魚のいない水族館:第4話

 

「そうなんだ、これは地球の意思なんだ」

 

横向きになった館長の顔は。やはり魚っぽかった。

もう半魚人だとは思わなかったけど、代わりに、

人間は母親のおなかの中にいる時、つまり胎児の期間中、

生物の数億年にわたる進化を経験するという話を思い出した。

受精卵が成長する過程の、ほんの数日間、

人間も魚のかたちをとる時間がある。

人は昔、魚だった。

この水族館は胎内だ。

 

「地球は宇宙に浮かぶ1個の生命体です」

水槽に向き合う館長の言葉は、僕に向けられているのか、

自分自身に対して語っているのか、判断がつかなかった。

 

「だとすれば、魚も人間も、もちろん他の動植物も、

地球を構成する一つ一つの細胞なのです。

細胞は日々、新しく生まれ変わる。

古い細胞は死んでいく。

永遠に存在し続けるということはあり得ない。

それが正しい細胞としての在り方です」

 

こう見えても僕はわりと気が短い。

こうしたもったいぶった話し方を聞いていると、

だんだんイライラしてくる。

言いたいことがあるなら、もっとはっきり言えばいい。

 

「つまり、こういうことですか?

水族館なんて無駄なんじゃないか。

水族館を作って、人間に娯楽を与えたり、

魚たちの生態を研究させたところで、

ちっとも地球のためには役立たないという・・・」

 

館長はちらりと僕を一瞥して、また水槽に向き直った。

 

「わたしたちの足元を何万キロも掘り進んだところに、

“地球の脳”があります」

 

僕は図鑑で見た地球な内部の図を思い浮かべた。

丸い地球の真ん中に赤い玉のようなものがあった。

図鑑を見た時、僕は心臓のようだなと思ったが、

この人は脳だと言う。

意思があるというのだから、

心臓じゃなくて脳という例えが適切なのだろう。

 

「マントル層があって、その中心に核(コア)があるってやつですね?

脳っていうのは、ちょっと擬人化しすぎじゃないですか?」

 

館長は僕の言ったことをスル―する。

 

「人間は一つの細胞に過ぎなかったはずなのに、

地球の脳はその行動をコントロールできなくなった。

それをいいことに人間は、他の細胞を食い荒らし始めた」

 

「人間が地球にとって癌細胞だ、という話は聞いたことがありますが。

あのぅ、いったい何が言いたいんでしょうか?」

 

今度は館長は黙っている。

気を付けてものを言ったつもりだが、

心のイラつきが混じって表に出たかも知れない。

 

僕は環境保護団体も、環境保護運動も嫌いだ。

あんなことは、カネもヒマもあり余っている連中の

趣味だと思っている。

 

仕事とか、家族のこととか、健康のこととか、貯金と借金と保険のこととか、

買物とか、情報収集とか、メールやSNSのチェックとか、

ニュースや流行もののチェックとか・・・

 

こっちは生活するので精いっぱいでだ。

地球のことなんて、いちいち考えちゃいられない。

僕は毎日、ゴミだってちゃんと分別して出している。

電気もガスも水道も、できるだけ節約して使っている。

それでいいじゃないか。

それ以上、僕が地球のために何ができるというんだ?

 

自分たちが趣味として取り組んでいる分には、

勝手にどうぞという感じだが、

価値観を押しつけられるのはまっぴらごめんだ。

 

それに水族館の館長なら、その前にやるべきことがあるだろう。

まだ夏休みなんだ。

魚やイルカやアシカやペンギンやクラゲに会うのを

楽しみにやってくる子どもだって大勢いるはずだ。

子どもだけじゃない。

最近は、疲労が蓄積した大人たちの癒しの場にもなっている。

 

水族館にはそうした、かけがえのないミッションがあるはずだ。

地球環境がどうのこうのと言う前に、

まず、人間社会における役割をきちんと果たすべきだ。

 

そんな抗議の言葉が頭の中を右往左往した。

しかし、ここでこの男と議論を戦わせて、

いったいどんないいことがあるだろう?

いたずらに消耗するだけではないか。

そう考えたらバカバカしくなった。

 

「まだ遅くないんです。今ならまだ引き返せる。

人間自身もそのことに気付き始めた」

 

そう言って、館長は首から上を僕に向けた。

魚のような目が合う。

僕は再び言葉を飲みこみ、顔を伏せた。

そして、踵を返してその場を立ち去ろうとした。

もうこれ以上、こんな話に関わり合うのはごめんだ。

考えたってしかたがない。

面倒な問題からは逃げるが勝ちだ。

僕は忙しい。時間がないのだ。

 

けれども歩きながら別の声が聞こえてくる。

いや、ウソだろ。忙しくなんかない。

僕は今、失業中だ。

ヒマだからここに来たのではなかったのか?

たしかにそうだ。

たしかにそうなのだが。

 

「その水槽を見てごらんなさい」

 

心の隙を突くように、館長が鋭い矢を放った。

射止められて、僕は足を止めた。

 

「わたしのほうは見なくてもいい。

すぐ横にあるその水槽をご覧なさい」

 

僕は自分の身体の右側にあった水槽を見た。

水面ははるか上の方にある。

僕は見上げて思った。

ここにはどんな魚が入っていたのだろうか?

 

「さあ、それでは、あなたがそこに入っていると思いなさい」

僕が? 水槽に入る?

 

館長はそれ以上、何も言わなかった。

けれどもなぜか、僕はその突然の、奇妙な提案をすんなりと受け入れた。

なにも抵抗感はない。

まるで自分が、ずっと以前からそうしたかったかのようだ。

 

僕はもう水槽の中に入っていた。

水が流れている。

ポンプの音が聞こえてくる。

それに混じって、何か無数のメロディーのようなものが聞こえてくる。

それは魚の歌う歌のように聞こえた。

魚がいなくなっても、その一匹一匹の記憶だけが水の中に残っている。

 

その歌のような音の中からは、魚の感情の波のようなものが感じられた。

それはいやがおうでも想像力を刺激し、

僕は魚の目を持つにいたった。

 

水の中から館内のプロムナードを見る。

透明なガラスの向こうに集っている人間たち。

魚は人間という生き物をどう認識するのだろう?

 

人間が、同じ惑星で、今、同じ時間を生きている生き物だと、

魚たちは認めるのだろうか?

それとも・・・

つづく

 


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勝浦タンタンメンは、過疎化する漁師町を救えるか?

 

今週は取材でお出かけWeek。

今日は連載企画「寺力本願(じりきほんがん)」の取材で、

千葉県勝浦市へ。

 

かつては房総でも指折りの水揚げを誇っていた漁業の街、

しかし、それも昭和時代まで。

漁業の衰退によって、平成の30年間で人口は半減し、

街の中には空き家が目立つ。

 

取材先は「海の見えるお寺」として人気の妙海寺。

その住職は、まだ若いながら、勝浦の街を救おう、

100年後も200年後も栄える街にしようと奮闘。

様々な地域おこしイベントを開催し、

現在は、空き家対策として、みんぱく事業に力を入れているという。

 

最近、何かとネガティブに捉えられることの多い宗教者だが、

自治体や企業ではできないことを、

お寺という立場、一種の社会的信頼性を生かして活動している。

 

そんな住職が以前、地域おこしの一環として普及に携わり、

ご当地グルメになったという「勝浦タンタンメン」。

ひき肉と一緒にタマネギとナスが入ってて、見た目ほど辛くない。

 

冬の海で働き、冷えた漁師や海女さんのからだをあっためたという

ストーリーが、味わいを深くする。

コンビニにも「勝浦タンタンメン」食品がいっぱい。

 

ちなみに勝浦は海流の作用で、夏は涼しく、猛暑日がない。

冬も比較的穏やかで、雪の降ることはほとんどないという。

 

僕は勝浦と言うと、反射的に「勝浦温泉」と出てきて、

なんとなく熱海っぽいイメージを持っていたのだが、

よく調べると、和歌山の@「勝浦温泉」だった。

なんで勘違いしてたのだろう?

 


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エンディング産業展2019「葬式・戒名・墓――どこまで省けるのか?」

 

エンディング産業展2019終了。

今日は宗教学者・島田裕巳氏のセミナーが面白かった。

タイトルは「葬式・戒名・墓――どこまで省けるのか?」

 

「お葬式はいらない」などの著書で有名な島田氏が、

なんで葬儀やお墓の業者や僧侶が集うエンディング産業展に招かれたのか?

 

かなり挑発的なタイトルだが、

「私があれこれ言わなくても、

一般の人はもう気が付いて“省いてます”」。

 

詳しい内容は月刊仏事の記事にするので、ここでは書けないが、

要は、高齢化社会への移行で、人々の死生観が変わったということ。

 

ついこの間まで、人生が40年から50年程度だった時代。

人間ははいつ死ぬかわからない、という前提で生きていた。

寿命は伸びていたが、10年ほど前までは、

みんな、その社会通念のもとに生きていた。

 

しかし、人生が80年、90年、100年以上続く時代になった今はちがう。

僕たちはそれだけ長く生きることを前提に人生を考える。

そして社会もその考え方に合わせて動く。

もう設定自体が変わってしまったのだから、年金が破綻するのも当然だ。

 

もちろん「いつ死ぬかわからない」ということは本質であり、

変らないはずだ。

今だって、僕たちはいつ死ぬかわからない。

 

しかし、人生の概念はすでに100年ライフに変わっている。

50歳や60歳、あるいそれより若く死ぬのは、

あくまでイレギュラーなケースだ。

 

そんな社会になると何が起こるかと言えば、

人々の心を救済していた宗教が衰退し、機能しなくなる。

 

また、みんな、人生をスケジューリングする。

まだ幼いことから将来を見据えて勉強し、進学に就職に、

スケジュールを組み立てて、一つ一つこなしていこうとする。

そのスケジュールの最後には、もちろん死が用意されている。

スケジュールをこなすための人生。

 

これから死のポイントは変わるという。

多くの人にとって、肉体的な死の前に、社会的なエンディングがある。

 

たとえば施設などに移らなくてはならなくなった時、

人はこの世界と切り離され、

実質的にはもうそこで人生は終わってしまうのはないか。

なのに、そこに葬式・戒名・墓は、本当に必要とされるのか・・・。

 

島田氏の言葉は、聴講に集まった人たち

――まだ前の時代の死生観で仕事に励む

エンディング業界人の胸に波紋を起こす。

 

その波紋はこれからじわじわと広く、社会に広がっていくのはないか。

そんな感想を抱いた。

 


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魚のいない水族館:第3話

 

「あのぅ、魚は何処に行ったんですか?」

 

「海に帰りました」

僕の質問から2秒、間を置いて男はそう返答する。

 

「全部?」

「はい、全部。1匹残らず」

今度の間は1秒だった。

 

僕は一瞬ためらってから3つめの問いを発した。

「なんで?」

「魚たちが海に帰りたいと言い出したからです」

今度の間は0・5秒。

いや、0・3秒くらいだったかもしれない。

 

ストップウォッチで測っているわけではないので、

正確な秒数ではない。

でもだいたいわかる。返答の間がだんだん短くなっている。

 

けれども男の口調はけっして慌ただしいものではない。

落ち着いた、冷静な口調だ。

さりとて事務的というのでもない。

静かな中に、どこかあたたかみを感じることができる。

落ち着いた話し方に、力強さ、説得力がある。

 

じわりと水圧がかかったような気がした。

しばし黙っていると、男のほうが言葉を継いだ。

 

「そうなんです。魚たちが言い出したことです。

だからこうしました。

魚あっての水族館。魚が軸の水族館。魚ファーストです。

それなら魚の言うことを聞いてあげなくてはなりません。

魚の希望をかなえてあげなくては」

 

「だけど・・・」と、僕は口を挟もうとした。

しばし、男の説得力ある口調に圧倒されていたが、

「ああ、そうだったんですね」と、

簡単に納得するわけにはいかない。

男の言い分に正当性はあるものの、

人間側からすれば、「魚がいるからこそ水族館」とも言える。

 

しかし、僕がそのことを口にする前に、

男はさらになめらか話を継いだ。

 

「あなたの言いたいことはわかります。

その通りです。魚あっての水族館です。

魚が1匹もいないのでは水族館としての存在意義がないのではないか?

どうしてオープンしているのか?」

 

男はそこでまた間を取り、やや大げさに息を吐き、吸った。

 

男は僕の顔を改めて見据える。

僕も気持ちを整え、ちゃんと男の顔を見る。

 

二つの目が大きくて丸い。

そして目と目の間が奇妙に離れている。

7~8センチ位あるのではないか。

 

額は広く、やや前方に膨らんでいる。

鼻は低く、口は小さいが、これもまた前方に突き出している。

きりっと結ばれておらず、微妙に半開き状態で。

 

真横から見たら、額と口が前に突き出して、

真ん中にある鼻が窪んでいるように見えるだろう。

そんな気がした。

なんとなく魚類を思わせる顔だ。

一瞬、こいつは半漁人ではあるまいな、

という疑惑が頭をよぎった。

 

「あなたが訝しく思うのは、ごもっともです」

ひと呼吸おいて、男はまた、僕より先に言葉を継いだ。

 

「あなたは館長さんですか?」

僕は違う方向から質問を投げかけた。

「そうです」

男はゆっくりと首を縦に振る。

「だったら従業員だって・・・」

僕がそういうと、館長と名乗った男はまばたきをした。

魚はまばたきしない。

半漁人もまばたきはしないだろう、たぶん。

僕は頭から疑惑と妄想を払い落とした。

ちゃんと人間である男は会話を進める。

 

「そうですね。従業員だって、魚が好きで、

水族館で働いて幸福だったのに、

その魚がいなくなってしまった。

魚だけではない。イルカもアシカもペンギンもいない。

みんな、海に帰ってしまった。なので失業です。

わたしはここで、夢を持って働いていた従業員を

みんな失業させてしまった」

 

そこで館長は初めて悲しそうな感情を少しだけ見せ、

顔を伏せた。

 

「どうして・・・」

僕は緊張しながら、喉の奥から声を絞り出した。

少しかすれているのが分かる。

「どうして返す必要があったんですか?」

 

館長は顔を上げて僕の顔を見た。

 

「そのために仕事を失ってしまった人たちがいる。

いやいややってた仕事じゃないでしょう。

魚やイルカやアシカやペンギンが好きで、

そんな自分が大好きで、誇りを持ってやっていた仕事だ」

 

するするとお腹から出てきた言葉を、そのまま声に出した。

そうせざるを得ない何かが僕の中にあった。

声には自然と力がこもる。

そして、なおも続ける。

 

「あなたが館長なら、その責任がある。

僕の問いにもちゃんと答える義務がある」

 

そこで言葉を切り、僕は大きく呼吸した。

責めるような口調になっていたのではないか?

なぜ、そんなに強く質してしまったのか?

 

ちょっと後悔したが、時間はもとには戻らない。

それに間違ったことを言ったわけでも、失礼なことを言ったわけでもない。

自分にそう言い聞かせ、もう一度、頭の中で疑問を整理し、

質問文を構成し直して、館長に投げた。、

 

「どうして魚を海に帰し、水族館を閉じ、スタッフを解雇したんですか?」

 

館長は動揺したそぶりも見せず、

また、1秒の間を置いて、言葉を返した。

 

「それは地球がそう望んでいるからです」

 

その台詞を日常の生活空間の中で聞いたら、正気を疑うだろう。

「んなわけねーだろ」

と、思わず腹を抱えて笑いころげていた可能性だってある。

 

けれどもここは、水だけをたたえた、

静謐で巨大な水槽が並ぶ、魚のいない水族館だ。

そんなことができるはずがない。

 

言葉はどんな空間で発せられるかで、響きがまったく変わる。

そして、響きが変われば意味も変わってくる。

 

僕は、館長の語る話を聞かなくてはいけないと思った。

もっと聞きたい、とも思った。

なぜなら、そこには世間に浮遊している藻屑のような言葉よりも、はるかに価値のある真実が含まれているような気がしたからだ。

 

しかし、館長はそれ以上、僕と向き合おうとしなかった。

彼はくるりと90度、からだの向きを変え、

空っぽの水槽と向き合った。

透き通った水槽の表面に、魚によく似た顔が映し出される。

館長は僕ではなく、鏡の向こうにいる自分自身に、

丁寧に言い聞かせるようにつぶやいた。

 

「そうなんだ、これは地球の意思なんだ」

つづく

 


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時が止まった部屋:遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし  本日発売編

 

今日から3日間、東京ビッグサイトで

エンディング産業展が開催されている。

例によって「月刊仏事」の取材で有明通い。

メインは毎日行われるセミナーやイベントの取材だが、

ブースの方も覗いてみる。

 

昨年、最も衝撃を受けたのは「遺品整理クリーンサービス

(㈱ToDo-Company)」のミニチュア展示。

 

孤独死の現場・ゴミ屋敷の様子を、

遺品整理人(特殊清掃)が、写真ではなく、

ミニチュアで伝えるというもの。

各メディアでも、たびたび取り上げられているようなので、

ご存知の人も多いかも知れない。

 

しかもその遺品整理人がうら若き、かわいい女性。

 

しかもしかも、アートの学校や講座に通っていたとかいうわけではなく、

現実を伝えるには、こういう手段がいいだろうということで

仕事の合間に、いきなりこうしたミニチュアを作ってしまった。

 

しかもしかもしかも、話していると気負ったところもなく、

純粋に、まっすぐに、

彼女のこの仕事に対する思いが伝わってくる。

 

というわけで、トリプルインパクトを受けたのが1年前。

 

今年も出しているのかな~と思って覗いてみたら、

出してた!

しかも本を出していた!

本日、8月20日発売だ。

 

彼女――小島美羽さんの作るミニチュアの魅力は、

じつはそこに添えられる文章によるところが大きい。

 

けっして文章がうまいとか、表現力に長けているわけではない。

その部屋の清掃・整理に実際に携わった時の感想・

湧き出てくる思いを淡々とつづっているだけだ。

 

しかし、その語り口がいい。

彼女が語り部になると、その部屋の悲惨な情景から、

人生のストーリーが形となって響いてくる。

 

まるで、この21世紀の日本の社会で、

生まれて生きて、そして死んでゆく、

僕らの人生を映し出す叙事詩のようだと思った。

 

当然、本にする価値、大ありでしょう!

昨年はブログにも書いたし、ちょっとだけ仏事の記事にもしました――

 

という話を、当の小島さんが他のお客さんと話してたので、

本を売りに来てた出版社の人にしたら、

1冊、献本していただいてしまった。

 

ありがとうございます。

これはちゃんと読んで、夏休み読書感想文にします。

 

でも、読む前からわかっている。

これは素晴らしい本だ。価値のある本だ。

孤独死やゴミ屋敷に興味があれば、ぜひ、手に取ってみてください。

 


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魚のいない水族館:第2話

 

入館料は600円だった。

入口には何の断り書きもなかった。

これでは詐欺も同然だ。

けれども不思議と腹立たしい気持ちにはならない。

むしろこの空間は、今の自分に相応しいのではないか、と思ったくらいだ。

 

この夏、僕は失業していた。

春夏秋冬、僕はそれぞれの仕事を持っている。

夏の仕事は、子どもたちを海で遊ばせることだった。

打ち寄せる波と戯れたり、

波間でビーチボールを追い駆けたり、

シュノーケリングで魚といっしょに泳いだり、

岩場を這い回るカニを捕まえたり。

 

ある子どもはプカプカ波間に浮かぶ、円盤型の白いクラゲを捕まえてきては、

まるで石切りのように「クラゲ切り」をして見せた。

 

右手でクラゲのかさのへりをつかみ、腕を折り曲げて左胸に引き寄せる。

手首のスナップをきかせ、回転を付けて、水面すれすれに、平行に投げる。

 

クラゲはピッピッピッと10回近く跳ねて、小さなしぶきを上げならがら、水面を走っていく。

水平線に向かって走っていくその姿は、小人の宇宙人が乗りこんだUFOのようだ。

 

そして最後にスッと海中に沈む。

まるでUFOが宵闇の空に溶け手見えなくなるように。

同時に、ほっというクラゲの安堵のため息も聞こえてくる。

 

少年は自慢げに笑っている。

世界クラゲ切り大会があれば、チャンピオン候補だ。

子どもたちが歓声を上げ、われもわれもと「クラゲ切り」に夢中になる。

 

クラゲにとっては、このあたりに浮かんでいたのが運のつき。

いい迷惑だと思うが、意外とこのスリリングな体験を楽しんでいるのかもしれない。

クラゲの心はクラゲに訊いてみないとわからない。

 

子どもたちが海に入ってはしゃぐ姿を見るのは、

大人の僕にとってはとても楽しく、羨ましく、深い満足感を与えてくれた。

けれども子どもたちは当たり前のように成長して大人になる。

夏の海で遊ぶのなら、友だち同士、仲間同士、

あるいは若いボーイフレンドやガールフレンドといっしょのほうが

楽しいに決まっている。

こうして僕の夏の仕事は、自然と終わってしまった。

 

夏の仕事はやろうと思えば他にもあった。

芝刈りとか、雑草とりとか、盆踊りの後片付けとか、海水浴場のゴミ拾いとか。

だけどどれもやる気にならなかった。

 

仕事をしないことに少し負い目感を覚えることもあった。

だが、心配せずとも、秋になれば、秋の仕事が待っているのだ。

それまでしゃかりきになって働く必要はないだろう。

そう考えて、僕は失業したまま、ブラブラと散歩して夏をやり過ごすことにした。

 

下町の市場をぶらつくと、魚屋の軒先に何種類もの魚が並べられている。

中には盥や生簀の中で生きているのもいるが、ほとんどは死んで横たわっている。

盥や生簀の魚たちも食べられるために生かされている。

 

ふと、この魚たちはこの地球上に生まれてから、どんな遍歴でここまでたどり着いたのだろうかと考え始めた。

逆回ししてみるとわかりやすい。

まず、ここまで来るにはトラックに乗ってきたはずだ。

 

巨大な冷蔵庫を荷台に備えたトラックが、夜通し高速道路を走る。

その前は漁港だ。漁船から大きな網で無数の魚たちが引き上げられる。

漁船は港にたどり着く前、もちろん海の上を航行している。

 

僕が散歩した夏の暑い日、下町の魚屋の軒先に並べられた魚は、

もしかしら、ひどく後悔したかもしれない。

くそっ、あの群れの連中といっしょにいなければ、と。

 

群れて行動していたから、漁船の魚群探知機に知られてしまった。

ひとりぼっちでは生きられないことはわかっているが、

何か別の手立てはなかったのだろうか・・・。

 

僕はイメージを辿って魚の思考回路に入り込もうとしたが、

それ以上は魚屋の店先では無理だった。

僕だって魚を食べるのが好きだ。

刺身も、焼き魚も、煮つけも、ムニエルも、天ぷらも、フライも好物なので、

同情などして罪悪感を感じたりしたら大変だ。

思索するにもTPOというものがある。

 

やはり生きて水の中を泳いでいる魚を見なくては。

僕はそう思った。

目をキョロキョロさせ、口をパクパクさせ、背中と腹と尻尾の鰭をヒラヒラさせ、

全身の筋肉を張りつめたり、たゆませたりして泳ぐ魚の姿を。

そんな、まだ人間に捕まる前の、野生の魚のイメージを抱えて、

僕は足を水族館に向けた。

 

その水族館に行ったのは、遠い昔なので場所をはっきり憶えてない。

たどたどしい記憶をたぐり、バスを乗り継いで、やっとの思いでたどり着くことができた。

それなのに魚は一匹もいないとはどういうことだろう?

 

それでも僕はがっかりなどしなかった。

もともと大して期待していたわけではないし、

感動を求めていたわけでもない。

いわば、失業したなりゆきでここまで来てしまった。

ただ、心の中には「なぜいないのか?」という疑問だけが、グルグルと渦を巻く。

 

そうして頭の中をグルグルさせながら、

暗いプロムナードをゆっくり歩いていくと、依然として魚の姿は見当らないが、

人間の姿は一人だけ認めることができた。

 

ぱりっとした白い開襟シャツに、折り目の入った黒いズボン。

割ときちんとした身なりをして、黒々とした髪をバックにして、

ムースか何かでぴっちりとなでつけている。

客ではない。この水族館のスタッフに違いない。

それも身なりから察すると、責任者格ではないか。

僕はそう当たりをつけて、その男に尋ねてみた。

 

「あのぅ、魚は何処に行ったんですか?」

つづく

 


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魚のいない水族館:第1話

 

その水族館には一匹も魚がいなかった。

光が届かない深い海を模した暗く静謐な空間に、

大きな水槽がいくつもいくつも、ただひっそりと眠るように並んでいる。

まるで水をたたえた棺桶のようだ。

 

むかし、北陸のどこかの町で「魚のいない水族館」というのがあったことを

インターネット検索で知った。

そこでは水槽を模したモニターを館内に並べ、

コンピュータを使って、いろいろな魚のホログラム映像を見せていたらしい。

 

物珍しさに加えて、

「魚のいない水族館」という、ちょっとミステリアスなでロマンティックで、

好奇心をくすぐる名前が特別な印象を残した。

開館当初はけっこう大勢、お客が押し寄せたらしい。

けれども、飽きられるのも早かった。

3年も経たないうちに閉鎖してしまったそうだ。

 

その話を読んで、僕はいつも行く歯医者の待合室のことを思い浮かべた。、

30インチほどのモニターに、目が覚めるような鮮やかな青が映し出される。

 

水中に光が存分に届いているということは、

空との距離はそう遠くない。

僕だって潜ろうと思えば、潜ることのできる、危険の少ない海だ。

 

水中を美しい魚たちがゆったりと泳ぐ。

映像からは音はいっさい聴こえてこない。

けれども魚たちの、色とりどりの筋肉がリズミカルに、しなうように動くと、

水の流れと調和して、耳に届かない音楽を奏でているように見える。

午後のひと時のけだるさの中で、

ぼんやりとその音楽を眺めていると、脳が解きほぐされるようだ。

そんな気持ちになったことを思い出した。

 

ときほぐされた脳は、ひとしきり、歯医者の魚の映像の味を堪能すると、

インターネット上の「魚のいない水族館」に戻っていく。

そして、件の情報の価値を検証する。

 

あれと大差ないものを北陸まで行って、お金を払って見る気になるか?

そんな問いかけがやってくるが、答は即座に「いいえ」だ。

結論がむっくりと海底の砂から頭をもたげる。

やっぱり水族館には本物の水と魚がなくてはダメだ。

 

こにには水だけがあって魚がいない。

魚だけではない。

人もいない。

入館チケットは自動販売機で買うし、入館の際も自動改札機で処理する。

館内はしんと静まり返っていて、客もスタッフも誰もいなかった。

水槽内の酸素吸入ポンプのコポコポコポという音だけが響いている。

 

入館料は600円だった。

入口には何の断り書きもなかった。

これでは詐欺も同然だ。

けれども不思議と腹立たしい気持ちにはならない。

むしろこの空間は、今の自分に相応しいのではないか、

と思ったくらいだ。

つづく

 


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終戦記念日はいつから始まったのか?

 

今年で戦後74年。

敗戦を認め、国民に知らせる昭和天皇の玉音放送が流れたのが

1945(昭和20)年8月5日。

「終戦記念日」というのはその翌年の1946(昭和21)年が第1回だ。

だから今年は73回目の終戦記念日ということになる。

 

けれども、戦直後、GHQが進駐していた時代や、戦後の復興時代、

さらには高度経済成長の時代まで、

今日のように各地で式典が行われ、マスメディアがこぞって放送し、

全国民が(いちおう)認識する「終戦記念日」なるものは存在してなかった。

 

ではそれは「いつから「存在」するようになったのか?

ウィキペディアによると、法律的には、

 

1963年5月14日の閣議決定(第2次池田第2次改造内閣)により

同年から8月15日に政府主催で全国戦没者追悼式が行われるようになり、

1965年からは東京都千代田区の日本武道館で開催された。

 

とある。さらに、

 

1982年4月13日、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが

閣議決定された(鈴木善幸改造内閣)。

現在ではこの閣議決定に基づいて毎年8月15日に全国戦没者追悼式が行われている。

 

1982年は昭和57年、僕は22歳だった。

戦後37年。終戦記念日としては36回目。

しかし、法的にはこの時が第1回目といえるのかも知れない。

 

そんな最近のことだったんだ、とちょっと驚き。

 

僕が子供の頃は、マンガでもオモチャでもテレビでも映画でも、

第2次世界大戦、太平洋戦争を素材としたものが溢れていた。

 

そうした「デフォルメされた第2次世界大戦、太平洋戦争」

を体験してきた僕たちが大人になったころ、

やっと「終戦記念日」が確立された感がある。

 

令和天皇も僕と同い年だ。

平和を祈る心に変わりはないが、

戦争を間接的にしか知らない世代に渡され、

8月5日が意味するものはこの先、だいぶ変っていくだろう。

 


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海から山への旅

 

むかし、人は魚だった。

故郷の海に還ろう。

 

なんてセリフやコピーをよく書いてきたが、

自分自身はたいして海が好きなわけじゃない。

 

ギリシャの島に10日ほど滞在して

「太陽がいっぱい」気分を味わったこともあるし、

グァムや沖縄でスキンダイビングをしたこともある。

海は輝いていて美しかった。

 

息子が生まれてからは毎年、彼の友だちなども

まとめて引き連れて、湘南や横須賀まで行っていた。

子どもらが喜び、はしゃぐのを見るのは楽しかった。

それも彼が小学5年生の時まで。

 

以来、楽しさよりも

面倒臭さや、砂でジャリジャリしたり、

潮でべたべたするイメージが先に来て、

少なくとも海で遊びたいという気にならない。

 

カミさんも若い時分はバリ島に行ったり、

グァムやハワイに連れてけとか言ってたけど、

最近はまったく聞かなくなった。

 

僕らは海を卒業してしまったのかも知れない、と思う。

そしてもしかしたら、

人というのはある程度年を取ると、

海よりも山に向かうのではないかという気がする。

 

イメージ的にも、漁師さんや船乗りなど、

職業としている人はべつとして、

海は子どもや若者に似つかわしく、

それに対して、山は年長者に似つかわしいイメージがある。

 

人間は他の生きものと同じく、海より生まれ、

はるかな陸地を旅して、

やがて天上にある神の世界を目指して山に登る。

 

人はむかし魚だった。

海から陸に上がり、蛇のごとく地を這い、

鳥になって高き山へ向って飛ぶ。

なんとなく進化論。

 


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あんまり期待はしないけど、中身スカスカの自己啓発本よりは そこそこ楽しそうなバッティングセンター

 

義父の新盆。

西武線に乗って所沢にある霊園へ墓参りに出かけた。

 

電車の車内には相変らず、

人生に、健康に、仕事に、勉強に、幸福に、

何にでもよく効く「ホニャララ○○法」だの、

「フニャリリメソッド」だの、

「ヘレホレトレーニング」といった自己啓発本の

中吊りポスターがいやでも目に入る。

 

「こんな方法、もっと早く知りたかった!」

という絶賛の嵐付き。

 

そこに書かれている内容のポイントを見れば、

「あなたの常識は間違ってる」といった意味合いの

ことが箇条書きで陳列。

 

この本を読んで、この方法さえ知れば、

いかに努力せず、面倒なく、ラクに、簡単に、

健康になり、仕事や勉強が上手くいき、幸福になって、

人生の成功を手に入れられるかを喧伝している。

 

「時間とお金の無駄遣いなので、こんなもの読まんよ」

と思っている僕のようなひねくれ者に対しては、

「あなたは大事なチャンスを失うつもりですか?」

と、脅しをかけてくる。

 

で、本を読んだだけじゃわかんないでしょうから、

何万円、何十万円のナンチャラセミナーへ

お越しください、という寸法。

 

いったいいつまでこういう中身スカスカの

自己啓発商売は成り立つのだろう?

 

と思って、隅の方を見ると、可愛い絵柄のポスター。

 

「西武新宿駅北口より“頑張れば”すぐ」のオスローバッティングセンターだ。

 

「あさからよるまで“だいたい”やってるよ」

 

「あんまり期待はしないでね」

 

「そこそこ楽しいよ」

 

「たまには来てね」

 

「目指せ“だいたい”世界一」

 

アバウトで、身の丈に合ってて、

暑苦しくないセリフが

涼やかな風とともに心にしみいります。

 

あんまし野球に興味ないので、

これまでバッティングセンターって、

かなり若い頃に2~3度行ったきりだけど、

このオスローバッティングセンターには

今度行ってみようかな、という気になりました。

 

でも、腰をひねると腰痛が再発しそうなのでやめとこ。

 


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