ビートルズのセッション音源から名曲の生い立ちを知る

 

作業中はいつもYouTubeでいろんな音楽を聴いているが、
一番多いのは、たぶん、
レッド・ツェッペリンやビートルズのセッション、
デモテープ、リハーサル音源だ。

このあたりの音源を聴いていると、当
時、親しんだ名曲の数々はこんなふうに生まれて育ったのか、
ということがたどれて面白い。

 

ビートルズは1969年1月、

ゲットバックセッションというのをやって、
ここから「アビイ・ロード」「レット・イット・ビー」という
2枚の名盤と映画「レット・イット・ビー」が生まれている。

 

このテープはそのセッションの中でも特に面白いもの。
 「ザ・ロング・アンド・ワインディングロード」を

ボサノバ風に歌っていたり、
「ストロベリーフィールズ・フォーエバー」の

ピアノの弾き語りが入っていたり、
「レディ・マドンナ」をロックンロールでやっていたり、
デビュー曲の「ラブ・ミー・ドゥ」まで遊び感覚でやっている。
ジョン・レノンのソロアルバムに入っていた

「ジェラスガイ」も歌っている。

「サムシング」など、完成版よりいいじゃんと思えるくらいだ。

 

いちばん面白いのは「ドント・レット・ミー・ダウン」や

「ディグ・ア・ポニー」における
ジョン・レノンの超絶的なふざけっぷり。

 

ジョン・レノンという人は、

ビートルズのリーダーだっただけでなく、
いろんな人間的な面を見せて、40歳で夭折してしまったので、
いまだに究極のロックレジェンドして語り伝えられているが、
彼の最も本質な部分は、ここに現れている気がする。

 

ジョン・レノンはヒーローでも、聖人でも、
子どもや家族を大事にする家庭人でもなく、
ふざけるのが大好きな、やんちゃな子どもだ。

 

その子どもが世界のに聴衆に受けて

大スターになってしまったために、
歯止めが利かなくなってしまった。


表向きは華やかだったが、
サージェントペパーズの頃には、
かなり精神的にヤバイ状態になっていたようだ。
もう誰も彼を止められない。

 

それを唯一、諫めることができたのが、
オノ・ヨーコという年上の日本人女性だった。
これらのセッションを聞きながら、
ヨーコさんはレノンにとって、良くも悪くも
母親のような存在だったのではないかと思う。