れいわ伊勢ものがたり②「昭和の浮世絵師が描いた、おかげ参り屏風絵」

 

ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか。

お伊勢参りはええじゃないか。

ということで江戸時代のお伊勢参りはすごかった。

なかでも60 年に一度、出雲大社とダブルで遷宮をした、

慶安3年(1650)・宝永2年(1705)・

明和8年(1771)・文政13年(1830)は特別で、

町人文化が花開いた宝永以降の3回は、

江戸や京都・大阪の大都市をはじめ、日本全国の町や村から、

町人も百姓も武士も、

士農工商の埒外にあるアウトサイダーたちも、

みんなこぞって伊勢に繰り出した。

 

人が集まれば、当然、そこには商売も生まれる。

各街道をはじめとする伊勢への旅路には、

駕籠タクシー・飲食店・旅籠屋(宿泊)はもちろん、

賭場や遊郭などもバンバン作られ、露天商あり、大道芸あり、

その他、わけのわからない商売人たちが跳梁跋扈していたらしい。

 

なにせ60年に一度だから、ほとんどの人は人生で一度、

巡り合えるかどうかの希少なチャンスだ。

気合の入れ方はハンパない。

仕事なんてやってる場合じゃないぞ、ということで、

仕事を抜け出して旅立つことから“抜け参り”、

神々のおかげをいただくことから“おかげ参り”とも呼ばれた。

現代ならそんなことで勝手に会社やお店を休む輩がいたら、

ソッコーくびだろうが、江戸時代はみんな神仏を大事にし、

おおらかでもあったので「お伊勢参りならしゃーないか」と、

大目に見てくれたという話もある。

お伊勢参りは誰もが夢見る大イベントだったのだ。

 

そうした江戸時代の「おかげ参り」の様子を

ダイナミックに描き出した屏風絵がある。

しかも、それは芸術作品として、

博物館みたいなところで大事に飾られているのではなく、

いわゆるストリートアートになっている。

 

場所は内宮前から1キロほど続く「おはらい通り」から

「五十鈴川野遊びどころ」という広場・駐車場に抜ける

地下道「内宮おかげ参道」。

僕はお参りの後に行ったが、

こちらから来て内宮に向かう人を想定し、

いわば、内宮参りの玄関、そして、

タイムトンネルのような役割を持っているらしい。

この10メートルほどの地下道の両側の壁に

ずらりと並ぶ13枚の屏風絵が壮観なのだ。

 

この屏風絵は、それぞれバラバラなのではなく、

京都の三条大橋から伊勢神宮への旅が

一連のストーリーになっている。

西から東へ下ってお参りに向かう、老若男女の大群。

現代のように車も電車もないから、みんな歩きか、駕籠タクシー。

川を渡らなくてはならないときは舟である。

いったい何人が描かれているのか数えきれないが、

ひとり一人の表情まで詳細に描かれており、

その雑多で猥雑な、お祭り的賑わいは、

見ているこっちまで楽しくなってくる。

 

通り道なので、ほとんどの人はささっと目をやるだけ、

そそくさと歩き去っていく。

1枚1枚ちゃんと見ているのは僕たちだけだったが、

通り過ぎるだけではあまりにもったない。

伊勢の見どころの一つに上げてもいいくらいだ。

 

作者は「昭和の浮世絵師」と言われた門脇俊一画伯。

噓か真か、このストーリー仕立ての一大絵巻物を、

わずか3ヵ月で完成させたというから驚きだ。

この門脇画伯は、「こんぴらさん(金刀比羅宮)」にほど近い

香川県観音寺市に在住していた(2005年逝去)。

江戸から伊勢に詣でた人たちの中には、

その足を延ばして京見物、

さらに遠く四国のこんぴらさんまで旅した人もいるらしい。

現代人の感覚でいえば、世界一周旅行に近いのかもしれない。

 

「昭和の浮世絵師」によるこの大作の筆頭スポンサーは、

ご存知、赤福餅のメーカー 和菓子屋「赤福」である。

一連の旅のストーリーの最後の1枚、

すなわち、伊勢到着の画面は参道内でなく、

「五十鈴川野遊びどころ」にある

赤福五十鈴川店の店内に飾られている。

 

赤福の創業は、宝永4(1707)年となっているので、

宝永のおかげ参りのすごさを見て、店を出したのだろう。

その60年後・120年後には、すっかり伊勢の名物として

定着していたと想像できる。

そう考えると、300年以上の老舗の存在ってすごい。

 

当然のように、絵の中には赤福のお店があり、

そこで人々が座って、笑顔で赤福餅を食べている。

まさに至福のとき。

ついに着いたぞという喜びと達成感と安堵感、

そして、旅の疲れをいやし、

よくぞ参ったと労わり、祝ってくれるような、

甘い、とろけるような赤福餅のおいしさ、

それを包む伊勢の町の賑やかな風景が

1枚にしっかり凝縮されているのだ。

 

まさに一生一度のお伊勢参り。

こうした至福の時を味わうことを夢見て、

江戸時代の人々は生きていた。

現代はいつでも気軽に来られるけど、

じつは不便で苦労しなくてはならなかった、

昔の人たちのほうが幸福度は高いのかもしれないなぁと、

カミさんと赤福餅をほおばり、

お茶をすすりながら、せんないことを考えていた。