ニューヨーク発アボカド愛

 

 1986年秋、1週間休暇を取ってロンドンからニューヨークに飛んだ。

 ブロードウェイの裏手あたりのボロい安ホテルに泊まった。

 泊り客よりもここに住んでる人のほうが多いんじゃないのという感じの所で、窓の向こうは隣の建物の壁。ごちゃこちゃした配管がへばりついている。

 でもそこはやっぱりニューヨーク。

 映画みたいでカッコいいじゃんと満悦してた青春の1ページ。

 

 滞在中はピッツァとハンバーガーを主食としていたが、この時、生まれて初めて口にしたのがベーグルパンと、カリフォルニアロールだった。

 

 確かグリニッジヴィレッジあたりのスシIバーだったと思う。

 SUSHIはこの頃、すでにアメリカではかなりポピュラーになってきてて、カジュアルなレストランも増えていた。

 カリフォルニアロールについての情報は入ってきていたが、実際に口にしたことはなかった。

 注文して一口食べて感動した。これはうまい!

 魚のネタよりうまいと思った。

 アボカドという食べ物に遭遇したのもこれが初めてだった。たぶん。

 

 以来、アボカドは好物になった。

 

 ここのところ、スーパーで安く売ってることが多く、1個100円なら必ず手を出す。 皮の色はできるだけ真っ黒なのを選ぶ。ただし、熟れすぎに注意。

 手のひらで軽く持つと、熟れ具合が伝わってくる。

おいしいアボカドは

 「食べごろなのよーん、早く連れてってぇ」

と甘くささやいてくる。

 

 家に帰り、台所でぱこっと半分に割る。

 いい子は皮と果肉の間にスッとナイフを差し込むと、きれいに果肉が取れる。

 種にも果肉が残らないよう、しっかりこそぎ落とす。

 ほどよく熟れたアボカドの、柔らかく、ちょっとねっとり感がある美しい緑の果肉はエロチックでさえある。

 

 サラダで使うときは、そのままきれいにスライスするが、僕がいちばん好きな食べ方はここから「ごめんね」と言いながら、美しい緑の果肉をぐちゃぐちゃにつぶしてしまう。

 要はポテトサラダの要領だ。

 サンドイッチの具にするときはそれにこれまたみじん切りのタマネギを混ぜ、塩・胡椒をふってパンにはさむ。

 

 しかし、何といってもアボカドにはあったかいごはんだ。

 ぐちゃぐちゃにしたやつにかつお節をぱらぱら、醤油をちゃーっとかけ、ワサビを添える。あればもみ海苔をふってもいい。

 これをあったかいごはんの上にのっける。

 肉でも魚でも野菜でも味わえない、クリーミーな食感。

 くどいわけでも、あっさりしているわけでもない、濃厚でも薄味でもない独特の味。ごはんとのブレンド感がたまらない。

 うまい! かんたん。アボカ丼。(べつにどんぶりでなくてもいい)

 

 週に一度は食べている。うちの家族もアボカドファンである。MY LOVE。

 


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ルワンダを復興させた女性たち

 

 日本の女性の政治参加が国際的に見てあまりにも低い。

 とはよく言われている。

 2015年のデータでは、なんと世界144位だそうだ。

 

 もう一つおまけに、世界経済フォーラムが発表する男女平等ランキング(ジェンダーギャップ指数)というのがあって、この2016年版では日本は111位。

 なんでだ?

 

 オリンピックだ、万博だ、クールジャパンだ、外国人はみんなニッポンだーいすき!

 と胸を張り、日本って本当に素晴らしい国だって、やたらとそういうテレビ番組が増えているし、政府も世界に対して躍起になってアピールしている。

 

 が、先日の「児童虐待多発国」という汚名といい、女・子どもに関しては、どうもあまり誇れるデータが出てこない。

 なんでだ?

 

 もちろん、女性の政治参加が増えれば、それが女性の幸福につながるかといえば、そういうわけでもない。

 

 それにどうもこの国には、芸術やスポーツや文化などの面で女が活躍するのは好ましいけど、政治とか経済の分野ではあんまりしゃしゃり出ないでほしい・・・という偏見がまだまだ強いのではないか。

 

 で、女性も政治参加――国会における女性議員の割合が最も高いのは」おそらくスウェーデンとかノルウェーとか、北欧のどこかだろうと思っていたら、なんと、アフリカのルワンダと聞いてびっくりした。

 

 しかもその比率は63.8%。女性議員3人に男性議員2人という割合。

 男女平等ランキングでも第5位になっている。

 

 ルワンダと言えば、25年前の1994年に内戦が勃発し、部族同士の抗争から大虐殺に発展。100日間で80万人~100万人、人口のおよそ7分の1が殺されるという人類史上有数の大惨事に、世界中が真っ青になった。

 虐殺を免れた女性も多くが強姦され、万単位の望まない子供が生まれたと言う。

 

 ニュースやルポなどで見た、その時の印象があまりにも強烈で、正直、僕はルワンダって世界で最も悲惨で貧しく、暴力の蔓延る危険な国の一つだと思っていた。

 

 しかし、その印象は一変した。

 あれから四半世紀後たった今、記事と写真を見る限り、首都は美しく整備され、経済発展も著しい。治安の良さもアフリカでトップクラスらしい。

 

 内戦と虐殺からの復興はめざましいものがある。

 終戦から20年余りで世界有数の経済大国へ駆け上がった日本と似た勢いがあるのだろうか。

 

 どうやらかの虐殺で男性の人口が大幅に減り、半ば崩壊した国の立て直しを女性の手に委ねざるを得なかったという事情があるようだ。

 思い切った法制度の改正もあり、この国では議員の少なくとも30%は女性にするよう憲法で定められているという。

 

 そして何よりも、そのベースには過去の悲劇を克服し、生きている幸福を感じられる国にしたいという人々の願いが一枚岩になっているのだろう。

 そこには望まずに母になった女、望まれずに生まれた子どもの思いも入っている。

 

 政治参加率が低かろうと、男女平等ランキングが低かろうと、いいじゃないの、幸せならば――という声が聞こえて来そうだけど、本当にいいのかな?

 


たっぷり眠るとたらふく夢を見る

 

 夢を見るのは楽しい。

 と思っていると、わりと楽しい夢が見られる。

 

 疲れがたまっていたのか、久しぶりに10時間以上眠ってしまった。

 いつもは朝の4時とか5時に起きるのだが、今朝は8時起き。

 カミさん一緒に朝食を食べて、洗濯物を干して、ひと仕事したところで、こりゃだめだ~と思ってもう1回ふとんに入ったら、次に起きた時はお昼をとっくに過ぎていた。

 

 夢に期待していたら、二度寝した時には案の定、たっぷり夢を見た。

 充実してたな~という印象だけは残っているのだが、いつもと同じく内容はさっぱり忘れてしまう。

 

 インターネットを見ると夢占いとか夢診断のサイトがわんさかある。

 ちょいちょい拾い読みをすると、もっともらしいことがいろいろ書いてある。

 

 「空を飛ぶ夢」はこう解釈するとか、「階段から落ちる夢」はこんなことを意味してるとか・・・ニーズも多いだろうし、熱心にハマってる人も多いだろうが、どうもこういうものにピンと来ない。

 

 夢が潜在意識の表れであることに疑念はないが、人それぞれ持っているバックボーンも生活環境も人生の趣向もが違うのだから、同じ夢でもそれぞれ意味するところは違ってくると思う。まったく逆の意味になることだってあるだろう。

 

 夢占いは古い歴史を持っているが、かつては多分、占い師が人生相談に応ずる際の一つの材料として、その人にどんな夢を見たのか聞いたていたのだろう。

 そしてその人にとって、その夢が何を表しているのかを相談を聞く中で解き明かしていったのだ。

 

 なので、サイトや雑誌に載っている夢診断・夢占いは、神社のおみくじの吉凶とか、星占いの「きょうの運勢」程度のもんなんだろうと思う。

 

 その日の気分を盛り上げたいとか、自分の気持ちを調整するために活用したい人は、大いに活用すればいいと思うけど、僕は自分の夢に他人にずかずか踏み込まれて、あれこれ理屈を付けて分析されるのはご免だなぁ。

 

 人生の夢と同様、眠っている時の夢だって自分の聖域だ。

 ヘンな解釈などせず、ナンセンスな世界、「不思議の国」のままでいいと思う。

 みんな、不思議でミステリアスな部分を持ってたほうが面白いんじゃないかな。

 


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マルチなわらじと自分マネージメント術 

 

 食っていくためには「わらじ」が何足も必要だ。

 

 先週取材した六本木のお寺の住職の父は、仏教関係の新聞の記者と僧侶を兼業していたと言う。

 朝のお勤めが終わったらスーツに着替えて会社に行き、帰宅すると僧服に着替えて夕方のお勤めをする。

 子どもの頃からそんな父の姿を見ていた住職は、僧侶の兼業に何の違和感も持っていなかったと言う。

 

 どうもこれは特殊な例でなく、住職さんの中には学校の先生や公務員など、他の仕事と兼任している人が大勢いるらしい。

 観光名所になっているようなお寺でない限り、そうでないと生活していくのが難しい所が増えている。

 

 言われてみればそうかもしれない。

 そもそも宗教に従事する仕事を「ビジネス」と呼ぶのは間違っている。

 一般人は僧侶を「聖職」と見なし、清貧であることを求めるだろう。

 

 けれども、お坊さんも生活しなくてはならないし、家族を養わなくてはならないし、お寺を維持していく必要がある。

 

 経済成長時代はどうだったのか知らないが、いずれにしても、お坊さんだけやっていれば生活に困らなかった時代は、もう「古き良き時代」になりつつある。

 

 しかし、これは何もお坊さんに限った話ではない。

 

 人生フルタイムで一つの仕事に集中するということが難しくなってきている。

 いまや多くの人にとってダブルワーク、トリプルワークは当たり前。

 そうでもしないと日本で「まともな生活」は保障されないのではないか。

 

 いろんな物価が高く、何をするにもお金がかかる日本で、一つの仕事(一つの収入口)だけで食える状況というのは、もはや超お金に恵まれた、セレブな特権階級と言えるのかも知れない。

 

 会社は社員のアルバイトも奨励する。

 あるいはお父さんは仕事一つでも、夫婦共働きでお母さんも稼いでいたり、さらには子供も家の経済を助けるのに参加するなど、一世帯にいくつもの収入口を設けるのが普通になってきている。

 

 こういう状況になると「自分マネージメント術」が重要になってくる。

 どうひっくり返っても、1日は24時間だし、1年は365日しかない。

 その限られた時間をどう配分して経済を安定させ、家族を安心させ、自分の夢をかなえ、アイデンティティを保てるか。

 どうすれば一人何役もこなすことができ、しかもそれぞれのパフォーマンスの質を上げられるのか。

 なおかつ、それでもストレスを溜めず、ゆったりとした気持ちで生きられるか。

 

 これは現代を生きるすべての人にとって、考える必要のあるテーマだと思う。

 


女の天才に奉仕する仕事

 

 バレンタインのチョコをもらったから、ではないけど、女性全般に敬意を抱いている。

 と言うと「ウソこけ!」という声がどこかから飛んでくると思うが、ホントです。信じてください。

 

 なんでかというと、やっぱり女には子どもを産むという天才があるからだ。

 当りまえすぎて自覚してない人も多いかと思うけど、これは女だけに与えられた天賦の才能。

 地球上で人類が今あるのも、女が身体を張って、命がけで子どもを産み続けてきた結果である。

 男は女の、この天才的所業に追いつこうと、いろんな仕事をする。

 

 人間の歴史はそうして創られてきた。

 だから、やっぱり男は女に敬意を払ってしかるべきだと思う。

 

 政治も経済も学問もスポーツも文化も芸術も、およそ人間の社会的活動のすべては、女が子どもを産み、その子どもを育てるという基幹事業に付随する活動に過ぎない。

 

 あくまで推測だが、女には人生のどこか(たぶん30代のどこか)で、宇宙のどこかから男に聞こえない声が聞こえる。

 

 「産む?産まない?」

 

 これを重く受け止めるか、軽く聞き流すか、個人差があるだろうけど、とにかく女は肉体的なタイムリミットがあるので、その問いかけに「Yes」か「No」かの答を出さなくてはならない。

 

 「Yes」と答えた人は、たぶんそこから婚活に奔走するのだろう。

 現代は昔と違って猶予期間が長い。40代になっても十分産めるというのだから、夫・父親にふさわしい男を5年10年かけて探し出してほしい。

 

 レズビアンの女性で「Yes」の人は、人工授精技術を活用する道もある。

 そうして子どもを育てている女同士のカップルもいる。

 

 「NO」ならべつに産まなくてもいい。

 ただ、その際は自分の持つ大きな可能性の一つを自ら放棄することになるわけだから、それ相応の葛藤と痛み、自責の念などを覚えるのだと思う。

 

 男の人生にはそこまで身を削るような瞬間は訪れない。

 女の人には悪いけど、のほほんと生きようと思えば、死ぬまでのほほんとしていられる。

 地球上における人類継続の本質には関われないのだ。

 

 僕もご多分に漏れず、男らしくのほほんと生きてきたが、女の天才に敬意を払い、少しは女性の皆さんの役に立つこと、奉仕できることを死ぬまでにいくつかはやっていこうと思ってる。 何をするかはこれから考えますが。

 


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スイーツ男子大増殖とバレンタインデー半世紀の因果関係

 「子どもじゃあるめーし、チョコレートなんてあまったりーもんが食えるかよ!」

 と啖呵を切る男が、昔は大勢いた気がする。

 が、今やこういうのは絶滅危惧種、レッドデータの部類に入るのではないだろうか。

 時代はスイーツ男子大増殖の様相を呈している。

 

 そうなった原因は何か?

 酒飲みが減り、煙草飲みが減ったから?

 疲労がたまり、みんな日常的に糖分を求めているせいかもしれない。

 バレンタインデーもそれに一役買っているのだろうか?

 

 年に1度とはいえ、習慣は侮れない。

 日本でバレンタインデーが知られるようになって半世紀。

 女性の愛の証として贈られるチョコレートは、男の潜在意識にサブリミナル効果のように浸透してきた。

 

 というわけで、愛の証かどうかはともかく、今年もあちこちの女性からチョコレートをもらった。

 僕は生まれついてのチョコ好きなのでうれしい。

 

 それで浮き足立っていたわけではないが、せっかく書いた原稿の下書きデータをうっかり保存し忘れて消してしまったり、メールを送る相手を間違えたり、凡ミス続きの一日。

 こんな日はチョコを食べてゆっくり寝よう。

 


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信じたくないけど、日本は子ども虐待の多発国?

 

 息子が1歳の頃だったと思うが、転んで頭を打ってケガをした。

 あわてて小児科へ連れて行ったが、その時、なんでケガをしたのか、かなりねちっこく聞かれた。

 ははん、虐待が疑われているのだな、とすぐピンときた。

 その医者とケンカすることはなかったが、たったそれだけで、かなり頭に血が上ってカッとなった。

 

 虐待を疑われた親がひどく感情的になったり、詰問する児童福祉司などに強烈な恨み・憎しみを抱いたりするのは、そんな自分のことを思い起こすと分かる気がする。

 

 虐待を疑われるということは、その親にとっては「あなたは親の権利・資格があるのか?」と疑問視され、問い詰められているのと同じだ。

 

 一旦、親となった人間は、その親という立場を失うかもしれないと感じると、強い危惧感・恐怖心を抱くのだろう。

 

 もし「あなたには親の権利・資格はない」と、他人からドーンと言われたらどうか?

 

 「おまえは人間失格」と烙印を押されるのに等しい、屈辱的かつ絶望的なことだ。

 

 そして、なんとかアイデンティティを守ろうと、その屈辱の感情を、学校や児童相談所などの関係者、ひいては社会に対する激しい怒りと憎しみに転化するだろう。

 

 千葉県野田市の女の子の虐待死事件は、世界にも知れ渡り、国連の子どもの権利委員会で問題視されているようだ。

 

 先週、同委員会は、今回の事件をはじめ、日本で子どもへの虐待などの暴力が高い頻度で報告されているとして、政府に対策強化を求めたという。

 

 かつで幕末から明治時代にかけて、日本に駐留した欧米の学者らが、民衆が子どもをとても可愛がり、大事にする姿を見て驚嘆を覚えたと当時の記録にある。

 

 逆に言えば、当時の欧米の民衆は、子どもに対して相当ひどい扱いをしていた(産業革命時の工場での強制労働など)ということだが、それから150年たって状況は逆転してしまったのか、信じたくないけど「日本は子どもの虐待が多発する国」になっているらしい。

 

 これは日本社会全体で向き合うべき問題ではないかという指摘がされたわけで、いわゆる外圧までかかってしまった。

 

 さすがにこういうことが続くと、子どもの虐待に対する法規制の強化・厳罰化が行われるのは、そう遠い先ではないかも知れない。

 

 厳罰化には反対しないが、これは人間のエモーショナルな部分に深く関わる問題であり、へたをすると親の側の人格崩壊にも繋がりかねない。

 

 なので本気でやるのなら、不幸な親子を増やさないためにも、同時に、あるいは事前に、社会全体への十分な啓蒙活動・認知活動が必要なのではないか。

 

 なぜ子どもの虐待問題に、社会全体で向き合わなくてはならないのか。

 なぜ虐待をする親が重い罰が科せられるのか。

 そもそもなぜ子どもをそんなに大切にするのか。

 

 こうした問いに対する答えはたぶん、僕たちの社会の未来のビジョンを思い描くことにもなると思う。

 


落書きペンは地球色

 

 空の色、海の色、地球の色。

 自分で手書きする青い文字、青い文章が好きだ。

 

 黒で書くべきフォーマルな書類には黒を使うが、特に人に見せる必要のない自分のノート、取材ノート、メモ書き、落書きなどはいつも青のボールペンで書くようにしている。

 

 人間の脳はもう一つの地球。

 空ほど広く、海ほど深い。

 だから青い文字、青い文章は脳を活性化させる。

 

 ――というのは、もちろん、こじつけであり、おまじないであり、単なる気分の問題だ。

 しかし、そういう気分が大切なのだ。

 気分一つで文章はいかようにも広がり、変幻する。

 概して黒で書くと、ちょっとかしこまったような、強張ったような感じになる。途中で止まることもよくある。

 青で書くと、よりしなやかに、たおやかに文章が展開する。

 

 毎日、脳の中から吐き出しているので、ペンもノートも毎日大量消費する。

 だから高価なものはいらない。

 どっちもせいぜい100円のもので十分だ。

 

 ヘタに高価なものを使うと、ムダ使いしないよう、ちゃんとした文章にしようという意識が働いて、書くことが広がらず、固くなってしまうのだ。

 ケチな性分だからしかたない。

 

 面白いの、気に入ったの、人に読んでもらおうかなと思うのが出てきたら、ちょこちょこ編集してデジタルに移し替える。

 畑で採れた農作物や、海で釣り上げた魚を、1次加工するのに似ている。

 毎日、大量の1次加工品ができてくる。

 仕事や作品用に使ったり、ブログやSNSにしてみたりする。

 

 今日も自分の地球を探検して、わずかでも採掘できたなと思うと楽しい。

 


フレンチ・ランチinキチジョージ

 

 きょうは昨夜、無事お泊りから帰ってきたカミさんといっしょに吉祥寺に行った。

 買い物のあと、「久しぶりにミーはおフランス料理が食べたいざんす」

 という、おそ松くんのイヤミ氏みたいなセリフがおなかの底から湧き出てきて、ランチはフレンチに。

 

 フランス料理はやたら世間で褒められることが多く、舶来高級料理の代名詞になっているが、どうもその実体がつかめない。

 

 ピザやパスタに代表されるイタリア料理には「This is イタリア料理」といった明確なイメージがある。

 好き嫌いはともかく「The イギリス料理」はローストビーフや フィッシュ&チップス。「The ドイツ料理」はソーセージ盛り合わせ。

 

 だが、フランス料理にはこれらに該当するものがない。

 「This is The ○○」=これがフランス料理だ! というものがないのだ。

 少なくとも僕の中には。

 

 一応、フランスには20代の頃、3回ほど旅行したことがある。

 トータルで半月程度は過ごしているが、最も印象に残っている食事は、ノルマンジー周辺の田舎町のレストランで食べた魚のスープ〈煮込みかな〉だ。

 

 料理名も覚えてないが、なんだか味噌汁みたいな味がしてうまかったな~と、記憶に焼き付いている。

 しかしパリをはじめ、他では何を食べていたのか、フランスパンのサンドイッチとか、クロワッサンの朝食以外はとんと思い出せない。

 

 きょう入った吉祥寺の店は、タルトフランベというアルザス地方の料理をメインに出していて、これはいわばフレンチピッツァだ。

 

 カミさんが頼んだ「ロレーヌ」というのはサーモンやエビなどの具材が乗っている。

 僕はせっかくフレンチに来たのだからということで「パリ」というのを頼んだ。

 これはカモ肉・トリュフ・フォアグラという3大フレンチ食材が乗っかっているリッチ版。

 

 見た目、よく行くイタリアンピッツァの半分程度の大きさで、これじゃ足りないんじゃないかなと思ったけど、お味の方もかなりリッチで、こってり濃厚。

 二人でシェアして食べてじゅうぶんお腹がふくれた。

 ただし、この濃厚さはワインと一緒に食したほうがいい。

 

 ちなみに僕はグラスの赤ワインを飲んだけど、なかなか美味しくて食前に飲みきってしまった。

 これ以上飲んだら絶対酔っぱらって午後の用事が果たせなくなると思って2杯目は断念。

 

 この「ブラッスリー・エディブル」は、こじんまりした、パリの裏通りにあるいそうな感じの店で、お値段もリーズナブル。

 ワインと一緒に料理を楽しみたい人にはうってつけなのではないかな。

 

 ただこれが「Theフランス料理」かというと、そうではない気がする。

 フランス料理ってやっぱり正体不明。僕の中では。

 


おばさん天使

 

 日本では天使というと小さな子どもの姿をしていることが多い。

 欧米では若い男女の姿が多い気がする。

 神さまがじいさんなので、その弟子みたいなイメージなのか?

 

 だけどもちろんのこと、天使に年齢的制限はない。

 最近は地上の世相を反映して? おばさん天使が増えている。

 

 天国には地球に生き物を派遣する「いきもの派遣センター」がある。

 そこは、ふつう人間が「神さま」と呼ぶゾーブツシュが経営していて、希望者は自分がほしい〈いのち〉を登録しておく。

 

 そこで空きが出るのを待っていて、オーケーの連絡をもらったら正式なハケンの手続きをしに行く。

 それをすませば一定期間、地球で生きものとしての命が与えられ、地上に旅立つというシステムになっている。

 

 その受付業務を担っているのは、おばさん天使だ。

 これから地上で生まれる生き物候補が「○生相談」しやすいというので、近年、おばさん天使の株が上がってきた。

 

 彼女らはセンターの受付のテーブルのところで背中の翼を微妙にパタパタさせながら、いつもお菓子を食べて、マンガを読んでいる。

 

 訪問者が声をかけようとした瞬間、おばさんは気がついてニコっと笑う。

 「べつにヒマしているわけじゃないのよ。いまちょうどいそがしい時間が終わったところ。あなたはラッキー」

 とか何とか言いながら、そそくさとお菓子とマンガをテーブルの下にしまう。

 口の周りにはお菓子の食べかすがくっついていて、しゃべるたびにぽろぽろこぼれ落ちる。

 

 声は思いのほか、かわいいキャンディヴォイス。

 子どもの声からばあちゃんの声まで幅広い声域を持ち、歌が得意だ。

 

 体型はふくよかで、地上にいるとドスドスと音を立てて歩きそうだが、天使なのでもちろんそんなことはなく、ふわふわっとした足取りで軽やかに浮遊しながら歩く。

 

 そして相談を持ちかけると、親身になって聞いてくれ、場合によっては神さまも怒鳴りつけるほど感情的になることもある。

 意外と知恵者だが、お菓子とマンガが手放せないところが玉にキズ。

 

 いま書いてる話のチョイ役として出てくるのだが、なかなか楽しいキャラなので、いずれまた別の話で主役級に持っていきたいと思ってる。

 


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