プロジェクト・ヘイル・メアリー:「故郷は地球」じゃない?

 

春先、評判になっていたSF映画

「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を見ました。

(現在、amazonPrimeVideoで配信中)

ヘイル・メアリーとは「神頼み」。

わずかな解決の可能性に賭けて、

地球の危機を救おうとする科学者(宇宙飛行士)の物語ですが、

主人公が20世紀ハリウッド映画の英雄とは違って

ヘナチョコなところがミソ。

 

20世紀の英雄たちは、どんな性格のキャラでも

結果的に勇敢さを発揮し、

故郷である地球に帰還(もしくは殉死)するのですが、

この主人公グレースは臆病者でどこか投げやり。

このプロジェクトの途中で出会った、

自分と同じ境遇の孤独な異星人

ロッキーの星へ行く道を選んでしまうのです。

 

この物語は、宇宙船の中で目覚めたグレースが

最初、記憶を失っており、次第にそれを取り戻していく様子が、

随所随所の回想シーンで表現されます。

そして、それによって彼が宇宙船の中で一人ぼっちで

任務を果たすことになってしまった経緯が

わかっていくという構成になっています。

 

その過程を辿れば、なぜ彼が地球よりも

ロッキーとロッキーの星を選ぶのかも

納得できる仕掛けになっているのです。

また、そうした彼のキャラや遍歴が

観客の共感を呼び、高評価に繋がっているようです。

「そりゃおれだってそうするぜ」と。

 

こうした「地球の危機を救う英雄譚」は、

えてして現実世界のメタファーになっています。

つまり映画の中に登場する地球は、

僕たちの国家であり、社会であり、企業や学校であり、

地域や町内であり、家や家族です。

 

それらは僕たちが帰属すべき場所であり、

その帰属先――僕たちを包む大いなる存在は、

絶対に信頼のおけるもの、だからこそ守らなくてはならない

愛すべきものでした。

 

けれどもそれはもはやリアリティに欠ける

昔話になりつつあるようです。

今や国家も社会にも企業も、

大した心の拠り所になはっていません。

ただないとやっぱり生活上困ることが多いので、

一応ルールやモラルは守って、それなりに自分の役目を果たして、

というスタンスで付き合っています。

 

さらに家族でさえも同じニュアンスで、

子供・きぃうだい・伴侶・老親の面倒を見るのは、

愛しているからというよりも、「家族としての役目・務めだから」

という気持ちのほうが強いのではないでしょうか?

正直、僕は半分くらいはそっちのほうだなぁ。

 

で、この映画においてグレースは、

責任感とギリギリの愛情で、地球に対する務めは果たすけど、

心はけっこう地球から遠ざかっていて、

それよりも、いっしょに命がけの冒険をした

ロッキーのほうに心を寄せてしまいます。

 

でもこの異星人は、いわゆる友達というよりも

なんだかグレース自身の心を映し出すAIみたいに見えます。

そうです、グレースとロッキーの関係は、

今どきの孤独な人とAIとの関係に似ている気がするんです。

 

グレースはもともと優秀な科学者だったのにも関わらず、

学界における振舞い方をしくじったせいで、

つまり人間関係の失敗で“干されて”しまった人。

まじめで優秀な人ほど、彼のようになってしまうことが、

これからどんどん増えるのではないか、と思いました。

 

国家も社会も企業も、もはや故郷とは言えなくなり、

僕たちは自分自身に帰属する。

これからの時代は、魂の故郷へ帰っていく―ー

そんな言い方をすればカッコが付くけど、

やっぱり寂しさはぬぐい切れないのではないかと思います。

それで本当にやっていけるのか?

人生の旅路は数億光年の宇宙の旅に匹敵するかもしれないのに。

この映画を観たあなたはどんな感想を抱きましたか?