27年前のモスクワ旅行とロシア人への思い

 

1995年5月、新婚旅行でモスクワに行った。

メインはロンドンをはじめイギリスだったのだが、

最初の2泊3日だけモスクワに寄ったのである。

 

結婚前、カミさんが某大手商社のロシア部門で

貿易事務の仕事をしていたので、

支局の人たちへのご挨拶を兼ねての訪問だった。

 

ソ連からロシアに移行したばかりの時代。

泊まったホテルは以前、国営だったが、

その時にはロシアマフィアの手にわたっていた。

マフィア経営のホテルである。

建物がデカいわりに、部屋は当時の日本の地方都市にある

ビジネスホテルのようなそっけない場所だった。

 

ロシア語ペラペラの支局の人たちは

たいへん歓迎してくれて、

修道院を改装したレストランでごちそうしてくれた。

ボルシチにようなものやサラダを食べた記憶があるが、

悪いけど、あまりおいしいとは思わなかった。

 

新入りの雑用係のミハイルという青年が運転手になって、

赤の広場やモスクワ大学など、

車であちこち観光名所を回ってくれた。

 

シェルターを兼ねる地下鉄の構内には

シャンデリアがいくつも下がり、

さながら地下宮殿のようになっていたのが印象的だった。

 

ロシア、モスクワと言えば、

寒いというイメージを持っていたが、

僕たいが行った日は、とても5月とは思えない

真夏の暑さだった。

ホテルにクーラーなんてもちろんない。

 

それで冷たいものが飲みたくて

街中探しまわったが、自販機なんてあるはずもなく、

お店にも冷蔵庫なんてないので、

ぬるいジュースでがまんするしかなかった。

 

当時、マクドナルドの第1号店が開店したばかりで、

後にも先にも、あそこで食べたチーズバーガー以上に

マックがおいしいと思ったことはない。

正直、レストランの食事の数倍うまかった。

 

ミハイル君にもお礼にごちそうした。

値段は日本より高く、

飲み物やポテトなどつけて1000円そこそこ。

 

それに対して当時のロシアの物価水準は、

戦後間もない日本くらいだったらしく、

ミハイル君の給料は、たぶん2、3万程度。

感覚としては、

僕たちが1万円の食事をとるようなもの。

なのでロシアの人たちにとって、

マックは超高級レストランだったのである。

 

そんなわけで、恐縮しながらも超よろこんで

ハンバーガーをほおばっていた

ミハイル君の幸福そうな顔が忘れられない。

 

今となっては面白い体験で、

もちろん、空港で兵士に銃口を向けられた

ソ連時代の1985年よりも数倍ましな国になっていたが、

それでも滞在するのは2泊3日で十分だなと思った。

 

その後に行ったロンドンが実際以上にラブリーで

素敵な街に思えたものだ。

それから1カ月近く、ロンドンとイギリスの旅を楽しんだ。

 

あの時はソ連からロシアになってまだ間もなく、

物資が乏しく、経済も混乱して、人々は貧しかった。

 

今、ロシアの生活はどうなっているのだろう?

ウクライナは爆撃を受けて悲惨だが、

ロシアも機材封鎖は喰らうわ、

店も企業も次々と閉じるわ・撤退するわで

めちゃくちゃなことになっているのではないか。

 

加えて、世界中の人たちからの非難はものすごい。

日本や西側諸国みたいには情報は入らないだろうけど、

いずれそういう声が耳に届いた時、

非難や憎悪をまともに受け止められるのか?

 

ミハイル君など、1995年の思い出があるので、

あまりロシアの人に対して悪い感情は湧かない。

 

もちろん、こうした為政者を選び、

20年以上も国の運営を任せっきりにした

国民としての責任はあるのだろうけど。

 

これからいったい両国はどうなるのか、

僕が考えても仕方ないが、どうにも心配でならない。