正月気分はとうの昔に吹っ飛んでいるが、
1月はまだ10日が過ぎたところだ。
年を取ると時間の流れが速くなり、
1年などあっという間に過ぎるが、
それでも1月は少し時の流れが緩やかに感じられ、
ヒマなわけではないのだが、なんとなく気持ちに余裕がある。
おそらく正月でいったん頭も体も
リセット、リフレッシュするからだろう。
僕一人でなく、世の中全体がそういう空気だ。
あなたもそんなふうに感じているとしたら、
たとえば1年を一生と捉えてみたらどうだろう?
60歳か80歳か100歳か、寿命はわからないけど、
とにかく12カ月が一生だと思ってみる。
すると1月の時点では、
僕たちはまだ生まれたばかりの赤ちゃんだ。
良い意味でイノセント。
気分は清々しく、目に映るもの、肌に触れるものも新鮮だ。
心のなかは、まだ何にも汚されていない真っ白な雪原。
小さな子供になって、わーい!と走り出す。行く先にはどこまでも果てしない世界が広がっている。
あるのは自由と可能性ばかり。
そんなイメージを抱いて1月を生きる。
少し現実に移行して考えれば、
新年に立てた今年の目標だとか誓いだとか、
初詣のときの祈願はまだピカピカに輝いている。
しかし、例年のように、
その目標に向かって行動することはあまりなく、
ピカピカの看板も月が重なるにつれて色褪せ、忘れられていく。
僕たちが子供でいられるのは、せいぜい前半の4分の1程度。
子供・若者時代である3月、
長くても新学期が始まる4月前半あたりまで。
花見を終えて、大型連休になるころには
すっかり日常の時間にのみこまれており、
自分のリズムもメロディもないがしろにして、
あとは世の中の流れに合わせて、
生活と仕事のスケジュールをあくせくこなしていく毎日になる。
それが一概に悪いとはいえない。
人間、年がら年中、フレッシュではいられないし、
ワクワクドキドキもしていられない。
それではとても1年=一生はもたないので、
ある程度、周りの空気になじみ、乗っかって、
惰性で生きることも必要だ。
でもそうしているうちに11月・12月になって、
ああ今年も何もやりたいことができなかった。
でもまぁ、無事に過ごせたからいいか――てなことになり、
その繰り返しが何十年も続いて、
結局わたしの人生何だったんだろう?てなことになりかねない。
だから真っ白な雪原のような1月、
一時でも子供に還れる1月は、日常のカレンダーとは別に、
魂のカレンダーを見つめながら生きられると
いいのではないだろうか?
なんだかスピリチュアル系の人みたいは話をしているが、
こうした悪しき情報で汚染された
現代社会の環境で生きている限り、
イノセントであり続けるのは無理である。
でもせめて1月くらいは、できるだけ世のなかに蔓延る、
ひどい添加物みたいな情報からはフリーになる。
そう意識して毎日を過ごしていきたいと思う。

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