江戸深川のぬくぬくゲーム坊主

 

桜が咲いている頃に深川(門前仲町)のお寺を取材した。

掲載が1カ月遅れになったので、

ひと月近くほったらかしており、

きょうやっと音起こしをした。

 

ここの30代の副住職(年内に住職になる)は、

この地域のお寺に生れ育ち、

学業と修行を終えると、

そのまま自分の家である寺に入った。

 

べつに親に強要されたわけでなく、

自分の意思でそうしたわけだが、

「ぬくぬくと生きてきました」と、

自分の在り方に引け目を感じてきたという。

 

これまで30カ所近いお寺を取材してきたが、

こういう人は割と少数派で、多くは会社勤め、起業家、

学校の先生など、いったん社会に出て別の仕事を経験し、

あとを継いだという人が多い。

 

では彼が世間知らずで、世の中のことを知らない、

役立たずのボンボン坊主かというと、

そんなことは全然ない。

 

彼はクリエイティブな才能を発揮し、

人びとにお寺や仏教のことをもっと理解してほしいと、

自分でお寺や仏教をテーマにしたボードゲームを開発。

 

それが東京のみならず、お寺関係のみならず。

全国の子供関連のイベントや

地域のコミュニケーション促進の集まりなどで

大人気を集めているという面白い坊さんなのだ。

 

大人も子供もそうしたゲームで遊べば、

有難いお説教を聞くより何倍も

お寺のことや仏教のことがわかる。

分かるというのが言い過ぎなら、

少なくとも興味がもてるだろう。

 

また、自分でぬくぬくと言う通り、

確かに競争社会の毒素に触れていない、

のほほんとしたホトケさんキャラで、

一緒にいてとても楽しかった。

 

彼の話は集約すると、

お金や地位や社会的役割は大事だし、

社会の中にいる以上、迎合して生きていく必要があるけど、

もう一つ、別の基準・視点を持っていないと

生きるのが辛くなります。

その基準・視点が仏教の中にあるんですよ、というもの。

 

前にも似たようなことを言った

坊さんは複数いた気がするが、

彼のキャラと話し方のせいか、

とても胸に響き、共感できた。

 

時代が変わり、価値観が変わり、

競争社会で揉まれて努力して勝利することが、

必ずしも良いことではなく、

社会のこと・人のことがわかる

立派な人になる条件では

なくなってきたような気がする。

 

自分の運命をちゃんと受け入れられる人、

自分の心の声に素直に従える人のほうが、

自分自身の幸福感が上がり、

結果的に人からの信頼感も厚くなるのではないだろうか。