「どうする家康」最終回:北川茶々の鮮烈な女性ヒーロー像

 

世間的な評判はあまり芳しくなったようだが、

僕は面白く見れた。

何より歴史の常識に固執せず、

家康を偉人でなく普通の一個人として

描いたところが良かった。

 

天下人に上り詰められたのは、

いわゆる能力・実力以上に人が良かった、

たまたま運がよかった、といったことを

強調したことも面白い。

実力的にははるかに上回っていた

信長・秀吉・信玄などに取って代わることができたのも、

そうした要素が作用している。

だから人間は面白い。

 

松潤家康の老け演技も感心したが、

ドラマ終盤は何と言っても北川景子演じる茶々の独壇場。

前回で娘時代の心情と母親としての感情の間を

揺れ動いたので、

最期はてっきりそうした面を

強調して終わるのかと思ってたら、見事に裏切られた。

 

火の海となった大坂城内で、息子・秀頼をはじめ、

家臣の男たちが全員自害するのを冷静に見届けた後、

最後に言い放ったのは、

もはや女であること・母であることから脱した、

乱世の鬼神のごときセリフ。

まるで伯父の信長、夫の秀吉、父の浅井長政、

さらには武田親子、真田親子などが

すべて乗り移ったようだ。

そして、それはまた400年後の現代の日本人へ向けた

痛烈な批判でもあり、呪いの言葉でもあった。

けれどもそれでいながら最後の最後、

一人の少女に還ってつぶやく今際の一言には泣かされた。

 

脚本もよくできているが、前回と今回、

姫の顔、母の顔、武将の顔、鬼神の顔、

一人の女性の中で次々と変化する感情を演じた

北川景子の演技力・表現力は圧巻。

かつてなかった戦国の女ヒーロー像を見事に造形した。

 

大坂城落城後のエピローグ。

平和になった世の中を続かせるため、

小栗旬の天海と寺島しのぶの春日局が

家康を神格化しようと努めるシーンは面白かったが、

その後の長い回想シーン、

家康の夢みるシーンはひどく冗漫に感じた。

 

政権の周囲にいる人々からは神とあがめられ、

他方、豊臣を支持する民衆には、

天下をかすめ取った妖怪狸とさげすまれ、

深い孤独の中で臨終を迎えた家康は、

まだ最初の妻と息子と家臣たちが生きていた

若き日の夢を見る。

 

やさしい家族、あたたかい笑い、明日へ向かう活力に満ちた

平和な日は家康が望んだ幸福の在り方だ。

けれども風もなく波も立たず、

安心安全でピーカンの日々がえんえんと続いたら、

人はそのありがたみを感じなくなってくる。

当たり前のことだが、幸福の在り方は一概に論じられない。

 

その考えると、冗漫と感じたエピローグは、

茶々の鮮烈な死のシーンと

素晴らしいコントラストをなしており、

このドラマの終わり方としては良いのではないかと思った。

 

一個人としての家康の人生はどうだったのか?

男たちが戦いに明け暮れる中で女性はどう生きたのか?

世の中で成功するためには何が必要なのか?

自分の本当の心を知るすべはあるのか?

平和な環境のなかでより良く生きるためには

どうすればいのか?

 

エンターテインメントであることはもちろんだが、

いろいろな問いかけをしてくれたドラマだったので

1年間本当に楽しめた。

ドラマなので史実がどうこうとか難癖をつけるのでなく、

今を生きる視聴者の心にどれだけ響くかを最優先して

これからも作っていってほしいと思う。