お米を研ぐ理由と人間の味と匂いの話

 

●通常のお米と無洗米の違いとは?

 

 先週やった「ふるさとの食 にっぽんの食」のイベントの一部「おいしいお米講座」の中で、五つ星お米マイスターの小池さん(彼は原宿唯一のお米屋の店主)が、参加者の質問に応え、通常のお米と無洗米の違いについて話していました。

 

 米を研ぐのは、表面についているぬかや細かいカスを取るため。

 昔はけっこう付着率が高かったので、ゴシゴシ念入りに研ぐべし、とされていましたが、最近は精米技術の進歩で、無洗米でないお米でもそんなにぬかやカスは残っていません。研ぐというより、さっと洗う程度の感じでOKだとのこと。

 

 マイスター自身も本当にささっと1分ほどしか研がないそうです。

 プロの和食の料理人の中には「炊いた時にほんのりぬかが香るぐらいの方がよい」と言って、1回だけさっと水をくぐらせるだけの人もいるとか。

 

 無洗米は手間を省くため、ぬか・カスを完全に洗い落とすという処理をした米です。

 しかし、じつは米の表面とぬかの間には極薄の層があり、その層がコメの旨みのもとになっているそうです。

 だから無洗米にすると、お米の貴重な旨みが消え、味気なくなってしまうです、というのがマイスターの意見でした。

 もちろん、忙しい人にとっては手間暇省けて重宝なのですが。

 

 僕も以前は、便利なので無洗米をよく使っていましたが、ある時期からなんだか吸水率が悪くて、炊き上がりがイマイチふっくらしないなぁと感じ、いつの間にか使わなくなりました。

 

 思い返すと、確かにマイスターの言う通り、ちょっと味気ない、炊き上がった時の香りも少ないという感じもしてたなぁ。

 うちはけっして高級なブランド米を食べているわけではありませんが、普通のお米と比べて、同じ量を食べても満足感が落ちるんですよね。

 

●日本人の無洗米化

 

 さて、デオドラント志向の強い日本人は、気をつけないと、そんな無洗米みたいになってしまうのではないかと危惧しています。

 

 まじめで勤勉な国民性は長所でもあるけど、努力してゴシゴシ自分を洗練し過ぎると、どんどん旨味もアクも抜け落ちて、持ち味も素っ気もない、ただ働いて税金を納めるだけの人になりかねないのではないだろうか、ということです。

 

 清潔になり、衛生状態が良くなるのは、もちろん賛成だけど、行き過ぎると雑菌に対する免疫が減り、抵抗力がなくなってしまう―ーということは専門家も指摘しています。

 

 泥とか、汚い物にまみれることが少なくなった、中にはまったくなくなった子供たちに関しては特に心配です。

 

 また、匂いに敏感で、それをとことん嫌う習慣についても、それでいいのだろうか、と感じます。

 

 香水をにおわせている人にはあまり会わないけど、お部屋用や洗濯用の洗剤に入っている消臭剤や芳香剤の匂いが服に移ってプンプンしている人ってけっこう多いんですよね。

 

 一生懸命マーケティングして、研究開発しているメーカーさんや、手軽に匂いが消せて助かるわ、というユーザーさんには申し訳ないけど、あの人工的な「良い匂い」はどうも苦手だなぁ。

 

 「これからは個人の時代だ」と言われて久しく、僕もその通りだと思うけど、自分の味や匂いをとことん隠したがる個人が集まる、個人主義の社会ってどんな世界なのか?

 言葉にするとすごい矛盾があって、なんだか興味を引かれるテーマです。