1月21日のルイ16世とマリー・アントワネット

 

 僕の誕生日である1月21日は、フランス革命でルイ16世が処刑された日。

 「人類史上はじめての市民革命が成就した日」と考えればめでたいのですが、さすがにその後、血が血を呼ぶ恐怖政治が展開したことを思うと喜んではいられません。

 けれども僕たちが今日、享受している自由や権利は、かの花の都で起こった大殺戮の歴史に起因して得られたものであることを忘れてはいけないと思います。

 

 てなわけで、これも何かの縁だろうと、昔からこのルイ16世という王様に興味を持ってきました。

 

 一般的にはマリー・アントワネットの尻に敷かれたヘタレ男(一説では性的不能)というイメージが流通していますが、最近の歴史学研究では、じつはまれに見る賢君・名君だった、という説が強くなっています。

 

 啓蒙思想に影響を受け、独自の国づくりのヴィジョンを持ち、当初はみずから進んで革命を推進していた、という話もあるくらいです。

 

 そういえば、処刑台で彼の首を切り落としたギロチンは、ルイ16世自身が「罪人が苦しまずに天国へいけるように」という人道的見地から開発したものだとか。

 名君だったかどうかはともかく、肖像画の柔和な顔を見ても「いい人」だったことは確かなようです。

 

 けれども絶対王政が続いたあの時代の、あのベルサイユの常識ではそれが王様らしくない、ということで宮廷のお歴々にナメられたのでしょう。

 

 女遊びもせず、贅沢なことに見向きもせず、仕事のストレスは錠前作りというおタクな趣味で解消していたことも、周囲に「あの王様はおかしい」「ヘタレだ」と思わせてしまったのかもしれません。

 国を立て直そうと一生懸命仕事していたのに……。

 

 しかし彼の人生の最大の失敗は、仕事、仕事で奥方のマリー・アントワネットをほったらかしてしまっていたことなのではないか、という気がします。

 あちらはストレスをぜいたくで解消していたせいで国民の憎しみを買ってしまいました。 

それを放置していた旦那のほうにも責任あり、ということになったのでしょう。

 

 そう言えばアントワネットは、以前は「わがままでぜいたくで高慢で『貧乏人はパンが食えなきゃ菓子を食え』なんてのたまう、とんでもねえ女!」という評価が主流でした。

 

 ところが近年では、ちょっとわがままだけど「きれいで可愛くてファッショナブルで、高貴な心を失わない永遠のアイドル!」みたいな評価に変わってきたような気がします。

 とくに女性の間ではファンが増え、歴史上の人物人気ランキングがあれば相当上位に食い込むと予測できます。

 

 歴史なんてものは、社会の都合やその時代の空気ですっかり変わってしまいますが、その一番大きな要因は、人々がどんな人物や出来事や物語に感情移入し、自己投影できるか、ということではないでしょうか。

 それによってキャラクターもストーリーもまったく違うものになってしまうのです。

 

 ルイ16世とマリー・アントワネットの、この200年あまりの人物像の変遷はその代表的なもののように思えます。