雨降り河童寺考~700年の古刹で出会った緑色の住人たち~

 

●ディスカバー河童寺

 

今週は仕事の取材で、静岡県河津町にある

「河童寺」の通称で親しまれる栖足寺(せいそくじ)を

訪ねることになった。

JR伊豆急行線の河津駅から徒歩10分弱という好立地である。

駅を出ると、あの有名な河津桜の並木がある河津川が

目の前に広がる。

あいにくの小雨模様だったが、

河津川を渡ってすぐに栖足寺の境内に足を踏み入れると、

これが意外にもラッキーだったかもしれないと思えてきた。

ピーカンの青空だと、どうにも風情がない。

むしろこの雨模様のほうが、

なんとも言えない妖しい雰囲気を醸し出していて、

まさに河童が出てきそうな気配が漂っているのである。

 

 

●椅子まで河童という油断のならない境内

 

境内に入ってまず驚かされるのは、

とにかくあちこちが河童だらけということだ。

持参した飲み物を飲もうと思って何気なく腰を下ろした椅子も、

よく見ると河童の形をしていた。

思わず「おっと失礼」と河童に謝ってしまうほどである。

 

寺院としては日本的な古さを感じさせる、

いかにも由緒正しそうなお寺だ。

と同時に、どこか懐かしい感じもする。

よくよく観察すると、シンボルっぽい河童像を中心に

境内全体がレトロアートな感じにアレンジされているのが分かる。

これは後で知ったことだが、

ミュージシャンでありアーティストでもある現住職のセンスが

なせる業なのだ。

 

 

●鎌倉時代生まれの禅寺、河童と暮らして700年

 

「河童の寺」という通称が板についた栖足寺は、

実に700年の歴史を持つ古刹である。

その創建は元応元年(1319年)、鎌倉時代にまで遡る。

開山したのは下総総倉の城主千葉勝正の第三子である

徳瓊覚照禅師(とくけいかくしょうぜんじ)という、

なかなかに由緒正しい禅寺なのだ。

 

徳瓊覚照禅師は八歳で得度し、

二十歳にして大本山建長寺で建長寺開山の

大覚禅師(蘭渓道隆)の直系弟子として九年間、修行を積んだ。

その後、中国に渡って当時の禅の名僧たちに師事し、

帰国後は各地の名刹を歴任した。

そして元応元年、北条時宗の旗士であった北条政儀の招きにより、この河津の地にやってきたのである。

興味深いのは、もともとこの地には「政則寺」という

真言宗の寺があったということだ。

それを禅寺に改めて「栖足寺」としたのである。

 

「栖足」という寺号は、百丈禅師の「幽栖常ニ足ルコトヲ知ル」(静かな隠遁生活に常に満足することを知る)

という句から取られたと推測されている。なんとも禅寺らしい、

深い意味を込めた名前である。

 

 

●桜に負けた河童の末路と、寺が果たした避難所の役割

 

現在の住職にお話を伺うと、興味深い地域の歴史が見えてくる。

「大昔から栖足寺は河童寺として通っており、

河津桜で有名になる前--

昭和の時代までは、河津町は河童で町おこしをしていたんですよ」

 

今でこそ河津桜で全国的に有名になった河津町だが、

桜まつりが始まったのは今から34年前の

1991年(平成3年)のこと。

桜まつりは1999年(平成11年)には訪問客が100万人を超える

大イベントに成長したが、

それ以前は河童が町の看板だったのである。

 

「各旅館に河童のおちょこやとっくり、手ぬぐいなどがあったり、

商工会に飾られていたりしたんです。

でも桜が有名になって見向きもされなくなったので、

そういったものを寺で預かったんです」

 

なんとも皮肉な話である。

河童で町おこしをしていたのに、桜の方が大ブレイクしてしまい、

河童グッズは行き場を失ってしまったのだ。

そこで栖足寺が河童文化の避難所のような役割を

果たすことになったというわけである。

 

 

●「つくったが、作られていないように」のアート美学

 

現住職は過去10年あまりで、境内の大改修も手がけた。

「『つくったが、作られていないように』をテーマにしました」

ちょいダークで、幽玄なムードを醸し出す草木や苔。

人が一人、ゆうに入れそうな大瓶や、

まっ茶色に錆び付いた自転車のオブジェ。ユニークなアート哲学に基づいてアレンジされた境内は、

「雨が降ると河童寺っぽくなる」という演出も施され、

心憎いばかりだ。

書家の師範のスタッフもいるということで、

寺院としての格式を保ちながらも、

現代的なアート感覚を取り入れた斬新な取り組みである。

 

 

●先代住職の逝去と、一時休業中の河童ギャラリー

 

以前は客間で「河童ギャラリー」を開いて、

町から預かった河童グッズを展示していたそうだが、

昨年、先代住職が逝去され、いろいろな儀式があったため、

一旦片付けられ、まだ再開されていないとのことだった。

「河童ギャラリー、ぜひ見てみたかったのですが…」と言うと、

住職は苦笑いを浮かべながら、

「また準備が整い次第、再開する予定です」と答えてくれた。

 

 

●裏門の淵で暮らしていた、いたずら好きの住人

 

さて、そもそもなぜ栖足寺が河童寺と呼ばれるようになったのか。

それは江戸時代から語り継がれている河童伝説があるからだ。

 

昔、栖足寺の裏を流れる河津川の淵に、河童が住んでいた。

お寺の裏に位置するその場所は、

川が大きく蛇行して深い淵を作る「裏門」と呼ばれていた。

この河童、水浴びをしている子どもの足を引っ張るなど、

いろいろないたずらをして村人を困らせていた。

 

そのうち噂が一人歩きして、「河童が子どもの尻子玉を抜く」とか

「生き肝を食らう」などと大げさに伝えられるようになり、

村人たちは河童を恐がり、ついには憎むようになってしまった。

なんとも人間らしい話である。

最初は単なるいたずら者だった河童が、噂によってどんどん恐ろしい存在に仕立て上げられていく。現代でもよくある話だ。

 

●馬のしっぽにしがみついて御用となった河童

 

そして運命の日がやってきた。

ある夏の夕方、村人たちは寺の普請(建物の修理や建設)の手伝いをした後、裏の川で馬や道具を洗っていた。

そのとき一頭の馬が急にいななき、後ろ足を高く蹴り上げた。

そばにいた村人が驚いて見ると、馬のしっぽに何か黒いものがしがみついている。

よく見ると、それは噂に聞いていた河童だった。

 

「河童だ、河童がいるぞ!」

 

誰かが叫ぶと、近くにいた村人たちが一斉に集まってきた。

河童も捕まってしまったら大変と大慌てで逃げ出し、

裏門を抜けて寺の井戸に飛び込んだ。

ここでの河童の行動が実に人間臭い。

馬のしっぽにしがみつくという、

なんともマヌケな状況で発見され、

慌てふためいて逃げ出す様子が目に浮かぶようだ。

 

●井戸に逃げても逃げ切れず、袋叩きの刑

 

しかし村人たちは容赦しなかった。

井戸に逃げ込んだ河童に向かって、てんでに石を投げつけた。

河童はバラバラと落ちてくる石に我慢ができず、

井戸の中から這い出してきてしまった。これが失敗だった。

 

村人たちは河童を取り囲み、

「こやつはひどいやつだ。殺してしまえ」と叫びながら、

棒切れで叩き始めた。

ちょっとやりすぎな気もするが、

当時の人々にとって河童は子どもを攫う

恐ろしい妖怪だったのだから、無理もない話かもしれない。

 

●「殺生は禁物じゃ」-禅僧の慈悲が救った一命

 

ちょうどそこへ、栖足寺の和尚さんが帰ってきた。

村人たちが騒いでいるのを見て、何事かと近づいてみると、

河童が息も絶え絶えに倒れている。

それでもなお、村人たちは河童を叩き続けている。

 

和尚さんは大きな声で「皆の衆、やめられい」と叫んだ。

「今日は寺の普請の日じゃ。殺生は禁物じゃ。

寺の縁起にかかわる。この河童はわしが預かろう」

さすがは禅僧である。

 

暴力で問題を解決しようとする村人たちを諫め、

慈悲の心で河童を救おうとした。

村人たちも、寺の縁起にかかわるのでは仕方がないと、

和尚さんの言葉に従って河童を預けた。

 

●月夜に現れた河童からの、思いがけない恩返し

 

和尚さんは村人たちがいなくなると、

「これ河童、助けてやるからどこか遠くへ行きなさい」

と言って、河童を逃がしてやった。

 

この和尚さんの優しさが、後に奇跡を生むことになる。

その晩のこと、和尚さんは何者かが庫裏の戸を叩く音で

目を覚まし、縁側の雨戸を開けてみた。

すると、月明かりの中に昼間の河童が立っていたのである。

 

 

●河津川のせせらぎを封じ込めた、魔法の壺

 

河童は言った。

「昼間は助けていただき、ありがとうございました。おかげさまで命拾いをしました。このつぼはお礼のしるしです」

そう言って、丸い大きなつぼを縁側に置いた。

「このつぼに河津川のせせらぎを封じ込めました。

口に耳を当てると、水の流れる音がします。

水の音が聞こえたら、

わたしがどこかで生きていると思ってください。

和尚さまもどうぞお元気で」

そう言い残して、河童は立ち去ったのだ。

 

●令和の今も、壺に耳を当てれば

 

和尚さんは夢心地で聞いていたが、

我に返ると確かに縁側に大きなつぼが置いてあるので、

河童が本当に来たのだと確信した。

 

それからというもの、河津川に河童が姿を現すことはなくなり、

村人たちもいつしか河童のことは忘れていった。

けれども和尚さんは時折つぼの口に耳を当て、

底の方から聞こえる、かすかな水音を聞いて、

河童の無事を思った。

 

また、河津川に出水があった際、

このつぼがゴウゴウとうなりを上げて知らせ、

人々が助かったこともあり、

それから寺の宝として大切に奉られてきたという。

 

今でもつぼに耳を当てると、川のせせらぎが聞こえ、

河童が元気で生きていることを伺える。

そして人々は水の流れが心を洗うと言い、

ありがたく拝聴していくのである。

 

 

●果たして河童の声は聞こえるのか~後編への誘い~

 

さて、この河童の壺、実は現在も栖足寺に残されており、

実際に耳を当てて音を聞くことができるのだという。

果たして本当に河童の封じ込めた河津川のせせらぎが

聞こえるのだろうか。

後編では、この神秘的な河童の壺による

不思議体験をレポートする。

 

僕は雨に濡れた境内で河童たちに見守られながら、

数百年の時を超えた河童との不思議な邂逅を

体験することになるのだが、

その詳細は次回のお楽しみということにしておこう。

 

後編ではいよいよ河津桜で有名になる前の河津町の隠れた魅力、

そして現代まで語り継がれる河童伝説の真相に迫る。

(後編に続く)