きれいに咲いたガクアジサイが笑って見送ってくれた

 

永福町の家の小さな庭には、

鉢やプランターに植えた花とはべつに、

毎年、どこからか花の種が飛んできて、

いろんな花を咲かせていた。

「野の花鍼灸院」の名前に相応しい庭だった。

 

この季節はガクアジサイの花が美しい。

毎年咲くわけでなく、1年咲いては休み、

2年休んでは咲き、

といったのんびりペース。

今年はその当たり年だった。

 

引っ越ししてから1週間。

後片付けと掃除とゴミ出しに通っていた。

 

今日はインターネット回線のケーブル撤収工事があり、

そのあと最後の後始末をしていたら、

ガス屋さんが元栓を閉めに来た。

これですべて終わり。

水道と電気は人手をかけることなく、

0時になったら自動で止まる。

 

何もなくなった家の中はやっぱりさびしい。

雨の中、最後にガクアジサイが笑って見送ってくれた。

咲という字はエミ(笑)とも読む。

当て字じゃないよ。正しい訓読み。

日本語って美しい。

それではさようなら。

12年間ありがとう。


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食と祈りの店 自由が丘・田の実

 

ここのところずっと、葬儀供養と農業の仕事をやっているが、昨日取材したのは、そのふたつが一体化したお店。自由ヶ丘に先々週オープンしたばかりの「田の実」だ。
コンセプトは日本人の稲作文化の中で育まれた「食と祈り」。
1階は全国の農産物などの食品と四季の行事を彩る雑貨のショップ。2階はカフェ&レストラン。3階はイベントスペース。
ランチに出る汁ものは仙台の名店「ゆきむら」のシェフの作品で、日本人の脳の深淵に届く美味しさだ。

実はこの店の経営母体は、「手のしわとしわを合わせて、しあわせ」の、お仏壇のはせがわ。
「手を合わせるとはどういうことか?」を追究していったら、食と農にたどり着いたという。
さすがリーディングカンパニーと感心する話だった。
オープンしてからまだ2
週間だが、早くも自由ヶ丘の大人気店になりつつある。駅から3分なので、そっち方面に行くことがあれば、ぜひ寄ってみてください。

 


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引っ越しと地球の意志

 

長年住み慣れた家とも今日でお別れ。

今朝はひどく感傷的な思いが込み上げてきて目が覚めた。

 

ここ数日、急な対応を要する仕事も入らず、

引っ越し作業に集中できた。

ここにいたのは12年だが、考えてみたら、

12年前の引っ越しの時は、あまりモノを捨てていなかった。

 

息子がまだ小学生だったので、チビの頃の思い出の品などが

まだ親バカ的に愛おしくて捨てられなかったのである。

 

自分の仕事の資料や趣味の用品もたんまりため込んでいた。

すでに現在の生活に必要なくなったものでも、

むかし愛した愛着が残っていて、

自分の心が宿っているような気がしていた。

 

つまり、この家にはそれ以前も含め、

結婚から子育てしてきたヒストリーが詰まっていたんだなと思った。

 

しかし、今回はダウンサイジングするのでそんなことは言ってられない。

心の中で手を合わせながら、

昔の手紙も写真も本もどんどん捨ててしまった。

それでも、(何日か前にも書いたが)、

ずいぶん捨てたつもりなのに、段ボールはいっぱいだ。

 

作業をしていると、

家をゴミ屋敷にしてしまう人の気持ちが分かるような気がしてきた。

たぶん、かの住人はモノに囲まれてないと寂しくてしかたないのだろう。

 

モノには魂が宿っている。

モノの豊かさ=生活の豊かさである。

僕たちはそうしたメンタリティで生きてきて、なかなか変えられない。

 

そのあたり、息子のような若い連中はそうしたこだわりはないようだ。

本でもDVDでも、どんなものかわかった、もう十分楽しんだと思うと、

ホイホイ惜しげもなく捨ててしまう。

 

本も音楽も映像も思い出も、なんでもデジタル化でき、

デバイス一つで楽しめてしまう。

クラウドに上げて保存すれば、容量は無限である。

 

衣食住という生活の基本部分はさておいて、

仕事や勉強や娯楽の方面は、物理的なものは必要なくなってきている。

今後はすべて自分の頭の中・体の中で管理せよ・処理せよ。

そう言われているかのようだ。

 

引っ越しによって実感させられた、

石油製品に依存する大量生産・大量消費の時代の終焉。

僕たちはメンタリティを変える必要に迫られている。

地球の意志が働いているのかも知れない。

 


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白鳥の引っ越し屋

 

12年前と同じ引越し屋を選んだ。

「白鳥の湖? いや、みにくにアヒルの子?」

と、首かしげたくなる、不思議にメルヘンなイラストの入った、

この会社オリジナルの段ボールも12年前のままだ。

 

内見・見積もりに来た営業のお兄ちゃんに、前も使ったよという話をしたら、

「その頃と同じスタッフかも知れません」と、やや意外な返事。

 

聞くとスタッフの高齢化が進んでいて、

若い子は入ってもすぐやめてしまい、

結局、古くから働いている社員ばかりになっているという。

 

かく言う営業マン氏は、見た感じ、30ちょっと出たとこだけど、

かなりエキゾチックな風貌で、

タイやフィリピン方面の血を感じさせる。

少なくともハーフだろう。

日本語は難なく話し、理解していたので、

たぶん日本で生まれ育ったのだと思う。

 

大手はどうだか知らないが、こうした地域の中小の引越し屋さんは、

年輩者と外国人の職場になりつつあるのかも知れない。

 

もう一つ、引っ越し絡みで聞いたのは、

今年は昨年(および従来)と比べて、ピークが平均化しているということ。

普通、引っ越しと言えば年度末と初めの3月・4月だが、

今年は5月も6月もずっと忙しいのが続いているらしい。

通勤ラッシュの緩和策――オフピーク通勤をおもぃ起こさせる。

 

どうも企業の異動が、一時期に集中しないよう、

ずらして行われているようだ。

6月に転勤して7月から新しい部署で――

というパターンが増えてきている。

これも働き方改革の一環?

 

しかし、そのおかげで引越し屋さんは休みなく働き続けることになる。

中小企業の働き方改革は後回し?

というか、最初からあんまり考えてない?

要は「日本は労働者にも優しい先進的な国ですよ」ってアピールしたい、

政府のパフォーマンスだもんね。

 

日本の労働市場の実態を垣間見させる地域の引っ越しサービス。

いずれにしても、どうぞよろしくお願い致します。

 


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最期まで希望を見たい

 

人間はきっと最期の最後まで希望を見たがる生きものだ。

ここ数年、ドラマや小説などの創作を含め、

いろいろな書き物をしてきて、そんなことを思っている。

 

100パーセント満足な人生だったと、こころ満たされて最期を迎える。

それが最高の幸福だなんて大うそだ。

 

結局、自分の思い描いたゴールにたどり着けず、

あるいはゴールを見つけられず、

目的を達成できないまま、人間的にも未完成なまま終わって良い。

 

僕が考え得る最高の幸福は、

最期において、心を託せる誰か――

それは子どもかかもしれないし、友だちかもしれないし、

その日出会ったばかりの見知らぬ旅人かもしれない。

 

その誰かが、ついに自分がたどり着けなかった、

その場所に向かって歩いていく――

その後ろ姿を見られることだ。

希望を見つめながら死んでいけることだ。

 

義父がどんな思いで亡くなったかわからないが、

希望を見つめて空へ向かって欲しかった。

49日の納骨を迎え、美しい夏空のもと、そう祈った。

どんなところかわからないが、

これから義父の行けなかったところへ行こうと思う。

 


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これからは手ぶらで旅をしたいんだけど

 

 カミさんの鍼灸院に来る子どもらが「トトロの森みたい」と言ってた庭をすっかりきれいにした。

 壺や鉢やプランタにいろいろ花を咲かせていたのだが、それらも全部撤去し、生い茂っていた蔦の葉も刈り込んだ。

 小さな森が消え失せた。

 

 12年ぶりの引っ越しはなかなか厳しい。

 片付け作業が,やってもやっても終わらない。

 

 収納がたっぷりある家だったので、

何でもかんでも放り込めてたせいもある。

 それぞれの収納をあけるたびに、

とんでもない量の物が溢れ出してくるのだ。

(それも写真を載せようと思ったが、どう見てもゴミ屋敷に見えてしまうのでやめといた)

 

 過去、10代の頃から40年余りの間、

後生大事に持っていた本やら思い出の品やら、

「これは絶対捨てられない」と思っていたものも

今回はあっさり捨てている。

 

 捨てながら、逆にどうしてあんなにこだわっていたのだろう?

と不思議になることもある。

 本だのレコード(CD)だの映画や演劇のパンフレットだのといったものに、自分のアイデンティティを投影していたのかもしれない。

 

 もうそういう類の荷物はいらない。

 自分の中に残るものは残るし、消えるものは消える。

 これからの自分に必要と思われる――ぜひもう一度読み返したい本だとか――だけ手元に置いて、その他のよぶんなものは手放して、

なるべく手ぶらに近い状態で旅をしたいと思う。

 

 という方針で、ここ1ヵ月で膨大な量のごみを捨て、ずいぶん断捨離した気になっていた。

 が、それはあくまで主観であって、

現実的には思ったより荷物は少なくならない。

 

 思い出深い品を目にしてしまうと、

やっぱりリュックに詰めたくなっちゃうんだよなぁ。

 


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井の頭線文化圏残留報告とSUUMOのワナと不動産屋の愉快な若者たち

 

1ヵ月前、「さらば永福町」と書いたが、

結局、永福町からさほど遠くない、

浜田山に引っ越すことに。

井の頭線文化圏に残留することになった。

 

西武線文化圏の方、

転居情報がひるがえり、ぬかよろこびさせてごめんなさい。

(誰もしてない?)

 

駅にはちょっと遠いけど、公園まで歩いて3分。

いつでも散歩やジョギングができる環境に。

けっこう理想的なロケーションだ。

 

ところで、今回は物件を探す(なんといっても12年ぶり!)のに

SUUMOを使ってみた。

 

同じようなエリアに同じような間取りの部屋が

いっぱいあるなぁ。

このあたりの内装業者が皆、同じだからかなぁ、

不動産屋はみんな違うけどなぁ・・・

 

と思って見ていたら、何のことはない、

同じ物件の外観を、A社は正面から撮ったり、

B社は裏側から撮ったり、C社は斜めから撮ったり、

D社は上の部分だけ切り取って見せたり・・・

といったように

アングルや画角を変えて、

それぞれ違う物件に見せようとしている。

 

わかってみれば、な~んだという感じだが、

探している時は、みんな印象が異なるので、

いっぱいあるように見えて、なかなか気づかない。

 

複数の不動産屋で同じ物件を共有して

ネット上で「どうぞこちらへ」と営業しているので、

お客がどの写真が気に入ったかで、

どの不動産屋に行くか、

そして契約が取れるかが決まるというわけ。

 

不動産屋もなんとか検索数を上げようと、

SUUMO対策、ネット対策に必死である。

客にとっては紛らわいいこと、この上ない。

 

でも、今回は3件の不動産屋を回り、

それぞれ気のいい若い兄ちゃんたちと

いろいろ話ができたので面白かった。

 

というのが先月末のことで、

本日無事契約も終わり、引っ越し準備中。

完了は6月末予定。

 


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サンゲノヨル:仏教式罪の告白

 

「あのやろう、うまいことやりやがって」と妬んだり、

「失敗しろ。不幸になれ」と呪ったり、

道行く女の子に劣情を起こしたり、

気に食わないことに逆ギレしたり、

暴飲暴食に走ったり、

やるべきこともやらずゴロゴロ怠けていたり・・・

 

人間は日々、罪を犯している。

そこで神さまの前で自分の罪を白状するのが「懺悔」だ。

 

これはキリスト教の話だと思っていたら、仏教にもある。

同じようにお釈迦様の前で罪を認め、

仏教では「さんげ」と読む。

 

月に一度「サンゲノヨル」を開いているお寺があると聞いて、

一昨日、取材で出かけて行った。

神楽坂にある圓福寺だ。

 

まだ30代の若い住職様にインタビュー。

幕末に伝わり、この寺に祀られている夜光鬼子母神の話、

その鬼子母神絡みで妊活講座が行われている話、

住職がIT企業に勤めていた時の話など聞いて、

メインの「サンゲ」。

 

これは実際に体験してみた。

 

500円払ってお守り(懺悔守り)を購入し、

その中に自分の犯した、

あるいは犯していそうな罪を書く。

 

自分は悪いことしてなくても、遠い先祖が

騙し・欺き・裏切り・虐待・泥棒や人殺しなどの

大罪を犯している可能性もある。

 

因果応報。

過去の罪が、現在につながって、

あなたの人生で表現されている。

こうした考え方は、仏教ならではという感じがする。

 

書き入れたお守りは持ち帰るのではなく、

この寺の祖師像に奉納する。

奉納したら、あとはひたすら

心の中で罪を詫び、お経を唱える。

 

先祖が罪を犯したのかどうかはわからないので、

とりあえず自分の罪だけ思い起こした。

一応、善良な市民のつもりではいるが、

生きていると、どうしてもいろいろあるからねぇ。

ズルもしてるし、迷惑もかけてるし、

人を傷つけたりもしています。

 

ありがたいのは「懺悔」すると「三化」が起こるということ。

①健康運・②仕事運(金運)に恵まれるようになり、

③ 良縁にも恵まれる。 

これはもう、信じるしかないねぇ。

 

それに夜(僕が行ったのは5時過ぎでまだ明るかったけど)、

お堂の中にいると、厳かな気分になり、精神的にも良い刺激になる。新鮮な空気が身体の中に入ってくる感じだ

月に一度くらい、こうした体験をするのはいいと思う。

 

500円で懺悔守りを購入するのは最初だけで、

そのあと、2回目以降は自由。

リピーターも大勢いて、僕がいた時間だけでも10人くらいやってきた。

男よりも女のほうが多いという。

女のほうが男よりも罪深いのだろうか?

 

毎月、第一水曜日、夕方5時から8時までやっている。

こうした懺悔の概念を大事にして、

積極的に打ち出しているお寺はかなり少ない。

(少なくとも、僕は初めてだった)

 

あなたも秘密めいた体験として、

一度やってみると面白いと思う。

 

神楽坂・圓福寺。

サンゲノヨルは、お参りした後、

神楽坂に立ち並ぶ飲み屋でハシゴ・・・となったら、

またまたそこで罪を犯し、

翌月、ふたたび通うことになって永遠の循環に陥るかもね。

 


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