
かつてはギリシャ劇にも、シェイクスピア劇にも、
中国の京劇にも、能・狂言にも、女優は存在せず、
男の俳優だけで芝居は上演されてきた。
いろいろな事情があったと思うが、女が舞台に立つと、
多くの男がそれに現を抜かして働かなくなり、
社会が立ちいかなくなったので、為政者が禁じたのだろう。
しかし、社会の発展とともに演劇の世界は広く開放され、
女優もだんだん舞台に立つようになった。
21世紀の今日、世界でいまだに女優が舞台に立てない演劇は、
日本の歌舞伎だけである。
江戸幕府によって女優が禁じられてから400年。
女を演じる男優--女形は
何代にもわたってその技芸が伝承されてきた。
今や一種の世界遺産ともいえる独特のスタイルだ。
その女形に人生を賭け、紆余曲折を経ながら
ついに人間国宝にまでたどり着く男の物語。
吉田修一の同名小説を映画化した「国宝」。
1964年から2014年までの50年間を描いた一代記は、
歌舞伎の世界の裏側を見事に描き出している。
歌舞伎は一見、華やかでセレブな世界だが、
よく考えたら、何でいまだにこんな慣習・ルールが成り立つの?
と思えるような魔訶不思議な世界であり、
畸形の演劇ともいえる。
いまだに女が舞台に立つのが許されないことに加え、
伝統芸能でありながら、国家に守られているわけでなく、
純然たる商業演劇として運営されていること。
家・家族で伝承する技芸であるからこそ、
「血」を守っていくためのこだわりが強いこと。
みんな、小さな世界で生きているので、
身内・味方に対する愛情・友情・敬愛心は強いが、
一旦事情が変わると、
たとえば、父親・師匠などの後ろ盾を亡くしてしまうと、
たちまち冷淡に扱われ、干されるようになる。
要するに、この物語の主人公・喜久雄のように、
才能があれば、芸が優れていれば出世できるという
フェアな世界ではないのだ。
とはいえ、商業演劇なので、
客を集め、興行を打っていくため、
常に客の期待・時代のニーズに応え、
新しいスターをプロデュースする必要がある。
その微妙なバランスのなかで歌舞伎は生き延びてきた。
そのあたり、原作(まだ読んでないが)は
かなり詳細に買いているようだが、
この映画でも十分描き出している。
重厚なドラマは、昭和・平成の時代背景も相まって、
素晴らしく見ごたえがあって、
3時間以上の長丁場でもまったく飽きさせない。
吉沢亮と横浜流星の熱演が話題になっていて、
もちろん、彼らの感情表現や演技・踊りは素晴らしいのだが、
僕としては、この2人に影響を与え、
無言のうちに「女形の生き方」を示唆する
人間国宝・小野川万菊の存在が、とりわけ胸に刺さった。
演じるのは、長らく孤高のダンサーとして活躍してきた田中泯。
その妖怪じみた女形ぶりはすさまじく、登場シーンになると、
まるでそこだけアングラ演劇の世界みたいになる。
そして、人間国宝という栄誉ある称号にあるまじき
最後の登場シーンは、戦慄を覚えるほど印象的で、
そこに「国宝」というタイトルの意味が
込められているように思えた。
昭和の時代まで、歌舞伎役者は江戸時代の身分制度を引きづった
「河原乞食」だった。
今でこそセレブ扱いされるが、一般的なセレブイメージと、」
彼らの生きる世界・人生には大きなギャップがある。
映画「国宝」は、そんな歌舞伎という畸形の演劇の歴史・文化、
そしてこの特殊な世界を成立させている人間模様を感じ取ることができる奇跡的なコンテンツだ。
舞台のシーンの迫力、女形を演じる喜久雄(吉沢亮)と
俊介(横浜流星)の美しさ。
この映画の魅力・価値を堪能するには、
テレビやパソコンサイズではだめで、
絶対に映画館の大スクリーンで見るべきだと思う。
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