次代のために事典化された昭和

 

今年は昭和100年。

昭和的イベントで盛り上がるのか?

と予想していたが、さにあらず。

昭和の事物はビッグデータとしてAIに取り込まれ、

事典化された。

もはや懐メロを聴いても、あまり感情を揺さぶられない。

今、巷に蔓延る昭和的なるものは、

リアルな味や臭いを削ぎ取られ、脱色された、

陳列用サンプルのようだ。

 

元号がまだ平成だった2017年から18年にかけて、

雑誌の仕事で何度か芸能関係者の葬儀を取材した。

作曲家の船村徹、コメディアンの藤村俊二、左とん平。

いずれも心に残る葬儀だったが、極めつけは西城秀樹だった。

 

青山葬儀場には1万人を超えるファンが集まり、

最寄りの乃木坂駅は喪服の女性がごった返し、

テレビもネットも生中継でその様子を伝えた。

沿道の参列者のヒデキコールに包まれて、

霊柩車がゆったりと走り去って行くシーンは、

今も忘れられない。

 

昭和の大スターにふさわしい最期のセレモニー。

あれほど華やかで、賑やかで、あたたかい葬儀は

初めての体験だった。

 

僕は仕事の記事とは別に

「西城秀樹さん葬儀:青春の同窓会」

という記事をブログに上げた。

読み返してみたら、その中の一節に

「おそらくこれから、

どんどん昭和のアイドルやスターだった人たちが

亡くなっていくわけですが、

そのたびにこうしたイベントになるのだろうなと、

ちょっとフクザツな気持ちになりました」と書いている。

 

その予測は見事に外れた。

誰が亡くなっても、

もうあんなスターらしい葬儀はやらないだろう。

あの、今の大谷翔平に匹敵する、

高度成長時代のスーパースターなら

国葬レベルのことになるもではないかと思っていたが、

今年6月に長嶋茂雄さんがこの世を去っても、

ごく内々でのこじんまりした葬儀と、

ちょっとしたお別れ会で終わり、

メディアの扱いもそう大きくはなかった印象だ。

 

やはりコロナの前で昭和のマインドも

ライフスタイルも終わっていたのだ。

今さらながらそのことに気が付いた。

 

これから先、テクノロジーの進歩で、

西城秀樹も、長嶋茂雄も、

AIやアンドロイドの技術によってよみがえる可能性はある。

ただし、それは次代のデータとしての昭和スターで、

リアルを知っている僕たちから見れば、

やはり別物であり、事典なのだ。

 

終わりなき日常の中に取り込まれた昭和、20世紀。

もう単なるノスタルジーとして温まることはできないだろう。

100年を境に、僕はこれまでとは違う付き合い方をしていきたい。