●あえて若者を使うという葬儀社の社長
現場の担当者はできるだけ若い社員に任せるようにしています。
ベテランがやったほうが安心感はあるのですが、あまりに手慣れた感じ、こなれたやり方で仕事をすると、ルーティンワーク的、ビジネスライク的といった印象を与え、マイナス評価に繋がってしまいます。
それよりも息子・娘・孫のような若者が一生懸命奮闘している姿を見せたほうが年輩の喪主の胸に響く。
少々の失敗も大目に見てくれます。
「月刊仏事」の電話インタビューで、こんなことを話してくれたのは秋田の老舗葬儀社の社長さん。
話し声からはのんびりした感じのキャラかなと思ったが、なかなか経営者としてキレてる、と見た。
すごく納得できる話だ。
僕がお客の立場でもまったく同じように感じると思う。
若者よ、失敗をおそれず、がんばれ!
おじさん、おばさんはきみらに甘いよ、やさしいよ。
逆に言えば、若いということは、ただそれだけで大目に見させる才能があるということです。
ただ30も半ばを過ぎちゃうと、なかなかそうはいかなくなるけどね。
●あなたのやっている仕事、磨いた技術は本当に価値があるのか?
もうひとつ―ー
なんだか仕事に対する価値観が変わってきているような気がする。
この話と似たようなことを、以前、民家での看取り看護をやっている人からも聞いたことがあります。
いわく「葬儀屋さんはプロだから、なんでもテキパキ仕事をこなしちゃう・・・」
その人から見れば、あまりに無駄のない、スムージーなその仕事ぶりが、なんだか心がカラッポのロボットの動作のように映ってしまったのです。
実際にやっているスタッフはちゃんと心を込めているつもりでも、長年培った技術は自然と身体を合理的に動かしてしまう。
難しいものです。
きっと人は心のどこかで、昔あった隣組の人情というか、近所の人たち(もちろん素人)が集まって、みんなで亡くなった人を送ってあげる――そうしたお金を介さない、心だけでやる仕事ぶりを葬儀屋さんに求めているのかな?と考えました。
●これは葬儀屋さんだけの問題?
さらに、これは葬儀屋さんだけの問題だろうか?とも考える。
従来はうまくスムーズにテキパキ仕事をこなすのがプロだし、「できる人」だったが、今はそうとは限らない。
特にサービス業では、そういうのは嫌われちゃったり、つまらないと思われたりして、むしろ素人っぽい感じでやったほうが受けたりもする。
文章なんかでもやたら流麗だったり、きっちりまとまった文章よりも、へたくそだったり不器用だったり、ちょっと拙いくらいのほうが気持ちが伝わる、と言われたりもする。
その場合、気持ちを伝えるのが最終目標なので、うまい文章よりヘタな文章のほうが価値が高い、となるのです。
●もしダメなら勇気を出してリセットできるか?
もちろん業種やその仕事の種類やTPO、お客さんが究極的に何を求めているかに寄るんだけど、人の心に響く、本当に人の役に立つ「プロの仕事」ってどういうものか、
自分のスキルは今の状態、あるいは自分がより磨き上げようと指向している方向でいいのか、
考え直す時代がきているのではないかと思います。
そして多くは勇気を持ってリセットする必要があるのかも。
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