あ~、2025年は疲れたよ

 

エッセイ集「昭和100年の思い出ピクニック」を発行して、

なんだか一つの区切りがついた。

特に最後の「次代のために事典化された昭和」は、

自分の中でけっこう響いている。

今年はこれまでないほど人生に疲れを感じたが、

その一因に、昭和の歴史・事象の数々が

AIの巨大データベースに取り込まれてしまったという

現実にぶち当たったということが大きい。

 

そういえば6月にはAI・ロボットのエッセイ集

「僕たちはすでにセンチメンタルなサイボーグである」

という本も出した。

世の中は抵抗する暇もないほど、

スピーディーにデジタル化していく。

それについていけず、ただ疲弊して

感傷的になっているのだろうか?

SNSで飛び交う情報のやり取りにも

ノイズ感・空虚感ばかりを感じて、発信も滞りがちだった。

 

こんなことに何の意味があるのか?

世界はいったいどうなっていくのだろうか?

自分はこれからどう生きていくのだろうか?

 

10代の頃に漠然と感じていたのとよく似た

不安と恐れに苛まれる。

また一からやり直しなのだろう、きっと。

 

心を軽くして新しい年を迎えるために、

あえてネガティブな言葉を出してみた。

少しモヤっと感が晴れたような気がする。

 

一方で今年は後半からやりがいのある仕事が次々と入って、

とてもよい年でもあった。

まだこの先10年やっていけるぞと自信が湧いた。

気楽に、わが心のままに歩いていこうと思う。