マンガ地蔵の金剛院で「笠地蔵」の哲学講座

 

●日本昔話と哲学

 

 かのマンガの聖地・トキワ荘跡に程近く、マンガ地蔵がある金剛院。

 

 お寺にいるお地蔵さんは雨が降ろうが雪が降ろうが心配ないが、山の峠道にいるお地蔵さんは雪が降ったら雪まみれです。

 

 それを不憫に思ったおじいさんが、自分が持っていた売り物の笠をかぶせてあげる。

 一つ足りなかったので、自分の被っていた笠を取ってかぶせてあげる。

 すると、お地蔵さんたちは感謝して、お米やお餅、金銀財宝を持って恩返しにやってくる。

 

 というのが、日本人ならおそらく誰もが知っている「笠地蔵」のお話。

 

 今回の「蓮華堂」でのイベントは、この「笠地蔵」を題材に、登場人物はなぜこうした行動を取ったのか、この物語に潜む人生に対する考え方は何か、といったことを解き明かしていく哲学講座でした。

 

●住職によるパネルシアターと講師・大竹氏の投げかけ

 

 哲学講座と言っても難解なイメージはまったくなく、親しみやすいもの。

 まず野々部住職がみずから「笠地蔵」のパネルシアターを上演。

 続いて、フランス現代思想を研究している作家の大竹稽氏が講師として登場しました。

 

 このおじいさんはなんで売り物の笠を、さらには自分の笠までお地蔵さんに差し出したのか?

 

 その話を聞いたおばあさんは、なぜおじいさんを赦し、共感することふができたのか?

 

 お地蔵さんはなぜバレないよう、真夜中にお礼を運んできたのか?

 

 そんな質問を参加者に投げかけます。

 

●笠地蔵における人生哲学とは?

 

 今まで当たり前に聞いていた「笠地蔵」のお話ですが、よく考えてみればおかしなことばかり。

 

 後からガッポリ報酬がもらえるのだとわかっていれば、寒いことぐらい我慢して、笠でも蓑でも長靴でも、なんなら着物やパンツまでもお地蔵さんにあげちゃっても割に合うけど、この時点ではそんなことはとても考えられない。

 

 この投資を回収できる確率は、宝くじの一等賞をあてるよりさらに低いのです。

 しかも宝くじとちがって、ヘタをすると命に関わる大きなリスクを伴うことになります。

 

 お話の中には書かれていないが、このじいさん、齢も齢だし、笠でも蓑をなくしてしまったら、途中、雪まみれになって行き倒れになってしまったかも知れない。

 

 なんとか家まで辿り着いたものの、ろくに火も炊けない貧乏なボロ家なので、風邪をひき、高熱を出して、生死のはざまを漂ったかもしれません。

 

 片やばあさんも、セールスに出たはずのじいさんが、売り物の笠は置いてくるわ、その上、雪まみれになって風邪をひいて死にかけるわ、看病までやらされるわ、そのあと働けなくなって、ますます貧乏になるわで、ふんだりけったり。

 

「この甲斐性なしのボケ、カス、オタンコナス」と詰りたくなるのが本音のはず。

 もう愛想が尽きて、できればこんなアホとは離婚したいと思っても不思議ではありません。

 

 それなのに「それはいいことをしたね」と、笑って赦してしまう。

 いい人ぶっているわけでもなく(こんなところでいい人ぶっても何の得もないし)、純心清廉少女がそのまま齢を取ってしまったかのようなキラキラぶりです。

 

 いやぁ、本当になんでなんでしょうね? 

 ――というやりとりを、およそ1時間半にわたって繰り広げました。

 

●和魂洋才の苦悩?

 

 大竹氏はフランスをはじめとする西洋思想の専門家ですが、西欧ではこうした日本の昔話はなかなか理解されず、もちろん醍醐味を味わうこともできないそうです。

 そうした日本と西欧の、人生や社会の捉え方を比較をしながら考えていくと、双方の違いがクリアに見えてきます。

 

 それと同時に、「笠地蔵」などの一種の妄想にも似た人生の美徳・価値観と、勝ち負けをはっきりさせる西欧流の合理的な考え方との間でブレまくってしまうのが、現代の日本人の悩みの元凶なのかなぁと考えさせられました。

 

●寺という空間

 

 大竹氏は日常から離れた、落ち着いた空間である寺院内で、こうした講座を行うことで、参加者がより自らを見つめ直せるのではないかともくろんでいるのだそうです。

 その狙い通り、金剛院と協力した今回の企画は、その狙い通り、より自由に言葉を交わせる講座になったと満足そうでした。

 

 道徳と死の問題に挑む大竹氏の哲学講座。

 そして金剛院におけるユニークな催し。

 どちらも今後ますます増えそうです。