大島レトロ商店街の「なかたん」と「ちびまる子ちゃん」

 

「新プロジェクトを発動するから来て!」

と呼ばれて、江東区の大島へ。

昨年から月1ペースで通っているデイサービス&整体院だ。

亀戸と大島の間ぐらいのロケーションなので、

都営新宿線 大島駅からは10分くらい歩く。

 

通るのは中の橋商店街という

昭和レトロな雰囲気が漂う1km近い下町商店街。

この周辺には大きなスーパーがなく、

個人商店が立ち並ぶ聖域みたいになっている。

 

今年になって初めて行ったが、

新たに「なかたん」という

お買い物の女の子キャラクターが登場。

けっこうかわいくて好きだ。

 

地元の人御用達で、

観光客が集まるようなところではないが、

下町情緒があてほのぼのするので、

近くに来るようなことがあったら覗いてみて下さい。

 

「なかたん」を見ていたら、

なぜか「ちびまる子ちゃん」を思い出した。

中の橋商店街は、まる子のマンガに出てくる

清水の商店街にちょっと似ているのだ。

きっとこのあたりで生まれ育った子どもの目には、

とてつもなく長大な商店街に、

そしてふるさとのような風景に見えるだろう。

 

先週、まる子役のTARAKOさんが亡くなってしまったが、

みんな大好き昭和40年代の夢をなくすわけにはいかず、

アニメはまだまだ存続する模様だ。

けれども後を継ぐまる子役の声優さんは

大変な覚悟が必要。

誰がなってもネットで悪口を書くのはやめようね。

 

 

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認知症患者の純粋な「かわいい」の価値

 

認知症になったらもう社会の役に立たない。

そう思っている人は少なくないだろう。

中には仕事をしている人もいるようだが、

よほど長年の付き合いがある懇意の間柄か、

もしくは条件付きでなければ頼めない。

 

うちの義母は働くのが好きで、

気が乗っていると積極的に家事をやりたがるが、

正直、ありがた迷惑なことが多い。

社会の役に立つか?と問われれば、

常識の範疇では「NO」と言わざるを得ない。

しかし、彼女には彼女にしかない存在価値がある。

 

いつも散歩に行く公園・遊歩道は、

今日のような晴れて暖かい日曜日は

家族連れが大勢来ている。

 

彼女は小さい子供を見ると、のべつまくなしに

「かわいい」とか「いい子ちゃん」とか言ってほめ、

興が乗るとベタベタ触ろうとする。

 

コロナの時はヒヤヒヤしていたが、

自分の子を手放しでほめられて

親は悪い気がするはずがない。

ほとんどが受け入れてくれて

「ありがとうございます」と返す。

 

少し時間をかけてやり取りすると、

明らかにおかしな人だとわかるが、

ちょっとだけなら天真爛漫な気のいい

近所の普通のばあさんという印象になるようだ。

 

子どもも元気に笑顔で挨拶を返す子よりも

照れてモゾモゾしちゃう子のほうが多い。

もしかしたら内心怖がっている子もいるかもしれないが、

特に問題になったことは今までない。

 

だから言ってみれば、義母は出会う親子らを

ささやかながら幸福にしているのである。

 

一度、アトピーの赤ちゃんを抱いた

お母さんに会ったときがあり、

その時はちょっと驚いた。

 

義母は顔が赤くなってしまっているその赤ちゃんを見るや、

「わあ、かわいい」と、ぐいっとのぞき込み、

二言三言、あやすようなことを言って、

お母さんに「本当にかわいい子ですね」と言ったのである。

 

よほどうれしかったらしく、

お母さんは思わず泣いてお礼を言っていた。

おそらく義母のように純粋に「かわいい」と

言ってくれる人は周囲にいないのだろう。

 

普通なら口ではそう言っても、

内心では「かわいそう」とか

「お気の毒に」と思っている人がほとんど。

母親はそういう負の感情は鋭く読みとれるものだ。

 

しかし義母は何の屈託もなく、

心の底から「かわいい」と言っている。

それが伝わったので泣いたのだろう。

ささいなこと、一瞬のことだが、

あのお母さんは幸福な思いを抱き、

子育てをする勇気と元気を得られただろう。

 

考えてみたらすごいことだ。

普通の人ではなかなか真似できない。

少なくとも僕にはできない。

 

通常の社会人として何もできず生産性ゼロだとしても、

やっかいでめんどくさくて世話が焼けても、

義母は目に見えない部分で社会に役立っている。

たとえそれが仕事と呼べないものにせよ、

多くの人に幸福感を与えられることは、

大きな社会的価値と言ってもいいのではないだろうか。

 

今が何月なのか、春夏秋冬どの季節なのか、

さっぱり認知していない義母だが、

動物と同じく体感で季節が変ったことはわかるらしい。

どんどん外に出たがるので、

散歩のおともに費やす時間がまた増えそうだ。

 

 

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春休み、夏休み、冬休み。

子どもは長い休みに成長する。

宿題のない春休みは勉強なんか忘れて、

いっぱい遊んだり本を読んだりしよう。

 

というわけで、

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どうぞお楽しみに!

 


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週末の懐メロ178:ラミア/ジェネシス

 

蛇身の魔女ラミアの伝説は、

ギリシャ神話にルーツを持つらしい。

上半身が美女、下半身が蛇の吸血鬼というのは、

エロチック感MAXで、

想像しただけでクラクラしてしまう。

 

その蛇魔女の誘惑について歌った「ラミア」は、

「サパーズ・レディ」「怪奇のオルゴール」などと並んで

ジェネシスのレパートリーの中でも人気抜群の曲だ。

 

それだけでなく、プログレッシブロック全般、

ポップミュージック、ロックミュージックの歴史の中でも

飛び抜けてユニークでイマジネイティブ。

こんな音楽を創れたのは、

70年代前半のピーターガブリエル在籍時の

ジェネシスだけである。

 

僕にとってこの曲は10代・20代の頃の思い出とともに、

とても懐かしく響くのだが、

若い世代も男女問わず

ラミアの虜になってしまう人が続出するようで、

YouTubeでもやたらとカバーが多い。

 

1974年リリースの2枚組アルバム

「幻惑のブロードウェイ」の挿入歌だが、

このアルバムは、ニューヨークに暮らす移民の少年が

ブロードウェイの路上に

子羊が横たわっている情景に出くわし、

それを追いかけて地下の迷宮に迷い込むという

「不思議の国のアリス」みたいなストーリーを

構成したもの。

全23曲・約90分にわたって

ジェネシス流のロックオペラが展開する。

 

それまでの3枚の傑作アルバム「怪奇骨董音楽箱」

「フォックストロット」「月影の騎士」で、

音楽による怪奇メルヘン、

ダークファンタジーを綴ってきたジェネシスの、

いわば集大成とも言える作品だ。

 

ストーリーはよくある夢オチだが、

一つ一つの楽曲の完成度、演奏表現の素晴らしさは圧倒的。

特に変幻自在なピーター・ガブリエルのヴォーカルは、

この時代のジェネシスミュージックの核をなしていた。

「ラミア」では水の中で絡みつく蛇身の魔女のイメージ、

耽美的な悪夢のイメージを繊細に歌っている。

 

ガブリエルはこのアルバムのツアー後、ジェネシスを脱退。

彼を失ったバンドは解散するのかと思いきや、

ドラムを叩いていたフィル・コリンズががんばって再生。

そしてダークファンタジーから

ポップ路線に変更したのが成功し、

アメリカで大ブレイクした。

 

一方、ガブリエルもソロになって

ワールドミュージックを取り入れた

独自の音楽世界を構築し、大きな成功を納めた。

昨年、73歳にして出したニューアルバム「I/O」は、

なんと全英売上1位を獲得している。

 

彼らの後年の音楽シーンでの出世を考えると、

50年前、若きガブリエルのヴォーカルを中心に織り上げた

ダークでプログレッシブなジェネスの音楽は、

まさしく彼らにとっての「創世記」だった。

そして、それは輝かしい成功とはまた別の、

不滅の価値がリスペクトされ、聴き歌い継がれている。

 

女性ヴォーカルの「ラミア」もまたいい!

 


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人生は思ったよりもずっと短い

 

先日、ある年上の知人と会ってがく然とした。

前に会って半年も経っていないのに

ずいぶん老け込んでしまったと感じた。

もう70を超えて高齢者の域に入っているので

けっして不思議ではないが、それにしても・・・。

 

病気になったとか、怪我をしたわけでもない。

話を聴く限り、何かショッキングな出来事や

センセーショナルな出来事があったわけでもなさそうだ。

でも目が死んでいて覇気がない。

何か自分の人生を放棄してしまったような感じを受ける。

 

彼は若い頃、けっこう自信家で常識を疑い、

人間と社会に対する鋭い批評眼を持っていたので

内心、一目置いていた。

そしていずれ中年になる頃には

何かデカいことをやるだろうと思っていた。

ところがさにあらず、

人生は思うようにいかなかったようだ。

プライドが高く、自己主張が強いことも裏目に出た。

独身であり続け、

ここに至るまで自分の家族を持たなかったことも

不運だった気がする。

 

彼のことを批判的には考えたくない。

昔はむしろ、ちょっとアアウトローっぽい

個性的な生き方がカッコいいと思っていたくらいだ。

 

けれどもいつの間にかダメになったのは、

世の中を批評的に見過ぎて、

自分がやりたいことをまじめに考え、

それに向けて何も行動していなかったことだ。

 

いつかはそういうチャンスが

巡って来るだろうと思っていて、

若くて元気な時代、体力がある時代を

その時々の欲望や生活のための仕事で

消耗してしまい、何も育んでこなかった。

悲しいことだが、今となってはその時間は取り戻せない。

 

こういうことは誰にも起こる。

会社員でもフリーランスでも関係ない。

うかうかしていると時間はすぐに過ぎ去る。

人生100年時代になったが、

それでも自分が何者であるか知り、

自分の中に埋蔵しているものを掘り出すには、

人生はあまりに短い。

 

今日いっぱいやりたいことがあったのに、

いろんな雑用が入ってきたり、

突然、頼まれごとをしたり、

家族の面倒を見なきゃならなかったりで、

それらをこなしているうちに夜中になって、

なにもできずじまいだった――というのと同じだ。

 

若い人は心して聴いてほしい。

40歳を過ぎたら、

その後の10年、20年はあっという間に過ぎ去る。

そうならないようにするには

30代までのいろいろな経験を活かし、

後年のエネルギーに変えていくといった工夫がいる。

 

「老後の蓄え」というのはカネだけの話ではない。

いや、むしろカネを蓄えるのに人生を消耗して、

カラッポになってしまう人の方が

もっとヤバいのではないかと思う。

 

若くて元気なうち、体力があるうちに

いろんな冒険をし、心を解放する。

そして自分が本当は何をやりたいのか、

自分の人生にとって大切なものは何なのか考えながら、

それに向かって少しずつでも行動していく。

そうすると違った世界が開けてくると思う。

 


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アカデミーゴジラへの称賛と違和感

 

平成後半、何度もオワコンだと言われ、

アメリカに売り飛ばされていたゴジラがまさかの再生。

そして驚愕のアカデミー賞受賞。

その「ゴジラ-1.0」と、

作品賞をはじめ、各賞を総ナメにした

「オッペンハイマー」が同じ年に受賞したことには

何か因縁を感じるが、

あまりそんなことを考えている人はいないのかな?

 

以前も書いたが、昭和20年代を舞台にした

「ゴジラ-1.0」が

原爆投下や敗戦の傷跡をあまり感じさせなかったことに

けっこう違和感を覚えた。

もしやアメリカ市場に忖度してる?とも考えた。

今回の受賞で、ゴジラが水爆実験から生まれた怪物だという

オリジナル設定は忘却されてしまうのではないか?

そんな懸念もある。

 

もう一つ、今回称賛され、

たぶん受賞の一要因になったのは、

アメリカ・ハリウッドでは考えられない

低予算・少人数による制作体制。

どちらもケタ違いに安くて少ない。

 

これはもう日本映画のお家芸みたいなもので、

映画が量産されていた1950年代・60年代、

黒澤明や小津安二郎が活躍していた時代は、

コスパ、タイパに徹底的にこだわり、

1週間で1本とか、1か月で3本とかをあげるのは

ザラだったという。

巨大な予算と膨大な人数で映画作りを行い、

働く人たちの権利意識が強く、組合も強力で、

頻繁にデモやストライキなどをやる

ハリウッドでは到底考えられない作り方・働き方なのだ。

これもまた、資本・経営者に対する

日本の労働者の立場の弱さを表している。

と言ったら言い過ぎ?

もちろん、条件が悪い中で工夫して知恵を絞ることに

イノベーションが生まれるので、

いいことでもあるんだけど。

 

ただ、この働き方改革の時代に、

スタッフの健康やプライベートは大丈夫かとか、

それなりの額のギャラが

ちゃんと払われているだろうかとか、

会社の言いなりになっていないかとか、

ついついよけいなことを考えてしまう。

 

映画をはじめ、クリエイティブの現場は

労働基準法なんてあってなきもの、

みんな好きで、愛を込めて仕事やっているんだから、

夜中までかかろうが、休みがゼロだろうが文句なんかない。

といった世界だったはず。

気持ちがノッて、クリエイティブ魂が全開になって、

現場のテンションがグワーって盛り上がってきたところで、

「はい、6時になったんで今日はここでおしまい」

なんて言われたらドッチラケ。

昔の監督だったら「ふざけんな!」と怒鳴りまくるだろう。

と、僕は認識しているが、最近はそうした環境も

変わってきているのだろうか?

 

なんだかせっかくの受賞に

ケチをつけるようなことを書いたけど、

やっぱりこれは画期的な出来事。

ハリウッドの映画製作にも何か影響を与えるのだろうか?

ちょっと楽しみではある。

 


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ありがとうロボットリヤマ

 

最近はどうだか知らないが、

僕が子どもの頃、よく読んだマンガでは

作者自身がしばしば作品のなかに出てきた。

おそらく手塚治虫先生がその草分けだろう。

「バンパイヤ」では完全に登場人物のひとりとなって、

物語のなかで大活躍していた。

その他、石ノ森章太郎、永井豪などの

セルフキャラも印象的で、

土田よしこなどは、ほとんど自分を主人公にした

「よしこ先生」なんてマンガを描いていた。

 

鳥山明先生の自画像「ロボットリヤマ」も大好きだった。

僕は「ドラゴンボール」のことはあまり知らなくて、

好きだったのは「ドクタースランプ」の方だった。

ちなみに「ロボットリヤマ」とは

当時、僕とごく一部の友人がそう呼んでいただけで、

公式なキャラ名などではない。

 

デビュー当時、「ドクタースランプ」の絵は衝撃的で、

お洒落なのにめっちゃギャグ漫画しているところ、

そしてアラレちゃんをはじめとするキャラが

可愛くて弾けているところは、

それまでのマンガにない、新鮮な世界だった。

 

鳥山先生は名古屋出身、僕も名古屋なので、

ニコちゃん大王をはじめ、

ブロークンな名古屋弁をしゃべるキャラが

いろいろ出てくるのも面白くて親しみを覚えた。

 

ペンギン村には作者自身もやってきて、

しばしば登場していた。

最初の頃は人間の姿で出ていたが、

すぐに自己改造して「ロボットリヤマ」になり、

ペンギン村に移住した。

鉄を食べちゃうガッちゃんによく食われて、

半壊状態になっちゃうのには、いつも笑わせてもらった。

 

人気が爆発し、仕事が忙しくなり、

自分がマンガ生成マシーンのように思えて

ロボット化したのだろうか。

でも、みんなに喜んでもらうマンガを描き続ける

ロボットの自分をとても楽しみ、愛していたのだと思う。

どうかごゆっくりお休みください。

 


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どんな子どもも「世界は美しいよ」と実感させてくれる

 

認知症の義母を連れて日曜日の公園に行くと、

雑多な子どもたちがウジャウジャ走り回ったり、

飛んだり跳ねたり、わめいたりしている。

 

ここは自然豊かで、川が流れ、広場があり、

木もいっぱい生えていて生き物もたくさんいる。

季節ごとに表情が変わって面白いので楽しくなる。

 

そんななかで遊ぶ子どもたちは幸福だし、

それを見ては喜んだり、ハラハラしている義母も

幸福なはずだ。

当たり前のようにある風景なので、

そう感じる人は少ないのかもしれないが。

 

この少子化社会にあって、

普通に大勢の子どもといっしょにいられるなんて、

とても恵まれた環境のなかにいるんだなと思う。

 

子どもを育てるのは本当に面倒くさい。

面倒を見る保護者にとって手間暇かかるし、消耗するし、

邪魔に思えることもあるし、むかつくことは数えきれない。

 

けれども子どもは社会に絶対必要な存在である。

必要というのは将来の労働力になるとか、

おとなになった時に僕たちの生活を支えてくれるとか、

そんな理由から言っているのではない。

優秀かどうか、勉強やスポーツができるかどうか

なんてことも、はっきり言ってどうでもいい。

本当にどうでもいいことなのだ。

 

どんな子どもも地域にエネルギーをもたらしてくれる。

僕たちおとなを元気にしてくれる。

「世界は美しい」と実感させてくれる。

それで十分だ。

人間にはみんな、目に見えない才能がある。

子どもはそのことを思い知らせてくれる。

それをきちんと認識できないのが、

今の社会の未熟さであり、問題点だと思う。

 

僕はもう子どもにはなれないし、子どもの真似もできない。

ならばこの先、違うベクトルでいいから、

地域なり、どこかのコミュニティに

エネルギーをもたらす年寄り、

社会に必要とされる年寄りになりたいと考える。

なれるだろうか? 

特にとりえも専門技術も持ち合わせていないけれど。

いい具合に齢を取るのは、なかなか難しそうだ。

 


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週末の懐メロ177:危機/イエス

 

1972年にリリースされたイエスのアルバム

「危機」を初めて聴いたのは1975年。

高校に入って間もない春のことだった。

 

「危機 Close to the Edge」

「同志 And you And I」

「シベリアン・カートゥル Siberian Khatru」

収録曲はわずか3曲。

いずれも18分、11分、10分という

今では考えられない超大曲だが、

その充実度と緊張感、そしてスケールの大きさにのけぞり、

鳥肌が立ちまくった。

 

中学生の時にプログレにハマって、

ELP、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンと聴いてきて、

真打はイエス。

あの時はついに頂点にたどり着いたと思った。

 

率直に言って、これはELPの「頭脳改革」も、

フロイドの「狂気」も、クリムゾンの「宮殿」も超えていた。

最高のプログレ、いや、最高のロック、世界最高の音楽!

生涯でこれ以上の楽曲には出会えない、とさえ思ったことは

鳥肌のブツブツとともにずっと体内に残っている。

 

若さゆえの興奮と感動だったが、

じつはその思いは50年近く経った今でも

そんなに変わっていない。

 

その後、15歳の頃とは比べ物にならないほど

たくさんの、いろんな音楽を聴いてきて、

好きな曲もいっぱいできて、ランク付けなどできないが、

いまだに「危機」が最高峰にあることは確か。

いつ聴いても心動かされ、

精神的なエネルギーをもらっている。

 

川の流れや鳥の声など、自然音のミックスに続いて

不協和音が嵐のようにうねるイントロ、

そしてメインテーマに流れ込んでいく下りは、

カオスから宇宙が生成され、

地球が生まれてくるドラマを表しているようだ。

 

東洋哲学が反映された歌詞は抽象度が高く、

和訳を読んでみても、意味がよくわからない。

ただ、70年代のイエスは、

人間の友愛、世界の調和をテーマとして音楽を作っており、

その基本姿勢は美しいメロディラインからも感じとれる。

僕の耳には世界の生成と、人間はいかに生きるか、

人生という旅路のイメージを思い描く曲として響いてくる。

 

スタジオ盤は非常に繊細なつくりだが、

この1975年のライブではそれと対照的な、

あえて荒れた感じのアグレッシブな演奏になっており、

ライブならではの臨場感が楽しい。

 

メンバーのラインナップは、

スタジオ盤制作時からビル・ブラッフォードが抜け、

ドラムはアラン・ホワイト。

キーボードはリック・ウェイクマンから

パトリック・モラーツに交代した時期。

モラーツはごくわずかな期間しかイエスに在籍しておらず、

その後の度重なる再結成時にも参加していないので、

このパフォーマンス映像は貴重だ。

 

この頃、メンバーはまだ20代半ばの若者たち

ということにも驚く。

超絶テクでギターを弾きまくるステーヴ・ハウ、

ヴォーカル ジョン・アンダーソンの美声、

そして、それをサポートするクリス・スクワイアの

バックヴォーカルと、

こ曲のエネルギッシュな“うねり”を創り出す

躍動的なベースプレイ。

今は亡きスクワイアのカッコいい雄姿に、

彼こそがイエスのリーダーだったことが

如実にわかるライブとしても価値がある。

 

1960年代から70年代、

音楽の神がこの星に降りていた。

この時代にイエスの創造した楽曲は、

やはり地球上に起こった一つの奇跡だったことを

改めて実感する。

 

そして、中高生という、まだ子どもの時代に

胸に響いたもの、強く感じとったものこそ、

自分の人生にとって本当に価値あるもの・

大切なものなのだ、ということも。

 


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教育産業・受験産業は縮小してください

 

そろそろ受験シーズンも終わりと思っていたら、

電車内にぶわーっと有名学習塾の広告。

ライバルに負けじと複数の塾が一斉に広告を出している。

もちろん、いち早く次年度の塾生を獲得するためだ。

テレビCMもしかり。

戦略とか、マーケティングとかあるんだろうけど、

当事者でない者としては本当にげんなりする。

 

おまえに見せてるんじゃねーよ。

嫌なら文句言わすに無視しろ。

 

広告主はそういうだろう。

テレビは消せばいいが、

電車内では目をつむったり、逃げ出すわけにはいかない。

広告によってそういう環境を作り出すことが問題だ。

子供も親も「教育」とか「受験」に

脳が毒されてしまうからだ。

 

少子化の時代、僕は教育産業も成長を諦め、

縮小していくべきだと思っている。

大学もどんどん減らしていったほうがいい。

受験戦争に巻き込まれることにって、

さらに大学に進学することによって、

いったいどれくらいの子供や親が幸福になるのか?

 

もちろん、そんな数字は出ない。

学習塾は塾生の○パーセントが合格した、

志望校に入れた、一流校に入れた、

という結果が出ればそれでいい。

それが学習塾にとってのゴールだ。

 

けれども子供や親にとってはそれはゴールでも何でもない。

人によってはさらなる無間地獄への入口になる。

そんなことをもう半世紀以上も繰り返している。

 

僕が子どもの頃、楳図かずおのマンガの中に

「秀才」という作品があった。

(「おろち」というオムニバスシリーズの一編)

折しも受験戦争、受験地獄とい言葉が

生まれた時代のもので、

大学受験に向き合う親と子がいかに狂っているか、

いかに不幸なものか、その真髄を描き出した作品だ。

 

この頃はまだ大学への進学率も低く、

ある意味、ここまで狂ってしまうのは

ある特殊な層の、特別な家庭というイメージがあった。

けれども日本全体が豊かになり、情報化が進んだせいで、

この「秀才」の世界がどこの家庭にも浸透して

すっかり日本社会のデフォルトになってしまった。

 

そして大学に入ったら入ったで、

その後はベルトコンベア式に

就活、就職というイベントに巻き込まれる。

そんな子供たちにおとなは

「がんばれ受験生」「がんばれ就活生」などと

無責任なエールを送る。

ほとんど季節の風物詩というか、

子どもをネタにしたお祭りみたいな気分になっている。

これでは死にたくなる子供が増えてもおかしくない。

 

僕にはやっぱりこういう状況は

狂っているとしか思えないのだ。

受験勉強に情熱を傾け、

ある意味、生きがいに出来る子供はいいが、

そんな子は少数派のはずである。

それが当たり前のようになって

しまっているところがおかしい。

親も子も目を覚まして

こんなおかしなシステムに安易に巻き込まれず、

自分の心の声に耳を澄まして、

冷静に人生について考える勇気をもって生きてほしい。

 


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赤いパンツの底力 ~巣鴨とげぬき地蔵デイトリップ~

 

今日はとげぬき地蔵でおなじみの巣鴨へ。

べつに仕事で出かけたわけではないが、

月刊終活なんて仕事をやっているので、

巣鴨の実態くらい見ておこうかと思い、

カミさんといっしょにぶらっと出かけたのだ。

 

通称・とげぬき地蔵尊は、この商店街の真ん中あたりにある

曹洞宗のお寺「高岩寺」のこと。

このとげぬき地蔵尊商店街では

毎月4のつく日にたくさん露店が出てジジババで大賑わい。

僕らが若い頃、「おばあちゃんの原宿」として

マスコミが取り上げてよく話題になった。

 

その頃以来のキャッチフレーズはもちろん健在だが、

ただ違うのは、自分自身がここを歩いていても

全く違和感を感じないこと。

むかし感じた一種のカルチャーショックのようなものなど

微塵もなく、街全体に昭和の香りが充満していて、

そこらへんでたこ焼きは食えるわ、大判焼きは食えるわ、

玉こんやくは食えるわ、塩大福は食えるわで、

居心地いいったらありゃしない。

 

お店の看板も「ズボン屋」とか「バッグハウス」とか

「もんぺ・はんてんの店」とか、レトロ感ハンパなし。

なかでも巣鴨の代名詞とも言える赤いパンツが、

強烈な存在感をアピール。

 

でも、「年寄に赤」にはちゃんと科学的根拠があって、

赤い色を身に着けると血流がよくなり、

気分も上がって元気になれるのだ。

 

年齢・性別に関係なく、冷え性の人は

健康維持・向上のために、

ショボくれてる人・メンタルやられちゃってる人は

元気回復・テンションアップのために、

赤パンは超おすすめ。

 

しかも最近は、こじゃれた年寄り用なのか、

それとも上記の理由で若い人たちも買い求めに来るのか、

レースのついたお洒落でセクシーな赤パンも売られていて、

ドッキリ!

見ると某有名下着メーカーの製品である。

 

それ以外にもいろんなレッドなお召し物が

ずらりと並び圧巻。

見ているだけで元気が出てくる。

気楽で面白いので、

老いも若きもぜひ巣鴨をぶらついてみよう。

 

 

おりべまことはジジババが登場・活躍する小説も

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という方はぜひご連絡ください。

 


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週末の懐メロ176:ヒーローズ/デヴィッド・ボウイ

 

歌で映画でドラマで、様々なコンテンツで

「ヒーローズ」というタイトルを見かけるが、

僕にとっての「ヒーローズ」は

デヴィッド・ボウイの歌しかない。

 

1977年リリースのアルバムのタイトル曲。

アナログ盤では「英雄夢語り」という邦題がついていた。

ボウイがドイツに住んでいた時に作った歌で、

ブライアン・イーノ、トニー・ヴィスコンティらと組んだ

プロジェクトから生まれた。

「ジギースターダスト」や「ヤングアメリカン」を経て、

シンセサイザーを強調した、

プログレ&ニューウェーブ系の音楽に

傾倒していた時代の歌だ。

 

単調なメロディのくり返しのなかで

「僕らは人生で一日だけならヒーローになれる」

と唱えるこの歌は、

ベルリンの壁の傍で落ち合う恋人たちの姿を見て

着想されたという。

 

ここでは「ヒーローズ」という言葉が、

閉塞的な状況における人の儚い夢

という意味で使われており、

他のコンテンツにあるような

英雄崇拝・英雄賛歌などではない。

だからいい。

 

この歌がリリースされて数年間——

70年後半から80年代前半頃は、

この曲・アルバムの評価はさして高くなく、

成功作とは見做されていなかった。

ボウイのキャリアの中でもランク付けは低かった。

 

けれども1989年6月、

ボウイが当時の西ベルリンの壁際で行ったコンサートから

「ヒーローズ」の評価は劇的に変わった。

まさに壁崩壊(ドイツの東西統一)の5カ月前。

ボウイの歌が、観衆の熱狂が、壁の向こう側にいた

東ベルリンの人々の心を強く動かしたのは間違いない。

 

以来、そのベルリンコンサートのシンボルとして

「ヒーローズ」は傑作と言われるようになり、

時を経るとともに名曲度を増していった。

そしていまや、ボウイの全キャリアを通して、

一番にその名が挙がる代表曲、

さらに数ある20世紀ロックのなかでも

最高峰の名曲として多くの人が認めている。

 

リリース以来、実に多くの時代・場所で歌われ、

幾多のミュージシャンにカバーされてきたが、

いま聴いてみて、ボウイ自身の

ミレニアム前後のパフォーマンスが

最も素晴らしいのではないかと思う。

この頃のバックバンドは強力で、

それまでのボウイにはなかった独特のグルーブを創り出し、

21世紀の新しい「ヒーローズ」を生み出した。

 

シンプルなメロディの繰り返しから

観衆を巻き込んでぐんぐん盛り上がり、

ポジティブなエネルギーを創出していくさまは圧巻の一言。

ふたたび社会の閉塞感が強まり、

壁の内側に人生が閉じ込められ、

精神を苛まれる人がますます増える時代。

 

何があっても生きろ、生き続けろ

誰もがなれる おまえも人生のヒーローになれ

自分自身のヒーローになれ

 

ボウイのそんなメッセージが聴こえてくる。

本当に感動的だ。

 

このバンドの黒人女性ベーシスト

ゲイル・アン・ドーシーは今、

ボウイミュージックを継承する音楽家として活躍している。

彼女が歌う「スペース・オディティ」は美しく、

まるで亡きボウイへの鎮魂歌のようにひびく。

 

 

 

2020年10月にデヴィッド・ボウイの

「5年間 Five Years」で始まった

この「週末の懐メロ」は、

3月いっぱいでいったん終了します。

今回を含め、最後の5回はアンコールシリーズ。

どうぞ最後までお付き合いください。

 


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かさこ交流会に参加

 

昨日はネット界で活躍している

カメライター・かさこさんの交流会に参加した。

自分でいろんな仕事をして、

人生を開拓しようとしている人たちが集まっていて、

いろいろ話が出来てとても面白かった。

僕が最高齢かと思っていたら70代の人も参加。

年齢とか全然関係ない世界。

 

かさこさんは最初、どうやって知ったのか憶えてないが、

6,7年前ぐらいから、

たまにちょこちょこブログを読んでいるうちに

ヘビーユーザーになった。

 

ビジネス関係・自己啓発関係で

ウソクソな情報があふれ、ぼったくりセミナーが横行し、

まともな人でも

単なる批評家みたいな人ばかりのネット界で、

信頼に足る数少ないリーダー。

良心的でナチュラルで具体的な行動に繋がる発信&

コミュニティづくりをやっている。

 

巷にあふれるウソクソ儲け話、

マルチまがいセミナー、

虚飾にまみれた起業成功ストーリーなど、

コロナ禍をしのぐインチキウィルス情報で

脳をやられちゃっている人は、

かさこさんの発信を読んだり、

セミナーや交流会などに出て

自分の仕事・人生の療養・自然治癒に取り組もう。

まさにネット界の漢方薬・鍼灸師。

仕事と家庭だけで行き詰まっちゃっている人にもおすすめ。

 


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64歳と14歳の「今はまだ地球がふるさと」

 

「僕が64歳になっても、きみは僕を愛してくれるかい?

と歌うのは、ビートルズの

「ホウェン・アイム・シックスティー・フォー」。

この歌が出された1967年頃は

64歳がイギリス人の平均寿命だったらしい。

同じころの日本人の寿命はもっと短かったと思う。

自分もその齢になって、ちょっとドキドキしている。

 

齢を取っていいことは、経験したどの年齢にも

自由自在に往復できること。

なので還暦を超えると時おり中二病が再発する。

中二の時は「中二病」なんて言葉はなかったけど。

 

おとなみたいに適当にやり過ごすことができなくて、

「生きる」ことに対して一生懸命に考えている中学生

――にたまには戻ってみてもいい。

 

そうしてこの先のことを考えてみる。

わたしは、あなたはどう生きたいのか?

そんな思いがあって出来上がった話。

 

 

おりべまこと電子書籍最新刊 

今はまだ地球がふるさと

 

Amazon Kindleより¥600

 

 

自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、

小学校時代からの親友サーヤとともに

あちこちの葬式を巡り

「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては

聖女のごとく祈りを捧げている。

 

そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている

中年男・中塚と出会い、彼を介して、

ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・

小田部と知り合った。

孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは

彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、

食事や掃除の世話をするために家に出入りするようになり、次第に親しさを深めていく。

 

そんなリコに恋したシンゴが彼女の気を引くために

「きみのためにUFOを呼ぼう」

と言ってアプローチすると、

リコが生きる世界にさまざまな

不思議な現象が起こり始める。

 

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

 


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工事現場はもうアトムの世界

 

今朝、テレビのニュースを見てたら、ダム工事の現場で

ダンプやパワーショベルなど、自動運転の重機が

ガンガン働いているのでびっくり。

1ダース以上いたが、すべて無人。自動運転。

人間がいないので、燃料補給以外、休む時間もなく、

それこそ24時間はたらけまーす、である。

現場は秋田で、そこから数百キロ離れた会社から

遠隔操作しているそうだ。

 

それとは別のもう少し小規模な工事現場でも

無人重機が動いていて、

こっちは遠隔操作している操縦者が登場。

会社のオフィスの一角にシュミレーターを設置した

スペースを作って、モニターを見ながら動かしている。

 

さらに驚くのは、操作しているのが女性事務員。

彼女は1日のうち半分事務仕事をやって、

半分はこの工事をしているという。

しかも子育てママなので、子連れ出勤。

シュミレータースペースのわきには、

子どもを寝かせたり遊ばせたりする部屋がある。

作業中も、ヘルメットも作業着も安全靴もいらない。

足もとなんかキティちゃんの顔が付いたサンダル履きだ。

 

公道を走る車やバスの自動運転は、

安全性の問題があるのでまだまだ時間がかかるが、

逆にこうした作業現場はどんどん自動化されて、

逆に人間が危険地帯に入らなくていいので安全だ。

ロボットではないものの、

重労働はみんな機会にお任せという

アトムの世界がすでに実現している。

 

AIの普及といい、こうした無人重機といい、

コロナ後の世界はすごいスピードで様変わりしている。

むむ、目が回り、ちょっと息切れが・・・。

 

 おりべまこと電子書籍 最新刊 

「今はまだ地球がふるさと」

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。


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今はまだ地球がふるさと 本日発売!

 

おりべまこと電子書籍 最新刊 本日発売!

「今はまだ地球がふるさと」

 

レビューにいつもより時間がかかったので、

もしや中学生の女の子に

セクシーなセリフを言わせたのでNG?

と一瞬心配しましたが、無事出せました。

91,000字の長編小説。

Amazon Kindleより¥600で発売中!

 

あらすじ

 自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、

小学校時代からの親友サーヤとともに

あちこちの葬式を巡り

「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては

聖女のごとく祈りを捧げている。

 

 そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている

中年男・中塚と出会い、彼を介して、

ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・

小田部と知り合った。

孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは

彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、

食事や掃除の世話をするために

家に出入りするようになり、

次第に親しさを深めていく。

 

そんなリコに恋したシンゴが

彼女の気を引くために

「きみのためにUFOを呼ぼう」

と言ってアプローチすると、

リコが生きる世界に

さまざまな不思議な現象が起こり始める。

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

 

もくじ

1 地球人の母になる

2 星のおじいさま

3 UFOに出逢ったお母さん

4 ラブリーな親友

5 恋文と宇宙の夢

6 令和終活コーポレーション

7 記念碑ツアー

8 レトロ喫茶と未来の記憶

9 取り調べ

10 里山の合宿でUFOと出逢う

11 UFO同窓会のレポート

12 奇妙な家族だんらん

13 競馬場でのドラマ

14 絶交

15 星のおじいさまの息子

16 いつか見た虹のこと

17 UFOからのメッセージ

18 天国への扉

19 魔法のアイドル誕生

20 ありがとう友だち

21 いつか家族に

 


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残酷でカオスな傑作「進撃の巨人」

 

約1カ月半かけてAmazonPrimeで

アニメ「進撃の巨人」全94話を見た。

先月末の途中経過でも書いたが、人間が食われる話なので、

残酷描写がかなりのもので、見続けるのが精神的にきつい。

それに慣れてきた中盤で

かつて仲間と信じていた者同士が「共食い」になるので、

これまたきつくなる。

 

それでも3分の2くらいのところまでは、

自分たちがなぜ壁に閉じ込められているのか、

その謎を解こう。

そして、この壁の向こうにあるはずの

海を見に行こう、という少年の夢がある。

つまり、そこまではどんなに残酷であっても

希望に満ちた冒険物語になっていて、

夢を達成した少年たちが新たな世界に旅立つ――

といった美しい結末を予感させていた。

 

ところが話はそんな単純ではない。

問題はそのゴールに達したあとのこと。

人生と同じで当たり前だけど、

僕たちはいつまでも少年少女のままではいられない。

この作品は安易なハッピーエンドで

お茶を濁すようなことはしなかった。

 

カメラが180度切り替わり、新たな世界に視界が開けると、

そこにはさらに救いのない

残酷で恐ろしい世界が広がっていて、

そこでまた戦わなければいけなくなる。

 

後半の話はどんどん深く複雑になり、

それまでのいろいろな謎が解けていくのだが、

ますます見るのが辛くなっていった。

 

そして、そもそもいったい誰が主人公だったんだっけ?

と思わせるようなカオス的な展開になっていく。

それでも向き合わずにはいられない気持ちにさせるのが、

この作品のすごいところ。

 

壁とは何か?

巨人とは何か?

近代日本、戦後日本社会のメタファーであり、

風刺であるという説がよく聞かれるが、

帝国主義や数々の戦争、難民問題などから形づくられた

現代の人類の世界全体の暗喩であるとも受け取れる。

 

ラストも決してスカッと終わらず、あれでいいのかという、

気持ちの悪い違和感が腹の中に残った。

まるで「後味の良い感動を残す物語」なんてあざ笑い、

ぶった切るかのようだ。

最後の最後のあのシーン、あのセリフは、

希望や救いと言えるのだろうか?

 

「進撃の巨人」の世界には

随所にさまざまな意味が込められており、

それをどう読み解き、何を考えるかは

読者・視聴者の向き合い方次第と言えるだろう。

それだけの豊かなものがこの作品には詰まっている。

少し落ち着いたら、

今度は原作のマンガを通読してみようと思っている。

 

いずれにしてもこの時代に、マンガ・アニメという手法で

こんなすごいドラマを創り上げた作者を

リスペクトせずにはいられない。

 

おりべまこと Kindle新刊:長編小説

今はまだ地球がふるさと

 

本日2月25日発売予定でしたが、

残念ながら提出が遅れたため、

まだレビュー中。

楽しみにされていた方、

どうもごめんなさい。

明日までお待ちくださいね。


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週末の懐メロ175:ババ・オライリー/ザ・フー

 

1971年リリース。

最高傑作アルバム「フーズ・ネクスト」の挿入歌で、

ザ・フーのキャリア全体を通じても最高の一曲。

さらに言えば、60年代から70年代の

ポップロック、ハードロック、プログレッシブロックの

美味しい部分をすべて凝縮した、ロック史に残る名曲だ。

 

♪この荒野で俺は糧を得るために戦う

 生きるために全力を尽くす

 正しさを証明するために

 戦う必要はないし 許される必要だってない

 

そんな歌詞で始まるこの曲は、

スコットランドの農民が、

妻と子供を連れてロンドンへ脱出する

という物語を音楽で描く

「ライフハウス」というロックオペラの一曲だった。

ところが、この「ライフハウス」の構想がまとまらず、

通常のスタイルのアルバムに挿入された。

結果的には単独曲となったことで

ザ・フー随一のヒットナンバーになったのかもしれない。

 

タイトルも当初は歌詞に沿って

「Teenage Wasteland(10代の荒野)」と

つけられる予定だったが、

インドの神秘家メヘル・バーバー(Meher Baba) と、

アメリカの作曲家テリー・ライリー(Terry Riley)の

ファーストネームを合わせたものに変更された。

これは当時、作詞・作曲の

ピート・タウンゼント(ギタリスト)が

メヘル・バーバーの思想にいたく

傾倒していたことから来ているようだ。

 

ザ・フーはこの頃、スピリチュアルな物語を

ロックオペラというスタイルで

ドラマチックに表現することに取り組んでおり、

大成功をおさめた1967年の「トミー」は

ケン・ラッセル監督によって1975年に映画化、

その後、ミュージカルとして舞台化もされた。

 

戦争に行った夫が戦死したと思っていた

妻は新しい男と恋に落ちた。

けれどもその男との情事の最中、死んだはずの夫が帰還。

夫は怒りにまかせて情夫を殺してしまう。

ところが、その様子を幼い息子トミーが見てしまった。

あわてた父と母は息子に言い聞かせる。

「あなたは何も見なかったし、何も聞いていなかった」

「このことは誰にも話してはダメ」と。

両親から与えられたそのトラウマによって、

トミーは見ることも、聴くことも、

話すこともできないという三重苦を負ってしまう。

 

そんなストーリーのロックオペラ「トミー」は

トミーが三重苦を克服し、

自己を解放し、自由に羽ばたくという内容で、

僕は高校生の時にその映画を見たが、

カルチャーショックを受け、

自分の中の重要な音楽体験・映画体験として残っている。

 

「10代の荒野」だった「ババ・オライリー」では

最後にこう歌う。

 

♪10代は不毛な時代 たかが10代の荒野

  10代は不毛な時代 10代に実りはない 

  全てが無駄なんだ

 

「ライフハウス」がどんな物語だったのかわからないが、

10代に何を体験するか、

そしてその後、その体験をどう捉えるかで

人生は大きく変わるのだと思う。

 

おりべまこと電子書籍「週末の懐メロ」AmazonKindleにて好評発売中! 各300円


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今はまだ地球がふるさと

 

おりべまこと電子書籍新刊のご案内
おとなも楽しい少年少女長編小説(9万1千字)
「今はまだ地球がふるさと」
久しぶりに子ども(中学生)を主人公にした
青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。
長編小説(9万1千字)。
最初の予告よりちょっと遅れて、
2月25日(日)発売予定。
お楽しみに。

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となりのレトロより:あんたも閻魔様に舌抜かれるよ

 

インターネット社会になって女性不信になった。

というのは冗談だが、

おかしなネット発信は女が多い。

SNSは本当にひどい。

 

FBでは国内外を問わず、会ったこともない女から

ガンガン友だち申請が来る。

もろエロ系もあるが、それとなくまともを装った

表向き若い女が多い。

どんなやつか発信履歴を見ると、まったく中身がなくて、

写真だけいろいろ投稿している。

 

たまに「あなたの発信に感動しました」という

ほめ殺しコメントを書いてくるのもいる。

あと、もしかたら油断させようというつもりか、

落ち着いた高齢女性から来ることもある。

海外に移住して悠々自適にやってます的マダムとか。

 

X(ツイッター)のほうは、

やたらとドラマチックな女が多くて、

親の虐待とか、夫のDVなどでかわいそうな目に会って、

ン千万という借金地獄に落ちたが、

奮起しただの、すごいメンターに出会っただのの

ミラクルな大転換があって、すべて一気に返済・完済。

今では副業で月にン百万稼いでます。

あなたもおひとつどうですか?っていうやつ。

 

いやいや、世の中にはすごい女性がわんさかいるもんだ。

そんなお金持ちなら、

僕みたいな者にからむのは時間と労力の無駄遣い。

アメリカでもシンガポールでもドバイでも行って

よろしくやってくださいな。

 

それにしても僕などの世代の人間は子どもの頃、

嘘つくとバチがあたるとか、

地獄に落ちて閻魔様に舌を抜かれるとか、

おとなによく言われたものだが、

今の人間はまったく意に介さないらしい。

なんだか閻魔様が懐かしく、可愛く思えてくる。

 

となりのレトロの僕から言わしてもらうと、

ウソメールとか、サギ発信とかに

大事な人生の何割も使っていると、

やっぱりそのうち相応の罰が当たると思うよ。

 

 


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週末の懐メロ174:世界の重みを手に持つ少女/エディ・リーダー

 

80年代後半に活躍したフェアーグランド・アトラクション。

そのリードシンガーだったエディ・リーダーが、

グループ解散後、1992年に初めて出した

ソロアルバムの中の一曲。

カヴァー曲で、

オリジナルは「インディゴガールズ」というデュオが

1990年にリリースしている。

 

日本で最初にCDで出た時は最後に入っていたせいもあり、

アルバム全体の余韻とともにとても深く心に染みた。

 

子どもから大人になる過程で

誰もが世界の重みを感じるようになるが、

別の命を体内に宿すことができる女性は、

その感覚がひとしお強いのかもしれない。

 

婚活や妊活に熱心になり、

人生のスケジューリングに躍起になる女性が増えているが、

子どもを産める期間が25年から長くて30年

(たぶん現実的にはもっと短くてその3分の2程度)と、

限られていることを考えると

男がとやかく言ってはいけない気がする。

 

でもやはり人生の楽しみはスケジュールから

外れたところにある。

女でも男でもいいから、

手にしてしまった世界の重さを分かち合える人と

出逢えたらいいね。

 


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なぜ昭和の“すごい”人たちは本を出せなかったのか?

 

昭和は今と比べて野蛮な時代だったと思うが、

面白い人生を送ってきた人たちがたくさんいた、と思う。

今より貧しく、生活が不便で洗練されておらず、

管理も緩かった分、

生きるエネルギーに溢れていた。

逆に言えばエネルギーがないと生きられなかった。

 

なので若僧の頃はエネルギッシュな人たち、

劇的な人生を送って来た人たち、

すごい人だなと感心するような人たちに何人も出会った。

それもみんなけっこう若い、30代・40代の人たちが多かった。

彼らのドラマチックな話を聞いていると、

自分はなんて臆病で凡庸な人間だろうと

劣等感を抱いたくらいだ。

 

そうした人たちの冒険譚・英雄譚・武勇伝などは

自伝にしたら面白いし、

それらの体験をもとに小説も書けるのではないかと思った。

 

事実、自分はこんなに面白いことをしてきたから

そのうち本にして出すよとか、

ネタにして小説を書くよとか、映画や芝居にしてやるよと

僕に話していた人は一人や二人ではなかった。

 

けれども憶えている限り、実現した人は一人もいない。

ノンフィクションであれ、フィクションであれ、

そうした(世間的には無名だが)すごい人たちの話が

物語になり本になることはなかった。

 

なぜか?

そういう人たちは字を書かなかったからである。

当たり前のことだが、

机に向かって字を綴るという地道な「作業」をしない限り、

永遠に本も物語も生まれないのだ。

そうしたものを作るためには本人とは別に

字を書く「作業員」が必要になる。

 

自分のなかにもう一人、

そういう作業員を持っている人はいいが、

大方の人は「文才があればやるけど」

「時間があればできるけど」と言って逃げていく。

 

いつかあの人のあの話を本で読んだり、

映画やテレビで見られるだろうと思っていた人たちは、

(現時点では)誰もそうならなかった。

齢のことを考えると、

結局そのまま人生が終わってしまった人も

少なくないのではないだろうか。

なんだかもったいない気がする。

 

昭和と違って今ではSNSやブログもあるし、

動画配信もあって、いろいろ発信の手段はある。

けれどもやっぱりそれらと

本を刊行することは別の作業が必要なのだと思う。

 

「文才があれば」「時間があれば」というのは言い訳だが、

現実的には確かにそれも分かる。

毎日、いろいろ忙しいことばっかだからね。

でも時は止まってはくれない。

そう考えると人生は短い。

「いつかやろう」が永遠に来ない可能性は高い。

 

もし、そうした本を書くための「作業員」が必要なら

ご相談に乗ります。

 


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キャンペーン終了と新刊発売のお知らせ

 

おりべまこと電子書籍「おふくろの味はハンバーグ」

https://amazon.com/dp/B0CTG3XP3B

無料キャンペーン終了しました。

ご購入ありがとうございました。よろしければレビューをお寄せください。

引き続き発売中です。

読み放題でも読めるので、どうぞご利用ください。

 

次の新刊は長編小説「今はまだ地球がふるさと」

自分は異星人とのあいのこだと言い張る女の子と

彼女が「星のおじいさま」と呼ぶ終活老人とのお話。

2月22日(木)発売予定。お楽しみに!

 


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コシコシ・シコシコ桶川うどんを食べる旅

 

昨日は埼玉の桶川を旅して、お昼にうどんを2杯食べた。

埼玉県は香川県に次いでうどんの生産量全国第2位。

そばを合せてめんの生産量としては堂々1位となる。

ついでにうどんの原料となる小麦の生産高も第9位で、

関東では群馬に次ぐ「麦どころ」だ。

土地や気象条件が麦づくりに適しているらしい。

 

ただ、讃岐うどんと違って、

「埼玉うどん」というのは存在しない。

定型がなく、これぞ!という特徴に欠けている。

要はブランディングできていないのだ。

香川=讃岐とちがって、

江戸時代から今日まで、首都圏の台所として

いろんな農産物の需要があったので、

がんばってうどんを売り込む必要性がなかったからか。

 

その中でも江戸時代の中山道の宿場町

「桶川宿」があったことで

桶川のうどんはその名を広く知られるようになり、

ある程度、ブランド化しているといえるだろう。

 

これも決まったスタイルがなく、

スタイルは店によってまちまち。

共通する特徴としては、

讃岐うどんに勝るとも劣らないコシの強さだ。

まさにコシコシで、シコシコ感ハンパなく、

噛むのにあごが疲れるくらいだ。

 

今回は2軒ともかけうどんを食べたが、

1軒目は鶏もも肉と昆布をコテコテに煮込んだ

関東系の濃い出し汁。

 

2軒目は讃岐に近い薄めのあっさりした

関西系の出汁で、これも店によっていろいろらしい。

 

また、冷たいうどんを熱いつけ汁につけて食べるのが

桶川流らしく、

2軒目の店ではそのバリエーションが豊富だった。

テーブルに岩塩と黒コショウのミルが置いてあり、

肉系のつけ汁にはこれらを入れて食べるらしい。

うどん屋に塩・胡椒が常備してあるなんて

初めてお目にかかった。

 

いずれの店も中山道沿いにあるが、

片や地元の人のごひいき、

片や外からも食べに来るお客が多いようで、

店の前には行列ができていた。

 

なぜ2杯食べたのか、長くなるので事情の説明は省くが、

結果的に2軒入れてとてもよかった。

桶川には他にもうどんの名店が20店くらいあるというので、

機会があれば食べ比べをしてみても面白い。

 

さて、今日はあなたは何を食べますか?

 

 

 

おりべまこと電子書籍

おふくろの味はハンバーグ

2月12日(月)16時59分まで

無料キャンペーン実施中!

読めば食欲がわき、

元気が出る面白エッセイ集。

この機会にぜひご賞味ください。


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週末の懐メロ173:ザ・ウェイ・イット・イズ/ブルース・ホーズビー&ザ・レンジ

 

1986年リリース。

お気楽ポップ、エンタメロックが多数輩出され、

音楽産業が肥大化した80年代。

そのなかで異彩を放つ、

人種差別問題と真正面から向かい合った

シリアスなテーマの楽曲が

全米ナンバーワンヒットになった。

 

♪1964年、ある法律が成立した

これまで恵まれなかった人々を救うためだ

けれども、ただそれだけのこと

法律は人の心までは変えられない

 

重い歌詞を変幻自在のピアノプレイに乗せて、

歌うホーンズビーは独自の輝きを放っていた。

 

この頃、僕はロンドンで暮らしていたが、

イギリスでも大ヒットしており、

今でも最も印象深い曲の一つになってる。

そしてこの歌で描かれた社会状況も

40年近く経っても変わらない。

いや、階級社会の進行でますます悪くなっている。

 

90年代以降、数々のヒップホップアーティストに

カバーされ、サンプリングされ続けており、

最近では2020年、ポロGが2020年の

「Wishing for a Hero」で使っている。

 

それとともにこの曲とホーンズビーの活動にも

新たなスポットが当たっている。

 

https://www.youtube.com/watch?v=14AYq_rBJUg

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ぜひご賞味ください。

 

 

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「おふくろの味はハンバーグ」無料キャンペーン

 

無料キャンペーン 本日よりスタート!

2月9日(金)17時~12日(月・祝)16時59分 

4日間限定

読めば食欲がわき、元気が出る面白エッセイ集。

いっぺん食ってみたってちょ。

 

もくじ

・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史

・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った

・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

・昭和最強のおやつ ベビーラーメン

・さらば、おれの牛丼

・どうだ、銅だ、ブドウだ

・ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?

・マイナビ農業 ハラール認証

・飲食業の現場で働く人たちの意欲・生きる元気

・新宿にパステルが帰って来た

・がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ

・誕生日のドラえもんとウサギ

・なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は

   信用できるのか?

・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

・美野原御膳と日本の里山

・吉祥寺にやってきたクレヨンハウス

・カエルの幸福サラダ

・一汁三菜はより良き食卓・家庭・人生の秘訣

・五右衛門の湯豆腐と空海の鴨カツ丼

・おふくろの味はハンバーグ

・みんなのハンバーグ  

全22編載録

 


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女を舐めるべからず

 

能登地震の報道がひと段落すると、

テレビもネットもまた毎日のように

芸能人やスポーツ選手の女性問題報道。

僕はそういうことに関心が薄く、

首を突っ込んであれこれ調べている時間はないので

詳しいことはわからない。

 

ただ、こんな僕でも言えることは、

訴えられた彼らが女を舐めていたことは確か。

本当に性加害者なのかどうかはともかく、

むしろ被害者だとしても、

いわば昭和までの男尊女卑思想や

女性に対する甘えがあったからこそ、

罠に掛かってしまったのではないか。

 

令和の世の中、女が以前とは比べ物にならないくらい

社会的な力を持ち、賢くなっていることは、

すべての男が肝に銘じておいたほうがいい。

訴える女も、協力する週刊誌も、どう転んだって

得するように損得勘定を立てている。

そういうビジネスモデルが出来上がっているのだ。

 

YouTuberやネット上で発信している人たちも

その問題を取り上げればアクセス数がバク上がりするので

正義面・評論家面して言いたい放題、やりたい本題。

カモにされる男の芸能人やスポーツ選手は

これからも続々と現れそうだ。

 

「女遊びは芸の肥やし」という言葉が

まだ生きているのかどうかは知らないが、

芸能人やミュージシャンなどはまだいい。

たとえ活動休止に追い込まれても

いずれプラスに働く場合もあるし、復活の目もある。

 

けれどもスポーツ選手はダメだ。

裁判の期間が長いのに対し、アスリートの寿命は短い。

たとえ無罪が証明できたとしても、

訴訟を起こされスキャンダルの嵐が吹き荒れた

数か月・数年の間に

最も活躍できる旬の時期が過ぎてしまう。

 

「あいつを潰してやろう」という陰謀が企てられ、

ハニートラップを仕掛けてくる奴らがいないとも限らない。

トップアスリートを目指す選手は

恋愛など望まず、そこらの女に目をくれず、

商売と割りきっている女(でも絶対安全とは言い切れない)

とだけ付き合った方がいい。

言ってみれば一流スポーツ選手は恋愛御法度。

するなら選手生命と引き換えにするぐらいの覚悟がないと。

 

平成生まれの若い連中がそうなってしまうのは、

やはり男尊女卑や女性に甘えていた

先輩や父親・家族の影響だろう。

その辺は指導者もフォローしたほうがいい。

 

僕も東京に出てくるときに父に言われた。

「女にはよくよく気を付けろ」と。

若い時にそういうことがあったのだろうか?

亡くなっているのでもう確認できないが、

彼の忠告が効いて、

ここまでそうひどい目にはあっていない。

たんにモテないし、女が怖いだけだけど。

 

 

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電子書籍「おふくろの味はハンバーグ

 

2月9日(金)17:00~

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読めば食欲がわき元気が出る面白エッセイ集。

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「おふくろの味はハンバーグ」無料キャンペーン予告

 

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「おふくろの味はハンバーグ」

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 無料キャンペーン期間:

2月9日(金)17:00~2月12日(月・祝)16:59

読めば食欲がわき元気が出る面白エッセイ。

ブログでトノサマラーメン、カエルのから揚げ、

ChatGPTに訊いたロンドンの日本食なども載録。

 

もくじ

・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史

・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った

・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

・昭和最強のおやつ ベビーラーメン

・さらば、おれの牛丼

・どうだ、銅だ、ブドウだ

・ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?

・マイナビ農業 ハラール認証

・飲食業の現場で働く人たちの意欲・生きる元気

・新宿にパステルが帰って来た

・がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ

・誕生日のドラえもんとウサギ

・なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は信用できるのか?

・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

・美野原御膳と日本の里山

・吉祥寺にやってきたクレヨンハウス

・カエルの幸福サラダ

・一汁三菜はより良き食卓・家庭・人生の秘訣

・五右衛門の湯豆腐と空海の鴨カツ丼

・おふくろの味はハンバーグ

 

・みんなのハンバーグ

 

 


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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その③

 

 

 一方、みずからジャパニーズネッシー捜索隊の総指揮官に就任した国会議員は、隊を北と南、二班に分けて、北海道の屈斜路湖、鹿児島県の池田湖から捜索をスタート。政府公認の研究施設や大学の生物学研究所などから選ばれたスタッフがそれぞれ8名ずつ派遣され、現地調査を行った。マスコミも大挙して押し寄せて大騒ぎをしていたが、こちらもナッシー捜索の子どもたち同様、待てど暮らせどクッシーもイッシ―も現れないので、数日するうちに飽きてきた。

 

 それからしばらく後、とある大臣のスキャンダルが発覚し、政府がマスコミの糾弾を受け、野党が色めき立つと、ジャパニーズネッシー捜索隊もそのとばっちりを受けて国会でやり玉に挙げられた。

 いったいあの予算はどこから出ているのか?

 国会議員がろくに仕事もしないで、あんなろくでもないことに現を向かしていいのか?

 そもそもあの活動が社会的・経済的にどんな意味・どんなメリットがあるのか? など云々。

 当の作家議員は抗弁するのに窮してトーンダウンし、何も見つからないまま捜索は打ち切られることになった。結局、ジャパニーズネッシー捜索隊は奈々湖には来ずじまいだったのだ。

 

 村長はマスコミの取材に応じてコメントを残した。

 「まことに残念です。ちゃんと捜索すれば、必ずや世紀の大発見になったのに。ナッシーは間違いなかったのですから」

 そのコメントはちゃんとそのまま新聞や雑誌に載ったが、それだけだった。そこから何か新しい活動が展開されることはまったくなかった。そして、そんな騒ぎがあったことも遠い昔ばなしになった。いまやこの湖にナッシーの伝説があったことを知っている人さえ少なくなっている。

 しかし、世の中には6600万年前に死に絶えた巨大な生き物が、今まだ、この地球上のどこかに生き続けているはずだと信じている人が驚くほど大勢いる。それはもはや願いのようなものだ。

 おれたちにはその願いをかなえるミッションがある。

 

 一彦はまじめな顔をして大善に訴えた。

 大善はうんうんと頷いたものの、いったい東京で何があったのだろう?と訝った。たしかにいっしょに古文書の捜索などもやったが、彼の記憶の中の一彦は頭の良い秀才タイプで、むしろ周囲の子どもたちよりも一般常識をわきまえている男だった。

 中学生になる頃には奈那湖の怪物のことなどすっかり忘れて、勉強と部活のバスケットボールに打ち込んでいた。時々、テレビや雑誌で見たオカルト話で盛り上がることはあったが、それはちょっとしたお楽しみの範疇だった。もうその頃にはみんな、おとなになって社会の常識の中で生きていかなくてはいけないことがわかっていたのだから。

 いったい何が一彦を、いわば逆行させてしまったのか、大善にはわからなかったが、人が大勢来て村が賑わうことはいいことだ。そして正直、大善も時おり湖畔を散歩しては、ああ、本当に怪物が出てきて、また大騒ぎが起こればいいのにと考え、朝夕のお務めで仏に向かって祈念していたのである。

 そしてもう一人、このナッシープロジェクトに参加したいという人物が現れた。その名も菜々子という。

 


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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その②

 

子どもたちが探しまわった古文書は仏像や古地図が所蔵してある部屋にしまわれていた。住職――大善の父は村長からの連絡を受けてそれを取り出しておいた。

 翌日、村長以下、村のお偉方はがん首揃えて麟風寺を訪れ、住職――大善の父に古文書を見せてくれるよう願い入れた。

 住職は彼らを客間に通し、とっておきの黄金に輝く法服を着て出迎えた。そして訴えを聞くとまるで時代劇のように大仰な間を取り、両手を合わせて目をつむった。そして読経を始めた。村長らも慌てて手を合わせ、首を垂れる。

 一分ほどのち、住職は目を開き、傍に法具の上に用意してあった古文書をしずしずと村長らの前に取りだし、一枚ずつ広げて見せた。ミミズがのたくったような黒々とした文字が黄ばんだ和紙にえんえんと書き綴られている。村長らは食い入るような目つきでその文字の列を追っていたが、何が書いてあるのやら、さっぱり読めない。住職はいつにない厳かな口調でそこに書いてあることを解説した。

 そして絵を見せる。どれも子どもの落書きみたいな絵だが、たしかに怪物らしきものが描かれている。

全員が深いため息をつき、客間はしばし沈黙に包まれた。

「これは間違いありませんな」

最初にそう声を発したのは、観光課長の田中だった。

 「他の湖にはこれほどの資料はありますまい。動かぬ証拠です。ナッシーは間違いなく、日本のネッシーの一番手です」

 「けどなぁ」

 そう異議を唱えたのは副村長の山田だった。

 「他のところには写真があるんだよ、写真が。ナッシーにはあるのか?」

 「たしかありますよ、何枚か」

 「なんかコブが水から突き出していたりとか、ぼんやりしてて何だかわからない黒い影が映ってるのしかないだろ。おお、これは恐竜だっていう決定的なやつはないの?」

 「そんなの他のところにだってないですよ。みんな似たり寄ったりだ」

 そこでけんけんがくがくの議論になり、結局、決め手は写真で、古文書はその付属品に過ぎない、という話になった。住職は憤まんやるかたない思いを抱いたが、とにかく村をあげての大事業だから協力すると約束してその場は収まった。

 子どもたちは隣の部屋でふすま越しに耳を澄ませ、この会合の一部始終を聞いていた。胸が湧きたつのを感じた。そして、なんとか自分たちでナッシーの写真を撮ろうと画策し、プロジェクトチームを結成した。

 カメラを持っているのは、タカシとユキヒロだ。他には女子の中にもいるかもしれない。そんなわけでタカシがリーダーとなって学校で募集をかけると、全部で十二人が参加した。

プロジェクトはずんずん進んだ。カメラマンと見張り役二人、三人で一チームとし、学校が終わって夕暮れまでの間、交替で奈々湖を見張ることにした。

 彼らの空想は限りなく広がった。それまでのほほんとした長閑な佇まいだった奈々湖は、急にミステリアスでオカルト感に満ちた、底なしの不気味な湖に見え始めた。

 子どもたちは会議も開いた。たいてい「緊急会議」とか「重要会議」とか「特別会議」とか、ものものしい名前がついていた。そこでは一日二時間くらいでは時間が足りない、という意見が出たが、夏休みになったら一日中見張りをしよう、ということで解決策が決まった。

 しかし、そんな盛り上がりは長くは続かなかった。何日見張っても、奈々湖には何も現れない。ときどき水音がするので何かと思って見ると、水鳥が羽根をバタバタさせているだけだったりした。

 当初、メンバーは皆、「おれたち、すごいことやってる感」がしていたので、そんなちょっとした異変にも色めき立って面白かったがすぐに飽きた。何回か経つうちに退屈になってきて、だんだんサボるチームも出てきた。

 つづく

 

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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その①

 

 ところがそれからしばらく後。村じゅうがひっくり返るような出来事が起こった。

 とある国会議員が「日本のネッシーを捜索する」と言い出し、日本各地のネッシー伝説がある湖に捜索隊を送り込んだからだ。

その国会議員はもともとSF作家で、数々のベストセラー作品を発表して世間を賑わせていた。それと同時に「日本は世界で最も地球の歴史を知っている国」とか、「国土には太古の記憶が幾重にも刻まれている」いう自説を展開し、テレビの討論会などにもちょくちょく出演していた。

 そして、その人気・知名度を使って参議院選挙に立候補したら、しっかり当選してしまったのだ。政治経験はもちろんゼロ。しかし、歯に衣を着せない物言いは庶民にとって痛快に映り、彼は喝采を浴びて政界に迎えられた。

 参議院で何らかの実績を上げたという話は聞かないが、その男がなぜだか恐竜探しをやるというのである。しかし、彼の中では決して荒唐無稽なパフォーマンスではなく、ちゃんと論理だった、国民感情を高揚させるためのストーリーがあった。

 「イギリスのごとき老大国の一地方であるスコットランドの田舎がネッシーだけで盛り上がり、年間で世界中から相当数の観光客が訪れるという。わが国にも列島各地の湖に恐竜が生息している可能性があるのだから発掘し、エコノミックアニマルではない、夢とロマンにあふれた日本国を世界にアピールすべきである」

 折も折、日本は高度経済成長によって世界有数の豊かな国になりつつあった。円は高騰し、他国の通貨を圧倒する勢いは当分衰えそうにない。カネのことしか考えない成金国家の台頭に、二〇世紀の世界をリードしてきた欧米諸国は苦々しい思いを抱いている。これらの国の各地では日本製品排斥のデモが起こるなど、貿易摩擦も深刻化しており、政府もほったらかしておくわけにはいかなくなった。

 そんな時に出された彼のアイデアは、そうした摩擦・軋轢を緩和する潤滑油のようなはたらきができるのではないかと期待されたらしい。それにもちろん観光客が増え、観光収入のアップも目論まれていたのだろう。

 あくまでも噂だが、裏では当時の首相も絡んでいたようで、排斥運動を受けた複数の企業がスポンサーとなってこのプロジェクトを動かすことになったという。

 その作家議員が公開したリストには、北海道・屈斜路湖のクッシー、山梨県・本栖湖のモッシー、鹿児島県・池田湖のイッシ―などの有名どころに連なって、最後に奈々湖のナッシーの名も挙がっていた。

 今まで日本中の誰も聞いたことがなかった村の名前は、この時から突然、全国区になった。このニュースに村人たちが沸き返ったのは言うまでもない。

 

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