呪われた五輪でなく、理念をないがしろにしてきたツケを払う五輪

 

 

これが最後の不祥事になればいいが・・・と、

関係者は今夜も祈りをささげる思いだろう。

僕もそうなるよう祈っているけど、

まだあっちこっちからいろいろ出てくる可能性が高い。

 

開会式の音楽担当を辞任した小山田圭吾氏の問題。

小山田氏個人の問題はとりあえず置いといて、

今日は組織委員会の人選についての話。

 

「呪われたオリンピック」などと言われるが、

本当にそうなのか?

 

呪いなんかじゃなくて、みんな起こるべくして

起こっているのではないか?

 

単にツケを払わされているだけではないのか。

 

そもそもなんで東京でオリンピックをやろうとしたのか?

その始まりがまちがっていたのではないか。

精神がなってなかったのではないか。

 

五輪憲章をきちんと読んでいる人は何人いたのか?

利権・ビジネスファーストで、

「復興五輪」なんて大看板もお飾りなのではなかったのか?

 

大元締めのIOCがブレまくってから、

そうなるのもやむを得ないか、という気がするが。

 

小山田炎上問題に関しては、

ITメディア経済の「スピン経済の歩き方」の記事が

素晴らしかった。

組織員会の致命的な欠陥について書いている。

 

これは今後の企業経営・ビジネスにとっても、

とても参考になる記事だと思う。

 

五輪スポンサーの中でトヨタ自動車は

いっさい五輪に関連付けたコマーシャルを放送することを辞めた。

けれどもトヨタは会場において移動用の車両を提供し、

スポンサーとしての務めを果たす。

 

別にトヨタの回し者ではないが、

今後は企業理念と矛盾しないアクションを取ろうと努める

こうした企業だけが

好感と共感を得ることができるのではないだろうか。