死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

 

去年の東京オリンピックの映像で「イマジン」が流れた時、

「またイマジンかよ。マンネリ~、芸なし~」と思った。

確認してないが、ブログにもそう書いたような気がする。

だけどあの感情は撤回する。

 

いま、インターネット上に

40年以上前にこの世を去った

ジョン・レノンが降臨している。

そんな錯覚にとらわれる。

僕たちの世代は無力さを自覚しつつ、

やっぱり「イマジン」を聴いて平和を祈るしかない。

 

今日、テレビでキーウ郊外のブチャの街の惨状を見て

震えあがった。

番組ではほんの数年前の同じ街の

平和で穏やかな風景も映し出した。

その日常の営みが完膚なきまでに叩き潰された。

 

こんなことを書くと、被災者の方にたいへん申し訳ないが、

阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも、

同様に街が破壊された惨状を映像で見た。

けれどもやはり違うのだ。

自然災害と人間の手による殺戮の現場とは。

 

あの街には案の定、

人間の醜さ・おぞましさの痕跡が記されていた。

自分がリアルにあの場所にいたら発狂しそうだ。

 

僕は戦争体験をしていないし、死ぬまでしたくないが、

親は昭和ひとケタ生まれなので子どもの頃してしまった。

僕は自分が子どもの頃、よくその話を聞かされた。

 

べつに強要はされなかったけど、

なんだかちゃんと聞くのが子どもの義務のように感じた。

これも一つの親孝行だとも思っていた。

 

亡父は軍需工場で働いていたが、

集合時間に遅刻したおかげで爆撃に遇わずに済んだという。

もし、もっとまじめにやってたら死んでたかも、

と笑っていた。

 

そんな父の話を思い出し5つほど書いて、

マンガやテレビやアイドルの話と一緒に、

「昭和96年の思い出ピクニック」というエッセイ集に収めた。

 

平和な時代にこんな話・・・と思っていたが、

とりあえず残しておいてよかったと思う。

もう僕に戦争の話を語る肉親はいない。

 

若い人も、本でも映画でも何でもいから、

やっぱり日本人が当事者になった

最後の戦争のことは知っていおいたほうがいいと思う。

自分が体験しないためにも、疑似体験が必要なのだ。

 

本当にあれが最後であることを祈る。

そして、いつも同じこと言ってるけど、

この戦争もどうにかして終わることを祈るばかりだ。

 

昭和96年の思い出ピクニック

http://www.amazon.co.jp/dp/B08WR79ZCR

●死者との対話:父の昭和物語

●大空襲をすり抜けた父は

「生きてるだけでOK」

●父の話:ラッパ要員を兼ねて軍需工場に就職

●名古屋大空襲:

金のしゃちほこも燃えてまったがや

●父のメガネを借りて終戦を見る ほか