とりあえず費用は度外視。意志の問題で。
「当ったり前でしょ、宇宙から青い地球を見て、地球と交信するんだ。それに宇宙遊泳もしてみたーい!」
なんて元気に答えるのがカッコいいし、夢のある人と思ってもらえるんだろうな、やっぱし。
うーん、でも僕は別に行きたくないなぁ。
1960年代から80年代にかけてのスペースオペラ小説のような世界が展開するんならいざ知らず、観光遊覧的なノリで地球の周りを回るだけじゃあ、どうもつまらない。
ちなみに4年前ですがJAXAとクラブツーリズムがアンケートをした結果、日本人の半分以上の人が「行きたい」と答えているそうです。
僕は宇宙旅行自体じゃなくて、こうした事業に関わる人たちの心の中のほうが面白い気がします。
何年先になるかわからないけど、宇宙旅行事業を題材にした仕事をしてみたい。
ノンフィクションとフィクション(ちょっとひねったスペースオペラもの)を両方書いてみたい。
そっちほうが僕にとっては夢だなぁ。
「海の日」なので海賊の話。
ロンドンブリッジの近くにあるテムズ川のドック。
ビルとビルの谷間に、小さな海賊船がポヨヨンと浮かんでいます。
ルフィの麦わら海賊団の船でももう少しはでかいだろうというくらいの可愛さですが、これが七つの海で金銀財宝など、略奪の限りを尽くし、スペインの無敵艦隊を撃破し、あげくの果てに世界一周まで成し遂げ、イギリスの英雄とまで謳われるようになった海賊王サー・フランシス・ドレークが自らの船団を率いる旗艦とした「GOLDEN HEIND号」です。
初めて世界周航に成功したのはご存知の通り、ポルトガルのマゼラン(率いたのはスペインの船)ですが、実はマゼランは出発地に帰り着く前に死んでしまった(船団の部下が帰還した)ので、指揮官として世界周航をコンプリートに実現し、故国に生還したのは、ドレークが世界初と言えます。
この船はもちろん実物大のレプリカなのですが、テーマパークで賑やかしのために展示している代物とは違って、本物感たっぷりです。
最初は本当に500年前の船を修復したのかと思ったくらいです。
乗船して甲板、船室、船底などに入ってみると、楽しさ・快適さとはほど遠く、こんなところにはとても数時間といられないという感じ。
当時のイギリス人が今より体格が小さかったとしても、本当に小さすぎないか?
もしや寸法を間違えて再現したのではないか?
とにかく想像を絶する狭さ・暗さで、時々港で休むことはあったとしても、むさ苦しい男どもが何人も同乗して、波に揺られながら何ヶ月も旅をするのは大変だっただろうなと、ひしひしと感じます。
1581年4月、船長のドレークはこの船の甲板上で、当時の国家元首エリザベス1世からナイトの爵位を授けられたと言います。
海賊なのに、女王の治世を支えた「国家の英雄」。
なんでかというと、ドレークは略奪した金銀財宝の半分を女王陛下に上納していたそうで、その額は当時の国家予算に相当したといいます。
いわゆる国家公認、女王陛下お抱えの海賊。
エリザベス1世はその金で莫大な借金を返した上に、まっとうな経済を作る貿易会社設立のために投資。それに付随して現代の金融・貿易システムにつながるさまざまな施策を打ち出しました。
このあたりのことは国際政治学者で海賊研究者である竹田いさみ氏の「世界史をつくった海賊」(ちくま新書888)に詳しく、面白く書かれています。
ちょっと弁護すると、この時代のイギリスは経済的にも軍事的にもヨーロッパの弱小国で、ちょうど明治期、欧米列強の侵略に怯えていた日本同様、スペイン、ポルトガル、フランスなどのカソリック系先進国から国をつぶされそうになっており「富国強兵」の必要に駆られていました。
そこでこのドレークをはじめとする海賊たちの経済貢献活動が「富国」の部分――のちの大英帝国の経済基盤になり、航海術や戦闘術などが「強兵」の部分――世界最強海軍の編成になったのです。
まさに「悪の大帝国誕生エピソード1」という感じ。
ドレークもすごいけど、その黒幕として海賊を利用し、やることなすことしたたかで賢いエリザベスはもっとすごい。
大英帝国時代のビクトリア女王しかり、現在のエリザベス2世しかり、80年代のマーガレット・サッチャーしかり、(メイ首相はまだどうか分かりませんが)この国は成長・変革のたびに女に救われてきたと言えるのかも知れません。
実際に「GOLDEN HEIND号」船内を見て感じたのは、この海賊王のすごさは度胸とか勇敢さなどよりも、乗組員の健康管理とか、ストレス管理を繊細にやっていたところではないかと思います。
また、それがあったからこそ部下の信頼も厚かったのでしょう。
この時代、船団が航海に出かけると大半の乗組員は途中で死んでしまったようですが、その多くは戦闘や事故でなく、病気で命を落としていたようです。
こんな狭い船内で閉じこもって仕事をしていればそれも当然です。
そして病死したらそのまま海に投げ入れてサメの餌です。
そんな仲間の末路を目の当たりにしたら、残りの連中も暗澹たる気持ちになったことでしょう。
その中でドレーク海賊団の生還率は飛びぬけて高かったと言います。
積める荷物は限られているので、食糧や飲料水の調達にも相当気を配っていただろうし、部下のストレスがなるべく溜まらないよう、休憩させたり、慰安を入れたり、いろいろ心を砕いていたのでしょう。
そういう意味では英雄ドレークの真の強さの秘密は、ボスとしての思いやりとか、従業員の「働き方改革」だったのではないかと思います。
そういえば我が国の「海の日」も、3連休づくりという政府の思し召しのために、毎年カレンダーに合わせて動かされるので、本当は何日で、どういう由来のある日だったのかすっかり忘れてしまいました。
ま、誰にも文句言われず、大手を振って休めれば何でもいいのかな。
自分が愛した公園で人々と一緒に過ごしたいという故人の思い、あるいはその遺族の思いを表現し寄贈したメモリアルベンチ。
この世を去った人たちと、その後も生き続ける人たち、新しく生まれてきた子や孫の世代の人たちが、ごく自然に同じ場所で憩い、語らい、ひとときを楽しむ。
ロンドンではそんな風景を見ることができます。
●故人の名前とメッセージを刻んだベンチ
イギリスの公園を歩くと、あちこちに座って休めるベンチが置いてあります。
その背もたれの部分などをよく見ると名前と生没年、メッセージが彫り込まれていたり、それらを書いた金属プレートが埋め込まれていたりします。
これは、その公園やガーデン、その場所に通っていた(あるいは縁のある)亡き人を想い、家族や友人たちが寄贈したもので「メモリアルベンチ」と呼ばれています。
●80以上のメモリアルベンチが置かれたHolland Park
このメモリアルベンチが80以上も設置されているのが、ロンドン西部のケンジントン地区にあるHolland Park(ホーランドパーク)です。
広さは日比谷公園ほど。四季の花が咲く庭園やバラ園が設けられ、雑木林ではリスが遊ぶ愛らしい公園で、カフェやギャラリー、子供のための遊び場・施設、ちょっとしたイベントステージなども設けられており、地域のコミュニティの中心として活用されています。
公園の散歩道沿いに、あるいは花壇の周囲などに設置されてあるベンチのメッセージを読んでいくと、見も知らぬ故人の人柄・家族や友人との間柄を偲ぶことができます。
おじいちゃん・おばあちゃんのために、孫を含めた家族が寄贈というケースが多いようですが、中には30代半ばで昨年亡くなった青年のために彼の婚約者らが贈ったもの、あるいはわずか1歳足らずで亡くなったわが子のことを忘れないために両親が贈ったものもあります。
●文字から滲み出す切実な思い
老齢の人のものは「IN LOVONG MEMORY OF・・・」といった比較的穏やかな文章が綴られていますが、若い人や子供の場合は、「Funny、warm、loving、thoghful and uniqe」とか、「the most gorgeous baby in the world」など、かなり強い言葉が用いられています。
自分たちが愛した彼もしくは彼女のことを、何とか表現して伝えなくては癒されない遺族の切実な思い、その裏にある無念さ、喪失感の大きさが文字から滲み出していて、ついその場で立ち止まってしまいます。
●メモリアルベンチの聖地
このHolland Parkは、僕がむかし働いていた店のすぐそばにあり、休憩時間などに行ってよく散歩していました。
今ほど数は多くありませんでしたが、当時からこうしたベンチが置かれており、その頃は「何だろう?」とよく意味がわからなかったのですが、そのうちガイドブック内の小さなコラムでメモリアルベンチの話を読んで、そうだったのかと認識した次第です。
そんな思い出もあってロンドンに来るたびに、観光スポットでもないこの公園を訪れるのですが、なんだか毎回、このベンチが増えているような気がします。
僕にとっては「メモリアルベンチの聖地」とも言えるところです。
先々月から雑誌で「世界のEndong Watch」という連載コラムを書いており、今回はこのことをぜひ紹介したいと思い、泊ったところも歩いて15分くらいのところだったので、じっくり散策・取材出来ました。
●自然に風景の一部に
僕がこのメモリアリベンチが好きなのは、飾られている感がまったくなく、ごく普通にベンチとして使われていることです。
座って何か熱心に語り合っているグループもいれば、子どもたちが遊び回るのを眺めているお母さんもいる。
一人で本を読む人、新聞を広げて読む老人もいれば、ジョギングの合間の休憩でドシャーッと寝そべっている若者もいる。
いちゃついているラブラブカップルもいるし、一緒に座ってアイスクリームを食べているイヌと飼い主もいる。
時々、リスもちょろちょろと空いているベンチの上で遊んでいる。
毎日いろいろな人たちが(プラス動物も)この公園で楽しみ、何の気兼ねもなくベンチを利用する。
もしかしたらその中の何人かは、背もたれのメッセージに気づき、誰かに愛され、少し前に命を終えたその人の暮らしをぼんやりと想像してみたりするのかもしれません。
メモリアルベンチの存在はごく自然に風景の一部になっており、この愛らしい公園をより愛の溢れた場所にしているかのようです。
●設置の手続き
このメモリアルベンチを設置する手続きは 、住んでいる地区のカウンシル(自治体)に申し込んで料金を支払えば、ベンチの購入からメッセージの彫り込み(あるいはプレートの制作)、設置まで手配してもらえるようです。
費用はその地区によって異なりますが、ロンドンの公園ではだいたい1000ポンド(約15万円)前後であることが多く、ベンチが破損しても10年間は無料で修理してくれるといいます。
ただし、お金さえ払えば作れるというわけではなく、その人(家族)が長年その地域に暮らし、しかも地域のためにどんな貢献をしたか(寄付やボランティア活動などの実績)が問われるようです。
●生き続ける人たち・生まれてくる人たちのために
この習慣がいつ頃から始まったのはか定かではありませんが、Holland Parkで見つけたベンチの中で最も古いのは、1983年に亡くなった人のものでした。
僕がここをウロついていたのは、1985~87年頃だったので、あの頃はまだ始まったばかりだったのかも知れません。
散歩好き・公園好きなイギリス人らしい発想であり、この世から去った後も公共の場で、生き続ける人々・新しく生まれてくる人々の憩い・語らい・楽しみのためにさりげなく役立ちたい・・・。
そんな心象が表現された、とてもチャーミングなエンディングワークが、自然な風景として溶け込んでいるのが、ロンドンの魅力の一つになっています。
ロンドンの公園では雑木林でリスがちょろちょろしているので対話を試みます。
このリスたちはあまり物おじせず、中にはカメラを向けると「へへっ」とポーズを取ったりするやつもいます。なかなかキュートです。
イギリス人はイヌ好きなので、公園や住宅街ではイヌもよく散歩しています。
日本でドッグランを設けている公園もありますが、こちらはあまり関係なく、平気でリードを外して歩かせています。
むしろリードをつけている犬の方が少ないくらいで、しかも多くはリトリバーやボーダーコリーみたいな大型犬です。
滞在したHolland Park周辺では、以前は小型犬はほとんど見かけなかったのですが、住宅事情の影響か、高齢者世帯が増えて大型犬は手に負えなくなったのか、3~4割は小型犬になったような気がします。
この周辺には立派なしっぽをピンと立てたネコが結構大勢うろうろしていました。
僕が話しかけると、シャイな日本のネコみたいに逃げ出さず、リスと同じく堂々と対応してくれたものです。
それでミャウミャウやっていると、どこからか飼主かご近所さんだか、マダムやおばあちゃんがやってきて「Lovely Catがああしたこうした」とか、「Beautiful Tailがどうのこうの」とか、うれしそうに話しかけてきました。
70年代後半から21世紀になる頃まで、「CATS」というヒットミュージカルを長年にわたって上演されており、ロンドンは「ネコの街」というイメージすらあった(そういえばキティちゃんもたしかロンドン出身という設定でしたね)のですが、なぜか今回はどこへ行っても、ただの一匹もネコに会えませんでした。
WHY?
たんに僕にネコ運がなかったというだけならいいのですが、まさか何か規制がかけられてネコが飼えなくなったわけじゃないだろうな・・・・とちょっと心配になりました。
それともみんな、小型犬に乗り替えてしまったのかなぁ。
リスもイヌもネコもいるロンドンが好きなので、ちょっとこれは残念でした。
★還暦を迎え大スターに昇進した「旅する子グマ」
ヒースロー空港から中心部へは、以前は地下鉄のピカデリーラインで乗り込んでいたのですが、今回は新しくできた「ヒースロー・エクスプレス」を利用。これだとターミナル駅のPaddingtonまでたったの15分です(でも帰りは途中で停まってしまい、30分かかったぞ)。
鉄道発祥の国だけあって、ロンドンのターミナル駅はどこもクラシックな趣があり、初めて目にする息子は、そこはかとなく感動していました(本当は2回目だけど、最初に来た時は5歳のチビだったので、ほとんど覚えてないとのこと)。
パディントンの駅は「くまのパディントン」(マイケル・ボンド作)というお話の舞台としても有名です。
僕も赤い帽子と青いコート、いつもトランクを持っているクマのキャラクターがいることは知っていましたが、「プーさんやテディベアとどこがどう違うんだ?」というレベルの認識でした。
ところがこのクマ、生まれて60年、還暦を迎えてますます元気とのことで、世界的な人気を獲得し、映画もすでに2本作られ、パディントン駅にはかわいショップもでき、お客があふれています。
どうも「旅する子グマ」(設定では南米ペルーの山奥からやってきたみなしごクマで、この駅のそばに住んでいる優しい家族に拾われ、いっしょに暮らしている)の視線でロンドンの街や人々を眺め、ユーモラスな騒動を起こすというところが面白いようです。
そんなストーリーなど全く知らなかったので、帰りの飛行機の中で映画「パディントン2」を見ましたが、確かに英国風ユーモアにあふれ、ドタバタしながらも、おしゃれ感・ほのぼの感があって楽しめました。
帰ってきて原作を読んでみようと近所の図書館に行ったところ、3冊あるのに残念ながらどれも貸し出し中(ということはやっぱり結構人気があるということでしょうか)。
まだまだ知らないお話がたくさんあります。
★英国ファンタジー大復活の舞台
さて、パディントンと同様のターミナル駅でKing's Cross(キングスクロス)という駅があり、こちらには“鉄道を利用しない観光客”が毎日大挙して押し寄せます。
ここも古い駅で、よく言えば荘厳、悪く言えばとんでもないオンボロだったのですが、近年改築され、モダンなデザインの屋根がかけられて生まれ変わりました。
これはこれで「クラシックとモダンの融合」として素敵なのですが、人気を集めているのはそんなアート的な駅の佇まいではありません。
構内の端っこにある奇妙な壁のオブジェ――「9と4分の3」と番号が振られた壁の中に荷物を乗せたワゴンが半分入りこんでいます。
そうです、かのハリーポッターが魔法学校ホグワースヘ向かう列車に乗り込んだ時の幻のプラットフォームです。
そこでの写真撮影を目的に、連日、世界中から観光客がやってくるのです。
僕たちはここを2回通り過ぎましたが、日中はいつも長蛇の列で、とても並ぶ気にならず、撮影はあきらめました。
ちなみにこの撮影は朝8時から夜10時までOKで、自分のスマホやタブレット、デジカメなどで撮るのは基本的に無料。
ちゃんと杖とかマフラーとか小道具も用意されており、大混乱にならないよう専任のスタッフがついて面倒見ています。
撮影は無料だけど、その脇にはパディントンの場合と同じく専用のおみやげショップが設けられ、しっかりビジネスしています。
豊富なグッズ類はどれも結構いいお値段がするにも関わらず、見ていると飛ぶように売れていきます。
行かなかったけど、映画のスタジオツアーもあるし、ウェストエンドのど真ん中にあるパレスシアターでは舞台劇「ハリーポッターと呪いの子」(原作者のJ・K・ローリングも脚本に参加)もかかっています。
どっちも相当前からネットで予約しておかないとチケットは取れないようです。
それにしてもこうした現象を目の当たりにすると、この21世紀の世界的大ベストセラーがもたらした文化的影響力、この国に与えた経済効果は計り知れません。
貧乏シングルマザーからペン1本で大作家に上り詰めたという、彼女自身のシンデレラストーリーも相まって、いまやローリングさんは20世紀のビートルズにも匹敵するスーパーポップスター、と言えるのかもしれません。
今回は韓国のアシアナ航空の、ひとり往復9万円弱なりのエアチケットで旅行。発着はヒースロー空港第2ターミナルでした。
この第2ターミナルは2014年にリニューアルオープンしたばかりだそうで、またの名を「Queens Terminal」といいます。
これまで成田もヒースローも、他国の空港でも、そこは単なる飛行機の発着所であり、通り過ぎる場所であり、お土産屋やカフェが並ぶ場所で、特にこれといった印象を受けたことは一度もありませんでした。
しかしこの「Queens Terminal」は、なかなかモダンなつくりでメッセージ性も豊かな施設になっています。
到着ロビーに行く途中、「Weklcome」というポスターが壁に貼ってあり、利用者を出迎えるのは万国共通ですが、ここではそのポスター1枚1枚にミュージシャンやら、ビーフイーター(ロンドン塔の番兵)やら、ポリスマンやら、エンジニアやら、ロンドンの街中で見かける人たちが映っています。
人種・性別・年齢の区別なく10人ほどの人たちが自分のキャラクターを押し出し
、それぞれ満面の笑みでWeklcome!と語り掛けるポスターはなかなかの迫力で、広告効果抜群です。
「これからロンドン劇場でお楽しみくださいな」と、演劇の登場人物らが言っているような、そんなイメージを抱かせます。
人間の感情豊かな表情が発信するメッセージというのは、とても強烈で多弁なんだなと改めて感じました。
アシアナ航空の発着ゲートは、空港の端っこにあって随分と歩かなくてはいけないのだけど、ここもただ単に移動するだけの空間にしていません。
プロムナードの途中には、1946年に開港したヒースローの歴史(と同時にこの70年近くのイギリスの歴史)が写真で分かりやすく描かれていて、これもなかなか楽しめました。
世界中の多くの人が知っている、エリザベス女王の戴冠式、ビートルズ、デビッド・ボウイ、LIVE AIDなどのUKロックのヒストリー、ロイヤルウェディング、さらに2012年のロンドン五輪まで。
写真で誰にでもわかりやすく表現されており、来た人がヒースローに、ひいてはロンドン、英国にさりげなく親しみと関心を抱けるよう工夫しています。
これにはちょっと感心しました。
ロンドンには世界の首都としての歴史的建造物や物語の舞台がたくさんあるし、地方にもその地方独自の歴史・文化があり、美しい自然があり、観光資源は豊富に揃っています。
けれども以前はその素材の持つ力自体に頼っていて、何も手を加えないのがいいのだ――といった方針があったのではないかと思います。
なので、僕が住んでいた30数年前は「先祖の遺産で食っている」と揶揄されることもしばしばありました。
で、このままじゃいかんと国の中枢の人が気付いたのでしょう。
あるいは民間企業から働きかけがあったのかもしれません。
いつ、どこで、どんな街づくりプロジェクトが発令されたのかは知りませんが、これらの遺産をどう有効活用し、次世代に繋げていくかが――といったことが割と真剣に検討されたのではないでしょうか。
その結果、古いものを残しつつ、この第2ターミナル同様、街全体(特に観光エリア)にいろいろな種類の物語が編み込まれ、リニューアルデザインされたのだと思います。
こうしたことは以前来た2001年にはかなり進んでいたと思いますが、僕の中ではまだ1980年代のイメージが残っていたせいか、そんなに強くは感じませんでした。
しかし今回はさすがにブランクが大きかっただけあって、とても強く感じとることができました。
もちろん、そのために失われた良いところ――無理やり化粧をしなくてもいいではないかと思えるところ――もいくつかあるわけですが。
いずれにしてもこの国が、グローバル化の進展とネット社会の進展によってケタ違いに増えた観光客を、どんどん招き入れ、観光で収入倍増をもくろんでいることは明白です。
なのであちこち楽しむにはお金がたくさんかかることは覚悟しなくてはなりませんが、飛行機代は昔より安く手に入るようになったので、そこはチャラになっていると考えた方がいいでしょう。
一介の観光客としては高いアドミッションを払う分、たっぷり楽しんで元を取ってやろうという根性が大切です。
旅も自分のテーマとか目的とか条件とか予算とかを統合し、できるだけ自分用にカスタマイズして楽しむ時代。
ロンドンみたいな観光都市はそれにしっかり応えてくれると思います。
「大昆蟲食博」。
長野県・伊那市の伊那市創造館で開かれている企画展をマイナビ農業で取材。
日本でも、世界でも、こんなにいろんな虫を食べていたとは!
世界観が変わりました。
国連食糧農業機関(FAO)が2013年、「食用昆虫 食品と飼料の安全に関する将来展望」という報告書を発表して以来、全世界的に「昆虫を食べよう!」というムーブメントが広がっているそうです。
世界各地の人口が増加する中、タンパク源としての家畜が足りなくなることから、代わりに栄養価の高い昆虫を食べることが推奨されているからです。
というわけで、昔からイナゴ、ザザ虫、ハチの子、蚕のサナギと、昆虫食の伝統文化を持つ伊那市でも昨年12月2日からこの連休、5月7日まで企画展が開催されました。
チラシの裏面に「オール昆虫食大進撃」という怪獣映画みたいなキャッチコピーが踊り、あたかも怪獣のごとく載っている虫たちのUP写真があまりに強烈(掲載しないので興味のある人は検索して見てください)なので、ちょっとビビっていましたが、いざ足を踏み入れれば大丈夫。
伊那谷の昆虫食には、それぞれ食文化としての背景があり、ちゃんと経済・産業に繋がっていたから現代まで残っているのだそうです。
特に蚕のサナギ食の話は驚愕と感動。
かつて日本でも盛んだった養蚕業は、ただ生糸の生産だけだったんじゃないんですね。
サナギを絞って油を取ったり、殻を漢方薬にしたり、糞を歯磨き粉や食品添加物(天然色素)に使ったりと、まさに捨てるところなしの大循環産業だったんです。
その他、館長自らタイやカンボジアのタランチュラ、サソリ、タガメ、コオロギなどの料理に挑戦した食レポも秀逸でした。
この大昆蟲食博、創造館始まって以来の大人気企画となり、東京・名古屋・大阪などからも多数の来場者があったとのこと。
じつは僕も昼に入った日本食店で、ザザ虫にトライ。
郷に入っては郷に従えで、口に入れるのは抵抗なかったけど・・・・
なんだかカタクチイワシの煮干しをそのまま食べている感じでビミョーなお味。
酒の肴として食べれば美味しいのかも。
「こんなやわらきゃー、水っぽい鶏はいかんわ。むかしのかしわはまっと歯ごたえがあってうまかったでよー」
こんな軟らかい、水っぽい鶏はダメだ。昔のかしわ(鶏肉)はもっと歯ごたえがあっておいしかった、という声を受けて、一時期、市場から消滅した名古屋コーチンが、日本を代表する地鶏として見事復活を果たした物語を探るべく、今回は「マイナビ農業」で名古屋取材を敢行しました。
市内にある「名古屋コーチン協会」で話を聞いた後、名古屋コーチン発祥の地である小牧市へ。
明治の初め、この地に養鶏場を開いた元士族の海部兄弟が、地元の鶏と、中国(当時、清)から輸入したコーチンという鶏を掛け合わせてできたのが名古屋コーチンです。
「だもんだで、まっとそのことを宣伝せんといかんわ。日本が誇れる名物だでよう」
ということで昨年(2017年)、名鉄・小牧駅前にはコケー!と、おしどり夫婦(?)の名古屋コーチンのモニュメントが立ったと聞き、駅について改札を出たところ、出口が左右に分かれている。
どっちだろう? と迷ったとき、すぐ目の前で駅員さんが掲示板を直す作業をしているので、尋ねてみました。
「あのー、名古屋コーチンの像はどっちの出口にあるんでしょうか?」
駅員さん、けだるそうに振り向き、ぼくの顔を一瞥。さらに一呼吸おいて
「左の階段を下りてって、右に曲がってずっとまっすぐ行ったところに市の出張所がありますで、そこで聞いてちょーだゃー。それはうちの管轄でないもんで」
?????
駅前って聞いたけど、そんな分かりづらいところにあるのかなぁ・・・と思いつつ、左の階段を降りると、なんと、その目の前にコーチン像があるではないか。
?????
まさかあの駅員さんはこれを知らなかったのだろうか?
それとも上司に、責任問題が発生するから、鉄道のこと以外は聞かれても答えるなと言われていたのだろうか?
それとも奥さんと何かあったとか家庭の悩みでも抱えているからなのか?
あるいはたんに鶏が嫌いで、コーチンお話なんかのしたくなかったのか?
たくさんの疑問に駆られながらも、前に進まなくてはなりません。
海部養鶏場(跡地)にはどういけばいいのか。
ちょうど目の前に観光案内所があったので入ってみました。
平日ということもあってお客は皆無。
ぱっと見た目、アラサーぐらいの女の子がひとりで机に向かって、わりとのんびりした感じで書類の整理みたいなことをやっています。
そいえば時刻はちょうどランチタイムでした。
「あのー、海部養鶏場跡地に行きたいんです」
「え、何です?」
「海部養鶏場です。カイフ兄弟。名古屋コーチンの」
「あ、ああ、ああ、名古屋コーチンのね」
「たしか池ノ内というところなんですが・・。歩きじゃちょっと無理ですよね」
「ええと。そうだと思います。ちょっとお待ちくださいねー」
と、アラサーの女性はあちこち地図やらパンフやらをひっくり返し始めました。
市の観光スポットの一つに加えられたらしいと聞いていたので、即座に答えが返ってくるものと想定していた僕は思わぬ展開にちょっとびっくり。
その女の子は一人じゃだめだと思ったのか、奥に入っておじさんを引っ張り出してきて、ふたりでああだこうだと大騒ぎで調べ始めたのです。
お昼の平和でゆったりとした時間を邪魔してしまったようで申し訳ないなと恐縮しつつ、実はなんか面白いなと思いつつ待っていたら、もう一人、お昼を早めに済ませて戻ってきたおにいちゃんが加わって3人で合同会議。
それで出てきた結論が「タクシーで行ったら?」というもの。
べつにタクシーを使うお金がないわけじゃないけど、アポがあるわけじゃなし、急いでいるわけじゃないし、第一ここまで大騒ぎしたのに、それなら最初からタクシーに乗ってるよ、バスとかないんですか? 地元の人といっしょにバスに乗ると楽しいいんですよと言うと、バスルートと時刻表を調べて、やっと案内が完了しました。
この間、約20分。効率主義、生産性アップが叫ばれる世の中で、このまったり感はどうだ。急いでいたら頭にきてたかもしれないけど、旅というのはこうやって余裕を持って楽しむものだ、と改めて教えてもらった気がしました。
考えさせられる不思議な駅員さんといい、まったりした観光案内所といい、皮肉でなく、おかげで楽しい旅になりました。小牧の皆さん、ありがとう。
うちの近所で「This is not AirBnB」という貼り紙を玄関に出している家を発見しました。
ということは、この永福町界隈に、そことよく似た門構えの家がAirBnBをやっているので、しばしば間違われて旅行者が訪ねてくるということ?
AirBnBというのは要するに「民泊」のことです。
自分の家やアパートに旅行者を泊めるところで、数年前、話題になった時は、そんなに利用者がいるのだろうか?と訝りました。
が、スマホの普及と比例して、あっという間に世界各地で増殖したようです。
もちろんホテル・旅館、あるいは民宿などと比べて安いのが魅力ですが、増殖したのはそういった経済面の理由だけではありません。
ホテル・旅館に泊まるのとは違った旅、その現地に踏み込み、生活感のある旅を楽しめるという醍醐味があるのです。
昨年秋に京都へ行ったとき、僕もはじめて利用したのだけど、そこは新選組のもと屯所して有名な壬生寺の近く。
華やかな中心部の観光地とは趣が異なり、生活感あふれる下町で、昭和レトロな店もたくさん並ぶ商店街の路地裏にありました。
ホテルや旅館が建つような立地じゃないので、迷子にでもならない限り、普通の観光客が入り込むところではありません。
しかし、宿があれば楽しめるし、親近感がわきます。
本当に普通のアパートの一室を貸し出していました。
オーナー(ホスト)は40代のDさん。男性。
ホスト側も最初はお金目的にやり出すのですが、国内外からいろんな人がやってくるので、そういう人たちと交流するうちに面白くなってはまってしまい、本格的な経営者になってしまう。、
人気のある観光都市だとプロのホストになって何軒も抱えて経営している人も珍しくありません。ベテランの「スーパーホスト」なる人も登場しています。
そのDさんも1年ほど前にそれまで勤めていた会社を辞めてAirBnB業に乗り出し、京都・大阪に物件を持っていて、日夜往復しています
。
掃除もしなきゃいけないので大変だと思いますが、本人はすごく楽しそう。
オリンピック開催を狙って、この1年くらいのうちに東京でもやりたんだ、と話していました。
泊った旅行者はその宿泊体験についてレビューを書く。
そのレビューを参考に、次の旅行者がそこを利用するかどうか選択する。
双方向でつくっていく新しい、個性的な旅のスタイル。
インターネットの効用をフルに生かしています。
もちろん、ホテル・旅館業界は大反対で、この流れに圧力をかけてきますが、Dさんはそれさえも楽しんでいる風情でした。
AirBnBを利用した旅、きっと面白いので一度、体験してみてください。
新潟のお土産に「にいがた4大ラーメン」というのを買ってきました(自家消費用)。
「新潟濃厚味噌らーめん」「燕三条背脂らーめん」「新潟あっさりしょうゆらーめん」。
僕はどれも初耳だけど、新潟の人はよく食べているのだろうか?
あなた新潟の人? どう?
そして、いの一番に食べてみたのが「長岡しょうがラーメン」。
しょうがラーメンというのは珍しい。
スープにはしょうががたっぷりの醤油味。それが太麺とよく絡み合う。
香り高くておいしい。でもまぁ、そこそこってところで、そんなにインパクトがあるわけではない。
やっぱ新潟はラーメンよりもお米、ごはんなのではないでしょうか。
そういえば写真を撮り損ねてしまったのだけど、新潟には「タレカツ」というのがあって、これが名物らしく、あちこちで看板を見かけました。
残念ながらそのお店には時間がなくては入れなかったけど、到着した日の昼食に、このおみやげを売っているショップで「チキンタレカツ丼」というのを買って食べました。
濃厚甘辛ダレがカツの衣がフニャフニャにならない程度にしみこんでいてイケます。
ただ、東京その他の地域の大半の人は「甘すぎる」と言うでしょう。
きっと僕も東京で食べたらそう文句をつけると思いますが、新潟で食べるとおいしい。
その秘密はお米だと思います。
新潟のおいしいお米と甘辛ダレの相性が良いのです。
まさに新潟ならではの味ではないかと思いました。
それでふと思い浮かんだのが、ブレンド米のマイスター、原宿のでお米屋をやっている小池さんの顔。
彼なら新潟人と新潟にやってくる旅人たちのために「タレカツが10倍美味しく食べられるコシヒカリブレンド」なんてニッチなブレンド米を開発してくれるのではないだろうか?
その土地ならではのうまいものと、その土地ならではの米。
日本人は世界一ぜいたくしています。
●新撰組と壬生寺
壬生寺と言えば、京都に出てきたばかりの頃の新撰組の駐屯地として知られるお寺です。
嵐山線・四条大宮の近くにあり、この界隈は京都の下町風情が味わえる地域で、今にいたるまで、地域のコミュニティのおへそとして親しまれています。
境内には資料館があり、その庭には凛々しき近藤勇局長の銅像。
そしてもちろん、全国の新選組ファン巡礼の足跡も。
最近はゲーム化もされているそうで、やたらアニメチックは美青年隊士が目立ちます。
●新選組血風録
僕が近藤勇と初めて出会ったのは、司馬遼太郎の「新選組血風録」の中でした。
「虎鉄」という名刀を手にし、それを手に勤王の志士をバッタバッタと斬るのだが、じつはこの虎鉄が真っ赤な偽物。
しかし、近藤さんはこの偽物の凡刀を、自分の信念(というか思い込み)で本物の名刀に変えてしまうという、すごいけど、ちょっと笑えるお話でした。
(その後、本物の虎鉄を手に入れるのだけど、「こんな刀はなまくらだ」と言って使わない・・・というオチがついていた)
司馬遼太郎氏はなぜか近藤勇を、思い込みは強いけど、ちょっとおつむのキレが悪い、昔のガキ大将みたいなキャラとして描いて、頭がキレまくる策士の土方歳三と対比していました。
土方主役の名作「燃えよ剣」はまさしくその司馬流新撰組の真骨頂。
おかげで長らく近藤さんのイメージはダウンしたままだったけど、2004年の大がドラマ「新選組!」で三谷幸喜の脚本と、香取慎吾の演技がそれを払拭したかなという感じ。
●昭和歌謡「あゝ新選組」
その他、かつて三橋美智也が歌った「あゝ新選組」という歌の歌碑があります。
単に歌詞が書いてあるだけでなく、スイッチを押すと、いかにも昭和歌謡という歌がフルコーラスで再生。
5分近い長尺ですが、ついつい聞き惚れてしまいます。
●インドの仏像、壬生狂言
資料館の中には、その和装の近藤さんと洋装の土方さんの、あの有名なポートレートが堂々鎮座。
お寺の記録には、新撰組が境内で教練などを行って、迷惑だなどと書かれていたそうですが、それが150年以上の歳月を経て、お寺の繁栄に貢献しているのだから面白いものです。
しかし実はこの壬生寺、新撰組だけのお寺ではありません。
古くから伝わるエキゾチックなインドの仏像や、江戸時代初期から根ざした庶民のエンターテインメント「壬生狂言」と、3本立てコンテンツで見どころ満載です。
壬生狂言は年に数度行われており、ホームページから日程を調べて予約すれば、観光客も楽しめるとのこと。
●保育園・養老院を経営
壬生寺の敷地には保育園があり、養老院が二つ建っています。
奥には墓地があり、まさしく「ゆりかごから墓場まで」人生丸抱えという感じ。
資料館の受付をしていたおばさんも子供の頃からお世話になっている、と言ってました。
地域に深く根付き、文化を育てるコミュニティ拠点として親しまれる壬生寺。
国宝や世界遺産の寺院もいいけど、こうして庶民と一緒に歴史を重ねる下町のお寺もLovelyです。
●嵐山・天龍寺訪問
京都ではいろいろなお寺を訪ねました。
清水寺や金閣寺は外から建物を見るだけでしたが、祇園の建仁寺、駅近の東寺、嵐山の天龍寺などは堂内の空間や庭園もたっぷり楽しみました。
天龍寺では達磨大師の肖像をはじめ、堂内の各部屋、襖絵、さらに庭園など、それぞれの空間そのものが美術のよう。
広々としていて清々しく、まさに心洗われ、癒される気持ちのいい空間です。
敷地内にある料亭で精進料理を食べましたが、これもまた一種の美術品で、味も雰囲気も大満足。。
仏教寺院としての毅然とした空気は、観光客でごった返していても、なんとかそれなりに保たれています。
●宗教における空間づくり
宗教において空間づくりは最重要課題です。
世俗の日常空間の中では届かない言葉・音楽・思念といったものが、寺院とか聖堂の中だとズバッと届きます。
脳がその空間の気の流れを感じとって、脳波をチューニングして合わせるかのようです。
宗教者はそのことをよく知っており、建築や内部の装飾・調度品、美術におおいにこだわりました。
目、耳、鼻、肌、そして舌も。
五感を通して、この空間に入った人たちの脳は「信者の脳」になるわけです。
●カルト宗教の空間
カルト宗教などはこれと同じ理屈で、目を付けた人間を日常生活の空間から切り離し、自分たちのアジト的空間――一種の密室に引っ張り込むことによって、洗脳します。
日常空間にいれば簡単に見破れるインチキも、そうしたカルト信者だらけのアジト的密室空間に入ってしまうと、脳が誤作動を起こして、たやすく暗示にかかってしまいます。
なにせ多勢に無勢。
正しいことを言っているのはあっとで、自分は間違っていると思い込まされてしまう。
よってインチキがホントに見え、あたかも奇跡が起こっているように錯覚してしまうのです。
●無宗教の増加とインターネットの普及
世界的に無宗教の人が増えているようです。
現代日本は、クリスマスやバレンタインなどのキリスト教行事をイベントとして楽しみ、葬祭・供養は仏教のスタイルを採り入れています。
が、内実は無宗教。
こうした日本のやり方を世界各国、真似し出したようで、「都合のいいところだけ持ってきて、パッチワークすりゃいいじゃん」という考え方が庶民の間で蔓延。きちんとした儀式や作法は、身分が上のほうの人たちにまかせときゃOKというわけです。
因果関係は明確にできませんが、どうもその背景にはインターネットの普及が関係しているように思えます。
ネット上にいろんな情報があふれ、誰でもPCやスマホでデータ化された知識を手に入れられるようになると、非科学的な物事はちっとやそっとでは信じられなくなるのでしょう。
なんといっても歴史の中で宗教が人々を支配できたのは、情報を集約し、必要に応じてそれらを求める人に分け与えることができたから。
だから宗教はありがたいもので、宗教者は偉い人たちだったわけです。
そうした長く保たれてきた虚構は、洋の東西を問わず、科学万能となった100年とちょっと前あたりから次第に崩壊。
それがこの10年あまりのインターネットの普及によって、急速に進んだ感じがします。
こうした風潮を嘆く声も聞こえますが、僕は良いことだと思います。
20年あまり前、地下鉄で猛毒のサリンガスをばら撒いたオウム真理教は、教祖が起こすミラクルを見せて信者を集めていたようですが、今のようにネットが発達していれば、くだらないスピリチュアルに引き付けられず、信者も増えなかったでしょう。
ただ、そのスピリチュアルに引き付けられたいと欲している人、洗脳されたいと願っている人が、いつの時代でも一定数いるので、話はそう単純ではありません。
こういう人たちの脳は、いつでも洗脳スタンバイOKになっているので、ほとんど防ぎようがありません。
こうした人たちを狙って、そのうちインターネットが宗教の代わりをするようになり、AI教祖やらロボット教祖が出てくるのではないかと考えると、冷汗が出ます。
●これからの宗教の生きる道
カルトは別ですが、インターネットの影響もあって、この先、広く人々を引き付けるカリスマ的な宗教者はもう現れないでしょう。
その時やっぱりものを言うのは、こうした心洗われ癒される、ひろびろ美術空間と設えた宝物。
そして、その空間を活かした「写経」などの個人的プチイベント。
そうしたものをいかに世界中にアピールするか――。
お寺もいろいろ戦略を立てなきゃならない時代だなぁと感じました。
祇園にある京都最古の禅寺・建仁寺の法堂天井画の「双龍」。
すごい迫力だが、どちらもどことなく愛嬌のある顔をしています。
京都の神社仏閣を訪ねると、やたらとあちこちに龍がいます。
思わず「います」と言いたくなる存在感・実在感が京龍にはあります。
このお寺ではほかに桃山時代に描かれた襖絵の雲龍もいます。
そんな大昔の絵なのにずいぶんきれいだなと思ったら、この寺ができて800年の記念事業の一環で、京都文化協会とキヤノンの協力で、全部で50面ある襖絵を高精細デジタルで複製したということ。
現代のテクノロジーの力で復活した京龍。まさしく日本のジュラシックパーク。
嵐山にある天龍寺の法堂の天井にも「雲龍」がいます。
こちらは撮影禁止でしたが、八方にらみの龍で、円に沿って堂内を一周すると、どこに行っても龍に睨まれている感じがします。
けれども、これもまた睨まれて怖いというより、いつも見守ってくれているという安心感を感じます。
この天井画の雲龍は、もともと明治時代の日本画家の筆によるもの。
龍は水の守り神。
海がない代りに豊かな水を湛えた琵琶湖が控えています。
明治維新後、天皇は東京に移り住むことになり、いっしょに公家や大名も去って京都は都の地位を喪失。経済的にも大ダメージを被りました。
お得意様をなくした町人たちは、自分たちの手で京都の街を再建し、生活の糧を得なくてはならなくなったのです。
敢然と立ちあがった京の明治人たちは、脳も筋肉もフル回転。
その再建事業の一つとして、永年夢見た琵琶湖の利用開発に着手。
豊かな水を利用して運河を開いたり、水力発電を行うことに成功しました。
明治時代に描かれた龍は、この明治の京都人たちの意気地と、琵琶湖疎水の象徴だったのかも知れません。
二つの天井画は、天龍寺の「雲龍」が2000年に、建仁寺の「双龍」が2002年に、それぞれ著名な日本画家によって新しく描き直されました。
明治の龍がどんな筆致だったのかは分からないけど、豪壮で勇ましく権威を感じさせる龍から、優しくし親しみやすい守り神のような龍に変わったのではないかと想像します。
京都の水はやわらかくて、おいしい。
だから21世紀の京龍は、Lovdelyなのかなぁ。
今回の京都旅行は22年ぶり。
22年前に行ったときは、カミさんのお腹の中には息子がいました。
時が経つの速いこと、速いこと。
悠久の古都・京都もこの20年余りの間に大きな変貌を遂げていました。
その最たる現象が、外国人観光客とキモノ女の大増殖。
●グローバリゼーションとITを体感できおすえ
東京でもそうですが、近年やたら外国人が増えたなと思ったら、JapanRailPassという、外国人しか買えない全国のJR共通の切符があり、これを使うと東京・大阪間を新幹線で往復する程度の費用で、1週間日本中のJRが乗り放題。
僕もかつてユーレイルパスという欧州一帯乗り放題の切符でヨーロッパ中を旅して回ったことがありますが、それと同じようなものです。これはお得!
というわけでオールドジャパンの情緒・風情と、世界遺産の神社仏閣目白押しの京都は東京と並ぶ超人気観光地。
そぞろ歩けば、中国語、韓国語、英語、ロシア語、フランス語、スペイン語、etc.・・・世界中いろんな言葉が四方八方から耳に入ってくるわ、自撮り棒にスマホやタブレットを括りつけてバシバシ写真を撮りまくるわで、21世紀のグローバリゼーションとIT化社会を改めて実感出来ます。
●お金かせぎながらお勉強できおすえ
という状況なので、観光地で商売をしている京都のあきんどさんたちは、少なくとも商売に関する英語はペラペラ。
錦市場の丹波の黒豆茶を売っている齢80になろうかというおばあちゃんも「ディスイズ・ブラックビーンズティー。20ピーシーズ・ティーバッグス・イン・1パケッジ。ドリンク・オーケー。プロイーズ・トライ」とか、じつになんとも、いわゆるナガシマさん英語で堂々と丹波の黒豆茶を試飲販売しています。
ビジネス英語なんて、わざわざ月謝払って英会話スクールなんか行かなくても、ロンドンやNYCまで出かけなくても、京都の飲食店や土産物屋でバイトすれば、必要に駆られていくらでも喋れるようになりますよ。いっしょにお金も稼げて一石二鳥です。
語学に限らず、これからはお金払って勉強するんじゃなくて、お金かせぎながら勉強する時代。そのほうが効率的だし、やらなきゃいかんからしっかり覚える。高い教育費払うのなんてバカらしいよね~。
●着物で歩きはったらどうでっしゃろな
さてそんな中、うちのカミさんは今回、着物を着て京都を歩くというヴィジョンを持ってやってきました。
観光ガイドブックなどを見ればわかると思うけど、ここのところ京都では「レンタルきもの屋」が大繁盛。
昔から舞妓さんや花魁のコスプレをして写真を撮る、といったサービスはありましたが、そこから展開して今は、とても安いお値段でレンタル着物を着て街が散策できるのです。
今回利用したお店の場合、インターネット予約割引もあって、1日¥1980で着物はもちろん、帯、足袋(使い捨て)、履物(女物はMとLの2種類サイズ。かなり履きつぶされているものもある)、さらに着付けサービス、お荷物預りサービスも付いていました。
特に祇園・清水寺近辺は大激戦区らしく、いたるところにこのテの店が立ち並び、通りにはまるで真夏の花火大会の会場みたいハデハデの着物に身をまとった娘たちがウジャウジャしています。
ちなみにこのレンタルきもの、基本的に安いポリエステルの生地でできています。
ポリエステルなので発色が良く、見た目、ほとんどすべて浴衣に見える。
そして、着終わった後はそのままガガガっと簡単に洗濯できるのが大きな特徴。
お値段のことを考えれば、そうケチはつけられません。
ただ、素材の性質上、モノはどうしても赤やらピンクや水色やらライトパープルやらの、若い子向きの明るくハデハデなものばかり。
うちのカミさんは、幸いにもなんとか奥ゆかしい(?)柄を選び取ることができましたが、街を散策中の方の中には、結構なご年配の外国人レディが娘の浴衣みたいなのをまとって歩いています。
ま、彼女らにとっては民族衣装を着ているような意識なので、とくに問題ないでしょうが。
そんな光景を目の当たりにすると、京都では過当競争のこのビジネスも、ターゲットを、頭の中は10代・20代のエイジレス年配者にすれば儲かるのではないかな、と思いました。
●表も裏も京都のお味、楽しんでおくれやす
日が暮れるころには、お店の中は脱ぎ散らかした着物でいっぱい。
ゴミ箱は使い捨ての足袋でいっぱい。
スタッフはほとんどがお客と同じお姉さんがただけど、1日終わった後の片づけは大変だろうね。
情緒あふれる祇園の通り、清水の坂道。
レンタルきものビジネスの舞台裏。
ひと粒で二度も三度もおいしい秋の京都の旅。
そうそう、日本語出来ない人、日本の文化がわからない外国の人も、舞妓さんにはおさわりしたらあかんどすえ。
原因不明の高熱、体中に発疹、唇が乾燥して荒れまくり、かさぶたができ、食事が喉を通らない。
1971年5月、いまだに正体のわからない病気に侵され、10日間ほど伏せりました。
これが今のところ、わが人生最長の病欠経験。
それが小学校の京都・奈良行き修学旅行と重なりました。
あとから封筒に入ったお金(積み立てた旅費)を返してもらいましたが、しばらくの間、修学旅行の思い出話や写真に興じるクラスの仲間からはじき出されて、やるせない気分になったのを思い出します。
やはり思い出・体験はお金に代え難しということを、6年生でしみじみ学びました。
その時、見逃した金閣寺に、11月2日~4日まで2泊3日の京都旅行でご対面。
京都は成人してから何度か来ているし、金閣寺も割と頻繁に映像や写真で見ているし、三島由紀夫の「金閣寺」もちゃんと読んだので、まったく思いがけないことですが、なんと生で見るのはこれが初めて。
人生初金閣寺。
46年かけてのリベンジ。
というほどのものじゃないけど、ちょっとキンキラした気分です。
京都ドラゴンズ。
新選組VS勤王志士。
きもの女大増殖。
日本古来の神社仏閣ビジネス。
外国人旅行客の大郡団。
社会問題化する市内交通。
ホテル・旅館業界VS民泊ベンチャーの対決。
などなど、面白コンテンツいっぱいの旅行だったので、
今月は随時、五月雨式に「京都探訪記2017」をお届けしていきます。
どうぞお楽しみに。
●「イギリスの食い物はまずい」という常識に物申す
ハムカツはロンドン名物?
なわけはない。ロンドン名物(英国名物)はフィッシュ・アンド・チップス、ベーコンエッグ、シェーファーズ・パイ、スコーン……といったところか。
パブにカレーを置いてあるところもあって、これが意外とイケたりする。
だって、日本のカレーはもとを正せば、明治期に輸入された英国式カレー。
インドのカレーをイギリス人が自分たちの口に合うようにアレンジしたものだった。
とにかく、「若い時分、3年ほどロンドンに住んでいた」と言うと、まるでパブロフの犬のように決まって「食べる物、まずかったでしょう?」と聞かれる。
確かにおかしな味のもの(スーパーで売っている缶詰のシチューとか、マヨネーズもまずい)も多いが、日本人の味覚基準に合わせたら、それはどこの国でも大して変わらないのじゃないかと思う。
ヨーロッパは一通り回ったが、それと比べて英国の食い物がとびきりまずいとは思わなかった。かのフランスだってイタリアだってトントン。
うちのカミさんは5~6年前に北京と上海に行ったが、本場の中華料理はまずかったそうである。
ちなみにロンドンの中華街の中華はとびきりうまい!
インドレストランのカレーもうまい!
●ロンドンの日本食レストランのまかない
ただし、僕の場合は日本食レストランで働いていた、という特殊事情がある。
フルタイムで飲食店で働いたことのある人はわかると思うのが、従業員には“まかない”が出るのだ。
つまり、ロンドンにいたとは言え、日常的にはまかないの日本食を食べていた。
外食でも自炊でも、自分ひとりで食べるのは週に1日半のオフ(1日休みと1日半ドン)だけ。
「たまに食べるだけだからイギリスのめしも美味いと思っていたんだろう」と言われれば、それまでだが…。
そのまかないだが、基本的には店で出したものの余り物・ハンパ物を材料にしたメニューだ。
忙しい店だったので、シェフの皆さんもスタッフのためにそうそう手間ヒマかけていられない。
なので、こうした肉や野菜のハンパ物をデン!と大皿に持って、それをすき焼きにしたり、しゃぶしゃぶにしたり、鉄板焼にしたりして食べた。
また、ドカッ!と作れるカレー、そば、うどんなども定番メニューであった。
当時、僕のいた店ではランチタイム・ディナータイム、あわせて延べ30人くらいのスタッフが働いていた。
日本人の他にフランス人、デンマーク人、ポーランド人、タイ人、フィリピン人、韓国人、中国人、スリランカ人、エジプト人などがいて、まさに多国籍軍団。
中には肉・魚類を一切口にしないベジタリアンや、イスラム教徒のために豚肉が食べられないヤツもいた。
それ用に特別メニューが作られることもあるのだが、基本的にはみんないっしょに、午後3時の昼飯・午後11時の晩飯に上記のような“日本食”をワイワイ食べるのだ。いま思い返すと、なんとも愛おしい風景である。
●特製ハムカツの思い出
さて、上記のように基本、余り物で作るスタッフミール=まかないだが、時々、まかない専用のメニュー(店では使わない材料をわざわざ取り寄せて作る献立)も食卓に上った。その中の一つがハムカツだ。これが美味かった!
エジプト人でいつもまかないを楽しみにしていたモハメッドというやつは、これが出ると「オー、ヘム!」といって嘆いていた(イスラム教徒なのでポークが食えない)が、こんなに美味いハムカツはその後、味わったことがない。
自分でも作ってみたが、単に材料がよくてもダメだ。お歳暮などでいただく高級ハムより普通の安いハムで作った方がうまかったりもする。
本当にあのまかないの味は、記憶の中枢と結びついていて、ロンドン時代の思い出が次から次へと湧き出してくる。
当時の街の匂いや光や空気感までよみがえってくるのである。もっといろいろ書きたいけど、キリがなくなるのでまた次回。
当時、かのHIROKOレストランで厨房を仕切っていたヘッドシェフの岡山さん、〈おいしいロンドン〉をどうもありがとう!
2011・6・6 MON
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