これからは手ぶらで旅をしたいんだけど

 

 カミさんの鍼灸院に来る子どもらが「トトロの森みたい」と言ってた庭をすっかりきれいにした。

 壺や鉢やプランタにいろいろ花を咲かせていたのだが、それらも全部撤去し、生い茂っていた蔦の葉も刈り込んだ。

 小さな森が消え失せた。

 

 12年ぶりの引っ越しはなかなか厳しい。

 片付け作業が,やってもやっても終わらない。

 

 収納がたっぷりある家だったので、

何でもかんでも放り込めてたせいもある。

 それぞれの収納をあけるたびに、

とんでもない量の物が溢れ出してくるのだ。

(それも写真を載せようと思ったが、どう見てもゴミ屋敷に見えてしまうのでやめといた)

 

 過去、10代の頃から40年余りの間、

後生大事に持っていた本やら思い出の品やら、

「これは絶対捨てられない」と思っていたものも

今回はあっさり捨てている。

 

 捨てながら、逆にどうしてあんなにこだわっていたのだろう?

と不思議になることもある。

 本だのレコード(CD)だの映画や演劇のパンフレットだのといったものに、自分のアイデンティティを投影していたのかもしれない。

 

 もうそういう類の荷物はいらない。

 自分の中に残るものは残るし、消えるものは消える。

 これからの自分に必要と思われる――ぜひもう一度読み返したい本だとか――だけ手元に置いて、その他のよぶんなものは手放して、

なるべく手ぶらに近い状態で旅をしたいと思う。

 

 という方針で、ここ1ヵ月で膨大な量のごみを捨て、ずいぶん断捨離した気になっていた。

 が、それはあくまで主観であって、

現実的には思ったより荷物は少なくならない。

 

 思い出深い品を目にしてしまうと、

やっぱりリュックに詰めたくなっちゃうんだよなぁ。

 


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井の頭線文化圏残留報告とSUUMOのワナと不動産屋の愉快な若者たち

 

1ヵ月前、「さらば永福町」と書いたが、

結局、永福町からさほど遠くない、

浜田山に引っ越すことに。

井の頭線文化圏に残留することになった。

 

西武線文化圏の方、

転居情報がひるがえり、ぬかよろこびさせてごめんなさい。

(誰もしてない?)

 

駅にはちょっと遠いけど、公園まで歩いて3分。

いつでも散歩やジョギングができる環境に。

けっこう理想的なロケーションだ。

 

ところで、今回は物件を探す(なんといっても12年ぶり!)のに

SUUMOを使ってみた。

 

同じようなエリアに同じような間取りの部屋が

いっぱいあるなぁ。

このあたりの内装業者が皆、同じだからかなぁ、

不動産屋はみんな違うけどなぁ・・・

 

と思って見ていたら、何のことはない、

同じ物件の外観を、A社は正面から撮ったり、

B社は裏側から撮ったり、C社は斜めから撮ったり、

D社は上の部分だけ切り取って見せたり・・・

といったように

アングルや画角を変えて、

それぞれ違う物件に見せようとしている。

 

わかってみれば、な~んだという感じだが、

探している時は、みんな印象が異なるので、

いっぱいあるように見えて、なかなか気づかない。

 

複数の不動産屋で同じ物件を共有して

ネット上で「どうぞこちらへ」と営業しているので、

お客がどの写真が気に入ったかで、

どの不動産屋に行くか、

そして契約が取れるかが決まるというわけ。

 

不動産屋もなんとか検索数を上げようと、

SUUMO対策、ネット対策に必死である。

客にとっては紛らわいいこと、この上ない。

 

でも、今回は3件の不動産屋を回り、

それぞれ気のいい若い兄ちゃんたちと

いろいろ話ができたので面白かった。

 

というのが先月末のことで、

本日無事契約も終わり、引っ越し準備中。

完了は6月末予定。

 


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サンゲノヨル:仏教式罪の告白

 

「あのやろう、うまいことやりやがって」と妬んだり、

「失敗しろ。不幸になれ」と呪ったり、

道行く女の子に劣情を起こしたり、

気に食わないことに逆ギレしたり、

暴飲暴食に走ったり、

やるべきこともやらずゴロゴロ怠けていたり・・・

 

人間は日々、罪を犯している。

そこで神さまの前で自分の罪を白状するのが「懺悔」だ。

 

これはキリスト教の話だと思っていたら、仏教にもある。

同じようにお釈迦様の前で罪を認め、

仏教では「さんげ」と読む。

 

月に一度「サンゲノヨル」を開いているお寺があると聞いて、

一昨日、取材で出かけて行った。

神楽坂にある圓福寺だ。

 

まだ30代の若い住職様にインタビュー。

幕末に伝わり、この寺に祀られている夜光鬼子母神の話、

その鬼子母神絡みで妊活講座が行われている話、

住職がIT企業に勤めていた時の話など聞いて、

メインの「サンゲ」。

 

これは実際に体験してみた。

 

500円払ってお守り(懺悔守り)を購入し、

その中に自分の犯した、

あるいは犯していそうな罪を書く。

 

自分は悪いことしてなくても、遠い先祖が

騙し・欺き・裏切り・虐待・泥棒や人殺しなどの

大罪を犯している可能性もある。

 

因果応報。

過去の罪が、現在につながって、

あなたの人生で表現されている。

こうした考え方は、仏教ならではという感じがする。

 

書き入れたお守りは持ち帰るのではなく、

この寺の祖師像に奉納する。

奉納したら、あとはひたすら

心の中で罪を詫び、お経を唱える。

 

先祖が罪を犯したのかどうかはわからないので、

とりあえず自分の罪だけ思い起こした。

一応、善良な市民のつもりではいるが、

生きていると、どうしてもいろいろあるからねぇ。

ズルもしてるし、迷惑もかけてるし、

人を傷つけたりもしています。

 

ありがたいのは「懺悔」すると「三化」が起こるということ。

①健康運・②仕事運(金運)に恵まれるようになり、

③ 良縁にも恵まれる。 

これはもう、信じるしかないねぇ。

 

それに夜(僕が行ったのは5時過ぎでまだ明るかったけど)、

お堂の中にいると、厳かな気分になり、精神的にも良い刺激になる。新鮮な空気が身体の中に入ってくる感じだ

月に一度くらい、こうした体験をするのはいいと思う。

 

500円で懺悔守りを購入するのは最初だけで、

そのあと、2回目以降は自由。

リピーターも大勢いて、僕がいた時間だけでも10人くらいやってきた。

男よりも女のほうが多いという。

女のほうが男よりも罪深いのだろうか?

 

毎月、第一水曜日、夕方5時から8時までやっている。

こうした懺悔の概念を大事にして、

積極的に打ち出しているお寺はかなり少ない。

(少なくとも、僕は初めてだった)

 

あなたも秘密めいた体験として、

一度やってみると面白いと思う。

 

神楽坂・圓福寺。

サンゲノヨルは、お参りした後、

神楽坂に立ち並ぶ飲み屋でハシゴ・・・となったら、

またまたそこで罪を犯し、

翌月、ふたたび通うことになって永遠の循環に陥るかもね。

 


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国家資格を宝の持ち腐れにしない自宅開業

 

12年間やってきたカミさんの「野の花鍼灸院」」が昨日を最後に閉院した。

自宅の1階のワンフロアのリビングを半分に区切って、そこを治療室にしていた。

 

職住一体。

待合室も設けられないので予約時間で区切るしかなく、

必然的に時間内は完全なプライベート診療になった。

女性と子ども専門だったので、かえってアットホーム感が好評だった。

 

僕はもちろん、営業中に一度も治療室に入ることも、

患者さんの前に出ることはなかったが、

ホームページやパンフレットを作ったり、掃除を手伝ったり、

2階で連日やってくる子どもの声を聞いたりしていたので、

けっこう思い入れも深い。

家庭の事情とはいえ、閉じるのは何とも寂しく胸が痛む。

かなり感傷。

 

僕の感傷的な話を書いてもしゃあないので本題に入ると、

国家資格である鍼灸師は大勢いるが、

開業できる人はごくわずかだと言う。

カミさんは40を過ぎてから3年間学校に通って資格を取ったが、

同級生で自分の院を持っている人はほとんどいないらしい。

 

鍼灸師のみならず、整体師もそうだが、

毎年、びっくりするほど大勢の人が資格を取る。

にも関わらず、その8割、9割の人はそれを生かせない。

 

自分で開業するには莫大な資金が必要だとか、

ロケーションの良い一等地じゃないと患者さんが来ないとか、

しっかり収益を上げなきゃダメだとか。

何かそういった思い違い、思い込みがあるのではないだろうか?

 

せっかく腕1本でやっていける技術・許諾を得たのに、

ハコの良しあし・設備のあるなしにこだわって

自分で開業しないのはもったいない。

 

うちがやってきたスタイルはべつに新しいものではない。

僕が子どもの頃、

ばあちゃんに連れて行ってもらった鍼灸院も、

長屋みたいなボロい家で布団一つ敷いて営業していた。

 

本来、鍼灸院や整体院といった民間医療はそういうものだ。

「医療ビジネス」にしようと思うから、

いろいろ大きなことを考えて動けなくなってしまう。

 

小さくでいい、

パートとして大して変わらない稼ぎでもいいから、

資格のある人はまず自分で始めて、

直接、お客さん(患者さん)と相対しないと、

いつまでたってもスキルアップしないし、

キャリアが積み上がらない。

続けられるかどうか考えるのは、始めてみた後の話である。

 

いくら国家資格でも何年もほったらかしでは宝の持ち腐れ。

ペーパードライバーになってしまう。

何年も経ってから「じゃあ運転します」と言い出したって、

誰もペーパードライバーが運転する車になんか乗りたくない。

 

うちの場合は、幸い駅チカの戸建ての貸家を見つけられたが、

アパートでもマンションでも、

保健所の基準をクリアできるところならどこでもできる。

 

自営業だから自分のライフスタイルに合わせて――

たとえば子育てをしながらでもできる。

そして、それはすべて貴重な実績・将来の財産になる。

 

最近はホームページだって無料で、

あるいは年間1万円少々で開設・運営できる、

設備を整え、宣伝してスタートする費用は

20~30万円程度しかかからないと思う。

 

カミさんもそんなこんなで12年やってきたので、

自分の院を閉じても、

他の診療施設の仕事や、講師や指導者の仕事がある。

がんばれば得られるものは小さくない。

 

こうしたノウハウは鍼灸の後継者を育てるためにも

伝えていきたいと話し合っている。

生活が落ち着いたら、その準備も始めようと思う。

 


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田町駅のペディストリアンデッキの鳩

 

「鳩がクソを垂れて飛び立つ」

 

これは平成の終わりとともに逝った名優、

ショーケンこと萩原健一の代表作

「傷だらけの天使」の第1話の冒頭にあるト書きだ。

あの名作はこの1行から始まった。

 

この脚本を書いた故・市川森一氏は

「傷だらけの天使とは何だったのか?」と回想した際、

自分で書いたこのト書きに,

その答えを発見した、と語っていた。

 

「鳩=平和のシンボル。

 傷だらけの天使とは、1970年代の平和と繁栄の“クソ”だったのだ」

 

今日、仕事(三田の方で取材があった)で

久しぶりに田町駅で降りたら、

三田方面に向かうペディストリアンデッキの手すりの上に、

あまり美しくない鳩がズラリと居並んでいた。

 

女の人などは、汚いものを見るようにイヤ~な顔をして通り過ぎていく。

 

鳩が平和のシンボルだと言われても、

今や「?」の人が多いのではないか。

僕たちは平和にも繁栄にも慣れ切ってしまっている。

 

でも、巨大なビルが立ち並び、

あまり人が始終行き交う大都会の真ん中で、

僕たちのようにあまり美しくもなく、強くもなく、特別でもなく、

もちろん偉大でもない、平々凡々とした鳩たちが、

わやわや集まって仲良く生きている光景を見たら、

やっぱり平和とはいいものだよなと思った。

PEACE。

 


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