ロンドンのストリートミュージック

 

ストリートミュージックが商品になった街・ロンドン。

 

1週間前にロンドンのセントパンクラス駅の駅ピアノの話を書いたが、

街頭の音楽は、今やすっかりこの街の観光資源の一つである。

 

歴史的な古い建造物の立ち並ぶ街の中で、ギターをはじめ、

アコーディオン、バイオリン、管楽器、キーボードなど、

思い思いの楽器を手に、名も知らぬ貸家演奏者が

得意のパフォーマンスを披露する。

その光景は確かに楽しく、絵になる。

さしずめ、どこかの物語世界の中に入ったような気にさせてくれる。

 

演奏する曲もロックからジャズ、クラシックまでさまざま。

けっしてみんながみんな、上手いわけではないが、

やる側も聴く側も、あまりそんなことは気にしていない。

 

残念ながら、日本の都市で同じことを、いくら上手いミュージシャンがやっても、

こんな魅力的なテイストにはならないだろう。

 

30数年前、ロンドンで暮らし始めたばかりの頃、

地下鉄の構内や町中で彼ら演奏しているのを聴いて、

「おお、俺はロンドンにいるんだ」と、胸を熱くしていたが、

当時、彼らは街の邪魔者で、何割かはホームレスだった。

 

1980年代半ばの英国は経済的落ち込みから復興する途上で、

鉄の女マギー・サッチャーがそれまでの福祉政策を全面的に見直して

大ナタを振るっている最中だった。

 

その頃まだニートという言葉は生まれていなかったが、

多くの若者は職もなく、路上に放り出され、途方に暮れ、

歌でも歌わずにはいらなかった。

 

警官や地下鉄の職員は、大目に見ていたものの、

やはり目立つことをすると追いはらっていた。

 

けれども追いはらっても追いはらっても、

虫のようにわいてきて、今度は隣の駅で、

一本向こうの通りで歌ったり、演奏したりしている。

 

それが30年たって、社会は彼ら(の「子どもたち)を

認めるだけでなく、

観光客用の売り物にしてしまった。

 

歴史を売り物にするこの国では、

わずか30年前の歴史もまた、

立派なメニューとして陳列され、

求めるお客様をおもてなしする。

 

生活事情は30数年前と大して違わないと思う。

物価の高いロンドンで、歌って暮らすのは楽じゃない。

EU離脱問題だって気が気じゃないだろう。

 

それでも歌うのをやめない。

誰かがいなくなっても、またべつの誰かが、

どっからかやってきて、

楽しそうに歌ったり踊ったりしている。

 

人生にはやっぱり音楽が必要だ。

ロンドンにはそう思わせてくれるろくでなしが大勢いる。