エンディングを意識して人生の台本を書く。

 

●エンディング文化の時代到来

 

 エンディング産業展の取材を終えて考えたこと。

 それは、エンディング――死を楽しむ時代がやってきたということです。

 

 「死を楽しむ」というと語弊があるかもしれませんが、要はひとりひとりが自分の人生の終え方について期待感や希望を抱く、ということです。

 

 いつかはこの世からおさらばしなくてはいけない。

 これはあらかじめそう決まっています。

 だったら悲しんだり寂しがったりするだけでなく、そうした感傷も含めて、思い切って楽しんだほうが「お得」なのではないでしょうか。

 

 少なくとも僕たち、現代の日本人ひとりひとりは、そうしたことをできる豊かな文化に包まれて生きていると思うのです。

 

●人生は20歳まで

 

 じつは人生は20歳で決定しています。

 20歳までの経験とそこから吸収したもの、そして喜怒哀楽の感情で人間の心身の基盤は出来上がります。

 どうすれば自分は気持ちよく生きられるのか、この世の人生において何に価値を置いて生きるのか、自分が果たすべきミッションは何なのか・・・これらはもうみんな、最初の20年で僕たちの内側にしっかりインプットされます。

 

 ただし、そのことに気づくかどうか、それらをいつ発見できるか、はその人しだいです。最期まで見つけられずに終わってしまう人も少なくない。いや、もしかしたら大半の人はそうなのではないでしょうか。

 

 だから20歳を過ぎた大人は、自分の人生の主人公は自分であると、しっかり意識したほうがいい。

 そして日々、自分の人生の台本を書いていくといい。

 細かく書き込む必要はないけれど、どういう流れでどうなり、どんな大団円を迎えるのか、エンディングまで想定してプロット(筋書)を作っておくといいと思います。

 

 もちろん、僕たちを取り巻く環境は、時代とともに刻一刻と変化していくので、日々リライトすることが必要です。

 でも、ベーシックな台本があるとないとでは違います。まったく手ぶらで毎日アドリブだらけでは続きません。

 

 でもじつは、わざわざ僕がこんなことを言わなくても、あなたも自分の人生の台本はひそかに書き進めているはずなんですよ。

 耳を澄まして自分に聞いてみてください。

 そして、目を凝らしてよく探してみてください。

 

●リライトしよう、今からでも始めよう

 

 親やら先生やら世間一般やらの書いた台本で生きている――

 もし、あなたがそう感じるのなら、そんなものは破り捨てるか、端から端までリライトして自分のものにしてしまう必要があるでしょう。

 

 また、もう齢で今からでは手遅れだ・・という人も大丈夫です。

 これまでの記憶・実績を材料に再構成することができます。

 起きてしまった事実は変えられなくても、現在の自分、そして未来の自分に合わせて、その事実の意味を変えることができます。

 マイナスと捉えていた事象もプラスに転換することができます。、

 これもどんどんリライトしましょう。その気になれば一晩でできます。

 

 完成度の高い台本、公開する台本(必要だと思えば見せてもいいけど)を作ることが目的ではありません。

自分が主人公であることを意識し、生きるということについてイメージを広げ、深めるためにこうした考え方をするのは有効ではないかと思うのです。

 

●エンディング産業を面白がろう

 

 エンディング産業は「人の死をネタにしたお金儲け」と、胡散臭い目で見られることがまだまだ多いようですが、歴史・文化・哲学など、いろいろなことを考えさせてくれる媒体です。

 

 そして経済と結びつくことで、世の中に大きな影響を与えていきます。

 そこで提供されるあふれんばかりの商品やサービス――それこそラーメン一杯からデザート付きフルコースまで――は、すべて今を生きる人たちの心が投影されたものばかり。どれを選ぶかは自分次第だし、オーダーメイドも可能だし、どれも選ばないという選択肢だってもちろんあります。

 興味と好奇心を持って覗いてみると、きっと面白いと思います。

  

 

2016・8・28 SUN


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ウーパールーパーな女子・男子

 

 「おまえら、いいトシこいて小学生かよ~」

 というのが「女子・男子」という呼び方に対する感想でした。

 20代だったらいざしらず、いったいいつから中高年まで女子・男子と呼びならわすようになったのか?

 たぶん少なくとも21世紀以降のこと。今ほど頻繁に使われ、定着するようになったのは、この10年くらいか?   どうも前から気になっていたので、これがいったいどういう意味を持つのか考えてみました。

 

●間柄によってビミョーに呼び方を変換

 近頃、女・男を呼び表すのって意外と難しいのです。

 「女性・男性(ジョセイ・ダンセイ)」は書くのはいいけど、音声で表す場合、どうもフォーマルすぎる。改まった席や仕事の場でなら問題ないが、ちょっとくだけた場や親しい間柄で「ジョセイ・ダンセイ」と言われると違和感があります。

 それならやっぱり「女・男(オンナ・オトコ)」―― 僕はこの呼び方を好むのですが、困ったことに最近、女性の中に敬遠する人が少なくない。

 

 文脈の中でどう使うかにもよりますが、「セックスを感じて恥ずかしい」「あまり口では言いたくない」という意見があるのです。「情婦・情夫」といった漢字と結びつくのでしょうか。性を伴う愛のにおいがするのでしょう。

 

 かなり親しい間柄でなら問題ないけど、やや親しさが希薄な友だち・仲間、あるいは仕事の同僚などに対しては、もしかしたら不愉快に感じるかな?と思ってしまうので、僕も「女の人(オンナノヒト)」といった言い方をします。(自分が男なので、男は「オトコ」でOK)。

 つまり相手によってけっこう使い分けなくてはならない。いやはや、なんとも日本語は繊細で複雑でビミョーです。

 それに仕事でも趣味でもプライベートでも、年齢層で分断されることなく、いろいろな年代の人間が、フラットな関係で入り混じって行動するようになったことも、こうした呼称のビミョーさに影響しているのではないかと思います。

 

●安心・安全なジョシ・ダンシ

 そこで登場した「女子・男子(ジョシ・ダンシ)」は、かなり便利。

 もともと子供・若者、あるいはスポーツ選手に対しての呼称だったので、「ジョシ」「ダンシ」と言われると、なんだか若返ったような気分になるし、カタさがなく、親しさイマイチの間柄でもOKだし、一般的な呼称としても安心して使えます。

 

●英語文化と日本語文化

 女子・男子は英語だとGIRL・BOY。

 英米ではむしろこっちのほうがセックス臭が漂いますね。

 その方面のお仕事をしている人はこの呼称で呼ばれることが多いと思います。

 なので普通、英米人の中高年は「GIRL」「BOY」なんて呼ばれたら腹を立てるんじゃないでしょうか。

 ところが日本語―ー日本人の場合はその逆。

 比較して考えると、英米が子供・若者(子供っぽさ・若さ)を下に見るのに対して、日本人には子供を神聖視したり、若さを尊ぶ精神構造があります。女子・男子×GIRL・BOYには、そうした文化の違いも見て取れします。

 

●女子・男子の裏にある「成長」というキーワード

 もうちょっと深掘りしてみたらどうなるか・・・ということで発見したのが 5年ほど前、自分のブログで書いていた文章。これは当時、映画・TV・演劇で「三銃士」がちょっとしたブームになっており、それについて書いたものです。

 

 いわゆる“成熟社会”となった先進諸国では“成長”は重要なキーワードだ。未熟だろうが、ダメダメなところがあろうが、成長を感じさせる、言い換えれば、未来への可能性を感じさせる人や集団や企業は、すこぶる魅力的に映る。 

 

 つまり、今、それだけ“成長”というものに希少価値があるのではないだろうか。

 成熟し、伸びきってしまった大人にはそうした魅力が見出せない。しかも環境の変化のせいもあり、信頼感も失墜しているのでなおさらだ。 

 

 ちなみにこれは実年齢のことを言っているのではない。10代・20代はもちろん、50代・60代でも“成長”しなくてはならない(少なくともそういう意志を見せなくてはならない)世の中になっているのだ。

 そして、若いダルタニアンと年長の三銃士のように、互いに影響を与え合いながら伸びていくことが求められている……三銃士の物語は、そうした現実を映し出す鏡のような機能を持っているのでは、と感じる。 

 

 どうもこうした意識がそのまま、僕たちの深層心理に貼りつき、いつまでも成長しきらない子供・若者の部分を形成しているのではないかと思います。

 それが「女子・男子」という呼称に結びついている。

 国境が溶け、世代差が溶け、リアルとバーチャルの境界が溶け、それでいながら経済や社会階級の格差が広がる今、人間として完成してしまうこと、成長しきってしまうことは、今後のことを考えるとマイナス要素にしかならない。

 齢は取っても可能性は残しておきたい・・・という気持ちの表れなのかも知れません。

 

●僕たちはいつまでウーパールーパーか?

 というわけで、ウーパールーパー。

 南米のサンショウウオの一種であるこの生き物、一般的には死ぬまで成熟せず、幼体のまま一生を終えるのだそうです。

 最近「1980」を謳ったCMでテレビに再登場しましたが、 確かに1980年頃、ウーパールーパーみたいな顔をした若い連中(=当時の僕たちのことです)が街の中をうようよ泳ぎ回っていました。

 

 あれから30年以上経った今も、依然として僕らはウーパールーパーそのもの。

 オトナ女子・オトナ男子として、ろくすっぽ成長することなく、結局、単に子供オバさん。子供オジさんのまんまで終ってしまう可能性は大きいのではないかと思います。

 

 でも「今どきの若いモンは・・・」という昔の人たちが本当に尊敬に値する大人ばかりだったのか?といえば、そんなことはない。情報がたやすく手に入らなかった時代の社会では、ごまかし、カッコづけも簡単で、威張っていられましたからね。

 

 今、成長するとはどういうことなのか? ごまかしやカッコだけでなく、大人になるってどういうことなのか・・・人生の続くかぎり、考えていこう。

  

 

2016・8・15 MON


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ぼくはセイウチロウ

 

氷の世界の恐怖のセイウチ

 子供の頃、動物図鑑で初めてセイウチの写真(イラストだったかも知れない)を見た時は、そのモンスターのような姿・形に心の底から驚愕しました。

その時の僕のセイウチのイメージは、世界の果ての暗くて冷たい氷の世界で巨大な牙をむき出しにして世にも恐ろしい咆哮を轟かせる孤独な怪物。

こわかったなぁ。

 人生の中でもしこんな怪物に出会うことがなあったら、僕は一瞬のうちにカチンコチンに凍り付いて、冷凍食食品になってこいつに食べられてしまうだろうと思い、どうぞそんなことになりませんように、と、何度もお祈りを唱えました。

 

夢の世界でセイウチロウと邂逅

 という衝撃が消えたのはいつのことだろう?

いろいろ本を読んだりテレビを見たりするうちに、セイウチは割とおとなしくて温かい生き物。孤独ではなく、群れをつくってのんびり暮らしていることなどを知りました。

それどころか、近年は日本水族館にも住んでいて愛嬌を振りまいてくれています。

 

 そのセイウチ君に僕もお世話になっています。

 夏、お昼寝するときは涼しい水族館のイメージを抱いて横になり、水中を魚がうようよ泳いでいる中をうつらうつらしつつ彷徨っているのですが、15分ないし30分ほどすると、コツコツと頭を何かがつつく。

「おい、起きろよ、セイイチロウ」

と目を覚ますと目の前には強大なセイウチが。やつはその牙の先で僕の頭をつついいたのです。

 こいつはセイウチロウといってクールな夢のアラーム係として30分経ったから起こしにくるのです。それ以上寝ちゃうと夕方まで頭が働かなってしまうので。起きない時は歌を歌って起こします。

 もちろん、歌はビートルズの「I am the Walrus」。

 

●ビートルズフェスでセイウチ登場

 そういえば昨夜、録画しておいてずっと見ていなかったNHK-BSの「BEATLESフェス」なる3時間番組を見ました。

  ビートルズ来日50周年ということで、当時の逸話――ビートルズにはっぴを着せた日航のスチュワーデスさんの話やら、独占取材に成功した星加ルミコさんやら湯川レイコさんの話――昔、音楽雑誌でよく記事を読んでいましたが、音楽ジャーナリズムのリーダーだった彼女らはまだ20代の女の子だったんですね――やら、を中心に、年寄りから若者まで入り混じったスタジオトークや、ビートルズ番組お約束のリバプール―ロンドン紀行(森高千里がキャバーンクラブに行ってドラムを叩いてた)などがてんこ盛りのバラエティ。

 しかし、目玉は何といっても、新旧いろいろな日本のミュージシャンたちがやるビートルズナンバーのトリビュートライブでした。

 

 財津和夫「Yesterday」や平原綾香「Hey Jude」などは、ま、定番の、という感じ。仲井戸麗市(チャボ)の「The Long and Winding Road」はほとんど自分で歌詞を書き換えた替え歌で、清志郎へのレクイエムにしか聞こえない。歌い方もそっくりだ。やっぱ寂しいんだろうね。

 

 その中で一番面白かったのがラブ・サイケデリコの「I am the Walrus」。

 ぐにゃぐにゃしたサウンドとともに、「おまえはあいつ、あいつはおいら、おいらタマゴ男、おいらセイウチ」なんていう、ジョンのナンセンスでファンタジックでグロテスクな詩の世界がぐりぐり脳天にねじ込まれてきて、めっちゃカッコいい!  こんな新鮮なアレンジでこの曲を聞けるとは思ってもいなかった。まったく感動モノでした。

 

 オリジナルを聞いて育ったおっさん・おばさんたちは、どうしてもリスペクトが先に立ってしまってアレンジも表面的で徹底しない。けど、「むかし、ビートルズっていうバンドがいたらしいね」と言っているような若い連中は、遠慮なくぶっ壊して、さらにおいしく料理していけると思います。

 ジョンやジョージがあの世から「おいおい」と言って止めに来るくらい、ガンガンすごいアレンジをしてほしい。

 

セイウチロウよ永遠に

 おまえはあいつ、おまえはおれ、だからあいつはおれ、おまえはセイウチロウ、ぼくはセイイチロウ、おまえはセイイチロウ? ぼくはセイウチロウ?

 まだまだ暑い。北極の氷の上でごろごろ寝そべる夢を見て毎日過ごすことにいたします。またセイウチロウと会うのを楽しみにして。

  

 

 

2016・8・11 THU


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四国化け猫➡猫神さま伝説

 

 この夏は四国をお遍路しています。

 ただし、オン・マイ・マインドで。

 葬儀・供養の業界誌の仕事で、ネット~メール~電話で取材しては原稿書きの日々。

四国の葬儀の風習や、お遍路についていろいろ勉強しました。

 

 で感じたのが、やたら四国にはネコが多いな、ということ。

 そういえば香川県のある島でネコがいっぱいいるのをテレビで見たことがあります。それで有名になって、観光客が出向いて、かわいい、かわいいとエサをあげまくるのでさらにネコ天国となっているようですが・・・。

 

 一方、僕が出会うのは、お葬式・お墓関連ので話からなので、この世とあの世の境界線上でニャーニャー鳴いているネコばかり。

 

●四国の葬儀における猫の存在

 

 徳島や愛媛で、家で人が亡くなると枕元にホウキや刃物などを置く、という風習があります。(正確には「あった」という過去形。日本の昔ながらの葬儀・供養の風習のほとんどは全国どこでも、この20~30年の間に9割以上消滅している)

何のためにこんなことをするかというと、ネコがご遺体の上をまたがないようにするため。ニャアとまたぐと死人が生き返って歩き出すとか、逆にネコがバケネコ化するというのです。

 ということは、この辺りではネコを飼っていた家が多のか?

 いや、飼っていたというよりも、ネコだのタヌキだの、動物たちが「こにゃにゃにゃちは~」と、自由にあちこちの家を出入りしていたのではないか、と思います。

 昔の日本の田舎の家は戸締りもいい加減で、常にオープン状態だったし、ネズミ退治にも役立つからね。だけど、キミはやばいからお葬式の時は来ちゃだめよ、という感じでしょうか。

 

日本三大化け猫伝説「お松大権現」の猫

 

 そんなわけでネコ伝説がはびこる四国。

 徳島県阿南市には「日本三大化け猫伝説」の一つに数えられている「お松大権現」という神社があります。

 ここに由来するお話は、借金苦にまつわるもので現代人にとってもリアル。

 むかし、困っている村人たちを救うために金貸しから多額の借金をした庄屋さんが金貸しに裏切られ、借金を残して死んでしまう。

 その妻・お松は「借金はちゃんと返したのに」と異議申し立てをしたのですが、その土地の奉行(きっと金貸しとつるんでいたと思われます。これも現代に繋がる政治とカネの問題です)が「わしゃ、返してもらとらんぞ」と、それを認めず、お松と、彼女が可愛がっていたネコを死刑にしてしまうのです。

 なんでネコまで処刑されるのかわからないけど、「わしの命に背く者は一族郎党皆殺しじゃ」という論理だったのでしょうか? 

 ネコも一族郎党に加えられてしまったのですね。

 

 で、この手の怪談兼勧善懲悪・庶民の味方ストーリーのセオリーとして、もちろん、この後、このネコはウソつきの金貸しと、権力乱用の奉行のところに化けて出て、悪者どもを地獄に叩き落とすというオチ。

 めでたし、めでたしということで、この正義のバケネコはこの神社にまつられることになったのです。

 

●今や霊験あらかた、招き猫だらけの観光スポット

 

 こうした因縁話があるせいか、なんと、この神社、今では受験と勝負ごとにご利益があるとして大人気に。バケネコになったネコはリベンジを果たした結果、「猫神様」に昇華。勝負ごとにご利益と言うので、全国からギャンブラーが詣でているようです。

 そして猫神様は招き猫の姿になって降臨したので、境内は招き猫だらけになっているようです。いやー、すごい。でも、借金は勝負事――ギャンブルに頼らず、地道にコツコツ返したほうがいいと思うなぁ。

 

 というわけで、妖怪も神様になってしまう四国。

 そういえば「千と千尋の神隠し」で、妖怪だか神様だかわからない者たちが湯あみに来る湯婆の湯場も愛媛の道後温泉がモデルになっていました。

 四国の旅・オン・マイマインド、まだまだ続きそうです。

 

 

2016・8・6 sat


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大島レトロ商店街の「なかたん」と「ちびまる子ちゃん」

 

「新プロジェクトを発動するから来て!」

と呼ばれて、江東区の大島へ。

昨年から月1ペースで通っているデイサービス&整体院だ。

亀戸と大島の間ぐらいのロケーションなので、

都営新宿線 大島駅からは10分くらい歩く。

 

通るのは中の橋商店街という

昭和レトロな雰囲気が漂う1km近い下町商店街。

この周辺には大きなスーパーがなく、

個人商店が立ち並ぶ聖域みたいになっている。

 

今年になって初めて行ったが、

新たに「なかたん」という

お買い物の女の子キャラクターが登場。

けっこうかわいくて好きだ。

 

地元の人御用達で、

観光客が集まるようなところではないが、

下町情緒があてほのぼのするので、

近くに来るようなことがあったら覗いてみて下さい。

 

「なかたん」を見ていたら、

なぜか「ちびまる子ちゃん」を思い出した。

中の橋商店街は、まる子のマンガに出てくる

清水の商店街にちょっと似ているのだ。

きっとこのあたりで生まれ育った子どもの目には、

とてつもなく長大な商店街に、

そしてふるさとのような風景に見えるだろう。

 

先週、まる子役のTARAKOさんが亡くなってしまったが、

みんな大好き昭和40年代の夢をなくすわけにはいかず、

アニメはまだまだ存続する模様だ。

けれども後を継ぐまる子役の声優さんは

大変な覚悟が必要。

誰がなってもネットで悪口を書くのはやめようね。

 

 

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認知症患者の純粋な「かわいい」の価値

 

認知症になったらもう社会の役に立たない。

そう思っている人は少なくないだろう。

中には仕事をしている人もいるようだが、

よほど長年の付き合いがある懇意の間柄か、

もしくは条件付きでなければ頼めない。

 

うちの義母は働くのが好きで、

気が乗っていると積極的に家事をやりたがるが、

正直、ありがた迷惑なことが多い。

社会の役に立つか?と問われれば、

常識の範疇では「NO」と言わざるを得ない。

しかし、彼女には彼女にしかない存在価値がある。

 

いつも散歩に行く公園・遊歩道は、

今日のような晴れて暖かい日曜日は

家族連れが大勢来ている。

 

彼女は小さい子供を見ると、のべつまくなしに

「かわいい」とか「いい子ちゃん」とか言ってほめ、

興が乗るとベタベタ触ろうとする。

 

コロナの時はヒヤヒヤしていたが、

自分の子を手放しでほめられて

親は悪い気がするはずがない。

ほとんどが受け入れてくれて

「ありがとうございます」と返す。

 

少し時間をかけてやり取りすると、

明らかにおかしな人だとわかるが、

ちょっとだけなら天真爛漫な気のいい

近所の普通のばあさんという印象になるようだ。

 

子どもも元気に笑顔で挨拶を返す子よりも

照れてモゾモゾしちゃう子のほうが多い。

もしかしたら内心怖がっている子もいるかもしれないが、

特に問題になったことは今までない。

 

だから言ってみれば、義母は出会う親子らを

ささやかながら幸福にしているのである。

 

一度、アトピーの赤ちゃんを抱いた

お母さんに会ったときがあり、

その時はちょっと驚いた。

 

義母は顔が赤くなってしまっているその赤ちゃんを見るや、

「わあ、かわいい」と、ぐいっとのぞき込み、

二言三言、あやすようなことを言って、

お母さんに「本当にかわいい子ですね」と言ったのである。

 

よほどうれしかったらしく、

お母さんは思わず泣いてお礼を言っていた。

おそらく義母のように純粋に「かわいい」と

言ってくれる人は周囲にいないのだろう。

 

普通なら口ではそう言っても、

内心では「かわいそう」とか

「お気の毒に」と思っている人がほとんど。

母親はそういう負の感情は鋭く読みとれるものだ。

 

しかし義母は何の屈託もなく、

心の底から「かわいい」と言っている。

それが伝わったので泣いたのだろう。

ささいなこと、一瞬のことだが、

あのお母さんは幸福な思いを抱き、

子育てをする勇気と元気を得られただろう。

 

考えてみたらすごいことだ。

普通の人ではなかなか真似できない。

少なくとも僕にはできない。

 

通常の社会人として何もできず生産性ゼロだとしても、

やっかいでめんどくさくて世話が焼けても、

義母は目に見えない部分で社会に役立っている。

たとえそれが仕事と呼べないものにせよ、

多くの人に幸福感を与えられることは、

大きな社会的価値と言ってもいいのではないだろうか。

 

今が何月なのか、春夏秋冬どの季節なのか、

さっぱり認知していない義母だが、

動物と同じく体感で季節が変ったことはわかるらしい。

どんどん外に出たがるので、

散歩のおともに費やす時間がまた増えそうだ。

 

 

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今はまだ地球がふるさと」 春休み無料キャンペーン予告

 

春休み、夏休み、冬休み。

子どもは長い休みに成長する。

宿題のない春休みは勉強なんか忘れて、

いっぱい遊んだり本を読んだりしよう。

 

というわけで、

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小学生、中学生、高校生のあなたに。

その頃の記憶と感性を持っているおとなのあなたにも。

新しい成長の旅に出かける支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

どうぞお楽しみに!

 


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週末の懐メロ178:ラミア/ジェネシス

 

蛇身の魔女ラミアの伝説は、

ギリシャ神話にルーツを持つらしい。

上半身が美女、下半身が蛇の吸血鬼というのは、

エロチック感MAXで、

想像しただけでクラクラしてしまう。

 

その蛇魔女の誘惑について歌った「ラミア」は、

「サパーズ・レディ」「怪奇のオルゴール」などと並んで

ジェネシスのレパートリーの中でも人気抜群の曲だ。

 

それだけでなく、プログレッシブロック全般、

ポップミュージック、ロックミュージックの歴史の中でも

飛び抜けてユニークでイマジネイティブ。

こんな音楽を創れたのは、

70年代前半のピーターガブリエル在籍時の

ジェネシスだけである。

 

僕にとってこの曲は10代・20代の頃の思い出とともに、

とても懐かしく響くのだが、

若い世代も男女問わず

ラミアの虜になってしまう人が続出するようで、

YouTubeでもやたらとカバーが多い。

 

1974年リリースの2枚組アルバム

「幻惑のブロードウェイ」の挿入歌だが、

このアルバムは、ニューヨークに暮らす移民の少年が

ブロードウェイの路上に

子羊が横たわっている情景に出くわし、

それを追いかけて地下の迷宮に迷い込むという

「不思議の国のアリス」みたいなストーリーを

構成したもの。

全23曲・約90分にわたって

ジェネシス流のロックオペラが展開する。

 

それまでの3枚の傑作アルバム「怪奇骨董音楽箱」

「フォックストロット」「月影の騎士」で、

音楽による怪奇メルヘン、

ダークファンタジーを綴ってきたジェネシスの、

いわば集大成とも言える作品だ。

 

ストーリーはよくある夢オチだが、

一つ一つの楽曲の完成度、演奏表現の素晴らしさは圧倒的。

特に変幻自在なピーター・ガブリエルのヴォーカルは、

この時代のジェネシスミュージックの核をなしていた。

「ラミア」では水の中で絡みつく蛇身の魔女のイメージ、

耽美的な悪夢のイメージを繊細に歌っている。

 

ガブリエルはこのアルバムのツアー後、ジェネシスを脱退。

彼を失ったバンドは解散するのかと思いきや、

ドラムを叩いていたフィル・コリンズががんばって再生。

そしてダークファンタジーから

ポップ路線に変更したのが成功し、

アメリカで大ブレイクした。

 

一方、ガブリエルもソロになって

ワールドミュージックを取り入れた

独自の音楽世界を構築し、大きな成功を納めた。

昨年、73歳にして出したニューアルバム「I/O」は、

なんと全英売上1位を獲得している。

 

彼らの後年の音楽シーンでの出世を考えると、

50年前、若きガブリエルのヴォーカルを中心に織り上げた

ダークでプログレッシブなジェネスの音楽は、

まさしく彼らにとっての「創世記」だった。

そして、それは輝かしい成功とはまた別の、

不滅の価値がリスペクトされ、聴き歌い継がれている。

 

女性ヴォーカルの「ラミア」もまたいい!

 


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人生は思ったよりもずっと短い

 

先日、ある年上の知人と会ってがく然とした。

前に会って半年も経っていないのに

ずいぶん老け込んでしまったと感じた。

もう70を超えて高齢者の域に入っているので

けっして不思議ではないが、それにしても・・・。

 

病気になったとか、怪我をしたわけでもない。

話を聴く限り、何かショッキングな出来事や

センセーショナルな出来事があったわけでもなさそうだ。

でも目が死んでいて覇気がない。

何か自分の人生を放棄してしまったような感じを受ける。

 

彼は若い頃、けっこう自信家で常識を疑い、

人間と社会に対する鋭い批評眼を持っていたので

内心、一目置いていた。

そしていずれ中年になる頃には

何かデカいことをやるだろうと思っていた。

ところがさにあらず、

人生は思うようにいかなかったようだ。

プライドが高く、自己主張が強いことも裏目に出た。

独身であり続け、

ここに至るまで自分の家族を持たなかったことも

不運だった気がする。

 

彼のことを批判的には考えたくない。

昔はむしろ、ちょっとアアウトローっぽい

個性的な生き方がカッコいいと思っていたくらいだ。

 

けれどもいつの間にかダメになったのは、

世の中を批評的に見過ぎて、

自分がやりたいことをまじめに考え、

それに向けて何も行動していなかったことだ。

 

いつかはそういうチャンスが

巡って来るだろうと思っていて、

若くて元気な時代、体力がある時代を

その時々の欲望や生活のための仕事で

消耗してしまい、何も育んでこなかった。

悲しいことだが、今となってはその時間は取り戻せない。

 

こういうことは誰にも起こる。

会社員でもフリーランスでも関係ない。

うかうかしていると時間はすぐに過ぎ去る。

人生100年時代になったが、

それでも自分が何者であるか知り、

自分の中に埋蔵しているものを掘り出すには、

人生はあまりに短い。

 

今日いっぱいやりたいことがあったのに、

いろんな雑用が入ってきたり、

突然、頼まれごとをしたり、

家族の面倒を見なきゃならなかったりで、

それらをこなしているうちに夜中になって、

なにもできずじまいだった――というのと同じだ。

 

若い人は心して聴いてほしい。

40歳を過ぎたら、

その後の10年、20年はあっという間に過ぎ去る。

そうならないようにするには

30代までのいろいろな経験を活かし、

後年のエネルギーに変えていくといった工夫がいる。

 

「老後の蓄え」というのはカネだけの話ではない。

いや、むしろカネを蓄えるのに人生を消耗して、

カラッポになってしまう人の方が

もっとヤバいのではないかと思う。

 

若くて元気なうち、体力があるうちに

いろんな冒険をし、心を解放する。

そして自分が本当は何をやりたいのか、

自分の人生にとって大切なものは何なのか考えながら、

それに向かって少しずつでも行動していく。

そうすると違った世界が開けてくると思う。

 


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エンディングを意識して人生の台本を書く。

 

●エンディング文化の時代到来

 

 エンディング産業展の取材を終えて考えたこと。

 それは、エンディング――死を楽しむ時代がやってきたということです。

 

 「死を楽しむ」というと語弊があるかもしれませんが、要はひとりひとりが自分の人生の終え方について期待感や希望を抱く、ということです。

 

 いつかはこの世からおさらばしなくてはいけない。

 これはあらかじめそう決まっています。

 だったら悲しんだり寂しがったりするだけでなく、そうした感傷も含めて、思い切って楽しんだほうが「お得」なのではないでしょうか。

 

 少なくとも僕たち、現代の日本人ひとりひとりは、そうしたことをできる豊かな文化に包まれて生きていると思うのです。

 

●人生は20歳まで

 

 じつは人生は20歳で決定しています。

 20歳までの経験とそこから吸収したもの、そして喜怒哀楽の感情で人間の心身の基盤は出来上がります。

 どうすれば自分は気持ちよく生きられるのか、この世の人生において何に価値を置いて生きるのか、自分が果たすべきミッションは何なのか・・・これらはもうみんな、最初の20年で僕たちの内側にしっかりインプットされます。

 

 ただし、そのことに気づくかどうか、それらをいつ発見できるか、はその人しだいです。最期まで見つけられずに終わってしまう人も少なくない。いや、もしかしたら大半の人はそうなのではないでしょうか。

 

 だから20歳を過ぎた大人は、自分の人生の主人公は自分であると、しっかり意識したほうがいい。

 そして日々、自分の人生の台本を書いていくといい。

 細かく書き込む必要はないけれど、どういう流れでどうなり、どんな大団円を迎えるのか、エンディングまで想定してプロット(筋書)を作っておくといいと思います。

 

 もちろん、僕たちを取り巻く環境は、時代とともに刻一刻と変化していくので、日々リライトすることが必要です。

 でも、ベーシックな台本があるとないとでは違います。まったく手ぶらで毎日アドリブだらけでは続きません。

 

 でもじつは、わざわざ僕がこんなことを言わなくても、あなたも自分の人生の台本はひそかに書き進めているはずなんですよ。

 耳を澄まして自分に聞いてみてください。

 そして、目を凝らしてよく探してみてください。

 

●リライトしよう、今からでも始めよう

 

 親やら先生やら世間一般やらの書いた台本で生きている――

 もし、あなたがそう感じるのなら、そんなものは破り捨てるか、端から端までリライトして自分のものにしてしまう必要があるでしょう。

 

 また、もう齢で今からでは手遅れだ・・という人も大丈夫です。

 これまでの記憶・実績を材料に再構成することができます。

 起きてしまった事実は変えられなくても、現在の自分、そして未来の自分に合わせて、その事実の意味を変えることができます。

 マイナスと捉えていた事象もプラスに転換することができます。、

 これもどんどんリライトしましょう。その気になれば一晩でできます。

 

 完成度の高い台本、公開する台本(必要だと思えば見せてもいいけど)を作ることが目的ではありません。

自分が主人公であることを意識し、生きるということについてイメージを広げ、深めるためにこうした考え方をするのは有効ではないかと思うのです。

 

●エンディング産業を面白がろう

 

 エンディング産業は「人の死をネタにしたお金儲け」と、胡散臭い目で見られることがまだまだ多いようですが、歴史・文化・哲学など、いろいろなことを考えさせてくれる媒体です。

 

 そして経済と結びつくことで、世の中に大きな影響を与えていきます。

 そこで提供されるあふれんばかりの商品やサービス――それこそラーメン一杯からデザート付きフルコースまで――は、すべて今を生きる人たちの心が投影されたものばかり。どれを選ぶかは自分次第だし、オーダーメイドも可能だし、どれも選ばないという選択肢だってもちろんあります。

 興味と好奇心を持って覗いてみると、きっと面白いと思います。

  

 

2016・8・28 SUN


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ウーパールーパーな女子・男子

 

 「おまえら、いいトシこいて小学生かよ~」

 というのが「女子・男子」という呼び方に対する感想でした。

 20代だったらいざしらず、いったいいつから中高年まで女子・男子と呼びならわすようになったのか?

 たぶん少なくとも21世紀以降のこと。今ほど頻繁に使われ、定着するようになったのは、この10年くらいか?   どうも前から気になっていたので、これがいったいどういう意味を持つのか考えてみました。

 

●間柄によってビミョーに呼び方を変換

 近頃、女・男を呼び表すのって意外と難しいのです。

 「女性・男性(ジョセイ・ダンセイ)」は書くのはいいけど、音声で表す場合、どうもフォーマルすぎる。改まった席や仕事の場でなら問題ないが、ちょっとくだけた場や親しい間柄で「ジョセイ・ダンセイ」と言われると違和感があります。

 それならやっぱり「女・男(オンナ・オトコ)」―― 僕はこの呼び方を好むのですが、困ったことに最近、女性の中に敬遠する人が少なくない。

 

 文脈の中でどう使うかにもよりますが、「セックスを感じて恥ずかしい」「あまり口では言いたくない」という意見があるのです。「情婦・情夫」といった漢字と結びつくのでしょうか。性を伴う愛のにおいがするのでしょう。

 

 かなり親しい間柄でなら問題ないけど、やや親しさが希薄な友だち・仲間、あるいは仕事の同僚などに対しては、もしかしたら不愉快に感じるかな?と思ってしまうので、僕も「女の人(オンナノヒト)」といった言い方をします。(自分が男なので、男は「オトコ」でOK)。

 つまり相手によってけっこう使い分けなくてはならない。いやはや、なんとも日本語は繊細で複雑でビミョーです。

 それに仕事でも趣味でもプライベートでも、年齢層で分断されることなく、いろいろな年代の人間が、フラットな関係で入り混じって行動するようになったことも、こうした呼称のビミョーさに影響しているのではないかと思います。

 

●安心・安全なジョシ・ダンシ

 そこで登場した「女子・男子(ジョシ・ダンシ)」は、かなり便利。

 もともと子供・若者、あるいはスポーツ選手に対しての呼称だったので、「ジョシ」「ダンシ」と言われると、なんだか若返ったような気分になるし、カタさがなく、親しさイマイチの間柄でもOKだし、一般的な呼称としても安心して使えます。

 

●英語文化と日本語文化

 女子・男子は英語だとGIRL・BOY。

 英米ではむしろこっちのほうがセックス臭が漂いますね。

 その方面のお仕事をしている人はこの呼称で呼ばれることが多いと思います。

 なので普通、英米人の中高年は「GIRL」「BOY」なんて呼ばれたら腹を立てるんじゃないでしょうか。

 ところが日本語―ー日本人の場合はその逆。

 比較して考えると、英米が子供・若者(子供っぽさ・若さ)を下に見るのに対して、日本人には子供を神聖視したり、若さを尊ぶ精神構造があります。女子・男子×GIRL・BOYには、そうした文化の違いも見て取れします。

 

●女子・男子の裏にある「成長」というキーワード

 もうちょっと深掘りしてみたらどうなるか・・・ということで発見したのが 5年ほど前、自分のブログで書いていた文章。これは当時、映画・TV・演劇で「三銃士」がちょっとしたブームになっており、それについて書いたものです。

 

 いわゆる“成熟社会”となった先進諸国では“成長”は重要なキーワードだ。未熟だろうが、ダメダメなところがあろうが、成長を感じさせる、言い換えれば、未来への可能性を感じさせる人や集団や企業は、すこぶる魅力的に映る。 

 

 つまり、今、それだけ“成長”というものに希少価値があるのではないだろうか。

 成熟し、伸びきってしまった大人にはそうした魅力が見出せない。しかも環境の変化のせいもあり、信頼感も失墜しているのでなおさらだ。 

 

 ちなみにこれは実年齢のことを言っているのではない。10代・20代はもちろん、50代・60代でも“成長”しなくてはならない(少なくともそういう意志を見せなくてはならない)世の中になっているのだ。

 そして、若いダルタニアンと年長の三銃士のように、互いに影響を与え合いながら伸びていくことが求められている……三銃士の物語は、そうした現実を映し出す鏡のような機能を持っているのでは、と感じる。 

 

 どうもこうした意識がそのまま、僕たちの深層心理に貼りつき、いつまでも成長しきらない子供・若者の部分を形成しているのではないかと思います。

 それが「女子・男子」という呼称に結びついている。

 国境が溶け、世代差が溶け、リアルとバーチャルの境界が溶け、それでいながら経済や社会階級の格差が広がる今、人間として完成してしまうこと、成長しきってしまうことは、今後のことを考えるとマイナス要素にしかならない。

 齢は取っても可能性は残しておきたい・・・という気持ちの表れなのかも知れません。

 

●僕たちはいつまでウーパールーパーか?

 というわけで、ウーパールーパー。

 南米のサンショウウオの一種であるこの生き物、一般的には死ぬまで成熟せず、幼体のまま一生を終えるのだそうです。

 最近「1980」を謳ったCMでテレビに再登場しましたが、 確かに1980年頃、ウーパールーパーみたいな顔をした若い連中(=当時の僕たちのことです)が街の中をうようよ泳ぎ回っていました。

 

 あれから30年以上経った今も、依然として僕らはウーパールーパーそのもの。

 オトナ女子・オトナ男子として、ろくすっぽ成長することなく、結局、単に子供オバさん。子供オジさんのまんまで終ってしまう可能性は大きいのではないかと思います。

 

 でも「今どきの若いモンは・・・」という昔の人たちが本当に尊敬に値する大人ばかりだったのか?といえば、そんなことはない。情報がたやすく手に入らなかった時代の社会では、ごまかし、カッコづけも簡単で、威張っていられましたからね。

 

 今、成長するとはどういうことなのか? ごまかしやカッコだけでなく、大人になるってどういうことなのか・・・人生の続くかぎり、考えていこう。

  

 

2016・8・15 MON


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ぼくはセイウチロウ

 

氷の世界の恐怖のセイウチ

 子供の頃、動物図鑑で初めてセイウチの写真(イラストだったかも知れない)を見た時は、そのモンスターのような姿・形に心の底から驚愕しました。

その時の僕のセイウチのイメージは、世界の果ての暗くて冷たい氷の世界で巨大な牙をむき出しにして世にも恐ろしい咆哮を轟かせる孤独な怪物。

こわかったなぁ。

 人生の中でもしこんな怪物に出会うことがなあったら、僕は一瞬のうちにカチンコチンに凍り付いて、冷凍食食品になってこいつに食べられてしまうだろうと思い、どうぞそんなことになりませんように、と、何度もお祈りを唱えました。

 

夢の世界でセイウチロウと邂逅

 という衝撃が消えたのはいつのことだろう?

いろいろ本を読んだりテレビを見たりするうちに、セイウチは割とおとなしくて温かい生き物。孤独ではなく、群れをつくってのんびり暮らしていることなどを知りました。

それどころか、近年は日本水族館にも住んでいて愛嬌を振りまいてくれています。

 

 そのセイウチ君に僕もお世話になっています。

 夏、お昼寝するときは涼しい水族館のイメージを抱いて横になり、水中を魚がうようよ泳いでいる中をうつらうつらしつつ彷徨っているのですが、15分ないし30分ほどすると、コツコツと頭を何かがつつく。

「おい、起きろよ、セイイチロウ」

と目を覚ますと目の前には強大なセイウチが。やつはその牙の先で僕の頭をつついいたのです。

 こいつはセイウチロウといってクールな夢のアラーム係として30分経ったから起こしにくるのです。それ以上寝ちゃうと夕方まで頭が働かなってしまうので。起きない時は歌を歌って起こします。

 もちろん、歌はビートルズの「I am the Walrus」。

 

●ビートルズフェスでセイウチ登場

 そういえば昨夜、録画しておいてずっと見ていなかったNHK-BSの「BEATLESフェス」なる3時間番組を見ました。

  ビートルズ来日50周年ということで、当時の逸話――ビートルズにはっぴを着せた日航のスチュワーデスさんの話やら、独占取材に成功した星加ルミコさんやら湯川レイコさんの話――昔、音楽雑誌でよく記事を読んでいましたが、音楽ジャーナリズムのリーダーだった彼女らはまだ20代の女の子だったんですね――やら、を中心に、年寄りから若者まで入り混じったスタジオトークや、ビートルズ番組お約束のリバプール―ロンドン紀行(森高千里がキャバーンクラブに行ってドラムを叩いてた)などがてんこ盛りのバラエティ。

 しかし、目玉は何といっても、新旧いろいろな日本のミュージシャンたちがやるビートルズナンバーのトリビュートライブでした。

 

 財津和夫「Yesterday」や平原綾香「Hey Jude」などは、ま、定番の、という感じ。仲井戸麗市(チャボ)の「The Long and Winding Road」はほとんど自分で歌詞を書き換えた替え歌で、清志郎へのレクイエムにしか聞こえない。歌い方もそっくりだ。やっぱ寂しいんだろうね。

 

 その中で一番面白かったのがラブ・サイケデリコの「I am the Walrus」。

 ぐにゃぐにゃしたサウンドとともに、「おまえはあいつ、あいつはおいら、おいらタマゴ男、おいらセイウチ」なんていう、ジョンのナンセンスでファンタジックでグロテスクな詩の世界がぐりぐり脳天にねじ込まれてきて、めっちゃカッコいい!  こんな新鮮なアレンジでこの曲を聞けるとは思ってもいなかった。まったく感動モノでした。

 

 オリジナルを聞いて育ったおっさん・おばさんたちは、どうしてもリスペクトが先に立ってしまってアレンジも表面的で徹底しない。けど、「むかし、ビートルズっていうバンドがいたらしいね」と言っているような若い連中は、遠慮なくぶっ壊して、さらにおいしく料理していけると思います。

 ジョンやジョージがあの世から「おいおい」と言って止めに来るくらい、ガンガンすごいアレンジをしてほしい。

 

セイウチロウよ永遠に

 おまえはあいつ、おまえはおれ、だからあいつはおれ、おまえはセイウチロウ、ぼくはセイイチロウ、おまえはセイイチロウ? ぼくはセイウチロウ?

 まだまだ暑い。北極の氷の上でごろごろ寝そべる夢を見て毎日過ごすことにいたします。またセイウチロウと会うのを楽しみにして。

  

 

 

2016・8・11 THU


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四国化け猫➡猫神さま伝説

 

 この夏は四国をお遍路しています。

 ただし、オン・マイ・マインドで。

 葬儀・供養の業界誌の仕事で、ネット~メール~電話で取材しては原稿書きの日々。

四国の葬儀の風習や、お遍路についていろいろ勉強しました。

 

 で感じたのが、やたら四国にはネコが多いな、ということ。

 そういえば香川県のある島でネコがいっぱいいるのをテレビで見たことがあります。それで有名になって、観光客が出向いて、かわいい、かわいいとエサをあげまくるのでさらにネコ天国となっているようですが・・・。

 

 一方、僕が出会うのは、お葬式・お墓関連ので話からなので、この世とあの世の境界線上でニャーニャー鳴いているネコばかり。

 

●四国の葬儀における猫の存在

 

 徳島や愛媛で、家で人が亡くなると枕元にホウキや刃物などを置く、という風習があります。(正確には「あった」という過去形。日本の昔ながらの葬儀・供養の風習のほとんどは全国どこでも、この20~30年の間に9割以上消滅している)

何のためにこんなことをするかというと、ネコがご遺体の上をまたがないようにするため。ニャアとまたぐと死人が生き返って歩き出すとか、逆にネコがバケネコ化するというのです。

 ということは、この辺りではネコを飼っていた家が多のか?

 いや、飼っていたというよりも、ネコだのタヌキだの、動物たちが「こにゃにゃにゃちは~」と、自由にあちこちの家を出入りしていたのではないか、と思います。

 昔の日本の田舎の家は戸締りもいい加減で、常にオープン状態だったし、ネズミ退治にも役立つからね。だけど、キミはやばいからお葬式の時は来ちゃだめよ、という感じでしょうか。

 

日本三大化け猫伝説「お松大権現」の猫

 

 そんなわけでネコ伝説がはびこる四国。

 徳島県阿南市には「日本三大化け猫伝説」の一つに数えられている「お松大権現」という神社があります。

 ここに由来するお話は、借金苦にまつわるもので現代人にとってもリアル。

 むかし、困っている村人たちを救うために金貸しから多額の借金をした庄屋さんが金貸しに裏切られ、借金を残して死んでしまう。

 その妻・お松は「借金はちゃんと返したのに」と異議申し立てをしたのですが、その土地の奉行(きっと金貸しとつるんでいたと思われます。これも現代に繋がる政治とカネの問題です)が「わしゃ、返してもらとらんぞ」と、それを認めず、お松と、彼女が可愛がっていたネコを死刑にしてしまうのです。

 なんでネコまで処刑されるのかわからないけど、「わしの命に背く者は一族郎党皆殺しじゃ」という論理だったのでしょうか? 

 ネコも一族郎党に加えられてしまったのですね。

 

 で、この手の怪談兼勧善懲悪・庶民の味方ストーリーのセオリーとして、もちろん、この後、このネコはウソつきの金貸しと、権力乱用の奉行のところに化けて出て、悪者どもを地獄に叩き落とすというオチ。

 めでたし、めでたしということで、この正義のバケネコはこの神社にまつられることになったのです。

 

●今や霊験あらかた、招き猫だらけの観光スポット

 

 こうした因縁話があるせいか、なんと、この神社、今では受験と勝負ごとにご利益があるとして大人気に。バケネコになったネコはリベンジを果たした結果、「猫神様」に昇華。勝負ごとにご利益と言うので、全国からギャンブラーが詣でているようです。

 そして猫神様は招き猫の姿になって降臨したので、境内は招き猫だらけになっているようです。いやー、すごい。でも、借金は勝負事――ギャンブルに頼らず、地道にコツコツ返したほうがいいと思うなぁ。

 

 というわけで、妖怪も神様になってしまう四国。

 そういえば「千と千尋の神隠し」で、妖怪だか神様だかわからない者たちが湯あみに来る湯婆の湯場も愛媛の道後温泉がモデルになっていました。

 四国の旅・オン・マイマインド、まだまだ続きそうです。

 

 

2016・8・6 sat


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大島レトロ商店街の「なかたん」と「ちびまる子ちゃん」

 

「新プロジェクトを発動するから来て!」

と呼ばれて、江東区の大島へ。

昨年から月1ペースで通っているデイサービス&整体院だ。

亀戸と大島の間ぐらいのロケーションなので、

都営新宿線 大島駅からは10分くらい歩く。

 

通るのは中の橋商店街という

昭和レトロな雰囲気が漂う1km近い下町商店街。

この周辺には大きなスーパーがなく、

個人商店が立ち並ぶ聖域みたいになっている。

 

今年になって初めて行ったが、

新たに「なかたん」という

お買い物の女の子キャラクターが登場。

けっこうかわいくて好きだ。

 

地元の人御用達で、

観光客が集まるようなところではないが、

下町情緒があてほのぼのするので、

近くに来るようなことがあったら覗いてみて下さい。

 

「なかたん」を見ていたら、

なぜか「ちびまる子ちゃん」を思い出した。

中の橋商店街は、まる子のマンガに出てくる

清水の商店街にちょっと似ているのだ。

きっとこのあたりで生まれ育った子どもの目には、

とてつもなく長大な商店街に、

そしてふるさとのような風景に見えるだろう。

 

先週、まる子役のTARAKOさんが亡くなってしまったが、

みんな大好き昭和40年代の夢をなくすわけにはいかず、

アニメはまだまだ存続する模様だ。

けれども後を継ぐまる子役の声優さんは

大変な覚悟が必要。

誰がなってもネットで悪口を書くのはやめようね。

 

 

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認知症患者の純粋な「かわいい」の価値

 

認知症になったらもう社会の役に立たない。

そう思っている人は少なくないだろう。

中には仕事をしている人もいるようだが、

よほど長年の付き合いがある懇意の間柄か、

もしくは条件付きでなければ頼めない。

 

うちの義母は働くのが好きで、

気が乗っていると積極的に家事をやりたがるが、

正直、ありがた迷惑なことが多い。

社会の役に立つか?と問われれば、

常識の範疇では「NO」と言わざるを得ない。

しかし、彼女には彼女にしかない存在価値がある。

 

いつも散歩に行く公園・遊歩道は、

今日のような晴れて暖かい日曜日は

家族連れが大勢来ている。

 

彼女は小さい子供を見ると、のべつまくなしに

「かわいい」とか「いい子ちゃん」とか言ってほめ、

興が乗るとベタベタ触ろうとする。

 

コロナの時はヒヤヒヤしていたが、

自分の子を手放しでほめられて

親は悪い気がするはずがない。

ほとんどが受け入れてくれて

「ありがとうございます」と返す。

 

少し時間をかけてやり取りすると、

明らかにおかしな人だとわかるが、

ちょっとだけなら天真爛漫な気のいい

近所の普通のばあさんという印象になるようだ。

 

子どもも元気に笑顔で挨拶を返す子よりも

照れてモゾモゾしちゃう子のほうが多い。

もしかしたら内心怖がっている子もいるかもしれないが、

特に問題になったことは今までない。

 

だから言ってみれば、義母は出会う親子らを

ささやかながら幸福にしているのである。

 

一度、アトピーの赤ちゃんを抱いた

お母さんに会ったときがあり、

その時はちょっと驚いた。

 

義母は顔が赤くなってしまっているその赤ちゃんを見るや、

「わあ、かわいい」と、ぐいっとのぞき込み、

二言三言、あやすようなことを言って、

お母さんに「本当にかわいい子ですね」と言ったのである。

 

よほどうれしかったらしく、

お母さんは思わず泣いてお礼を言っていた。

おそらく義母のように純粋に「かわいい」と

言ってくれる人は周囲にいないのだろう。

 

普通なら口ではそう言っても、

内心では「かわいそう」とか

「お気の毒に」と思っている人がほとんど。

母親はそういう負の感情は鋭く読みとれるものだ。

 

しかし義母は何の屈託もなく、

心の底から「かわいい」と言っている。

それが伝わったので泣いたのだろう。

ささいなこと、一瞬のことだが、

あのお母さんは幸福な思いを抱き、

子育てをする勇気と元気を得られただろう。

 

考えてみたらすごいことだ。

普通の人ではなかなか真似できない。

少なくとも僕にはできない。

 

通常の社会人として何もできず生産性ゼロだとしても、

やっかいでめんどくさくて世話が焼けても、

義母は目に見えない部分で社会に役立っている。

たとえそれが仕事と呼べないものにせよ、

多くの人に幸福感を与えられることは、

大きな社会的価値と言ってもいいのではないだろうか。

 

今が何月なのか、春夏秋冬どの季節なのか、

さっぱり認知していない義母だが、

動物と同じく体感で季節が変ったことはわかるらしい。

どんどん外に出たがるので、

散歩のおともに費やす時間がまた増えそうだ。

 

 

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今はまだ地球がふるさと」 春休み無料キャンペーン予告

 

春休み、夏休み、冬休み。

子どもは長い休みに成長する。

宿題のない春休みは勉強なんか忘れて、

いっぱい遊んだり本を読んだりしよう。

 

というわけで、

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小学生、中学生、高校生のあなたに。

その頃の記憶と感性を持っているおとなのあなたにも。

新しい成長の旅に出かける支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

どうぞお楽しみに!

 


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週末の懐メロ178:ラミア/ジェネシス

 

蛇身の魔女ラミアの伝説は、

ギリシャ神話にルーツを持つらしい。

上半身が美女、下半身が蛇の吸血鬼というのは、

エロチック感MAXで、

想像しただけでクラクラしてしまう。

 

その蛇魔女の誘惑について歌った「ラミア」は、

「サパーズ・レディ」「怪奇のオルゴール」などと並んで

ジェネシスのレパートリーの中でも人気抜群の曲だ。

 

それだけでなく、プログレッシブロック全般、

ポップミュージック、ロックミュージックの歴史の中でも

飛び抜けてユニークでイマジネイティブ。

こんな音楽を創れたのは、

70年代前半のピーターガブリエル在籍時の

ジェネシスだけである。

 

僕にとってこの曲は10代・20代の頃の思い出とともに、

とても懐かしく響くのだが、

若い世代も男女問わず

ラミアの虜になってしまう人が続出するようで、

YouTubeでもやたらとカバーが多い。

 

1974年リリースの2枚組アルバム

「幻惑のブロードウェイ」の挿入歌だが、

このアルバムは、ニューヨークに暮らす移民の少年が

ブロードウェイの路上に

子羊が横たわっている情景に出くわし、

それを追いかけて地下の迷宮に迷い込むという

「不思議の国のアリス」みたいなストーリーを

構成したもの。

全23曲・約90分にわたって

ジェネシス流のロックオペラが展開する。

 

それまでの3枚の傑作アルバム「怪奇骨董音楽箱」

「フォックストロット」「月影の騎士」で、

音楽による怪奇メルヘン、

ダークファンタジーを綴ってきたジェネシスの、

いわば集大成とも言える作品だ。

 

ストーリーはよくある夢オチだが、

一つ一つの楽曲の完成度、演奏表現の素晴らしさは圧倒的。

特に変幻自在なピーター・ガブリエルのヴォーカルは、

この時代のジェネシスミュージックの核をなしていた。

「ラミア」では水の中で絡みつく蛇身の魔女のイメージ、

耽美的な悪夢のイメージを繊細に歌っている。

 

ガブリエルはこのアルバムのツアー後、ジェネシスを脱退。

彼を失ったバンドは解散するのかと思いきや、

ドラムを叩いていたフィル・コリンズががんばって再生。

そしてダークファンタジーから

ポップ路線に変更したのが成功し、

アメリカで大ブレイクした。

 

一方、ガブリエルもソロになって

ワールドミュージックを取り入れた

独自の音楽世界を構築し、大きな成功を納めた。

昨年、73歳にして出したニューアルバム「I/O」は、

なんと全英売上1位を獲得している。

 

彼らの後年の音楽シーンでの出世を考えると、

50年前、若きガブリエルのヴォーカルを中心に織り上げた

ダークでプログレッシブなジェネスの音楽は、

まさしく彼らにとっての「創世記」だった。

そして、それは輝かしい成功とはまた別の、

不滅の価値がリスペクトされ、聴き歌い継がれている。

 

女性ヴォーカルの「ラミア」もまたいい!

 


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人生は思ったよりもずっと短い

 

先日、ある年上の知人と会ってがく然とした。

前に会って半年も経っていないのに

ずいぶん老け込んでしまったと感じた。

もう70を超えて高齢者の域に入っているので

けっして不思議ではないが、それにしても・・・。

 

病気になったとか、怪我をしたわけでもない。

話を聴く限り、何かショッキングな出来事や

センセーショナルな出来事があったわけでもなさそうだ。

でも目が死んでいて覇気がない。

何か自分の人生を放棄してしまったような感じを受ける。

 

彼は若い頃、けっこう自信家で常識を疑い、

人間と社会に対する鋭い批評眼を持っていたので

内心、一目置いていた。

そしていずれ中年になる頃には

何かデカいことをやるだろうと思っていた。

ところがさにあらず、

人生は思うようにいかなかったようだ。

プライドが高く、自己主張が強いことも裏目に出た。

独身であり続け、

ここに至るまで自分の家族を持たなかったことも

不運だった気がする。

 

彼のことを批判的には考えたくない。

昔はむしろ、ちょっとアアウトローっぽい

個性的な生き方がカッコいいと思っていたくらいだ。

 

けれどもいつの間にかダメになったのは、

世の中を批評的に見過ぎて、

自分がやりたいことをまじめに考え、

それに向けて何も行動していなかったことだ。

 

いつかはそういうチャンスが

巡って来るだろうと思っていて、

若くて元気な時代、体力がある時代を

その時々の欲望や生活のための仕事で

消耗してしまい、何も育んでこなかった。

悲しいことだが、今となってはその時間は取り戻せない。

 

こういうことは誰にも起こる。

会社員でもフリーランスでも関係ない。

うかうかしていると時間はすぐに過ぎ去る。

人生100年時代になったが、

それでも自分が何者であるか知り、

自分の中に埋蔵しているものを掘り出すには、

人生はあまりに短い。

 

今日いっぱいやりたいことがあったのに、

いろんな雑用が入ってきたり、

突然、頼まれごとをしたり、

家族の面倒を見なきゃならなかったりで、

それらをこなしているうちに夜中になって、

なにもできずじまいだった――というのと同じだ。

 

若い人は心して聴いてほしい。

40歳を過ぎたら、

その後の10年、20年はあっという間に過ぎ去る。

そうならないようにするには

30代までのいろいろな経験を活かし、

後年のエネルギーに変えていくといった工夫がいる。

 

「老後の蓄え」というのはカネだけの話ではない。

いや、むしろカネを蓄えるのに人生を消耗して、

カラッポになってしまう人の方が

もっとヤバいのではないかと思う。

 

若くて元気なうち、体力があるうちに

いろんな冒険をし、心を解放する。

そして自分が本当は何をやりたいのか、

自分の人生にとって大切なものは何なのか考えながら、

それに向かって少しずつでも行動していく。

そうすると違った世界が開けてくると思う。

 


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アカデミーゴジラへの称賛と違和感

 

平成後半、何度もオワコンだと言われ、

アメリカに売り飛ばされていたゴジラがまさかの再生。

そして驚愕のアカデミー賞受賞。

その「ゴジラ-1.0」と、

作品賞をはじめ、各賞を総ナメにした

「オッペンハイマー」が同じ年に受賞したことには

何か因縁を感じるが、

あまりそんなことを考えている人はいないのかな?

 

以前も書いたが、昭和20年代を舞台にした

「ゴジラ-1.0」が

原爆投下や敗戦の傷跡をあまり感じさせなかったことに

けっこう違和感を覚えた。

もしやアメリカ市場に忖度してる?とも考えた。

今回の受賞で、ゴジラが水爆実験から生まれた怪物だという

オリジナル設定は忘却されてしまうのではないか?

そんな懸念もある。

 

もう一つ、今回称賛され、

たぶん受賞の一要因になったのは、

アメリカ・ハリウッドでは考えられない

低予算・少人数による制作体制。

どちらもケタ違いに安くて少ない。

 

これはもう日本映画のお家芸みたいなもので、

映画が量産されていた1950年代・60年代、

黒澤明や小津安二郎が活躍していた時代は、

コスパ、タイパに徹底的にこだわり、

1週間で1本とか、1か月で3本とかをあげるのは

ザラだったという。

巨大な予算と膨大な人数で映画作りを行い、

働く人たちの権利意識が強く、組合も強力で、

頻繁にデモやストライキなどをやる

ハリウッドでは到底考えられない作り方・働き方なのだ。

これもまた、資本・経営者に対する

日本の労働者の立場の弱さを表している。

と言ったら言い過ぎ?

もちろん、条件が悪い中で工夫して知恵を絞ることに

イノベーションが生まれるので、

いいことでもあるんだけど。

 

ただ、この働き方改革の時代に、

スタッフの健康やプライベートは大丈夫かとか、

それなりの額のギャラが

ちゃんと払われているだろうかとか、

会社の言いなりになっていないかとか、

ついついよけいなことを考えてしまう。

 

映画をはじめ、クリエイティブの現場は

労働基準法なんてあってなきもの、

みんな好きで、愛を込めて仕事やっているんだから、

夜中までかかろうが、休みがゼロだろうが文句なんかない。

といった世界だったはず。

気持ちがノッて、クリエイティブ魂が全開になって、

現場のテンションがグワーって盛り上がってきたところで、

「はい、6時になったんで今日はここでおしまい」

なんて言われたらドッチラケ。

昔の監督だったら「ふざけんな!」と怒鳴りまくるだろう。

と、僕は認識しているが、最近はそうした環境も

変わってきているのだろうか?

 

なんだかせっかくの受賞に

ケチをつけるようなことを書いたけど、

やっぱりこれは画期的な出来事。

ハリウッドの映画製作にも何か影響を与えるのだろうか?

ちょっと楽しみではある。

 


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ありがとうロボットリヤマ

 

最近はどうだか知らないが、

僕が子どもの頃、よく読んだマンガでは

作者自身がしばしば作品のなかに出てきた。

おそらく手塚治虫先生がその草分けだろう。

「バンパイヤ」では完全に登場人物のひとりとなって、

物語のなかで大活躍していた。

その他、石ノ森章太郎、永井豪などの

セルフキャラも印象的で、

土田よしこなどは、ほとんど自分を主人公にした

「よしこ先生」なんてマンガを描いていた。

 

鳥山明先生の自画像「ロボットリヤマ」も大好きだった。

僕は「ドラゴンボール」のことはあまり知らなくて、

好きだったのは「ドクタースランプ」の方だった。

ちなみに「ロボットリヤマ」とは

当時、僕とごく一部の友人がそう呼んでいただけで、

公式なキャラ名などではない。

 

デビュー当時、「ドクタースランプ」の絵は衝撃的で、

お洒落なのにめっちゃギャグ漫画しているところ、

そしてアラレちゃんをはじめとするキャラが

可愛くて弾けているところは、

それまでのマンガにない、新鮮な世界だった。

 

鳥山先生は名古屋出身、僕も名古屋なので、

ニコちゃん大王をはじめ、

ブロークンな名古屋弁をしゃべるキャラが

いろいろ出てくるのも面白くて親しみを覚えた。

 

ペンギン村には作者自身もやってきて、

しばしば登場していた。

最初の頃は人間の姿で出ていたが、

すぐに自己改造して「ロボットリヤマ」になり、

ペンギン村に移住した。

鉄を食べちゃうガッちゃんによく食われて、

半壊状態になっちゃうのには、いつも笑わせてもらった。

 

人気が爆発し、仕事が忙しくなり、

自分がマンガ生成マシーンのように思えて

ロボット化したのだろうか。

でも、みんなに喜んでもらうマンガを描き続ける

ロボットの自分をとても楽しみ、愛していたのだと思う。

どうかごゆっくりお休みください。

 


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どんな子どもも「世界は美しいよ」と実感させてくれる

 

認知症の義母を連れて日曜日の公園に行くと、

雑多な子どもたちがウジャウジャ走り回ったり、

飛んだり跳ねたり、わめいたりしている。

 

ここは自然豊かで、川が流れ、広場があり、

木もいっぱい生えていて生き物もたくさんいる。

季節ごとに表情が変わって面白いので楽しくなる。

 

そんななかで遊ぶ子どもたちは幸福だし、

それを見ては喜んだり、ハラハラしている義母も

幸福なはずだ。

当たり前のようにある風景なので、

そう感じる人は少ないのかもしれないが。

 

この少子化社会にあって、

普通に大勢の子どもといっしょにいられるなんて、

とても恵まれた環境のなかにいるんだなと思う。

 

子どもを育てるのは本当に面倒くさい。

面倒を見る保護者にとって手間暇かかるし、消耗するし、

邪魔に思えることもあるし、むかつくことは数えきれない。

 

けれども子どもは社会に絶対必要な存在である。

必要というのは将来の労働力になるとか、

おとなになった時に僕たちの生活を支えてくれるとか、

そんな理由から言っているのではない。

優秀かどうか、勉強やスポーツができるかどうか

なんてことも、はっきり言ってどうでもいい。

本当にどうでもいいことなのだ。

 

どんな子どもも地域にエネルギーをもたらしてくれる。

僕たちおとなを元気にしてくれる。

「世界は美しい」と実感させてくれる。

それで十分だ。

人間にはみんな、目に見えない才能がある。

子どもはそのことを思い知らせてくれる。

それをきちんと認識できないのが、

今の社会の未熟さであり、問題点だと思う。

 

僕はもう子どもにはなれないし、子どもの真似もできない。

ならばこの先、違うベクトルでいいから、

地域なり、どこかのコミュニティに

エネルギーをもたらす年寄り、

社会に必要とされる年寄りになりたいと考える。

なれるだろうか? 

特にとりえも専門技術も持ち合わせていないけれど。

いい具合に齢を取るのは、なかなか難しそうだ。

 


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週末の懐メロ177:危機/イエス

 

1972年にリリースされたイエスのアルバム

「危機」を初めて聴いたのは1975年。

高校に入って間もない春のことだった。

 

「危機 Close to the Edge」

「同志 And you And I」

「シベリアン・カートゥル Siberian Khatru」

収録曲はわずか3曲。

いずれも18分、11分、10分という

今では考えられない超大曲だが、

その充実度と緊張感、そしてスケールの大きさにのけぞり、

鳥肌が立ちまくった。

 

中学生の時にプログレにハマって、

ELP、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンと聴いてきて、

真打はイエス。

あの時はついに頂点にたどり着いたと思った。

 

率直に言って、これはELPの「頭脳改革」も、

フロイドの「狂気」も、クリムゾンの「宮殿」も超えていた。

最高のプログレ、いや、最高のロック、世界最高の音楽!

生涯でこれ以上の楽曲には出会えない、とさえ思ったことは

鳥肌のブツブツとともにずっと体内に残っている。

 

若さゆえの興奮と感動だったが、

じつはその思いは50年近く経った今でも

そんなに変わっていない。

 

その後、15歳の頃とは比べ物にならないほど

たくさんの、いろんな音楽を聴いてきて、

好きな曲もいっぱいできて、ランク付けなどできないが、

いまだに「危機」が最高峰にあることは確か。

いつ聴いても心動かされ、

精神的なエネルギーをもらっている。

 

川の流れや鳥の声など、自然音のミックスに続いて

不協和音が嵐のようにうねるイントロ、

そしてメインテーマに流れ込んでいく下りは、

カオスから宇宙が生成され、

地球が生まれてくるドラマを表しているようだ。

 

東洋哲学が反映された歌詞は抽象度が高く、

和訳を読んでみても、意味がよくわからない。

ただ、70年代のイエスは、

人間の友愛、世界の調和をテーマとして音楽を作っており、

その基本姿勢は美しいメロディラインからも感じとれる。

僕の耳には世界の生成と、人間はいかに生きるか、

人生という旅路のイメージを思い描く曲として響いてくる。

 

スタジオ盤は非常に繊細なつくりだが、

この1975年のライブではそれと対照的な、

あえて荒れた感じのアグレッシブな演奏になっており、

ライブならではの臨場感が楽しい。

 

メンバーのラインナップは、

スタジオ盤制作時からビル・ブラッフォードが抜け、

ドラムはアラン・ホワイト。

キーボードはリック・ウェイクマンから

パトリック・モラーツに交代した時期。

モラーツはごくわずかな期間しかイエスに在籍しておらず、

その後の度重なる再結成時にも参加していないので、

このパフォーマンス映像は貴重だ。

 

この頃、メンバーはまだ20代半ばの若者たち

ということにも驚く。

超絶テクでギターを弾きまくるステーヴ・ハウ、

ヴォーカル ジョン・アンダーソンの美声、

そして、それをサポートするクリス・スクワイアの

バックヴォーカルと、

こ曲のエネルギッシュな“うねり”を創り出す

躍動的なベースプレイ。

今は亡きスクワイアのカッコいい雄姿に、

彼こそがイエスのリーダーだったことが

如実にわかるライブとしても価値がある。

 

1960年代から70年代、

音楽の神がこの星に降りていた。

この時代にイエスの創造した楽曲は、

やはり地球上に起こった一つの奇跡だったことを

改めて実感する。

 

そして、中高生という、まだ子どもの時代に

胸に響いたもの、強く感じとったものこそ、

自分の人生にとって本当に価値あるもの・

大切なものなのだ、ということも。

 


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教育産業・受験産業は縮小してください

 

そろそろ受験シーズンも終わりと思っていたら、

電車内にぶわーっと有名学習塾の広告。

ライバルに負けじと複数の塾が一斉に広告を出している。

もちろん、いち早く次年度の塾生を獲得するためだ。

テレビCMもしかり。

戦略とか、マーケティングとかあるんだろうけど、

当事者でない者としては本当にげんなりする。

 

おまえに見せてるんじゃねーよ。

嫌なら文句言わすに無視しろ。

 

広告主はそういうだろう。

テレビは消せばいいが、

電車内では目をつむったり、逃げ出すわけにはいかない。

広告によってそういう環境を作り出すことが問題だ。

子供も親も「教育」とか「受験」に

脳が毒されてしまうからだ。

 

少子化の時代、僕は教育産業も成長を諦め、

縮小していくべきだと思っている。

大学もどんどん減らしていったほうがいい。

受験戦争に巻き込まれることにって、

さらに大学に進学することによって、

いったいどれくらいの子供や親が幸福になるのか?

 

もちろん、そんな数字は出ない。

学習塾は塾生の○パーセントが合格した、

志望校に入れた、一流校に入れた、

という結果が出ればそれでいい。

それが学習塾にとってのゴールだ。

 

けれども子供や親にとってはそれはゴールでも何でもない。

人によってはさらなる無間地獄への入口になる。

そんなことをもう半世紀以上も繰り返している。

 

僕が子どもの頃、楳図かずおのマンガの中に

「秀才」という作品があった。

(「おろち」というオムニバスシリーズの一編)

折しも受験戦争、受験地獄とい言葉が

生まれた時代のもので、

大学受験に向き合う親と子がいかに狂っているか、

いかに不幸なものか、その真髄を描き出した作品だ。

 

この頃はまだ大学への進学率も低く、

ある意味、ここまで狂ってしまうのは

ある特殊な層の、特別な家庭というイメージがあった。

けれども日本全体が豊かになり、情報化が進んだせいで、

この「秀才」の世界がどこの家庭にも浸透して

すっかり日本社会のデフォルトになってしまった。

 

そして大学に入ったら入ったで、

その後はベルトコンベア式に

就活、就職というイベントに巻き込まれる。

そんな子供たちにおとなは

「がんばれ受験生」「がんばれ就活生」などと

無責任なエールを送る。

ほとんど季節の風物詩というか、

子どもをネタにしたお祭りみたいな気分になっている。

これでは死にたくなる子供が増えてもおかしくない。

 

僕にはやっぱりこういう状況は

狂っているとしか思えないのだ。

受験勉強に情熱を傾け、

ある意味、生きがいに出来る子供はいいが、

そんな子は少数派のはずである。

それが当たり前のようになって

しまっているところがおかしい。

親も子も目を覚まして

こんなおかしなシステムに安易に巻き込まれず、

自分の心の声に耳を澄まして、

冷静に人生について考える勇気をもって生きてほしい。

 


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赤いパンツの底力 ~巣鴨とげぬき地蔵デイトリップ~

 

今日はとげぬき地蔵でおなじみの巣鴨へ。

べつに仕事で出かけたわけではないが、

月刊終活なんて仕事をやっているので、

巣鴨の実態くらい見ておこうかと思い、

カミさんといっしょにぶらっと出かけたのだ。

 

通称・とげぬき地蔵尊は、この商店街の真ん中あたりにある

曹洞宗のお寺「高岩寺」のこと。

このとげぬき地蔵尊商店街では

毎月4のつく日にたくさん露店が出てジジババで大賑わい。

僕らが若い頃、「おばあちゃんの原宿」として

マスコミが取り上げてよく話題になった。

 

その頃以来のキャッチフレーズはもちろん健在だが、

ただ違うのは、自分自身がここを歩いていても

全く違和感を感じないこと。

むかし感じた一種のカルチャーショックのようなものなど

微塵もなく、街全体に昭和の香りが充満していて、

そこらへんでたこ焼きは食えるわ、大判焼きは食えるわ、

玉こんやくは食えるわ、塩大福は食えるわで、

居心地いいったらありゃしない。

 

お店の看板も「ズボン屋」とか「バッグハウス」とか

「もんぺ・はんてんの店」とか、レトロ感ハンパなし。

なかでも巣鴨の代名詞とも言える赤いパンツが、

強烈な存在感をアピール。

 

でも、「年寄に赤」にはちゃんと科学的根拠があって、

赤い色を身に着けると血流がよくなり、

気分も上がって元気になれるのだ。

 

年齢・性別に関係なく、冷え性の人は

健康維持・向上のために、

ショボくれてる人・メンタルやられちゃってる人は

元気回復・テンションアップのために、

赤パンは超おすすめ。

 

しかも最近は、こじゃれた年寄り用なのか、

それとも上記の理由で若い人たちも買い求めに来るのか、

レースのついたお洒落でセクシーな赤パンも売られていて、

ドッキリ!

見ると某有名下着メーカーの製品である。

 

それ以外にもいろんなレッドなお召し物が

ずらりと並び圧巻。

見ているだけで元気が出てくる。

気楽で面白いので、

老いも若きもぜひ巣鴨をぶらついてみよう。

 

 

おりべまことはジジババが登場・活躍する小説も

書いて電子書籍Amazon Kindleで出版しています。

「おれを、あたしをモデルにして何か書け」

という方はぜひご連絡ください。

 


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週末の懐メロ176:ヒーローズ/デヴィッド・ボウイ

 

歌で映画でドラマで、様々なコンテンツで

「ヒーローズ」というタイトルを見かけるが、

僕にとっての「ヒーローズ」は

デヴィッド・ボウイの歌しかない。

 

1977年リリースのアルバムのタイトル曲。

アナログ盤では「英雄夢語り」という邦題がついていた。

ボウイがドイツに住んでいた時に作った歌で、

ブライアン・イーノ、トニー・ヴィスコンティらと組んだ

プロジェクトから生まれた。

「ジギースターダスト」や「ヤングアメリカン」を経て、

シンセサイザーを強調した、

プログレ&ニューウェーブ系の音楽に

傾倒していた時代の歌だ。

 

単調なメロディのくり返しのなかで

「僕らは人生で一日だけならヒーローになれる」

と唱えるこの歌は、

ベルリンの壁の傍で落ち合う恋人たちの姿を見て

着想されたという。

 

ここでは「ヒーローズ」という言葉が、

閉塞的な状況における人の儚い夢

という意味で使われており、

他のコンテンツにあるような

英雄崇拝・英雄賛歌などではない。

だからいい。

 

この歌がリリースされて数年間——

70年後半から80年代前半頃は、

この曲・アルバムの評価はさして高くなく、

成功作とは見做されていなかった。

ボウイのキャリアの中でもランク付けは低かった。

 

けれども1989年6月、

ボウイが当時の西ベルリンの壁際で行ったコンサートから

「ヒーローズ」の評価は劇的に変わった。

まさに壁崩壊(ドイツの東西統一)の5カ月前。

ボウイの歌が、観衆の熱狂が、壁の向こう側にいた

東ベルリンの人々の心を強く動かしたのは間違いない。

 

以来、そのベルリンコンサートのシンボルとして

「ヒーローズ」は傑作と言われるようになり、

時を経るとともに名曲度を増していった。

そしていまや、ボウイの全キャリアを通して、

一番にその名が挙がる代表曲、

さらに数ある20世紀ロックのなかでも

最高峰の名曲として多くの人が認めている。

 

リリース以来、実に多くの時代・場所で歌われ、

幾多のミュージシャンにカバーされてきたが、

いま聴いてみて、ボウイ自身の

ミレニアム前後のパフォーマンスが

最も素晴らしいのではないかと思う。

この頃のバックバンドは強力で、

それまでのボウイにはなかった独特のグルーブを創り出し、

21世紀の新しい「ヒーローズ」を生み出した。

 

シンプルなメロディの繰り返しから

観衆を巻き込んでぐんぐん盛り上がり、

ポジティブなエネルギーを創出していくさまは圧巻の一言。

ふたたび社会の閉塞感が強まり、

壁の内側に人生が閉じ込められ、

精神を苛まれる人がますます増える時代。

 

何があっても生きろ、生き続けろ

誰もがなれる おまえも人生のヒーローになれ

自分自身のヒーローになれ

 

ボウイのそんなメッセージが聴こえてくる。

本当に感動的だ。

 

このバンドの黒人女性ベーシスト

ゲイル・アン・ドーシーは今、

ボウイミュージックを継承する音楽家として活躍している。

彼女が歌う「スペース・オディティ」は美しく、

まるで亡きボウイへの鎮魂歌のようにひびく。

 

 

 

2020年10月にデヴィッド・ボウイの

「5年間 Five Years」で始まった

この「週末の懐メロ」は、

3月いっぱいでいったん終了します。

今回を含め、最後の5回はアンコールシリーズ。

どうぞ最後までお付き合いください。

 


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かさこ交流会に参加

 

昨日はネット界で活躍している

カメライター・かさこさんの交流会に参加した。

自分でいろんな仕事をして、

人生を開拓しようとしている人たちが集まっていて、

いろいろ話が出来てとても面白かった。

僕が最高齢かと思っていたら70代の人も参加。

年齢とか全然関係ない世界。

 

かさこさんは最初、どうやって知ったのか憶えてないが、

6,7年前ぐらいから、

たまにちょこちょこブログを読んでいるうちに

ヘビーユーザーになった。

 

ビジネス関係・自己啓発関係で

ウソクソな情報があふれ、ぼったくりセミナーが横行し、

まともな人でも

単なる批評家みたいな人ばかりのネット界で、

信頼に足る数少ないリーダー。

良心的でナチュラルで具体的な行動に繋がる発信&

コミュニティづくりをやっている。

 

巷にあふれるウソクソ儲け話、

マルチまがいセミナー、

虚飾にまみれた起業成功ストーリーなど、

コロナ禍をしのぐインチキウィルス情報で

脳をやられちゃっている人は、

かさこさんの発信を読んだり、

セミナーや交流会などに出て

自分の仕事・人生の療養・自然治癒に取り組もう。

まさにネット界の漢方薬・鍼灸師。

仕事と家庭だけで行き詰まっちゃっている人にもおすすめ。

 


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64歳と14歳の「今はまだ地球がふるさと」

 

「僕が64歳になっても、きみは僕を愛してくれるかい?

と歌うのは、ビートルズの

「ホウェン・アイム・シックスティー・フォー」。

この歌が出された1967年頃は

64歳がイギリス人の平均寿命だったらしい。

同じころの日本人の寿命はもっと短かったと思う。

自分もその齢になって、ちょっとドキドキしている。

 

齢を取っていいことは、経験したどの年齢にも

自由自在に往復できること。

なので還暦を超えると時おり中二病が再発する。

中二の時は「中二病」なんて言葉はなかったけど。

 

おとなみたいに適当にやり過ごすことができなくて、

「生きる」ことに対して一生懸命に考えている中学生

――にたまには戻ってみてもいい。

 

そうしてこの先のことを考えてみる。

わたしは、あなたはどう生きたいのか?

そんな思いがあって出来上がった話。

 

 

おりべまこと電子書籍最新刊 

今はまだ地球がふるさと

 

Amazon Kindleより¥600

 

 

自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、

小学校時代からの親友サーヤとともに

あちこちの葬式を巡り

「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては

聖女のごとく祈りを捧げている。

 

そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている

中年男・中塚と出会い、彼を介して、

ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・

小田部と知り合った。

孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは

彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、

食事や掃除の世話をするために家に出入りするようになり、次第に親しさを深めていく。

 

そんなリコに恋したシンゴが彼女の気を引くために

「きみのためにUFOを呼ぼう」

と言ってアプローチすると、

リコが生きる世界にさまざまな

不思議な現象が起こり始める。

 

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

 


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工事現場はもうアトムの世界

 

今朝、テレビのニュースを見てたら、ダム工事の現場で

ダンプやパワーショベルなど、自動運転の重機が

ガンガン働いているのでびっくり。

1ダース以上いたが、すべて無人。自動運転。

人間がいないので、燃料補給以外、休む時間もなく、

それこそ24時間はたらけまーす、である。

現場は秋田で、そこから数百キロ離れた会社から

遠隔操作しているそうだ。

 

それとは別のもう少し小規模な工事現場でも

無人重機が動いていて、

こっちは遠隔操作している操縦者が登場。

会社のオフィスの一角にシュミレーターを設置した

スペースを作って、モニターを見ながら動かしている。

 

さらに驚くのは、操作しているのが女性事務員。

彼女は1日のうち半分事務仕事をやって、

半分はこの工事をしているという。

しかも子育てママなので、子連れ出勤。

シュミレータースペースのわきには、

子どもを寝かせたり遊ばせたりする部屋がある。

作業中も、ヘルメットも作業着も安全靴もいらない。

足もとなんかキティちゃんの顔が付いたサンダル履きだ。

 

公道を走る車やバスの自動運転は、

安全性の問題があるのでまだまだ時間がかかるが、

逆にこうした作業現場はどんどん自動化されて、

逆に人間が危険地帯に入らなくていいので安全だ。

ロボットではないものの、

重労働はみんな機会にお任せという

アトムの世界がすでに実現している。

 

AIの普及といい、こうした無人重機といい、

コロナ後の世界はすごいスピードで様変わりしている。

むむ、目が回り、ちょっと息切れが・・・。

 

 おりべまこと電子書籍 最新刊 

「今はまだ地球がふるさと」

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。


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今はまだ地球がふるさと 本日発売!

 

おりべまこと電子書籍 最新刊 本日発売!

「今はまだ地球がふるさと」

 

レビューにいつもより時間がかかったので、

もしや中学生の女の子に

セクシーなセリフを言わせたのでNG?

と一瞬心配しましたが、無事出せました。

91,000字の長編小説。

Amazon Kindleより¥600で発売中!

 

あらすじ

 自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、

小学校時代からの親友サーヤとともに

あちこちの葬式を巡り

「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては

聖女のごとく祈りを捧げている。

 

 そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている

中年男・中塚と出会い、彼を介して、

ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・

小田部と知り合った。

孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは

彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、

食事や掃除の世話をするために

家に出入りするようになり、

次第に親しさを深めていく。

 

そんなリコに恋したシンゴが

彼女の気を引くために

「きみのためにUFOを呼ぼう」

と言ってアプローチすると、

リコが生きる世界に

さまざまな不思議な現象が起こり始める。

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

 

もくじ

1 地球人の母になる

2 星のおじいさま

3 UFOに出逢ったお母さん

4 ラブリーな親友

5 恋文と宇宙の夢

6 令和終活コーポレーション

7 記念碑ツアー

8 レトロ喫茶と未来の記憶

9 取り調べ

10 里山の合宿でUFOと出逢う

11 UFO同窓会のレポート

12 奇妙な家族だんらん

13 競馬場でのドラマ

14 絶交

15 星のおじいさまの息子

16 いつか見た虹のこと

17 UFOからのメッセージ

18 天国への扉

19 魔法のアイドル誕生

20 ありがとう友だち

21 いつか家族に

 


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残酷でカオスな傑作「進撃の巨人」

 

約1カ月半かけてAmazonPrimeで

アニメ「進撃の巨人」全94話を見た。

先月末の途中経過でも書いたが、人間が食われる話なので、

残酷描写がかなりのもので、見続けるのが精神的にきつい。

それに慣れてきた中盤で

かつて仲間と信じていた者同士が「共食い」になるので、

これまたきつくなる。

 

それでも3分の2くらいのところまでは、

自分たちがなぜ壁に閉じ込められているのか、

その謎を解こう。

そして、この壁の向こうにあるはずの

海を見に行こう、という少年の夢がある。

つまり、そこまではどんなに残酷であっても

希望に満ちた冒険物語になっていて、

夢を達成した少年たちが新たな世界に旅立つ――

といった美しい結末を予感させていた。

 

ところが話はそんな単純ではない。

問題はそのゴールに達したあとのこと。

人生と同じで当たり前だけど、

僕たちはいつまでも少年少女のままではいられない。

この作品は安易なハッピーエンドで

お茶を濁すようなことはしなかった。

 

カメラが180度切り替わり、新たな世界に視界が開けると、

そこにはさらに救いのない

残酷で恐ろしい世界が広がっていて、

そこでまた戦わなければいけなくなる。

 

後半の話はどんどん深く複雑になり、

それまでのいろいろな謎が解けていくのだが、

ますます見るのが辛くなっていった。

 

そして、そもそもいったい誰が主人公だったんだっけ?

と思わせるようなカオス的な展開になっていく。

それでも向き合わずにはいられない気持ちにさせるのが、

この作品のすごいところ。

 

壁とは何か?

巨人とは何か?

近代日本、戦後日本社会のメタファーであり、

風刺であるという説がよく聞かれるが、

帝国主義や数々の戦争、難民問題などから形づくられた

現代の人類の世界全体の暗喩であるとも受け取れる。

 

ラストも決してスカッと終わらず、あれでいいのかという、

気持ちの悪い違和感が腹の中に残った。

まるで「後味の良い感動を残す物語」なんてあざ笑い、

ぶった切るかのようだ。

最後の最後のあのシーン、あのセリフは、

希望や救いと言えるのだろうか?

 

「進撃の巨人」の世界には

随所にさまざまな意味が込められており、

それをどう読み解き、何を考えるかは

読者・視聴者の向き合い方次第と言えるだろう。

それだけの豊かなものがこの作品には詰まっている。

少し落ち着いたら、

今度は原作のマンガを通読してみようと思っている。

 

いずれにしてもこの時代に、マンガ・アニメという手法で

こんなすごいドラマを創り上げた作者を

リスペクトせずにはいられない。

 

おりべまこと Kindle新刊:長編小説

今はまだ地球がふるさと

 

本日2月25日発売予定でしたが、

残念ながら提出が遅れたため、

まだレビュー中。

楽しみにされていた方、

どうもごめんなさい。

明日までお待ちくださいね。


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週末の懐メロ175:ババ・オライリー/ザ・フー

 

1971年リリース。

最高傑作アルバム「フーズ・ネクスト」の挿入歌で、

ザ・フーのキャリア全体を通じても最高の一曲。

さらに言えば、60年代から70年代の

ポップロック、ハードロック、プログレッシブロックの

美味しい部分をすべて凝縮した、ロック史に残る名曲だ。

 

♪この荒野で俺は糧を得るために戦う

 生きるために全力を尽くす

 正しさを証明するために

 戦う必要はないし 許される必要だってない

 

そんな歌詞で始まるこの曲は、

スコットランドの農民が、

妻と子供を連れてロンドンへ脱出する

という物語を音楽で描く

「ライフハウス」というロックオペラの一曲だった。

ところが、この「ライフハウス」の構想がまとまらず、

通常のスタイルのアルバムに挿入された。

結果的には単独曲となったことで

ザ・フー随一のヒットナンバーになったのかもしれない。

 

タイトルも当初は歌詞に沿って

「Teenage Wasteland(10代の荒野)」と

つけられる予定だったが、

インドの神秘家メヘル・バーバー(Meher Baba) と、

アメリカの作曲家テリー・ライリー(Terry Riley)の

ファーストネームを合わせたものに変更された。

これは当時、作詞・作曲の

ピート・タウンゼント(ギタリスト)が

メヘル・バーバーの思想にいたく

傾倒していたことから来ているようだ。

 

ザ・フーはこの頃、スピリチュアルな物語を

ロックオペラというスタイルで

ドラマチックに表現することに取り組んでおり、

大成功をおさめた1967年の「トミー」は

ケン・ラッセル監督によって1975年に映画化、

その後、ミュージカルとして舞台化もされた。

 

戦争に行った夫が戦死したと思っていた

妻は新しい男と恋に落ちた。

けれどもその男との情事の最中、死んだはずの夫が帰還。

夫は怒りにまかせて情夫を殺してしまう。

ところが、その様子を幼い息子トミーが見てしまった。

あわてた父と母は息子に言い聞かせる。

「あなたは何も見なかったし、何も聞いていなかった」

「このことは誰にも話してはダメ」と。

両親から与えられたそのトラウマによって、

トミーは見ることも、聴くことも、

話すこともできないという三重苦を負ってしまう。

 

そんなストーリーのロックオペラ「トミー」は

トミーが三重苦を克服し、

自己を解放し、自由に羽ばたくという内容で、

僕は高校生の時にその映画を見たが、

カルチャーショックを受け、

自分の中の重要な音楽体験・映画体験として残っている。

 

「10代の荒野」だった「ババ・オライリー」では

最後にこう歌う。

 

♪10代は不毛な時代 たかが10代の荒野

  10代は不毛な時代 10代に実りはない 

  全てが無駄なんだ

 

「ライフハウス」がどんな物語だったのかわからないが、

10代に何を体験するか、

そしてその後、その体験をどう捉えるかで

人生は大きく変わるのだと思う。

 

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今はまだ地球がふるさと

 

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おとなも楽しい少年少女長編小説(9万1千字)
「今はまだ地球がふるさと」
久しぶりに子ども(中学生)を主人公にした
青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。
長編小説(9万1千字)。
最初の予告よりちょっと遅れて、
2月25日(日)発売予定。
お楽しみに。

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となりのレトロより:あんたも閻魔様に舌抜かれるよ

 

インターネット社会になって女性不信になった。

というのは冗談だが、

おかしなネット発信は女が多い。

SNSは本当にひどい。

 

FBでは国内外を問わず、会ったこともない女から

ガンガン友だち申請が来る。

もろエロ系もあるが、それとなくまともを装った

表向き若い女が多い。

どんなやつか発信履歴を見ると、まったく中身がなくて、

写真だけいろいろ投稿している。

 

たまに「あなたの発信に感動しました」という

ほめ殺しコメントを書いてくるのもいる。

あと、もしかたら油断させようというつもりか、

落ち着いた高齢女性から来ることもある。

海外に移住して悠々自適にやってます的マダムとか。

 

X(ツイッター)のほうは、

やたらとドラマチックな女が多くて、

親の虐待とか、夫のDVなどでかわいそうな目に会って、

ン千万という借金地獄に落ちたが、

奮起しただの、すごいメンターに出会っただのの

ミラクルな大転換があって、すべて一気に返済・完済。

今では副業で月にン百万稼いでます。

あなたもおひとつどうですか?っていうやつ。

 

いやいや、世の中にはすごい女性がわんさかいるもんだ。

そんなお金持ちなら、

僕みたいな者にからむのは時間と労力の無駄遣い。

アメリカでもシンガポールでもドバイでも行って

よろしくやってくださいな。

 

それにしても僕などの世代の人間は子どもの頃、

嘘つくとバチがあたるとか、

地獄に落ちて閻魔様に舌を抜かれるとか、

おとなによく言われたものだが、

今の人間はまったく意に介さないらしい。

なんだか閻魔様が懐かしく、可愛く思えてくる。

 

となりのレトロの僕から言わしてもらうと、

ウソメールとか、サギ発信とかに

大事な人生の何割も使っていると、

やっぱりそのうち相応の罰が当たると思うよ。

 

 


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週末の懐メロ174:世界の重みを手に持つ少女/エディ・リーダー

 

80年代後半に活躍したフェアーグランド・アトラクション。

そのリードシンガーだったエディ・リーダーが、

グループ解散後、1992年に初めて出した

ソロアルバムの中の一曲。

カヴァー曲で、

オリジナルは「インディゴガールズ」というデュオが

1990年にリリースしている。

 

日本で最初にCDで出た時は最後に入っていたせいもあり、

アルバム全体の余韻とともにとても深く心に染みた。

 

子どもから大人になる過程で

誰もが世界の重みを感じるようになるが、

別の命を体内に宿すことができる女性は、

その感覚がひとしお強いのかもしれない。

 

婚活や妊活に熱心になり、

人生のスケジューリングに躍起になる女性が増えているが、

子どもを産める期間が25年から長くて30年

(たぶん現実的にはもっと短くてその3分の2程度)と、

限られていることを考えると

男がとやかく言ってはいけない気がする。

 

でもやはり人生の楽しみはスケジュールから

外れたところにある。

女でも男でもいいから、

手にしてしまった世界の重さを分かち合える人と

出逢えたらいいね。

 


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なぜ昭和の“すごい”人たちは本を出せなかったのか?

 

昭和は今と比べて野蛮な時代だったと思うが、

面白い人生を送ってきた人たちがたくさんいた、と思う。

今より貧しく、生活が不便で洗練されておらず、

管理も緩かった分、

生きるエネルギーに溢れていた。

逆に言えばエネルギーがないと生きられなかった。

 

なので若僧の頃はエネルギッシュな人たち、

劇的な人生を送って来た人たち、

すごい人だなと感心するような人たちに何人も出会った。

それもみんなけっこう若い、30代・40代の人たちが多かった。

彼らのドラマチックな話を聞いていると、

自分はなんて臆病で凡庸な人間だろうと

劣等感を抱いたくらいだ。

 

そうした人たちの冒険譚・英雄譚・武勇伝などは

自伝にしたら面白いし、

それらの体験をもとに小説も書けるのではないかと思った。

 

事実、自分はこんなに面白いことをしてきたから

そのうち本にして出すよとか、

ネタにして小説を書くよとか、映画や芝居にしてやるよと

僕に話していた人は一人や二人ではなかった。

 

けれども憶えている限り、実現した人は一人もいない。

ノンフィクションであれ、フィクションであれ、

そうした(世間的には無名だが)すごい人たちの話が

物語になり本になることはなかった。

 

なぜか?

そういう人たちは字を書かなかったからである。

当たり前のことだが、

机に向かって字を綴るという地道な「作業」をしない限り、

永遠に本も物語も生まれないのだ。

そうしたものを作るためには本人とは別に

字を書く「作業員」が必要になる。

 

自分のなかにもう一人、

そういう作業員を持っている人はいいが、

大方の人は「文才があればやるけど」

「時間があればできるけど」と言って逃げていく。

 

いつかあの人のあの話を本で読んだり、

映画やテレビで見られるだろうと思っていた人たちは、

(現時点では)誰もそうならなかった。

齢のことを考えると、

結局そのまま人生が終わってしまった人も

少なくないのではないだろうか。

なんだかもったいない気がする。

 

昭和と違って今ではSNSやブログもあるし、

動画配信もあって、いろいろ発信の手段はある。

けれどもやっぱりそれらと

本を刊行することは別の作業が必要なのだと思う。

 

「文才があれば」「時間があれば」というのは言い訳だが、

現実的には確かにそれも分かる。

毎日、いろいろ忙しいことばっかだからね。

でも時は止まってはくれない。

そう考えると人生は短い。

「いつかやろう」が永遠に来ない可能性は高い。

 

もし、そうした本を書くための「作業員」が必要なら

ご相談に乗ります。

 


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キャンペーン終了と新刊発売のお知らせ

 

おりべまこと電子書籍「おふくろの味はハンバーグ」

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無料キャンペーン終了しました。

ご購入ありがとうございました。よろしければレビューをお寄せください。

引き続き発売中です。

読み放題でも読めるので、どうぞご利用ください。

 

次の新刊は長編小説「今はまだ地球がふるさと」

自分は異星人とのあいのこだと言い張る女の子と

彼女が「星のおじいさま」と呼ぶ終活老人とのお話。

2月22日(木)発売予定。お楽しみに!

 


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コシコシ・シコシコ桶川うどんを食べる旅

 

昨日は埼玉の桶川を旅して、お昼にうどんを2杯食べた。

埼玉県は香川県に次いでうどんの生産量全国第2位。

そばを合せてめんの生産量としては堂々1位となる。

ついでにうどんの原料となる小麦の生産高も第9位で、

関東では群馬に次ぐ「麦どころ」だ。

土地や気象条件が麦づくりに適しているらしい。

 

ただ、讃岐うどんと違って、

「埼玉うどん」というのは存在しない。

定型がなく、これぞ!という特徴に欠けている。

要はブランディングできていないのだ。

香川=讃岐とちがって、

江戸時代から今日まで、首都圏の台所として

いろんな農産物の需要があったので、

がんばってうどんを売り込む必要性がなかったからか。

 

その中でも江戸時代の中山道の宿場町

「桶川宿」があったことで

桶川のうどんはその名を広く知られるようになり、

ある程度、ブランド化しているといえるだろう。

 

これも決まったスタイルがなく、

スタイルは店によってまちまち。

共通する特徴としては、

讃岐うどんに勝るとも劣らないコシの強さだ。

まさにコシコシで、シコシコ感ハンパなく、

噛むのにあごが疲れるくらいだ。

 

今回は2軒ともかけうどんを食べたが、

1軒目は鶏もも肉と昆布をコテコテに煮込んだ

関東系の濃い出し汁。

 

2軒目は讃岐に近い薄めのあっさりした

関西系の出汁で、これも店によっていろいろらしい。

 

また、冷たいうどんを熱いつけ汁につけて食べるのが

桶川流らしく、

2軒目の店ではそのバリエーションが豊富だった。

テーブルに岩塩と黒コショウのミルが置いてあり、

肉系のつけ汁にはこれらを入れて食べるらしい。

うどん屋に塩・胡椒が常備してあるなんて

初めてお目にかかった。

 

いずれの店も中山道沿いにあるが、

片や地元の人のごひいき、

片や外からも食べに来るお客が多いようで、

店の前には行列ができていた。

 

なぜ2杯食べたのか、長くなるので事情の説明は省くが、

結果的に2軒入れてとてもよかった。

桶川には他にもうどんの名店が20店くらいあるというので、

機会があれば食べ比べをしてみても面白い。

 

さて、今日はあなたは何を食べますか?

 

 

 

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元気が出る面白エッセイ集。

この機会にぜひご賞味ください。


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週末の懐メロ173:ザ・ウェイ・イット・イズ/ブルース・ホーズビー&ザ・レンジ

 

1986年リリース。

お気楽ポップ、エンタメロックが多数輩出され、

音楽産業が肥大化した80年代。

そのなかで異彩を放つ、

人種差別問題と真正面から向かい合った

シリアスなテーマの楽曲が

全米ナンバーワンヒットになった。

 

♪1964年、ある法律が成立した

これまで恵まれなかった人々を救うためだ

けれども、ただそれだけのこと

法律は人の心までは変えられない

 

重い歌詞を変幻自在のピアノプレイに乗せて、

歌うホーンズビーは独自の輝きを放っていた。

 

この頃、僕はロンドンで暮らしていたが、

イギリスでも大ヒットしており、

今でも最も印象深い曲の一つになってる。

そしてこの歌で描かれた社会状況も

40年近く経っても変わらない。

いや、階級社会の進行でますます悪くなっている。

 

90年代以降、数々のヒップホップアーティストに

カバーされ、サンプリングされ続けており、

最近では2020年、ポロGが2020年の

「Wishing for a Hero」で使っている。

 

それとともにこの曲とホーンズビーの活動にも

新たなスポットが当たっている。

 

https://www.youtube.com/watch?v=14AYq_rBJUg

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「おふくろの味はハンバーグ」無料キャンペーン

 

無料キャンペーン 本日よりスタート!

2月9日(金)17時~12日(月・祝)16時59分 

4日間限定

読めば食欲がわき、元気が出る面白エッセイ集。

いっぺん食ってみたってちょ。

 

もくじ

・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史

・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った

・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

・昭和最強のおやつ ベビーラーメン

・さらば、おれの牛丼

・どうだ、銅だ、ブドウだ

・ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?

・マイナビ農業 ハラール認証

・飲食業の現場で働く人たちの意欲・生きる元気

・新宿にパステルが帰って来た

・がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ

・誕生日のドラえもんとウサギ

・なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は

   信用できるのか?

・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

・美野原御膳と日本の里山

・吉祥寺にやってきたクレヨンハウス

・カエルの幸福サラダ

・一汁三菜はより良き食卓・家庭・人生の秘訣

・五右衛門の湯豆腐と空海の鴨カツ丼

・おふくろの味はハンバーグ

・みんなのハンバーグ  

全22編載録

 


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女を舐めるべからず

 

能登地震の報道がひと段落すると、

テレビもネットもまた毎日のように

芸能人やスポーツ選手の女性問題報道。

僕はそういうことに関心が薄く、

首を突っ込んであれこれ調べている時間はないので

詳しいことはわからない。

 

ただ、こんな僕でも言えることは、

訴えられた彼らが女を舐めていたことは確か。

本当に性加害者なのかどうかはともかく、

むしろ被害者だとしても、

いわば昭和までの男尊女卑思想や

女性に対する甘えがあったからこそ、

罠に掛かってしまったのではないか。

 

令和の世の中、女が以前とは比べ物にならないくらい

社会的な力を持ち、賢くなっていることは、

すべての男が肝に銘じておいたほうがいい。

訴える女も、協力する週刊誌も、どう転んだって

得するように損得勘定を立てている。

そういうビジネスモデルが出来上がっているのだ。

 

YouTuberやネット上で発信している人たちも

その問題を取り上げればアクセス数がバク上がりするので

正義面・評論家面して言いたい放題、やりたい本題。

カモにされる男の芸能人やスポーツ選手は

これからも続々と現れそうだ。

 

「女遊びは芸の肥やし」という言葉が

まだ生きているのかどうかは知らないが、

芸能人やミュージシャンなどはまだいい。

たとえ活動休止に追い込まれても

いずれプラスに働く場合もあるし、復活の目もある。

 

けれどもスポーツ選手はダメだ。

裁判の期間が長いのに対し、アスリートの寿命は短い。

たとえ無罪が証明できたとしても、

訴訟を起こされスキャンダルの嵐が吹き荒れた

数か月・数年の間に

最も活躍できる旬の時期が過ぎてしまう。

 

「あいつを潰してやろう」という陰謀が企てられ、

ハニートラップを仕掛けてくる奴らがいないとも限らない。

トップアスリートを目指す選手は

恋愛など望まず、そこらの女に目をくれず、

商売と割りきっている女(でも絶対安全とは言い切れない)

とだけ付き合った方がいい。

言ってみれば一流スポーツ選手は恋愛御法度。

するなら選手生命と引き換えにするぐらいの覚悟がないと。

 

平成生まれの若い連中がそうなってしまうのは、

やはり男尊女卑や女性に甘えていた

先輩や父親・家族の影響だろう。

その辺は指導者もフォローしたほうがいい。

 

僕も東京に出てくるときに父に言われた。

「女にはよくよく気を付けろ」と。

若い時にそういうことがあったのだろうか?

亡くなっているのでもう確認できないが、

彼の忠告が効いて、

ここまでそうひどい目にはあっていない。

たんにモテないし、女が怖いだけだけど。

 

 

明日より4日間限定無料キャンペーン!

電子書籍「おふくろの味はハンバーグ

 

2月9日(金)17:00~

2月12日(月・祝)16:59

 

読めば食欲がわき元気が出る面白エッセイ集。

こんどの連休にご賞味あれ。


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2月9日(金)17:00~2月12日(月・祝)16:59

読めば食欲がわき元気が出る面白エッセイ。

ブログでトノサマラーメン、カエルのから揚げ、

ChatGPTに訊いたロンドンの日本食なども載録。

 

もくじ

・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史

・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った

・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

・昭和最強のおやつ ベビーラーメン

・さらば、おれの牛丼

・どうだ、銅だ、ブドウだ

・ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?

・マイナビ農業 ハラール認証

・飲食業の現場で働く人たちの意欲・生きる元気

・新宿にパステルが帰って来た

・がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ

・誕生日のドラえもんとウサギ

・なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は信用できるのか?

・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

・美野原御膳と日本の里山

・吉祥寺にやってきたクレヨンハウス

・カエルの幸福サラダ

・一汁三菜はより良き食卓・家庭・人生の秘訣

・五右衛門の湯豆腐と空海の鴨カツ丼

・おふくろの味はハンバーグ

 

・みんなのハンバーグ

 

 


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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その③

 

 

 一方、みずからジャパニーズネッシー捜索隊の総指揮官に就任した国会議員は、隊を北と南、二班に分けて、北海道の屈斜路湖、鹿児島県の池田湖から捜索をスタート。政府公認の研究施設や大学の生物学研究所などから選ばれたスタッフがそれぞれ8名ずつ派遣され、現地調査を行った。マスコミも大挙して押し寄せて大騒ぎをしていたが、こちらもナッシー捜索の子どもたち同様、待てど暮らせどクッシーもイッシ―も現れないので、数日するうちに飽きてきた。

 

 それからしばらく後、とある大臣のスキャンダルが発覚し、政府がマスコミの糾弾を受け、野党が色めき立つと、ジャパニーズネッシー捜索隊もそのとばっちりを受けて国会でやり玉に挙げられた。

 いったいあの予算はどこから出ているのか?

 国会議員がろくに仕事もしないで、あんなろくでもないことに現を向かしていいのか?

 そもそもあの活動が社会的・経済的にどんな意味・どんなメリットがあるのか? など云々。

 当の作家議員は抗弁するのに窮してトーンダウンし、何も見つからないまま捜索は打ち切られることになった。結局、ジャパニーズネッシー捜索隊は奈々湖には来ずじまいだったのだ。

 

 村長はマスコミの取材に応じてコメントを残した。

 「まことに残念です。ちゃんと捜索すれば、必ずや世紀の大発見になったのに。ナッシーは間違いなかったのですから」

 そのコメントはちゃんとそのまま新聞や雑誌に載ったが、それだけだった。そこから何か新しい活動が展開されることはまったくなかった。そして、そんな騒ぎがあったことも遠い昔ばなしになった。いまやこの湖にナッシーの伝説があったことを知っている人さえ少なくなっている。

 しかし、世の中には6600万年前に死に絶えた巨大な生き物が、今まだ、この地球上のどこかに生き続けているはずだと信じている人が驚くほど大勢いる。それはもはや願いのようなものだ。

 おれたちにはその願いをかなえるミッションがある。

 

 一彦はまじめな顔をして大善に訴えた。

 大善はうんうんと頷いたものの、いったい東京で何があったのだろう?と訝った。たしかにいっしょに古文書の捜索などもやったが、彼の記憶の中の一彦は頭の良い秀才タイプで、むしろ周囲の子どもたちよりも一般常識をわきまえている男だった。

 中学生になる頃には奈那湖の怪物のことなどすっかり忘れて、勉強と部活のバスケットボールに打ち込んでいた。時々、テレビや雑誌で見たオカルト話で盛り上がることはあったが、それはちょっとしたお楽しみの範疇だった。もうその頃にはみんな、おとなになって社会の常識の中で生きていかなくてはいけないことがわかっていたのだから。

 いったい何が一彦を、いわば逆行させてしまったのか、大善にはわからなかったが、人が大勢来て村が賑わうことはいいことだ。そして正直、大善も時おり湖畔を散歩しては、ああ、本当に怪物が出てきて、また大騒ぎが起こればいいのにと考え、朝夕のお務めで仏に向かって祈念していたのである。

 そしてもう一人、このナッシープロジェクトに参加したいという人物が現れた。その名も菜々子という。

 


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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その②

 

子どもたちが探しまわった古文書は仏像や古地図が所蔵してある部屋にしまわれていた。住職――大善の父は村長からの連絡を受けてそれを取り出しておいた。

 翌日、村長以下、村のお偉方はがん首揃えて麟風寺を訪れ、住職――大善の父に古文書を見せてくれるよう願い入れた。

 住職は彼らを客間に通し、とっておきの黄金に輝く法服を着て出迎えた。そして訴えを聞くとまるで時代劇のように大仰な間を取り、両手を合わせて目をつむった。そして読経を始めた。村長らも慌てて手を合わせ、首を垂れる。

 一分ほどのち、住職は目を開き、傍に法具の上に用意してあった古文書をしずしずと村長らの前に取りだし、一枚ずつ広げて見せた。ミミズがのたくったような黒々とした文字が黄ばんだ和紙にえんえんと書き綴られている。村長らは食い入るような目つきでその文字の列を追っていたが、何が書いてあるのやら、さっぱり読めない。住職はいつにない厳かな口調でそこに書いてあることを解説した。

 そして絵を見せる。どれも子どもの落書きみたいな絵だが、たしかに怪物らしきものが描かれている。

全員が深いため息をつき、客間はしばし沈黙に包まれた。

「これは間違いありませんな」

最初にそう声を発したのは、観光課長の田中だった。

 「他の湖にはこれほどの資料はありますまい。動かぬ証拠です。ナッシーは間違いなく、日本のネッシーの一番手です」

 「けどなぁ」

 そう異議を唱えたのは副村長の山田だった。

 「他のところには写真があるんだよ、写真が。ナッシーにはあるのか?」

 「たしかありますよ、何枚か」

 「なんかコブが水から突き出していたりとか、ぼんやりしてて何だかわからない黒い影が映ってるのしかないだろ。おお、これは恐竜だっていう決定的なやつはないの?」

 「そんなの他のところにだってないですよ。みんな似たり寄ったりだ」

 そこでけんけんがくがくの議論になり、結局、決め手は写真で、古文書はその付属品に過ぎない、という話になった。住職は憤まんやるかたない思いを抱いたが、とにかく村をあげての大事業だから協力すると約束してその場は収まった。

 子どもたちは隣の部屋でふすま越しに耳を澄ませ、この会合の一部始終を聞いていた。胸が湧きたつのを感じた。そして、なんとか自分たちでナッシーの写真を撮ろうと画策し、プロジェクトチームを結成した。

 カメラを持っているのは、タカシとユキヒロだ。他には女子の中にもいるかもしれない。そんなわけでタカシがリーダーとなって学校で募集をかけると、全部で十二人が参加した。

プロジェクトはずんずん進んだ。カメラマンと見張り役二人、三人で一チームとし、学校が終わって夕暮れまでの間、交替で奈々湖を見張ることにした。

 彼らの空想は限りなく広がった。それまでのほほんとした長閑な佇まいだった奈々湖は、急にミステリアスでオカルト感に満ちた、底なしの不気味な湖に見え始めた。

 子どもたちは会議も開いた。たいてい「緊急会議」とか「重要会議」とか「特別会議」とか、ものものしい名前がついていた。そこでは一日二時間くらいでは時間が足りない、という意見が出たが、夏休みになったら一日中見張りをしよう、ということで解決策が決まった。

 しかし、そんな盛り上がりは長くは続かなかった。何日見張っても、奈々湖には何も現れない。ときどき水音がするので何かと思って見ると、水鳥が羽根をバタバタさせているだけだったりした。

 当初、メンバーは皆、「おれたち、すごいことやってる感」がしていたので、そんなちょっとした異変にも色めき立って面白かったがすぐに飽きた。何回か経つうちに退屈になってきて、だんだんサボるチームも出てきた。

 つづく

 

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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その①

 

 ところがそれからしばらく後。村じゅうがひっくり返るような出来事が起こった。

 とある国会議員が「日本のネッシーを捜索する」と言い出し、日本各地のネッシー伝説がある湖に捜索隊を送り込んだからだ。

その国会議員はもともとSF作家で、数々のベストセラー作品を発表して世間を賑わせていた。それと同時に「日本は世界で最も地球の歴史を知っている国」とか、「国土には太古の記憶が幾重にも刻まれている」いう自説を展開し、テレビの討論会などにもちょくちょく出演していた。

 そして、その人気・知名度を使って参議院選挙に立候補したら、しっかり当選してしまったのだ。政治経験はもちろんゼロ。しかし、歯に衣を着せない物言いは庶民にとって痛快に映り、彼は喝采を浴びて政界に迎えられた。

 参議院で何らかの実績を上げたという話は聞かないが、その男がなぜだか恐竜探しをやるというのである。しかし、彼の中では決して荒唐無稽なパフォーマンスではなく、ちゃんと論理だった、国民感情を高揚させるためのストーリーがあった。

 「イギリスのごとき老大国の一地方であるスコットランドの田舎がネッシーだけで盛り上がり、年間で世界中から相当数の観光客が訪れるという。わが国にも列島各地の湖に恐竜が生息している可能性があるのだから発掘し、エコノミックアニマルではない、夢とロマンにあふれた日本国を世界にアピールすべきである」

 折も折、日本は高度経済成長によって世界有数の豊かな国になりつつあった。円は高騰し、他国の通貨を圧倒する勢いは当分衰えそうにない。カネのことしか考えない成金国家の台頭に、二〇世紀の世界をリードしてきた欧米諸国は苦々しい思いを抱いている。これらの国の各地では日本製品排斥のデモが起こるなど、貿易摩擦も深刻化しており、政府もほったらかしておくわけにはいかなくなった。

 そんな時に出された彼のアイデアは、そうした摩擦・軋轢を緩和する潤滑油のようなはたらきができるのではないかと期待されたらしい。それにもちろん観光客が増え、観光収入のアップも目論まれていたのだろう。

 あくまでも噂だが、裏では当時の首相も絡んでいたようで、排斥運動を受けた複数の企業がスポンサーとなってこのプロジェクトを動かすことになったという。

 その作家議員が公開したリストには、北海道・屈斜路湖のクッシー、山梨県・本栖湖のモッシー、鹿児島県・池田湖のイッシ―などの有名どころに連なって、最後に奈々湖のナッシーの名も挙がっていた。

 今まで日本中の誰も聞いたことがなかった村の名前は、この時から突然、全国区になった。このニュースに村人たちが沸き返ったのは言うまでもない。

 

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週末の懐メロ172:追憶/バーブラ・ストライサンド

 

1973年、ロバート・レッドフォードと

バーブラ・ストライサンド主演の

恋愛映画「追憶」のテーマ。

 

ラストシーン、ニューヨークの街角で偶然出会った

元恋人の二人がちょっとした言葉を交わし、

互いに背を向けてそのままさらっと別れていく。

しかし、バックにこの歌が流れ、

心のなかに切ない思いがあふれ出す。

 

初めて観た時、まだ子どもだったので、

その切なさ・悲しみを抑えたさらっと感が

ものすごく大人びていてカッコよくて憧れた。

自分もいつかこんな恋愛をするのだろうと思っていた。

しかしまぁ、もちろん現実は映画のようにいかない。

何ともお恥ずかしい限りだが、

この齢になるとそれも笑い話。

 

映画の内容についてはラストシーン以外、

さっぱり覚えていないが、

この歌は一生心の中に残ると思う。

 

ものすごく久しぶりに聴いたが、

イントロのピアノとハミング、

そしてハミングから歌に移っていくところは心底しびれる。

 

女優としてもそうだが、1970年代の終わりごろ、

歌手としてのストライサンドは絶頂に達した。

アメリカにおける彼女のレコードセールスは

プレスリー、ビートルズに次ぐほどだったという。

女性歌手としてはもちろんナンバー1である。

 

そういえばビー・ジーズのバリー・ギブがプロデュースした

「ギルティ」(1980年)を僕も持っていた。

これは彼女の最大のヒットアルバムだったらしい。

 

長らく名前を聞かなかったので、

僕にとっては過去形の名女優・歌手だったが、

調べてみると、アメリカではその後も

ずっと変わらずに活躍していて、

レジェンドとして君臨しているようだ。

ただ、来日公演は一度も行っていない。

 

80歳を超えるバーブラ・ストライサンドは

この「追憶」の頃、31歳。

「30以上は信じるな」とみんなで叫んでいた時代、

僕をはじめとして、その頃の若者の多くは

30前後で人生はいったん終わるのだと

信じていたような気がする。

 

けれども僕はその30歳をもう2回やってしまった。

その上でこの曲を聴くと、

記憶がいろいろな時代をさまよって

あの頃が遠い昔のことなのか、

つい昨日のことなのか、わからなくなってくる。

どちらでもいい。今、こうして生きて歌を聴けるなら。

 

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逃亡者の死の価値

 

50年間逃亡生活を送った桐島聡容疑者

(正確には同容疑者とみられる男)が

死亡したというニュースに

ネット上では大勢の人たちが感想・コメントを寄せている。

 

人生とは何か、よりよい生き方とは何か、

取り返しのつかない失敗をしでかしてしまった時、

人はどうすればいいのか?

そうしたことを大勢の人に考えさせた、

語らせたという点については

桐島容疑者の50年間にも価値があったのでは、

と思わせるほどだ。

 

半世紀の間、街の交番の前で晒され続けたのだから、

彼の顔を知っている人は世代を超えて多岐にわたる。

おそらく現在の成人の8割以上は

あの顔を知っているだろう。

 

数ある指名手配犯のなかでも

桐島容疑者の写真は異質だった。

他の容疑者がいかにも悪党面で写っているのに比べて、

彼だけがいい人っぽく笑っている。

20歳前後の若者で長髪で黒ぶちメガネ。

60~70年代、フォークやロックのコンサートに

必ずこういうタイプの若者がいたなかと、

なんだか青春を感じさせる。

親近感とまではいかないが悪い奴には見えない。

 

50年前は学生運動が終焉した後の火の粉が

当時の若者たちの頭上にまだ少しは舞っていた時代だった。

彼はかの組織の思想に

深く染まっていたわけではないだろう。

 

活動に参加して事件に関わってしまったのは、

今で言えば、オタクの若者がマンガやアニメやアイドルに

のめり込んだのとさして変わらない気がする。

要するにノリである。

たんに青臭い正義感にかぶれ、妄想を見ていただけなのだ。

 

しかし、彼は活動に参加して一線を越え、

大事件に関わってしまった。

ちょっとオウム真理教の信者に似ている。

 

逃亡生活を始めた時はまだ若かったから

「逃げ切ってやる」と野心を燃やしていたに違いない。

リアルゲームのプレイヤーになったような

高揚感・緊張感もあったのだろう。

 

しかし、時間の流れは容赦なく、

逃亡生活自体が彼の心も体も蝕んでいった。

彼は捕まらず、牢獄に入れられることもなかったが、

その代り、身分証も住民票もなく、

保険も入れず銀行口座も作れず、

ろくに人と関われず、その日暮らしの連続で、

いつか発見されるのではないかと絶えず怯え、

年齢と共に当初の野心も夢も希望もボロボロになっていく。

 

その心の有様は、娑婆にいても

終身刑を受けていたのと変わりなかったのではないか。

なぜどこかで考えを変えて、自首できなかったのか?

40になり、50になり、

もう今からでは遅すぎると思ったのか?

 

少なくとも1年前、ガンが発覚した時に出ていこう

という気にならなかったのか?

逃げ続けた意地があったのか、

それとも病身で治療も受けられない状態になって、

自業自得だからこの懲罰を引き受けようと考えたのか?

 

結局、彼は若い頃に心に決めたことをやり遂げた。

死ぬまで逃げきったのだ。

けれどもそれは勝利だろうか? 成功だろうか?

警察を相手に、社会を相手に

「どうだ、ざまあみろ」と笑えただろうか?

 

本当のことは本人にしかわからないが、

勝利と思うには、あまりに哀れで寂しい最期に見える。

死ぬ前に「本名に戻りたかった」

「自分に還りたかった」と素性を明かしたのは、

心の底からの本音に違いない。

自分を偽り続けることこそ最も不幸な生き方。

きっと多くの人がそう思ったのではないかと思う。

 

あの事件で被害を受けた人にはとても申しわけないが、

僕は少し桐島容疑者に同情し、

彼の心の変遷を考えずにはいられなくなっている。

 

 

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「進撃の巨人」の「食べる」

 

今さらだけど「進撃の巨人」のアニメを

アマプラで見ている。

評判は聞いていたが、巨人が人間を食うシーンが怖くて

気持ち悪くて、これまで見ていなかった。

しかし今年になって、意を決して(?)見出したら

めっちゃ面白くてドハマリ。

正月からこの1カ月ほどで、

ほぼ一気見ペースで見まくっている。

 

それにしても想像以上に残酷シーンが多い。

巨人が人間を食う、巨人が巨人を食う。

人食いシーンのてんこ盛りである。

感想的なものは全部見終わってから書こうと思うが、

一つだけ先に言うと、

この作品において「食べる」という行為は、

三つの意味を持っているように見受けられる。

 

一つは殺戮・戦争のオマージュ。

巨人は強大な力を持って襲ってくる。

心を持たない兵器・軍隊のように見える。

 

一つは本能だけで食欲の塊である赤ん坊や子供の暗喩。

知性を持たない、ただ人を食うだけの巨人は

「無垢の巨人」と呼ばれ、

姿形も動きも本能のまま、

無邪気に食物に向かう子供のように描かれる。

 

そしてもう一つは、

相手の能力を取り込む行為としての「食べる」。

 

最近は人種差別につながるからか、あまり聞かないが、

僕が子どもの頃には少年雑誌・マンガ誌などに

よく人食い人種の話が載っていた。

今でもそういう習慣を残している種族がいると思うが、

彼らが人を食うのは、

自分にはない敵の能力を取り入れるという意味があり、

一種の宗教的・呪術的な行為であったようだ。

 

この作品では能力にプラス相手の持つ記憶も

取り込めることになっており、

それがストーリーの大きな鍵になっている。

 

僕たちもしばしば

「食べたものが自分になる」ということを言う。

ふだんあまり意識しないが考えてみえば、

かなり恐ろしい思想・イメージだ。

 

太古の人類は地球上のどこでも、

それぞれの種族同士で殺し合い・食い合いをやっていた。

そして殺した敵の(時には仲間の)

人間を食うということは、他のどの動植物よりも優れた

最高の栄養を取り入れることだった。

と、科学的にどうかはともかく、そう信じられていた。

なので、少なくとも精神的には強力な栄養になった。

そうした栄養によって進化してきたのがホモサピエンスだ。

 

おそらく僕たちの脳のどこかには

そうした太古のホモサピの記憶が残っているのだと思う。

この先、より科学が発達し、社会が発展し、

ライフスタイルが洗練されても、

こうした原初の感覚は残り続けるのではないかと思う。

 

というわけで「進撃の巨人」は

すさまじいイメージが渦巻く物語であり、

とても優れた人間ドラマであり、

テーマもストーリー展開も素晴らしい作品である。

残酷シーンが大丈夫な人には、ぜひ見て欲しいと思う。

 

というわけでまだ最後まで辿り着いていないので、

この話はまたこんどするが、

日本のアニメのクオリティはやっぱりすごい。世界一。

 

 

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エッセイ集:食べる3

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おふくろの味はハンバーグ  本日発売!

 

どんな夢も、どんな未来も、めしを食わなきゃ始まらない。

食べることは明日へ向かって生きること。

どんなに悲しんだり、落ち込んだり、深刻に悩んだり、

もう死にたいと思っていても、人は腹が減ればめしを食う。

めしを食えるうちは絶対に死にません。

食べていると、生きる意欲がモリモリ湧き出します。

「明日もがんばるぞ。さあ、今日は何を食おう?」 

そうして食っためしが、あなたの、私の、

血となり肉となり心になっていく。

読めば食欲がわき、元気が出る面白エッセイ。

どうぞご賞味あれ。

 

もくじ

・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史

・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った

・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

・昭和最強のおやつ ベビーラーメン

・さらば、おれの牛丼

・どうだ、銅だ、ブドウだ

・ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?

・マイナビ農業 ハラール認証

・飲食業の現場で働く人たちの意欲・生きる元気

・新宿にパステルが帰って来た

・がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ

・誕生日のドラえもんとウサギ

・なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は信用できるのか?

・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

・美野原御膳と日本の里山

・吉祥寺にやってきたクレヨンハウス

・カエルの幸福サラダ

・一汁三菜はより良き食卓・家庭・人生の秘訣

・五右衛門の湯豆腐と空海の鴨カツ丼

・おふくろの味はハンバーグ

 

・みんなのハンバーグ

全22編 載録

 


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新刊「おふくろの味はハンバーグ」明日発売

 

どんな夢も、どんな未来も、めしを食わなきゃ始まらない。

食べることは明日へ向かって生きること。

 

「明日もがんばるぞ。さあ、今日は何を食おう?」 

そうして食っためしが、あなたの、私の、

血となり肉となり心になっていく。

読めば食欲がわき、元気が出る面白エッセイ。

どうぞご賞味ください。

もくじ

・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史

・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った

・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

・昭和最強のおやつ ベビーラーメン

・さらば、おれの牛丼

・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

・おふくろの味はハンバーグ

ほか22編載録

 

エッセイ集:食べる3

おりべまこと電子書籍新刊

おふくろの味はハンバーグ

 

AmazonKindleより明日1/29(月)発売。

 


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おりべまことKindle本新刊予告「おふくろの味はハンバーグ」

 

おりべまことKindle本新刊予告

エッセイ集:食べる3

「おふくろの味はハンバーグ」

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ChatGPTに訊くロンドン日本食なども載録。全22編。

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週末の懐メロ171:僕たちの家/クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング

 

僕は暖炉に火をくべ、きみは花瓶に花を挿す———

と歌う「僕たちの家」は1970年リリース、

CSNY(クロスビー・スティルㇲ・ナッシュ&ヤング)の

名盤「デジャ・ヴュ」からシングルカットされたヒット曲。

 

歌っているのは何気ない日常のひと時。

好きな人と同じ家でいっしょに暮らしている喜び・幸福。

 

名盤とか名曲とか音楽史的価値とか、

どれだけ売れたとか、

CSNYがいかに偉大なバンドだったか、

そんなことはどうでもよくて、

いま聴いても思わず口ずさみたくなる

楽しくて、やさしい歌だ。

 

むかしは恋人でも、夫婦でも、友だちでも、親子でも、

好きな人といっしょにいれば、

ただそれだけで楽しかったのに。

そう思うことはありませんか?

 

人間、齢を取るごとに、

好きな人といっしょにいるだけでは足らなくなり、

いろいろなものが欲しくなり、

約束された未来を手に入れたくなる。

そして、欲しいものが手に入らないと、

好きだったはずの人も好きでなくなってしまう。

 

欲しいものを手に入れようとがんばるから

人間は成長・進化するのだ。

そう言うかもしれないが、

それは実は成長でも進化でもなく、

人間がねじ曲がる変化・変貌ではないか。

 

人生はメルヘンではないけど、

たまにはこんな懐メロを口ずさみ、

単純に幸福だった時代、

楽しく暮らしていた時代を思い出してもいいかもね。

 

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音楽エッセイ集「週末の懐メロ」第1~4巻

Amazon Kindleより発売中。各300円。

 


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今夜もニャゾのねこちゃーはん

 

ネットで「ねこちゃーはん」と入れて検索すると、

なぜかチャーハンが好きそうなネコがいっぱい出てくる。

これは僕の知らなかった世界だ。

 

ネコってチャーハン好きなの?

食えるの?

食わせていいの?

疑問が頭のなかをぐるぐる渦を巻いたが、

ひと昔前、「ねこまんま」がネコの定番食(?)だったので、

チャーハンもありかもしれない。

 

さらに驚いたことには、

アマプラに「ネコチャーハン」という映画が入っていた。

下町の中華料理の名店を舞台にした

ファンタジー&ヒューマンドラマ(?)。

 

この映画でもネコが中華料理屋のおやじに

毎日チャーハンをもらって食っている。

そのネコがこの店の後継ぎの息子のために

美女に変身(ネコ娘か?)となって現れ、

ベッドも共にして彼を献身的に応援するという、

いわば「ネコの恩返し」みたいな話。

レビューめいたことは書かないので、

興味があったらご覧ください。1時間ちょっとです。

 

おかげですっかりネコは、チャオちゅーるとおなじくらい

チャーハンが好きなのではないかと思い込んでしまったが、

「いやいや、かつおぶし入りじゃないんです」と、

「ねこちゃーはん はじめました」の店から顔を出した

お兄ちゃんからは真っ向から否定した。

え???

あんまり料理人らしくなく、

ノマドワーカーか、クリエイターといった風情だ。

 

彼は言うには

「ネコの顔をデコったチャーハンのことなんです」

つまり、映えを狙って作ったチャーハンらしい。

最初、「ねこちゃーはん」で検索しても出てこなかったが、

あわせて「浜田山」と入れるとやっと出てきた。

 

この店、昨年6月にオープンしたとのことで、

店主はかつて下北沢で雑貨店をやっていたらしい。

それで今回はお酒やコーヒー等を飲みながら、

お腹も満たせるようにと飲食店を始めたという。

 

名刺をもらったが、もしや1枚1枚手書き?という感じ。

あんまり商売っ気もなさそうだし、ヒマそうだが、

夜のお酒が飲める時間などは繁盛しているのだろうか?

 

ニャゾがニャゾを呼ぶねこちゃーはん。

来週あたり、ちょっと食べに行ってみたくなった。

しばらく間をおくが、次なる第3回をお楽しみに。

 

 

こちらもお楽しみに!

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ニャゾのねこちゃーはん

 

昨年のいつ頃だったか、浜田山駅近くの店で

「ねこちゃーはん はじめました」

という謎の看板を見掛け、

「ねこちゃーはん」ってニャンだろう?

と思っていた。

 

ネコカフェ?

それともネコを連れて入れるお店?

それにしては飲食店らしくないニャー。

 

まさかペットのネコに

チャーハンを喰わせるわけでもあるミャーと思って、

勝手にかつおぶしを入れたチャーハンのことニャのだと断定。

 

ニャらばわざわざ食いに行くこともあるまいと、

家で作ってみたニャン。

以下、レシピ。

 

★材料:昨日の残りの冷ご飯、卵、ねぎ、にんじん、レタス、しいたけ、ちくわ、かつおぶし

 

★調味料:しお、こしょう、しょうゆ、ナンプラー、ごま油、酒

 

(量は人数とみんなの腹の減り具合に合わせて適当に。

それぞれ多くても少なくても大失敗することはありません)

 

作り方:

熱した鉄鍋もしくはフライパンにごま油を入れ、溶き卵をいれてゆるめに焼く。

20~30秒で十分。とろっと状態になったら即取り出す。

ご飯をガバッと鉄鍋もしくはフライパンに入れて、

お酒をちょっとかけつつ、ほぐしながら炒める。

 

適当に切った野菜をガバッと入れる。

ネギは必須。後は好みで適当にだが、

しいたけはあると味がよくなる。

レタスは以前よく行ってた中華に

「レタスチャーハン」というメニューがあり、

割と合うので、冷蔵庫にあればいつも入れる。

 

タンパク系の具を入れる。

焼き豚でもベーコンでもいいが「ねこちゃーはん」なので

魚系にしてみた。これも好みで。

あとは適当に火が通るまでごはんと具を炒める。

 

だいたい火が通ったら、取り出しておいた卵を入れて

ぐちゃぐちゃ混ぜる。

そして、調味料を適当にぶち込む。

ナンプラーはお好みで。

仕上げにかつおぶしを入れてまぜまぜする。

 

盛り付けて紅ショーガを添え、

ねこちゃーはんらしく、

上からかつおぶしをパラパラかけて出来上がりダニャ。

 

「これぞねこちゃーはん」と、おいしく食べた。

ところが!

この後、たまたま駅の方に用事があったので

あの店の前を通ったら、衝撃の事実が判明。

僕が作ったねこちゃーはんは、

あの店のねこちゃーはんとは違っていた。

はたして、浜田山のねこちゃーはんの正体とは?

 

明日へつづくニャンコロリン

 

おりべまこと「食べる」エッセイ集

Kindleより発売中。各¥500

あなたもごはんでできている

 

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第3集「殿様ラーメンと母ハンバーグ」近日発売予定

 


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親の介護は5年で卒業(というマイルール)

 

子育てには卒業があるが、親の介護に卒業はない。

強いていえば、親が亡くなり看取ることか。

 

でも、あえて卒業を設けるべきではないかという気がする。

今の生活を始めて今年6月で5年になるが、

5年やったら、卒業資格を得てももいい。

誰もそんなことは言ってないし、認めてもくれないが、

これは自分(とカミさん)で決めた。

 

義母は先週、89歳になった。

90歳まであと1年。

体はまだまだ元気なので時々忘れてしまうが、

彼女は認知症という病気持ちである。

 

気になることはいくつかある。

まず、幻視・幻聴が増えていること。

今年になってから、

昨年の誕生日プレゼントにあげたネコちゃんと、

京都のお土産のお地蔵さん人形を返しに来た。

「話が合わない」とか

「部屋のなかにいてほしくない」といった理由を言う。

 

「どうせ次の日には忘れているよ」と

カミさんと示し合わせ、散歩に出ている時とか、

デイサービスに行って留守の時などに

部屋に戻しておくのだが、やっぱり何度も持ってくる。

 

そんなことが3回ほどあったので、

これは本気(?)だと思い、

しかたなく引き取ることにした。

 

そういえば、現実の世界でも

ネコやお地蔵さんは避けていたことを思い出した。

ちょっと怖いのかもしれない。

 

前にも書いたが、

義母は母譲りの霊能力らしきものを持っており、

それをずっと封印して生きてきた人である。

認知症になったことでその能力が徐々に解放され、

見えない世界と交流ができるようになり始めているらしい。

 

ちょっと冗談めかしてい書いているが、

認知症の症例を見ると、

幻視・幻聴で錯乱状態に陥ることが結構あるという。

 

今はまだ笑って受け止めらるレベルだが、

この1年くらいでこうしたことがかなり増えたので

エスカレートしないとも限らない。

 

そのほか、月に一度くらいの割でブラック化し、

普段とはまったく違うダークサイドを

垣間見せることもある。

老人はか弱き者というイメージがあるが、

認知症患者は脳のリミッターが働かず、

すごい力を出すこともあるらしい。

 

僕たちに肉体的・精神的なダメージを与えることがあれば、

即刻離れるべきだとも思っている。

 

多くの場合、施設に入れるのは別れを意味している。

僕が知る限り、住み慣れた家から施設に移った

老親の寿命はけっして長くない。

 

理由はたぶん二つ。

環境が変わって心も体も拒否反応を起こす。

そして面倒を見るのに限界があり、自由が奪われる。

 

ただ20年・30年前より、高齢者施設は各段に

良い環境になっており、面倒見もよくなっている。

けれどもスタッフは家族でも親友でもない。

(ごくまれに親友になるケースもあるかもしれない)

それほど献身的なケアをお願いするわけにはいかない。

 

そんなわけで親を施設などに移すのは罪悪感が伴う。

無責任に非難する人もいるだろう。

いま、二人でがんばっているのは、

「ここまでよくやった」という自己満足を得るためだ。

そして罪悪感を抱くことなく、

後悔を残すことなく、介護から卒業して、

新しい人生を歩みたいからだ。

 

だから5年で卒業資格。

その家族によって事情が違うので、

どのケースにも当てはめられるわけではないが、

限界ぎりぎりまで頑張って

自分の人生をつぶしてしまうべきではない。

もちろん、うちも義母が現状を維持でき、

変わらず楽しく暮らしていけるなら、

1年ずつ更新していく。

そうしたルールでやっていきたいと思っている。

 

 

 

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誕生日は誰にでも平等にある祝福の日

 

今日は誕生日だったが、

カミさんも義母もこの10日内が誕生日なので

今年は合同でパステルプリンケーキ。

年齢は3人合わせると軽く200を超えてしまうので、

ローソクはひとり1本で3本だけ。

 

今、オンラインの「となりのヤングジャンプ」で

「ゴールデンカムイ」を通読しているが、

ダークキャラの尾形が腹違いの弟に

「兄様は祝福されて生まれてきた子どもです」

と言われるシーンが泣ける。

主人公・杉元の

「どう生まれたかより、どう生きるかだろ!」もいい。

 

人は皆、誰かに祝福されてこの世に生まれてくる。

世界中の誰にでも平等にある祝福の日。

誕生日はそのことを思い出す日。

何よりも自分を大切にする日。

そして、どう生きるかを考える日。

いくつになっても恥ずかしがらずにお祝いしよう。

 

★前夜、昨年完成させられなかった長編小説

「今はまだ地球がふるさと」を最後まで書き上げた。

まだ書き直しをするけど、とりあえず乾杯。

久しぶりに子供を主人公にしたお話。2月発売予定です。

 

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お正月を食い尽くす「二十日正月」

 

世の中、すっかり受験モード、バレンタインモードに

移行しているけど、

本日1月20日は二十日(はつか)正月。

お正月の祝い納めをして、

正月の残り物を食べ尽くす日だそうな。

 

ウィキを見ると、

二十日正月とは日本の行事で、新年の季語でもある。

この日は正月の納めの日、または仕事始めの日とされる。

 

ってことは昨日まで正月休みだったってこと?

子どもの頃、母から

「三が日を過ぎたら正月はもう終わりだよ」

と言われてひどく寂しくなって、

1月いっぱいずっと正月ならいいのになぁ、

と思った覚えがある。

なので還暦を超え、64の誕生日を目の前にした今、

二十日正月というものがあるのにはちょっと感動した。

 

地域により、その風習に因んで、骨正月・頭正月・

団子正月・麦正月・乞食正月・奴正月・灸正月・

とろろ正月・はったい正月などとも言われるそうだ。

日本の風習、日本語のカラフルな世界もめっちゃ面白い。

 

さて現実を見ると、さすがに冬とは言え、

そして冷蔵・冷凍技術も発達した現代とは言え、

20日以上も前に用意したものは

やっぱりそろそろ食べきらないとヤバイと思う。

 

年明け以降、あまったおせち料理も

ネット通販で叩き売りされていたけど、

さすがにもうお終いだろうか?

 

毎年この時期に安くなったおせち料理を頼んで

食べている人がけっこういるらしい。

 

おいしいもの・年に一度のレアなものを

安く食べたいという人に

ケチをつけるつもりはないが、

これもまた面白いなと思う。

日本の食の風景は本当に豊かで懐が深い。

 

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週末の懐メロ170:ラヴィン・ユー/ミニー・リパートン

 

ここで毎週紹介している懐メロは、

たいていどれも記憶に残る出会いがあるのだが、

この曲だけはいつ・どのように出会ったのか、

ラジオで聴いたのか、テレビで見たのか、

コマーシャルだったのか、街のどこかで流れていたのか、

「ラヴィン・ユー」は10代後半の頃から

いつの間にか耳に住み着いていたという感じの曲だ。

 

ラブソングのプロフェッショナルなら

誰でも一度は歌ってみたいと思うような

美しい旋律の純粋なラブバラード。

それに自分の個性に合わせて

アレンジの自由度が高いこともあり、

世代を超えて、世界中でカヴァーは数限りないが、

オリジナルは1975年のミニー・リパートン。

 

彼女は黒人のシンガーだが、

歌はブルージーでもソウルフルでもない。

黒人だからと、そうした歌い方を求められることに

反感を覚えていたという。

 

もともとはオペラ歌手志望だったが、

ポップミュージックの世界へ。

既に大スターだったスティービー・ワンダーの

バックヴォーカルを務めたことで

メジャーなミュージシャンとしての道が開けた。

 

ワンダーはプロデューサーとして、

驚異の5オクターブの声域を持つ

彼女の歌唱の魅力を開花させた。

初のソロアルバムにつけた名前は

「パーフェクト・エンジェル」だ。

 

彼女自身は僕がまだ10代だった1979年に、

31歳の若さでこの世を去っている。

けれども子供の誕生を祝って夫と作ったという

「ラヴィン・ユー」はおそらくいつの時代も、

ほとんどの人が愛さずにはいられない

普遍的な名曲として、

この先も永く生き続けるのではないかと思う。

 


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郷竜小説「6600万年前の夢を見て死ね」 ★パート2「麟風寺の遺産」②

パート2.麟風寺の遺産②

 

奈々湖に何か得体のしれない化け物が住んでいる——

少なくとも昭和のどこかまでは、

そんな伝説が村には流布していた。

 

その伝説の源は麟風寺だった。

660年の歴史がある寺だ。

所蔵されている古文書には、

室町時代から江戸時代にかけて、

どのようにこの村が出来上がったのかという記録とともに、

何年かに一度、奈々湖に現れるとされる怪物の目撃談が

いくつも残されていた。

 

その中にはその怪物の絵が添えられたものまであった。

巨大なワニとか、オドロドロしい魚とか、

エビの化け物のようなものまで、

いろいろバラエティに富んでいる。

 

とにかく何か得体の知れない生き物がいることは間違いない。

村の年寄りたちは一彦や大善の両親の世代に

そんな話をよく語り聴かせたようだ。

 

昭和の半ばあたりまで、

こんな山間の村にはろくに娯楽がなかった。

それは一種の夜伽話として代々、

村の子どもたちを楽しませていたのかもしれない。

 

「バカバカしい」

一彦はすでに亡くなった父の言葉を思い浮かべた。

「非科学的にもほどがある。

あの湖にそんな大きな生き物なんかいるわけねえ。

ちょっと考えればわかることだ。

ホントに田舎者はこれだから困る」

 

父はいつもそう言っていた。

近郊の少しばかり大きな街の、

世間に少しは名の知れた会社に勤める

サラリーマンだった父は、

自分はこの村のやつらとは違う、

という自負があったのだろう。

 

一彦らの世代になると、そんな話を信じるなんてバカだ、

という方が優勢だった。

けれどもその一方で、本当だったらいいけどな、

という気持ちもちょっぴりあった。

 

大善はビミョーな立場に立たされていた。

なんと言っても噂のもとであるお寺の跡取りである。

「あんなデタラメを広げやがって」と、

湖の怪物のせいでいじめられることも少なくなかった。

 

けれどもこちらもその一方で、

怪物の絵が描かれている古文書を見たい、

見せろと言ってくるやつらも多かった。

彼と仲の良かった一彦も、

もちろんその好奇心を強く抱えた一人だ。

 

しかし大善自身、父がどこに

その古文書をしまっているのか知らない。

一度、一彦を含め、四人の仲間で

〈捜索隊〉を作り、

大善の父――当時の住職が留守の時に

家のあちこちを探しまわったことがある。

 

ある日、それがバレて大善は父にこっぴどく叱られ、

それ以降、捜索活動は打ち切りになった。

みんな、ちょっとがっかりしたが

一日でそんなことは忘れてしまった。

 

しょせん子どもの遊びである。

いつまでも過去のことなどにこだわっちゃいられない。

奈々湖は相変わらず子どもたちの遊び場であり続けた。

ところがそれからしばらく後。

村じゅうがひっくり返るような出来事が起こった。

 


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●郷竜小説「6600万年前の夢を見て死ね」 パート2.麟風寺の遺産①

パート2.麟風寺の遺産①

 

「ガチか?イッピコ、おまえヤバイんでねぇの?」

川西大善の口からはおよそ僧侶とは思えない

俗っぽいセリフが飛び出す。

「なんで事前に相談しなかったのさ?」

「一度連絡しただろ。けどプーちゃん、忙しそうだったし」

大善は、はたと自らを振り返る。

「そういやそうだった。けっこうテンパってたかもね」

麟風寺の住職になって半年。

大善は先代住職の父から引継ぎで、

なんやかんやとバタバタしていたことを思い起こした。

 

愛称は「ダイちゃん」でなく「プーちゃん」。

麟風寺のプーから来ているのだが、

そこに彼の持ち味であるのんきな性格も加味されている。

大学を出た後はそれこそプータローとして、

2年ほど外国を放浪していた。

「坊主にはならねえ」が子どもの頃からの口癖だったが、

結局、頭を丸めて修行に出たあと、

実家に戻り、坊主稼業を継ぐことに決めた。

 

麟風寺は故郷にあるお寺で、

その若い住職は一彦の幼なじみであり親友だった。

「いや、そりゃ帰ってきてくれたのはうれしいけどさ、

せっかく東京でちゃんとした会社に就職したのに・・・」

「もったいないってこと?」

「そう思うでしょ、誰だって」

「おまえが人生相談で言ってることと違うな」

 

大善はインターネットの「お坊さんに相談しよう」

というサイトで人生相談に応じている。

「プー坊主」というのは彼の売りだ。

「悩んだら自分に正直になりましょう。

心の声を聞きなさい。

好きなことを優先しましょう、とか」

「まあ、そうだけど」

「先のことを考えすぎです。今を生きましょう、

とかなんとか」

「いや、それとこれとはべつで」

「そんなの無責任だろ」

「だってさ、おれはおまえが羨ましかったわけ」

そう言って大善は子ども時代と変わらないまなざしで

一彦を見た。

麟風寺の宗派では頭を剃る戒律はない。

修行を終えて戻ってきてからは普通に髪を伸ばし、

袈裟も着ていないので、大善はまったく僧侶には見えない。

 

二人は本堂に隣にある住居の一室で話をしている。

ここも二人が子どもだった頃のまま、

ほとんど変わっていない。

「おれは跡取りだからさ、

ここから離れられなかったんだ。

660年の歴史がこう、ずしっとのしかかってな」

大善は重い荷物を背負うようなお道化たしぐさを見せた。

 

「こう言っちゃなんだけど、

親父はいい時に仏様の世界へ行ったよ。

やれやれ、これからどうすりゃいいのやら」

 

「ひどい住職がいたもんだな。

そのセリフをお檀家さんたちに聞かせてあげたいよ」

 

「どうぞお好きに。お檀家さんもめっきり減っちゃってね、

もうお布施も集まらなくて」

 

二人の故郷はすごい勢いで過疎化が進んでいる。

自然の恵みに溢れた美しい村なのだが、

ここで生まれ育った多くの子どもたちにとっては

そうではない。

 

それぞれの家はきれいで新しい住宅に建て替えられ、

電化製品が行きわたり、豊かで便利な生活を送っている。

にも関わらず、いまだに昔ながらの差別意識と

おかしな因習が残る閉塞的な暗いムラなのである。

 

だからみんな成長し、

中学や高校を卒業するとさっさと都会へ出て行ってしまう。

大学に入れば、そのまま大都市圏の会社に就職だ。

そうでなければフリーターをやりながら

自分の好きなことをやったり起業をめざす。

 

一彦はそれなりの規模の旅行会社に就職したものの、

2年と経たないうちにもう退職と起業を考え出した。

起業して自分の会社を持つという漠然とした夢が

日に日に膨らみ、週末ごとに起業サークルに通い始めた。

 

最初はいろんな仲間がいて面白かった。

けれども何回か通ううち、じつはみんな、

大して本気じゃないことに気付いた。

 

口当たりのいい自己啓発書を読み漁ってヴィジョン、

言い換えれば自分に都合の良い“妄想”を膨らませ、

「起業家」「経営者」という名の職業に就こうとしている。

 

だから何か手っ取り早く稼げる仕事はないか。

あわよくばその稼ぎを投資に回して

資産を作って早期リタイアできないか――

そんなことばかり考えて、

いわゆるビジネスチャンスを探しまわっている。

 

何よりも彼らには、仕事に対する愛情が

決定的に欠落していた。

市場のニーズと言えば聞こえがいいが、

今、儲かりそうならどんな仕事でいい。

効率よくやって効率よく金を稼ぐ。

それで成功している人を見ると、

自分にもたやすくできそうな気がしてくる。

しかし、そうなるためにはやはり特別な才能がいるのだ

ということにも気がついた。

 

仕事に対する愛情の欠落――

つまり好きなこと、やりたいことがないことは

自分もまったく同じだった。

一彦は割と器用で、

何をやってもだいたいのことはうまくできた。

人間関係もどう立ち居ふるまえばいいか

頭が素早く回転した。

女にだってそこそこモテる。

傍目にはわりかし優秀な人間・スマートな男と

映っているはずだ。

 

しかしそれだけだ。

その分、がんばってやり抜きたいと思うことは何もない。

この女のためなら何でもすると思うこともない。

すべてそこそこで、ほどほどで、

このままいけば平均的な日本人はこうあるべき、

みたいな人生を歩めるだろう。

人は彼を見て、これこそ幸福と思い、

中には羨む人もいるかもしれない。

 

だけど、それが何なんだ?

うすっぺらいペラペラな人生。

彼の胸にはぽっかりと大きな穴が開いていた。

 

起業サークルに通って学べば学ぶほど、

その穴はどんどん大きくなっていった。

それは怖ろしいことだった。

この先、何十年も続く人生を

いったいどうやって生きていけばいいのか

見当がつかなかった。

 

マイケルのサイトに出会ったのはちょうどそんな時だった。

特に恐竜が大好きというわけでもなかったが、

彼のサイトを目にするうち、

からからに乾いた心が潤い、

みるみる小さなオアシスが育っていく。

 

しだいに心の中に夢が芽生えた。

自分の故郷で、現代の恐竜伝説を創る。

それによって旅行客を呼び寄せ、新たな観光名所にする。

 

おれみたいな人間が、どうしてそんな荒唐無稽な話、

幼稚な妄想をマジになって考えているんだ? 

最初のうち、自分が自分を信じられなかった。

しかし、これはただの夢物語ではない。

なぜなら根拠がゼロではないからだ。

                    つづく

 


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甲州街道・勝沼宿は葡萄酒の里

 

ワインというよりも「葡萄酒」という日本語の呼び名が

しっくりくる丸藤(まるふじ)葡萄酒工業株式会社。

昨日はそのワイナリーの見学ツアーに参加した。

 

ツアーと言っても、オフシーズンなので参加者は

僕と20代後半と思しきカップルの3人だけ。

静かな分、じっくりゆっくり貯蔵庫なども見学でき、

ガイドの女性の説明もていねいで、とても面白かった。

通常30分弱だが、僕がその場でいろいろ質問するので、

小一時間掛けて応じてくれた。

同行のカップルさんには少々予定を狂わせてしまったかも。

 

小規模なワイナリーだが、同社は明治36年創業で、

ここ山梨県・勝沼ぶどう郷の中でも指折りの老舗。

ショップなどは数年前に建て替えられたものだが、

創業当時の面影を再現したレトロモダンなつくりで、

いろいろなワインを見ながら、優雅な気分に浸れる。

 

もともとこの勝沼のあたりはブドウやモモの名産地で、

「勝沼や馬子も葡萄を食いながら」という

松尾芭蕉の俳句も残されているほど、

江戸時代から日本有数の果物の生産地だった。

 

政府の役人や地域の名士たちが

そこに目を付け、豊富で良質な甲州ブドウを使って

フランスなどヨーロッパに負けない

ワインを作ろうということになり。

地域を挙げてのワインづくりが始まった。

そんなガイドさんの話を聞いていると、

130年前の明治日本の

国を挙げた産業勃興の気概が伝わってくる。

 

国造りの大転換期だった明治は、

国家的スケールで新しい産業を起こすことに

エネルギーを注いでいたのだ。

 

甲州街道の宿場町があった歴史ある勝沼市は

塩山市などと合併して現在、甲州市に。

甲州市は山梨県でも一番の

ブドウ生産地・ワイン生産地で、

市内には45のワイナリーがあるそうだ。

その多くで見学・試飲もでき、

シーズンには大勢の人が参加する。

 

丸藤は見学料200円だが、その料金で試飲もできる。

3種のワインを少しずつ飲んでみて、どれもおいしかった。

 

このあたりは無数のブドウ畑だらけ・丘だらけなので、

効率よく回るには車がいい。

車なら首都圏からささっと行けるのも魅力だが、

ワインの試飲をするなら、運転する人は飲めない。

 

アルコールに弱い僕などは試飲だけで

30分くらいいい気分にあんってフラフラしていた。

良いワインは酔い心地もいい。

 

てなわけで電車でもすぐ

(JR中央線の「勝沼ぶどう郷」)なので、

宿場町の面影を残す旧甲州街道や

ワイナリーエリアを1日かけてぶらぶら歩いて、

帰りはタクシーで、というのが一番。

シーズンになれば、

ブドウ狩りやワイナリー見学の

バスやバスツアーもいっぱい出ているようだ。

 


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週末の懐メロ169:ロケットマン/エルトン・ジョン

 

1972年リリースのエルトン・ジョンの楽曲のために

イラン出身の映像作家マシッド・アディンが

アニメーションのミュージックビデオを製作。

半世紀前の懐メロの傑作にみずみずしい息吹を吹き込んだ。

 

エルトン・ジョンは1970年代から活躍してきた

指折りのロックスター。

「ユア・ソング(君の歌は僕の歌)」

「グッバイ・イエローブリックロード」などの

世代を超えた大ヒット曲、

そして、1997年に交通事故死した

プリンセス・ダイアナを追悼した

「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」は、

誰でも一度は耳にしたとがあるだろう。

 

「ロケットマン」も

全英シングルヒットチャート2位、

米ビルボード6位を記録したヒット曲ではあるが、

日本ではあまり知られていない。

 

この曲は長年、エルトン・ジョンとのコンビで

作詞を担当してきたバーニー・トーピンが

SF作家 レイ・ブラッドベリの

短編小説「The Rocket Man」(1951年)に

インスパイアされて生まれた曲と言われている。

 

描かれるのは、人類の新たな開拓地となった

火星に向けて一人で旅立った宇宙飛行士の男が

家族を思う心情。

 

♪火星は子供を育てられるところじゃない

ひどく寒くて そんなことは考えられない

科学のことをよく知っているわけじゃないが

これが僕の仕事 週に5日の仕事

僕はロケット・マン

たった一人、宇宙でいつか燃え尽きてしまう

 

1960年代の終わりから70年代前半にかけては

アメリカのアポロ計画が成功し、

宇宙開発に人々の意識が向けられた時代だ。

ロックの世界でもミュージシャンたちが

宇宙・宇宙旅行・異星人とのコンタクトや

異性の文化との交流などをテーマにした楽曲を

数多く作っていた。

 

この曲もそうしたムーブメントに

影響されたものの一つと取れるが、

片や、家庭を顧みることなく

ひたすら労働することで人生をすり減らしていく

産業戦士の孤独と悲哀を想起させる歌にもなっている。

 

それはエルトン・ジョン自身の

現実の人生にも言えることなのかもしれない。

 

半年前、昨年(2023年)7月に

最後のワールドツアーを終えた彼は、

今後、公演活動から引退すると宣言した。

今年76歳。

同世代のスターミュージシャンたちが

次々とこの世を去っていく昨今、

理由は当然、高齢による健康上の問題かと思いきや、

音楽活動よりも家族との時間を優先させたいからだという。

 

ゲイのエルトン・ジョンは2014年に同性と結婚。

現在、代理母出産によって授かった二人の男の子の

子育てに従事しているという。

70歳を超えて母性に目覚めたのか?

元気な2人の少年の相手をするには

体力的に厳しいとは思うけど。

 

火星での長い任務を終えた「ロケットマン」が

やっと地球に還って来て、新しい人生を歩み出す。

そんなイメージを抱かせる決断。

エルトン・ジョンのセカンドライフのスタートは、

1972年には思いもかけなかった、

ライフスタイルの変化と、

テクノロジーの恩恵に満ちた、

21世紀型の新しい生き方と言えるのかもしれない。

 

そして、70年代前半に盛り上がった

宇宙開発のムーブメントは、

半世紀の時を超えて、ふたたび大きくうねり始めている。

 

一般人が宇宙旅行に出かけたり、

新たな資源の採掘など、

宇宙ビジネスが話題になることも増えてきた。

2024年、人々の意識はまた宇宙に向かっていく予感がする。

現実的な「ロケットマン」の世界は、

じつはこれから始まるのかも知れない。

 

★ケイト・ブッシュ版(1991)

 

なお、この曲が大好きだというケイト・ブッシュが

1991年にリリースしたカヴァーをリリース。

 

「呼吸」「ビッグスカイ」

「こんにちは地球」「ロケットテイル」など、

地球・宇宙をテーマにした自作の楽曲も多い彼女が、

オリジナルをリスペクトしながらも

独自のアレンジで、レゲエ風のリズムや

他の民俗音楽のエッセンスを取り入れた味付けで

超絶すばらしい傑作に仕上げている。

 

ミュージックビデオの出来も最高レベルで、

必聴・必見の音楽コンテンツになっている。

 


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郷竜小説「6600万年前の夢を見て死ね」パート1-2

 

辰年ということで郷竜(きょうりゅう)小説スタート。

随時連載。

 

★パート1.マイケル・オーネストの遺言 その2

 

自称・スコットランド観光大使の還暦バックパッカー

マイケル・オーネストは、

スコッチウィスキーではなく、

日本のグレープフルーツサワーを飲みながら

椎名一彦相手に新宿の居酒屋でくだをまく。

 

「とにかくネス湖を世界遺産にしたいんだ」

彼は故郷に帰ったら、その運動に携わるという。

 

インヴァネスという

ネス湖観光の拠点として知られる街が彼の故郷だ。

街の中にはネス川という川が流れている。

彼はその流れを眺めて育ち、

夕日に照らし出された

川の景色の美しさを何度も語って聞かせた。

 

ついでにベッド・アンド・ブレックファーストを

経営していた家の娘との初恋のことも。

 

「アマンダは可愛かった。

白いエプロンがよく似合ってね。

ベーコンと目玉焼きを作るのが得意だったんだ。

 

そんなの、誰にだってできると思うだろ。

だけど、目玉焼きをきれいに

程よい加減で焼くのは思ったより難しい。

お皿に移す時に

黄身を崩さないようにするのにコツがいるんだ。

かといって黄身を固くしてしまったらおいしくない」

 

そんな話をしているときに、

つまみに頼んだベーコンポテトが出てきた。

マイケルは「オー!」と声を上げて

好物に飛びつき、初恋の話は

それであっけなくフェードアウトした。

 

一彦はインヴァネスの

ベッド・アンド・ブレックファーストで

白いエプロンを着た金髪の娘に給仕され、

ベーコンエッグの朝食を食べている自分の姿を想像した。

 

窓越しに鳥の声、そして川のせせらぎが聞こえてくる。

その川、ネス川はネス湖に流れ込んでいる。

それはまた、マイケルのイメージの中では

スコットランド独立というヴィジョンにも

繋がる流れでもあった。

 

「必ず実現してみせるよ」

彼の人生には二つの目標があるという。

ネス湖の世界遺産登録。

スコットランドの独立。

その二つがどこでどうつながるのか、よくわからない。

 

ところが彼はその疑問に対する答えも

ちゃんと用意しているのだ。

「ネス湖は有名ではあるが、どこの国にあるのか、

ちゃんと知らない人が世界には圧倒的に多い。

スコットランドは今、君たち日本人が言うイギリス、

すなわち、グレートブリテン、

またの名をユナイテッド・キングダム、

の一地域ということになっている。

けれどもネス湖はイギリスにある湖、

とは誰も言わないだろ?」

 

そう言われてみればそうかなと一彦は思った。

たしかにビッグベンやウェストミンスター寺院、

あるいはストーンヘンジやシェイクスピアの村、

ピーターラビットの村と同じように

ネス湖を「イギリスの名所」

だと思っている人は少ない気がする。

 

多くの日本人にとってスコットランドのイメージは

何といってもネス湖。

あとは古都エジンバラ(こちらの街並みは世界遺産)とか、

タータンチェックにバグパイプといったところか。

 

「だから僕はこの二つをできるだけ

同時期に実現することに意義があると思っている」

 

マイケル・オーネストは自分のサイト

「マイケルのローストネッシーがうまいケル」で

ネッシーの話題を提供している。

 

一彦はそれを見つけて彼と友だちになったのだ。

日本語版は奥さんが翻訳をやっていたが、

どうやらその表現のしかたを巡って

ケンカになったことが離婚の原因だったようだ。

男の夢は離婚も辞さない。

それくらいマイケルは

ネス湖とネッシーについて本気だった。

 

その熱意に一彦は心動かされた。

東京でサラリーマンをやっていた

彼の脳裏に故郷の奈々湖の景色、

そして幼い頃に一度だけ見た

あの怪物の姿がよみがえった。

 

ほんの一瞬だけ、目の当たりにした

天に向かって伸びる長い首。

あれはたしかに太古の恐竜だった。

6600万年前に絶滅した、

かつてこの地球を支配していた巨大生物。

 

妄想にかられた彼の耳にはその咆哮さえも轟いた。

何度かマイケルと会って話を聞くうち、

一彦の心はしだいに固まっていった。

 

いま務めている会社を辞め、

故郷に戻って観光事業をやる。

その夜――彼はその決意を

マイケルに打ち明けた。

 

彼は一瞬、大きく目を見開き、

「オー!」と声を上げて両手を広げ、

やたらと芝居掛かったリアクションをした。

そして一彦の肩をがっちりとつかみ、

「マイフレンド」と感嘆のセリフを漏らした。

目には涙さえあふれ、ツーと頬を伝った。

シェイクスピアの芝居でこういう人物がいたかもしれない。

 

「それならば君も言うべきだ。ナナコを見て死ね、と」

人生は短い。

僕たちはこの世界のほんのわずかな部分しか、

見ることも触れることもできない。

だから人々に問うべきなのだ。

あなたにとって大切なものは何か?

自分に正直になってそれを確かめなさい。

そして明日死ぬ前に

それをしっかり見ておきなさい、と。

 

そう言い残して、

マイケル・オーネストはイギリスに、

いや、スコットランドに旅立って行った。

 


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郷竜小説「6600万年前の夢を見て死ね」1-1

 

辰年ということで郷竜(きょうりゅう)小説スタート。

随時連載します。

 

★パート1.マイケル・オーネストの遺言

 

「ネス湖を見て死ね」

 

マイケル・オーネストはそう言った。

まだ見たことはないが、

椎名一彦は霧に包まれたネス湖を頭に思い浮かべた。

 

同時に頭の半分には明るい太陽の光に照らされた

奈々湖の風景が浮かび上がった。

神秘性、何か出そうな雰囲気という点では

まったく比較にならない。

奈々湖はあまりにも長閑で緊張感に欠けている。

 

けれども確信しなくてはならない。

ネス湖にネッシーがいるように、

おれの故郷の奈々湖にだって〈ナッシー〉がいるのだ、と。

 

マイケル・オーネストは

スコットランドの観光大使を自称している。

あくまで“自称”だ。

実際はただのバックパッカーに過ぎない。

 

若い頃からバックパックを背負って

世界をほっつき歩いてきたが、

60歳になった今、祖国に帰ると言う。

 

日本が気に入って住みつき、12年暮らした。

結婚もしていたが奥さんとは昨年離婚したという。

彼が言うには奥さんはかなりエキセントリックな性格で、

とてもいっしょに暮らしていけなかったと言っている。

 

そういう本人も相当エキセントリックだが。

いずれにしてもそんなわけで本人曰く、

「日本はの長い世界漫遊の最後の地になる“かもしれない”」

 

「“かもしれない”って、

また帰ってくるかもしれないってこと?」

そう一彦が聞くと、

「未来のことは誰にも分らないからね」

マイケルは答える。

「だけど自分自身のことでしょう」

 

二人が飲んでいる新宿三丁目の居酒屋〈下町伯爵〉には

1960年代から70年代のポップスや映画音楽が流れている。

 

「自分のことだってわからない。

今の自分と未来の自分は違うから」

 

そう言ってマイケルは自分の頭を指さした。

 

「この脳は三日後には違う脳になってるよ」

 

笑って大好物のグレープフルーツサワーを

グイッとあおった。

スコットランドの観光大使を名乗っている割に、

スコッチウィスキーを飲んでいるところは見たことがない。

 

つづく


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杉並ラプトル・オオタカ物語

 

お正月も終わったが、

今年は元旦に川沿いを散歩していたら、

杉の木のてっぺんでオオタカが雄姿を晒していて、

こいつは縁起がいいと思わず拝んでしまった。

オオタカのお正月スペシャルサービス?

 

おかげで初夢も見た。

仕事仲間とタクシーに乗って

銀座や原宿に行くという

わけのわからない夢だったが、

まぁ悪い夢ではない。

もしかして今年は仕事が忙しくなって

がっぽり儲かる夢--と解釈できなくもない。

どうせ意味などわからないので、

いいようにとっておこうと思う。

 

それにしても縁起の良い初夢が、

どうして1富士、2鷹、3茄子なのか?

諸説あるようだが、有力なのは徳川家康がらみの説。

家康は三河(愛知県)の生まれだが、

江戸に幕府を開くまで長い間、

拠点にしたのは駿河の国(静岡県)。

 

静岡の名物と言えば富士山。

一番高いのは富士山だが、

次に高いのは空飛ぶ鷹、三番目は初茄子の値段。

というシャレの世界。

 

また、富士山の国で暮らしていた家康が

鷹狩りが好き、茄子も好物という説もあり、

鷹は獲物をつかみ取る。

家康のように天下をつかみ取ろう、

学芸でも商売でもその世界のトップになろうと

願をかける意味合いがあったらしい。

 

うちの近所のこの川沿いの杉の木に

オオタカが住み着くようになって

もう5、6年の年月が経つ。

 

昨年はクマやイノシシなど、

元来、山に住む動物たちが街に出てきて

人間に危害を加える事例が頻発し大問題になったが、

いま動物たちは長年の経験で

人間に慣れて恐れを抱かなくなり、

人間の生活圏に侵入することに

抵抗を感じなくなってきたようだ。

 

「人間はこわくない」

「人間が住んでいる場所にはうまいものがある」

「だいじょうぶ、いける、いける」

 

個体ごとに経験則を学ぶのか、

それとも世代間で情報が受け継がれるのか

わからないが、だんだんそういうことが

山の動物の間で常識として

広がってきているのかもしれない。

だとすれば人間が暮らし方を変えるか、

動物との付き合い方を変えなくてはいけない。

どうやらそういう時代になってきたようだ。

 

さて、わが杉並区のオオタカもまたしかりで、

住み着き始めた当初は、人目を警戒して

常に高い木のてっぺんあたりからめったに下りず、

天空の生活圏から出てこようとしなかった。

 

近所のカメラマンの人たちはそれこそ

野生動物専門のプロカメラマンのように

一瞬でもその姿を捕らえようと、

毎日木の下をウロウロしながら

朝から日暮れまで何時間も張っていたが、

幾たびも子育てを重ねるうちに、

だんだんオオタカたちは大胆に姿をさらすようになった。

 

人間は遠目で見ているだけで、近づいてこないし、

ましてや捕まることなんてありえない。

そうしたことをしっかり学習したようで、

低木に、時には地面に降りて餌を食うようになった。

もちろん、バシャバシャ写真撮りまくりである。

 

また、割と低空飛行でゆうゆうと飛ぶところ、

「ほーら、見てごらん」とでも言いたげに、

川を横断して人目に付く木の枝に止まり、

モデルのごとくポーズを取るといった行為も

見せるようになった。

翼を広げたオオタカはやっぱりカッコいい。

 

びっくりしたのは昨年秋。

11月ごろのことだったので、

まだ2カ月ほど前である。

 

夕方近く、義母と散歩中に

カルガモがひどくざわつく声が聞こえるので

なんだろうと川を見たとたん、

オオタカがシャーっと舞い降りてきて

一羽のカルガモを足でムンズとつかみ、

あっという間に連れ去った。

わずか3秒くらいの出来事だった。

 

身体は小柄だったが、

ヒナではなくおとなのカモである。

このあたりのオオタカは

ハトやムクドリを常食としているが、

何が起こったのか?

 

あの時は常駐のカメラマンたちも大騒ぎで、

聞いてみたらカモを襲ったのなんて

初めて見たとのこと。

まさにラプトル(猛禽)!

 

もともと飼いならされて鷹狩りに

使われていたぐらいだから、

人間と相性がいいのだと思うが、

人慣れしてきたオオタカは今年は

どんな暮らしを見せてくれるのか、楽しみである。

まあ、クマ、イノシシ、サルなどと違って

安心して見ていられるから

こんなのんきなことが言えるのだけど。

 


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週末の懐メロ168:今日突然に/カーヴド・エア

 

ヒッピーとベトナム戦争をテーマにつくられ、

1960年代後半に世界の若者たちの心を揺るがせた

ブロードウェイミュージカル「ヘアー」。

ソーニャ・クリスティーナは、

そのロンドンバージョンのオリジナルキャストだった。

 

彼女をリードヴォーカルに迎えて

1970年にデビューしたカーヴド・エア。

「今日突然に」は彼らのデビューアルバム

「エア・コンディショニング」のトップナンバーで、

シングルヒットも記録した。

 

「プログレッシブバンド」として紹介されることが多いが、

日本での知名度は低く、

かなりマニアックなファンでなければ知らなかったと思う。

僕も1975年発表のライブアルバムを

20歳ごろ中古レコード屋で見つけて

それを聴いていただけだったので、

名前は知っていたものの印象は薄かった。

 

しかし今回「エア・コンディショニング」をはじめ、

主なアルバムを聴いてみて、

他のプログレッシブロックバンドとは一味も二味も違う

魅力を持ったバンドであることを再発見した。

 

「曲った空気」というバンド名、

女性ヴォーカルとバイオリンをフィーチャーした編成、

曲作りも演奏表現も独特の面白さにあふれている。

 

人気がイマイチだったのは、

イエスやクリムゾン、フロイド、ジェネシス,ELPなど、

プログレビッグネームのような

圧倒的な世界観が築けなかったからか。

でも、その分、楽曲はバリエーションに富んでいるし、

聴きごたえのある曲も多い。

 

また、このバンドは、オリジナルメンバーではないが、

ロキシーミュージックやU.K.で活躍した

バイオリニスト&キーボーディストのエディ・ジョブソン、

ポリスを結成したドラムのスチュワート・コープランドが

在籍していたことでも「知る人ぞ知る」存在になっている。

 

この「今日突然に」は前半、アグレッシブな演奏の

とんがったなロックナンバーから中盤で急に転調し、

後半はスローで優美な、

まるで別の曲に変わってしまうという構成。

よく知られるところでは、

デレク・アンド・ドミノス(エリック・クラプトン)の

「レイラ」や、

カルメン・マキ&OZの「私は風」みたいな。

 

この時代にはこういう複数曲のカップリングみたいなのが

普通で、僕も当時はヘンなのと思っていたが、

いま聴くとこのメドレーみたいな急転調がやみつきになる。

 

まさしく20世紀再発見だったカーヴド・エア。

興味があれば、この曲が入っている

「エア・コンディショニング」

(タイトルもジャケットも実にユニーク!)、

そして、1975年のライブアルバムの

2枚だけでいいので聴いてみてほしい。

 


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魔女っ子カーチャン

 

3が日があけて義母は今日からデイサービス。

カミさんと二人で初詣に行く。

お日柄もよく、杉並大宮八幡宮はほどよい人出。

被災地のことも忘れずお祈りして、

ついでに幸福カエル石も撫でてきた。

 

義母は、以前は僕が連れていくと

しぶしぶお参りするという感じだったが、

どうも神社とかお寺の類が苦手なようなので、

時間があっても最近は連れて行かないことにしている。

おみくじを引いたり、

お守りを買ったりするようなことは絶対しないし、

星占いみたいなものさえ嫌がる。

興味がないのではなく“嫌がる”のである。

 

結構その拒否反応が気になって

どうしてだろうとカミさんに聞いてみたところ、

興味深い話を聞いた。

 

彼女の母、つまりカミさんのばあちゃんが

霊能力者みたいな人だったらしく、

「あなたの家の前で私の足が止まりました」とか言って

見知らぬ坊さんがいきなり訪ねてきたりとか、

そのスピリチュアルな能力を子どものころに

目の当たりにしたようだ。

それで「見えない力」に対して

恐怖を抱くようになったのではないか、

というのがカミさんの推測である。

 

さらに母親だけでなく、

自分の中に同じ能力があることを察知して

みずからそれを封印したのではないかという。

なんだか自分の魔力に恐れをなして引きこもってしまった

「アナ雪」のエルサみたいである。

 

ちなみにカミさんも子供の頃、

霊視・予言みたいなことを

しばしば口にすることがあったらしいが、

その手のことを言うと

「絶対口にするな!」と激しく怒られるので、

スピリチュアル方面のことには

口を閉ざすようになったという。

 

カミさんが聞いた祖母の霊能力(?)の話はほんの一部で、

おそらく義母は絶対口にしない、かなりすごい現象、

もしかしたらヤバイ現象を実際に体験したのかもしれない。

 

いろいろ直観が働いたり、

見えないお友だちと対話したりするのは、

認知症で通常の認知能力失われた分、

それを補うために潜在的なスピリチュアル方面の力が

働くようになったのだろうと思っていた。

 

しかし、もともとそっち方面の能力を

かなり豊富に持っている人で、

それが今になって開花したのかもしれない。

 

僕のような霊感ゼロ人間は、

スゲーと思って尊敬してしまうが、

あったらあったで本人はたいへんそうだ。

もしかしたら子供の頃の体験は、

祖母の能力を使って金もうけをたくらむ人が

近づいてきて嫌なトラブルがあったとか、

そうした類のことなのかもしれない。

 

身近なところにも神秘が溢れている。

いずれにしても、見えない家族・見えない友だちが

死ぬまで義母を守ってくれればいいと思う。

 

 


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おすすめ動画:かさこさんの「2024年を生き抜く秘訣」

 

元旦夜に起業・副業支援のネット発信アドバイザー

かさこさんのオンライン講座

「2024年を生き抜く秘訣」を聞いた。

僕はライブで参加したが、

これ、録画した無料動画で聞けるので、

年初、今年はどうやって自分のビジネスを進めていくか、

心構えを作りたい人には超おすすめです。

妙にテンションあげることなく、

楽に安心して聴けるところがポイント。

 

いきなりネタバレだけど、

冒頭の「2024年は変化の年➡ウソです!」が

この講座の全体像を言い表している。

まさしく!

 

僕がフリーライターとして仕事を始めた90年代初期の頃から

企業の偉い人たちはみんな口を揃えて、

「変化だ」「チェンジだ」「変わろう」と言ってた。

 

「今年は変化の年です」

「激動の年です」

「大変革の年です」といった類の言説は、

「新年あけましておめでとうございます」という挨拶と

何ら変わらない。

 

もう30年以上、変化だ、変化だ、とみんな、

自分を他人を鼓舞するのが

日本のビジネス界の習慣になっている。

その割に多くの日本人のマインドも

昭和から続く企業のマインドもあんまり変わらない。

テクノロジーが進化しているから、

それに合わせてしかたなく変えているだけといった印象。

やっぱり変えるのは面倒だからね。、

 

新年というと「今年は変わるぞ!」と、

つい力が入ったり、

浮き足立ったりしてしまうことが多いが、

かさこさんは「毎年が変化の年なんですよ」と、

この時期、テレビやネットで蔓延する

刺激的な言葉や煽り文句に踊らされないようにと、

やんわり警告した上で、とても冷静に、丁寧に、

2024年のビジネスに取り組む姿勢について話していく。

 

主な項目は2023年の振り返りから始まり、

「新年の目標の立て方」

「トレンドの掴み方」

「始めるべきSNS」

「新たな収入源」などの項目別に解説。

 

また、力んだり浮き足立ったりしていると、

ウソ情報・サギ情報にだまされやすい。

いわゆる闇バイトでなくても、

手っ取り早くいっぱい稼げるよーといった

インチキビジネスの話、

投資サギの話には要注意!

 

という点も指摘してくれる。

とてもポジティブな気分になれるので、

興味のある人は下記URLからぜひ聞いてみてください。

 

申し込み受付は1月15日まで。

録画動画は2024年12月31日まで視聴できます。

 


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2024年を少しでも良い年にするために

 

おめでたムードも吹っ飛ぶ、

能登、羽田での2日連続まさかの大災害。

旅客機の乗客・乗員が全員脱出し、

死者がいなかったのは不幸中の幸いだが、

海上保安庁の飛行機の乗員5人が亡くなった。

しかもこの機は石川に支援物資を運ぶところだったという。

なんてこった!

まさかまさかの負の連鎖にショック二乗。

 

お正月を自粛する必要はないと思うけど、

せめてこれ以上、

被害が広がることがないように祈りましょう。

被災地は明日以降、天気が悪く雨や雪。

土砂崩れが起こったり、行方不明の人の救出作業、

避難している人の生活も大変です。

 

三が日、初詣に行く方はぜひ神様にお願いしてください。

そんなことして何の意味がある?と思うと思う。

意味はないよ。でも、何もしないよりはいい。

自分は思いを寄せたという自己満足でいい。

少しでも今年を良い年にするために。

 


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年賀状の話2024

 

新年あけましておめでとうございます。

昨年は喪中だったので年賀状のやりとりを控えたけど、

今年は復活。

 

最近は年賀状じまいとか年賀状卒業という人も増え、

絶滅が危惧される伝統芸能・技術みたいになってきた年賀状、

僕がいだただくのもずいぶん少なくなったが、

その分、ていねいに接することができるようになった。

やっぱりいただくとうれしいもんです。

 

今日もらったなかでいちばんうれしかったのは、

11月の同窓会のとき、

病気で来られなかった元・同級生のもの。

電話で話してかなり心配だったが、

無事回復して12月から働き始めたとのこと。

元旦にこういう知らせを聞くとこちらも元気になる。

 

さすがに新規で年賀状のやりとりを始める気には

ならないけど、

旧知の間柄の人たちとは続けていきたいと思う。

いわば昭和の遺産だね。

 

 

昭和エッセイ集

昭和96年の思い出ピクニック

 

Amazon Kindleより発売中! ¥300

今年は「昭和99年の思い出ピクニック」

発売予定

 


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ありがとう さようなら 2023

 

電子書籍「週末の懐メロ 第4巻」

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無料キャンペーンは本日16:59をもって終了しました。

ご購入いただいた方、ありがとうございます。

本年もおりべまことの本を楽しんでいただけたでしょうか?

よろしければレビューをお寄せください。

 

2023年は10冊の本を出しましたが、

来年もこのペースで行ければと思っています。

とりあえずの予定は3冊のエッセイ集

「昭和99年の思い出ピクニック」

「認知症のお母さんといっしょ」

「週末の懐メロ 第5巻」

そして、今年完成できなかった

長編小説「今はまだ地球がふるさと」です。

2024年も福嶋とおりべをよろしくお願いいたします。

よいお年をお迎えください。

 


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週末の懐メロ167:ジャンプ/ヴァン・ヘイレン

 

天使の小僧がニタッと笑うジャケットの

アルバム「1984」からもう40年。

アメリカンハードロック史上最大のヒット曲

「ジャンプ」を産んだ

ヴァン・ヘイレンの1984は、

もちろん1984年のリリース。

 

発売当初はイギリスの小説家ジョージ・オーウェルの

ディストピアSF小説「1984」が関係しているのでは?

という議論も生まれたが、メンバーは一笑に付した。

 

まぁ、確かに暗い影もないし、

思想的なことを楽曲にするようなバンドでもない。

「ジャンプ」はエドワード・ヴァンヘイレンの

ギターとシンセサイザー二刀流がさく裂する

超カッコいい、エネルギー噴出ナンバーだ。

でもこの「1984」がオーウェルの小説と

何の関係もないところが

逆に時代の変わり目を感じさせる。

 

というのも20世紀後半、

欧米では全体主義国家によって分割統治された

近未来世界の恐怖を描いたこのディストピア小説は

非常に高く評価され、よく読まれており、

ミュージシャンらにも大きな影響を与えていたからだ。

 

デヴィッド・ボウイ『ダイアモンドの犬』(1974年)

トッド・ラングレン『1984年の子供たち』(1974年)

スティーヴィー・ワンダー『ビッグ・ブラザー』(1972年)などは、もろに「1984」をモチーフにした作品として知られている。

 

ちなみに音楽ではないが、

「1Q84」という傑作小説を書いた

村上春樹も言及したことはないが、

やはり「1984」を意識したのだろう。

 

思えば20世紀のロック/ポップミュージックは、

自由を許さず、絶え間ない監視によって人々を抑圧する

1984ディストピア的世界と戦うために

生れ育ったカルチャーであるとも言えるだろう。

 

しかし、ヴァン・ヘイレンが

世界のトップバンドに上り詰めた

1984年頃にはそんなことも忘れられ、

ミュージシャンもリスナーも楽しさを追求することでに

一生懸命になっていた。

 

もちろん、音楽なんだから、

難しいこと抜きに楽しければいい、

テンションが上がればいいのだけど。

あれから40年。

2024年になろうとしている今、

僕たちの世界はどうなっている?

そして、これからどうなっていく?

 

ロシア・ウクライナの戦争が長期化し、

パレスチナ問題が再燃し、

中国・北朝鮮の脅威が迫る2024、

もう一度「1984」を意識したほうがいいかもしれない。

 

ちょっと辛気臭い話をしてしまいましたが、

皆さんが新しい年に向かってジャンプ!できますように。

良いお年を。

 

大みそかまで続行!

電子書籍「週末の懐メロ 第4巻」無料キャンペーン

12月31日(日)16:59まで。お早めに!

 

20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!

ジョニ・ミッチェルやキャロル・キングが21世紀以降、ますます愛される秘密、

ポップミュージックとアングラ演劇の関係、

70年代ディスコと80年代テクノポップの神髄、

ジュリー&ショーケンWヴォーカル最後のGS・PYG、

ケイト・ブッシュ40年の時を超えたワールドリバイバルヒットなど、読みどころたくさん。

 


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年末年始のお休みに楽しい音楽のお話をどうぞ。

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ケイト・ブッシュ40年の時を超えた

ワールドリバイバルヒットなど、

読みどころ満載の音楽エッセイ集。

85~115まで 全31編 載録

 

もくじ

85 ラジオスターの悲劇/バグルス 【1979】

86 リトル・グリーン/ジョニ・ミッチェル 【1971】

87 東風/YMO(イエローマジック・オーケストラ) 【1979】

88 恋はみずいろ/ヴィッキー・レアンドロス 【1967】

89 夏星の国/ジ・エニド 【1976】

90 神秘の丘/ケイト・ブッシュ 【1985】

91 七月の朝/ユーライア・ヒープ 【1971】

92 ジェニーはご機嫌ななめ/ジューシィ・フルーツ【1980】

93 スイム/パパズ・カルチャー 【1993】

94 おしゃべり魔女/トムトム・クラブ 【1981】

 

95 オー・マイ・マイ/リンゴ・スター 【1973】

96 レット・イット・ビー/上々颱風 【1969】

97 恋のナイトフィーバー/ビー・ジーズ 【1977】

98 アイ・キャント・ハヴ・ユー/ イヴォンヌ・エリマン 【1977】

99 ヴィクトリア/キンクス 【1969】

100 ザ・ローズ/ベット・ミドラー 【1979】

101 ザ・ビッグシップ/ブライアン・イーノ 【1975】

102 去りゆく恋人/キャロル・キング 【1971】

103 自由に歩いて愛して/PYG(ピッグ)【1971】

104 ロコモーション/ゴールデン・ハーフ 【1962】

105 剣を棄てろ/ウィッシュボーン・アッシュ 【1972】

106 悲しき天使/メリー・ホプキン 【1968】

107 落葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド 【1973】

108 ホワッツ・アップ/4ノンブロンズ 【1992】

109 アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット/ホール&オーツ 【1982】

110 命あるものは樹から落ちた/坪田直子 【1976】

111 レット・イット・ゴー/ピアノ・ガイズ 【2013】

112 ウォーキング・イン・ジ・エア/オーロラ 【1982】

113 戦場のメリークリスマス/坂本龍一 【1983】

114 ラスト・クリスマス/ベス 【1984】

115 ザ・ウェイト/ザ・バンド 【1968】

 


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電子書籍新刊:音楽エッセイ集

週末の懐メロ 第4巻

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本日12月28日(木)17時から

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年末年始のお休みに20世紀ポップミュージックの

楽しい懐メロ逸話をどうぞ。

ジョニ・ミッチェルやキャロル・キングが21世紀以降、

ますます愛される秘密、

ポップミュージックとアングラ演劇の関係、

70年代ディスコと80年代テクノポップの神髄、

ケイト・ブッシュ40年の時を超えた世界的リバイバルヒット

など、読みどころ満載の音楽エッセイ集。

 

もくじ

85 ラジオスターの悲劇/バグルス 【1979】

86 リトル・グリーン/ジョニ・ミッチェル 【1971】

87 東風/YMO(イエローマジック・オーケストラ) 【1979】

88 恋はみずいろ/ヴィッキー・レアンドロス 【1967】

89 夏星の国/ジ・エニド 【1976】

90 神秘の丘/ケイト・ブッシュ 【1985】

91 七月の朝/ユーライア・ヒープ 【1971】

92 ジェニーはご機嫌ななめ/ジューシィ・フルーツ 【1980】

93 スイム/パパズ・カルチャー 【1993】

94 おしゃべり魔女/トムトム・クラブ 【1981】

95 オー・マイ・マイ/リンゴ・スター 【1973】

96 レット・イット・ビー/上々颱風 【1969】

97 恋のナイトフィーバー/ビー・ジーズ 【1977】

98 アイ・キャント・ハヴ・ユー/ イヴォンヌ・エリマン 【1977】

99 ヴィクトリア/キンクス 【1969】

100 ザ・ローズ/ベット・ミドラー 【1979】

101 ザ・ビッグシップ/ブライアン・イーノ 【1975】

102 去りゆく恋人/キャロル・キング 【1971】

103 自由に歩いて愛して/PYG(ピッグ)【1971】

104 ロコモーション/ゴールデン・ハーフ 【1962】

105 剣を棄てろ/ウィッシュボーン・アッシュ 【1972】

106 悲しき天使/メリー・ホプキン 【1968】

107 落葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド 【1973】

108 ホワッツ・アップ/4ノンブロンズ 【1992】

109 アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット/ホール&オーツ 【1982】

110 命あるものは樹から落ちた/坪田直子 【1976】

111 レット・イット・ゴー/ピアノ・ガイズ 【2013】

112 ウォーキング・イン・ジ・エア/オーロラ 【1982】

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全31編 載録


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おりべまこと2023年最後の電子書籍 「週末の懐メロ 第4巻」本日発売!

 

明日12月28日(木)17時~31日(日)16:59まで

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ポップミュージックとアングラ演劇の関係、

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ジュリー&ショーケン Wヴォーカルの最後のGS、

ケイト・ブッシュ 40年の年月を超えた

ワールドリバイバルヒットなど、

 

読みどころたくさんの音楽エッセイ集。

 

もくじ

85 ラジオスターの悲劇/バグルス 【1979】

86 リトル・グリーン/ジョニ・ミッチェル 【1971】

87 東風/YMO(イエローマジック・オーケストラ) 【1979】

88 恋はみずいろ/ヴィッキー・レアンドロス 【1967】

89 夏星の国/ジ・エニド 【1976】

90 神秘の丘/ケイト・ブッシュ 【1985】

91 七月の朝/ユーライア・ヒープ 【1971】

92 ジェニーはご機嫌ななめ/ジューシィ・フルーツ【1980】

93 スイム/パパズ・カルチャー 【1993】

94 おしゃべり魔女/トムトム・クラブ 【1981】

95 オー・マイ・マイ/リンゴ・スター 【1973】

96 レット・イット・ビー/上々颱風 【1969】

97 恋のナイトフィーバー/ビー・ジーズ 【1977】

98 アイキャント・ハヴ・ユー/イヴォンヌ・エリマン【1977】

99 ヴィクトリア/キンクス 【1969】

100 ザ・ローズ/ベット・ミドラー 【1979】

101 ザ・ビッグシップ/ブライアン・イーノ 【1975】

102 去りゆく恋人/キャロル・キング 【1971】

103 自由に歩いて愛して/PYG(ピッグ)【1971】

104 ロコモーション/ゴールデン・ハーフ 【1962】

105 剣を棄てろ/ウィッシュボーン・アッシュ 【1972】

106 悲しき天使/メリー・ホプキン 【1968】

107 落葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド 【1973】

108 ホワッツ・アップ/4ノンブロンズ 【1992】

109 アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット/ホール&オーツ 【1982】

110 命あるものは樹から落ちた/坪田直子 【1976】

111 レット・イット・ゴー/ピアノ・ガイズ 【2013】

112 ウォーキング・イン・ジ・エア/オーロラ 【1982】

113 戦場のメリークリスマス/坂本龍一 【1983】

114 ラスト・クリスマス/ベス 【1984】

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全31編 載録

 


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電子書籍新刊予告 「週末の懐メロ 第4巻」

 

今年最後の新刊 音楽エッセイ集 12月27日(水)発売

20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!

 

もくじ

85 ラジオスターの悲劇/バグルス 【1979】

86 リトル・グリーン/ジョニ・ミッチェル 【1971】

87 東風/YMO(イエローマジックオーケストラ)【1979】

88 恋はみずいろ/ヴィッキー・レアンドロス 【1967】

89 夏星の国/ジ・エニド 【1976】

90 神秘の丘/ケイト・ブッシュ 【1985】

91 七月の朝/ユーライア・ヒープ 【1971】

92 ジェニーはご機嫌ななめ/ジューシィ・フルーツ【1980】

93 スイム/パパズ・カルチャー 【1993】

94 おしゃべり魔女/トムトム・クラブ 【1981】

95 オー・マイ・マイ/リンゴ・スター 【1973】

96 レット・イット・ビー/上々颱風 【1969】

97 恋のナイトフィーバー/ビー・ジーズ 【1977】

98 アイ・キャント・ハヴ・ユー/イヴォンヌ・エリマン【1977】

99 ヴィクトリア/キンクス 【1969】

100 ザ・ローズ/ベット・ミドラー 【1979】

101 ザ・ビッグシップ/ブライアン・イーノ 【1975】

102 去りゆく恋人/キャロル・キング 【1971】

103 自由に歩いて愛して/PYG(ピッグ)【1971】

104 ロコモーション/ゴールデン・ハーフ 【1962】

105 剣を棄てろ/ウィッシュボーン・アッシュ 【1972】

106 悲しき天使/メリー・ホプキン 【1968】

107 落葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド 【1973】

108 ホワッツ・アップ/4ノンブロンズ 【1992】

109 アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット/ホール&オーツ 【1982】

110 命あるものは樹から落ちた/坪田直子 【1976】

111 レット・イット・ゴー/ピアノ・ガイズ 【2013】

112 ウォーキング・イン・ジ・エア/オーロラ 【1982】

113 戦場のメリークリスマス/坂本龍一 【1983】

114 ラスト・クリスマス/ベス 【1984】

115 ザ・ウェイト/ザ・バンド 【1968】

全31編 載録


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週末の懐メロ166:天使のささやき/スリー・ディグリーズ

 

1974年の世界的大ヒット曲はクリスマスにぴったり。

おなじみ、この時代の日本のレコード会社の邦題マジックで

「When Will I See You Again:

いつまたあなたに会えるかしら」が

「天使のささやき」になっちゃった。

 

女性は天使。みんな大好き天使ちゃん。

たしかに冒頭の「フーゥ」「ハーアッ」という

メロメロのため息は、天使のささやきに聴こえなくもない。

女性3人組の美しいハーモニーと

ソフトできらびやかなムードは、

この時代、一世を風靡したフィラデルフィア・サウンドの

最高傑作・代表作と謳われた。

 

ただ、意外なことにスリー・ディグリーズは

本国アメリカよりイギリスや日本で評価され、

人気も高かったようだ。

 

日本では1974年の『第3回東京音楽祭』で

この曲を歌って金賞を受賞。

大ブレイクして、テレビ・メディアにも出まくっていた。

 

スリー・ディグリーズといえば、

美しい歌声はもちろんだが、セクシーな衣装も印象的で

僕の脳内では、いつも胸元が大きく開き、

思い切りスリットの入った、

美脚を強調するロングドレスを着て歌っていた覚えがある。

 

しかし、イギリスのBBCのクリスマス番組(1974年)に

出演したこの時は、珍しく3人ともパンツスーツ姿。

クリスマスだから子供も見てる、家族も見てるから

お父さん、鼻の下を伸ばさずに

ちゃんと歌を聴きましょうという配慮だったのか?

 

その真偽は謎だが、

僕はこのパフォーマンスがいちばんお気に入りだ。

セクシードレスの彼女らを見たい方は、

YouTubeにたくさん上がっているので、どうぞ。

 

日本で人気爆発したせいか、

スリー・ディグリーズは白井章生による

日本語詞でもこの曲を歌っていて、これは初めて聴いた。

あくまで天使にこだわり、

原曲とはまったく違う歌詞にして、

ばっちり「天使のささやき」というワードを

入れ込んだのはさすが。

ちょっと色っぽく

天使が飛び交う聖夜を彩ってくれるかも。

 

日本語バージョンはこちら

 

おりべまこと2023年最後の電子書籍

「週末の懐メロ 第4巻」

12月26日(火)発売予定!

ローズ/ベット・ミドラー

ウォーキング・イン・ジ・エア/オーロラ

戦場のメリークリスマス/坂本龍一

ザ・ウェイト/ザ・バンド

ほか全31編 載録


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イマイチ昭和世界の「ゴジラ-1.0」

 

「シン・ゴジラを超えた」と評価の高い

「ゴジラ-1.0」を見た。

時代設定が太平洋戦争末期から戦後間もない、

80年近く前の日本。

ここまで時間を戻してしまうということは、

ゴジラ映画のリセットを意図しているのか?

前作 庵野監督の「シン・ゴジラ」もそうだったが、

それとは真逆のベクトルのリセットだ。

以下、ネタバレありで。

 

戦争直後の東京の再現ということで

昭和レトロ世界構築の実績を持つ

「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎監督が出陣。

街の風景・環境の作り込みなどはよくできているが、

ストーリーが「ALWAYS」と違って、

シリアスでスケールが大きいせいもあり、

この時代の雰囲気づくりにはイマイチ感が漂う。

 

僕が時おり、

古い日本映画を見ているせいもあるのだろうけど、

そもそも俳優さんの顔つき・体つきが、

あの時代を生きていた人と現代を生きる人とでは、

同じ日本人でもずいぶん違うと感じる。

これはもうどうしようもない。

食い物もライフスタイルも80年前とはまったく違うのだから。

そこに難癖をつけるつもりはない。

 

しかし、補完する工夫はもっと必要ではないかと思う。

東京のど真ん中にゴジラが上陸して、

死傷者3万人という大惨事が起こったのに、

日本政府も、当時統治していたGHQも

まったく対策に関与しないのは、

どう考えても解せない。

元軍人たちの民間組織に丸投げするっていう設定は

無理があり過ぎだ。

 

「シン・ゴジラ」では政府の対ゴジラを描いたので、

今回はそれを避けたというのはわかるし、

台詞の中でもなぜ日本政府も米軍も出てこないかの説明は

一応ある。

けれども少しは政府高官なり、GHQの将校なりとの

やりとりのシーンが出てこないと

リアリティ不足は否めない。

 

もう一つ、ストーリーで不服だったのが、

主人公・敷島(神木隆之介)の描き方。

彼はもともと特攻隊員だが、冒頭シーン、

その任務から逃げて修理班のいる島に不時着し、

そこでまだ水爆実験の影響を受ける前のゴジラに遭遇する。

飛行機の機銃でゴジラを撃とうとするができず、

結果、修理班の人たちを見殺しにしてしまう。

 

なぜ敷島は特攻隊の任務から逃げたのか?

なぜ危機的状況でも機銃を撃てなかったのか?

何か重要なトラウマがあるのだろうと思ってみていたが、

どれだけ話が進んでもその説明は一切ない。

なので戦後、典子(浜辺美波)と出逢って

いっしょに暮らし始めてからも

イマイチ彼に感情移入できず、ドラマに深みが出ないのだ。

 

典子は戦災のせいで

自分の子ではない子供を育てることになったという設定。

それ自体は戦後の混乱を表現する要素で良いと思うが、

それだけで深掘りしていないので、

イマイチ設定が生きていない。

現代の日本人への

大事なメッセージを含んでいる気もするだけに

非常にもったいないなと感じる。

 

映像技術だけでなく、人間ドラマの部分も

高く評価されていると聞いていたので

期待していただけに、

こうした人物造形の粗さ・ドラマ作りの甘さが

よけい気になってしまった。

もっと丁寧に描いていたら

すごくクオリティアップしたのになー

と思うと、残念でならない。

 

ただ、僕にとっては欠陥に思えるそうした部分が

この映画をシンプルでわかりやすいものにしているので

アメリカでも受けているのかな、とも思う。

確かにこの脚本は、主人公が

「自分にとっての戦争」を終わらせるという

ゴールに向かって

様々な困難を克服していくという、

ハリウッドの黄金律に忠実なヒーロー物語になっている。

 

それに水爆実験の影響でゴジラが強大化したとか、

放射能を武器とした怪獣である点も

申し訳程度に説明しているだけで、ひどく印象が薄い。

もしやこういうところもアメリカに贖罪意識を抱かせず、

売り込むための忖度?

 

熱線発射の際に背中のヒレが青光りして

順番に立っていくところは、

「シン・エヴァンゲリオン」の

エヴァ2号機ビーストモードだし、

ラストの海中の覚醒シーンは、

1990年の「ゴジラVSキングギドラ」のまんま焼き直し。

そうしたイメージが連なってきて、

どうも原点回帰とか昭和レトロ世界観が伝わってこない。

 

と、ずいぶん難癖をつけてしまったが、

新世代向け、世界向けにリセットしたと考えると、

そのへんのことも

みんな成功要因になっているようにも思える。

 

思えば東宝は10年おきくらいに

ゴジラ映画の製作を諦めたり、

再開させたりを繰り返しているが、

やっぱりやれば客が入り、

一定の興行収入が見込めることを考えると

ゴジラ様を完全に引退させるわけにはいかないらしい。

 

これまでも何度かゴジラ映画限界説がささやかれたが、

そのたびに復活し、

「もう限界だと感じた時点がスタートだ!」を

実践してきた。

次はどんな切り口でゴジラを再生させるのか、

楽しみではある。

 


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「どうする家康」最終回:北川茶々の鮮烈な女性ヒーロー像

 

世間的な評判はあまり芳しくなったようだが、

僕は面白く見れた。

何より歴史の常識に固執せず、

家康を偉人でなく普通の一個人として

描いたところが良かった。

 

天下人に上り詰められたのは、

いわゆる能力・実力以上に人が良かった、

たまたま運がよかった、といったことを

強調したことも面白い。

実力的にははるかに上回っていた

信長・秀吉・信玄などに取って代わることができたのも、

そうした要素が作用している。

だから人間は面白い。

 

松潤家康の老け演技も感心したが、

ドラマ終盤は何と言っても北川景子演じる茶々の独壇場。

前回で娘時代の心情と母親としての感情の間を

揺れ動いたので、

最期はてっきりそうした面を

強調して終わるのかと思ってたら、見事に裏切られた。

 

火の海となった大坂城内で、息子・秀頼をはじめ、

家臣の男たちが全員自害するのを冷静に見届けた後、

最後に言い放ったのは、

もはや女であること・母であることから脱した、

乱世の鬼神のごときセリフ。

まるで伯父の信長、夫の秀吉、父の浅井長政、

さらには武田親子、真田親子などが

すべて乗り移ったようだ。

そして、それはまた400年後の現代の日本人へ向けた

痛烈な批判でもあり、呪いの言葉でもあった。

けれどもそれでいながら最後の最後、

一人の少女に還ってつぶやく今際の一言には泣かされた。

 

脚本もよくできているが、前回と今回、

姫の顔、母の顔、武将の顔、鬼神の顔、

一人の女性の中で次々と変化する感情を演じた

北川景子の演技力・表現力は圧巻。

かつてなかった戦国の女ヒーロー像を見事に造形した。

 

大坂城落城後のエピローグ。

平和になった世の中を続かせるため、

小栗旬の天海と寺島しのぶの春日局が

家康を神格化しようと努めるシーンは面白かったが、

その後の長い回想シーン、

家康の夢みるシーンはひどく冗漫に感じた。

 

政権の周囲にいる人々からは神とあがめられ、

他方、豊臣を支持する民衆には、

天下をかすめ取った妖怪狸とさげすまれ、

深い孤独の中で臨終を迎えた家康は、

まだ最初の妻と息子と家臣たちが生きていた

若き日の夢を見る。

 

やさしい家族、あたたかい笑い、明日へ向かう活力に満ちた

平和な日は家康が望んだ幸福の在り方だ。

けれども風もなく波も立たず、

安心安全でピーカンの日々がえんえんと続いたら、

人はそのありがたみを感じなくなってくる。

当たり前のことだが、幸福の在り方は一概に論じられない。

 

その考えると、冗漫と感じたエピローグは、

茶々の鮮烈な死のシーンと

素晴らしいコントラストをなしており、

このドラマの終わり方としては良いのではないかと思った。

 

一個人としての家康の人生はどうだったのか?

男たちが戦いに明け暮れる中で女性はどう生きたのか?

世の中で成功するためには何が必要なのか?

自分の本当の心を知るすべはあるのか?

平和な環境のなかでより良く生きるためには

どうすればいのか?

 

エンターテインメントであることはもちろんだが、

いろいろな問いかけをしてくれたドラマだったので

1年間本当に楽しめた。

ドラマなので史実がどうこうとか難癖をつけるのでなく、

今を生きる視聴者の心にどれだけ響くかを最優先して

これからも作っていってほしいと思う。

 


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週末の懐メロ165:2ハーツビート・アズ・ワン/U2

 

1983年リリース。サードアルバム『WAR(闘)』に収録。

シングルカットもされてヒットした。

 

U2はこの時期、世界中の社会問題について歌っていたが、

この曲は当時主流だったダンスミュージックを意識した

ストレートなラブソング。

いわばU2流ダンスナンバーといったところ。

 

とある日本の音楽評論家が

「80年代もロックを聴き続けることができたのは

U2がいたからだ」といった趣旨のことを

雑誌だったかライナーノーツに書いていたことを思い出す。

 

確かにロックが本当にロックらしかったのは、

1960年代と70年代で、

80年代以降は音楽ビジネスが膨張し、

多くは売れ線狙いの「商業ロック」になってしまった。

僕たちと同年代、あるいはもっと上の世代は

80年代のロックについて、

そんなちょっとネガティブな認識を持っている人が

多いのではないかと思う。

 

アイルランドからほぼ初めての

メジャーなロックバンドとして脚光を浴びたU2は、

社会に異議を申したてる

反抗的なロックスピリットを楽曲にして

世界中の若者から支持されるようになった。

 

そのテーマは、宗教紛争や反核運動、

アパルトヘイトなどの人権問題、薬物依存症など

多岐にわたってメッセージ性の露わな曲を次々と発表。

チャリティー・イベントにも積極的に参加している。

 

そうした活動によって、皮肉なことに、

他のいわゆる商業ロックバンドを抑え込んで、

最も売れるビッグバンドに成長し、

世界最高峰に上り詰めた。

 

まだ駆け出しだったこの83年当時は

当たり前のことだが4人とも

こんな顔してたっけ?と思うくらい若い。

そしてめちゃめちゃ音がキレまくってて、

パワフルでまるで昇竜のようなイメージだ、

初めて『WAR(闘)』聴いた時の驚きと興奮がよみがえる。

 


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恐竜王国 福井への遠足で「生きる」を養う

 

11月のクラス会のアフターフォロー。

健康事情で来られなかった友だちを訪ねて

昨日は福井へ。

男女混合6人で出かけたが、ほとんど小学生の遠足ノリ。

 

福井県は日本屈指の恐竜遺跡の発掘地。

それが友だちの住む勝山市にあって、

世界的にも有名な恐竜博物館が建っている。

 

他の連中は一泊したので今日行ったはずだが、

僕は用事があってひとりだけ日帰りだったので、

駅前の実物大恐竜模型だけを堪能。

模型とは言え、ビル群をバックに夕暮れの

空へ向かって咆哮する姿はマジ感動。

駅のベンチでラプトル博士がお仲間の骨を研究中だった。

 

ランチを食べてお茶を飲んだだけだったが、

久しぶりに大さわぎして学生時代に

逆流してめっちゃ楽しかった。

そういや45~6年前は、

毎日こんなノリで生きてたわというのを思い出した。

還暦を超えると、なんだか30~50代の頃よりも

10~20代の方が近く感じられるから不思議なものだ。

 

最近、養生という言葉がよくひびく。

おとなしく鎮静しているばかりじゃなく、

こうしてバカのりで笑って

10~20代の脳内環境をよみがえらすのも養生。

6600万年前の夢の発掘地で

しっかり「生きる」を養って、

ふたたび元気になることを祈ってる。

 


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私は死ぬとき、本当の自分になる

 

クリスティーン・ブライデン著の

「認知症とともに生きる私」

(馬籠久美子:訳/大月書店/2017年)という本は

衝撃的だった。

認知症の人が本なんて書けるのか?

既成概念がぶっとんだ。

 

認知症の当事者として

「内側から見た認知症」について語る内容。

これは認知症啓発活動家である

彼女の約20年にわたる講演録である。

 

最も素晴らしいなと思ったのは、

人間のアイデンティティについて洞察した部分。

私は誰だったのか?

今は誰なのか?

そして死ぬとき、誰になっていくのか?

 

病気を発症して仕事

(オーストラリア政府の科学部門の要職)を失い、

母親としての役割

(3人の未成年の娘のシングルマザーだった)も

果たせなくなり、

この先どう生きていけばいいのか?

そもそも自分は何者なのか?

そう問わざるを得なくなった。

認知症になったことによって、人生の本当の意味について、

自己の存在の正体について思いを巡らせ始めた。

「認知症がその正体を解き明かす」という

認識と表現にたどり着く。

 

“私たちの外側にある認知と感情——という仮面——によって

人を定義する社会では、

本当の自己は独立して存在することはできません。

真の自己は「いま」この瞬間に絶えることなく

永遠に存在しています。

私の真の自己は、たとえるならば花のつぼみのように

私であるべきものの潜在的な可能性のすべてを

その中に蓄えています。

それは新しい生き方です。

生きる極意と言っていいかもしれません。

そして、それこそが認知症なのです”

 

クリスティーン・ブライデン氏は1995年、

46歳でアルツハイマー病を発症。

医師から損傷した脳の写真を見せられ、

「今から3年でわけがわからなくなり、5年で死ぬ」

と宣告された。

日本ではまだ巷に「認知症」という病名さえ

認知されておらず、「痴呆症」と呼ばれていた。

 

記憶を失い、日常生活もままならなくなり、

おかしな言動を繰り返す高齢者に対して、

誰もが平気で「ボケ老人」呼ばわりしていた時代だ。

 

落ち込んだ彼女は周囲の励ましでショックから立ち上がり、

「わけがわからなくなる」と宣告された3年を前にして、

友人の看護師のすすめで自らの病状をつづった本を出した。

それから人生は激変。

現在の夫と結婚し、講演活動を始めた。

 

そんなことが可能だったのは、

やはり彼女がもともと優れた知性の持ち主で、

社会的地位の高い人だったからだろう。

経済的な面も恵まれていたのだと思う。

 

でも逆に言えば、何か見えざる手が働いて、

人類全体のために、これからの長寿社会のために

認知症についての啓発活動ができるモデルケースとして、

彼女のような立場の人を選んだのかもしれない。

 

日本とも関係が深く、何度も講演に訪れている。

そう言えば、ずいぶん前に彼女を紹介する

NHKのドキュメンタリーを見た記憶がうっすらとある。

でも、その時は認知症なんて自分には関係ない

と思っていたので、

「へえ、この人が認知症なのか・・・」という

ぼんやりした感想しか抱かなかったと思う。

 

彼女は2004年10月の講演で、

アイデンティティに関する洞察をこうまとめている。

 

“私は死ぬとき、誰になっていくのだろうと

1冊目の本で問いましたが、その答えを見つけました。

私は本当の私になっていくのです”

 

以前、僕も義母の介護をしていて、

社会人としての衣裳がはがれていくと、

人間の核——本質的な部分が残る、

といった趣旨のことを書いたが、

やはりそうなのだなと再認識した。

 

今でも医学の常識としては、認知症患者の寿命は、

発症後10年程度とされている。

しかし、ブライデン氏は世にも残酷な診断から

30年近く経った今でも元気で過ごしており、

この10月にはまた日本で講演を行った。

 

彼女のなかではいったいどのように時間が流れているのか?

過去も未来もなく、小さな子どものように

一瞬一瞬の積み重ねで30年。

そこには家族をはじめ、周囲の関わり方・働きかけが

大きな作用を及ぼしている。

この病気による不幸レベルをどれくらい低くできるか、

できれば幸福に近いレベルに持っていけるかは、

家族、周囲、地域、そして社会の在り方次第なのだろう。

 

「もう数年したら5人に一人が発症」と言われる昨今、

認知症は不安と恐怖と厄介ごとの対象でしかない。

そんな人が増えたら社会はどうなるのか?

悪いイメージは悪い現実を引き寄せる。

彼女の活動が実を結び、

認知症のイメージが大きく変わっていくことを期待する。

 

とても読みやすい本だし、

認知症なんて関係ない、興味もないという人でも

これからの生き方について、また、

自己の在り方について考えたいのであれば、

ぜひ一読してほしい本である。

 


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週末の懐メロ164:エヴリウェア/フリートウッド・マック

 

1987年リリース。

アルバム「タンゴ・イン・ザ・ナイト」に収録された

クリスティン・マクヴィー作曲のナンバー。

 

フリートウッド・マックは

1967年から続く息の長いバンドで、

いろいろな音楽性を持っているが、

やはり70年代中盤、

活動拠点をイギリスからアメリカに移した後に

発表した大ヒットアルバム

「ファンタスティック・マック」や

「噂(Rumours)」のイメージが強い。

 

このあたりから始まったポップロック路線は、

現代——特にこの数年、人気が高まり、

バンド自体も再評価され、

「噂(Rumours)」という

トリビュートバンドまで出てきて活躍している。

 

もう一つ、このバンドをユニークな存在にしているのは、

スティーヴィー・ニックスとクリスティン・マクヴィー、

二人の女性ヴォーカリストが

ほぼ均等に並び立っていたという点。

しかも二人とも才色兼備のソングライターである。

 

「ドリームス」などの大ヒットがあるので、

巷では「マックと言えばスティーヴィー・ニックス」

みたいな感じで語られることが多いようだが、

僕は断然クリスティン・マクヴィー派で、

彼女が書いて歌う歌こそが

フリートウッド・マックの真骨頂だと思っている。

 

特にこのライブの「エヴリウェア」は

ファンタジックなイントロと

オリジナルよりもテンポアップされた流れるような曲調、

軽やかに踊るように、

それでいて落ち着きのあるヴォーカルがとても心地よい。

 

昨年(2022年)にこの世を去った

クリスティン・マクヴィーの最高のパフォーマンスの一つ。

 

 

音楽エッセイ:

週末の懐メロ

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20世紀ポップミュージック

回想・妄想・新発見!

あなたの人生を変えた楽曲はここにありますか?

 


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美しきニューヨークのカレンダー

 

とある金融会社のカレンダーをもらった。

本社がニューヨークあるらしく、

NYCの写真の12枚つづり。

これでもか!と出てくる

ハイテンションな街の風景は圧巻だ。

 

マンハッタンの摩天楼も、5番街も、タイムズスクエアも、

ブルックリンブリッジも、自由の女神も、

映画、ネット動画や写真、

テレビなどで見慣れているはずだが、

こうしたアナログ印刷でドン!ドン!ドン!

と12連発で見せられると異様な迫力がある。

そして若き日にニューヨークに

憧れていたことを思い出した。

 

外国暮らしの夢を果たしたのはロンドンだったが、

その前はニューヨークに行きたいと思っていた。

映画や本などでニューヨークの街の風景を見ると

ざわざわと胸が騒いだ。

それはゴージャスな美女を抱きたいという

欲望にも似ていた。

 

実際、1986年と1990年の2回、

それぞれ1週間余り、ニューヨークへ行った。

「ああ、おれは今、ニューヨークにいる」と、

しみじみ感動したことを憶えている。

いずれもまだ世界貿易センターのツインタワーが

健在だった時代の話だ。

 

今のこのニューヨークの写真を見ていると、

9・11の惨劇のことなどみじんも感じない。

20世紀の頃より、さらに高く、空へ向かって

にょきにょき伸びたビル群は、

あのテロの悪夢から完全に立ち直った

世界最強の国の、世界最高の金ピカの都であることを

高らかに誇示しているかのようだ。

 

実際、いくらドバイのなんちゃらタワーがすごいとか、

上海のかんちゃらビルがすごいと言っても、

ニューヨークほどには絵にならない。

やはり近代資本主義帝国としての歴史が違うぜ、

と思わせる風格がある。

 

しかし、そんなにすごいニューヨークだって、

金融エリートやスター芸能人・スポーツ選手

ばかりが住んでいるわけではない。

人口の大半はこの街をえっちらおっちら回している

普通の労働者、普通の庶民である。

そしてまた、その大半は物価高に苦しむ貧乏人らしい。

 

ちょこちょこと調べてみたら、

マクドナルドのスタッフの時給が3700円とあった。

単純計算で1日8時間、月に20日働けば、

収入は60万円近くに上る。

大した金額だと思うが、

ここでは60万円では1DKの部屋代で終わりだという。

その他、コーヒー1000円、ラーメン3000円とか、

物価はとんでもなく高騰していて、

年収1千万でも貧乏暮らしを余儀なくされるらしい。

ちょっと足を踏み外せばホームレスに転落だ。

みんなどうやって生きているんだろうと心配になる。

 

自分のことに話を戻すと、

この写真を見て美しいとは思うが、

40年前のように胸はざわめかない。

正直言うと、見ているだけでお腹いっぱい、

胸やけがしてくる感じ。

もうこの街に行きたいと思わないし、

なんだかうんざりした気分になってくる。

 

都市開発は終わらない。

高いビルを建てるマウント合戦も終わらない。

金持ちの金儲けも終わらない。

戦争もテロも終わらない。

いつまでこんなことが続くんだろう?としか思えない。

 

ゴージャスな美女は遠くからポヤーンと

見ているだけで十分だ。

ま、簡単に言えば、齢を取ったってことだけど。

 

 

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みかんせんべいに秘められた物語

 

認知症の人の頭のなかには

どんなファンタジーの世界が広がっているのか

興味が尽きない。

 

何度か、義母が夜中や早朝に起き出して、

食べ物などをガメていく話を書いたが、

きょうは部屋の中から「みかんせんべい」が発見された。

 

夜中にガメたみかんを布団の下に隠し、

そのまま寝たのでぺっちゃんこ。

当然、布団の下はみかんの汁でぐちゃぐちゃ。

発見者のカミさんはカンカンである。

 

俗にいう認知症の人の「問題行動」だが、

まぁこれくらいのことなら明日ふとんを干せば

いいだけの話だし、怒っても本人は憶えていない。

 

それよりもどうしてガメたものを食べずに、

こんなふうに隠したり、しまいこんだりしてしまうのか?

 

秋口はお腹が減るせいか、たいてい食べていたが、

最近、寒くなってからは備蓄しようとする傾向がある。

 

冬眠する動物みたいに食糧を蓄えておこうという

本能が働くのも理由の一つだと思うが、

どうもそうした即物的な理由だけではないような気がする。

 

幻の家族やお友だちと会話していることを考え合わせると、

どうやら義母の4畳半の部屋には異次元ドアがあり、

その向こうには彼女にしかわからないストーリーが流れ、

そのストーリーを生きているのではないか。

そして、そう生きることが彼女の存在の芯にある

アイデンティティ、生きる意味と

つながっているのではないかと思える。

 

というわけで、汁が抜けてぺったんこに

みかんせんべいを見ているうちに

義母のストーリーを解き明かしてみたいという

妄想にかられた。

 

その前に、明日晴れたら洗濯と布団干しをやろう。

みかんせんべいは食べてみたが、

パサパサしててさすがにおいしくない。

 

 

短編小説

ざしきわらしに勇気の歌を

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Kindleより発売中。¥300 認知症の寅平じいさんの頭のなかに広がるファンタジーの物語。認知症の人のアイデンティティはどうなるのか、追究したいテーマだ。

気になったら、ぜひ読んでみてください。


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認知症患者のごあいさつを受け止められますか?

 

先日、カミさんが義母を連れて買い物に出かけた。

途中、高校の前を通ったら、

二人連れの女子高生の前にいきなり飛び出していって、

「こんにちは!元気ぃ~!」と大声であいさつした。

もちろん、女子高生はびっくりしてドン引き。

カミさんがあわてて義母をたしなめ、

「ごめんなさい」とその子たちに謝った。

ひとりは「だいじょうぶです」と笑っていたが、

もう一人はずっと顔が引きつったままだっただったらしい。

 

いずれにしてもそれで無事に収まり、

そのまま立ち去ったが、

背中で「なにあれ!?キモっ!」とかなんとか、

引きつってたほうが叫んでいたという。

 

腹も立たないし、説教するつもりもない。

僕も高校生だったら似たような

リアクションを取っただろう。

ちょっとびっくりしたのは僕が知る限り、

通常、義母は女子高生なんかに挨拶しない。

カミさんの話によると、

一人が高校生の頃の妹(つまりもう一人の娘)に

ちょっと雰囲気が似ていたらしい。

 

イメージがダブったのか、

あるいは僕といる時と、カミさんといる時と、

気分の違いで、違ったイメージが湧きだすのかもしれない。

 

義母は愛想がよく、社交的な人と思われていて、

デイサービスなどでもムードメーカーになっているらしい。

実際、そういう一面があって、

僕と散歩するときもすれ違う人に

元気な声で「おはようございます」とか、あいさつする。

 

しかし誰彼かまわずというわけではない。

ちゃんと瞬時に相手が返してくれるかどうか読み取り、

返してくれそうな人にだけあいさつするのだ。

その打率はだいたい7~8割。

けっこう高い精度である。

認知症だからといってバカではない。

論理的思考が働かない分、直観力は優れているのだ。

 

観察していると、声をかけるのは大まかに言って、

子供、子供連れの母親・父親、犬連れの人、

工事の人、掃除の人、トラックの運ちゃん、

警備員、お巡りさん、鳥を撮っているカメラマンなど。

子連れや犬連れ以外は年齢高めの人が多い。

 

やっぱり齢の功というべきか、経験豊富というか、

単にヒマというか、高齢者はちょっと奇異に感じても、

ちゃんと余裕をもって挨拶を返してくれる。

 

その点、前述の女子高生のように

人生経験・社会経験の浅い若いもんは

見たこともない変化球を投げられるとビビってしまう。

義母もそのへんがわかっているのか、

子供でも小さい子はいいが、

小学校の高学年以上になるとあいさつしない。

10代から30代くらいまでの若輩者に

声をかけることは稀である。

特に女性には、若いママさんグループなども含め、

近づこうとしない。

 

それから肉体労働系の人には愛想がいいが、

スーツなどを着込んだインテリ系、

ちょっとスカしたアート系などにも声をかけない。

高齢者でも気難しそうな顔をした人にはあいさつしない。

 

僕といるときはしたことがないが、

肉体労働の人が休んでいるのを見ると寄っていき、

「あら、あなた、いい体してるわね」と、

ペシペシ背中を叩いたりすることもあるらしい。

 

こうして書き出してみると、

なンとなく彼女が交流したい

人間のカテゴリーが見えてくる。

べつにいいとか悪いとかの区別はないが、

やはり社会から離脱した人なので、

忙しい競争社会の真っただ中にいる人や、

そこに入ろう・順応しようとしている

おとなになりかけの子供たちは避ける傾向がある。

 

自分の相手をしてくれるのは、

まだ社会化されていない小さな子や、

逆に社会からリタイアした年寄り、

ちょっと社会から外れた人たちというところか。

 

そういう意味では、川沿いの散歩道は、

ちょっと日常の世界ら外れて

遊んだり休息できる雰囲気があるので、

あいさつを返してくれる人が多いのもしれない。

 

ビジネス街や繁華街でこんな変化球が飛んで来たら

気味悪がってよけるしかないが、

ここなら「まぁ、こんな人もいるよね」と

キャッチできる、

危害がなければ、多少おかしな人がいてもOK、

その方が面白いということだろうか。

 

自然がたくさんある環境なら良いというものでもない。

そこに暮らす人たちがどんな心境でいられるかが大事。

義母には教わることが多い。

 

 

認知症のおかあさんといっしょ

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認知症の義母がぬくぬくする光と音の暖炉

 

この間の土曜日のことだが、

カミさんが中学校の同窓会に出かけたので、

夜は義母と二人だった。

 

普段、食事は居間でしているが、

ここは食事の時間以外はカミさんがいろいろ使っている。

食後、義母はたいてい自分の部屋に引っ込むのだが、

居間の主であるカミさんがいないので、ずっと動かない。

 

カミさんは管理責任者でもあるので、

ああしろ、こうするなとガミガミいわれるが、

今日はその心配はないと察知して

居心地がよかったのだろう。

僕はなめられているということでもある。

 

特に何か話すこともなく、テレビを見ていた。

彼女はテレビで何をやっているのか、

内容を理解できない。

 

メシが出てくれば、おいしそうとかまずそうと言ったり、

イケメンや美女はいいねと言ったり、

激しいスポーツのシーンには「うわ、ひどいことする!」と

怒りのリアクションをするが、すぐに忘れている。

彼女にとってテレビは

「光と音の出る暖炉」のようなものなのかもしれない。

 

そう思って「ペチカ」と「たき火」を歌ったら喜ばれた。

僕のヘタな歌で喜んでくれるのは義母だけである。

 

そのうち、ああ、この人は何十年もの間、

夜はこのように居間で義父と過ごしていたのだなと

わかった。

 

認知症患者には過去の記憶も、未來の展望もなく、

今この時だけがあるが、生活習慣のイメージは残っている。

あたたかい光と音の暖炉に当たりながら

そのイメージに浸るのが、

ぬくぬくして気持ちよかったのかもしれない。

 

そうしているうちに9時を回ったので、

「お義母さん、そろそろおねんねしましょう」と、

みかんを1個持たせたら、喜んで部屋に帰るという。

だが、2時間以上も坐っていたのですぐに立てない。

 

腕を回して抱き起そうとしたら、

「手を持ってくれるだけでいいです」

こういうところはプライドが許さないようだ。

 

土曜日はデイサービスで筋トレをやる上に、

少々夜更かしをしたので

翌日は疲れて1日中寝ていた。

最近はデイサービスに行かない日は、

僕たちも放っておくので、少なくとも昼まで寝ている。

特に寒い季節になると、寝る時間が長くなる。

外に出かけるなど、騒ぎ出さないのでこっちは助かるが。

 

認知症を発症してから、

少なくとも15年は経っているのにもかかわらず、

まだまだ体は元気。

ただ、見ていると、昨年、今年と、

確実に体力は落ちている気がする。

 


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週末の懐メロ163:戦士/シナジー

 

1970年代から80年代にかけて、

ロックミュージックと一線を画する

シンセサイザーミュージックが流行したことがある。

 

火付け役は映画「エクソシスト」のテーマ曲

「チューブラーベルズ」を世に送り出した

マイク・オールドフィールドだったかもしれない。

日本でも冨田勲の「惑星」や喜多朗の「シルクロード」に

心酔した人も少なくないだろう。

 

「アメリカのマイク・オールドフィールド」と言われた

ラリー・ファーストもその一人。

リック・ウェイクマンやピーター・ガブリエルなど、

プログレッシブロックの雄たちの活動をサポートしてきた

シンセサイザー奏者だが、そのラリー・ファーストが

1975年、「シナジー」というプロジェクト名で

アルバム「10番街の殺人」を発表。

そのなかに収められた楽曲「戦士」は、

鮮烈なイメージの音楽世界を創り出した。

 

美しく抒情的なメロディとスリリングな曲展開、

そして幾重にも重なってハーモニーとなる電子音。

そのサウンドの奥に広がるのは

ファンタジックなSF映画を思わせる異世界。

いま聴いても初めて出会った当時の感動は、

何ら色あせることなくよみがえる。

 

ロックミュージックと一線を画すると言ったが、

ある面、これが究極のブログレッシヴロックとも思える。

今ではせいぜい仕事中のBGMとしてしか

聴かなくなってしまったシンセミュージックだが、

やはりシナジーは別格で、

クライマックスからエンディングに至る深遠な余韻は

脳の隅々にまで染みわたっていく。

 


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再読・風の歌を聴け

 

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村上春樹の書き方・生き方

 

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毎日コツコツ10頁の原稿を書く。

最後まで辿り着いたら、しばらく休んで

もう一度、最初から書き直す。また休む。

そしてまた納得がいくまで書きなおし、

これでいいかと思ったら読んでもらって

指摘を受けたらそこをまた書き直す。

 

齢を取ってから村上春樹のそうした書き方・生き方を

いいなと思うようになった。

もっと前からできていたらよかったのだろうが、

若い頃はそんなふうに考えられなかった。

そんな話を聞いただけでうんざりした。

 

いま若い人も恐らくそう思う人が大半だと思うが、

もしできれば気が付くといい。

平凡な日々、平凡な作業の積み重ねが、

非凡な結果を生み出すことがある。

そうして生まれた村上春樹の小説には

いろんな哲学が秘められている。

それを読み解くのが楽しい。

 

今は間違っていたことを素直にを認めて

気力・体力が続くまでコツコツやりなおすだけである。

 

もくじ

●村上春樹の初期作品を再読する「風の歌を聴け」

●村上春樹の初期作品を再読する「1973年のピンボール」

●村上春樹の初期作品を再読する「羊をめぐる冒険」

●村上春樹の初期作品を再読する

 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

●少したってまた村上春樹の初期作品を再読する

 「ノルウェイの森」

●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさん

●「アフターダーク」生きていく燃料としての記憶

●「1Q84」のタマルとミケランジェロ

●「騎士団長殺し」の免色渉と子ども

●2018年の4月に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ

●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」

●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界

●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について

●4月のある雨の朝に100パーセントの川岸から 小舟を漕ぎ出すことについて

●早春に目覚めたカエルと「かえるくん」について

●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」

●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について

●村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家

●「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠りどころ

 

全21編採録


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再読・風の歌を聴け 無料キャンペーン中

 

「なんでこんなわけのわからない話を

読みたくなるんだろう?」

と、いつもいつも不思議に思いつつ、

44年にわたって村上春樹の小説と付かず離れずで

生きて来たが、

アラカンになってその謎に挑戦すべく初期作品を再読。

そして近年の作品も読んでいろんなことを考えた。

 

1978年のデビュー作「風の歌を聴け」から

2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。

ふたたび旅したハルキワールドの思い出・感想・評論をミックスアップしたエッセイ集。

村上春樹を読み直して自分の世界を書き換える。

はじめての人も、リピーターの人も、ハルキワールドの旅のガイダンスにご活用ください。

 無料キャンペーンは11月30日(木)16:59まで。

この機会にぜひ。

 

もくじ

●村上春樹の初期作品を再読する「風の歌を聴け」

●村上春樹の初期作品を再読する「1973年のピンボール」

●村上春樹の初期作品を再読する「羊をめぐる冒険」

●村上春樹の初期作品を再読する

 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

●少したってまた村上春樹の初期作品を再読する

 「ノルウェイの森」

●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさん

●「アフターダーク」生きていく燃料としての記憶

●「1Q84」のタマルとミケランジェロ

●「騎士団長殺し」の免色渉と子ども

●2018年の4月に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ

●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」

●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界

●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について

●4月のある雨の朝に100パーセントの川岸から 小舟を漕ぎ出すことについて

●早春に目覚めたカエルと「かえるくん」について

●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」

●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について

●村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家

●「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠りどころ

 

全21編採録


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本日11月27日(月)17:00~30日(木)16:59まで。

 

あっという間に秋も終わり。

冬じたくに心の栄養を。

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はじめての人も、リピーターの人も、

ハルキワールドを旅する時の

ガイドブックとしてご活用ください。

 

もくじ

●村上春樹の初期作品を再読する「風の歌を聴け」

●村上春樹の初期作品を再読する「1973年のピンボール」

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●村上春樹の初期作品を再読する

 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

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●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」

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●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について

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全21編採録

 


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週末の懐メロ162:天国への扉/フェアポート・コンベンション

 

1973年リリース。

ボブ・ディラン屈指の名曲を

サンディ・デニーとフェアポート・コンベンションが

カヴァー。

 

60年代後半から70年代前半にかけて活躍した

イギリスのフォーク/ロックバンド 

フェアポート・コンベンションは

民謡・古謡を現代風にアレンジした楽曲で、

その後の多くのロック/ポップバンドに影響を与えた。

 

また、ジュディ・ダイブル、サンディ・デニーという

二人の伝説的女性シンガーを輩出したことでも知られる。

 

ジュディ・ダイブルは、

グレッグ・レイク加入前の

最初期キング・クリムゾンに参加し、

「風に語りて」のアーリーバージョンでヴォーカルを担当。

長いブランクを経てカムバックした2000年には

ソロアルバムで新アレンジによる

21世紀版「風に語りて」もリリースしている。

 

サンディ・デニーは、レッド・ツェッペリンⅣの

「限りなき戦い」にゲストヴォーカリストとして参加。

ロバート・プラントとのデュエットで、

神話的な楽曲の創造に貢献した。

その残響は次曲「天国への階段」の

イントロにも繋がっている。

 

31歳で夭折したこともあって、

その歌声は伝説として語り継がれ、

死後半世紀近く経った今でも、

多くのミュージシャンのリスペクトを集めている。

 

「天国への扉」は、もともとボブ・ディランが

映画「ビリー・ザ・キッド」のテーマ曲として

書いたものだが、

多くのミュージシャンがこの曲の虜となり、

カヴァーにチャレンジ。

 

そのなかでも

サンディ・デニー&フェアポート・コンベンションの

原曲と対照的な、聖なる雰囲気を漂わせるパフォーマンスは

とりわけユニークで聴きごたえがある。

 

もちろんワイルドでたっぷりエモーショナルな

 

本家ディランのハーモニカもしびれる。

 


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京風お地蔵さん人形と義母のまぼろし家族

 

京都の百万遍にある知恩寺というお寺で

毎月15日に「てづくり市」という市が立つ。

その名の通り、結構広い境内いっぱい

関西・近畿一円から集まった業者が

露店を開き、衣料・アクセサリー・工芸品・アート・

玩具・生活雑貨など、手作り品を売っている。

関西弁があふれ、とても楽しくてにぎやかだ。

 

そのなかで布で作った人形を売っている店があり、

かわいいお地蔵さんが目に留まった。

10数個あったが、一つ一つ顔と着物が微妙に異なる。

売り子のおねえさんによると、

95歳のおばちゃんが作っているのだそうだ。

 

そんな話を聞いて、義母のお土産にと一つ買ってきた。

(旅行中はショートステイに預けていた)

鏡台の前にずらりと並んだお友だちの間に

さりげに置いておいたら、

新入りに気付かないのか、自然に受け入れているのか、

とくにリアクションもなく、この1週間過ごしている。

彼女にとってはお地蔵さんも、タコやネコやワンちゃんと

同列扱いのようだ。

それでもって昼となく夜となく

これらマスコット相手におしゃべりをしている。

 

それだけでなく最近は幻視なのか、

やたらとどこかの子どもや、もうこの世にいない

親やきょうだい、見知らぬ先生とかお兄さん・お姉さんまで

遊びにくるようで、いろいろ訊かれるのだが、

「こっちにはいないよ」とか

「さあ、どこに行ったんだろう?」とか、

「会えてよかったね。きっとまた来るよ」とか言ってかわすと、

納得したのかしないのかわからないが、一応ひっこむ。

それでまたちょっと経つと部屋で誰かと話している。

 

知らない人が見たらびっくりするかもしれないが、

すっかり慣れて日常の風景になってしまった。

一時期、「お母さんのところに帰る」と言って、

止めるのも聞かずに家を出ていくことが会って往生した。

数日前に見たNHKのクローズアップ現代で

「認知症行方不明者1万8千人の衝撃」

という特集をやっていたが、

これは本当に大問題である。

家族や子供が家の中にいて話ができるなら

いきなり「かえるかえるケロケロ」と騒ぎ出さずに済んで

こちは助かるというものだ。

 

考えてみれば、どこか違う世界の子供と会ったり、

もうこの世を去ってしまった家族がいたりするなんて

幸福なくらしである。

そういうふうに考えていかないと、

これからの「高齢者の5人にひとりが認知症」なんて時代を

到底乗り越えていけないのではないか。

お地蔵さん、義母が図と幸福でありますように。

 


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東寺の密教世界と観瀾斎アート

 

どこに行っても観光客だらけの京都だが、

不思議と東寺はいつ行っても空いている感じがする。

空海ゆかりの東寺は、京都駅から徒歩15~20分。

(中途半端なロケーションなので

歩ける人は歩いた方がいい。

足が悪ければタクシーで1~2メーター。)

 

平安京の遺構であり、日本最古の密教寺であり、

もちろん世界遺産の一つ。

800円で巨大な薬師如来が鎮座する金堂(こんどう)、

立体曼陀羅のある講堂(こうどう)、

そして五重の塔を見て回れる。

どれも圧巻。

こういう寺が1200年も存続しつづけていることが、

月並みだけど日本の素晴らしいところ。

 

空いている感がするのは、

単にタイミングがいいだけなのか。

境内がだだっ広いので人口密度が低いからか。

けどそれよりも、

他の観光地から離れ小島のような場所にあり、

周囲に食べ歩き用の飲食店や

土産物屋がないおかげで俗化されず、

観光公害を免れているのが大きいのだろう。

今回も修学旅行生はあちこちから来ていたが、

うるさい外国人は少なく、快適に見て回れた。

 

今回、3つの建物のほかに、食堂(じきどう)で

観瀾斎(かんらんさい)という画家の展覧会をやっていた。

こちらは入場無料なので、さりげに覗いてみると

「棟方志功?」

「ピカソ?」

「マティス?」

「シャガール?」

といった作品がずらり。

それらの巨匠のタッチで仏様の世界を描いている。

悪く言えばパクリなのだが、

この人の描くテーマ「祈り、癒し」――

人間と仏様の世界が、

それらの巨匠に近いタッチで描かれているを見るのは

とても楽しいし、こころ動かされる。

そしてどれもアート一直線でなく、

少しずつポップでマンガっぽくて、庶民的なのもいい。

 

デジタルテクノロジーが広がり、

人間の社会・感情生活が大きく変わる一方で、

100年前と何ら変わることなく

各地の戦争で不安に脅かされる現代の世界。

こうした状況に触れて、

もし、かの20世紀アートの巨匠たちが生きていたら

どんな絵を描くのだろうと思わず考えてしまった。

観瀾斎氏には今は亡き志功やピカソに替わって、

「祈り、癒し」の絵を描いてほしいと思った。

 

この展覧会では来年の干支である

龍の作品も多数展示されており、

ポップでユーモラスな龍の絵は縁起がよさそうだ。

小さなパネルの絵なら2000円~3000円で買える。

12月24日まで。

あとひと月間、開催されているので、

これから京都に行く人はぜひ東寺に立ち寄り、

仏像と観瀾斎の絵を見るのがおすすめ。

 


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五右衛門の湯豆腐と空海の鴨カツ丼

 

京都で印象深かった食と言えば、

南禅寺の参道沿いにあった湯豆腐のお店「五右衛門」。

 

それから道路を挟んで東寺の入口の向いにある

カモ料理の「空(くう)」。

 

南禅寺は臨済宗のお寺。

禅宗の一つである臨済宗は、坐禅・宿坊・精進料理で、

外国人に大人気。

 

それにこの辺は水がいいので豆腐がうまく、

いつの頃からか、ここの参道沿いには

いくつも湯豆腐の店ができ、名物になった。

 

もともと質素なはずの精進料理だが、

観光客相手だと高級料理に変わってしまい、

この周辺の湯豆腐屋もめっちゃ敷居が高い。

 

その中でも「五右衛門茶屋」は

比較的リーズナブルなお値段で、

店の雰囲気も素朴であったか。

湯豆腐を食べるのにぴったりだ。

 

お昼の定食は湯豆腐をメインに突き出し、

野菜天ぷら、ごはんがついて2500円也。

 

ちなみに南禅寺のもう一つの名物は、石川五右衛門。

もちろんルパン3世の仲間でなく、

安土桃山時代に生きた大盗賊で、

最期は豊臣秀吉によって、

三条河原で、手下や家族もろとも釜茹での刑に処された。

「五右衛門ぶろ」はそこから生まれた

蓋を底に沈めて入る釜茹で風呂である。

 

それにしても権力を握った後の秀吉はほとんど狂人で、

その残虐さは信長以上である。

五右衛門は権力者ばかり狙う盗賊だったので、

庶民に人気が高く、さまざまな伝説が生まれ、

江渡時代になると歌舞伎のネタにもなった。

 

巨大な南禅寺の三門は高さが22メートルあり、

日本三大門の1つに数えられるほどの名門だが、

歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の中で

石川五右衛門が満開の桜を眺め

「絶景かな、絶景かな」と見得を切る場面としても有名だ。

建てられたのは江戸時代初期なので、

五右衛門の「絶景かな」はお芝居での話。

 

東寺は空海を宗祖とする真言宗のお寺。

その向かいの「空」は当然、空海の空と

めしを「食う」を掛け合わせたもの。

(と断定したけど、お店の人に聞いたわけではない)

 

ちょっと古風な門構えで、しかも鴨料理というので

一瞬、高いかな?と思わせるが、

少なくともランチはいたってリーズナブル。

ほとんどのメニューが1000円台で食べられる。

 

お店のなかは外観とちょっとギャップのあるモダンな造り。

いわゆる「町屋カフェ」として売り出しているようだ。

 

お昼の限定メニューとして、

鴨カツ丼と鴨カレー(鴨しゃぶのだしのカレー)が

あったので、迷ったあげく、鴨カツ丼を選択。

チキンとはまた違う、ちょっと珍しいおいしさだった。

カレーの方も食いたかったとちょっと未練を残しつつ

京都を去ることになった。

 

★おりべまこと新刊

再読・風の歌を聴け

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1979年のデビュー作「風の歌を聴け」から2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。ふたたび旅したハルキワールドの思い出・感想・評論をミックスアップしたエッセイ集。

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京都で考えた観光立国ニッポンの生き方

 

コロナ禍の頃、観光業やお寺関係の仕事で、

政府が日本の観光立国化を目指し、

観光収益を上げるために、

インバウンド客の単価UPを

図っているという話をよく聞いた。

 

金のない旅行者から

無理やりふんだくるわけにはいかないので、

ターゲットは当然、世界の富裕層。

 

高額な料金に見合うだけの

日本文化の体験・最上級のおもてなしを

たっぷり盛り合わせて…という戦略を

いろいろなコンサルタント会社が入って企て、

かなり懸命にテコ入れしていたようだ。

 

その努力は報われた。

2泊3日の京都旅行に行って、

観光業者はその要請にしっかり応えたことが見えた。

 

本当に人気観光地の周辺の飲食店に入るには

富裕層クラスのお金が必要。

一般ピープルは食べ歩き用の屋台食やスイーツなどで

楽しんでね、という感じ。

 

宿代もコロナ前の2019年に比べ、

平均で3~4割値上がっているらしい。

(僕たちは山科駅近くのAirBnBに泊った)

 

実際、どの程度、単価UPを達成したかは

いずれ観光庁が成果のデータを上げるだろうが、

観光にも昨今の格差社会の在り方が

十二分に反映されているような気がする。

 

京都の秋の観光はまだまだこれからが本番。

自社と紅葉のライトアップが12月まで続いて、

大賑わいになりそうだ。

 

ちなみに観光立国になるということは

国家が成熟した証拠。

今あるもの・持っているものを見せればいい。

もちろん、その見せ方が問題で、

そこにいろいろ工夫は必要だけど、

観光業は莫大な資本や人材を投入して

新しく何かイノベーションを起こす産業ではない。

 

おとなになったニッポン。

リッチなニッポン。

けれども老化するニッポン。

個人と同じで、国家もこれからの生き方を問われる。

 

「まだまだ若くて元気ハツラツだ~」

なんて張り切ってると、ぎっくり腰にいなるのがオチだ。

何もかも下り坂の国が、

政治も社会機構も、上り坂の時と同じ運転していたら

おかしなことになるのに決まっている。

 

ネガティブに考えなくてもいいけど

早く昭和アタマの価値観から抜け出さねば。

でないと、ギックリ腰どころか、

脳や心臓にきて倒れちゃうよ。

 

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おりべまこと新刊「再読・風の歌を聴け」

 

「なんでこんなわけのわからない話を

読みたくなるんだろう?」

と、いつもいつも不思議に思いつつ、

44年にわたって村上春樹の小説と

付かず離れずで生きて来たが

アラカンになってその謎に挑戦すべく初期作品を再読。

そして近年の作品も読んでいろんなことを考えた。

 

1979年のデビュー作「風の歌を聴け」から

2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。

ふたたび旅したハルキワールドの

思い出・感想・評論をミックスアップしたエッセイ集。

 

村上春樹を読み直して自分の世界を書き換える。

はじめての人も、リピーターの人も、

ハルキワールドを旅するための

ガイドブックとしてご活用ください。

 

もくじ

●村上春樹の初期作品を再読する 「風の歌を聴け」

●村上春樹の初期作品を再読する 「1973年のピンボール」

●村上春樹の初期作品を再読する 「羊をめぐる冒険」

●村上春樹の初期作品を再読する 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

●少したってまた村上春樹の初期作品を再読する

「ノルウェイの森」

●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさんのこと

●「アフターダーク」生きていく燃料としての記憶

●「1Q84」のタマルとミケランジェロ

●「騎士団長殺し」の免色渉と子ども

●2018年の4月に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ

●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」

●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界

●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について

●4月のある雨の朝に100パーセントの川岸から 小舟を漕ぎ出すことについて

●早春に目覚めたカエルと村上春樹の「かえるくん」について

●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」

●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について

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週末の懐メロ161:限りなき戦い/ペイジ&プラント

 

英国のファンタジー作家・トールキンの

「指輪物語~王の帰還~」から

材を取ったと言われるこの曲は、

レッド・ツェッペリン1971年リリースの

「Ⅳ(フォアシンボルス)」の収録曲。

 

20世紀ロックの必聴版として名高い

「レッド・ツェッペリンⅣ」の

アナログ盤A面は、ブラックドッグ、ロックンロールと、

ZEP史上最強のロックナンバー2曲を

立て続けにかました後、一転して、

アコースティックなこの曲をブリッジにして

史上最高のバラードとロックの融合曲

「天国への階段」へつながるという完璧な構成だった。

 

そんなわけで何となく「天国への階段」へのつなぎ、

前座と見なされることが多かった「限りなき戦い」だが、

エスニックで印象的なメロディラインは

ヘヴィメタバンドとして分類されていた

ZEPのイメージを大きく変えた。

世界中のさまざまな伝統音楽のエキスを

ロックの文脈に取り入れた

ワールドミュージックバンドのZEPが

このあたりで開花したと言ってもいだろう。

 

ZEP時代、この曲をライブで演奏することは

ほとんどなかったようだが、

解散から10年あまりの月日を経て、

ギターのジミー・ペイジと

ヴォーカルのロバート・プラントが

再びタッグを組んで発表したアルバム

『ノー・クォーター』(1994年)では

民俗音楽色が3倍濃厚になった

リメイク版「限りなき戦い」が登場。

ZEPとは一味ちがうペイジ&プラントがめざす

音楽の方向性を示した。

 

また、この曲はレッド・ツェッペリンの楽曲の中でも唯一、

女性のゲストヴォーカリストが登場することでも

知られている。

 

オリジナルは60年代から活躍していた

イギリスのフォークバンド

「フェアポート・コンベンション」のサンディ・デニー。

神秘性を帯びた声で

プラントとの素晴らしいハモリを聴かせていたが、

このペイジ&プラントでは

インド系イギリス人のナジマ・アフタールが参加。

ペイジの弦楽器とエジプト人の

ジミューシャンたちをバックに、

エスニック感満点のデュエットで

古代の叙事詩のような世界を描き出す。

 


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新刊予告「再読・風の歌を聴け」

 

おりべまこと電子書籍 新刊予告 

秋の読書シリーズ第2弾「再読・風の歌を聴け」

1978年のデビュー作から今年発表の最新作まで

ハルキワールドの思い出・感想・評論を

ミックスアップしたエッセイ集。

「再読・村上春樹」を改題し、11月19日(日)発売予定

村上春樹を読み直して自分の世界を書き換える。

 


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地球家族の「争族」を辞めさせるための宇宙人待望論

 

むかし書いたラジオドラマの脚本で

廃園になった遊園地に

宇宙から飛来した円盤が降り立つのを

高校生の女の子と男の子が見に行くという

シーンを書いたことがある。

 

特撮にしようか、CGにしようか、VFXにしようか

そんなこと考えもせず、予算なんかまったく気にかけず、

リスナーの想像力に丸投げできるのが

ラジオドラマのいいところ。

 

てなわけで書けてしまったわけだが、

「未知との遭遇」や「E.T.」みたいな

映画に影響されているので、

いつもそういうシーンが頭にある。

 

てか最近、ほんとに異星人が来てくれないかと考える。

ロシア×ウクライナ

イスラエル×パレスチナ

中国の動きも怪しいし、

北朝鮮は相も変わらずミサイル打ちまくって、

軍事パレードもやりまくっている。

ウクライナ、パレスチナでの

「やったもの勝ち」の現実を見て、

台湾や韓国は、中国や北朝鮮のことが

気が気じゃないだろう。

 

これら、いがみ合っている国はみな、

もとをただせばみんな近親者同士。

憎み合いって、実は赤の他人より

近しい家族同士のほうがヤバイ。

 

「人類一家みなきょうだい」という

キャッチフレーズがあったが、

親が亡くなって相続が“争族”になるように

その家族・きょうだいがヤバいんです。

 

今は過去200年の人類近代化の遺産を

未来へどう継承するか、相続の時代に突入している。

相続は争族になり、

もうほとんど第3次世界大戦が起こっても

おかしくない状態になっているのではないか。

 

この状況を変えられるのは

地球外生物=宇宙人しかないのではないかと思ってしまう。

いま、マジで世界各地の大都市にUFOが飛来すれば、

どの国もくだらない戦争をやめるのではないか。

宇宙人が「地球を征服しに来た」と宣言すれば、

世界は一致団結するだろう。

 

それで本当に宇宙人の攻撃が始まったらどうするのか?

そこまで考えてないけど、

今の状況を変えるには宇宙へ向かって

「彼ら」を呼ぶしかないのでは。

もうすでにウクライナで、パレスチナで、

恐ろしいことが起こりまくっているのだから。

地球の家族が仲良くできるチャンスはないのか?

 


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次回出版「再読・村上春樹」11月19日

 

読書の秋。再読シリーズ第2弾

「再読・村上春樹」11月19日発売予定。

「風の歌を聴け」から「ノルウェイの森」まで

初期作品の再読や

「4月のある晴れた日に100%の女の子に

出会うことについて」の毎年4月の連作、

そして今年発表された最新作

「街とその不確かな壁」のレビューを含む、

エッセイをまとめました。

現在、リライト・編集中。

 

 

 

エミリー・ブロンテや

スティーブン・キングなどを読み直した第1弾「再読・嵐が丘」好評発売中!

¥300

 


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週末の懐メロ160:ナッシング・コンペア2U/シネイド・オコーナー

 

もともとはプリンスの曲だが、

完全にオリジナルを食いつくし、

シネイド・オコーナーが自分のものにしてしまった。

「これは彼女の歌だ」とプリンス本人も認めている。

 

1992年リリース。

めっちゃ美人なのに、なぜか頭を丸めてパフォーマンスする

アイリッシュガールの歌唱と存在感は圧倒的だった。

 

今年7月、彼女は享年56歳で亡くなった。

死因は明らかにされていないが、

ずっとメンタルヘルスで苦闘していた人なので、

その問題なのかもしれない。

 

1990年代あたりから日本も含め、世界の先進国では

精神疾患・神経疾患が医療における

最大の損失コストになり、

その深刻度は従来の肉体疾患を上回るという。

 

どうやら彼女は子供の頃の母親の虐待と

宗教(カトリック)的な締め付けに悩まされたらしい。

持って生まれた魂と生育環境との相性が悪かったようだ。

貧しさから抜け出し、

豊かな社会になっても生きやすくなるとは限らない。

 

以前、芸術系の表現活動に走る人は、

必ず何か生きる上での葛藤・問題を抱えていると

よく言われていた。

 

仕事でも趣味でも、大半の人が

何らかの芸術系活動に携わるようになった現代は、

誰もがそうした問題に悩まされているのかも知れない。

 

自己の本質と取り巻く環境とのギャップが

大きければ大きいほど、

表現活動への情熱は強烈で、咲く花は美しい。

ただ、才能に恵まれ、運よく社会的成功を収めても、

それで本人が幸福になるとは限らない。

むしろ逆に自分を追い詰めてしまうことにもなりかねない。

 

もちろん彼女の歌が世界中の人々の胸を振るわせた事実は

いつまでも忘れられず、歴史に刻まれるのだけれど。

 


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地球の重力に逆らうべからず

 

齢をとっても元気な老人が

やたらとテレビなどで紹介されているので、

つい錯覚しがちだが、齢をとれば必ず体力は落ちる。

 

もちろん鍛えていればそれなりに維持できるけど、

「若いもんには負けんわい」

と頑張り過ぎるのは禁物である。

経験的に言うと、40代でガクン、

60代でガクガクガクンといった感じ。

 

その顕著な例が、長時間、地球の重力に逆えなくなること。

要するに1日の真ん中、昼寝をしたくなることだ。

これについては本当にフリーランスでよかった、

ホームワークでよかったと、つうづく思う。

 

最近は昼寝ルームのある会社も増えているらしいが、

それでも昔の雑居ビルに入っているような会社には

そんなものは設けられないだろう。

でも、もし可能なら若い人にも実践してほしい。

 

昼食後、午後の仕事に入る前にゴロンと横になる。

机に伏せて寝るのはだめ。

べつに眠たくなければ、眠らなくてもいい。

5分10分でも体を横たえること、

地球の重力に逆らわず、二足歩行の動物であることを

忘れることが大事である。

 

再び体を縦にしたときは、朝起きたほどではないが、

頭がすっきりしている。

重力に逆らわない時間をつくると、

脳のなかの小人さんがちょこちょこっと

お片付けをしてくれて、

「はい、お仕事の続きをどーぞ」と言ってくれるのだ。

 

運がよければ、15分くらい睡眠して夢を見ることもできる。

今日の昼寝の夢は海にいるのか、空にいるのか、

何だか青いところにいる夢だった。

重力に逆らわないと、

地球が味方になってくれるのかもしれない。

 

考えてみれば肉体労働をやっている人たちは

よく昼寝している。

ちょっと横になることは健康にも、

よりよい仕事のためにも必要なことなのだ。

 

それにしても本当に毎日、夜になるとくたびれちゃて

仕事用の頭は回らなくなる。

でもこうしてブログなど書いていると、

不思議と疲れが取れて元気になる。

「人生、還暦から」なんて言って発信しているので、

落ちた体力でも走れるところまで走ります。

 

若いあなたも無理せずにお昼寝すると、

きっといいことありますよ。

 


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同窓会の話

 

先週の3連休の真ん中、4日の土曜日に池袋で

舞台芸術学院(演劇学校)の同窓会をやった。

うっかり全員写真を撮り忘れたので、

今回の写真は会場すぐそばの

西口公園にあるグローバルリングシアター。

 

卒業して43年。

何回やったか忘れてしまったが、

5年に一度くらいはやってる気がする。

前回は2018年の5月にやったので、

今回は5年半ぶり。

 

もうみんなアラカンだから

あんまり間を開けないでやろうと言って、

次は2年後、東京オリパラが終わった

2020年の秋に予定していたのだが、

コロナで3年も延びてしまった。

 

前回は18人、今回は12人。

集まった連中はみんな元気そうで

20歳ごろとほとんど変わっていないように見える。

 

もちろん、そんなわけはなく、

客観的には相応の、高年に近い中年だが、

一緒に齢を取っているという妙な温かさ・安心感を感じる。

 

昔の仲間がいるということはいいことだ。

本やネットなど読んでいると、

同窓会・クラス会を否定する人は大勢いるが、

よほど嫌な関係・忘れてしまいたい関係ならともかく、

「なんとなく出る気しない」とか、

自分のポリシーで出ないとか言ってるなら、

一度、変えてみてもいいかもしれない。

 

人の心は齢を取ると変わる。変わっていい。

それが自然だ。

それに声がかかるうちが花だ。

いつか「あいつらに会いたいな」と思うようになっても、

声がかからないときが来てしまうのだから。

 


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週末の懐メロ159:マイ・スウィート・ロード/ジョージ・ハリスン

 

「ナウ・アンド・ゼン」のリリースで

ビートルズの話題が再燃しているが、

こちらは1970年リリース。

ビートルズ解散後、ソロ活動を始めた頃の

ジョージ・ハリスンの代表作。

 

先日、現代の若者はビートルズのどの曲を

よく聴いているかという調査データを

ネットで発見し、見てみた。

それによると第1位は

レノン=マッカートニーの曲ではなく、

ハリスンの「ヒア・カムズ・ザ・サン」だという。

 

確かにビートルズ終盤からソロになった

70年代はじめの時代の

ハリスンのソングライティングは充実している。

特にこの曲や「ヒア・カムズ・ザ・サン」のような

ウォーム系の曲はいま聴いてもとても心地良い。

 

中学生時代、女の子みたいな男の子で、

気まぐれなネコみたいな、みんなに可愛がられていた

「ネコ」というあだ名の友だちがいた。

 

僕は一時期、ネコとずいぶん仲が良く、

中1のクリスマスは彼の家で5人くらいで

パーティーをやり、「赤玉ハニーワイン」という

安いワインを飲んで酔っ払ってしまった

(生まれて初めて酔っぱらいを体験した)

ことを覚えている。

 

このネコがジョージ・ハリスンが好きで、

「オールシングス・マストパス」という

3枚組のアルバムを持っていた。

彼の家に行くと、ほぼいつも

ハリスンの歌が流れていたことを思い出す。

 

「マイ・スウィート・ロード」は

この3枚組アルバムからのシングルカットで、

シングル、アルバムとも英米で売上第1位を獲得。

 

3枚組なんて当時、

日本では5千円はくだらなかったと思う。

そんなアルバムがチャートのナンバー1になるとは、

ちょっと驚きだ。

当時の人気ぶりがうかがい知れる。

 

それまでレノン=マッカートニーの陰に隠れていた

「サイレント・ビートル」の面目躍如といったところだ。

当時の彼はソロになったメンバーの中で

最も成功した、と音楽雑誌で持て囃されていた。

ネコもそれを自慢していた。

 

昨日出たビートルズの新曲にしてラストナンバーとなる

「ナウ・アンド・ゼン」は、

ジョン・レノンが作詞作曲した遺品のデモテープを

もとに作られた。

 

これまで不可能だったヴォーカルとピアノの音の分離を

AIを使って可能にしたために実現できたという。

しかし、それだけではない。

ジョージ・ハリスンがそのギターパートを

録音して遺していたからこそ

「ビートルズの曲」となり得、リリースもできたのだ。

 

そういう意味ではまさに奇跡の楽曲。

40年あまりの年月をかけて掘り出され、

磨き上げられた宝石なのだから、

この際、作品としての出来不出来はとやかく言うまい。

 

リアルタイムでビートルズを聴いていたファンは、

今、ほとんどが70代になっている。

彼ら・彼女らにとっては、

青春時代の最後の贈り物と言えるだろう。

「生きててよかった」と心から思う人もいるかもしれない。

 

おめでとう、皆さん。

ありがとうビートルズ。

そして安らかに、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン。

 


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最後のビートルズ

 

ナウ・アンド・ゼン。

ビートルズの新曲、そしてラストナンバーが

今日リリースされた。

21世紀もビートルズはブランドとして生き続けているが、

この悲しげなメロディは・・・。

まるで20世紀のポップミュージック全盛の時代を

懐かしみ慈しむような鎮魂歌に聴こえる。

 

人間が生きる限り、音楽がこの世から

なくなることはないが、

今後、音楽づくり——

少なくともビジネスのための音楽づくりの主導権は、

20世紀のビッグデータをもとに

AIに委ねられるだろう。

 


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秋の読書シリーズ つづく

 

「再読・嵐が丘」

無料キャンペーンは終了しましたが、

引き続きKindleで発売中。

ご購入いただいた方、ありがとうございます。

気に入っていただけたらレビューをお願いします。

 

秋の読書シリーズ、11月は「再読・坊ちゃん」

「再読・村上春樹」を順次発売します。

お楽しみに。

 

 

再読・嵐が丘

 

 

ブロンテ、カフカ、イシグロ、キングなど、名作小説の"こんな読み方もできるんじゃね?"的読書ガイド。

世界名作を読みなおして

人生を書きかえよう。


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21世紀の視点で「嵐が丘」を読みなおす

 

おりべまこと電子書籍

再読・嵐が丘

10月31日(火)16:59 まで

新発売記念4日間無料キャンペーン実施中

 

前世紀まで人々は社会的地位や家制度などに縛られて

自由な恋愛をするのが難しかった。

女も男も「道ならぬ恋」に恋焦がれつつも

ほとんどは予定調和の結婚・家庭人になって

不完全燃焼のまま人生を終えていた。

 

エミリー・ブロンテの「嵐が丘」は

そんな人々の潜在的な渇望を見事な形で描き出した

大恋愛ドラマだった。

 

しかし、社会が変化し、

社会的地位や家制度などへのこだわりが失われ、

自由恋愛が認められる時代になると、

この小説の価値は大きく変わる。

 

それまで軽く扱われてきた後半の子供たちの物語は、

一般に評価されているキャサリンとヒースクリフの

恋愛物語とは趣を異にするものだ。

しかし、現代の視点から見れば、

この後半にこそ「嵐が丘」を読む価値価がある。

 

これは父と母の狂気とも言える大恋愛の

“犠牲”となった惨めな子どもたちが

勇気を奮い起こして呪縛を解き、

新たな人生を切り拓く物語なのだ。

 

これまでの評論などに囚われる必要はない。

小説は映像作品と違って、

読者が好きなように読んで、自由に想像して、

自分にカスタマイズした物語にして良いのだ。

 

名作小説の"こんな読み方もできるんじゃね?"的

読書ガイドで

自分の世界を書き換えてみよう。

 

もくじ

●再読「嵐が丘」:呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語

●続・再読「嵐が丘」: 呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語

●嵐が丘の旅の追憶

●カフカの寓話「ロビンソン・クルーソー」

●カフカの寓話②「小さな寓話」

●チェコのカッパ

●成長に希少価値がある時代の「三銃士」

●「忘れられた巨人」は、僕たちの未来を描いた物語なのかもしれない

●香水(パフューム):人間存在の深淵につながる「におい」の世界

●スタンド・バイ・ミー 死の淵を覗きに行く少年たちの冒険譚

●女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて

●「刑務所のリタ・ヘイワーズ」:凡人の希望と絶望をめぐる物語

●「ゴールデンボーイ」:誰もが怪物になり得る恐怖の神話

●ゴーストの正体と人間のストーリーテリング

●どうして人は地球滅亡・人類滅亡の物語を創り続けるのか?

 


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名作小説の"こんな読み方もできるんじゃね?"的読書ガイド

おりべまこと電子書籍 エッセイ集:物語

再読・嵐が丘

 

ブロンテ、カフカ、イシグロ、キングなど、

名作小説の読書ガイド。

スティーブン・キングは

ハリウッド映画の原作率ナンバーワンの作家だけど、

どれも長いし、ホラーは苦手、という人には

「スタンド・バイ・ミー」

「刑務所のリタ・ヘイワーズ」

「ゴールデンボーイ」など、

比較的短くて、読みごたえたっぷりの中編がおすすめ。

ホラーの根底にある人間心理のドラマが楽しめます。

そんな読み方の参考書としても。

 

10月31日(火)16:59 まで

新発売記念4日間無料キャンペーン実施中

 

もくじ

●再読「嵐が丘」:呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語

●続・再読「嵐が丘」: 呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語

●嵐が丘の旅の追憶

●カフカの寓話「ロビンソン・クルーソー」

●カフカの寓話②「小さな寓話」

●チェコのカッパ

●成長に希少価値がある時代の「三銃士」

●「忘れられた巨人」は、僕たちの未来を描いた物語なのかもしれない

●香水(パフューム):人間存在の深淵につながる「におい」の世界

●スタンド・バイ・ミー 死の淵を覗きに行く少年たちの冒険譚

●女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて

●「刑務所のリタ・ヘイワーズ」:凡人の希望と絶望をめぐる物語

●「ゴールデンボーイ」:誰もが怪物になり得る恐怖の神話

●ゴーストの正体と人間のストーリーテリング

●どうして人は地球滅亡・人類滅亡の物語を創り続けるのか?

 

読書の秋は、世界名作を読みなおして人生を書きかえよう。

 

 

 


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「再読・嵐が丘」本日より4日間無料キャンペーン

 

おりべまこと電子書籍・新刊 

再読・嵐が丘

本日10月28日(土)17:00~31日(火)16:59

新発売記念4日間無料キャンペーン!

読書の秋は、世界名作を読みなおして人生を書きかえよう。

 

エミリー・ブロンテ「嵐が丘」は

世間で言われてきた恋愛小説などではなく、

毒親の虐待に打ち克ち、

新たな人生を切り拓くつ子どもたちの勇気の物語。

ブロンテ、カフカ、カズオ・イシグロ、

スティーブン・キングなど、世界名作、ベストセラー小説の

"こんな読み方もできるんじゃね?"的読書ガイド。

 

もくじ

●再読「嵐が丘」:呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語

●続・再読「嵐が丘」: 呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語

●嵐が丘の旅の追憶

●カフカの寓話「ロビンソン・クルーソー」

●カフカの寓話②「小さな寓話」

●チェコのカッパ

●成長に希少価値がある時代の「三銃士」

●「忘れられた巨人」は、僕たちの未来を描いた物語なのかもしれない

●香水(パフューム):人間存在の深淵につながる「におい」の世界

●スタンド・バイ・ミー 死の淵を覗きに行く少年たちの冒険譚

●女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて

●「刑務所のリタ・ヘイワーズ」:凡人の希望と絶望をめぐる物語

●「ゴールデンボーイ」:誰もが怪物になり得る恐怖の神話

●ゴーストの正体と人間のストーリーテリング

●どうして人は地球滅亡・人類滅亡の物語を創り続けるのか?

 全15編

 


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週末の懐メロ158:嵐が丘/ケイト・ブッシュ

 

1978年、ケイト・ブッシュのデビュー作に

出逢った時の衝撃は人生を支配した。

 

14歳の少女がエミリー・ブロンテの小説から

インスピレーションを受けて作り上げた楽曲は

紛れもなく20世紀ポップミュージックの最高峰。

何十年経ってもその地位は1ミリも揺らぐことはない。

 

ちなみに日本ではアイドルとして売り出そうと

デビューアルバムのジャケットを

グラビアアイドルみたいなポートレート写真にしていたが、

(それはそれで良いのだが)

僕はこのイギリスのオリジナル版のジャケットが好きだ。

 

その後も音楽界で神がかった活躍を続け、

孤高のミュージシャンに昇華した彼女の軌跡の

スタートに相応しいアートデザイン。

 

ケイト・ブッシュは新たなキャリアを築くために

みずから産み出したこの超傑作の呪縛を解こうと

1986年のベスト盤「Whole Story」に

ニューヴォーカル・バージョンを吹き込み、

自分のなかで「嵐が丘」を封印した。

 

それでもこの曲のファンは世界中に、

そして次世代以降にも広がり続け、

YouTubeにはライブバージョンやカヴァーはもちろん、

様々なリミックスバージョンやビジュアルがあふれている。

 

そのなかでも最もユニークでクオリティの高いのが

このダンスリミックスバージョン。

まさか「嵐が丘」がディスコダンスがになるとは

思ってもみなかった。

良い曲はどう料理しても素晴らしい。

 

 

また最近、毎年7月30日には、

ケイト・ブッシュの誕生日を祝って

世界中のケイトファンが集まってダンスする

「The Most Wuthering Heights Day Ever(嵐が丘の日)」

というイベントが開かれているらしい。

 

子どもから婆さん・爺さんまで

大勢のファンが真っ赤なドレス

(ケイトがミュージックビデオで着ていたもの)

をまとって、パントマイムを交えた

あの独特のダンスを踊る姿は

思わず笑えると同時に感動的。

 

時代を超え、世代を超え、

世界中の人々の胸を震わせる「嵐が丘」に

還暦を超えた今も涙を抑えきれない。

 

 

おりべまこと電子書籍新刊

再読・嵐が丘

世界名作を読みなおして人生を書きかえる

あす10月28日(土)17:00~

10月31日(火)16:59

新発売記念

4日間無料キャンペーン!


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新刊「再読・嵐が丘」本日発売

 

おりべまこと電子書籍新刊 エッセイ集:物語

再読・嵐が丘 本日発売!

世界名作を読みなおして、人生を書きかえよう。

エミリー・ブロンテ「嵐が丘」は恋愛小説ではなく、

毒親の虐待に打ち克ち、新たな人生を切り拓くつ子どもたちの勇気の物語。

ブロンテ、カフカ、カズオ・イシグロ、スティーブン・キングなど、世界名作、ベストセラー小説の

"こんな読み方もできるんじゃね?"的読書ガイド。

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」から

15編のエッセイを編集・リライト。

 

もくじ

●再読「嵐が丘」:呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語

●続・再読「嵐が丘」: 呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語

●嵐が丘の旅の追憶

●カフカの寓話「ロビンソン・クルーソー」

●カフカの寓話②「小さな寓話」

●チェコのカッパ

●成長に希少価値がある時代の「三銃士」

●「忘れられた巨人」は、僕たちの未来を描いた物語なのかもしれない

●香水(パフューム):人間存在の深淵につながる「におい」の世界

●スタンド・バイ・ミー 死の淵を覗きに行く少年たちの冒険譚

●女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて

●「刑務所のリタ・ヘイワーズ」:凡人の希望と絶望をめぐる物語

●「ゴールデンボーイ」:誰もが怪物になり得る恐怖の神話

●ゴーストの正体と人間のストーリーテリング

●どうして人は地球滅亡・人類滅亡の物語を創り続けるのか?

 

読書の秋は世界名作を読みなおして、人生を書きかえよう。

 


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