近江路の桜と庶民の仏像

 

●お寺の数日本一の滋賀県

 

 レギュラーワークの鎌倉新書「月刊仏事」の仕事では、毎月の業界ニュースと、隔月の「全国葬儀供養事情」という連載企画を担当しています。

 

 後者は全国47都道府県の葬儀の風習や伝統、ビジネス状況や終活事情などを紹介するもので、現在、調査・執筆しているのは「滋賀県」の巻。

 

 じつは滋賀県は10年ほど前、他の仕事で長浜市近辺に半年ばかりの間、よく通ったことがあるため、親しみを持っています。

 

 奈良・京都に比べると一般的な印象は薄いと思いますが、お寺の数はこの両県をしのいで日本一。

 仏像・神像の数もトップクラスで、仏教美術の宝庫でもあります。

 

 かの白洲次郎の奥さんだった白洲正子さんも観音様などの仏像・舞狂美術を訪ね歩き、いくつもの紀行文・随筆を書いています。

 

●庶民が守り育てた仏教文化

 

 奈良・京都の場合、仏教は時の政治権力と根底で結びついており、そこから派生する文化も、貴族などの支配階級が深く関わっていました。

 

 それと比べて滋賀県における仏教文化の特徴は、その地に住む村人たち、つまり庶民が守ってきたということ。

 奈良・京都に比べて今一つ地味な印象で、注目されづらいのは、そのためなのかも知れません。

 

 庶民が仏像などを守ってきたことにはちゃんと理由があります。

 

 滋賀の旧称は近江。

 江とは「うみ」のことで、うみに近い場所。

 この「うみ」とはもちろん日本最大の湖・琵琶湖のことです。

 琵琶湖という静かな海の向こうに、政治の中心地である京都があったため、宿命的に近江一帯は歴代の権力闘争の舞台になってしまいます。

 

 最もひどかったのは安土桃山時代で、この一帯の人々の暮らしは、信長や秀吉など、権力を獲得せんとする近隣諸国の武将たちにさんざん蹂躙され、翻弄されました。

 

 そうした暴力に対して無力な庶民は、仏様に救いを求めるしかなく、日々の生活の中でごく自然な信仰心が育まれたのだと思います。 

 

 滋賀に通っていた頃、そんなエピソードが残るお寺、戦火の中から人々が救い出した仏像の話をいくつも聞きました。

 

 また、そんなストーリーを胸に収めながら歩いた長浜郊外の観音様巡りは今でも心に残っています。

 

●情報化社会がもたらす混乱

 

 今回、葬儀社さんなどに話を聞くと、このような文化背景があるせいか、滋賀の人たちは冠婚葬祭に関してかなり保守的で、昔の習俗にこだわる人が多く、お寺も長年大事にされてきたせいか、生活者との関係改善に関心を持たず、いまだに上から目線のところが多いとか。

 

 しかしそれでも、最近の葬儀の小規模化・低予算化、さらには葬儀不要論などの時代の新しい潮流には逆らえません。

 情報の送り手である葬儀社やお寺、受け手である生活者ともども相当混乱にさらされているようです。

 

 「仏事」の取材は残念ながら現地取材はできず、電話とメールで事実関係の調査をがんばって、あとはそれをもとにイメージを膨らませるのですが、記事を書いていると、近江の観音様がまた会いにおいでと手招きしているような気持ちになります。

 

 近江路はきっとまだ寒いだろうけど、桜はもう咲いているのだろうか。