クマちゃんは義母のお帰りを待ってます

 

毎月、1週間ほど義母をショートステイに行かせている。

最初のころはちょっと罪悪感があった。
けれども最近は気にせず、のびのび羽根を伸ばせるし、

仕事もはかどる。

気兼ねなく外食に行けるし、帰る時間を気にせず外出もできる。

義母はそんな僕たちのことを何も気にしていない。

 

帰ってきたとき、本人には1週間、

他の場所にいたという自覚はない。

デイサービスに行くのと同じように、

1日出かけて帰って来たという感じである(らしい)。

時間の経過を認知しないということは、

主観としては齢を取らないことと同じだ。

若い頃の自分の写真を見ても、それが自分であるのかどうか、

あやふやである。(関係があることはわかるらしい)

それは前世であるかのように思えるのだろうか?

 

ただし、そうした意識には反して体の方は日々確実に衰えていく。7年前、いっしょに暮らし始めたときの写真を見ると

やはり今よりだいぶ若いなと感じる。

足腰も丈夫で90歳超の割にはよく歩けるのだが、

最近はあまり長時間はきびしいようで、

すぐにベンチに座って休みたがる。

 

話すこともとりとめないし、理屈がないし、

そもそも言葉がめちゃくちゃ。

それでも会話を成り立たせることはできる。

散歩ですれ違う人とあいさつもできる。

柴犬を見ると、なぜか「ネコだ」という。

他の犬はみんな「ワンちゃん」なのだが。

柴犬はマイペースで、

「外身はイヌだが、中身はネコ」との評判の犬種。

直感的に本質をついているのかもしれない。侮りがたし。

 

最近、認知症になったらどうしようと恐れる人が多いが、

なった本人は自分が認知症かどうかなんてわからない。

だから、どうしようどうしようなんて、心配するだけ損なので、

そんな無駄なことはやめて、生きたいように生きたほうがいい。

最期にどうなるのかは、神様だけがご存知だ。

この世で生きて来た記憶なんてぜんぶなくして、

真っ白な子供になって帰っていくなんて最高に幸福な人生だ

。そう思って生きたほうが幸福だ。