
夏の食べ物と言えばスイカ。
他にもいろいろあるが、やはり圧倒的に迫力がちがう。
でかくて丸くて重い。
もしこれで大谷選手が時速160キロの剛速球を投げたら、
バットは確実にへし折られるだろう。
デッドボールを食らったら死ぬかもしれない。
それでいながら、丸くて色鮮やかでかわいい。
これほど夏に似合う食べ物もないだろう。
昭和の時代、スイカは子どものものだった。
大人は子どものおこぼれを預かっていた。
そうなのだ、スイカ食いの主役は子どもだ。
子どもが食べるから、スイカは楽しくて面白かった。
あのでかいやつをかち割って、
いとこたちと、近所のガキどもと、町内のクソガキどもと、
学校のバカどもと、みんなで分けて食った。
もちろん、家でも家族みんなで食った。
じいちゃんの記憶はほとんどないが、
なぜか真夏にいっしょにスイカを食っていたことは覚えている。
おじさんも、おばさんも、みんないてスイカを食った。
僕が生まれたのは、ひどくボロい借家だったが、
小さな内庭があって縁側があった。
その縁側から家族や友だちとタネ飛ばし競争をやった。
じいちゃんがタネを飛ばしていた映像が頭の片隅に残っている。
「スイカは英語で『タネプップー』にしましょう」
明日アメリカに行くというのに、
頭をぶつけて英語を忘れてしまった友人に
そう提案したのは、バカボンのパパである。
「天才バカボン」のマンガ家・赤塚不二夫は、
スイカに思い出やこだわりがあったらしく、
夏になるとマンガの中に必ずスイカが登場した。
その中で面白かったのが、「おそ松くん」などで
スイカの皮が紙のようにペラペラに薄くなるまで
食べるというやつである。
スイカをペラペラになるまで食う、というのは貧乏人の証だった。
「ほら、これ、あそこの家のスイカ」
「うわぁ、ぺっらぺら」
「ギャハハハ」
という会話で貧乏人を笑ってギャグが成立した。
その頃はみんな貧乏だったので、それでよかったのだ。
昭和の貧乏はあたたかくて楽しくて、
今となってはノスタルジーだ。
というわけで、僕はその赤塚ギャグが大好きで、
いとこや友達と「スイカペラペラ競争」をよくやった。
どっちがより薄くスイカを食べられるか競うのだ。
昔のスイカは、今のより皮が厚く、
白い皮の部分はぜんぜん味がない。
それでもひたすらかじりまくった。
そして笑った。
そういうばかばかしさがスイカにはよく似合った。
夏は子どものものだった。
まだ暑いことが、元気で楽しかった時代。
今、夏休みでも、昼間の公園に子供の姿は
ほとんど見当たらない。
これほどの猛暑、熱中症の危険があるからしかたがないが、
日本の夏もサマーがわりしてしまった。
でも、スイカは暑ければ暑いほど、甘くなるらしい。
明日から8月。スイカをいっぱい食べよう。
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