週末の懐メロ164:エヴリウェア/フリートウッド・マック

 

1987年リリース。

アルバム「タンゴ・イン・ザ・ナイト」に収録された

クリスティン・マクヴィー作曲のナンバー。

 

フリートウッド・マックは

1967年から続く息の長いバンドで、

いろいろな音楽性を持っているが、

やはり70年代中盤、

活動拠点をイギリスからアメリカに移した後に

発表した大ヒットアルバム

「ファンタスティック・マック」や

「噂(Rumours)」のイメージが強い。

 

このあたりから始まったポップロック路線は、

現代——特にこの数年、人気が高まり、

バンド自体も再評価され、

「噂(Rumours)」という

トリビュートバンドまで出てきて活躍している。

 

もう一つ、このバンドをユニークな存在にしているのは、

スティーヴィー・ニックスとクリスティン・マクヴィー、

二人の女性ヴォーカリストが

ほぼ均等に並び立っていたという点。

しかも二人とも才色兼備のソングライターである。

 

「ドリームス」などの大ヒットがあるので、

巷では「マックと言えばスティーヴィー・ニックス」

みたいな感じで語られることが多いようだが、

僕は断然クリスティン・マクヴィー派で、

彼女が書いて歌う歌こそが

フリートウッド・マックの真骨頂だと思っている。

 

特にこのライブの「エヴリウェア」は

ファンタジックなイントロと

オリジナルよりもテンポアップされた流れるような曲調、

軽やかに踊るように、

それでいて落ち着きのあるヴォーカルがとても心地よい。

 

昨年(2022年)にこの世を去った

クリスティン・マクヴィーの最高のパフォーマンスの一つ。

 

 

音楽エッセイ:

週末の懐メロ

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20世紀ポップミュージック

回想・妄想・新発見!

あなたの人生を変えた楽曲はここにありますか?

 


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美しきニューヨークのカレンダー

 

とある金融会社のカレンダーをもらった。

本社がニューヨークあるらしく、

NYCの写真の12枚つづり。

これでもか!と出てくる

ハイテンションな街の風景は圧巻だ。

 

マンハッタンの摩天楼も、5番街も、タイムズスクエアも、

ブルックリンブリッジも、自由の女神も、

映画、ネット動画や写真、

テレビなどで見慣れているはずだが、

こうしたアナログ印刷でドン!ドン!ドン!

と12連発で見せられると異様な迫力がある。

そして若き日にニューヨークに

憧れていたことを思い出した。

 

外国暮らしの夢を果たしたのはロンドンだったが、

その前はニューヨークに行きたいと思っていた。

映画や本などでニューヨークの街の風景を見ると

ざわざわと胸が騒いだ。

それはゴージャスな美女を抱きたいという

欲望にも似ていた。

 

実際、1986年と1990年の2回、

それぞれ1週間余り、ニューヨークへ行った。

「ああ、おれは今、ニューヨークにいる」と、

しみじみ感動したことを憶えている。

いずれもまだ世界貿易センターのツインタワーが

健在だった時代の話だ。

 

今のこのニューヨークの写真を見ていると、

9・11の惨劇のことなどみじんも感じない。

20世紀の頃より、さらに高く、空へ向かって

にょきにょき伸びたビル群は、

あのテロの悪夢から完全に立ち直った

世界最強の国の、世界最高の金ピカの都であることを

高らかに誇示しているかのようだ。

 

実際、いくらドバイのなんちゃらタワーがすごいとか、

上海のかんちゃらビルがすごいと言っても、

ニューヨークほどには絵にならない。

やはり近代資本主義帝国としての歴史が違うぜ、

と思わせる風格がある。

 

しかし、そんなにすごいニューヨークだって、

金融エリートやスター芸能人・スポーツ選手

ばかりが住んでいるわけではない。

人口の大半はこの街をえっちらおっちら回している

普通の労働者、普通の庶民である。

そしてまた、その大半は物価高に苦しむ貧乏人らしい。

 

ちょこちょこと調べてみたら、

マクドナルドのスタッフの時給が3700円とあった。

単純計算で1日8時間、月に20日働けば、

収入は60万円近くに上る。

大した金額だと思うが、

ここでは60万円では1DKの部屋代で終わりだという。

その他、コーヒー1000円、ラーメン3000円とか、

物価はとんでもなく高騰していて、

年収1千万でも貧乏暮らしを余儀なくされるらしい。

ちょっと足を踏み外せばホームレスに転落だ。

みんなどうやって生きているんだろうと心配になる。

 

自分のことに話を戻すと、

この写真を見て美しいとは思うが、

40年前のように胸はざわめかない。

正直言うと、見ているだけでお腹いっぱい、

胸やけがしてくる感じ。

もうこの街に行きたいと思わないし、

なんだかうんざりした気分になってくる。

 

都市開発は終わらない。

高いビルを建てるマウント合戦も終わらない。

金持ちの金儲けも終わらない。

戦争もテロも終わらない。

いつまでこんなことが続くんだろう?としか思えない。

 

ゴージャスな美女は遠くからポヤーンと

見ているだけで十分だ。

ま、簡単に言えば、齢を取ったってことだけど。

 

 

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みかんせんべいに秘められた物語

 

認知症の人の頭のなかには

どんなファンタジーの世界が広がっているのか

興味が尽きない。

 

何度か、義母が夜中や早朝に起き出して、

食べ物などをガメていく話を書いたが、

きょうは部屋の中から「みかんせんべい」が発見された。

 

夜中にガメたみかんを布団の下に隠し、

そのまま寝たのでぺっちゃんこ。

当然、布団の下はみかんの汁でぐちゃぐちゃ。

発見者のカミさんはカンカンである。

 

俗にいう認知症の人の「問題行動」だが、

まぁこれくらいのことなら明日ふとんを干せば

いいだけの話だし、怒っても本人は憶えていない。

 

それよりもどうしてガメたものを食べずに、

こんなふうに隠したり、しまいこんだりしてしまうのか?

 

秋口はお腹が減るせいか、たいてい食べていたが、

最近、寒くなってからは備蓄しようとする傾向がある。

 

冬眠する動物みたいに食糧を蓄えておこうという

本能が働くのも理由の一つだと思うが、

どうもそうした即物的な理由だけではないような気がする。

 

幻の家族やお友だちと会話していることを考え合わせると、

どうやら義母の4畳半の部屋には異次元ドアがあり、

その向こうには彼女にしかわからないストーリーが流れ、

そのストーリーを生きているのではないか。

そして、そう生きることが彼女の存在の芯にある

アイデンティティ、生きる意味と

つながっているのではないかと思える。

 

というわけで、汁が抜けてぺったんこに

みかんせんべいを見ているうちに

義母のストーリーを解き明かしてみたいという

妄想にかられた。

 

その前に、明日晴れたら洗濯と布団干しをやろう。

みかんせんべいは食べてみたが、

パサパサしててさすがにおいしくない。

 

 

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気になったら、ぜひ読んでみてください。


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認知症患者のごあいさつを受け止められますか?

 

先日、カミさんが義母を連れて買い物に出かけた。

途中、高校の前を通ったら、

二人連れの女子高生の前にいきなり飛び出していって、

「こんにちは!元気ぃ~!」と大声であいさつした。

もちろん、女子高生はびっくりしてドン引き。

カミさんがあわてて義母をたしなめ、

「ごめんなさい」とその子たちに謝った。

ひとりは「だいじょうぶです」と笑っていたが、

もう一人はずっと顔が引きつったままだっただったらしい。

 

いずれにしてもそれで無事に収まり、

そのまま立ち去ったが、

背中で「なにあれ!?キモっ!」とかなんとか、

引きつってたほうが叫んでいたという。

 

腹も立たないし、説教するつもりもない。

僕も高校生だったら似たような

リアクションを取っただろう。

ちょっとびっくりしたのは僕が知る限り、

通常、義母は女子高生なんかに挨拶しない。

カミさんの話によると、

一人が高校生の頃の妹(つまりもう一人の娘)に

ちょっと雰囲気が似ていたらしい。

 

イメージがダブったのか、

あるいは僕といる時と、カミさんといる時と、

気分の違いで、違ったイメージが湧きだすのかもしれない。

 

義母は愛想がよく、社交的な人と思われていて、

デイサービスなどでもムードメーカーになっているらしい。

実際、そういう一面があって、

僕と散歩するときもすれ違う人に

元気な声で「おはようございます」とか、あいさつする。

 

しかし誰彼かまわずというわけではない。

ちゃんと瞬時に相手が返してくれるかどうか読み取り、

返してくれそうな人にだけあいさつするのだ。

その打率はだいたい7~8割。

けっこう高い精度である。

認知症だからといってバカではない。

論理的思考が働かない分、直観力は優れているのだ。

 

観察していると、声をかけるのは大まかに言って、

子供、子供連れの母親・父親、犬連れの人、

工事の人、掃除の人、トラックの運ちゃん、

警備員、お巡りさん、鳥を撮っているカメラマンなど。

子連れや犬連れ以外は年齢高めの人が多い。

 

やっぱり齢の功というべきか、経験豊富というか、

単にヒマというか、高齢者はちょっと奇異に感じても、

ちゃんと余裕をもって挨拶を返してくれる。

 

その点、前述の女子高生のように

人生経験・社会経験の浅い若いもんは

見たこともない変化球を投げられるとビビってしまう。

義母もそのへんがわかっているのか、

子供でも小さい子はいいが、

小学校の高学年以上になるとあいさつしない。

10代から30代くらいまでの若輩者に

声をかけることは稀である。

特に女性には、若いママさんグループなども含め、

近づこうとしない。

 

それから肉体労働系の人には愛想がいいが、

スーツなどを着込んだインテリ系、

ちょっとスカしたアート系などにも声をかけない。

高齢者でも気難しそうな顔をした人にはあいさつしない。

 

僕といるときはしたことがないが、

肉体労働の人が休んでいるのを見ると寄っていき、

「あら、あなた、いい体してるわね」と、

ペシペシ背中を叩いたりすることもあるらしい。

 

こうして書き出してみると、

なンとなく彼女が交流したい

人間のカテゴリーが見えてくる。

べつにいいとか悪いとかの区別はないが、

やはり社会から離脱した人なので、

忙しい競争社会の真っただ中にいる人や、

そこに入ろう・順応しようとしている

おとなになりかけの子供たちは避ける傾向がある。

 

自分の相手をしてくれるのは、

まだ社会化されていない小さな子や、

逆に社会からリタイアした年寄り、

ちょっと社会から外れた人たちというところか。

 

そういう意味では、川沿いの散歩道は、

ちょっと日常の世界ら外れて

遊んだり休息できる雰囲気があるので、

あいさつを返してくれる人が多いのもしれない。

 

ビジネス街や繁華街でこんな変化球が飛んで来たら

気味悪がってよけるしかないが、

ここなら「まぁ、こんな人もいるよね」と

キャッチできる、

危害がなければ、多少おかしな人がいてもOK、

その方が面白いということだろうか。

 

自然がたくさんある環境なら良いというものでもない。

そこに暮らす人たちがどんな心境でいられるかが大事。

義母には教わることが多い。

 

 

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認知症の義母がぬくぬくする光と音の暖炉

 

この間の土曜日のことだが、

カミさんが中学校の同窓会に出かけたので、

夜は義母と二人だった。

 

普段、食事は居間でしているが、

ここは食事の時間以外はカミさんがいろいろ使っている。

食後、義母はたいてい自分の部屋に引っ込むのだが、

居間の主であるカミさんがいないので、ずっと動かない。

 

カミさんは管理責任者でもあるので、

ああしろ、こうするなとガミガミいわれるが、

今日はその心配はないと察知して

居心地がよかったのだろう。

僕はなめられているということでもある。

 

特に何か話すこともなく、テレビを見ていた。

彼女はテレビで何をやっているのか、

内容を理解できない。

 

メシが出てくれば、おいしそうとかまずそうと言ったり、

イケメンや美女はいいねと言ったり、

激しいスポーツのシーンには「うわ、ひどいことする!」と

怒りのリアクションをするが、すぐに忘れている。

彼女にとってテレビは

「光と音の出る暖炉」のようなものなのかもしれない。

 

そう思って「ペチカ」と「たき火」を歌ったら喜ばれた。

僕のヘタな歌で喜んでくれるのは義母だけである。

 

そのうち、ああ、この人は何十年もの間、

夜はこのように居間で義父と過ごしていたのだなと

わかった。

 

認知症患者には過去の記憶も、未來の展望もなく、

今この時だけがあるが、生活習慣のイメージは残っている。

あたたかい光と音の暖炉に当たりながら

そのイメージに浸るのが、

ぬくぬくして気持ちよかったのかもしれない。

 

そうしているうちに9時を回ったので、

「お義母さん、そろそろおねんねしましょう」と、

みかんを1個持たせたら、喜んで部屋に帰るという。

だが、2時間以上も坐っていたのですぐに立てない。

 

腕を回して抱き起そうとしたら、

「手を持ってくれるだけでいいです」

こういうところはプライドが許さないようだ。

 

土曜日はデイサービスで筋トレをやる上に、

少々夜更かしをしたので

翌日は疲れて1日中寝ていた。

最近はデイサービスに行かない日は、

僕たちも放っておくので、少なくとも昼まで寝ている。

特に寒い季節になると、寝る時間が長くなる。

外に出かけるなど、騒ぎ出さないのでこっちは助かるが。

 

認知症を発症してから、

少なくとも15年は経っているのにもかかわらず、

まだまだ体は元気。

ただ、見ていると、昨年、今年と、

確実に体力は落ちている気がする。

 


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週末の懐メロ163:戦士/シナジー

 

1970年代から80年代にかけて、

ロックミュージックと一線を画する

シンセサイザーミュージックが流行したことがある。

 

火付け役は映画「エクソシスト」のテーマ曲

「チューブラーベルズ」を世に送り出した

マイク・オールドフィールドだったかもしれない。

日本でも冨田勲の「惑星」や喜多朗の「シルクロード」に

心酔した人も少なくないだろう。

 

「アメリカのマイク・オールドフィールド」と言われた

ラリー・ファーストもその一人。

リック・ウェイクマンやピーター・ガブリエルなど、

プログレッシブロックの雄たちの活動をサポートしてきた

シンセサイザー奏者だが、そのラリー・ファーストが

1975年、「シナジー」というプロジェクト名で

アルバム「10番街の殺人」を発表。

そのなかに収められた楽曲「戦士」は、

鮮烈なイメージの音楽世界を創り出した。

 

美しく抒情的なメロディとスリリングな曲展開、

そして幾重にも重なってハーモニーとなる電子音。

そのサウンドの奥に広がるのは

ファンタジックなSF映画を思わせる異世界。

いま聴いても初めて出会った当時の感動は、

何ら色あせることなくよみがえる。

 

ロックミュージックと一線を画すると言ったが、

ある面、これが究極のブログレッシヴロックとも思える。

今ではせいぜい仕事中のBGMとしてしか

聴かなくなってしまったシンセミュージックだが、

やはりシナジーは別格で、

クライマックスからエンディングに至る深遠な余韻は

脳の隅々にまで染みわたっていく。

 


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再読・風の歌を聴け

 

「再読・風の歌を聴け」無料キャンペーン終了しました。

お買い上げいただいた方、ありがとうございました。

よろしければレビューをお寄せください。

引き続き¥300で販売しています。

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いつでもKindle販売サイトにお越し頂き、

「おりべまこと」で検索してください。

お待ちしております。

 

12月も新刊発売予定。

音楽エッセイ「週末の懐メロ第4巻」

長編小説「今はまだ地球がふるさと」

どうぞお楽しみに。

 


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村上春樹の書き方・生き方

 

おりべまこと「再読・風の歌を聴け」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0CNNF85BP

4日間限定無料キャンペーン

残り1日 11月30日(木)16:59まで。

 

毎日コツコツ10頁の原稿を書く。

最後まで辿り着いたら、しばらく休んで

もう一度、最初から書き直す。また休む。

そしてまた納得がいくまで書きなおし、

これでいいかと思ったら読んでもらって

指摘を受けたらそこをまた書き直す。

 

齢を取ってから村上春樹のそうした書き方・生き方を

いいなと思うようになった。

もっと前からできていたらよかったのだろうが、

若い頃はそんなふうに考えられなかった。

そんな話を聞いただけでうんざりした。

 

いま若い人も恐らくそう思う人が大半だと思うが、

もしできれば気が付くといい。

平凡な日々、平凡な作業の積み重ねが、

非凡な結果を生み出すことがある。

そうして生まれた村上春樹の小説には

いろんな哲学が秘められている。

それを読み解くのが楽しい。

 

今は間違っていたことを素直にを認めて

気力・体力が続くまでコツコツやりなおすだけである。

 

もくじ

●村上春樹の初期作品を再読する「風の歌を聴け」

●村上春樹の初期作品を再読する「1973年のピンボール」

●村上春樹の初期作品を再読する「羊をめぐる冒険」

●村上春樹の初期作品を再読する

 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

●少したってまた村上春樹の初期作品を再読する

 「ノルウェイの森」

●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさん

●「アフターダーク」生きていく燃料としての記憶

●「1Q84」のタマルとミケランジェロ

●「騎士団長殺し」の免色渉と子ども

●2018年の4月に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ

●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」

●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界

●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について

●4月のある雨の朝に100パーセントの川岸から 小舟を漕ぎ出すことについて

●早春に目覚めたカエルと「かえるくん」について

●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」

●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について

●村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家

●「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠りどころ

 

全21編採録


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再読・風の歌を聴け 無料キャンペーン中

 

「なんでこんなわけのわからない話を

読みたくなるんだろう?」

と、いつもいつも不思議に思いつつ、

44年にわたって村上春樹の小説と付かず離れずで

生きて来たが、

アラカンになってその謎に挑戦すべく初期作品を再読。

そして近年の作品も読んでいろんなことを考えた。

 

1978年のデビュー作「風の歌を聴け」から

2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。

ふたたび旅したハルキワールドの思い出・感想・評論をミックスアップしたエッセイ集。

村上春樹を読み直して自分の世界を書き換える。

はじめての人も、リピーターの人も、ハルキワールドの旅のガイダンスにご活用ください。

 無料キャンペーンは11月30日(木)16:59まで。

この機会にぜひ。

 

もくじ

●村上春樹の初期作品を再読する「風の歌を聴け」

●村上春樹の初期作品を再読する「1973年のピンボール」

●村上春樹の初期作品を再読する「羊をめぐる冒険」

●村上春樹の初期作品を再読する

 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

●少したってまた村上春樹の初期作品を再読する

 「ノルウェイの森」

●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさん

●「アフターダーク」生きていく燃料としての記憶

●「1Q84」のタマルとミケランジェロ

●「騎士団長殺し」の免色渉と子ども

●2018年の4月に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ

●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」

●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界

●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について

●4月のある雨の朝に100パーセントの川岸から 小舟を漕ぎ出すことについて

●早春に目覚めたカエルと「かえるくん」について

●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」

●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について

●村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家

●「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠りどころ

 

全21編採録


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「再読・風の歌を聴け」 本日より4日間限定無料キャンペーン

 

さよなら読書の秋 4日間限定無料キャンペーン

本日11月27日(月)17:00~30日(木)16:59まで。

 

あっという間に秋も終わり。

冬じたくに心の栄養を。

再び旅したハルキワールドの

思い出・感想・評論をミックスアップ。

村上春樹を読み直して自分の世界を書き換える。

はじめての人も、リピーターの人も、

ハルキワールドを旅する時の

ガイドブックとしてご活用ください。

 

もくじ

●村上春樹の初期作品を再読する「風の歌を聴け」

●村上春樹の初期作品を再読する「1973年のピンボール」

●村上春樹の初期作品を再読する「羊をめぐる冒険」

●村上春樹の初期作品を再読する

 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

●少したってまた村上春樹の初期作品を再読する

 「ノルウェイの森」

●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさん

●「アフターダーク」生きていく燃料としての記憶

●「1Q84」のタマルとミケランジェロ

●「騎士団長殺し」の免色渉と子ども

●2018年の4月に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ

●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」

●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界

●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について

●4月のある雨の朝に100パーセントの川岸から 小舟を漕ぎ出すことについて

●早春に目覚めたカエルと「かえるくん」について

●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」

●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について

●村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家

●「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠りどころ

 

全21編採録


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