エッセイ集「昭和100年の思い出ピクニック」を発行して、
なんだか一つの区切りがついた。
特に最後の「次代のために事典化された昭和」は、
自分の中でけっこう響いている。
今年はこれまでないほど人生に疲れを感じたが、
その一因に、昭和の歴史・事象の数々が
AIの巨大データベースに取り込まれてしまったという
現実にぶち当たったということが大きい。
そういえば6月にはAI・ロボットのエッセイ集
「僕たちはすでにセンチメンタルなサイボーグである」
という本も出した。
世の中は抵抗する暇もないほど、
スピーディーにデジタル化していく。
それについていけず、ただ疲弊して
感傷的になっているのだろうか?
SNSで飛び交う情報のやり取りにも
ノイズ感・空虚感ばかりを感じて、発信も滞りがちだった。
こんなことに何の意味があるのか?
世界はいったいどうなっていくのだろうか?
自分はこれからどう生きていくのだろうか?
10代の頃に漠然と感じていたのとよく似た
不安と恐れに苛まれる。
また一からやり直しなのだろう、きっと。
心を軽くして新しい年を迎えるために、
あえてネガティブな言葉を出してみた。
少しモヤっと感が晴れたような気がする。
一方で今年は後半からやりがいのある仕事が次々と入って、
とてもよい年でもあった。
まだこの先10年やっていけるぞと自信が湧いた。
気楽に、わが心のままに歩いていこうと思う。



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