世界を感じたオリンピック開会式と聖火への疑問

 

オリンピックの開会式を最初から最後まで、
リアルタイムで見たのは、ずいぶん久しぶりだ。
 
改めて、何よりすごいなと思ったのは、
各国選手団の入場行進だ。
 
特に中南米とかアフリカあたりには、
知らなかった国、
いつの間にか独立していた国、
いつの間にか国名が変わっていた国が
いっぱいある。
 
ちょっと前にNHKの「人体」を見て、
ケニヤの選手がマラソンをはじめ、
長距離走に強いのは
糖質が豊富な食物をいっぱい食べるからだ、
という話をしていた。
 
タンパク質ではなく、糖質が瞬発性と持久性に優れた
筋力を生み出すというのである。
 
けれどもそれはケニヤの民族の人たちが
そういう遺伝子を持っているからだ。
 
日本人や欧米人がその論理を真似ると、
ただ太るだけで、筋力アップにはまるで役立たない。
その民族、その人の個性に合ったことを
やらなくては駄目なのだ。
 
人間って本当に面白いなと思った。
 
なので、今日まで知らなかったこの国の人たちは、
いったい何を食べて、
どんな練習をして出場したのだろうとか、
 
毎日どんな暮らしをしているんだろうとか、
コスチュームはどうやって作ったのだろうとか、
そんなことばかり気になっていた。
 
難民のチームもいるし、
シリアなど、今も内戦をやっている国もいるし、
ルワンダやボスニア・ヘルツェゴビナなど、
いったいどうやってあの悲惨な虐殺や暴政から
復興して選手を送り出せるようになったのか。
といったことも気になった。
 
そして、脱走して強制送還されてしまった
ウガンダの選手は
本国に帰って大丈夫なのか、
今ごろ何をしているんだろうかとか、
ひどく心配になってしまった。
 
今回の開催にはいろいろ問題があると思うけど、
やはり普段意識に上らない世界のことを
あれこれ考えられる機会が出来るのは、
オリンピックの大きな価値だなと思う。
 
いずれにしても開催されたのだから、
日本人選手の応援もいいけど、
知らない国の選手のこともできる限り、知っていきたいと思う。
 
開会式は次々と人が辞めて大変だったが、
最初の野村萬斎が総指揮をする予定だった時の
コンセプトはどれくらい残っていたのだろう?
もっと渋く「和の世界」に徹しても良かったと思う。
 
けど、まぁがんばった。
人も次々と辞めるドタバタ劇の中で、
とりあえずなんとか完走できた。
スタッフはほっとしているだろう。
 
けど。ひとつだけ、
最後の聖火について言わせてもらうとーー
 
未来とロボットを想起させる点火台はカッコよかった。
でも、なんで最終ランナーがプロ選手の大坂なおみなのか?
「多様性と調和」から彼女を選んで
持ってきたのはわかるが、
なんか表面的過ぎる。ウケ狙いに見えた。
 
ここにいたるまでの「多様性と調和」に反する
さまざまな失態を、彼女を起用することによって
一気に帳消しにしようとした。
そう取られてもしかたない。
 
大坂さんにケチをつけるわけでないが、
オリンピックの聖火をともすのは
現役のトップアスリートや
人気のプロプレーヤーではないと思う。
 
震災からの復興五輪、そいて未来への希望を謡うのなら、
あの東北の子どもたちが点火してよかったのではないか。
 
あるいはコロナとの闘いを象徴するなら
あの医療従事者のおじさん・おばさんとか。
 
あるいはコロナのせいで戦わずして出場がかなわなかった
名もなき選手たちが、
せめて点火の栄養を受けてもよかったのではないか。
そう思った。

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小山田問題:才能と人間性

 

世の中は芸術的才能よりも

人間性を重視している。

人として正しく生きている上での

才能でなければ認められない。

そういう世界になった。

 

数年前、ハリウッドの女優が

映画プロデューサーのパワハラ・セクハラを

掘り起こして糾弾したあたりから、

世界が急速に人権や個人の尊厳といったものを

クローズアップするようになった。

 

この流れはもう止まらない。

そして、元に戻ることはない。

 

昔は真逆だった。

 

才能がすべてだ。人間性なんか関係ねーだろ。

 

誰だったか忘れたが、むかし芝居をやっていた頃、

僕もそう言われたことがある。

 

かれこれ40年近く前の話だが、

当時、それは真実の言葉だった。

 

作家も俳優もダンサーも画家も映画監督も、

そして音楽家も、

およそ芸術・娯楽の分野で仕事をしようとする者にとって

それは鉄の掟のようなものだった。

 

いや、でも人間性も大事なんじゃないでしょうか。

そんなことを言おうものなら嗤われ、馬鹿にされた。

 

「いい人」に何ができる?

世間の常識にとらわれた人間に

面白い表現、人を感動させる表現などできるわけがない。

そう言われたらグウの音も出なかった。

 

僕の実感は昭和時代のものだが、

これは割と最近まで、おそらく10年ちょっと前くらいまで

生きていた鉄則ではないかと思う。

 

小山田氏があんなひどい虐待・暴行を

さも自慢げに、笑い飛ばすように話したのも

1990年代半ばは、そうした芸術分野の

才能至上主義みたいな常識が

まだしっかり生きていたからだろう。

 

才能があり、人気もあり、

セールスを上げているミュージシャン。

ほとんど無敵である。

何を言っても、何をやっても許される。

あの記事の内容を読む限り、

そうした自信(今となっては驕り)

が見て取れる。

 

僕は今回読んで吐き気がしたけど、

当時はああした話を歓迎して受け止める風潮も

世の中にあったのだろうと想像する。

 

だから出版したし、

あの雑誌自体もそこそこ売れたらしい。

 

そういう観点からすると、

記事を企画し、リリースに関わった

ライター、インタビュアー、編集者、そして出版社にも

相当大きな責任がある。

(出版社は謝罪文を出した)

 

小山田氏に関して、全然彼の音楽を知らなかったので、

フリッパースギターとか、

コーネリアスとか、ちょっとずつ聴いてみた。

 

胸に響くというほどではないにせよ、

そこそこカッコいいし、才能を感じる。

 

さすが開幕式の音楽担当に選ばれるだけあって、

作曲能力も演奏表現も優れている。

実績も立派なものだ。

 

だけど、時代は変わった。

芸術を生み出すにはにはもちろん才能が必要だが、

それは人間性とセットでなければ、

社会に受け入れてもらえない。

 

それでこの先、本当に面白いものは生まれるのだろうか?

新しい芸術は生まれるのだろうか?

と、古い常識にとらわれた僕は

ちょっと疑問には思っている。


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呪われた五輪でなく、理念をないがしろにしてきたツケを払う五輪

 

 

これが最後の不祥事になればいいが・・・と、

関係者は今夜も祈りをささげる思いだろう。

僕もそうなるよう祈っているけど、

まだあっちこっちからいろいろ出てくる可能性が高い。

 

開会式の音楽担当を辞任した小山田圭吾氏の問題。

小山田氏個人の問題はとりあえず置いといて、

今日は組織委員会の人選についての話。

 

「呪われたオリンピック」などと言われるが、

本当にそうなのか?

 

呪いなんかじゃなくて、みんな起こるべくして

起こっているのではないか?

 

単にツケを払わされているだけではないのか。

 

そもそもなんで東京でオリンピックをやろうとしたのか?

その始まりがまちがっていたのではないか。

精神がなってなかったのではないか。

 

五輪憲章をきちんと読んでいる人は何人いたのか?

利権・ビジネスファーストで、

「復興五輪」なんて大看板もお飾りなのではなかったのか?

 

大元締めのIOCがブレまくってから、

そうなるのもやむを得ないか、という気がするが。

 

小山田炎上問題に関しては、

ITメディア経済の「スピン経済の歩き方」の記事が

素晴らしかった。

組織員会の致命的な欠陥について書いている。

 

これは今後の企業経営・ビジネスにとっても、

とても参考になる記事だと思う。

 

五輪スポンサーの中でトヨタ自動車は

いっさい五輪に関連付けたコマーシャルを放送することを辞めた。

けれどもトヨタは会場において移動用の車両を提供し、

スポンサーとしての務めを果たす。

 

別にトヨタの回し者ではないが、

今後は企業理念と矛盾しないアクションを取ろうと努める

こうした企業だけが

好感と共感を得ることができるのではないだろうか。

 


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まさかの東京五輪2021で、僕たちは歴史の生き証人になる

 

あっつ~!

超絶暑い真夏がやってきて、猛暑日続出するであろう今週、

いよいよ、1年遅れの東京2020が開幕!

(するんだよね、きっと)

 

開催地に決まった当初は僕も、

「なんでこんなくそ暑い時期にやるんじゃ。

熱中症で死人続出したらどうすんねん!」

と叫んでいたが、

もうそんな心配もどっかに吹っ飛んでしまった。

 

無観客になったことで皮肉にも熱中症の心配、

および、観客を誘導するボランティアスタッフの負担は減った。

 

それにしてもこんなめちゃくちゃな状態になるなんて、

2年前まで予想できた人は誰もいなかった。

 

いや、1年前、延期になった時だって誰も考えられなかった。

まさか。

 

そうだ、人生には3つの坂がある。

上り坂、下り坂、そして、まさか。

 

国力下り坂の日本が、

ドカンと上り坂への大転換をめざしたはずの東京2020が、

まさか、こんな開幕を迎えるとは。

 

まるで三谷幸喜のシチュエーションコメディを

連日見せられているような国家規模のドタバタ劇。

 

でも、僕たちは認めなくてはならない。

人生にも世の中にも「まさか」はあるのだと。

 

くそー、コロナさえなければ!

そう恨み節を唱える人は山ほどいるだろう。

でも、歴史に「ればたら」はない。

 

果たしてこのオリンピックはどこへ行くのだろうか?

スポーツ大好き日本人は

メジャーリーグの大谷選手の活躍に湧き返ったように、

日本がいくつか金メダルを取れば、

政府や東京都の失態も、IOCの暴挙も、

理想を謡った五輪憲章が

完全にメルトダウンしてしまったことも、

みんな忘れて大盛り上がりになるのだろうか?

 

まさか、まさか。

いや、そのまさかのハッピーエンドも起こるかも(笑)

 

しかし、考えようによっては

こんなオリンピックは空前絶後。

しかもそれが他国でなく、自国で行われる。

 

不謹慎を承知で言えば、

もはや競技だけでなく、

政治も社会のこともトータルに含めて、

こんな面白い大会はこれまでも、これからもない。

 

今回の東京五輪は、いつものお決まりの

選手の感動ストーリーだけでなく、

ドタバタ劇も、先の見えないサスペンスドラマも、

社会問題ドキュメンタリーも何でもありで、

見どころ満載の超エンターテインメントなのだ。

 

こうなったら徹底的に楽しむしかない。

泣きも、怒りも、笑いも、感動も、恐怖もある

まさかの東京2020。

 

この後のオリパラが、

そして世界がいったいどうなるのか

さっぱりわからないが、

「まさかの東京2020」が

一つのエポックメーキングになることは間違いない。

 

これから僕たちひとりひとりが歴史の生き証人になる。

 


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週末の懐メロ39:ダンシング・ウィズ・ミスターD/ザ・ローリング・ストーンズ

 

ヘビが肌にからみつくようなヌメヌメ感。

粘り気たっぷりのグルーブが気持ち悪くて気持ちイイ。

 

「ダンシング・ウィズ・ミスターD」は、

1973年リリースのアルバム「山羊の頭のスープ」の

オープニングナンバー。

ダークで猥雑で退廃的な

ストーンズ流変態ダンスナンバーとでもいえばいいのか、

彼らの楽曲の中でもすごくユニークな曲だ。

 

このビデオでも化粧したミック・ジャガーが

体をくねらせ尻振りダンスを披露していて、

セクシーというより、いやらしくて気味が悪くて面白い。

 

女ものの帽子をかぶってギターを弾く

この時代のリードギタリスト、ミック・テイラーも

無表情にドラムを叩くチャーリー・ワッツの顔もいい。

 

★山羊の頭のスープ1973

 

この年、僕は中学2年生だったが、

「悲しみのアンジー」というラブバラードが大ヒットし、

それが聴きたくてアルバムを買った。

ローリング・ストーンズとまともに出逢ったのは、

このアルバムが初めてだった。

 

薄い布かビニールみたいなものを被ったメンバーの顔が映った

まっ黄色のジャケットもシュールでヘンテコで大好きだった。

だからとても愛着がある。

 

この1973年は彼らの来日公演が、

ミック・ジャガーの麻薬所持が理由で中止になった年でもある。

 

結局、初来日公演はそれから17年後の1990年になった。

僕は1万円のチケットを手に入れて

友だちと大騒ぎして東京ドームまで観に行った。

 

ド派手な超一級のエンターテインメントだったが、

今思うと、やはりこの頃のダークさ・猥雑さと

だいぶ雰囲気が違っていた。

 

★1979年代:ロック王の格闘史

 

ストーンズが名実ともにロックの王者となったのは、

70年代を見事に生き抜いたからだと思う。

 

60年代の終わり、

目の上のたんこぶ的な存在だったビートルズが解散。

初代リーダーのブライアン・ジョーンズが死に、

ミック・ジャガーとキース・リチャーズの双頭体制になった。

(まるで芹沢鴨を追い出して、

近藤・土方主導になった新撰組みたいだ)

 

そして「スティッキー・フィンガース」

「メインストリートのならず者」という

ロック史・ストーンズ史に残る

大傑作アルバムを立て続けに出して天下を取った、

と思われた。

 

しかし、ポップミュージックの可能性が思い切り広がった

70年代の音楽シーンの荒波に

王者の地位はいつも揺るがされていた。

 

イギリス・アメリカでは人気ナンバーワン。

そして音楽通・ロック通の評判は高かったものの、

日本ではどうだったか?

 

人気の面、音楽性の広さ・演奏表現の醍醐味といった面では

レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどの

ハードロック勢、

イエスやELPなどのプログレ勢、

もしくはクイーンやエアロスミスなどの新興勢力の

後塵を拝していた。

 

そういった状況を意識してかどうか、

2大傑作の成功に安住することなく、

「山羊の頭のスープ」では、

この変態ダンスナンバー「ダンシング・ウィズ・ミスターD」や

ストーンズとしては珍しい、

もろバラードの「悲しみのアンジー」、

民俗音楽を取り入れ、

ちょっとプログレにアプローチしたようにも聴こえる

「すべては音楽」など、

いろいろなことに挑戦している。

 

もちろん、「スター・スター」みたいな

This is Stones みたいな曲もやりながら。

 

それまでのワイルド感やラフ感を抑えて、

かなり緻密で来寧な音作りを行っている。

 

評価が低いのは、そのへんが裏目に出て、

なんだか全体の印象が散漫で、

あんまりストーンズらしくないぜ~と映ったからだろう。

 

一貫して、ブルースから発展させた

自分たちのロックンロールを失わなかったストーンズだが、

その一方で、いろいろな音楽のっセンスを取り込むことに

挑戦し続け、

コンスタントにアルバムを作り、

ライブをやり続けたからこそ

激動の70年代ロックシーンを生き抜くことができた。

 

そして80年代になる頃、

他の人気バンドが解散したり衰退したりする中、

ストーンズだけは頭一つ抜けた、

別格のロックバンドになっていた。

 

そんなふうな格闘のヒストリーを考慮すると

「山羊の頭のスープ」はもっと評価されていい。

 

★山羊の頭のスープ2020

 

と思っていたら、じつは昨年、

「山羊の頭のスープ2020」という

アルバムが出ていたのを知った。

 

聴いてみたら、リマスターされたオリジナルの10曲に加え、

デモバージョン、別バージョン、アウトテイク、

未発表曲、この時代のライブパフォーマンスなど

盛りだくさん入っていてすごくいい。

 

僕たちの世代にとってローリング・ストーンズは、

永遠のロックの王者だが、

今の若い世代は、ベロ出しマークは知っていても、

ストーンズというバンドの存在は知らない人が多いらしい。

 

そんな世代にとって、バラエティに富んだ

ストーンズのロック宇宙が楽しめる

「山羊の頭のスープ2020」は超オススメである。

 

★ミスターDとコインロッカーベイビーズ

 

最後に、この「ダンシング・ウィズ・ミスターD」の

ミスターDとは何者なのか?

ちょっと気になるところ。

これはどうやらドラキュラのDらしい。

闇夜に吸血鬼と一緒にヌメヌメ踊ろうぜ、というわけだ。

 

ちなみに村上龍が1980年に発表した傑作小説

「コインロッカーベイビーズ」の中に

“D”という変態音楽プロデューサーが登場する。

このDという人物は、

この曲からイメージして書いたのでないか、

と勝手に僕は思っている。

 

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エッセイ集:音楽

ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力

ロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った時代。僕たちのイマジネーションは 音楽からどれだけの影響を受け、どんな変態を遂げたのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する音楽エッセイ集33篇。

もくじ

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

●キング・クリムゾンの伝説と21世紀版「風に語りて」 ほか

 


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幻想漬け、妖怪漬けの夏

 

夏の訪れ。

夏の木陰。

夏の夕暮れ。

夏の夜。

田舎の夏。

故郷の夏。

 

音楽ではない。自然の音。

虫、鳥、かえる、せせらぎ、風鈴など。

YouTubeには短くて1時間、

長いのだと10時間以上の自然音のBGMにあふれている。

癒しのサウンドスケープ。

こんなにいろんな自然音にあふれた国は、

世界中探してもどこにもないかもしれない。

 

夏の音は僕たちの心に

見たことなんてないのに、

きっとどこかで体験したような気にさせる

夏の風景--幻想の風景をつくりあげる。

 

かつて幕末から明治にかけて日本にやってきた

欧米の知識人たちは、日本を「妖精の国」と呼んだ。

目をつぶればたちどころにその妖精の国に飛んでいける。

 

妖精というより妖怪か。

 

民俗学者・柳田国男と漫画家・水木しげるの功績によって、

妖怪は日本の文化の一つになった。

 

夏は幻想に浸りながら妖怪を楽しみたい。

 

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おとなも楽しい少年少女

 

ざしきわらしに勇気の歌を

ロボット介護士に支えられて余生を送っている寅平じいさんが、林の中を散歩していると、ざしきわらしに出逢う。

 

ざしきわらしは最強の妖怪“むりかべ”の脅威から人間を守るために闘うので、応援してほしいと寅平に頼む。

 

 


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気が付けばすぐそこにデジタルとSDGsの未来

 

まもなく世界は一気に違うステージに突入する。

本気の21世紀が始まると言ってもいいくらいだ。

 

昨日も書いたけど、

オリパラが終わってワクチンが一通り行きわたれば、

もうコロナもおしまいモードになると思われる。

 

その先はいくら変異株が現れようが、

政府も世の中ももう見て見ぬふり。

 

マスメディアでも今やっているような

コロナの感染報道はなくなって

天気予報レベルに落ち着くだろう。

 

それで復興というか、

新しい世界の構築--21世紀型というか。

SDGS型社会の実現へ向かうだろう。

もうすでに舞台裏ではその準備が着々と進んでいる。

 

3か月余りかかったが、

中小企業向けのDX本が完成(月末発刊予定)。

これからは本気でDXに取り組まないと、

多くの中小企業は潰れてしまうかもしれない。

 

この本は中小企業の経理を担当する

会計事務所のグループの名義で出す本だが、

最近、便利で安価な会計システムが

どんどん開発・販売されているせいで、

当の会計事務所が、

もうこれまでみたいに会社の経理を

請け負うだけでは食えなくなっている。

 

便利で安価なデジタル会計システムが

どんどん開発・販売されいるせいだ。

 

デジタルの強みはデータが蓄積できることで、

これからは過去データが活用できないと

ビジネスがうまく展開できなくなる。

 

もちろん、AI・ロボットの進化がその後押しをしていく。

そうして経済・産業の世界がどんどん機械化されていく一方で、

人権や個々の生き方を尊重する考え方がどんどん広がっていく。

 

パワハラ・セクハラの告発しかり。

LGBTの権利拡大しかり。

 

最近の漫才やコントは、

昔のように相手の容姿をいじったりすると

かえってウケないのだそうだ。

少なくとも若者からはそっぽを向かれる。

面白いと思う前に嫌な気分になるというのである。

人格破綻者の代表選手だった役者や芸人も

今や人格者であることが求められる。

 

これから30年くらいは死ぬ人が大勢いるので、

宗教やスピリチュアル的なものも見直されそうだ。

WHOでは「健康」の条件に、

フィジカル(肉体的)、メンタル(精神的)、

ソーシャル(社会的・人間関係)の3つを挙げてるが、

これにスピリチュアル(霊的?といえばいいのだろうか)を

加えることを検討している。

 

この世とあの世が妻がっているという宗教的な考え方が、

日常生活のレベルで認識されるようになるのかもしれない。

ただ世のため人のために働いて年取って死んでゆく、

ただそれだけではない

人間的価値の追求―-という時代になるのだろうか?

 

コロナだ、オリンピックだと騒いでいる間に

しっかり未来は近寄ってきている。

これからそんな未来ネタを衆くらいで

書いていこうと思ってます。

 

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エッセイ集:AI・ロボット
どうして僕は

ロボットじゃないんだろう?

AI・ロボット・インターネット・DXにまつわる考察を読み物にした面白まじめエッセイ。

 

●もくじ:

・介護士・看護師は人間か、ロボットか?

・インターネットがつくるフォークロア

・こちとら機械だのロボットだのじゃねえ。人間でぃ!

・聖書から始まった「人間VS機械」

・子どもはどうしてロボットが好きなのか?

・どうして僕はロボットじゃないんだろう? ほか全33編

 


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あなたが「もう終わり」と言えばコロナは終わる

 

みんなが知りたい。

コロナ禍はいつ終わるのか。

 

1年前は多くの人が、

今ごろは終わっているだろうと漠然と思っていた。

現在のようなこんな状況を想像していた人は、

ほとんどいなかっただろう。

そしてワクチンさえできれば、

もう解決だと思ってもいただろう。

 

ところが、どうもそうではない。

そうならない。

僕はもしやこれはえんえんと、

まだ2年も3年も続くんじゃないの、と思う。

 

ただし、それはみんなの中に

「コロナ怖い」という意識があるから。

 

ニュースを見ると、

あれだけ悲惨な状況が伝えられていた

ニューヨークやロンドンの

アメリカ人やイギリス人は

「コロナなんてもう終わりだよ」と言って騒いでいる。

 

彼らはワクチンも打ったし、もうコロナなんて怖くない。

だから医療者が何と言おうと、

彼らにってはもうコロナは終わりなのだ。

 

そういう人が大半を占めるようになれば、

実際にはウイルスが跳梁跋扈していても

その社会でコロナ禍はジ・エンドなのである。

 

そんなアホな。

そう思うだろうか?

 

けど日本だってきっと何とか無事にオリパラが終わって

ワクチンが全国・全世代に一通り行きわたれば、

政府も「もう終わりにしましょう」と、

すべてをなし崩しにして

「これからは経済復興です」と言い出すだろう。

 

今回の首都圏の緊急事態宣言に対する

人々のリアクションを見たら、

もうそうせざるを得ないに違いない。

 

インフルエンザが地球上からなくならないのと同様に、

新型コロナもなくならない。

物理的にそれは存在し続け、

僕たちの命を脅かし続ける。

 

でも人日tの多くが

「しかたない。私たちはいつか死ぬのだから」

と思うようになり、

マスメディアもわざわざ取り上げなくなれば、

流行は終焉するのである。

 

要は僕たちがコロナの存在

を無視できるかどうか。

コロナを終わらせるのは、僕たちの心なのである。

 

厄介なのはコロナが終わってほしくないと思っている人が

わりと大勢いることだ。

 

そんなアホな。

そう思うだろうか?

 

オリパラはどうなる?

コロナはどうなる?

僕が思うに、その緊張感を生きる張り合いにしている人が

日本には結構いる。

 

コロナよりも時代が変わってしまうのが怖い。

そういう心理の人たちが

今年秋から来年あたり

どうなってしまうのか。

それもまた気がかりである。

 

命は保障されても、

生きがいは誰も保証してくれない。

 

というわけで今日は1回めのワクチン接種をやってきた。

来月初め、2回めをやったら、

一応、僕の中でコロナの時代は終わる予定である。

ただ、社会には付き合わなくてならないから

空気読みながらおとなしくはしていますが。

 


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週末の懐メロ38:ワイルドワン/スージー・クアトロ

 

「キャン・ザ・キャン」「48クラッシュ」

「悪魔とドライブ」に続く真打。

スージー。クアトロ、1974年の大ヒット曲。

 

レザーのジャンプスーツに身を包み、

ベースを弾いてシャウトする

ロックンロールねえちゃんは、ぶちカッコよかった。

 

彼女が弾くベースはやたらでかく見えたが、

べつにベースがでかいわけじゃなくて、

彼女が小柄だったのだ。

 

あんまりグラマーでお色気出しまくりじゃなくて、

ちょっと小さくて可愛いところも、

アイドルチックで日本人にウケた。

 

それまで女性のミュージシャンが弾く楽器といえば、

ギターやピアノ(キーボード)で、

少なくともメジャーになった人で

ベースというのはいなかった。

その点でもクアトロは斬新だった。

 

彼女が人気になって以降、

急にベ-スが女をカッコよく見せるアイテムになり、

実際に弾かなくてもベースを抱えた

女性アイドルがレコードのジャケットや

雑誌のグラビアを飾っていた記憶がある。

 

音楽雑誌で「なぜあなたはベースを弾くんですか?」

というインタビューに対する

彼女の答が忘れられない。

 

「ギターは頭にガンガン響くのよ。

ドラムはお尻にボンボンくるわ。

ベースはね、股間にビンビン来るのよ」

 

ひえー、そうなの!と、

中学生だった僕はそれを読んで、ぶっとんでしまった。

ロックの女王、面目躍如。

この名ゼリフとともにスージー・クアトロは

永遠のアイドルになった。

 

アイドルと言えば、

かつての歌謡アイドル・榊原郁恵の「夏のお嬢さん」

(♪アイスクリーム、ユースクリームと歌う曲)は、

この「ワイルドワン」のパクリだと言われている。

 

試しに聴いてみたら、パクリとまではいわないけど、

おいしいところはいただいてます、という感じ。

興味のある人は聴き比べてみてください。

 

 

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エッセイ集:音楽

 

ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力


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動物ハードボイルド人間群像アニメ「オッドタクシー」

 

仕事の合間に見ていた「オッドタクシー」というアニメに

ドハマリしてしまった。

 

大型連休の時、息子が遊びに来ていて

「面白い」と言っていたのを思い出し、

Amazon Primeでやってないかな~と覗いてみたら、

見放題だった。

テレ東で今年4月から6月まで深夜枠で法すしていたらしい。

 

1回20分強で全13回。

仕事の息抜きにちょうどいいかと見始めたのだが、

これがめっぽう面白い。

 

主人公はセイウチのタクシードライバー。

これにゴリラの医者、アルパカのナース、

トイプードル、三毛猫、黒猫のアイドルトリオ、

イノシシとウマの漫才コンビ、

ヒヒのハングレ、ヤマアラシのラッパーなど、

総勢20匹以上の動物キャラクターが絡む。

 

と書くと、なんだかほのぼの動物アニメとか、

メルヘンワールドみたいでしょ?

 

絵柄は割とコミカルだし、

OPやEDの歌もとぼけてたり、

可愛かったりするのだが、内容はそれと正反対。

 

クールでミステリアスでハードボイルド。

そして、けっこう切ない物語なのだ。

 

そのギャップが面白く、

脚本も演出もかなりエッジがきいていて、

心理描写も深い。

折々に入る関節を外すようなギャグもキレている。

何よりも現代の都会を描いた人間群像劇になっている。

 

動物なのに人間群像劇?

一体どうしてそんな世界になっているのか、

その秘密は最終回でわかる。

 

かなり衝撃、そしてかなり深いラスト。

興味を持った人はぜひ見てみてください。

 

Amazonの回しものみたいだけど、

Amazon Primeなら、いま見放題。

他の配信サイトでもそのうちやるかも。

 

 

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おとなも楽しい少年少女小説

 

いたちのいのち


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