人生最後の全力疾走?

 

 運動会は一大イベントだが、さすがに高校ともなると保護者もいっしょに参加して楽しむ、というわけにはいきません。

 なのであまり熱を入れて応援はしないけど、こういう学校行事に接するのも今年が最後。

 と思って、うちの小僧くんの高校の体育祭を見に行きました。

 

 学園祭と同じく、みんな生徒が企画運営しているので、結構トンマな進行もあったりして楽しませてくれます。

 

 騎馬戦はバトルロワイヤル。

 青団が強力らしく、赤団と黒団が協力して潰しにかかる。

 うちの小僧くんは脚をやっていたが、キックで相手をぶっ潰したりして、なかなかたのもしく頑張っていた。

 

 障害物競走は、「ウケを狙ってやってるのか、こいつら!」というぐらい、お間抜け全開でワロた。

 

 女子の中には鉢巻の巻き方に命を懸けてるのがいて、走ると華麗なウェーブを創り出すのや、どうやっているのかネコ耳みたいに可愛く結んだりしていて、クリエイティブなおしゃれのセンスには目を見張りました。

 

 最後はリレー。

 速くても遅くても、勝っても負けても、高校生のガキどもがトラックを全力疾走する姿はしびれまくります。

 なんか親バカっぽいが、それはオリンピック競技なんかよりもよほど深く胸を打つのです。

 

 ふと思ったのは、彼はこれから先の人生の中で(比喩的な表現でなく)全力疾走することがあるだろうか?ということ。

 

 彼だけではない。子供たちは幼稚園や小学校の頃から、最低毎年1回(練習を入れればもっと)50mなり100mを全力疾走してきたが、多くの子にとってそれは高校3年が最後になるでしょう。

 

 以後、競技としてやらない限り、ガチで走ることはないのではないか。

 そう言えば自分も、ランニングはよくしていたものの、全力疾走したことは高校の体育祭以降、一度もない…と思います。

 

 子供の運動会の保護者競技に出たとしても、やっぱそれはガチな走りとはニュアンスが違う。

 こうした走りを再現しようと思ったら、それをするためのシチュエーションづくりが必要なのです。

 …というシチュエーションってどんなのか考えてみたが、思い浮かびmせんでした。

 

 小僧くんは「何も考えずにただ走っている自分がいた」と言いました。

 たいして足が速いわけではないが、“”風になれることを知っている“ようなのです。

 普段はクールですが、終わった後は「なんかさびしい …」と口走りました。

 

 子供の季節が終わったのかも知れません。