
愛とか自由とかについて考えたり、語り合ったりする時代が
今また帰ってきたのじゃないか。
綾瀬はるかのNHKドラマ「ひとりでしにたい」の
最終回(2日)を見てそう思った。
やっぱり鳴海(綾瀬)と那須田(佐野勇斗)は結婚するのか、
それだとなんだかつまらない、
でも、ちゃんと恋人同士として付き合うことになるんだろうなと思っていたら、そうはならなかった。
すごく面白くて毎回見てしまったが、
従来のドラマのセオリーとしては大失格の作品である。
ドラマとは人間の変化を見せるものなのに、
そもそも主人公が始まったときと全然変わらない。
クライマックスも家族の食事会シーンで口論になるだけで、
盛り上がりもへったくれもない。
視聴者がこんなもの見るもんか!と、
90年代のトレンディドラマのロデューサーに
脚本を見せたら、びりびりに破かれそうだ。
この手の若い男女を主人公にしたドラマは、
一昔前まで感動ものであれ、コメディであれ、
劇的アクション、もしくはドタバタ狂騒曲をへて、
結婚に限らずとも、何らかの形で結びつくのがお決まりだった。
ハリウッドのドラマメソッドは1980年代に確立され、
80年代後半から00年代前半、アメリカでも日本でも
多くの映画やテレビドラマは
そのメソッドに基づいて作られていた。
簡単にいえば、紆余曲折を経て、ラストは平安が訪れる。
恋愛や友情や家族が色濃く絡めば、
ラストは結婚や子供の誕生など、
新しい家族が生まれるという喜びに満ち、
未来へ希望をもたらす終わり方にするべき。
もちろん例外はあるが、少なくともそれが王道であり、
視聴者の心を満足させる鉄板パターンであり、
そうでないものは大衆に受けいられるのは難しい。
僕がドラマの脚本を勉強をしていた頃はそう教えられた。
それはまんざら昔話でもないようで、
割と最近、シナリオ教室に行ったという人からも、
そうやって教えられたと聞いた。
けど、もう現実は違っている。
このドラマに共感を寄せる多くの視聴者--
鳴海と同じアラフォーやその下の年代は、
一見、何も変わらず、始まったときと同じく、
ひとりで自分らしく生きようとする鳴海の
内面の変化を感じ取っているのだろう。
しばらく前まで、家族が価値観の最上級、
唯一絶対の価値であったこの国では、
結婚すること、子どもを授かることは、
紛れもない、揺らぐことない幸福の証であり、
完全無敵の善だった。
しかし、今となっては、それは幻想だった。
それは何者かによる洗脳だったと、
現実に裏切られた人たちが気づいてしまった。
そして、家族って一種の「負債」ではないか?
という認識にも至ってしまった。
このドラマでは、特に那須田のセリフに顕著だが、
家族の問題・人生の問題を
経済用語で語る場面がやたらと出てくる。
今の世のなか、価値観の主軸が経済になっていて、
特にアラフォー以下の年代の人たちにとっては
それがデフォルトなのだろう。
家族主義の時代が終わって、
自分らしさを追求する個人主義の時代になった、
といえばそれまでだが、
家族という負債から解放された、自分らしさって何だろう?
愛とか自由とかの意味ってどうなってしまうんだろう?
と考えてしまった。
ただ、大いに笑った後にいろいろ考えられるということは、
よくできたドラマなんだろうな、やっぱり。
続編を望む声も多いが、すぐにやったら面白くない。
10年後の話だったら、また見てみたい。
それにしてもアラフォーになっても、綾瀬はるか、かわいい。
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