父の物語について

 

 12月は1年の終わり……というのは当たり前ですが、この5年の間にに相次いで父親と親友が亡くなったので、僕にとっての12月は「死」を意識する月です。

 

 ただ5年も経つと、ただ悲しいだの寂しいだの、という気持ちだけでなく、彼らは自分の人生においてどんな存在だったのだろう?どんなメッセージを遺していったのだろう?といったことを考えざるを得ません。

 

 僕は父の死後、社会保険事務所で遺族年金の手続きをする際、彼の履歴書を書いて提出したのですが、父というひとりの人間の人生の軌跡が、こんな紙切れ一枚の中に納まってしまうことに何とも納得できないものを感じました。

 

 もちろん、役所の窓口や事務手続きをする人たちを相手に、自分の家族の物語をとうとうと語り伝えようとは思いません。

 また、父は不特定多数の人たちに興味を持ってもらえるような波乱万丈な、英雄やスターのような、生きる迫力に満ち溢れた人生を歩んだわけでもありません。

 むしろそれらとは正反対の、よくありがちな、ごく平凡な庶民の人生を送ったのだと思います。

 

 けれどもそうした平凡な人生の中にもそれなりのドラマがあります。

 そして、どんな人のドラマにも、その時代・社会環境の影響を受けた部分が少なくないと思うのです。

 

 僕は父に関するいくつかのエピソードと、昭和の歴史の断片を併せて書き残し、家族や親しい人たちが父のことを思い起こすための一遍の物語を作りました。

 

 本当その物語は父が亡くなる前に書くべきだったのかも知れません。

 けれども生前、とうとう父に自分の人生を振り返って……といった話を聞く機会は作れませんでした。

 

 そこで僕が生まれる前や幼い頃のこと、つまり父が若い頃のことは母から聞き書きし、自分の記憶と合わせて完成させたのです。

 

 自分で言うのもナンですが、なかなかいい出来で気に入っています。

 自分の気持ちを落ち着かせ、互いの生の交流を確かめ、その人がこの世で果たした役割を見出すためにも、物語をつくることはとても有効です。

 

 最近は「エンディングノート」というものがよく話題に上ります。「その日」が来た時、周囲の者が困らないように、いわゆる社会的な事務手続き、お金や相続のことなどを書き記すのが主体のようです。

 

 けれども本当に大事なのは、その人の人生にどんな意味や価値があったか、家族や他の人たちが知ることが出来る、ということ。

 

 そして、その人が最期に自分自身を取り戻せる、ということではないでしょうか。