ビッグデータ分析と夢を共有する時代

 

 奇妙で魅惑的で、ちょっと人には言えない濃厚な夢を見て目が覚めたら、2月最後の日は雨降りだった。

 なんだか脳の中に蓄積されたビッグデータがシャッフルされたかのような夢。

 

 「ビッグデータ」という言葉を使ってみたが、最近、やたらとこの言葉を聞くようになった。

 「AI(人工知能)にインプットする用の大量のデータ」という意味で使われることが多いようだが、そんな単純なものではなく、もっと広範囲の意味合いを持っているらしい。

 

 僕の印象では、ウィキペディアなどに載っている事柄などはどんなジャンルののものでも、みんなひっくるめてビッグデータなのではないかと感じる。

 特に戦後、20世紀後半以降のデータは膨大だ。

 

 僕が子供の頃から若い頃のサブカルチャーなどもみんなビッグデータ化しているのではないだろうか。

 音楽、映画、演劇、漫画、文学、ファッション・・・あらゆる分野で次々と新しいものが生まれた1960年代から90年代。

 

 しかしその勢いは21世紀になってからピタッと止まり、いま出てくるのはほとんどがこの半世紀間に創られたものの焼き直しだ。

 

 僕たちは両親と同じ価値観で同じ夢を見られなかったが、僕たちの子どもは僕たちと同じ夢を見る。 たぶん孫も。

 

 もしかしたらこれから何世代にもわたって、大勢の人間が共有した20世紀後半のカルチャーは伝えられてゆくのかもしれない。

 

 時代はインターネットというテクノロジーを得て、この半世紀間のビッグデータを分析するのに躍起になっているように思える。

 停滞なのか、次なるルネッサンスまでの空胎の時期なのか、いずれにしても新しいテクノロジーを抜きでは時代は進歩しない。

 

 人々がビッグデータの分析に飽きてきた頃が、本格的なAI・ロボット社会の到来になるのかもしれない。

 ちょっと不安であり、ちょっと待ち遠しい。

 

 今夜もまた、脳の中のビッグデータがシャッフルされるような夢が見られるといい。