「鬼滅の刃」は現代の日本人の生き方を問う物語

 

映画もドラマも新作はめっきり見なくなってしまったが、

「鬼滅の刃」だけは楽しみである。

先日、「遊郭編」のOA(AmazonPrimeで1日遅れで

見られるので、僕はそっちで見ていた)が終わって、

今度は「刀鍛冶の里編」の制作が発表された。

いつ公開されるかは未定だ。

 

「エヴァンゲリオン」が良い例だが、

ここまでファンがつくと、

どれだけ時間がかかってもお客は待っていてくれる。

 

原作が完結していて、ストーリーはわかっているので、

さすがにエヴァほど待たせないとは思うが、

完結編まであと3年くらいは掛かるだろう。

最後はまたテレビでなく、映画でやりそうな気がする。

 

いずれにしても。ちゃんと時間をかけて

じっくり作ってほしいと思う。

 

この作品はバトルアクションが中心で、

「遊郭編」は後半ほとんどバトルの連続だったが、

そこにやたらとそれぞれの登場人物の回想が

入り込んでくる。

その回想が、またやたらと密度が高い。

じつはここが人気の秘密である。

 

なぜ彼らは戦うのか?

なぜ彼らは鬼になったのか?

柱や鬼はどこから来て、どこへ行こうとしているのか?

 

という情報がほどよく客に伝わり、

客はそのドラマを自分の内側で膨らませられるのだ。

てか、じつはこのバトルドラマは、

混迷の時代にいる僕たちの生き方そのものなのである。

 

 

物語の舞台は今から100から110年ほど前の大正時代に

設定されているが、

僕から見ると、主人公の炭治郎ら少年隊士は、

平成生まれの現代の若者たちである。

 

そして彼らの上司である柱(鬼殺隊の幹部)たちは、

昭和生まれの中高年である。

 

彼らがいっしょに、古い因習と人の悪しき情念とが

絡まって「鬼」となった存在を倒し、

闇の世界を終わらせ、新しい世界を拓こうとする。

これはそういう物語だ。

 

そしておぞましい鬼たちも、その正体は、

何か大切なものを守りたいがために

必死で生きなくてはならす、

闇に取り込まれてしまった、か弱い子どもである。

 

鬼を退治するために首を切り落とすという、

残酷な所業は、魂を浄化させるための仕事であり、

鬼殺隊は、悪しき情念で鬼となった

子どもの魂を救うために闘うのである。

 

原作者の意図はわからないし、

そもそも原作のマンガは

アニメを見てから読もうと思っているので未読だが、

僕はそんな、いささかこじつけ過ぎた見方で、

この物語を楽しんでいる。