ゴールデンカムイ:明治時代は文化のゴールドラッシュ

 

今さらと言われそうだが、ここのところ、

「ゴールデンカムイ」にはまって

毎晩、Amazonでアニメを一気見している。

ちょっと前に連載が完結したところだが、

マンガはまだ読んでない。

 

「鬼滅の刃」は大正、こちらは明治。

さすがジャンプの目の付けどころは鋭い。

幕末、明治、大正、昭和。

現代にいたるまでの日本の150年ほどの時間は、

現代ではありえないリアルなドラマにあふれている。

ここに埋まっている資産を掘り起こすのは、

いわば文化のゴールドラッシュ。

 

日露戦争終結後の明治終盤、

1900年代後半の北海道を舞台にした

「ゴールデンカムイ」。

その面白さの要素はたくさんあって、

とんでもなくバラエティ豊かで充実した内容。

そして現代風の味付けもおいしい。

 

もうすでにいろいろな人が、

いろいろなところでこの作品を語っているが、

僕にとって最もインパクティブなのは、

明治という時代とそこで生きる

兵士・軍人が実にリアルに、

そして面白く描かれているところである。

 

さすが青年誌に連載されたマンガだけに

ここに出てくる兵士たちは、

べつにサイコナントカの超能力を使ったり、

必殺のカントカビームなどを発射するわけではない。

それぞれ現実的な範囲内で、

超人的な戦闘能力を発揮する。

 

こんなこと人間ができるのかと思う部分もしばしばで、

「マンガだから」と言ってしまえばそれまでだが、

僕はそれだけではないと思う。

これは現代とは異なる次元、

つまり過酷な自然、

まだ科学や医学や各種のテクノロジーが発展途上の環境、

さらに、戦場という命のやり取りをする極限状況、

といった中で生き、活動しているので、

脳のリミッターがはずれ、

それぞれが持っている潜在能力が発動するのだろう。

みんな天才戦闘家になるわけだ。

 

明治の男たちの強さ・凄まじさ、

それと裏腹な優しさ・愉快さについては、

昭和時代からいろいろな伝説があり、

中にはかなり誇張されているものもあると思うが、

基本的に僕はそうした伝説を信じている。

信じた方が面白い。

 

同時にこのマンガを読んで感じるのは、

おそらく命のやり取りをしなくては生きている

実感が得られない人間、

つまり戦争という状況がなくては生きられない人間

(たぶん、ほとんど男)が

必ず社会に存在するのだろうなということ。

 

特に幕末から明治、大正、昭和初期は、

そうした男たちにとっては生きやすい時代、

居場所のある時代だったのだと思う。

 

やっかいだが平和な現代でも

そういう男たちは一定数はいる。

遺伝子のなせるわざなのか、

いつの時代でも数パーセントはいるのだ。

今回のロシア・ウクライナ戦争でも、

日本から数十人が兵士に志願したという。

彼らは戦争という極限環境を求めていて、

自衛隊の演習などでは満足できないのだろう。

 

このマンガの作者の野田サトル氏の曽祖父は、

日露戦争の兵士だったと言うが、

そうした日本人の血のなかの遺伝子とか、

霊魂といったものも、100年以上の時を超えて、

現代人に何か刺激を与え、

行動を起こさせようとしているのかもしれない。

そんなことを考えると、

単純に戦争=悪とはいえなくなる。

自分だってこういうマンガを読んで楽しんでいるわけだし。

 

本当に面白い「ゴールデンカムイ」。

実写映画化も決まったようで、

興味はあるが、心配でもある。

 

最近はこういうダイナミックな物語は、

マンガやアニメのほうが感情移入できるし、

想像力を広げて楽しめる。

 

よほど自分が好きな俳優が出ているならいいが、

そうでないと実写にはがっかりさせられるケースが多い。

実写映画・ドラマよりもマンガ・アニメ。

それもまた時代のせいだろうか。