村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家

 

昨日、久しぶりに新宿方面に出たので

紀伊国屋書店に寄ったら、

1階にはものすごい村上春樹の新作のレイアウト。

まさしく書店の、文学界の、出版業界の救世主。

ハルキさまさまである。

 

まだ読んでないので1冊買ってきた。

最近、本は10冊中、8冊は電子で読むか、

図書館で借りて読むかだが、

ハルキ本はやっぱり紙本を買いたくなる。

分厚いし、重いし、お値段もけっこう高いけど、

数年に一度のことだし、

重みを感じていいのではないかと思っている。

 

「街とその不確かな壁」。

今、ネット検索で「街」と入れただけで、

すぐにこのタイトルが出てくる。

おそるべき人気。

 

なぜ、村上春樹のわけのわからない話を、

僕を含め、こんなに大勢の人が読みたがるのか?

 

現代人の不安心理とか、喪失感の現れとか、

いろんなことが言われているけど、

単純にみんな、彼の書く物語を読むことで、

一緒に自分の創作活動を行えるからなのだと思う。

 

ノウハウ本はべつにして、特に小説など、文学系の読書は

すべからく創作活動だ。

 

みんな、本を読むことで頭のなかで

自分の物語を創り上げていく。

そこに書いてある小説なり、詩なり、エッセイなり、

あるいは自己啓発本や人生相談さえも創作活動になり得る。

 

そこが本と映画やテレビなどの

ビジュアルコンテンツとの大きな違いで、

映像という視覚情報がついてくると、

どうしても作り手側から「与えられる」部分が大きい

(すべてとは言わないけど)。

 

本の場合は人物も情景も、言葉の連なりを手掛かりに、

読者が想像力で創造していかないと、

頭のなかに立体的に現れてこないし、

生きて動き出さない。

 

村上春樹は数多の文章の中にかなりの部分、

そうした読者の想像力・創造力が入り込む

手掛かりと余白を絶妙な塩梅で用意している。

 

人間は誰もが、自分の心の奥に自分の物語を持っている。

しかし、多くの人はまったくそれに気付くことすらなく、

この世で生きて死んでいく。

 

そんなのは嫌だ。

私は自分の中にある物語を知りたい、と言う人が、

何か書いたり、歌ったり、表現活動・創作活動を始める。

文学などの読書もその一環と考えるとわかりやすい。

 

誰にとっても最も入りやすい、

始めやすい創作活動なのだと思う。

そして、村上春樹は日本だけでなく、世界中の多くの人に

そのことを気づかせた作家なのだと思う。

たぶん、ご本人はそんなこと、思ってもみないだろうけど。

 

みんな、わけのわからない自分を生きている。

僕もたぶん、最期までわけのわからない自分を生きる。

だから、村上春樹が提供する物語が

わかる・わからないなんて二の次の問題だ。

大事なのはどこに行きつくかではなく、

どんな旅を体験するかなのだ。

 

読む本がたまっているので、

気が向いた時にぼちぼちじっくり読もうと思う。