がんばらないクリスマス

 

 先週、仕事で恵比寿ガーデンプレイスに行ったら、豪勢なクリスマスツリーがキラキラ☆☆☆。

 そうですよ。もうクリスマスです。あと1ヵ月ちょっと。

 そわそわするね、ざわざわするね。

 

 街の中で「ジングルベル」やら、「ラストクリスマス」やら「クリスマスイブ」やら、「恋人はサンタクロース」やらが流れたりすると、なんだか体の中の血流が速くなるような感じがします。

 

 映画やドラマでは、クリスマスに人生を変えてしまうような奇跡が起こったりする。現実にだって、僕にだってあり得るかも。

 

 ・・・となっていたのも昔話。

 ホントーにクリスマスと言えばがんばっていた。そして、その割に空振り三振の連続だった若かりし時代。

 

 いや、実は僕はどうもクリスマスには相性が悪くて、子供の頃から「メリークリスマス!」とやってもなんか違う、なんだかお寺の社務所やお宮の集会所でキリスト様のお誕生日会を祝っているような違和感を感じていました。

 

 大人になったらなったで周りの雰囲気に煽られて、いろいろ作戦立てたりするんだけど(とくにバブル時代)、あんまりうまくいった試しがない。

 

 子供が小さい頃はサンタになったり、プレゼントに凝ったり、自前でケーキや料理を作ったり、教会のクリスマス会に呼ばれて寸劇とかもやりました。

 

 まぁ打率にしたら2割そこそこというところでしょうか。

 

 どうして僕はクリスマスにがんばってきたのだろう? がんばらなくてはいけないと思ってきたのだろう、と考えてみると、やっぱり日本にとってクリスマスというのは異文化なのだ、という当たり前の結論に達しました。

 

 80年代に2年程ロンドンに住んでいて英国のクリスマスを体験しましたが、やっぱり本場のは違うのです。

 何が違うって、歴史が違う。文化が違う。

 街の広場で、子供やお母さんやおっさんたちが入り混じった聖歌隊がクリスマスソングを歌っている。

 もうそれだけで心にジーンときてしまうのです。

 

 もちろん歴史がなかろうが文化が違おうが、日本には日本のクリスマスがあってもいい。

 商売繁盛のためのクリスマスでもいい。

 そうした積み重ねが新しい文化になっていくのだから。

 

 でも個人的には、子供も大きくなったし、カミさんがいてあんまり家庭に波風立てたくもないので、ここ数年ほど、クリスマスはがんばらないでテキトーにやっています。

 

 今年もそのつもりだけど、これまでの習慣が身の意染みているのか、あんまりがんばらないというのもなんか寂しい気がします。

 うーん、やっぱりクリスマスには悩まされる。

 

 

2016・11・21 MON