てんぐだいこでキミもペテン師

 

  良心的な大人の人には大変残念な話だが、大半の子どもは悪いことが大好きだ。

 

 「子どもは」を言い換えれば「人間は」。

 人間は悪に惹かれる。ペテン師の諸行を見て面白いと感じてしまう。

 以前、「ジョン・レノンはペテン師だから魅力的だ」という話を書いたが、レノンがあれだけ世界中の人を魅了するのは、音楽的才能もさることながら、悪いこと大好き、ペテンが大好きな“子供のままだった”からだと勝手に思っている(彼を“愛の伝導師”みたいに思っている人には失礼かも知れないが…・・・)。 

 

 けれども、同じペテン師でも、僕たちは偽善的な新興宗教や振り込め詐欺みたいなものは憎む。要はユーモアがあるか、夢があるかといった問題になると思うのだが、愛されるペテン師と憎まれるペテン師の境界線をいろいろ考察すると面白い。 

 

 で、やっと今回の朗読の話。2学期も僕はランドセルをしょって朝の読書タイムに朗読をしに小学校へ出張。 今回の「てんぐだいこ」は、まさしくペテン師の話だ。 

  

 主人公のげんごろうさんは、根は“いい人”らしいが、ふしぎなたいこを拾ったがゆえにペテン師に転じる。

 僕もこんなたいこを手に入れたら、きっと同じことをやるに違いない。

 そう思って読んだら、どうやら2年生の子どもたちも同じように感じたようだ。

 もちろん、そんなことは言わないけど、読み手のランドセルおじさんにはちゃんと彼らの心の声が伝わってくる。 

 

 「こういう面白いことやって、しかもお金もガッポリ儲けられるなんて、 

げんごろうさんがうらやましい」 

  

 可愛い子どもたちでも、うまい話には弱いのである。 

 

 けれども「鋼の錬金術師」ではないが、人間は何かを手に入れるためには必ずそれ相応の対価を支払わなくてはならない。

 ネタバレになるのでここでオチは書かないが、げんごろうさんも例外ではなかった。おいしい思いをした後は、大変なことが次から次へと彼の身に降りかかり、最後には○○○になってしまうのだ。 

 

 それにしても、この話をはじめ、日本のむかしばなしには、まさしく読者をペテンにかけるような荒唐無稽・支離滅裂な物語が多い。

 脈絡も整合性もへったくれもないという感じだ。

 

 「桃太郎」のような明確で分かりやすい、いわばヒーローものは例外中の例外。(桃太郎のお話も明治期に「富国強兵政策」を子供心に植えつけるため、あのように明快なものに整理されたという説がある) 

 

そういう意味では日本人は世界でも特にペテン師を愛する国民性を持っているのかも知れない。 

 でも子どもたちよ、しっかり勉強して自分の頭で考えて、世の中を旅して経験積んで、へんなヤツにだまされないように。

 ・・・て、マッチポンプ的にこんなこと言っている僕がペテン師か?

 

 

 

2011・9・9 FRI