週末の懐メロ55:アローン・アゲイン/ギルバート・オサリヴァン

 

秋風に吹かれると口ずさみたくなる曲の一つ。

アイルランド生まれのイギリス人シンガーソングライター、

ギルバート・オサリヴァンが1971年にリリース。

 

その時は小学生なので、

たぶん初めて聴いたのは中学生になってから。

ラジオの深夜放送で、

たぶん秋が深まって来た今ごろの季節だと思う。

(脳内で記憶を捏造している可能性はあるが)

 

20歳くらいの頃、友だちが

僕が住んでいたアパートのそばの

ゴミ置き場に捨ててあった、

小さなシングル盤レコード専用の

ポータブルプレーヤーを拾ってきて

僕の部屋でこの曲のレコードを

えんえん繰り返し聴いていたことを憶えている。

 

そいつはもう死んでしまったが、

そんなくだらないことばっかりよく思い出す。

 

ちょっぴり切なさはあるけど、

乾いた明るさを持った覚えやすく、歌いやすい

ミディアムテンポの心地よいメロディ。

 

好きな女の子に振られた男が、

「またひとりになっちゃたよ、当たりまえみたいにね」

と、ヒューッと口笛吹きながらつぶやいて、

もうあの子のことは忘れちゃおう、

でも忘れられないなーー

そんなふうに歌っていると、ずっと勝手に思っていた。

 

ところが最近、ちゃんとした歌詞・訳詞を知ってびっくり。

あまりにシリアスで重い内容なのだ。

ちょっとダイジェスト版でご紹介。

 

少し経っても この気分が晴れなければと

自分に約束したんだ

近くの塔に登って身を投げるのだ 

打ちのめされた人間が

どんなことになるか

きみに知らせてあげるために

 

教会に佇んでいると 周りの人たちが言う

「もう充分だ 彼は婚約者に見捨てられ

 私たちがここに残る理由は無い」と

僕らは家に帰ることになるだろう

自分から仕掛けたように

僕はまた一人になった 当り前のように

 

この世界にはまだ他にも

救われない心がたくさんあって

誰にも治してもらえないまま

忘れ去られていく

僕らはどうすればいいのだろう

何をしてあげられるのだろう

また一人になってしまった 当り前のように

 

何年も前のことを振り返る

前にもこんなことがあったなと

思い出したよ 父が亡くなったとき

僕は泣き明かして 涙もろくに拭わなかった

そして母は65歳で死んだ

僕は理解できなかった 

なぜ彼女が愛した唯一の人を奪われて

傷ついたまま生きていかなければならなかったのか

 

母はだんだん喋らなくなっていった

僕が励ましたのにも関わらず

そして 彼女が死んだとき

僕は一日中 泣き続けた

そしてひとりぼっちになったんだ 当然のように

また一人になるんだ 当たり前のように

 

曲と詞とのギャップに驚くが、それ以上に

こんな歌を世に送り出してヒットさせた

ギルバート・オサリヴァンの才能と、

この曲の持つ芸術性に高さに

50年後の今、改めて感心する。

 

この時代、60年代・70年代の

ポップミュージックは、

若者たちがこれからの人生を思い描き、

愛も自由も、生も死も好きなように

想いを奏でられる時代だった。

 

だから聴く人たちは、こんな絶望的な歌からでも

自由に自分を表現し、自由に生きていいんだという

希望のメッセージを感じとることができた。

芸術性を見出し、世界を広げることができた。

そこに「アローン・アゲイン」の世界的大ヒットの、

そして後世に残る名曲になり得た秘密があるように思える。