伊勢の旅の最後は民泊のマダムの紹介で、ある民家を訪れた。
雨の中、民泊から歩いて5分。
幕末に建てられた、築160年以上という古民家だ。
古民家と言えば聞こえがいいが、ぼろぼろの廃屋に近い建物。
しかし、ここは伊勢神宮をブランディングし、
伊勢参りの文化をつくった「御師(おんし)の宿」。
一般的にはあまり知られていないが、
天皇家しか詣でることを許されなかった伊勢の神々と
日本の庶民を結び付けた歴史的価値の高い施設なのだ。
一生一度の伊勢参り。
江戸時代、伊勢は日本人ほぼ全員の憧れの地として仰がれた。
以来、今日に至るまで、伊勢は日本の聖地として、
最近では最強のパワースポットとして、
国内外から多くの観光客・参拝客を引き寄せている。
その立役者と言えるのが「御師」と呼ばれた人たちだ。
彼らは現代風に言えば旅行代理店であり、
観光プロデューサーである。
この御師が「営業活動」をしたことによって
日本全国津々浦々まで「伊勢講」が組織された。
伊勢講とは、町や村など、ある一定の地域・集団の中で、
一軒一軒が少しずつお金を出し合い、
その町や村の代表となる人が
伊勢神宮へ参拝の旅に出かけるという仕組みのことである。
「講」ごとに決まった御師がついており、
たとえば「杉並講」の代表が伊勢に行けば御師・松田何某が、
「中野講」の代表には御師・小野何某が出迎えてくれる。
そして、それぞれの専属の御師の宿に泊まり、
歓待(おもてなし)を受けられるのである。
いわば、旅行会社とその得意客との関係が築かれている。
というと簡単に聞こえるが、なにせ江戸時代の話である。
現代のように情報が即座にいきわたる時代ではない。
インターネットはおろか、テレビやラジオ、
新聞だってまだない。
情報メディアは皆無の世界である。
伊勢神宮は天皇家しか参れない特別な神宮で、
日本国を作った神様が祀られている――
そんな風聞は耳にしたことがあったかもしれないが、
日本人のほとんどは「お伊勢参り」
という概念すら持っていなかったはずである。
そんなイノセントな状況のなかで、
伊勢の御師たちは何代にもわたって、
全国を行脚して、素晴らしいご利益をもたらす
「お伊勢参り」なるものを口づてに広め、
旅行プランを作って販売したというのだからすごい。
僕が訪れた御師の宿「旧御師丸岡宗太夫邸」の
パンフレットによると、御師の歴史は鎌倉時代まで遡る。
平安時代の終わりごろから
律令制(天皇を中心とした中央集権的な国家統治体制)が崩れ、
各地の神宮領が武家に奪われるようになると、
神宮を経営していくことが難しくなった。
その一方で公家や大名など、
一部の有力者たちは、日本国でも別格と言える
伊勢神宮への厚い信仰を持っていた。
「神様に感謝の意を表したい」と願う有力者たちの要請に応え、自宅で伊勢神宮の神々に捧げる神楽を上げる神職が現れた。
それが「御師」のルーツなのだという。
有力者たちと繋がった御師たちは、室町時代を経て、
戦国の世になると、
神職として合戦時の戦勝祈祷を行うだけでなく、
兵糧米や軍事物資の調達者としても活動するようになる。
スピリチュアルなパワーを操りつつ、
実務面でも武将たちの戦を陰で支えていたらしい。
そうした歴史・実績をもとでにして、
江戸時代――天下泰平の世になると、
こんどはビジネスマンに転身。
経済的に豊かになった江戸・京都・大阪などの
商人、町人、農民の家々を回り、
伊勢神宮のお札を配って初穂料を集めた。
そして、その資金を使って、彼らが伊勢を詣でる際の
宿泊・飲食・名所案内・神楽の奉納といった
複数のサービスを統括して提供するようになるのである。
これはなかなかすごい。面白い。
僕が訪れた「丸岡宗太夫」は個人名でなく、
代々受け継がれてきた名跡・屋号である。
神職から発展した旅行プロデューサーの宿、およびオフィスで、
大阪や信州各地に8000軒ほどの檀家、
つまりお客様を抱えていたという。
すごい数だと思うが、8000はまだ中企業レベル。
いわゆる大企業レベルの御師になると、
檀家の数は1万、2万というところもあったようだ。
さらにその営業ネットワークは、上記の都市部だけでなく、
北は東北から南は九州まで広がっていたという。
旧御師丸岡宗太夫邸は、
そうした御師の華々しいストーリーを伝える遺跡である。
空き家問題が深刻化する昨今、一時期、解体寸前となったが、
街づくりを行うNPO法人のはたらきかけが実り、
平成27(2015)年に国の登録有形文化財となった。
それちともに「伊勢まちかど博物館」に認定されている。
伊勢神宮には連日、日本全国どころか、
最近は世界中から観光客が訪れ、
内宮も外宮も晴れがましい空気に包まれている。
そのどちらからも離れた住宅街に
ひっそりと佇む古い木造住宅には、
研究者などを除き、観光で訪れる人はほとんどいない。
しかし、この時代に唯一残された、
かつての旅行プロデューサーの根城は、
伊勢参り文化の創始者たちのシンボルであり、
現代まで続く伊勢の物語をいきいきと語り継ぐ
貴重な存在になっており、
今回、地域の事情に詳しい民泊に宿泊したおかげで
拝観する機会に恵まれたのは、とても幸運なことだと思っている。






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