黄金の林檎

 

 男の持ったトランクの蓋が何かのはずみにパカッと開くと、中から何十個もの赤いリンゴが舞台いっぱいにゴロゴロと転がった。呆然としてそれを見る男。トランクの中には○億円の黄金のリンゴが詰め込まれていたはずなのに・・・。

そんなシーンが最初に頭に浮かんで、そこにいたるストーリーはどんなものか、あれこれ考えて芝居を作ったことがあります。

 

 いくら上等でおいしいリンゴがトランクいっぱいに入っていたとしても貨幣価値は――たとえば500円×20個として――せいぜい1万円。

僕たちが暮らしている、経済を中心とした生活圏では、○億円の金塊のリンゴのほうが価値が高いのは言うまでもありません。

 

 けれども人によって、あるいは状況によって、その価値は変わってしまいます。

 経済の意味がよくわかっていない子供にとっては、ただキラキラしていてきれいなリンゴよりも、食べられるおいしい赤いリンゴの方が価値が高いに決まっています。

 大人でも砂漠とか荒野で飢え死にしそうな状況であれば、やはりおなかを満たせるリンゴの方を選ぶでしょう。

 

 捉え方の軸を変え、リンゴが何を表すのか考えてみます。

 黄金の林檎は精神的な理想――夢とか希望のシンボル。

 一方、赤いリンゴは毎日の現実の生活のシンボル。

 そんなふうに捉えることもできます。

 

 精神の高さ―経済の豊かさ―生活の幸福感。

 それぞれの価値観のフィールドを、僕たちは絶えず行ったり来たりしながら毎日生きています。

 自分にとって価値のあるものが、他の人にとっても価値があるとは限らない。その逆もまた然り。

 そしてまた、昨日価値のあったものが、今日も同じ価値があるとは限らない。

 

 そうしたことを考えるとき、僕はかつて自分で書いた、この黄金の林檎の物語と、その中でジタバタしていた登場人物たちを、かけがえのない友達のように思い出すのです。

 

 ことさら出来の良い子供(作品)ではなかったけれど、その後の人生や仕事のテーマになっていて、とても役に立っていたり、助けられていることに気が付きました。

 トランクに詰め込んだ林檎は、やはり僕にとって「黄金の林檎」なのだと思います。