トノサマラーメンとお寺の讃岐うどんのおいしい記憶

 

今年書いたブログ記事で最も反響が大きかったのは、

2月に書いた「トノサマラーメンと

名古屋インスタントラーメン戦国史」だった。

 

なぜ急にトノサマラーメンと松永くん

(トノサマラーメンを作っていた松永食品の社長の息子で、

僕の小学1・2年生の時のクラスメイト)を思い出したのか、

自分でもよくわからないが、書いたことはすべて事実である。

 

それにしてもこんなに大勢の人が

50年以上も前に潰れてしまった松永食品の

トノサマラーメンのことを憶えているなんて、

ちょっと感動してしまった。

 

おそらく反響をくださった方は、

若くても僕と同世代、おそらく大半はもっと先輩かと思うが、

それでもトノサマラーメンを食べたのは

小学生か、せいぜい中学生の頃だろう。

 

やっぱり子どもの頃、

何を食べたかの記憶は重要である。

それは確実にあなたという人間を形成する

血となり肉となり骨となっている。

 

先日もお寺の宿泊事業をサポートしている会社への取材で、

担当の女性に

「どうしてこの仕事に参加しようと思ったのですか?

何かお寺に関する思い出があるのですか?」

と聞いてみた。

 

すると彼女は、四国の出身で、

子どもの頃にお祭りで、みんなでお寺に集まって

うどんを食べたという幸福そうな思い出を語ってくれた。

 

僕には大人になった彼女とダブって、

ふうふう言いながら一生懸命

うどんをすすっている小さな女の子が見えた。

こういう瞬間が大好きである。

 

そんな何気ない記憶が、それから数十年たった

今の彼女の仕事につながっているなんて面白い。

今の彼女の一部はお寺のうどんでできているのだ。

 

毎日テレビやネットにあふれる

グルメ情報にはさして興味はないが、

誰が子どもの頃に何を食べたかの話は

グルメ情報の100倍面白い。

 

そんなわけでトノサマラーメンの思い出を

聴かせてくださった方も

ぜひそれを大切にして生きていってください。

 

続報を望む声も多いが、

なにしろ松永食品は50年以上も前に潰れてしまって、

あとかたもない。

 

いま情報を探るとしたら、

「しるこサンド」の松永製菓

(松永食品の同族会社で、こちらはちゃんと生き残っている)

に取材するついでに聴くしかないが、

今のところ、そうしたチャンスが巡ってくる気配は

にゃ~でかんわ。

松永製菓さん、宣伝するでよ、

社史の本とか、ウェブサイトとか、

何か仕事をご用命してちょ。