今年4月11日~16日に開かれた3回目のDeathフェスでは
5000人以上の参加者が訪れたという。
また、終活関連の仕事をやっていると、
年々、死について語ることのタブーが減っていると感じる。
少なくとも「縁起でもない」という抵抗感は減っている。
反対に死に関心を持つ人が増えている。
自由に死を語る機会が増えている。
日本は超高齢化社会、多死社会になっているので、
当然と言えば当然かもしれない。
こうなると逆に、そもそもなんで死について語るのは
タブーとされていたのか?という疑問がわく。
考えてみると、これは大昔からずっと続いてきた
習慣ではあるまいと、漠然と思う。
落語や歌舞伎などで死は良く描かれるが、
少なくとも江戸時代の人にといって死は身近なもので、
お話のなかだけでなく、リアルな世界でも割と自由に積極的に
死についておしゃべりしていたのではないかと思う。
やはり死が忌むべきもの、
恐ろしいものにされるようになったのは、
近代社会が始まったころからではないか。
産業・経済が進展するにつれて、
人も世の中も常に前進し続けるものと啓蒙され、
後ろ向きな思想は慎むべきという
社会の空気が醸造されていったのではないかと思う。
そして日本の場合は、やはり太平洋戦争とその敗戦が
死をタブー視する決定的要因になったのだと思う。
つまり、日本人ができる限り、
日常から死の影を追い払うようになったのは、
この80年のことなのだ。
太平洋戦争で亡くなった日本人は、
政府(旧厚生省)の公式発表で約310万人。
近年の最新の学術研究や推計では、
約376万人にのぼるとも推計されている。
軍人の死者:約230万人
民間人の死者:約80万〜140万人。
全国の空襲、広島・長崎への原爆投下、沖縄の地上戦などで
おそらく100万人以上が亡くなっている。
そして命は助かったが「地獄」を見てしまった人は、
おそらくこの何倍にも上るだろう。
戦時中はむしろ死は礼賛された。
国のために命を差し出す行為は美化されていた。
戦後の社会のなかで、死について語ることがタブーになったのは、
その前の時代に対する反動であり、
怒りと憎悪と哀しみの感情からなのかもしれない。
いずれにしても地獄の底から歩み出した人たちは
生きることに執着した。
いつか必ず自分にも家族にも大切な人にも、
死が訪れることはわかっていたが、
人生の終わりとか、世界の終わりなんて、
死ぬまで想像したくなかった。
だから日常のなかで死を連想させる言葉を
出すことも聞くことも耐えがたかったのだと思う。
それから80年が過ぎた。
多くの日本人はそうした戦後の記憶を持つことがなくなり、
死について自由に語るようになった。
自分自身もそうなので、それがいけないとは思わないが、
戦時中や戦後復興期の物語や映画に出会うたび、
今のこうした状況をどう捉え、どう評価すればいいのか、
戸惑いを覚えたり、困惑することがある。
おりべまことエッセイ集
「昭和100年の思い出ピクニック」
昭和ってイカれた罪深い時代だったけど、
人間臭くてエロ臭くて、なんだか愛おしい。
AIに整理される前の、
生々しくて薄汚れた昭和を、
一緒にピクニックしませんか?

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