生き方に悩む人のためのリアルな参考書 「鉄道マン発 映像調理師®」

 

鉄道マン発映像調理師®

高塩博幸の人生甘辛レシピ

https://amazon.co.jp/dp/B0F7W3CWDX

AmazonKindleより好評発売中 ¥800

 

国鉄労組闘争に巻き込まれ、職場ハラスメントを受けながらも、新幹線運転士と映像クリエイター、一つの人生で二つの花を咲かせた高塩博幸さんに密着取材。市井のシニア起業家の奮闘をユーモア豊かに描くルポルタージュ!

 

(あとがきより)

彼の祖父の時代は、日本を欧米諸国に負けない、

近代的な文化国家にすることが、国民共通の目標でした。

また、父の時代は、敗戦によって物も心も貧しくなってしまった

日本を復興させ、豊かな社会を築くことが共通目標となりました。

 

しかし、高塩さんや僕の世代になると、

祖父や父の世代のような、誰もが共有できる目標は、

もはやありません。

それに代わって、僕たちひとりひとりが、

生きる目標や生きがいを設定しなければならない

状況が訪れているのです。

これは日本のみならず、経済的な成功を成し得た、

世界の先進国すべてに共通する課題でしょう。

 

「人生百年」と謳われる未知の世界は、

豊かでありながらも、未来に希望を見出しにくく、

不安があふれる世界です。

ここでは、60歳の還暦は、

かつてのように人生の終わりを意識し始めるのではなく、

新しく生き始める年代といえるかもしれません。

 

インターネットの普及、AIの進化によって、

僕たちの子供世代、孫世代も平等に知識や情報を共有しています。

子供や孫たちと、さらにそこに加わるであろう

AIやロボットたちと、

どんな人生を送り、どんな社会を築き、

どんな未来をめざせばいいのでしょうか。

そのために、あなたの生きた証、活動の足跡は、どう生かされ、

のちの時代にどんな響きを残すのでしょうか。

 

もし、あなたが、高塩さんに終活映像や人生ストーリーの

制作を依頼する機会があれば、

ぜひ、過去の記憶とともに未来へ向けても想像力を広げて、

想いを盛り込んでください。

 


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Deathフェスと有機還元葬のnanowaプロジェクト

 

●私が死んだら、お花たちよ

 

そのむかし、1970年代のこと。

イルカが「いつか冷たい雨が」という歌を歌っていた。

イルカとは「なごり雪」を歌う、

あのフォーク歌手のイルカのことだ。

 

「いつか冷たい雨が」の歌詞のなかには

「いつか私が死んだら、お花たちよ、そこから咲いてください」

といった一節があったことを覚えている。

 

自分が死んだら花になる・木になるという

夢想を抱く人は少なくない。

最近の樹木葬の流行は、そんな人々の願いを反映したものだろう。

 

この樹木葬、見た目は確かに美しく、

「自然に還った」感があるが、

粉砕した遺骨を樹木のあるエリアに撒く・埋めるだけなので、

実際に亡くなった人の遺体を栄養分にして

植物が育つわけではない。

 

ところが、これを実践する葬法が欧米で普及し始めている。

それが「有機還元葬」、別名「堆肥葬」である。

遺体を土の中に埋め、微生物を使って分解し堆肥に変える。

イルカの歌のとおり、あなたが死んだら、栄養のある土になり、

そこから花が咲き、木が育ち、森にもなりますよ、というわけだ。

 

 

●神仏の道理に悖る新葬法の開発者たち

 

環境問題の影響から、欧米では2000年代頃から

地球環境に負荷をかけない葬法=遺体の処理方法、

つまり従来の土葬や火葬以外の方法が

いろいろ考えられてきた。

 

考える人たちは真剣だが、

それを伝えるメディアの報道の多くはキワモノ扱いで、

「ほら、こんな面白い、でもちょっと怖い人や会社がありますよ」

といったニュアンスが強かったように思う。

 

はっきりと決めつけるわけではないが、

当時、葬儀に関してはまだ伝統的な宗教を尊ぶ傾向が強く、

新しい葬法の開発者たちは、神仏の道理に悖る者ども、

人間の尊厳をないがしろにする罰当たりな輩と見られていたのだ。

 

それがこの数年、潮流が変わってきた。

インターネットが浸透し、AIが広まり、

時代が変わり、世代も変わり、

「土に還る」「地球に還る」という思いを、

たんなる夢物語でなく、リアルなものとして、

肯定的に捉える人が世界各地で、

特に若い世代の間で増えているのではないかと思う。

 

 

●世界で普及の兆しを見せる有機還元葬

 

「有機還元葬」はそうした新葬法の代表格で、

呼び方や細かいシステムは違えど、

アメリカとドイツで幾つものスタートアップ企業が、

すでにビジネスとして営業を始めている。

 

営業しているということは、イコール、

法的に認められているということ。

実際、この先駆者たちは自治体に対して、

何度も粘り強くプレゼンを続け、ついに認可を勝ち取った。

 

ワシントンで、ニューヨークで、カリフォルニアで、

アメリカに限って言えば、2025年4月時点で

およそ4分の1の州、計12州で合法化されている。

メディアも、もはやキワモノ扱いできない状況だ。

 

ワシントン州 (2019年)

コロラド州 (2021年)

オレゴン州 (2021年)

バーモント州 (2022年)

カリフォルニア州 (2022年、施行は2027年)

ニューヨーク州 (2022年、施行は2024年8月7日)

ネバダ州 (2023年)

アリゾナ州 (2024年)

メリーランド州 (2024年10月1日施行)

デラウェア州 (2024年)

ミネソタ州 (2025年7月1日施行予定)

メイン州 (2024年)

 

僕はコロナ前から仕事で新葬法に関する記事を書いており、

冒頭のイルカの歌を思い出し、

有機還元葬はなかなかいいんでねーの、

土より生まれて土に還る。

僕も終わりが来たら、地球の一部になりたいと思っていた。

 

しかし同時に、これらは海の向こうの話で、

日本では到底無理だろうとも考えていた。

自分や家族をまんま土に埋めて、微生物に食わせるなんて、

考えただけでおぞましく、ほとんどの日本人は

拒否反応を示すに違いないと思いこんでいたのだ。

 

ところが、この有機還元葬を実現しようと

動いている人たちがいるのを知って仰天した。

それも「できればいいね」といったレベルでなく、

本気中の本気なのだ。

 

 

●nanowaプロジェクトの活動

 

このプロジェクト「nanowaプロジェクト」は、

年内にまず動物で、実際に国内で有機還元葬を行う予定で、

学者・研究者や、ある有名企業も支援に動いているという。

 

ちょうど1か月前、「4月14日は“よい死の日”」と謳って、

渋谷ヒカリエで6日間、Deathフェスという、

死をポジティブに考えようというイベントが開かれたが、

そこでもトークセッションの一つとして、

「有機還元葬」のコンセプト、

そして実現に向けた活動について語られた。

 

反響は大きく、

日本でも有機還元葬(堆肥葬)への潜在的なニーズは

決して低くないようだ。

 

実現にはもちろん法整備が必要で、

かなり厳しいのではないと推測するが、

この国は前例さえあれば、特にそれが欧米のものなら、

意外とあっさりクリアできてしまう可能性もある。

少なくとも安楽死・尊厳死よりもハードルは低そうだ。

 

まさか、自分が生きている間に、

この葬法がこの国で実現するとは(まだしてないが)

思いもしなかった。

「nanowaプロジェクト」のスリリングな展開は、

これから注目に値する。

 


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認知症になると、それまでの愛はどこへ行くのか?

 

母の日。

スーパーマーケットがいつも売っているデザートに

ポチっと赤いシールを貼り付けて、

「花より団子」の「母の日スペシャル」を

用意していたので、買ってきた。

 

「2個入りだけど、母の日だから、おかあさんは1個。

僕らは子供だから半分ずつね」と言っても、

何のことやらさっぱり認知しない様子。

 

だが、何か、普段あまりお目にかからないものが出てきた、

しかも自分の好物のカテゴリーに入るものだ、

ということは何となくわかるらしい。

 

けれどもやっぱり1個まるまる食べてしまっては悪いと思うのか、

半分残したので、僕とカミさんで半分ずつ食べる。

 

これは母の愛なのか?

そう言うと、カミさんは、

「わたしたちに恩を売っておいたほうが、

後から何かと有利だと算段しているんでしょ」

と、クールな分析をする。

親子ではあるが、この二人の相性はイマイチなようだ。

 

義母は時々、僕に対して「だーい好き!」と言って、

ベタベタ抱きついてくる。

たぶん、毎日、お菓子をあげて面倒を見るので

そうなるのかと思うが、相性はいいのかもしれない。

好きでいてもらったほうが、

ある程度、言うことを聞いてくれるので、

こっちとしては助かる。

 

デイサービスのスタッフに対しても、相性のいい・悪いはある。

以前、毎週土曜日の送迎に来ていた

Sさんという30前後の若い男性が、大のお気に入りだった。

その人はもう2年以上前に辞めてしまったのだが、

いまだにその記憶が残存しているのか、

土曜日の朝は概してご機嫌が良く、

なんとなくウキウキ感があるようだ。

待てど暮らせど、もうその人は来ないのだが・・・。

相性のいい人(波長が合う人)とは居心地の良さを感じる――

これも一種の愛情・愛着と呼べるものだろう。

 

 

時々、認知症になると人間が生きてきた中で

培った愛情なるものはどこへ行くのか?と考える。

 

親でも夫でも子供でも、

若い頃の恋愛の相手や友だちでもいいが、

人間、成長過程で誰かを愛し、愛されることで、

あるいは仕事や趣味などに愛を注ぐことで、

いろいろな関係を紡ぎ、人生を築いていく。

 

認知症になると、そうした愛の記憶は、ほぼすべて初期化され、

食欲などの本能的な部分と、

自分が安全に、有利に生活できるための打算が、

非言語されて内側に残る。

打算というと印象が悪いが、

これもまた生きていくための本能の一つなのだろう。

 

その一方で、幼い子供や動物を見て「かわいい」と感じたり、

花をきれいと感じたりする原始的な愛情は

ずっと消えるに持ち続けるようだ。

 

豊かな時代に生まれ育った僕たちは、

周囲にあふれかえる「愛」という言葉に洗脳され、

この得体のしれない概念に、過剰に期待する傾向がある。

人間には愛があって然るべき、

愛がなければだめ、人を愛せ、みたいな。

 

女と男の愛、家族の愛、至上の愛。

時はあまりにも早く過ぎ、喜びも悲しみもつかの間だが、

ただ一つ、愛の世界だけは変わらない――

昭和歌謡にそんな歌詞の歌があった。

でも、そんなことはないのだ。諸行無常だ。

愛の世界も変わっていくし、失われていく。

 

だがしかし、それはそう悪いことでも、

悲しいことでもないのかもしれない。

純粋でありながら、どこか邪で、ご都合主義的。

義母からは、人間のニュートラルな状態とは

「こんなもんよ」と教えてもらっているような気持ちになる。

ありがとう、おかあさん。

 

 

 

 


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新刊「鉄道マン発 映像調理師® 高塩博幸の人生甘辛レシピ」

 

新刊 出ました。
AmazonKindleにおいて¥800で販売中。

 

「鉄道マン発 映像調理師® 高塩博幸の人生甘辛レシピ」

 

国鉄労組の闘争、職場ハラスメント、

そして新幹線運転士から映像クリエイターへ——。

一つの人生で二つの花を咲かせた男の物語がここにあります。

「会社のイヌ」と呼ばれながらも昇進を重ね、

還暦を過ぎて再び人生の岐路に立った時、

彼が選んだのは「映像調理師®」という前代未聞の職業でした。

人生の味わい深いエピソードを素材に、

心に残る映像作品を調理する高塩博幸さんの、

笑いあり涙ありの起業ストーリー!

 

かつて新幹線を走らせた男が、

今は人々の人生を映像に残す「調理師」として奮闘しています。

本書「鉄道マン発 映像調理師」は、

シニア起業家・高塩博幸さんの波乱万丈な人生を追った

ルポルタージュです。

 

高校生だった高塩少年は

祖父の「助役、駅長になるまで頑張りなさい」という助言を胸に

国鉄に入社。

その後、国鉄分割民営化という荒波を乗り越え、

JR東海で着実にキャリアを積み上げていきます。

しかし、組合闘争に巻き込まれ「会社のイヌ」と呼ばれる日々も。

 

それでも持ち前の向上心で課長(助役)まで昇り詰めた彼が、

還暦を迎えてなぜ映像の世界に飛び込んだのでしょうか?

映像クリエイターとしての第二の人生では、

自らを「映像調理師®」と名乗り、

終活映像市場という未開拓の分野に挑戦。

「自分史・遺言ムービー」「家系史継承箱」「死後の自分史」など、ユニークなサービスを展開しています。

運転士の教官として培ったインタビュー術を駆使し、

クライアントの人生ストーリーを掘り起こす手腕は、まさに「料理人」の腕前。AIなど最新ツールも取り入れた彼の仕事術には、

学ぶべきものがたくさんあります。

 

人生100年時代、60歳は終わりではなく新たな始まり。

足立区北千住を拠点に奮闘する高塩さんの姿は、

第二の人生を模索するすべての人の道標となるでしょう。

「映画より映写室が好きだった少年」が、なぜ映像の世界へ?

「停止位置不良」の夢に悩まされながらも前に進む姿に、あなたも勇気をもらえるはずです。

 

本書は単なる成功物語ではありません。

昭和から令和へ、激動の時代を生き抜いてきた一人の男が、

失敗や挫折を乗り越え、

常に前向きに人生を切り開く姿を描いた珠玉のドキュメントです。起業に関心のある方、自分史や社史作成を考えている方、

そして鉄道マンの皆さん必読の一冊です。

人生という料理の「下ごしらえ」から学ぶべき知恵が

ここにあります!

 


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スタジオツアーと映画シリーズ一気見「ハリーポッター」

 

一昨年、としまえんの跡地にオープンした

「ハリーポッター スタジオツアー」に行ってきた。

正式名称は「ワーナー ブラザース スタジオツアー東京

‐メイキング・オブ・ハリー・ポッター」。

約3万平方メートルの敷地内を歩いて回る

ウォークスルー型のエンターテインメント施設だ。

 

●見どころ満載6時間ツアー

 

映画ハリー・ポッターシリーズや、

ファンタスティック・ビーストシリーズ制作の

舞台裏を体験できる。

映画に出てくるセット・小道具・クリーチャー・衣装や、

実際に撮影で使われた小道具などが展示され、

視覚効果を使った体験型展示もある。

 

初めてなのでフルパッケージのチケットを買い、

音声ガイドもつけて回ったので、ぜんぶ回るのに6時間かかった。

 

かなり見どころが多く、特に熱心なハリポタファンでもない僕でも

満足のいくツアー。

6時間は長すぎるかもしれないが、普通に3~4時間は楽しめる。

施設内にレストランやカフェもあるので、途中休憩もオーケー。

 

映画ハリー・ポッターシリーズは、

ほぼ2000年代に制作されており、

CGなどは現在の映像技術の1ランク下の技術が駆使されている。

その分、アナログ的というか、

昔ながらの手作りの部分も残っていて、

セットや小道具などの作りこみがすごい。

 

魔法学校の教科書など、映らないページまで

しっかり書き込まれており、

映画スタッフの間で受け継がれてきた

「魂は細部に宿る」の精神が生きており、

職人的な意気込みが伝わってくる。

でも、こういう部分は果たして、

今後の映画作りにおいてはどうなのだろう?

コスト削減のためにそぎ落とされているのではないか?

 

「ハリーポッター」は20世紀の映画文化の集大成。

映画が娯楽の王者だった最後の時代を飾る傑作シリーズ。

そんな言い方もできるのかもしれない。

 

●全8作再確認、そしてリメイク版ドラマも

 

というわけで、このツアー後、

アマプラで「賢者の石」から「死の秘宝」まで

全8作を一気見した。

(最後の「死の秘宝」は2パートに分かれている)

 

主役の3人が可愛い少年少女から青年に成長していくにつれ、

映画各話のトーンが変わっていく。

第1作・2作あたりはコミカルで明るい要素が多いが、

ヴォールデモートとの対決の構図が鮮明になる

中盤から後半にかけて、

ダークでハードな物語になっていく変化が面白い。

そして、やっぱり最終作における謎解き――

ハリーの運命をめぐる、

ダンブルドアとスネイプの人生をかけたドラマに感涙。

 

何でもテクノロジーでできてしまう昨今の映画製作だが、

演者の子供たちが青年に成長していく過程は、

さすがに機械では実現できない。

それをやってしまった「ハリー・ポッター」は、

やはり空前絶後の作品だろう。

 

こんな作品は二度と作れない――

と思っていたら、

何とアメリカで連続テレビドラマとしてリメイクされる。

キャストはもちろん全とっかえ。

(映画版の誰か生徒役が先生役として出れば面白いと思うが)

 

映画版では割愛された詳細な部分が描かれたり、

出番がなかった原作の脇役なども登場するらしい。

製作はすでにけっこう進行していて、

今年の夏には撮影開始予定とのこと。

製作総指揮は、原作者のJ・K・ローリング。

1作につき1シーズンで、最低7シーズン。

後半は内容が膨らむので、回数はさらに増えるかも。

いずれにしても10年スパンで、

映画同様、子役たちが大人になる過程を描き出す。

この時代にすごい構想だ。

「ハリー・ポッター」で一時代を築いたローリングももう還暦。

このドラマ化で、みずからの終活をしたいのかもしれない。

 

どうしても映画版と比較してしまうだろうが、

かなり楽しみにしている。

小説ももう一度、全巻ちゃんと読み直してみようと思う。

 

 


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