今日は母の命日である。早いものでもう4年経つ。
葬式のときに葬儀屋さんから取材を受けて、
母がどんなめしを作ってくれたか、
何が好きだったかので聞かれたので、「ハンバーグ」と答えた。
「おいしいハンバーグを作ってくれたお母さん」といった感じで、ナレーションのネタになった。
別に不快な思いをしたわけではないが、
葬式を形にするためには、こうした感動ネタが必要なんだなと
妙に冷めた思いを抱いたことを憶えている。
本人でないのでわからないが、
母は93歳でなかなかピースフルに旅立ったので、
正直、そんなに悲しい気持ちは抱かなかった。
その後、供養の意味を込めて
「おふくろの味はハンバーグ」というエッセイを書いた。
かの葬儀屋さんと同様、
日本人は(日本だけでないかもしれないが)
やたらと「おふくろの味」といったものにこだわる。
しかし、僕は18で家を出て以来、
おふくろの味が恋しいと思ったことは一度もない。
昭和4年生まれの母親は、当たり前のように主婦をやって、
毎日せっせと家族のためにめしを作っていたが、
かなりストレスを感じていたようでもある。
台所仕事をやっていると子供時代の僕が寄ってきて、
食材をいじくったり、まわりをウロチョロしたりするので、
イラついてきて「あっちへ行ってろ」とよく怒られた。
ハンバーグなる「洋食」が
日本の家庭でごく普通に食卓に上るようになったのは、
おそらく僕が小学生だった
昭和40年代(1960年代後半)以降だと思う。
それまで幼稚園の弁当に
「マルシンのハンバーグ」が入っていたことはあったが
、母が手作りするようになったのも
僕が小学生の低学年から中学年の頃からだ。
やっぱり子供が喜ぶのは嬉しいらしく、
よく作ってくれたものだった。
かの葬儀屋さんはここを深堀りしようと、
特徴は何か、何か特別なレシピがあったのか、
ソースはどうだったのなど、いろいろ聞いてきたが、
特にそういうものはなく、
市販のケチャップとソースを付けて食べていた。
料理本か料理番組で見たのだろう、
一度、味噌を使った特製手作りソースを
出してくれたことがあった。
それが不満だった僕は自分でケチャップとソースを出してきて
勝手に食べ始めると「もう二度と作ってやらない!」と
めっちゃ怒られた。
さすがに泣き出しはしなかったが、あれはまずかった。
子どもだったとはいえ、申し訳ないことをしたなぁと思うが、
あとの祭り。
今も罪悪感に苛まれる(というほどのことでもないが)。
というわけでその後、
母はハンバーグづくりに特別なレシピを施したり、
特別なソースをこしらえたりすることなく、
淡々とルーティンワーク的にこなしていた(と思う)。
一方、僕は家の中にあった料理本を見て、
ふむふむ、ハンバーグはこうつくればいいのかと独学していた。
高校を卒業して東京に出てきてからは、
基本的に自炊するようになったので、自分でハンバーグを作った。友だち(中華料理屋の息子)と
部屋をシェアして暮らしていたので、
そいつと代わりばんこでめしを作っていたが、
ハンバーグはいつも僕が作っていた。
その頃、付き合っていた彼女ともいっしょに作った。
カネがないので、合い挽き肉ではなく、
安い豚ひき肉を使うことが多かったが、
その彼女は「うちのはこうだった」と言って、
玉ねぎを使ってこってりしたソースを作ってくれて、
それがややあっさりめの豚ハンバーグとの相性が抜群だった。
カミさんと暮らすようになってからもハンバーグは僕が作る。
息子が生まれてからは息子にも食べさせた。
彼はネタにゴマとかキノコとかを入れたり、
自分で何かいろいろ実験していた。
最近は義母に作ってあげると、
「おいしい」と言ってバクバク食べる。
そういう意味では僕は
「おふくろの味」を継承してきたのかもしれない。
いま思えば、母にも一度、
自作のハンバーグを作って食べさせてあげるべきだったと思う。
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