歴人めし「豚肉大好き、最後の将軍」

 

 「歴人めし」の第4回は「第15代・最後の将軍・徳川慶喜―豚と白菜の博多蒸し」。
個人的には新しい発見が最も多く、面白い回でした。

 

 慶喜が将軍になる前、豚肉が好物だったことから「豚一様」というひどいあだ名をつけられていたとか、

 

 

 その父親・水戸藩主・徳川斉昭も薩摩藩からの献上品である豚肉が好物で、他にも牛乳を飲ませたり、豆を食べさせたりして、息子の慶喜に食育を行っていたとか、

 

 薩摩藩は昔から豚肉を常食として、建前上、肉食がタブーとされた江戸時代にも豚をガツガツ食べていた(江戸や京都の藩邸には塩漬け肉を貯蔵していた)とか、

 

 そのことを知った慶喜が、小松帯刀(薩摩の家老)にせびって自分のところに回してもらっていたとか、

 

 そのことを知った慶喜が、小松帯刀(薩摩の家老)にせびって自分のところに回してもらっていたとか、

 

 庶民も「ももんじ屋」に行って、クマとかイノシシとか、カワウソとか、ムササビとかの肉を食べていたとか。ジビエですね。

 

 さらに将軍になってからは、イギリスのフードプロデューサーなる詐欺師っぽい輩を雇って、今のお金で○億円かけた西洋料理の大パーティーをやらかし、欧米列強の大使を招待したとか。

 

 ・・・というようないろいろ面白い史実のエピソードをたくさん知ることができました。

 

 慶喜のことは大政奉還のあと、政治の舞台から退場してしまったので語られることは少ないのですが、外国の王様のように新政府に処分されることもなく、また、国外に追放されることもなく、悠々と明治時代をやり過ごし、大正の初めまで生きました。

 

 なんだか国立劇場のような大舞台には出演禁止になったけど、下北沢とか三茶あたりの小劇場に行って、好きなように自分の芸を見せている名優のような風情を感じます。

 

 お金にも困っていなかったようで、幕末―維新の主要登場人物の多くが壮絶な最期を遂げた(龍馬とか、高杉晋作とか、新選組の面々とか)のに比べると、なんともハッピーな人生を送った・・・と表面上は見えます。
 でも、本当はどうだったのかな? 僕はなぜか割とこの人のことが気になって、30代で隠居して、いったい何を思いながら明治時代を生きていたのだろう・・・と考えてしまうのです。

 

 そういえば司馬遼太郎の「最後の将軍」は、じつにサラリとした終わり方をしているけど、とても心に残るエンディングで、慶喜を送る葬祭の様子が目に浮かぶようです。
 この人の死で、大正初期まで江戸の人々の心の中に細々とともっていた徳川260年の時代の灯が本当に完全に消えてしまったんだなと、しみじみ感じられるのです。そして、こうやって時代は進んでいき、人の精神も生活スタイルも変わっていくんだなぁとも。